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私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.11
メッセージ数:220件

<220> ひこうき ■2005年11月14日 月曜日 08時31分49秒
思いがけない方に道は進んでいくんだ。
私はぬくぬくあったかい時間が欲しかったんだけど
開かれたのは公立中学の臨時講師だって。
病欠の先生が治るまで。
水曜に打診があり、たぶん明日からの勤務。
昨日まで不安でたまらなかった。でも自分のやれるだけやろうと決めたら楽になった。
私は前の非常勤講師のとき、やり残したことがあって、どこかで後悔してて、ここ数年「良い先生」の仮面が脱げなかったのかもしれない。
思い残しというのかな?
今度は「良い先生」になることなく、私のまま・できないことはできないまんまやってこよう。
<219> ミヤ ■2005年11月07日 月曜日 00時30分29秒
入退院、別居、調停、離婚、就職、引越し、不動産売却、我が子の入学、解雇、引きこもり、カウンセリング・・・・・1年という短い間にこんなにたくさんの事を経験する人はそうそういない。
どうやってこなしてきたの?その時はどうして出来たの?
そんなこと聞かれても自分でももうわからない。
やり直しはできない。過去には決して戻れない。
子供の学校行事、なんだかんだと親の出番が多くてうんざり。
重い足をひきずるように仕方なく学校へ行く度、周りの幸せそうな雰囲気に気分が悪くなってしまう。
早く病院の予約日にならないかな。それまで我慢しなくっちゃ。
また期待はずれかもしれないけれど。
<218> アーネスト ■2005年11月04日 金曜日 19時23分43秒
この1年で回復は進んだのかな・・・・?勿論,ワークショップとか行ったし手応えも感じてるし、実際の行動に移せた部分もあるけど・・・まだ行動がね,ついていかない。ともなわない。これからの1年、もっと行動重視にすべきだろう。なんだかんだ本読んだって,自助会に出たって,そこで学んだことや感じたことを肯定して行動しなけりゃ意味がない。でもうつ病の病根みたいのは消えたかな。刺が抜けていったかんじがする。それはあれだけ泣いたから。他人の人生を生きてきた悲しみや,その過程で生じたムリ,失った時間,金、労力を嘆き悲しむことができたから。うつ病にはなったけど,その悲しみを「自分だけが悪いんじゃなかった」って思えたから。
<217> アーネスト ■2005年10月31日 月曜日 03時11分22秒
AC自覚時に,持っていた問題の中核に対処した。1年は長かった。10月から3月は完璧な個人のワークだった。その後は,生活を立て直そうと思っても,結局は兄の問題に向き合わなかった。そして実習を迎える。実習後の4ヶ月でさえ,やはり向き合わなかった。だから5月くらいから・・・空白だったのかなぁ。でも実はその頃にグループに深く繋がれたジキだったし。やっぱりグループに深く繋がるまでに半年。そこから問題に正対するまで半年、というところなのか。
<216> アーネスト ■2005年10月29日 土曜日 20時18分49秒
大学5年の頃って色んなことの確認作業をしていたと思う。例えばラクロスを辞めるのか辞めないのか、辞めても自分は生きていけるのか。辞めて何をするのか?自分は本当にその生活で満足いっているのか?全てが初めてで,混乱していた。今だって混乱している。でもなんとか持ちこたえたし直感で,今進んでいる方は正しいって思えるから。
<215> アーネスト ■2005年10月28日 金曜日 20時00分55秒
来週は2ヶ月ぶりのカウンセリング。
2ヶ月なしでよく持ちこたえたと思うか、また掛かってしまったと思うか。でもとりあえず楽しんで受けてこようと思う。良い報告もできそうだし
<214> アーネスト ■2005年10月20日 木曜日 23時48分41秒
ここに来てから1年が経ちました。本当に色々な人と知り合いになれました。色々な人の物語を見てきました。自分がここに来た時は,兄のことで相談に来た。そして一年経った今でも,やはり兄及び家族・家・生育歴。育った環境、過程は私の関心ごとの多くを占めている。
<213> カモメイル ■2005年10月16日 日曜日 22時24分53秒
はじめてACという言葉を知ってから、一年近くたってやっと自分がそれなのだと確信している。気分のいいときは暗くつらい気持ちなんて忘れてしまうから、あれ?何だったんだろうあれは・・考えすぎか。。と思い、またイライラや悲しみがやってくると、あ〜やっぱりそうなんだと思う。認めると気持ちが楽になれる反面、さらに深刻な状態になりそうでこわい。だけど、最近はACなのかなと思う事が多くなってきた。一年前に買ったジョンブラッドショーの「インナーチャイルド」も、ほとんど読まずにしまってあったが、今読み始めてみると納得できる事がたくさん書いてある。

自分が生きづらいのだということ、とても幸せになれるとは思えない事、自分には幸せな家庭は築けないと思っている事、子育てにはむかないから子供は生まないほうが良いのだと思っている事、社会にとけこむのが苦手な事、幸せそうな人を見るのがつらい事、本当はそんなのって悲しいから、さみしいから、私だって本当は幸せになりたいと思っている事を認めた。
とにかく、今は苦しい。経済的な事情で、1人暮らしをやめて実家へ戻ったが、苦しい。もう2度と家族と暮らしたくない。すぐにでも引越したい。そして、カウンセリングをうけたい。だけど、今働いていない私にはどちらもすぐできる事ではなくて、つらい。それだけの事を考えていればいいわけではなく、将来のため、この先自立するために今しなくてはいけないこともあり、結局あと一年ぐらいは嫌でも家をでれないかなぁ・・・。いやだいやだといいながら、甘えている。
<212> ひこうき ■2005年10月16日 日曜日 21時08分54秒
私の母は、いつも忙しそうだった。
いつも忙しく動いている人だ。
母は家事をできるだけ短時間で済まして、織をやりたがっていた。
私が学校から帰ってくると、いつも母はなにかしていた。
私は話しを聞いて欲しくて、働く母の横顔や後ろ姿に向けて話し続けた。
母は真剣には聞いてくれなかった。
母は話の途中を遮って、また別の部屋で用事を始める。
私はついていって、また話しはじめる。
母の仕事を休める手は眠りにつくまで止まらない。
だから私からの用件は聞いていて対処はしてくれたけど、話しをちゃんと聞いてもらったことがない。

母は時々胸をはって言う「小学3年のころ(ひこうき)がうかない顔をしてたから、私は絵をならわせたんよ。」

・・・・そっか。それはお母さんの手法だよね。
お母さんは気持ちを紛らわす為に絵を描いたり織をするんだ。
母があんなに忙しかったのは、そういうわけなんだ。
それから父と離婚したくて、資金を溜めていたこともあったよね。

母の脇で置いていかれた子は、寂しかったよ。
だからいつも話しかけたんだ。
私は子供の頃、バカをやって親を笑わかすのが好きだった。
親に注目してもらって笑いかけてもらえるのが生きがいだった。

お母さん、私は絵なんて描かなくても良かったのかもよ?
絵を通して素敵な事もあったけど、絵はね、孤独な作業だからたまに息切れするんよ。
私が浮かない顔してたから、習い事をさせるんじゃなくて、お母さんに話しを聞いてほしかったよ。

あと私はお母さんみたいな絵の描き方はできないよ。
<211> ぬりこ ■2005年10月02日 日曜日 21時03分04秒
 私は自分とひきこもりの人と似ている気がする。教育実習もやった立派な学生なのにね。
 私は自分は体も外側は「一般人」やっている、でも心は自分いじめを繰り返すだけ、「自分は汚い、他人とは関わりあえないくらいの心の壁つくり」に奔放してきた・・・エネルギーは溜まりに溜まっていた。
 「本当の自分」を見るのが怖かった。だって、私は「汚い」から。ずっと、女の子たちにいじめられてきた「情けない」女だから。「女らしさ」のかけらもない「汚い」私だったから。
 ずっと自分いじめをやめられなかった。
 でも、「自分史」を両親にだした。きっとこれは私の「インナーチャイルド」を親に理解してもらえるための一歩だった。
 中学校に教育実習に行こうとしたことも。
 卒業論文を書いたことも。
 カウンセラーにかかったことも。おじいちゃんが亡くなったことも。
 そして・・・私は再び「人生の節目」に立っている。
 私は「誰なの?」私はどこにいくの?私は「汚い自分」「自分いじめ」「人生が怖い」「過去に逃げたい」からの思いを徐々に取り去ろう。あせらなくてもいい・・・でも「何もないことが良いことではない」んだ。私は逃げずに生きるんだ。自分を見つけに。
<210> ゴン ■2005年10月02日 日曜日 00時56分31秒
今年中に会社を辞めることにした。点滴して苦しみながら行くのが嫌になったし、客商売で笑顔が足りないと上司に指摘されたことも、背中を押してくれた。    今、会社やめたら、次無いぞとも思う。親にも迷惑かけるし。でも辛い。    辞めて、当分ゆっくりしたい。
11年も同じ所で働いてきた。でも成長はしてないと思う。
今度は成長したいな。   
<209> ぴよ ■2005年10月01日 土曜日 12時23分54秒
今、離婚を視野に入れて、自分の人生を考え始めた。
パートナーと出会って、パートナーにのめりこみ、囚われてから早くも30年が過ぎてしまってることに自分でもビックリした。
30年経ってやっと気づいたことは、愛するってことは、自分を犠牲にすることではないこと。相手の苦痛を取り除こうとすることではないこと。
私に足りないのは、分かち合うということ、相手を尊重すること。
やさしさや思いやりの意味を間違って思い込んでいたんだ。
今は、気づいただけでもよしとしよう。
<208> りんご ■2005年09月29日 木曜日 19時29分02秒
人生の節目というと就職.就職の時は,自分の能力を卑下して,不利な職場に就職した.不利なところに来たから・・・という理由をつけて,仕事も適当な自分になってしまった.もう少しで,私にとって人生で一番やりとげるのが難しそうな結婚という人生の節目が来る.でも,親の結婚を見ている私は,男性と幸せになる自信がなくて,男性をいつも遠ざけてしまう.本当は私が怖いだけなのに.大事なところで一歩も踏み出そうとしない今の自分が嫌.
<207> こくーん ■2005年09月23日 金曜日 02時16分22秒
今の自分は、『いつか現れる完璧な自分』への準備期間などではないのだ、と。自分が納得できるのはいつなのだろう。
頭ではとっくに理解できているのに、どこかでそんな日が『運命の日』みたいなものが来るのを、切望している。
その日から、自分の本当の人生が始まるのだ、と考えてしまう。
自分の人生なんて、もうとっくに始まっているのに。
<206> maru ■2005年09月20日 火曜日 10時38分47秒
結婚した。離婚した。
私にとっての結婚は自分の現実から向き合えない苦しさから逃げる手段だった。
だんなとならけんかしながらも意見ぶつけあって生きていけると思った。
私が助けてあげれば彼も私も少しはましになるはずだった。
不満をぶつけてもなにひとつ分かり合えなかった。助けてほしいのに・・・
より孤独になった。悲しかった。一日一日がヒリヒリと痛かった。

すっかり子供になって、母からもらえなかった愛をもらおうとしていた。
もらえないものを奪い取ろうとする戦いだったんだ。
私はずっと愛してくれる人を探していたんだ。捨てられた心を救いたい一身で。
誰かが与えてくれると思っていた。

でも違った。まず自分に愛されたかったんだね。
まだ、十分に愛せなくてごめん。
<205> アーネスト ■2005年09月19日 月曜日 21時16分58秒
大学5年の6月。
私をずっと応援し続けてくれていた先輩に,酷いことを言ってしまった。
僕らは友好的な関係を築いていきたいと思っていた。いつか僕が恩を返していきたいと,それまでは思っていた。まだその頃は感謝の気持ちを持つことができていた。でも些細なことで,恩を仇で返した。多分、感謝というのは,怒りの抑止剤にはならないんだろうとその時思った。どれだけ感謝していても,ちょっとした怒りがスベテ壊してしまう。わかんないね,感謝している人に対しては怒ってはいけないって思っていたのかもしれないけど。そう!!そこから自分は,人と関わる事を止めた。人と関わらなければ感謝しなくてもいいし,怒らなくていい。
<204> pegu ■2005年09月15日 木曜日 22時39分53秒
がんばろう。
<203> たらり ■2005年08月29日 月曜日 11時08分54秒
人生。 このことば自体が私にとってすでに過去。 生きてしまった時間を人生と言うのだし 未来など来るのか来ないのか明日さえわからない。 今日のこの今しかない。 今1秒で言える一言を言わずにごまかして過ごしても 或いは感情に任せて捨てゼリフをはき捨てても たぶんやってくる5分後には後悔をするのだ。 この繰り返しがつまりは私にとっての人生だった。 
節目とはそんな日常の一瞬 揺さぶられるような感覚に気付いた時すでに訪れている。 解らないまま過ごしていてある時 それまでとは違う反応をしようとしている自分に出会う。 「何してる?私・・。」 自分ながら自分に驚く。   
  私 変わったんだ。 そう感じた時にはその「節目」はもう過去。
なりたい自分が少し先で手招きしている。「待ちくたびれたよ・・。」と苦笑いしながら。 待っていてくれる。 私はそれがどんなに強い愛情なのかを知った。 こんな私を最期のときを超えて待っていてくれた命・・・・・ 私はそれ以上の何をも望まない。 応えることなどできないことも知ったから。
だから私は私を生きる。 待っていてくれる存在に向かって生きる。
<202> アーネスト ■2005年08月29日 月曜日 09時13分24秒
この1年間,ずっと家族とそれにまつわる自分の問題で,自分単体の問題を置き去りしてた。去年,学生センターに相談に行った時の内容が「家族と進路」だったっけ。もう一回、行ってみようと思う。来年の試験に向けて,勉強一本に絞るのかバイトしながらするのか。ま,ここに戻ってくるまでに1年掛かったってことか。
<201> いつか ■2005年08月23日 火曜日 16時23分51秒
どうして、優柔不断なんでしょう。
あきれた、やつだ。
怯えている。
新しい事をはじめるのに、いつもそう。

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This script written by Shintaro Wakayama.