Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 人生の節目・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> mai ■2003年11月18日 火曜日 09時04分33秒
本来なら家庭は子どもにとって愛に満ちた、本当の意味で保護を受けられる安心感のある場所ですよね。自分のことをACと自覚して、家を出るって決断して実行できる・・素晴らしいことですよね!!! 私の場合は結婚という形で家からかなり離れた所で生活するようになりました。その時期も精神的には落ち込んでいたのに、なぜか主人に拾われました。当時は自分の苦しさの原因などがよくわからず、家を出たくても悶々とし、どこか施設のような所に入ったらよいのか、とも考えることもありました。離れたくて離れたわけではないとずっと思ってきたけれど、本当の気持ちは親から離れられてほっとした面が大きい、と最近気づかされました。(鈍い・・!?) 実家の生きづらさを自覚したとき、涙が止まらず、買物に行こうとしても行けなくなったり、お風呂掃除していても突然涙があふれてきたり・・・ この感情を今まで押し殺してきたんだ、と改めて思わされました。
皆さん、共通する思いなどあるとは思いますが、本当に親のおもり・・に疲れたんだと思います。理不尽な父を怒らせまい、自分の親や夫(私の父)と対等な関係をもてなかった母に合わせるような(思春期も)役割。長年の積み重ねでかなり疲れました。この疲れに正面から向き合って、今はなるべく自分をゆったりさせています。

これからもこころの旅の節目は来るかもしれない。
それに気づけて、素直に向き合ってゆけたらいいな、と思う今日この頃です。
<19> ねここ ■2003年11月08日 土曜日 23時37分09秒
私にとって一番の人生の節目となったのは、きっとハタチ手前の夏だろう。
やっと親のお金にも頼らず、親元を離れ生活し始めて、すぐの夏。

私は2年の短大生活を経て、実家には帰らず友人と暮らし始めた。短大時代、バイトはしていたものの、親の援助なしでは暮らしていけない事が何よりのストレスだった。
だから、やっとそれから解放されて暮らしていける喜びは、貧乏生活の不安より大きかった。

私はバンド活動をしていた。何かがないと生きていけなかった私は、音楽が全てだった。そして相棒のK。
バイトをしながら練習、ライブ、生活の日々。充実してるはずなのに、私は幸せではなかった。
そんなものを感じる方法は知らなかった。ただ、わたしには音楽があるって思い込ませて、なんとか生きた。
なぜかボロボロだった。
そして、ある日体が動かなくなった。顔が洗えない。水が重い。自分の腕が重くて腕が上がらない。
私は難病に犯されていた。手術しなければ死ぬ、手術しても治るかわからないと言われた。泣いてから笑った。
やっと自分の道を歩き始めたばっかりで、なにこれ?やっすいドラマか?ドッキリか?
現実を受け入れられなかった。溢れてくる不安は押し込めた。
自分が死ぬかもって時なのに、一番の心配はKの事だった。こんな事言えない。自分の体のことでバンドが出来なくなる。どうしよう。。。
いや、ほんとはバンドとKを失う事が怖かったから、生きていけないから、私は絶対に現実を見なかった。
すぐ帰ってくるから、そしたら思いっきりやろうって言って入院生活に入った。2度とここの生活には戻れないってわかってたのに。

その後結局私は自分で全て壊した。音楽も、Kとの関係も。残ってるのは命だけだった。生きてる。でも何にもない。
死にたかったと思った。あの時、必要だと思われているって実感できたあの瞬間に死んでたらよかったと思った。
今まで生きてこられた支えとなっていたものを、信じようとしがみついていたものを全て失った。真っ白だった。

今、これは起こるべくして起こった私の最高の節目だったと、心の底から思う。
逃げ続けていたものを、嫌でも見なくてはいけない状況にしてくれた。私の逃げる力は少々のものではないから、こんな事でもない限り絶対見なかったろういろんなこと、今見られる。
あのままじゃ壊れていただろう。自分を粗末にすることしか出来なくて、気持ちを押し込めて、絶対見ない事に全力を注いでいた。そんなエネルギーが体を壊したのだと思う。限界に達して。私を止めるために。

よくここまで来たもんだ。そして、ACという言葉に出会った今年は、新たな人生の節目。
また私に与えてくれた。何かわからないものにありがとうと言いたい。
<18> p ■2003年11月04日 火曜日 17時41分09秒
中学卒業・高校卒業・大学卒業してきたけど、結局、親にとって「いい子」を演じてきた。友達はいない。別にやりたい仕事はない。食べたい食べ物はない。しいて言えば寝ていたい。ドロップアウトしてもいいからずっと寝ていたい。人と関わらなくてもいいから寝ていたい。人から愛される資格は私にはないと認めるから寝たい。世の中私より頭のいい人が多いのだから、その人たちが日本を作ればいいと思います。どうせ私は頭は良くないし、学生時代は成績は良くないし、恋人は作ったことはないし、夢もないし私ひとりいなくても世の中は回る
<17> L ■2003年10月26日 日曜日 23時30分45秒
これが人生の節目かどうか、まだわからないけれど、もしかしたらそうかもしれない。
年齢的にも、ちょうど大台に乗る時期だし。
一つのあり方が行き詰まったところだし。

この前の「節目」は、7年か8年前だった(と思っている)。
あのときも、「力尽きて路頭に迷う」自分の姿が、いつも頭に浮かんでいた。
「どうしたんだろう?」と思うくらい、心身共にダウンしてた。
頼れる人を失った。拠り所がなくなった。どうしたらいいのか全くわからなくなった。体もこわしてた。
でも、中途半端に元気だった時には、間違った?プライドで誰かに「援助」を求めることができなかったんだけど、とことんダウンしたお蔭で、助けを求めることができた。
ACのことも自覚した。忘れていた記憶も少し甦った。
それは一つの転機だった。いろいろ思い出したときには、地獄かと思ったけれど。

あれから、いろいろなことが変わった。
そして、もう大丈夫と思っていたら、今回、またコケた。
今頃になって、こんなことになるなんて!なかなか信じられないけど。
でも、この前にダウンした時も、そのときは悪夢みたいだったけれど、後から振り返ったら、「あれがなかったら今より不幸だったな」と思える。
だから、今もそうだと・・・いいように考えたい。
どんな方向に行くのか、自分でもわからないけれど。

でも思うに、変化というのは、とても痛くてつらいものだ。
だから、今のしんどさのことも「産みの苦しみ」だと思いたい。
そりゃ、急には視界は開けないかもしれない。
しばらく(かなり長く?)じたばたするかな?
でも、とにかくつらくても生きていよう。
<16> SUN ■2003年10月16日 木曜日 14時54分36秒
私にとっての人生の節目といえば、10年前に仮面が壊れたことと、今年ACだと自認したことだろう。今年私が自分の人生に疑問がもてたのは、今年の年賀状で友達がいろんな人生の節目を迎えていることを知ったからだ。ACだと自認してから、少しは生き易くなっているのだろうか。この場所で同じ仲間と出会えた。ここの皆と繋がっている。
<15> uco ■2003年10月10日 金曜日 12時49分41秒
家を買うことになり、急に現実に直面した。不安神経症になった。
何が不安かってこれからの人生すべてが不安だった。
でも、母のために家を買うことをやめようとは思わなかった。
今まで、ほっとかれてたのは、母が私と妹を育てるために一生懸命働いていたのは、とっくにわかっていたのに、そして、それをわかっているがために
寂しいとか、悲しいとか言えなかった。
そして母の寂しいとか悲しいとかも知ろうとしなかった。
お母さん!ありがとう!そしてこれからもよろしく!
今までやりたくてもできなかったことをたくさんやりましょう!
あたしは愛されていますよね!
<14> tomo ■2003年10月02日 木曜日 21時08分56秒
今まで自分を責めてばかりで何も変わらなかった。家族のために尽くしていると思っていた自分がいて、でも大人になってからつい最近両親が私の「献身」をぜんぜん意識していなかったこと、私がどれだけ心を砕いていたかをぜんぜん知らなかったことを知った。そしてとてもショックを受けた。私がしてきたことは全部無駄だったのだ、とも思った。いわゆる自暴自棄になり、「もう人のことなんか考えない!」と断言して自分のことだけ考えるようにした。実際、それまで私は周りの人ばかり見て助言したり、小言を言ったり、予言めいたことを言ったり、また、そういうことができる自分に自負もしていたのだった。けれども、職場が変わり私の心に変化が起きた。とても自信をなくしていたときでそこに仕事のできる同世代の同僚、というライバルが出現したのだ。私は彼女から大きく影響を受け、それまで意識もしなかった自分の中のいやな部分や感情(嫉妬、劣等感、さびしさ)に翻弄されるようになった。とても苦しかったし、何で自分がこんな風になってしまうのか、今までの私と比べて信じられなかった。そして今、翻弄される自分にだんだん慣れ、自分がコントロールできるようになってきた気がする。まだ自分を卑下したり、何かを恐れて進めないことがあるが、前よりは進歩していると思う。自分の本当の自信をつけるために何かをしなければいけないと思うが、なかなか手をつけられないのが悩みだ。
<13> ひかり ■2003年09月28日 日曜日 00時19分28秒
 最近は過去を振り返ったりすることが多いあの時はああだったな、とか冷静に過去の自分を見れる様になってきた(両親との事は別だが)一番荒れていた中1から中3までの自分、(親から捨てられたと言うのは少し表現が違うが私はそう思っている)あまりに自暴自棄で泣いたことも親に捨てられて悲しい寂しいなんて感覚は一切なく毎日自分を傷つけ他人を傷つけていたな、将来なんてなくていつ死んでもいいなんて思いもした、この頃の両親の私に対する見方が今も続いている気が強くて泣かない子、本当の私を両親は知らないそうしないと生きてこれなかったことを‥でも辛い辛い悲しい時期は17歳で光を見つける、主人だ、彼がいなければ私はどうなっていたかわからない、ただ両親との確執は深まっていくこの頃から父の酒乱が酷くなり身体に痣を作り主人のところに逃げることもすくなくなかったそして結婚望んだ妊娠そして流産これを機に私の精神状態が悪化していく‥その後2度の妊娠2度の出産でも安定しない精神‥この頃からおかしさにきずかないふりをやめて、探して探して今ここにいる、居心地はとてもいい!毎日来ている、今はそれでいいんだと思う、カウンセリングも考えているが今はこれでいいと思う、ここがいい、これでいい、これは私の小さいかもしれないけれど自分で探し当てた最初の節目。
<12> しょーた ■2003年09月24日 水曜日 13時14分57秒
私を振り返る。最近、中学の3年生の頃をよく思い出す。3年生のあの1年間に純粋な私が凝縮されていた気がする。受験もあったし、成績も悪くて悩んで当たり前の様な状況だったのに何故か不安とか無かった。毎日が眩しく過ぎて行った事しか思い出せない。卒業してから高校、短大、就職、結婚、慌しく過ぎていった。この歳になって自分を振り返る事が多くなり、私の最高の節目って・・・と考えた。大人になるにつれ、演じている私がいつもそこにいた。子供の頃も人見知りをする事が多い子だった。ただ、あの1年間は違った。人と素直に接している純粋な私がいた。今、私は自分と戦っている。自分と向き合う事に。だって、気づいてしまったから。演じている私。もっと、ぶつかり合いたい、弱音を吐きたい、すべてを投げ出して甘えてみたい・・・強がりな私はもう嫌。あの頃に戻りたいとは思わない。ただ、あの頃の私が感じ取った空気、匂い、を思い出す事が出来た。そんな私が今、人生の節目なのかもしれない。30歳になりました。
<11> しばわんこ ■2003年09月01日 月曜日 22時21分46秒
 人生の節目を迎えると、今度こそ幸せになれると思った。今度こそは、今度こそは、今度こそは。。。そんなことを何度繰り返しただろう。中学受験、高校受験、大学受験、就職活動、一人暮らし。そのたびに将来の私に期待した。でも何にも変わらなかった。小学校ではいじめられていたし、中学校でも友達はできなかったし、先生には嫌がらせされたし、高校では信じてた人に裏切られ、大学受験は失敗して、行きたくなかった専門学校で辛い3年間を過ごし、就職した先ではダメ新人のレッテルを張られ、徹底的にいじめられたし、一人暮らしは自炊ができず、コンビに弁当の生活で、部屋は荒れ放題。結局、身体を壊して実家に帰り、母との共依存生活に舞い戻った。
 期待なんかしなきゃよかった。自分の人生に不釣合いの夢なんて見ないほうがいい。私は幸せになんてなれない。
 お願いだから、せめて心安らかな生活がしたい。
<10> ひさっぺ ■2003年08月20日 水曜日 11時09分30秒
今まで私は、「俗に言う人生の節目」を迎える度に、いつも心のどこかで「これできっと何かが良くなる。」と期待していた。そしてその「何か」というのが、どうやら摂食障害をさしているらしいと気付いたのは少し前。いつも無意識に、「普通に味わいたい。安定したい・・。今は普通じゃない。」と感じていて、その回復を、「俗に言う人生の節目」に託していたように思う。
生活が新たに変われば、ついでにその勢いで自分も変われる気がしたのだろう。
専門学校を卒業できれば・・・就職して仕事が始まれば・・・彼と一緒に暮らし始めれば・・・結婚すれば・・・子供が生まれれば・・・もう一人子供が出来れば・・・。
でも実際は、これら全ての時を経ても何も変わっていない。自分の心は、なんの節目も迎えられていない。その事実に気付いた。何か、海底の一番底に足が着いたような、そんな気持ち。悲しい。疲れた。食事の美味しさはますます感じなくなった。
「俗に言う節目」への期待は、いつももろくも崩れてばかり。
どんなに桜が満開でも、就職おめでとうと言われても、子供を授かりお腹が大きくなっても、いつも摂食障害が私の心に灰色の膜を張り、人生の喜びを半減させる。節目が返ってむなしい。

<9> はなこ ■2003年08月10日 日曜日 02時19分57秒
卒業式とか、入学式とか、思い出したくもない。
アル中の母。汚い家。同級生が怖かった。自分には、マイナスのイメージしかなかったし。
結婚して、やっとマシな生活が出来ている。
でも、親が健在なので、正直、人生の一番大切な部分を、人質にとられているような気分だ。
夫の実家に、「孫の、入園式の写真を送れ」と、酔って電話してきた母親。
いつまでも、いつまでも、私を追ってくる悪魔。
いつになったら、私は本当に、「飛び立てる」のだろうか。
人生の節目。
「両親のお葬式を出す事」
一番望んでいる、一つの節目だ。
人生、やり直せる、とは思わない。
私は、子どもには戻れない。小さな散らかった家で、アル中の母に罵られ、学校で苛められた子ども時代。一回きりの、子ども時代。
やり直せない。
でも、新たな気持ちで、「これからの人生」を、生きてみたい。
だから、だから・・・。
はやく、あなたたちのお葬式を、出させて頂戴。
私は、十分苦しみました。
<8> 【管理人からのお知らせ】 ■2003年02月27日 木曜日 09時20分49秒
2003年2月17日付のヴコースキーさんの書き込みは、「テーマに沿って」「自分を主語にして話す」という当掲示板の主旨を大きく外れており、他の訪問者を混乱させるおそれがあると判断したため、誠に勝手ながら削除させていただきました。

フィクションのようなものは「それが自分の物語の一部としてどうしても外せない」こだわりがあるかぎりにおいて、という条件で容認しておりますが、自分を主語にしない社会評論や社会批判のようなものは、自分自身の問題から目をそむけさせ、一種の「恨み」「責任転嫁」に流れることで、「生きづらさの問題からの回復」という当掲示板本来の目的を逸れさせる危険性が大きい、という観点から、当掲示板では基本的に禁止しております。

悪しからずご了承ください。

管理人・蔦吉
<7> アサ ■2003年02月04日 火曜日 00時50分26秒
成人式を迎えた。小学校卒業時に埋めたタイムカプセルを今月末に開くことになっている。両親の喧嘩が絶えなくていい子を演じていた子供時代・・。それにもう耐えられなくてまだ仲の良かった頃に現実逃避する。タイムカプセルには自分が殻に閉じこもっていく過程が書かれている。あれから8年。大して何も変っていないけど、これを機に心を入れ換えたいと思ってる。あんなに辛かった事も、乗り越えられたんだから、きっとこれからは自分らしく生きられる。いや、生きてみせる。
<6> ブコースキー ■2003年01月28日 火曜日 19時10分40秒
 眉間のしわ(または哲学するおばさん)
2時ごろラーメン屋にて眉間にしわを刻みつけたおばちゃんを見た。苦労の後がしのばれる。弱冠化粧をしているが、それがかえって恐さを演出している。恐山のいたこのおばちゃんがドレスをきてあらわれたような恐さがビシビシ伝わってくる。
 何か大きな投資をしてひょっとして失敗だったかもしれない。と気づく寸前の恐さである。なんと形容したらいいのかわからないのだが、女に哲学的な眉間のしわは似合わないなとつくづく思うのです。いろいろと飲み込めているいる俺でも恐いとおもえるその雰囲気は何も分からない子供にしたら、もっと恐い。父親の鬼瓦より、豹変した母親の鬼瓦の方が「くおわあい」!!。
 まあ、傍目ににみて人生の節目にきているおばさんのなせる恐さかな。とラーメンを食いながら考えていた。
 やはり 老いたる金さん銀さんの笑顔を身につけて欲しいものだと願わずにいられない。
<5> ぽぽ ■2003年01月27日 月曜日 23時05分50秒
去年大学を卒業しました。就職活動ができませんでした。怖かったから。
親のせいにしてしまっていいのか、自分の甘えではないのかとひどく自分を責めています。いつも、お母さんが私が近所の子より劣っていることを許してくれなかった。だから失敗が怖いんだよ。 留学しようと思ってお金ためてます。
でもまたお母さんに反対されているので、ものすごく罪の意識が・・・。
なんで私の人生を生きられないんだ。容認してるように今は見せかけてるけど
私をコントロールしようとしてるのはわかってるんだ。
<4> はね ■2003年01月22日 水曜日 19時43分04秒
こないだ成人式を迎えました。

去年はうつ病やPDなど、精神病になってしまったり
友達に裏切られたり
大好きだった彼氏に別れを告げられてしまったり
散々な年でした。

でも成人になったのでこれからの事とか
自分の力で決めたいと思う。

がんばれ私!
<3> マフマルバフ ■2002年09月16日 月曜日 01時06分01秒
彷徨う魂
かっこよすぎるテーマだが 孤独を選択した側の論理に私の発言が集約されてしまうので つまらんなあと独断と偏見でこうした 悩み始めた者に節目はないということも痛感した  このリカバリーノートのAC心の問題関連情報にリンクされている「境界例と自己愛の障害からの回復」はすごく参考になるのだが 自分を振り返るとあの問題は中学時代に出尽くしているように思う 私は自殺願望はあったが自殺未遂はしたことがない だから 生きることはその苦痛を解明し納得することだけのようでもあった その途上で自分を見失うこともあった そうした苦痛や葛藤を放棄して結婚を選択することは無理がある 放棄して結婚を選択しても自分の問題を直視できず毒のある親になるかさらに悪い状態しかつくれないと思うのだが(すでに親がそれをしているのだ)・・
。しかしいつの時代も優しい女はいる「あなたは親の愛がなかったのよ」とか言われて そうかなぁと思うのだが それでは片付かないから素直になれなかったのだ
 バカ親をもった子供は不幸だ 魂は彷徨うしかなかったのだ そう言っておこう・・・つづく

<2> マフマルバフ ■2002年08月27日 火曜日 02時31分57秒
小川の探検
春休みを利用して高くない丘の稜線を源流とする小川を3人組で遡ったことがある
ところが少し行くごとにかわの様子はまるで違う世界を見せてくれた 通れないほど深い淵があったり 川が完全凍結して歩いて渡れたり ほんの100メートルほどの冒険なのに里の川と様相が一変します 大きな亀やフナやよく知らない魚も居ましたサンショウウオなんかもすんでいるのかもしれませんが それらしき小さいものはいました。源流の岩場に着くと水はチョロチョロしか流れていないのに いろいろな生物の恵みの水となっているんですね 何十年ぶりかで帰ったときその小川を見に行きましたが すでに山の手入れをする者がなく 両岸から木や草に覆われ一歩もすすめませんでした。遠い日のともだちに感慨は及んだ。
<1> マフマルバフ ■2002年08月10日 土曜日 06時53分24秒
犬と話す少年
人生の節目に私の側に居てサポートしてくれる人が必ずいました 犬のクロです
子供の頃は放し飼いでどこに遊びに行くにもいっしょでした 学校まできていたと思います夏休みなど友達と川で遊んでいると知らぬ間に対岸に行ったりするとクロがクオオーンと鳴いたりしして「渡れないようー」というのです「お前は犬じゃけん無理じゃ帰れ!」クオオーン「しょうがねぇやちゃの」私が抱えて対岸に連れていくのですが子供と遊べるのが犬にとってとても楽しいのです 小学校中学校高校とクロは私の重要な時期をずっと見ていたことになります 私が徐徐に元気をなくしたときは庭から黙ってじっと「どうしたんだい」てな顔でみていました 子供の頃の犬とかの友情というのはとても大切なものです 私が投げやりになりだした頃は散歩にも連れて行けず鎖に繋がれたまま一日動けずじっと鳴きもせず耐えていました かわいそうだという感情もありませんでした。私もそれどころではなかったのです 或る日散歩に連れ出すと足がよろよろして歩けなくなっていました 短い鉄の鎖でつながれたままでしたから衰弱ははやくしばらくして死にましたが 私と兄で夜の川に流してやりました 水葬ですね そうやって振り返ってみると私のことを一番よく知っていたのは犬のクロです

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.