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私たちの物語 - 食物・ボディイメージ・過去ログ No.7
メッセージ数:140件

<140> ayako ■2004年07月12日 月曜日 17時08分28秒
病気で食欲が落ちた。しばらくうどんとソバしか食べなかった。鏡を見ると鎖骨辺りが窪んでた。嬉しかったが健康になれば元の体重に戻る。幸い胃も小さくなってるだろうし・・食べる量減らしたら体重は減り続けるのだろうか。今回の病気での原因の1つは過食。過食はいつもストレスが溜まったらする。月1位。不思議と胃が痛くないし、お腹一杯の感覚はない。今の仕事を辞めたら体調も過食もなくなるのだろうか・・。ひとまずあまり食べられないのでこの間に食生活を変えてみよう。
アブラを摂ってないから肌がかさついてきてる。適度にアブラを摂ろう
<139> うめきち ■2004年07月07日 水曜日 00時41分08秒
自分はこれからどうしたいのか・・全然分からない。
このまま引きこもってたら駄目だって分かってるのに・・
それだけは分かってるんだけどどうしようもない。
以前は、気持ちいいほどよく食べるって言われてて・・
でも太らないねって羨ましがられてたのに・・
なのに・・
引きこもってからは、前みたいに動かないから太ってしまった。
お菓子作る事で気を紛らわしてるのが悪いんだよね。
分かってるけどどうしようもないんだ。
何かしていないと気が狂いそうになる・・不安になる。
どんどん自分が嫌いになる。
<138> 黒ネコ ■2004年07月06日 火曜日 01時31分08秒
中学生の頃、とても辛かった。
ひどく悩んでいて、いつもピリピリしていた。
いろんなことに絶望してて、とても辛かった。
そんな私の、安息の地は自宅。一人の空間。
自宅で一人になると、ひどく安心できた。
安心して、いろいろな物を食べてた。
食べるとスッキリした。心が温かくなった。

『家に帰る→安心する→食べる→満足』
こんな構図ができてから、半年ほどで10キロ太った。
この頃から、イライラしたり、心が冷えたときは過食するようになった。
そうしないと生きてこれなかった。

今でも太り続けてる。
そんな私を、母は「太りすぎ」「やせなさい」と言う。
「なんでこんなに太ったの?」と言われ、「ストレス」と答えた。
けど何にもわかってない風だった。
「あんたのせいだよ!!」そう言ってやりたかった。
<137> NAC NAC ■2004年07月04日 日曜日 23時08分39秒
今日もスーパー銭湯で私は「あまり期待しないで」2度体重計で量ってみた。
結果は入浴前69キロ。「これだったらこの前70キロだったし、今日の飯は(モトクロスのため栄養・消化のいい)バナナだったし、まっ妥当な線かな」
そして入浴後はついに68キロ突入! 嬉しくて私は2回乗って確認してしまった。
長かった減量大作戦。
身長170の私は73キロから70キロまでが大分掛かった。
そして今日念願の68キロに(空腹・脱水時とはいえ)減量できたわけだから、この調子で行くとこの夏には65キロ! 下手したら63キロまでいくかもしれない。
63キロなんて(私が柔道やってて60キロ級では軽くて増量しようとした)高校以来だから、逆を考えれば、その間に私の体には余分なお肉がたくさん(特にわき腹)付いたわけである。
このままくそ暑い中私はまじめにモトクロス練習して、わき腹をスリムにして、夏はHさんと海に行く!
「あ〜私の恋は〜♪ 南の〜風に乗って走るわ〜」
その不純な動機が私を動かす原動力である。
軽い。
軽過ぎる。
<136> くみ ■2004年07月04日 日曜日 01時05分03秒
小学生の時私は太ってた。
その身体故に男の子にいじめられてた。
でも強がるしかなくて、それを武器に笑いさえとろうとしてた。
だから中学校に入る前に自分を変えたくて、かなりのダイエット。
凄い痩せてた。
生理も長い間止まった。小学生なのに産婦人科にも行った。
家族は心配してくれていたが、本当に心配していたのかな。
病院に行きたいって言ったのに、「小学生なのに」って言ってたよね。
私の身体と、近所の目どちらの方が大切なの?
最終的にはパンの1欠片も喉を通らなくなっていて、
周りの景色はいつも紫色だった。
その後も繰り返した。
自分の身体が大嫌い。受け入れられない。
<135> ayako ■2004年07月02日 金曜日 16時28分53秒
30日で退職する人の送別会があった。彼女は私と同期で37歳のキャリアウーマンだ
(既婚者で子持ち)かなり懐いてた私は彼女が居なくなるのは寂しかった。
飲んでる時に「**さんは痩せて。少しでもいいから」といわれてしまった。私は「聞こえな〜い」と言って誤魔化した。自分の体は自分が良く知ってる。ダイエットは体に相当なストレスがかかる。だから私はやらないのだ。ザントレックスというサプリも見たが体調の悪い時は使えないのだ。体調は悪い時が多い。買っても痩せられない(T T)薬に頼るより健康な内臓を持つのが先なのだけれど・・。
CMに出てるスタイルの良い人を見るとやはり「いいな〜」と思う。美と若さは宝なのだ。自分は美人じゃないから美人が好き。見とれる。
私はデブだけど男のデブに関しては厳しい。デブでも清潔感があれば良い。
石ちゃんとかは好き。今の職場に25歳だがデブで少しハゲで顔が油っぽい人が居る。いい人らしい・・。でもぱっと見受け付けない・・。生理的にだめ。あれで油っぽくなきゃセーフだった。
<134> NAC NAC ■2004年06月28日 月曜日 22時19分44秒
私はスーパー銭湯でまったりするのが好きでよく利用するが、昨日の早朝入浴後服を着て体重計に乗ってみたら「70.55kg」だった。
「いつのまに!」
私は信じられないのと嬉しさでもう一回乗ってみたが「70.45」で、「やったラッキー、服で0.5だから3キロ減量!」
私は不意に訪れた嬉しさを噛み締めつつ「その原因は?」と最近の自分の行動を振り返ったが、確かにモトクロスの練習は暑くてもやっているが、一番効いたのは「炎天下のコース整備」だろう。
その日はもちろん「練習しに」私は行ったのだが、乗り始めてどうも(骨折してリハビリ中の)右肩の調子が思わしくなく「筋がピクピク」している感じで、「こりゃ今日は無理しないほうがいいな」とコースに来た目的を体力増強に切り替え、一人スコップ片手に私は炎天下で3時間ぶっ続けでコース整備をした。
滴り落ちる汗。
いくら拭っても落ちてくる。
終いにはふらふらになって自分でも「倒れるんじゃないか?」と思ったぐらいだ。
そして車に戻って私はスポーツドリンク一気飲み。
あっという間に1リッター消費して簡易シャワーを浴びて、私はやっと生きた心地がした。
「ふ〜やばかったぜ。モトクロスよりずっと疲れたわ。まめもできたし。ちったぁ体力付いたかな?」
今となっては「そんな出来事が今回の3キロ減量に繋がったんじゃないか?」と私は思う。

それにしても私は何かにつけ「ほどほど」ってのができない。
何事も「やるかやらないか」で、今回の炎天下のコース整備もそうだ。
私はやるとなったら「自分が納得するまで」とことんやるが、反面「困らず、気にしないときはいつまで経っても手をつけない」鈍感横着さだ。
馬鹿なのかくそ真面目なのか?自分でもよくわからないが、もう少し「ほどほど」を覚えないといけない。
炎天下で倒れたらそれこそ練習できなくなるし、周りからも「やっぱKさんアホやろ? 脳みそ付いてへんのとちゃう?」と疑われてしまう。
「モトクロスは練習してなんぼ」だから、ほどほどにね。
<133> プレミオ ■2004年06月27日 日曜日 01時20分56秒
子供のころ、背が高いのが嫌だった。
背が高いというだけで、特別扱いされすぎた。

たとえば、学校の応援団。
背が高いからという理由で、無理やり入れさせられた。
嫌だったのに。

たとえば、自動改札。
背が高くなってくると、子供料金の切符を持っていると、自動改札で引っかかってしまう。それがすごく嫌だった。


でも、それも昔のお話。
大人になってしまえば、背は低いよりも高いほうが良い。当然のことだ。

背が高かったことはトラウマだけど、トラウマは傷として残るだけじゃない。勲章としても残るのだと意識しよう。
<132> サキ ■2004年06月25日 金曜日 21時09分45秒
続続続ダイエット物語(笑)
そして、今彼が長期出張で出かけてから、又ダイエット熱が上がっている。
たぶん、私は心配されたいんだと思う。
帰ってきたときに、驚かれて心配されたいんだと思う。
ちいさな復習なんだろうか。
出張なんてしたことになって、不安定な今の私を置いていったことに対する
あてつけなのか・・・。

食べることを、私の中の何かが拒否する。
せっかくちょっと痩せたんだ、今食べたら又太るぞって
脅かされる感じ。
でも、今多少食べておかないとリバウンドが怖い。
痩せている自分。体重をコントロール出来る自分に優越感がある。
母は太っていて、未だにコンプレックスに思っているようだ。
私をここまで駆り立てる、何か、母が関係しているのか。
育ってきた環境が関係しているのか・・・なんだろう。

冷静になったとき、自分が太っていようと痩せていようと、そんなに世界はかわらない。
たまに「細いね」って言われるくらいで、行った人だって深い意味はない。
だいたい、自分自身、会う人が痩せてようと太っていようとそのひとの評価は変わらない。
(ただ、自分よりも痩せている人には嫉妬する)

めまいがする。体力がないのを感じる。息切れがする。いつかリバウンドするのも知ってる。
でもやめられない。痩せたい。
心配されたい。
<131> ayako ■2004年06月25日 金曜日 16時11分33秒
夏らしく暑くなってきた。汗が出てくる。寝づらくなる位だ。旦那の前ではお腹を出しても平気。あお向けになって自分のお腹をつまんでると「ウエスト何CM?」と聞かれた。「私が太ってるって言いたいの?」と言い旦那の背中を叩いた。
自分の体のサイズを他人に聞かれたくない。旦那は別にと言った。
それと同時に自分の体に関して誉められるのが嬉しくなってきた。女性なら誰でもOK。男は旦那以外は嫌。実は性的な目で見られるのはそんなに嫌じゃない事に気が付いた。軽度なら良いけど、丸出しなのはNG。オヤジの目線はネチッコイからNG。SEXの時はそれすら快感につながる。自分は性癖が歪んでるヨウナ気がする・・。SEXANDTHECITYのサマンサは「不思議ね〜SEXの時男に見られると気持ち良い」と言っていた。私だけじゃないんだと思った。
どうして男ってあんな目で女の事みるんだろう?自分の好みの女を視姦してるのは知ってる。あくまでも個人の想像の中だけど。あんまりギラギラしてる男に会うと
身の危険すら感じる
<130> サキ ■2004年06月25日 金曜日 13時04分47秒
続続ダイエット物語
仕事の激務からも解放されて、親元からも離れ、体重をとやかく言う人からも解放された。
そして、ばかげたダイエット熱も醒めてきた。
おかしいことに42、3キロまで痩せた。
あんなに500グラム痩せることができなかったのに、
ダイエットをそんなに気にしなくなったら、痩せてしまった。
食べ物にとらわれない生活は心地よかった。
頭で食べていたのがちゃんと、体の欲求のまま食べられるようになった。
同棲相手の彼は朝昼しっかり食べて、夜はビールがメインの人だった。
私も晩酌につき合ううちに結構飲めるようになっていて、二人とも夜はおかずとアルコールという食生活を送っていた。それもよかったのかもしれない。
とにかく、ダイエットやめたら痩せたのだ。

その後、何がきっかけだったんだろう。それが思い出せないのだが、再びダイエットを始めた。朝昼はフランスパンとバターと野菜ジュースを摂ることしか許さなかった。
夜は彼にダイエットがばれるといけないので、気づかれないようにビールと野菜や、カロリーの低い魚介しか、食べなかった。
3日一回は「先食べちゃった」と嘘を付いて、
夜はアルコールのみだったりもした。
どんなときも油・肉・米・卵・芋類・油の多い魚・なんてのは厳禁。
ドレッシングもノンイル当たり前。

おもしろいほど痩せた。
まわりの心配する声が賞賛に聞こえて、とても嬉しかった。
「サキちゃん、痩せたね」「大丈夫?」「ちゃんと食べてるの?」
そんな言葉が嬉しくて、その言葉を何度も思い出しては一人でニヤニヤと喜びをかみしめていた。36キロまで痩せた。

そしてかならずやってくるリバウンド。
これは苦しかった。ただ私のリバウンドはとてもゆっくりで、じわじわと戻りつつも40キロで維持出来ていて、それでも充分細めだったから、相変わらず「細いサキ」だった。
ダイエット願望も少しずつ、緩くなっていた。
朝昼はほとんど食べないで、夜はなるべく低カロリーものをたべる生活。
そして、数字にとらわれる事に疲れる為体重計も押入にしまった。
食べていいものも少しずつ増えた。
もともとあっさりしたものが好きで、お刺身やおひたしが好きだったことに、改めて気が付いた。
程よい緊張感をもちつつも、おいしく食事をするまともな生活が戻ってきた。
ながらく41〜43キロくらいを維持していると思う。
たまになら、揚げ物も食べるし、ラーメンも食べる。
ダイエットに束縛されない生活。ちょっとの自己管理程度には、体型を考えるけれども
それも人並み。そして、細め。
充実した生活だった。
<129> サキ ■2004年06月25日 金曜日 12時33分24秒
続・ダイエット物語
高校卒業後、153センチ40キロくらい。
男性が9割を占める会社に就職。女性は私の他に30歳の人が一人だけで、相当チヤホヤされていた。「サキちゃんはスタイルいいねー」「脚細いねー」とか。
そして、その体型を好きな物を好きなだけ食べていて維持できることを、
自分の才能だと思っていた。
もう一人の事務員がお弁当をいつもカロリー気にしている横で
カロリーなんて気にしないで、なんでも食べる自分の姿、
そして「そんなに食べてなんで太らないのー?」の賞賛が嬉しかった。

それが、入社3ヶ月頃あれよあれよと45キロまで太ってしまった。
会社の男性にいつもいつも
「太ったんじゃない?」と聞かれ、飲み会では
「そんなに食べると太っちゃうよー」
とからかわれ、ひどい挫折感を味わった。

今まで、運動やらせば県大会に行き、高校も進学校に進み、
自分の意志で大学に行かず、常に彼氏がいて、仕事も器用にこなす。
人にからかわれるなんて挫折を味わったことがなかった。
ショックだったし焦った。
給料の大半をダイエットの為に使った。
食事を制限も厳しく設定した。
全てうまくいかず、寝ても覚めても体重ばかりを気にして生きていた。
500グラムの増減に一喜一憂した。
1日、カロリー制限をうまくこなしても翌日には反動でスナック菓子をむさぼるように食べて、その後の自己嫌悪ったらなかった。
この繰り返し。その頃の手帳には毎日毎日その日の朝晩の体重を記してある。
15万もする、ダイエットのヒーリングテープなんかも買った。

でも痩せない。苦しかった。痩せたかった。
1年後、そこで知り合った男性と同棲を決めて会社を辞めた。

とりあえず、たくさんの男性から体重を言われる毎日からやっと抜け出せた。

<128> サキ ■2004年06月25日 金曜日 12時16分20秒
私のダイエット物語
中学生の頃はいわゆる、思春期の感じでポッチャリしていた。
150センチで44キロ位だったと思う。
ダイエットなんかも流行だしてはいたし、気にもかかっていたけど、
それほどとらわれていなかった。
人並み程度に、お菓子やめるぞーとか言ってみて1週間位やめてみたり、
なんかそんな程度。
母は太っていて、うちにはダイエット食品やらたくさんあったし、
母はダイエット教室みたいのも通っていたらしい。

だから私がダイエットしたいと言ったときには妙に協力的だった。
その頃はそんな感じ。

高校に入ってからも、153センチ45キロ位。
段々とダイエットが気になってきた。だけど、ストイックになることもなく。
高校2年生になった頃、するすると41〜2キロ位に痩せた。
これはダイエットを意識することなく勝手になった体型。
当時は彼氏とのことで、忙しかった。
<127> 埴輪 ■2004年06月23日 水曜日 18時14分34秒
くそが!!!!!
ヤブ医者だーーーー
ヤブ眼科医!!!!!!!
あんたのところに何回行ったと思ってんだ!!!!
二回か。少ないか。
・・・。えーと
なんでめがね屋の眼科医の方がちゃんと見抜けてんだ!
もういかない。
いきません。そっちは!
鞍替えしてやる!タコ!
<126> ayako ■2004年06月23日 水曜日 15時18分06秒
最近洋服の趣味が変わった。前は自分に無理な物しか着無かった。若すぎるデザインやミニとか。もう27なのに。キッカケはピーコのファッションチエックを毎週欠かさず見出してから。年不相応な人のカッコを見るとキビシイ物があるし・・みっともない。やっぱりスキや快適な事も必要だけど客観的に見る事は必要だ。
今までは10代の頃に出来なかった事がしたかったんだと思う。それもそろそろ終わり。したしね。次は素敵な女性になるんだ!と日々思う。年代それぞれに美しさがあるからそれを無理せず引き出したいと思う。
<125> キーコ ■2004年06月19日 土曜日 20時32分42秒
また、夕食を抜いちゃいました。
何だか、食べるのが 面倒で仕方がなかったから。
昨日、昼食時に数人の人が集まって、楽しそうに お弁当を食べているのにでくわした。
いいよね〜・・・お腹が空いて『さぁ、食べるぞ!』て、気合と喜びに満ち溢れた様子を見るのは・・。
もう、殆ど忘れてしまった「感覚」、何だか 懐かしいような、遠い子どもの頃の思い出を、見ているような気持ちで、その様子を眺めていました。
『食欲』の心地良さを、忘れてしまいました。
他にも、当然もっているはずの「感覚」を忘れています。

『厳しい抑制とコントロール』を今も、きっとし続けているんだと思う。
少しずつしか、変わっていけないのだから、とにかく 今の自分を大切にしたい・・・、何とか。
<124> とら ■2004年06月18日 金曜日 00時22分47秒
自分は意外にもてていた・・
社会人になって気が付いた事実。
久しぶりにあったある女の子から言われた、「結構好きだったんだよ」
そうだったんだ・・・愕然。
真面目&体が男らしいが要点だったらしい。まあ、人それぞれだが・・・
自分はかつて醜いと信じていた。まわりはバカにするし、自分はおしゃれに
興味はない、しても無駄と信じていた。経済的事情も苦しかった。
ひたすらお金がかからず楽しむとなると家に引きこもるしかない。
趣味に没頭し、自作で天体望遠鏡を完成させた。中学三年間の傑作である。
当時、同等のものは10万円ぐらいだった。僕はわずか5万円くらいで作り上げた。設計から組み立てまで、すごいと思う。少なくてもバカではないな。
学校が遠かったので歩いて40分で通っていた。部活の朝練はバカ早い。だから友達を早く呼びに行き、全力疾走で学校へ行った。20分なり。足と肺活量は鍛えられたのではないかと思う。現在、体力は人並み以上である。過去の自分よありがとう^^。

 自分自身はボディイメージはよくなかった。しかしまわりからはとてもよかったのである。そんなものなんだね・・・
<123> はるか ■2004年06月08日 火曜日 22時03分12秒
自分の身体が嫌いだ。
太い腕。足。腹。

親に言われ続けた。体のことを。
小学校の時、肥満教室に入れられた。「やや太め」だったから。
      食後の運動を強制的にやらされた。
      食事を制限された。ご飯は110グラム。牛乳は200ml。
               おかずは15センチのお皿に1皿分だけ。
中学校の時、臨海学校のときの写真を見て下半身デブなことを指摘された。
高校の時、ちょっとゆったりした女の子っぽいワンピースを着たら「妊婦みたいだ」と笑われた。
そして、親元を離れて大学生の時、ダイエットで吐き戻しをした。
だって、彼が細い子が好きだったから。152センチ、38キロになれって言われたから。

そしてリバウンド。
結局やせられない。意志が弱いといわれればそれまでだけど。

写真も鏡も嫌い。
自分の身体なんて見たくない。
こんな不細工な顔、太ったからだ。
・・・・・・なくなってしまえばいいのに。
<122> ayako ■2004年05月31日 月曜日 23時56分03秒
夏だ。夏は嫌い。暑いし、薄着になるから。腹が見える(笑)アメリカのドラマ好きな私はアメリカの子がするファッションに憧れてる。ヘソ出しに胸が出ている洋服・・。あれはあの人種だからカッコいいのかもしれない(間違いない)
引き締まった体に憧れる。前にSEXした男は「ふくよかな女性」が好きだと言っていた。その男の奥さんも「ふくよか」らしい。体にコンプレックスのある私はそう言われると安心する。この体のままでも良いのかも・・って思う
<121> 杏 ■2004年05月31日 月曜日 18時09分32秒
奇麗になりたい、思いっきり褒められたい。
可愛いってニコニコしてくれるだけじゃもうダメなんだよ。
今私には思いっきり褒めてくれる人がいない。
旦那ちゃんは、毎日私の言動を見て「可愛い」って、デレデレしてるけれど、
それじゃ私の傷は開くばかりなんだよ。「細すぎなくて好き」って言うのはね、
私にとっては「デブ」って言われてるのと一緒。
言っちゃぁ悪いが、さんまちゃんの某テレビ番組に出てくる1列目の女性陣より、奇麗な脚してるよ。
今まで沢山の人に色っぽい脚だ、細くて美しいって言われてきたんだから。

私の心に届くように褒めてくれないと、無能な不必要な物体になってしまう。
そうなったら、生きている意味などない。
恋人と分かれて、3キロは太った。あの頃の私は今まで生きていた中で、
一番褒められて、一番奇麗だったと思う。
このまま醜いババァになって行くんだろうな。褒めてくれる人がいないから。

いいや、このまま酒呑んで醜く死んだって。
・・・・・書き出しでは奇麗になりたいって「前向き」な事言ってるのにね。ははは。

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This script written by Shintaro Wakayama.