子どものころ、母親に太っていることを大勢の前でからかわれた。母は私を構ってくれなかった、うつろな顔で感情の無い声で嘘ばかりついた。私は、自分が醜いから母親に愛されないのだと思い込んだ。それからずっと自分が醜いという気持ちが消えない。
本当は理由も無く愛されないことに混乱したくなくて、醜いから自分は誰にも愛されないと思いたかったのかもしれない。いろいろなことから自分を守るための理由にしているのかもしれない。逃げてばかりの自分。
ずっと自分の裸体を見ることができなかった。見たくなかった。だけど、さみしくて過食する生活をずっとしていてからだが重くて仕方が無い自分が嫌になってきた。そして今裸体を見たら妊娠8ヶ月ぐらいのお腹になっていた。醜かった。でも今日まで来るのにこの脂肪が必要だったんだと思う。さみしさをうめてくれた食べ物たちが脂肪になって体に蓄積されて今がある。
私の回復の過程で、この裸体を受け止めることがはずせないことはわかっている。ありのままの自分を肯定することが必要だから。
私の空虚は食べ物では埋まらない。きっと埋まることは無いのだ。空虚とのつき合い方を変えていくことだと思う。過去と人は変えられないから。
自分が醜いと思いながら生きてくるのはつらかった。何十年と思い込んできたことはなかなか変えられないかもしれないけど、どんな自分でも母親に愛されることは無かったことを受け止めて前に進みたいと思った。
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