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私たちの物語 - 食物・ボディイメージ・過去ログ No.15
メッセージ数:300件

<300> 柊 ■2005年07月28日 木曜日 20時03分18秒
私が「自分の顔が大嫌い」って言うと「お母さんは自分の顔が大好きよ。お母さんは自分に自信があるから。お母さんは美人だし。器用だし。あんたもいじけてないで、自分の顔に自信を持ちなさい。不細工ではないんだから」と15歳の頃、ヌケヌケと言われたことがありました。お母さんはただの高慢な女よ!!自信を持ちなさいってよくそんなこと言えるよね?!あれだけ人の容姿をボロクソにけなしておいて。
中学生の頃から天然パーマを隠すために一生懸命にドライヤーでブローしてたら母がよくバカにしてました。「色気ずいて何してるの?誰に見せたいの?」って…この言葉にどれだけ傷ついたか。女はみんな男に媚びるためだけにおしゃれをしたいわけじゃないってことが母にはわからないってことにその当時気がついてたらそこまで傷つかなかったんだろうな…。

大人になると今度は母は「足が太い」って言ってきた。太ってる人が許せない母はいつも私に豚。豚。って言ってきた。でも、体は痩せ気味でした。ダイエットしたわけじゃないけど、19歳で自然に痩せていった。それでも元々太ってたわけじゃありません。母は足が綺麗とよく言われていたので、そのことで優越感に浸りたかったんだと思う。
いつも足が太いだの、甘いものを食べるな。太るわよ。って言われ続けてきて甘いものを食べることは麻薬に手を出すのと同じような感覚になってた時期もありました。足の太さを解消するために更にダイエットをして、会社の人から「マッチ棒みたいやな」って言われてきた。食べると太る…太ると怒られる…母から離れて結婚して子供を産んで私は一気に太りました。母からの「太るわよ」って言葉を聞かなくて済むようになり、母に遠慮してご飯をセーブすることもないので食べたいだけ食べるようになり、それがいつしか快感になってました。甘いものも子供が寝てからいっぱい食べてました。おなかが張っても食べ続けてた…ストレスがたまると憂さ晴らしにまた食べて…
9号でもゆるゆるだった体型はみるみるうちに11、13号とサイズアップしていきました。。独身時代の服はほとんど着れません。

そして、現在ダイエット中。幼稚園に貼ってあった遠足の写真に写ってる自分を見て唖然…痩せようという気持ちに火がつきました。母からの言葉ではなく自分の意思で。
<299> こくーん ■2005年07月27日 水曜日 03時10分52秒
『あなたは、もうちょっと…だったらね』
って母に言われたけど、その『もうちょっと』が本当は全然もうちょっとじゃないことを私は知ってる。
本当は、モデルか女優さんみたいに綺麗で、
『あなたの娘さんって…』って言われたいのでしょう。
それでいて、本当にそうだったら、嫌なのでしょう。
もしかしたら、あなたの裏の願望を私は叶えているのかもしれない…。
<298> こくーん ■2005年07月22日 金曜日 04時35分44秒
夏はやっぱり、コンプレックスを刺激する季節。
もう最近は怖くて、体重計(体脂肪率も出るよ)に乗っていないし。
なんか、できるだけ隠す方法で服なんかも選んじゃったりして。
(もともと黒服多いし…)
『隠す』って何か嫌だなあ。
だって、いろんなものを隠してきたし、隠されてきたし、隠しているから。
ため息。
<297> 火雛 ■2005年07月15日 金曜日 12時32分17秒


お腹空いた
ご飯食べたい…
水分ばかりは嫌だ
お腹すいた
もしかしたら空いてないかもしれない…

拒食じゃないと思う
お菓子摘んだりするから
そんなに痩せてもないし
でも太るのが怖くてご飯は食べれないし胃が少しでも膨れると嫌悪感でいっぱいになる
お菓子食べるくらいなら低カロリーのちゃんとしたご飯食べるほうが絶対にいいのに

食べても食べなくてもストレス溜まるな…
辛い……

<296> 真名 ■2005年07月11日 月曜日 14時36分49秒
太ったなぁ。
でも、そんなに嫌な感じがしていない。
9号入らなくても、いいじゃん。
太ってもまたやせるよ、という天使の声が聞こえる。
太ったからって、私は悪くない。
やせていれば「良い」というのでもない。
私は私。
体重に関係ない。
<295> NAC NAC ■2005年07月06日 水曜日 00時30分21秒
6月は空梅雨で例年に比べバイクに乗れる日が多かったにも関わらず、ストレスが溜まっていたのか?夜は食い過ぎと\100缶チューハイの毎日で、結果私は5キロ近く太ってしまった。30過ぎるとまともに出るから怖い。おかげでジムに足げく通って私はカロリー消費に努めている。
参考までにハンバーガー1個260キロカロリー消費するのにエアロバイクだと平均負荷140で30分、ランニングだと平均時速12キロで30分。汗が出る出る滝のように。この時ばかりは「生きている!」のを実感する。
なのに中々おちない体重。Hさんと海行くまでに落とさなくては(特に脇腹)。海の日は17日よ!
<294> れおな ■2005年06月26日 日曜日 23時57分01秒
おなかすいた。なんでこんなんなるまで過食したんだろう。どうして普通の食べ方出来ないの?いったい何回ダイエットしたかわからないよ!いいかげん解放してほしい...
<293> アーネスト ■2005年06月23日 木曜日 21時08分06秒
腰がびりびりする。情けねーな、自分は。。。教壇に立った時の緊張で変な姿勢になってた。手も震えたらしい。でもいいんだ。震えたって、汗かいたっていいと思う。
<292> ayako ■2005年06月23日 木曜日 16時01分49秒
昨日久しぶりに買い物に出た。ショッピングセンターは女ばかり。トイレの鏡を見て思った。「思ったより太ってないじゃん」腰痛のお陰で筋トレはしてない。というより忘れてる。習慣だったのに。毎日自分の体を見るがやっぱりお腹が気になる
ふっくらとはいい言葉だが自分のふっくら基準からかけ離れすぎている。
私より太っててもお洒落な人や明るい人はいる。どうして明るくいられるのか・・
私より太ってる若い子を見るたびに「私は太らないんだ」と自分に言ってる。世の中には色々な差別がある。人種から職業まで・・。同じ女でも綺麗な子の方が扱いが良かったりする。そういう時嫌な気分になる。当たり前だし、私もイケメンの方に親切にする。男女である以上その種の差別は仕方ないのかとも思う。外見が良い方が得。ありでしょう。昔痩せたらもてると思ってたけど・・今は痩せてもモテナイと思う。やっぱり顔と性格でしょうから。それにしても自分の体に自信が持てないのが悲しい・・。やっぱり自分自身の自信がないからかな?
<291> きりん ■2005年06月20日 月曜日 01時36分24秒
ボディイメージ・・って事で 吐き出してみたいこと。
好きで36になったわけじゃ無いけど。子供も二人産んだしそれなりに体の線も崩れてる。おばさん体型だよ。。
今の職場は専門店がいくつか入ってるショッピングセンターみたいなところで そこで働いてる人の平均年齢って多分20代なんだと思う。私の職場だって 20歳代の子ばっかだし。で、他店舗の従業員同士お互いご挨拶とかするけどさ、こんな事言いたくないけど 明らかに 若い子には必ず声が掛かるんだよね。まぁまぁ 当然既婚者だし仕方ないか・・。でも そういう日が 続くといくらなんでも 自信失う。思い込み激しいかもしれないけど 人間の価値が無くなってしまったんじゃないかと思うくらい自信無くしちゃう。
逆の立場で言えば やっぱり私だって 若いとかそれなりにビジュアル選ぶしなぁ・・・。今は20代だって いつまでも続くわけじゃ無いし。。。

じゃあ 私みたいにビジュアルじゃどうにもならなくなったら?
ま、いいか。どーでもいいか。。。とにかく生きることへの失望につながっている事には間違いない。
若い子も 生きる世界違う私に話を合わせてくれたり私も色々気を使いながら付き合ってるけどさ、やっぱり疲れるね。
こんな風に 寂しくなっていくのかな?見栄は張りたくない。その年齢にしか出来ない事も沢山あるし、年相応の生き方していきたいと思う。
私は私。
<290> こくーん ■2005年06月20日 月曜日 01時18分37秒
『満たされた』と感じて、目の前の食べ物を食べ残す(明日へ回す)ことができた。こんな単純なことがうれしいなんて、変かな。
でも、少し前ならできなかった。あったら、あった分だけ食べていた。
明日の自分に、楽しみを分けてあげられた。
明日の自分は、分けておいてくれた今日に自分に感謝して、また次の自分にも分けてあげたい、と感じられるのではないだろうか。
うれしい。どうか、このまま。
<289> ayako ■2005年06月04日 土曜日 17時02分06秒
ナイトウェアを前から購入してみたいと思ってた。セクシーなやつ。NETでみてみたら大胆な物が多い。紐じゃん!的な物やシースルー。アメリカ物は日本人には
刺激が大きい。モデルもダイナマイトだし、衣装負けしそう。その前に痩せた方が早いかも。ここ数年体重計には乗ってないがボディサイズに変わりは無いと思う。
食べ物は変わらずだが、最近胃の調子が良いので肉を頻繁に食べてたら胃がオカシクなった。油断大敵。今の私は痩せたくても痩せられないからダイエットは止める事にしてる。今は太ってる自分も良いやと思える様になりたい。痩せたらローライズにヘソ出しで一度歩いてみたい。それまで流行してると良いけど。
<288> こくーん ■2005年05月31日 火曜日 03時16分05秒
やはり、頻繁に鏡を見てしまう。何度も見る。
道を歩いているとき、ガラスに映る自分の姿を見る。
『おかしくない?』『変じゃない?』
そんな気持ち。
或いは…。鏡を何度見たところで、醜い自分しか映らないのに。
失望する自分を何度も繰り返す、これもまた自虐行為なのか。
<287> アーネスト ■2005年05月29日 日曜日 16時53分21秒
生まれて初めてこれでもか、これでもかというほど肩こりがひどい。
今まで心で感じてたものが体にでてきたのだろうか?体に出るのがいいことなのか、わからないが、それだけ敏感になったということでよしとしよう。2,3月ひどかったニキビもだいぶ収まった。
<286> NAC NAC ■2005年05月26日 木曜日 05時33分05秒
この前私は退院後の肺炎再検査に行って来たのだが、抗炎症数値なるものが退院直前の14から0.04まで下がっていて(入院直後は19)、無事OKだった。
それはさておき、昨日スーパー銭湯で体重量ったら70.0キロ。ヤバイ、3キロオーバーだ。
今年は入院前まで私(身長170cm)は67キロをずっとキープしていたのだが、退院後の安静という名のもとに私は就寝直前にアルコールと揚げ物をいただき幸せな気分で寝るという習慣になり、それが今回の3キロオーバーに直結したわけだ。
来週中に戻さなければ。でも週末は仲間と宮城。仙台の夜は飲んじゃうよなぁ、というか飲まずにいられないよなぁ。
「萩の月」買ってこようっと。
<285> ほーる ■2005年05月21日 土曜日 01時22分11秒
視線について


他にも、日常に埋没していた視線についてのある行動に気付いた。
私は家族と目を合わせることができない。特に、兄にいたっては目線を顔に向けることもできず、辛うじて自分の顔を兄の居る方向に向けることができるだけだ。
そのことで以前兄が「わしの目ぇ見て話せや」と怒ったとき、ムキになって「できない!」と言い返してしまった。
人の目を見て話す、ということは家の者以外の人間にならできるのだが、なぜか兄にはできないのだ。いくら憎いからといっても傷つく気持ちはわかるし、自分でも確かにあなたの言うとおりだけど、とは思う。思うが、彼の顔を見ようとすると途端に心がささくれ立つようになる。
それは私にとっての直接の毒親(間接的な親の毒)が彼であったから、といえる。そしてそれゆえに無理して正常なコミュニケーションをとろうなどとは思うに至らない。
逆に兄に訊いてみたいことがある。あなたは父の顔を正視できるだろうか?父の目を見ながら、動揺せずに話ができるだろうか?答えはたぶんNOだ。つまり私にとっての兄がまさしくそれなのだ。それを兄はわかっていない。大学進学で家を出るまで私を毎日苛めたり、いやがらせしてきたこと、忘れているんじゃないだろうか。
私はあまり怯えた様子を兄には見せなかった。怯えるということは時に暴れる人間を刺激すると学習したからだ。しかしその反対の態度が父のように見えたのか、兄を刺激したらしくあまり意味はなかったが。
怖がる様子を見せなかった=自分が怖くなかった、ということで当時の行為を忘れているのかもしれない。だが私は彼が家に居る毎日が死ぬほど怖かったのだ。

私が私の中の兄しか見ることができないなら、私の記憶の中の兄の顔とは、それは子供の頃の苦痛の記憶だ。それすべての扉への鍵ということになる。
日常では強固に閉じていなければならなかったものだ。
<284> ほーる ■2005年05月20日 金曜日 02時51分55秒
282で書いたことは家庭のテーブル上での日常が昔の過食だとかそれによる体調不良の説明にはなった。
でも、冒頭の「料理をしているのを見られることへの苦痛」には関係ないよなあ……と考えていたら、お、と思い至ったことがあった。
というか考えるまでもなくごく単純に「視線恐怖」というものではないのか?という発想が出てきたのだ。

なぜ今までそんな簡単なことに気付かなかったのか。
私はほとんど家に引きこもってしまっている状態ではあるが、日常生活に支障が出るほどの対人恐怖というものは(表面上)なかった。自分がなぜこうなってしまったのかよくわからなかったし、今でもわからない部分がある。
しかし少なくとも私は「他人はさほど自分の事を見ていないし、気にしない」というのは経験上で知っていた。だから人を怖がらないのだから、視線も怖いということはないはずと思い……というか発想にすら至らなかった。そのせいで自分の日常的な「恐れ」の所在を見失ってしまっていたのではないか。

そこのとこの「恐れ」というのが今まで気付かなかったことで、つまりACと、家族との関係つながっているのだろう。
(関係ないが、親が私にこのような状態でも期待をかけたりするのは、私の(表面上の)コミュニケーション能力に問題を感じない部分にあるのでは?と思う。もちろん、現状無視には変わりないが)
いま思うと、少しでも自分個人への評価に影響するようなことであれば何でも、見られているという緊張感で苦しくなっていたように思う。
中学の時学習塾に通っていた。そこがマンツーマンでの指導を行っていて、成績は随分上がったのだが耐えられなくて三ヶ月くらいで辞めてしまったことがあった。他にも色々習い事はしてきたけどマンツーマンの指導形態があるところは全部すぐに辞めてしまった。自分で希望したのにそういうところは何故か通うのが苦痛で、大変なストレスを感じていた。
それとは逆に二ヶ月前、とある宅配の業者が荷物を持ってきたときのことだ。そのドライバーというのが変わっていて、荷物を受け取ってサインを書き終わるまで一言も発せず瞬きもしないでこちらの顔をじーーーと粘っこく見つめてくるのだ。非常に気持ちが悪かったが、あのじりじりするような苦痛はなかった(怖かったけど)。
ドライバーの強烈な視線はあれどその場は私の評価とは関わりがなかった。つまり、視線なら何でもというわけでなく私の側に苦痛を感じる理由があって、そういう条件が発生した場合に起こりうる状態なのだ、と気が付いた。
それ以外のところでは平気でいられるため、対人恐怖というほどにならなかったのだろう。よくよく考えるとそれらは似ているが私にとってはまったく別のことだった。
そして、特に個人による私個人への絶対的な評価をされるのが非常に怖いのだとも気が付いた。相対的な評価はそれほどでもない。

私はそれによる何が「恐怖」なのだろう?
いまのところは「支配」という単語が浮かぶ。
とりあえず……この恐怖は例えていうならそれは、”失くした・探し物のめがね”みたいなものだ。そして今回ようやく探していためがねを手に持っていたことには気付けたわけだ。
<283> アーネスト ■2005年05月18日 水曜日 13時35分48秒
4年前に左半月版を損傷して以来、きちんとしたリハビリをやってない。
今はスポーツ自体から遠ざかっているので,モチベーションも低い。アディクションは身体、精神、霊性の病気だと言っていたが,体が弱っていると心も不安定だ。
<282> ほーる ■2005年05月15日 日曜日 18時23分29秒
食卓について


ヘンな話かもしれないが、私は傍で誰かに料理しているところやものを食べているところを見られるのがものすごく嫌いだ。
コレに気付いたのはいつ頃だったろう?かなり前からそんな感じだった。
例えば休日に自分の昼食を作っていると、そこに父が通りかかる。「おっ、何作ってるの?……ふーん、うまそうだな」といって横で鍋の中身を覗き込む。
実際5、6秒位かな……ずっとそうして横で突っ立ってるわけじゃないが、私にはその時間が苦痛で、1分以上も続いたように感じてしまう。
母も兄も、家の人間全員それをやってくる。母と兄はもっとたちが悪く、用もないのに傍で無言でじーっと見ていたり離れたところから材料を眺めては何を作っているのか予測を立てたりしている(何かぶつぶつ言ってるのが聞こえるのでわかる)。
テーブルに出来上がった料理を置くとほぼ100%皆が首を伸ばして覗き込んでさもそれを食べたそうに、それが食べれなくて残念そうな顔をする。「お前だけいいもん食って」みたいな気にさせられる。なんというか、卑しい、というのか……せっかくおいしく作っても、急いで流し込むだけになってしまう。気付いてから場所を移動するのも不自然だし。
(母などはその点あつかましいので無言で箸を突き刺してきますね。避けると毎日働いてるあたしに味見もさせてくれない冷たい娘だ、見たいな感じで拗ねます。勘弁してくれ)
家族で外食する時、特にレストランに行くのは嫌でしょうがなかった。これは他にも料理を待つ間話すことがないとかだらしない格好の父兄と並びたくないとか色々理由があるけど、他のテーブルの料理が来てもお願いだからそういういやしい顔だけはしてくれるなよ、という緊張感がひとつにあった。
そんなわけで私はできるだけ食事は一人がいい。
高校まではどうもその、食卓の緊張感からか食べた気がせず過食気味で太っていたが、以前一人暮らしをはじめた時に急激に体重が落ち、その感じを維持していると太らなくなった。
あと食卓で家の者全員で食事を摂るとき、いつも時計ばかり見ていることに気付いた。たぶんその時間が長く感じられるせいか気にしてしまうんだろう……それではゆっくり食べ物を味わうなんてできない。
GW中ご飯を飲み込むようにして食べていて調子が悪くなったことで、気付いたこと。
<281> NAC NAC ■2005年05月13日 金曜日 05時27分50秒
〈279〉のプラス面。5日も経つと「何がプラスだったのか?」思い出せない。なんて容量が少ないんだ俺の脳みそは。

プラスかどうかはわからないが書いていく。
@天気良好のGWに5泊6日も入院していたのだが、私はそれほど退屈じゃなく(最初から開き直っていたのか)不思議と苛々もせず落ち込むこともなかった(インナーチャイルドのおかげ)
・GWということで誰にも知らせなかった。それに1週間未満の短期入院だし
・「入院中TVを見ないで過ごせるか?」と試したら難なくクリア(唯一「アタックNo1」だけは見たかったが我慢)
・ラジオは時々聞いていて、読むのは当然バイク雑誌と東スポ(教養の欠片もない男だ)
・部屋は3階の2人部屋で私は窓側。相方のおじさん、いびきなし。担当のナースはストライクぎりぎり(1人だけ超美人がいて、年は30半ばから後半か?)
・一番驚いたのは食事の味向上だ。私が5,6年前左足首骨折で同病院に入院した時(質素・美味くない)とはえらい違いで、入院初日の最初の食事は肉じゃがだったのだが、肉がサイコロステーキ並みなのはびっくりした。残念ながら私は咳が酷くて食べられなかった(非常に残念)のだが、その後の食事も私にとっては美味しかった(会社の食堂よりもずっと)。昨今の病院はそうしたケータリングサービスにも力を入れているのか? 病院も選ばれる時代だからねぇ。おかげで「食っちゃ寝 食っちゃ寝」の生活で思ったより時間の流れが早かった(夜も熟睡、子ども並み)

A入院2週間前に預けていたバイクの定期点検が退院と同時に終わって思ったより安く上がっていた。それもGW前に一部パーツが販社倉庫になく届かなかったらしいのだが、お店の御主人がメーカーの開発のKさんと知り合いで、なんとかそこから廻してもらったらしい(ありがとうございますKさん、助かりました)。これが元気なのにバイクに乗れないんじゃあたしゃ余計にストレス溜まっちゃうからね。

まっ今思いつくプラス?はそんなところだ。ほんとは他に何かあったのかもしれないが思い出せない。
どちらかというとマイナスの付け足しが多い。
マイナスB 家で体温計って39.6℃あったにも関わらず救急車を使わず私は自走できて、尚且つ病院で計ったら40.2℃あって、その旨を看護婦に伝えすぐ点滴してもらえるのかと思ったらそこから2時間も待たされた。処置室のベッドは空いているのに。これだったら迷わず救急車使えばよかったよ。2時間も待たされて意識失って失明とかになったんじゃ洒落にならんもんな。

Cあとで分かったことだが(冷静に考えれば素人でも想像できること)、肺炎の前触れは2月中くらいからあったのだ。それは鼻をかむと膿が一緒に出てきて、咳をすれば痰が絡む。どちらも肺に繋がっているわけだから、冷静に考えれば「菌が入って炎症起こしているのかな?」ぐらいは想像がつく。なのに私は「特別日常生活に支障はないからそのうち治るだろう」と暫くほったらかしにしておいたから、こうして最後は痛い目をみる羽目になるのだ。「何かおかしいな」と思った時点で医者に掛かっておけばこんな目にあわず、治療費も安くあがったのに。ほんと馬鹿だ。「おかしいことをおかしいいと感じる」それが弱いというか欠けているんだよね

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This script written by Shintaro Wakayama.