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私たちの物語 - 食物・ボディイメージ・過去ログ No.14
メッセージ数:280件

<280> るあん ■2005年05月08日 日曜日 11時37分32秒
胸が苦しいのでフォーカシングをしてみた。胸の辺りに意識を集中させる。そこにある何かを感じる。重い。締め付けられるようだ。時々息が苦しくなる。何だこれは?鉛の棒が突き刺さっている?石が横たわっている?いや、違う。そういう無機質なものではない、もっと生命感のあるものだ。そこからは何らかのエネルギーが絶えず溢れ出ている。泉みたいなもの?いや、そんなさわやかなものじゃない。もっと泥臭い感じがする。濁った水が湧き出ているのだろうか?そんな気もするが、やはりしっくりこない。ぴったりと当てはまる表現を見つけられないまま1回目のフォーカシングが終わった。

日を改めて、再チャレンジする。胸の辺りに何かがいる。私はそれを受け入れる。息苦しくなっても、呪ったりしない。あなたはそこにいていい。私はあなたのそばにいる。私はあなたを純粋な興味を持って見つめる。決して、あなたのことを批評したりしない。だから、教えて欲しい、あなたが何であるかを。そんな言葉を心の中で繰り返しながら、その何者かと向き合う。目を閉じて、その重たい感覚のイメージを捉えるべく、暗闇の中で目をこらす。あ、何かが見えてきた。何だろうか。そうだ、手だ。

その手は、私の何かをぎゅっと掴んでいて、離さない。すごい力で握り締めている。全体重をかけてぶら下がっている。何を掴んでいるのか?私の体の中にあって、ぶら下がることのできるもの、ある程度無機質で硬いもの。何だろうか。ああ、分かった。骨だ。その手は私の骨を握り締めている。多分、胸骨と呼ばれる骨だ。それは、私が不安を感じると、握り締める力を強め、私は、その度に、胸骨の辺りに圧迫を感じ、息苦しくなる。

一体誰の手なのだろうか?大きい手じゃない。小さいけれど、力強い手だ。何かを必死に訴えている。そんな手をただ見つめていたら、はっと気付いた。その手はインナーチャイルドの手だったのだ。私にしがみついているインナーチャイルド。その手の握り締める強さによって、怖がっていることが伝わってくる。何が怖いのと話しかけてみる。でも、何も答えは返ってこなかった。私は、目をこらして、インナーチャイルドを見ようとする。何となく姿が見えた。だが、顔は見えない。うつむいていて、頑ななまでに口を閉ざしている。

あぁ、私は信用されていないのだなと思った。あの子が握り締めたその手を緩めない限り、私はあの子と向き合って、いろんなことを話したり、一緒に楽しいときを過ごすことはできない。でも、あの子は私を信じていないから、手を離さないのだ。私は、理屈ぬきに、そう感じた。あの子が安心して話せるような雰囲気を作らなくちゃならない。私は、もっとゆったりと構えてあの子の話を聞こうとしなければならない。また戻ってくることを約束して、私はひとまずフォーカシングを終えた。

フォーカシングを終えてから、手について考えてみる。どうして、手なのか?どうして、あの子は言葉ではなく、手によって私とコミュニケーションをとろうとしているのか?そんな疑問への答えを探している内に、幼少の私と母の関係が記憶の中から浮かび上がってきた。私は、母と話し合いらしい話し合いをした記憶がない。一緒に遊んだという記憶も薄い。ただ、手をつないでいただけ。私は、そのつないだ手を通して、彼女の言葉にならない感情を私のものとして感じ、彼女の手を握り締めることで、自分の言いようのない恐怖を伝えようとしていた。

面と向き合うことなく、常に隣り合わせにあった私と母。そこに言葉は存在しない。言葉が存在しないが故に、私と母との間の、いわば身体的なつながりを切るものがなかった。身体的つながりを通して、私は、母の不満を感じ取り、それを自分のせいだと思い込み、自分はいないほうがいいのだと考え、いつも捨てられるかもしれないという不安に怯えていた。そして、捨てられるかもしれないという不安は、私をして、母の手をより一層強く握らせた。言葉による説明がないために、私は意味もなく怯え、そんな怯えが、さらに私をして言葉から遠ざけていたという悪循環。私は、彼女の無言の圧力の支配下にあった。

結局のところ、私は母を信じていなかったのだ。彼女の愛を信じていなかった。だから、手を離せなかった。手を離したら、母は私を捨ててしまうだろう、私には行くところがなくなるだろう、そんな風に感じていた私は、母との身体的つながりから卒業することができなかった。言葉によるつながりや、一緒に何かを楽しむという関係に飛び込んでゆくことができなかった。私は、口を閉ざし、恐怖以外の感情を押し殺し、身体を通して伝わってくる母の感情に必要以上に敏感になっていった。

そして今、インナーチャイルドと私との関係は、あの時の私と母との関係に類似してしまっている。あの子は、私の骨を握り締めるその手を話したら、私が何処かへ行ってしまうと思っているようだ。私は、私の骨にぶら下がるあの子が重い。息苦しい。実のところ、私は、ここ数年、自分の骨がどんどんぼろぼろになっていくという強迫観念に駆られている。それは、あの子がぶら下がっているからだったのだ。

この状態を切り抜けるには、私がイニシアティヴをとるよりない。あの子の信頼を勝ち取らねばならない。あの子との身体的つながりを、言語的つながりに昇華させてゆかねばならない。私にしがみつくあの子を無条件に受け入れて、あの子の話に耳を傾けよう。あせらずゆっくりと、友達になろう。
<279> NAC NAC ■2005年05月07日 土曜日 23時39分07秒
辛いことと向き合うとき私はどうしても頭がテンパる。
それも仕方のないことだ。自分の無意識で見たくないもの、認めたくないものを無理やり引き摺り出そうとするのだから精神的防御が働いて当然である。
別に無理やり見なくても私の日常生活に特別支障はない。しかし細かいところに気がつけば「機能不全で育てられた影響が出ている」ってのが自分でよくわかる。そのせいで、気がつかないせいで私は今まで不本意な人生を送ってきた。
そしてそんな自分をこれから少しでも変えていくべく自分と向き合う、それしか活きる術がないのだ。

さて本題に入る。
今回私は肺炎となり5泊6日の入院を強いられ、今日の夕方退院してきたわけだが、プラスマイナスいろいろ勉強になった。
まずマイナスから。
@何といってもせっかくのGW,肺炎にさえならなければ私は30・1日は関東にて練習、2日移動日、3日から11日まで東北遠征と更なるレベルアップを図っていたのに全て台無しだ。まっ最悪東北でぶっ飛んで骨折ということを考えれば、今回の入院費¥56,500(税込み)は安いもんかもしれない。でもそれだけ金あったら風俗6回分だ。そう考えると私はすごく惜しい気分になる。スケベは私の活力源だ。

A改めて「うちの親はマジ狂ってる、宇宙人じゃねぇのか?」&「ほんと自分は可哀想な子どもだったな」と痛感させられた。あたしゃむかつくより涙出てきたよ。

GW前仕事が29日まであって、その午前中に私は意識が朦朧とし、瞬間意識が飛んで、辛うじて(本能的に「ヤバイ」と感じて)意識を取り戻すもののかなりきていた。昼食時私は保安室で風邪薬もらってなんとか午後を凌ぐも、帰宅後バタンキュー。
翌日午前午後2回の体温測定はどちらも39.6℃。私のイメージではそんな体温なら意識がないだろう→でも私は意識がある→体温計が壊れている?→寝てれば治るだろうという素人療法。日頃の打撲や捻挫と一緒くたにしている。「世の中寝てるだけじゃ治らないものがある」ってのが私はよくわかっていない。ここで普通の人はすぐ医者に行くのに私は1日半無駄に寝ていた。結果私が医者に行くことを決心したのは、2日の朝咳にうっすら血が混じって「こりゃヤバイ。マジ医者行かなくちゃ」となったからだ。これで吐血がなければ私はずっと無駄に寝ていて、どうしようもなくなってから救急車で運ばれたであろう。それじゃほんとのアホだ。
一体私は何を血迷っていたのだろう? 何ゆえ病院を躊躇したのだろう? たぶんその答えは金だ。セコイがゆえに結果自分の首を絞める典型的パターンだ。自分のチャイルドのことを考えたら迷わず医者に行くべきなのに、自分の愚かさで3日も余計に痛い思いをしてしまったし、させてしまった。馬鹿な男だ私は。
さてここでその愚かな私の親の話となるが、1日日曜の昼、私が居間のソファでアイスノンを額に当てて寝ていると、心優しきマイマザーはこともあろうか、そんな私には無関心で声も掛けず、「NHKのど自慢」を鼻唄混じりに見ながら時折り笑い声を上げている。
I don't believe! これが母親のすることか?
もはや何も言うまい。彼女にはまともな感情など働かないのだ。そしてここまで来ると「お前それでも人の親か? 自分の息子がそこで風邪引いて(この時点では私は肺炎なんて思いもつかずインフルエンザだと勘違いしていた)んのに『氷枕持ってこようか?』とか『洗面器に氷水汲んでこようか?」とか言えんのか?」と激高することすら馬鹿らしく面倒だ。そんな素敵なマイマザーの仕打ちを意識の私は流せてもチャイルドはかなり傷ついた。否かなりなんてもんじゃないかもしれないくらい傷付いた。ほんとクソ婆だ。そんなチャイルドの怒りを感じた私は飛び起きて母親の首筋に後ろから思いっきり蹴りをぶち込みたい衝動に駆られたが止めといた。ほんとマジ死んでくれたらと思う。
そして父親も父親で輪を掛けて素晴らしい。人間が(狂って)出来ている。
私が「ゴホッゴホ」かなり咳き込んで苦しんでいるにも関わらず、容赦なく「親の言うこと聞かねぇからそうなんだ。今時若くて咳き込んでんのなんていねえから」とか、ここぞとばかりに散々おもいやりの欠片も見当たらない、非常に暖かいお言葉を私は頂戴した。もはや顔を見ただけ、言葉を聴いただけで自然と「殺意」を促す男だ、うちの親父は。法律と理性さえなければとっくの昔にぶち殺していただろう。
以上恥ずかしながら、読んでお分かりの通り、うちの親には「相手の痛みを感じる」ものが一切備わっていない。
私は改めて(こんな親に育てられたんじゃ)自分はほんと感情的におかしな子どもだったよな。道理で他人に対して思いやりとか労りとか感情が湧かなかったわけだ。だって親から体感として教わってないし、肝心の親自体にそうした大事なものが一切欠けちゃってるんだからな。
そうした親の心無い言動に私は「このまま(高熱のまま)意識が飛んでいってくれたらどんなに楽だろう」と少し死を期待した。
なんとも不幸なことだ。親の面をしたモンスターに子どもがこれでもかと無抵抗に痛めつけられ、また同じようなモンスターになっていく。
私も今のカウンセラーと出会わなければ間違いなくモンスターJrとなっていただろう。

今日は疲れた。プラスは次回に。   ACは大変だよ。
<278> アーネスト ■2005年05月03日 火曜日 05時41分11秒
今まで体に悪影響していた恨み、憎しみの感情の感情が一回、解け恐ろしいほどに自律神経が回復しているように感じる。まず体の緊張が解けた反動で,あらゆる筋肉が痙攣した。触覚の反応がいい。血のめぐり,特に足先まで血がいきわたっているのを感じる。
<277> can ■2005年05月02日 月曜日 01時47分54秒
昨日の深夜2時、今日の昼の1時、夕方の5時。過食嘔吐だよ。先にカロリーが低いものを食べてて、確信犯的だよ。腕もちょっと切ってしまった。もうすぐ海に行くのに・・。吐き過ぎで喉が痛い。でも今また食ってる。今日はもう吐けないことが分かっているのに。止めないと、と思っても止められない自分。週1ぐらいで計画的にやってこうよ、とか考えてる自分。ダメだ。他にやることはいっぱいあるのに!!
<276> こくーん ■2005年04月25日 月曜日 03時02分15秒
メイクやファッションの雑誌、ダイエット。
そういったものに意識が向いたとき、もれなく付いてくる罪悪感。
逆に過食した後の感情にも似ている。
<275> アーネスト ■2005年04月22日 金曜日 19時01分32秒
最近の主食はスナック菓子だ。そりゃ肝臓おかしくなるわな。
でも止められない。半分、確信犯的。
<274> アーネスト ■2005年04月21日 木曜日 18時57分27秒
全く運動する気にならない。自分にとってのスポーツはいつも誰かに認められるためのものだった。今、思うとよくそんなもののためにやってたと思うよ。腹が情けなく弛んでる。
<273> こくーん ■2005年04月19日 火曜日 04時55分47秒
いくら身体に良いものだ、と言っても、食べ過ぎたら、食べ過ぎ。
『食べなきゃ』っていう声が復活しつつある。
ちゃんと話し合わないと。内なる私と。
<272> アーネスト ■2005年04月16日 土曜日 20時43分23秒
やはり私の肝臓は少し脂肪の量が多いらしい。野菜を取れと言われた。そうしよう。なるべく運動もしよう。散歩でもいいや。
<271> こくーん ■2005年04月15日 金曜日 02時33分21秒
鏡を見たくないのに、見ないではいられない。
見れば落胆する。外に出る勇気だってなくなってしまう。
世の中でもっとも醜い生き物が映っている、と感じることもある。
なのに、やはり私は見る。見て確かめる。これがお前だ、と声がする。
<270> kitten ■2005年04月15日 金曜日 01時21分42秒
私を褒めてくれたり、好意を持ってくれたりすることが、私には身のすくむほどの賛辞に感じる。罪悪感のような信じられない意味不明の感覚が私を包み込む。
 私は、どれだけ自分に悪いイメージを植え付け育てているんだろう。
 もうやめたら? 
<269> NAC NAC ■2005年04月11日 月曜日 00時31分34秒
今日はここから。眠いので重いテーマは後回し。サクサクっといきましょうかね。

悪夢の前転から3週間。私の体は徐々に回復しつつあるが、
未だに右人差し指はきちんと曲がらない。これ以上怪我しなければ完治は今月末?
肋骨の痛みはだいぶ治まり、&#25681;まらずに腹筋だけで起きれるようになった。よしよし。
そして問題は右太腿の腫れ(水溜り)だ。ほんとよく骨折しなかったと思う。明日外科で抜いてもらおう。
ほんとバイクなんか乗ってると碌なことないよ。でも辞められないのよねぇ。
<268> アーネスト ■2005年04月07日 木曜日 19時39分37秒
あまりに厚くて箪笥から出してきたハーフパンツ。5年前くらいに買った奴だけど,きつくて座ったままだと,全部締まらない(笑)。前は座っても少し余裕あるぐらいだったんだけど。実習に行って「先生おなか出てる〜」とか言われたくないから,ダイエットしよう。
<267> アーネスト ■2005年04月06日 水曜日 15時29分21秒
春だ。随分と暖かくなってきた。どちらかというと秋から冬にかけて,つまり体温が下がったり,運動量の減る時期に鬱になりやすい私としては,ありがたい季節なのだが,今年こそはスケジュールがどうなるかわからないが,左膝の筋力を回復したい。膝が悪いだけで歩き方や骨格に影響が出るだろうし,骨格は精神にも影響するという話しを聞いたことがある。まとまった時間がないとどうしても,さぼりがちになるジム通いだが,夏あたりには再開しようかな。膝が悪いだけで,ジョギングするのも怖い状況だ。精神、思想のたな卸しと同時に体のチェックもしたい。
<266> 花梨 ■2005年04月06日 水曜日 00時02分29秒
ウォーキングとバレエをやってるあたしは、歩き方が目立つ。
大またで歩くから。腰からね。太ももの付け根から足を出す。
もちろん背筋は伸ばして。待ち合わせをしても、すぐにわかると言われる。
気持ちのいいものだ。
トレンチコートの裾を翻して歩く季節。
<265> およよ ■2005年04月02日 土曜日 23時51分42秒
ここに書けば良いのかな?気がつかなかったけれども、小学校の時から、ダイエットにはまっていた。私の体は、すいぶん大きいから。膨らんでくる胸がいやだった。結婚するとき、20代になったばかりを私をあいつは、いつも、伯母さんとよんだ。それがいやで、ダイエットをした。ずーっと、家にいても、体の事を言われる。そんな苦痛。ご飯が食べられなくなったり、食べ過ぎたり。私の体重はいつも、変動が激しかった。自分がどうなれば良いの分からない。今、私に好意を持っている人は、ストレスで太った私を、そても好きみたい。私はそのままで、魅力的だよと、まぶしそうに私を見る。夫からに醜いとののしられた私。同じ私。人の目で自分を見ることはいけないことだと知っているけれど、今やっと、私は私のままでいいんだと、冠じれれるようになって来た。私は私なんだって。顔上げて、外を歩けるようになってきたよ。
外出のたびに、念入りの化粧、着ていく服にまよう。そんなことをしなくっても、いいような気持ちになってきた。私は私のままでいいんだよって。メッセージが一番、私が欲しかった物だったんだ。太った私も、やせた私も、すべて、私が一所懸命にいきてきた証拠なんだ。だから、そのままでいいんだよ。
<264> 花梨 ■2005年04月02日 土曜日 17時15分50秒
レオタードに巻きスカート。ついにやってしまった。
う〜ん。ちょっとウエストがなぁ。鏡に映る自分を見て思う。
あたしの下半身は細い。足首なんて自分の手でつかめそう。
なのに、バストはFカップという上半身デブなのだ。
その足で、その上半身支えられるの〜なんてからかわれた。

男性なら、逆三角形で、かっこいいのかな。
ダイナマイトボディ、なんていわれてもなぁ。
日本人ぽくない体型、といわれる。誉め言葉なのか?

暖かくなると、コートで胸を隠せない。
バレエの先生からは足の形が綺麗と言われた。
ウォーキングの先生は、思い切って足を出しなさいという。
ミニスカートをはくような年でもあるまいに。
また、露骨に胸に視線をやられる季節がくるのね。
いっそ、付けニップルでもつけて、どきどきさせてやろうかな。
<263> いろは ■2005年04月02日 土曜日 01時12分51秒
パンがすき。フランスの小麦粉で作ったバゲットを一つ買って、
コッペパンを二つにわった中にラズベリーのクリームを塗ったものが
お気に入り、火曜日は定休日。だから気をつけて。。。
自分でもつくるよ。手ごねでばんばんテーブルに生地を叩きつけて
つくるんです。
<262> こくーん ■2005年04月01日 金曜日 23時58分08秒
(ここかな?)
しっかり歩きたいと思う。力強く、真っ直ぐ、背筋をピンと伸ばして。
適度な緊張感のある背中に憧れる。
<261> キーコ ■2005年03月31日 木曜日 17時54分07秒
独りきりで食事をとる わびしさ…なんて書くと、
いかにも、暗い!ってイメージが付きまとう。
淡々と しずかに、今を味わう…のが好き。
「変えられないモノ」をシッカリ見つめて、選んだ事だから、これが“ベスト”です。
多少の強がりかもしれないけれど、しょうがないもの。
人は、自分の欲求を満たすために、変えられるものではないから・・・。

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This script written by Shintaro Wakayama.