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私たちの物語 - 食物・ボディイメージ・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> いつになったら ■2003年09月20日 土曜日 02時26分36秒
中学校あたりからかな・・初恋したのは・・。私は体重70キロ近くあった。身長158
スゴイデブ・・男子にデブ、ブス、きもち悪いってずーっと言われてた。憧れの先輩がいた・・先輩の卒業式の次の日に同級生に「先輩がお前のこと気持ち悪いって言ってたぞ」だって。腹立たしかった。けど悲しかった。傷ついた。大好きだったのに・・先輩。男子なんて大嫌い。汚い!近くに寄られるとゾッとした。19になって体重は58になったけど、でもデブ。自分の体は醜いと思う。筋肉鍛えてもお腹は引っ込まない。折れそうな位細くなりたい・・そしたら顔も変わる。目が腫れぼったい。埋没法したけど・・やっぱり目は小さいままだ。こんな顔嫌だ。鼻もダンゴ鼻だ。美人になりたい。誰が見ても「きれいだね」って言う位。先輩は何で私の事を気持ち悪いって言ったんだろう?ヤッパリ顔が地味だったから?パンパンだったから?こだわらなくても良いかも知れないけど、忘れられない事。恋が終わるたびに私が美人で、細かったら続いてたのかなと思ってしまう。違うんだけどね・・・
もしかしたら一生コンプレックスから逃れられないかも知れない。
<19> 波 ■2003年09月05日 金曜日 07時24分58秒
この6ヶ月で12キロやせた。もともと太っている方だったから現在は
「ちょっとやせた?」って言われるくらい。

食べ物を見ても食べたくない。
でも身体のためには食べなくちゃ、と思って詰め込んでいる感じ。
辛い体験を考え込まないように体操をしたり、手芸をしたり、もちろん仕事も
家事もしている、でもいつもそのことが頭に出てきてしまう。

食欲がないままドンドンやせていくのだろうか、と今度は食事のことも
考え込むようになってしまった・・・
<18> しばわんこ ■2003年09月01日 月曜日 22時33分04秒
 おなかがすいてなくても、ひどく寂しい時ってつい食べたくなる。
うつ状態だから、他に気分転換する方法も思いつかなくって、そんな毎日。
食べたからって、ちっとも楽しくないし、むなしいけど。
 逆に何にも食べたくなくなることもある。私が生きる意味がわからないから、食べようと思わなくなるんだ。おなかすいてて苦しいのに、頭が拒否する。
 やたら食べたり、食べなくなったり。
 もっと違うことで楽しく生活したい。
<17> なな ■2003年08月30日 土曜日 02時20分30秒
私は今受験生。医者になりたくて、また親のきたいにも答えたくて。不安になると
”勉強したらふとる?”なんておもいこんじゃってるからちょっとおかしなどをつまんでしまう。別に食べたくもないのに食べなあかんとおもってたべるお菓子はつらい超太い訳でもないけど私だって気になる人ぐらいいる。やせたいどうして勉強もおしゃれも両立できるひとがいんのってしょうじきかなしくなる。親があんたはまだませてへんなーッ言うのが逆にプレッシャーで、わたしだっておしゃれしたいよ。でも自分でなんとかこの思いこみをなおしてみたいとおもう。
<16> さくら ■2003年08月28日 木曜日 13時40分49秒
また過食期。
もう一度過食の本を読んだほうがいいんだろうけど、
うつで読む気にならない。
うつで動けないくせに、ものはちゃんと食べられるんだ、
このデブ。って自分で自分を責めてしまう。
<15> ベロニカ ■2003年08月17日 日曜日 13時30分36秒
摂食障害が再度顔を出し、早数日。
また、食べ物を美味しく食べられない。タバコ・コーヒー・コーラ・甘い物だけが欲しい。今より体重を落としたくなって、早くも2キロ落ちたのに、まだまだまだまだ・・・と、またタバコ。
数年間、治ったもんだと思っていた摂食障害が、こんなに時間がたって再発すると、いやはや参ります。
一体どこまでこの生活を続けるんだ?
自分にきいても判らない。
でもやっぱり、
昼食もちゃんと摂りたくない。
カウンセリング、行ってみたい。
<14> のの ■2003年08月12日 火曜日 12時04分51秒
小学校のときから太っていた。
今みたいに薬も酒も(いけないことだけど)使えない子供のころには、何かおい
しいと思うものを食べることしか逃げ道がなかった。
暴力的な家庭で、飲兵衛の両親。その上ひとりっこで都会のマンション暮らし。
夜はたいてい一人。孤独だった。
今も何かくるしさを感知すると、すぐに食べ物に逃げる。おまけに歯が溶けた
り、内臓を壊すのが怖くて、吐くことができないので太る一方。
食べ物のことばかり考える自分。デブ・ブタ呼ばわりされたことを思い出して
は死にたくなるくせに、またたらふく食べる自分。そんな自分を自分が一番嫌
悪している。ボーっとしていたって歳はとる。ただでさえ醜いのに、これから
どんどん醜くなる。男たちはそれを馬鹿にする。そんな人間は無視すればいい
と思うけど、それではたいていの男を無視しなくてはならなくなる。自分のだ
んなさえも・・・。

もう何も食べないでいれたらいいのに。ガリガリになってみたい。
<13> あーこ ■2003年07月30日 水曜日 06時16分30秒
お腹いっぱい食べたい。
カロリーなんて気にせず、楽しく食事したい。
吐かなきゃ、なんて思いたくない。
カロリー怖くてお酒が呑めないなんてもういや。

3〜4歳のとき、親が離婚しそうになった。
「どっちについてくる?」と訊かれたあたしは、「どっちにもついていかない、窓から飛び降りる」と答えた。それで繋がった夫婦。あたしは母を不幸にした。
体が弱かったあたしは、栄養を摂れ、体力をつけろ、と、貧しいながらもいっぱい食べさせられた。運動能力は既に劣っていたので、健康にはなったけど、太っていった。
丸みを帯びた、女性らしい体。
「イヤラシイ体」そんなのいらなかった。
他人のそういう体は好きだけど、男の人の太ってるのも好きだけど。
イヤラシイ事なんて本当は好きじゃないのに、この体ゆえに、それを売りに生きるしかない。肯定しようとするけれど、肯定できない。
このまま生きていいなんて信じられない。
人がくれる褒め言葉も信じられない。
認めて欲しくて、愛されたくて、いつだって満足できなくて、何も信じられなくて、伝えられなくて、依存できるものをいつも探してる。
1キロ痩せた。嬉しくて仕方ない。
<12> # ■2003年07月29日 火曜日 07時03分31秒
 小さい頃のことを思い出すとよくお腹をすかせていた。別に家が貧乏だったわけではない。両親の食べ物の管理が厳しかったから。おかし・ジュースは一切だめだった。夜寝る前の飲み物もダメだった。のどの渇きのひどさは今でもおぼろげにおぼえていて父に聞いてみると「おねしょするから。」だった。あの、もしそれで脱水症状になってもよかったんですか?って問いたくなる。そして一番悔しかった、そして信じられなかったことは、父方の親戚が遊びにきていた日の夜だった。いとこにほとんど歳の変わらない子がいた。家では9時以前には布団にはいっていないといけなかったが、親戚の話し声で眠れずに起きていた。するとそのいとこが「のどがかわいた」と言い出した。すると父は「そこにジュースあるからとっていいよ」と軽く言った。・・・・いったいどういうつもり??!!その扱いの差は何?
 子供には禁止事項ばっかりつくってもう息が詰まりそうだったよ、ずっと。
 お菓子が欲しくて拾って食べたこともあった。今思えば汚いけど。それほど何もくれなかった。
 夏の暑い日、家族で出歩いてると当然のどが殺人的にかわく。父に頼んでも「体に悪いからだめ。我慢しなさい。」どれだけの地獄だったかあなたには分かりますか??自分の子供だけに厳しく(半分虐待だね・・。)していまうあなたにはAC的な要素がありますね。中・高生になってお金をある程度好きに使えるようになって、はしばらくたちますが、私はおかしばかり買ってしまいます。外に出ても甘いものがある喫茶にばかりはいってしまう。最近摂食障害って言われた。食べはきしないから何をいってるんだろう。と思ったけど《お菓子とか甘いものに依存しているのはまぎれもない事実》だった。今の父はお金をすぐくれる。万札をすっと渡す。
 経済的には潤うけど心はとても虚しい。私はもっとあなたから自由といたわりがほしかった。
 何も欲しくなくなってからくれても無意味なのが分からないの??母もそう。
食事にうるさい。母と食べてると味がしないし、パニックに陥る。体が壊れてきてる。自分がこんなに崖っぷちに立ってるなんて気づかなかった。自分がとても寂しがっていたことさえも。誰かの助けが必要。せめて不眠にはそろそろ別れを告げたい。眠っているときの悪夢にも・・。もう一人で問題は抱え込まないようにしようよ。誰を信頼していいか分からないけど、きっと分かってくれる人はいるよ。
<11> サクラ ■2003年07月26日 土曜日 10時49分50秒
昔よりも今のがひどい状態だな。
拒否反応。
煙草のニオイがまるでダメ。
日常生活でさえ息を止めてしまうのに、食事中だと吐くか逃げるかしかない。「これは食事するなという意味?」と思い、何度となくハンストを決行。
ACだと気付いたのは最近で。家族は私がどういう感情を持っているのか知っているのだろうか。両親・弟もヘビースモーカーで(家族全員かよ)、諸事情で実家に帰ってくるしかなかった現状がうらめしい…。
早く稼げるようになって、また一人暮らしに戻りたい。
ホントに悪化の一途を辿ってるもんね。
そうじゃなきゃ、何を食べても「美味しい」という感覚を失ってしまった現在の食生活が悲しいよ。
私の中の子供が「美味しい」と笑顔になってくれますように…。
<10> ちー ■2003年05月28日 水曜日 19時51分15秒
食事時は、必ずと言っていいほど親や祖父母のケンカタイム。
ケンカがない時は、会話もなく、ただ目の前にある物を食べるだけ。
当然、「食事を楽しむ」なんてことはなく、いつ始まるか分からない
ケンカに巻き込まれぬよう、朝食は5分、夕食は10分程度で済ませ、
逃げるように食卓を離れていた。

食べ物に対する執着心が強いのも、そのせいかも。

家族がいない時に、自分で買ってきて隠しておいた材料(パスタとか)で、
お腹いっぱいになるまで食べる。この時は「美味しい」と感じる。
もちろん、そんなことをしたってバレないよう、ゴミも家では捨てないし、
道具も元あったとおりに、完璧に戻す。

自分で作った好きな物を一人で食べている時が、一番幸せだと感じる私。
<9> にょろにょろ ■2003年04月05日 土曜日 14時16分04秒
ブリミアしていました。子供の頃から自家中毒持ちだったので吐くのが凄く上手くて口に手を入れなくても吐く事が出来たので、過食嘔吐と下剤乱用していました。今も時々少し痩せた方がと思うのですが、
(今は真面目に少し痩せた方が良いかも(^◇^;))
当時はひょろひょろでみっとも無かったです。高校2年の頃だったので、性的に女性は肉の付く時期だったのに摂食していたので、女性として未発達な感じでした。
というか女らしい体になるのが嫌でした。
ずっと母親から男の子みたいな恰好をさせられていたのもあるのかな。
ずっと少年のようで居たいと思う気持ちがあった。
何でだろう?
とにかく太りたくなかったです。(性同一障害を疑った方が良いのか?)(^◇^;)
今だに摂食障害は尾を引いています。食べるのに罪悪感は無くなったけど、バランスが悪い。お腹減って無いのに安心する為に食べたりしています。治れるものなら治りたい!でもそれに気付けただけでも良いのかも♪
<8> 【管理人からのお知らせ】 ■2003年02月28日 木曜日 09時41分30秒
2003年2月16日、24日付の下町のさんの書き込み2件は、「テーマに沿って」「自分を主語にして話す」という当掲示板の主旨を大きく外れており、他の訪問者を混乱させるおそれがあると判断したため、誠に勝手ながら削除させていただきました。

フィクションのようなものは「それが自分の物語の一部としてどうしても外せない」こだわりがあるかぎりにおいて、という条件で容認しておりますが、自分を主語にしない社会評論や社会批判のようなものは、自分自身の問題から目をそむけさせ、一種の「恨み」「責任転嫁」に流れることで、「生きづらさの問題からの回復」という当掲示板本来の目的を逸れさせる危険性が大きい、という観点から、当掲示板では基本的に禁止しております。

悪しからずご了承ください。

管理人・蔦吉
<7> 下町の・・・ ■2003年02月09日 日曜日 15時05分58秒
「食卓は戦場であった」
食卓は戦場でしたんや、おとんの経済力を背景にした権力とおかんの一歩も引かぬ精神論を盾にした権力が、舌鋒するどく、厳しい論理的対立が、食卓の荒野にて毎日くりひろげられていましたんや。鋭い緊張感のなかでどちらかが先に火蓋を切るのか、そして今日はどのような展開になるのか、わいら先をよんでしまうのが癖になりましてな。おとんの論理はだいたい「世界はおれをなめている」ってなもんでしたかな。おかんの論理は「おまえは私を侮辱している」こんなものでしたかな・・。猿芝居のようですが幕が降りない、際限のない芝居であるのが悲しいところでしたな。
わいはいつ頃からか、もうつきあいきれん。いつか、いつかこの家庭という監獄から脱獄してやろう。そう決めてましてん。
 それはガキの立場からすれば正しい決断であったんちゃうか。そう思うてまんのや。
<6> ヴコースキー ■2003年02月02日 日曜日 00時01分25秒
 「燃える若き俳優」
話すと実在の人物が割れる可能性があるので題名は”虚構”をいれました。
 何げなく挨拶をかわすだけで、なにか気心が通じるところがあるので話してみた。中肉中背のやさ男なのだが、いつも気迫が満ちている。暴力性ではなく、芸術的な気迫である。未熟だが明晰な考え方は、自分の夢のために今の大部分を犠牲にしている怒りが伝わってきそうであった。思考も身体も全身がバネのような反応をする。当時ぼんやりすることの多かった俺は機敏な会話ができず、どこかもどかしさがあった。何かを話せば互いが理解できそうで、友達になれそうな感じがするが、コンプレックスの塊りでもあった俺はどこかで気がひけていった。だんだん距離をとるようになっていった。
 しかし、どこかで気脈の通じそうなものの何かがなかなかわからなかった。燃える男の決断、決意、行動、生活様式の厳守にはたじたじとなるが、彼にはアディクションがあったのだ。たいしたものではないが、そこの苦しみの有り様を、当時のおれは理解できなかった。彼の燃えるエネルギーに対峙するだけのエネルギーが俺にはないことが歴然としており、ただただ疲れる。の一語であった。
 どのような人でもアディクションに陥るのだということが、身近な現実のなかでとらえることができていなかった。
  人間関係というものを考えると残念であった。
<5> 蔦吉 ■2003年01月22日 水曜日 14時56分43秒
小さい頃から食べ物、とくに「3時のおやつ」ってやつが――こう、子供の手の届かない食器棚の上におやつカゴが置かれてて、その中に袋菓子が何種類か、封の開いた口をゴム輪で閉じたりしたのが入ってて。基本的に「子供に許されていないもの」みたいな感じで、でもって母親がそれをおごそかに一定分量、ティッシュの上に出して私たち子供に食べさせる、って感じで。なんかそのおやつカゴの中のお菓子をはじめとする、母親の裁量でもって管理されている台所の食料品に対して「本来自分に許されていない“いいもの”」「宝」「パワーの象徴」みたいなイメージを抱いてた。物心ついた時から。

だから本当、私の食物嗜癖がはじまったのって、すごく早かったかも、って思う。

たしか小学校あがる前だったと思うんだけど。お正月だったかな。アニメ『魔女っ子チックル』のキャラクターグッズの「かるた」が家にあったんだ。「いろはかるた」みたいな感じの。その中に「る」のカード「るすばんの あいだに クッキング」って句があって、チックルだったかチーコちゃんだったかが、ママのいない間にこっそりキッチンで何やら料理してる絵があって。

なんか、それ見た瞬間、フワ〜ッ!とハイになったような多幸感が襲ってきたの覚えてんだけど(笑)。
いや、つまりその「母親の留守の間に子供である自分が台所の食料品や調理器具をコッソリ勝手に使う」というアイディアに対して。

まあ、それで早速、次の日母親が用事で出かけたスキに「クッキング」をば……ミカンを潰して絞って、引き出しの奥で箱がホコリかぶってたゼラチンと混ぜて、それから強力粉を水でこねて粘土細工のごとくヒモ状に伸ばして、「手打ちうどん」と「オレンジゼリー」を作って、それを母親の帰ってこないうちに証拠を残さないように一人で全部胃袋に収めてしまったワケで(笑)。

うちは3度の食事は基本的に「出されたものは残さず食べる」だったんだけど、母親の作る料理って、何て言うんだろうな…お誕生日とかひな祭りなんかの日は別なんだけど、基本的に毎日のおかずは「おいしい」「キレイ」っていうよりも「安上がり」「ヘルシー」至上主義、みたいな。食べ物を「楽しむ」って視点が極端に乏しくて、代わりに家族の健康と家計を守る食事としての「正しさ」だけを黙々と追求してるような、100円均一の皿小鉢にノンカロリーの生姜醤油やなんかで味つけた、「ヘルシー」で色彩感覚の冴えない野菜中心の料理ばかりが盛られていたものだった。

というのも、母親自身が結婚当初、かなり小太りだったんだけど、どうやらダイエットして痩せたらしくって。その当時住んでた近所の「太ってるオバサン」たちの名をあげては「だらしない、あんな姿にだけはなりたくない…」とブツクサブツクサあげつらっていたのを覚えてる。

だから、「食べることの楽しさ」っていう点だけで見たら、家族の3度の食事は「カス」っていうか、義務感だけで通り抜ける毎日のルーティンワーク、みたいな感じで。「食べることの楽しみ」はもっぱら学校給食の好きなものが出る日と、おやつと、そして台所の食べ物を盗むこと、みたいな。学校給食とおやつは純粋に「食べる楽しみ」だったと思うんだけど、「盗む」方にも、確かに嗜癖してたんだなぁ、って今ふり返ってみて思う。「母親が出かける予定で1時間ばかり帰ってこない」って聞いたときの、さあこれで今日も食べ物を盗める!って考えてフワ〜ッとハイになる感じとか。

…うん、あれが確かに、嗜癖くさい「ハイ」だったよなぁ。
実際あの頃から、「母親が出かける」たびに義務感にとり憑かれたように食べ物を盗み食いしたもんだし。
<4> マフマルバフ ■2002年09月13日 金曜日 01時49分56秒
初恋の来た道とピーマン
餃子の具の多彩ぶりをみて 料理は創る人の自由な素材で調理していいのだ あたりまえのことですが 包丁で具をざくざくと刻むシーンをみて再認識した 映画のインパクトは強いですね 元来マニュアル通りにするのが苦手である どこかにオリジナルがないと嫌です だから私も大型ピーマンの中をくりぬいて その中に私の思うがままの具を切り刻んで入れ 蒸した 中身は教えたらん 我ながらうまかった また創ろうとは思わない 面倒くさい 私の家族関係もそういう具合でみたら オリジナルな問題だ 何かのマニュアル通りに考えていたら間尺にあわない トラウマも自力で思い出して それなりの対応 努力はして混乱を収拾していた しかし 当時トラウマやアディクションの概念を知らなかったし 専門家もいなかった 否定の問題から徐々に理解を深めていった 「境界例とはなにか」これは参考になりました 助けられるところ大です もういい やはり参考になるが間尺にあわない 自分なりにやっていく 問題はあるが精神的バランスはそう悪くない その後は・・・・・。自分のスタンスで取り組む自由な思考をうしないたくない。
選択する自由度がないと息苦しい 分かってくれるだろうか?このリカヴァリーノートはACの回復に役立つ。
<3> マフマルバフ ■2002年08月28日 水曜日 00時10分52秒
豆腐
豆腐は便利 どのようにも使えるしそのサイズ以上に増えることはないので食べる目安に良い 創りすぎることはない余ることもない 私が体重40kgになったときは食欲がなくなっていた 食べる気がないし生きる気力も無くしていた コントロール喪失だろう 誰も見咎めるものも居ない 驚いたのは親族の○がその変貌に気づいただけであった それで私も気づいた 本人は気づかないものだ 自分なりのお粗末な思考を固めることによって再出発した そして挫折し自助グループに来ている 抜け殻のような状態なのだ
<2> マフマルバフ ■2002年08月25日 日曜日 20時18分22秒
うざく
うざくを創ってみた 故向田邦子さんがキンと冷えたビールのつまみに愛した一品だったとか 私は書いてある通り材料4人前でつくり ご飯のおかずにして食べた 向田邦子は決してはしをつけないだろうというお粗末な味だった。だし汁と醤油を入れ忘れていました まぬけをやてしまう しかし和風のおかずは胃にもたれないのでよい 昔の私は給料が入ると中華やレストランに行って1週間ぐらい贅沢な食事を繰り返していた どうしてかなと考えるのですがわかりませんでした 説明のしにくいところはありますが私は物質し癖には陥らないようです 摂食過食が物質か過程かは私にはわかりませんが 私が体重40kgにまで落ちた時は胃潰瘍が直接の原因であり 極度の神経症状態のまま仕事中毒に陥り大怪我をすることによりすべてがストップして我に還りましたが その経験では過程し癖の問題かなと思います。いまは74kg一昨年から10kg太りましたがこれは単なる怠惰が原因です。
<1> 蔦吉 ■2002年08月17日 土曜日 22時18分54秒
家族や他人にもう食べ物やダイエットのことを何と言われようが、ムッとすることもあるけれど腹の中で落ちついて論駁できるようになった。
食物嗜癖は私の中でとりあえず「はるか過ぎ去った嗜癖」となった。
だから、か知らないけれど、ときどきなつかしく思い出される。

中3辺りからだったっけか、食物嗜癖にハマったのは。
以後10年間、嗜癖中は「本当に食べたいもの」を食べてたわけじゃないんだなぁ、って今さらながら思う。何ていうか、過食の仲間はよく言うけど、「嗜癖用の食べ物」ってある。甘い、辛い、脂っこい、デンプン質の、お子様味の。
そうしてアイスクリームなら1ヶ月アイスクリームばかり、ハンバーグ弁当なら毎回毎回同じレストランに行くたびに同じものばかり。それが、「嗜癖してる時の食べ物」。
もっとも、ひとり暮しを始めたばかりの頃は本当に「何を食べていいのか」、夕食に何を作るべきなのか、スーパーであれこれ考えて食材を選ぶだけで半日がかりの大仕事、みたいになってしまうこともよくあった。例のごとく「自分の時間が本当に「自分のこと」と思えない」離人感みたいなのもあって。半日がかりの大仕事で結局大学の必須講義もサボることになったりして。そういえば、なぜか私は「予定を入れる」ってことに対する嫌悪感みたいなのを今でも持っている。「自分の時間」の実感がないんだけども、自分の時間を切り売りしたりすすんで拘束されたりすることに対するワケの分からない嫌悪感、というか。

まぁともかく、食べ物の話なんだけども。
下宿生活で「何を食べるか」に関する大仕事と「1ヶ月同じメニュー」の食物嗜癖を行ったり来たりする前は、学校給食と母親の作るものを自動的に口に詰め込んでいればいい中高生だったわけで。
大学でも一度ダイエットが破綻したことがあるけれど、中学2年の終わりごろにも、そういえばあったな、ダイエットの破綻。
体重測定を前にして、がんばって50kgから47kgくらいまでヤセたんだったっけ。で、その後2週間くらいでヤケ食いでまた太ったのを境に、食物嗜癖が本格的になりだしたんだった。
本当に、よくあんな物の食べ方してたもんだよなぁ。ラーメンも台所で作ってるところ親に見られたら恥ずかしいから、マグカップにスープを熱湯で溶いて、その中に固いままの麺をバリバリ割って漬けて食べたり。皿を洗った形跡も残らないように、ノート破いて折り紙の箱を折って、その中にご飯とバターとケチャップよそってきて手で混ぜながら食べたりね。

当時仲の良かった同級生(女)がいたんだけど、ダイエットと理想体重について何かにとり憑かれたようなハイテンションで語り合ってたものだった。『週刊マーガレット』の新体操マンガ『光の伝説』ン中で、「新体操選手の理想体型は164cm、46kgくらい」って一文を目にしてからは、もう2人ともバッチシ頭の中に「それ+1cmにつき+1kg、-1cmにつき-1kg」の理想体重スケールこしらえて(笑)。アイドルやモデルや新体操選手の身長・体重を片っぱしからチェックしたりして。…いや今から振り返ると笑っちゃうんだけども、私たち2人とも、本当に何かに切羽詰まっていた。公立病院の神経科にカウンセリングに行った一人の女の子が同級生たちはおろか大人達にまでたちまち奇異の目で見られたような、片田舎の中学校で。あのハイテンションさ加減は私たちの叫びのようなものだったと、確かに言える。

大学進学で田舎を離れる前、さいごに会った彼女は、前歯が薄く透けていた。
シンナーやるような環境もないし、タイプでもなかった。
今頃、どうしているのだろう。あの時代を一緒にサバイバルしてきた私の戦友は。

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This script written by Shintaro Wakayama.