28年間心に押し込めてきた言葉を、口に出して言える場をやっと見つけました。管理人さん、本当にありがとうございます。
8年前に実家を出ました。ここ1,2年で、やっと素の自分で生きられるようになりました。あたしってこんな性格だったんだ、と発見することも多く、なんだか最近幸せです。誰かの顔色を見ずに生きることが、こんなにのびのびとおおらかに生きられることなんて知りませんでした。生きていてよかった。
愛情表現と押し付けを混同している父と、良妻賢母な自分を演じている母。自分の基準でのいい人生が娘にとってもいい人生だと勘違いし、それを押し付けることに躍起になった父と、いい子の人生さえ歩んでいたら、それ以上の関心を私に示さなかった母。私の中の子供の部分は、いまだに彼らに振り向いてほしい、現実の私を見てほしい、と願うけど、大人の私はいい加減あきらめなさいと諌めます。
3年ほど前、友達がリストカットをしました。その傷跡を見ていて、すっかり忘れていた自分の過去を思い出しました。
小学生の低学年のころ、親に振り向いてほしくて、こっそり手首を切っていました。でも気づいたのは兄だけ。何やっているんだと兄に怒られ、親は気づいてくれないという現実に打ちのめされてやめました。 その後、親の干渉のストレスから円形脱毛症になりました。十二指腸潰瘍もできました。昨年、十二指腸潰瘍からの出血で、緊急入院を余儀なくされました。母親は一言、お父さんの仕事があるから行けないと言いました。入院の仕度は、すべて職場の先輩が買ってきてくれました。1週間後、突然母が来ると言い出しました。現在私が住んでいる土地や職場が見てみたい、とのことでした。3時間ほどうろうろして、母は帰って行きました。先日、同じ病気で弟が緊急入院したとき、両親は用事が片付き次第すぐに駆けつけたそうです。その後も何度も足を運んだそうです。母が心配そうに何度も何度も電話してきました。いつもは、2,3ヶ月に一度しか電話もくれないのにね。相変わらず、私の気持ちは考えてくれないんだね。
高校のとき、親の干渉が辛くて辛くて、親の敷いたレールの上を歩いていくしかないのかと思うとやるせなくて、本気で親を殺したいと思った時期があります。親を殺したいと思う自分が恐ろしくて、こうに自分に言い聞かせることにしました。親子というのは、単に血がつながっているだけの他人なんだから、自分の気持ちを分かってくれるとは限らない、他人にそこまで望んじゃいけない、と。そんな風に思っていたら、冷静になることはできたけど、それと一緒に親への愛情とか執着心みたいなものもどこかにいってしまいました。
親の決めた人生から逃げるために遠回りの人生を送ってきた私。そんな私のことを可哀想だと言って、他の兄弟は親を責めるそうです。こんな私のために喧嘩をしてくれるそうです。でも母はこう言います。今が幸せならいいじゃない、過去のことはもう忘れてよ。あなたたちにとっては過去かもしれないけど、私にはまだ過去じゃない。遠回りをしたぶん、コンプレックスに苦しまされて、自分を卑下して、周りに溶け込めなくて…そんなこともあの人たちはきっと思いも寄らない。
今、ようやく自分の働いたお金で食べていけるようになって、年に1度程度、申し訳程度に実家に帰っています。母の言葉は決まっています。どうせあんたはもっとおいしいものをいつも食べているんでしょ。お給料はいくらぐらいなの。そのバッグはいくら?高そうね。彼とは別れたの?何があったの? 母にとって、私はいったい何なんでしょうか?あの人は私に幸せになってほしくはないんでしょうか?その妬みの様な感情は何なんですか?
ここ10年くらい口をきいていない父と、私の中身には関心を示してくれない母へ。許すとか許さないとか、そういう感情ではなく、私はあなた方が好きになれません。
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