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私たちの物語 - 家族過去ログ No.81
メッセージ数:1620件

<1620> みゅー ■2010年04月09日 金曜日 05時32分49秒
アルコール依存のあたしが書くことじゃないけど、お母さんはパソコン依存・ネットゲーム・携帯ゲーム依存っぽい。
隣の建築工事は、朝は7時頃に始まって、夜も7時頃に終わる。日曜日も休みはない。だから最近のあたしは、ちゃんと眠れてなくて、今もなんで起きてるかっていうと、あたしが夕飯のあと、かなりの「うつ状態」で眠れるなら眠りたくて、自分の部屋で寝てて、起きたら、お母さんの「PC熱中」でお風呂に入るのが後手後手になっちゃってて兄ちゃんが、やっとお風呂からあがった状態だった。
あたしがお風呂から上がったら、兄ちゃんは変な格好で寝てて・・・、たぶん誰かに話を聞いてもらいたかったんだろな・・・。あたしが、お風呂からあがるの待ってたんだろね。

お母さんは「責任」とか、そういうものは「子育て」でしか、たぶん経験した事がないと思うんだ。お母さんが昔の会社の話を出す時はいつも「会社の〜で船上パーティにご招待してもらった」とか「どこどこの料亭でご馳走してもらった」とかそういう話ばっかりで、お母さん自身が「仕事でこういうことを任された」とか、そういうことが全くなくて。「推薦就職」なんだけど、お母さんが通ってた女子短大の卒業生の素行が悪くなくて、推薦される本人の成績とか、そういうものがよければ、今だったらそれだけじゃ就職は難しい所にでも「お飾り」「腰かけ」でも就職出来てたから。
「オールドミス」「責任」がのしかかってくる前に、たった2年で退職しちゃったけどね・・・。

そんなお母さんが、歳とって「アスペルガー」が入ってる兄ちゃんの相手は、ひとりでは、だんだん苦痛になってきたみたい。そんでもってPCや携帯ゲームに逃げる。PCではゲームや、ネットショッピング、わけの分からない動画サイトにも登録しちゃって・・・。お母さんの「財産」だから、どうしようと勝手だけどさ・・・。

お母さんは、あたしが何かで出かける時、必ず「どこまでいくの?」「何時に終わるの?」「どれくらい時間がかかりそう?」「どうやって帰るの?」etc.・・・いろいろ聞いてくる。パソコンで帰りの電車の時間や、出かける場所まで調べてるのにはもう慣れた。履歴見た時、すごくイヤだけど・・・。
でも、この前就職のエントリーしたあと一応、その会社のサイトを「お気に入り」に入れさせてもらって、だけど、あたしが何か調べたあと「履歴」消す時、お母さんが、あたしがエントリーした会社のことを「ウィキペディア」やいろんなとこで調べてたのには、はっきりいって「ぞっ」っとした。
お母さんは、最近電車で外に出かける時もギリギリに出て行って、寄り道も「ひとりで楽しむ時間」も持たずに、とんぼがえりで帰ってくる。
最近は、このノートパソコンが、このテーブルの上にしょっちゅう広げてある。

あたしが「強迫お風呂」からあがって、兄ちゃんは、いろいろと「ごそごそ」やってたけど、ほんとは静かにこころを静めてお酒を飲みたかったのに、あたしは兄ちゃんから、いつなんかの相談とか受けるのか「ビクビク」してた。
それで結局、この時間・・・。今となっては、お母さんは夜2時までPCにかじりつきで、あたしがめったにPCに書き込みなんてできることなんてないから・・・。

あたしもお母さんも、寂しさや「40歳になっても兄ちゃんの病気が治らない事」当たり前なんだけどね・・・、アスペは脳の疾患みたいだから・・・。そういうものから逃げてるんだと思う。特にお母さんは、なんらかの「寂しさ」「孤独感」そういうものは抱えてると思う。
あたしも、今バイトや就職エントリーしながらも「うつ」です。眠れない。工事が眠らせてくれなくて。眠れるよういろいろ考えてるところなんだ。
そうじゃないと、働いて「お母さん離れ」できないから。
<1619> 理恵 ■2010年03月31日 水曜日 00時20分50秒
お母さん、私たち姉妹を本当の意味のACにしないでくれてありがとう。
<1618> 真実 ■2010年03月27日 土曜日 07時04分53秒
お兄ちゃんもかわいそうだなと思う。
少しはね。

昔の過失が原因で、今も私がそれを忘れることなく病んだまま生きていることを知っているから。

でもね。
忘れることはない。

そう思う。

たまに軽いフラッシュバックでこのごろつらい。

なかったことにしてしまえ。
そう思いたい。

だけど、もう、あの人を自分の兄弟だと思うことはないだろう。

家族として認識すると、私は頭がおかしくなってしまうから。

あの時の悪夢が昨日のことのようによみがえってしまい、吐き気がしてくるから。


この気持ちは、加害者にはわからない気持ちだろう。
<1617> 蒼李 ■2010年03月22日 月曜日 03時21分30秒
子供を産むつもりはない。
でも、私がいなくなったら、
ぬいぐるみたちはどうなるんだろう。
それだけが心残りだ。
特に、いつも一緒に寝ている2匹が心配だ。
燃やされてしまうのだろうか…。
それは嫌だ。
誰かに引き取られて幸せでいて欲しい。
<1616> 真実 ■2010年03月19日 金曜日 05時51分51秒
結婚した今、私にとって家族は旦那。
親は親であって、家族ではない。
兄も家族でもない。
原家族にもう何の恨みも無いけど、いま旦那といるこの生活が、私の本当の人生。

「お兄ちゃん」そう言葉にしてみると、なんだか遠い世界のことに思える。
私にお兄ちゃんがいるという認識が持てない。
いちおう同じ親から生まれた血のつながった兄弟ではあるけれど、私にはもう、お兄ちゃんはいない。
私は一人っ子。

どうしてそう思うようになってしまったのかは暗い過去があるからです。
たとえどんな理由があれ、レイプは犯罪なのです。
未遂で済んだとはいえ、私の心から、あの時のことが消えてなくなることはないのです。
深い悲しみに沈んだままなのです。
<1615> 秋 ■2010年03月04日 木曜日 16時34分56秒
あの父親に子供はまだかって言われるのが苦痛
子供を作るのも作らないのも自由なはずで
ACでも子供を欲しいと思う人がいるようにいらないって思う人もいる
いっそ何か自分のからだがだめだからっていいたい。
からだって器官も精神も同じなんだから

ちょっとずつタイムリミットが迫ってきて
さすがに旦那から酔っ払って子供がほしいとか愚図られると
自分がまとも?な女性であったら、好きな人の子供が欲しいと思うことが
当然だと思えるのだろうか

相手が私でなかったらきっと子供ほしいって言うんだろうな
経済的な理由は別として
旦那の家族とか初孫が出来たらきっと喜ぶだろうし

私のエゴがまたみんなを振り回しているのだろうか
小さいころから動物も人間もあまり好きでなかったし、
自分の存在と言うものにばっかり固執してた

そんなことを考えても意味はないとわかっていても、
自分を慰める悪癖が心を落ち着かせてくれたから
相手のクローンなら愛せるかもしれない
私の成分はいらないし、おなかに宿るのもちょっと無理
思いやりとか愛護精神とか母性愛とか欠乏しているとは分かってるけど・・・・。
<1614> 蒼李 ■2010年03月01日 月曜日 15時05分01秒
「母親」は、「前向き」に、なんでもおちゃらけて、現実から逃げていた。
今もきっと逃げてるんだろう…。
連絡取ってないから知ったこっちゃないけど。
<1613> halu ■2010年02月28日 日曜日 16時50分05秒
お母さん、自分の夫とけんかして意見が食い違ったからといって、子どもに意見を求めて巻き込まないでください。小中学生のときからされてた私は今でも嫌悪感があります。自分の夫の延々と続く愚痴や変な後悔話が仕事で忙しいからといって中学生だった私に話を聞いてあげてと言ったことに今でも嫌悪感があります。自分の夫の話を適当に聞いて折り合いをつけて上手く働かせたら、お母さんはそこまで働かんで良かったのに・・・夫のこと自分が手に負えないのに中学生の子どもを巻き込まないでください。
あとお父さん・・・中学生の子どもは自分では働くことが出来ないから愚痴や変な後悔話を聞いて働いてもらいたかっただけ・・・それに甘えて愚痴や変な後悔話を子どもにしてんじゃねーよ!!私は愚痴聞くゴミ箱じゃない!!
2人とも子どものこと思ってんなら、中学生の子どもにこんなことするんじゃない!!
中学生くらいから親の世話してて、社会人になってまともに働かれない!!もう両親には巻き込まれない!!家族やからたまには話し聞くし協力するけど、巻き込まれない!!夫婦2人で解決して!!じゃなかったら離婚して!!
<1612> 雪風 ■2010年02月23日 火曜日 14時08分44秒
先日父親が『お前はまだ俺が専門家の支援を積極的に受けるほど悪くなっていない、自分の力でなんとかなると思っている』と言うような発言をしていた。俺はもう31歳だし、両親ともに60代後半もうそんなこといっている状況じゃないし、そうやって問題を抱え込むのが一番よくないし、俺が散々ACやひきこもりに関する本などを薦めてもほとんど読んでくれない。まあ、俺がそうやって親に理解してもらおうとしている姿勢がそもそも間違っているんだよなあと感じた。でもやはり、まるでこの人問題見えていないと言うか、現実逃避しているんだなと感じ、へこみました。
<1611> 蒼李 ■2010年02月18日 木曜日 14時01分51秒
私は「お人形」になればよかったのかな?
「お人形」になりたかったよ。
そうすれば「痛み」を感じない。家の中もうまくいく。
「家族」は幸せになる。
私は…やっぱり「生きたい」よ。
<1610> 蒼李 ■2010年02月16日 火曜日 19時29分49秒
私は生まれた瞬間から、「母親」から「その母親」(私にとっては祖母)への捧げ物だった。
母親と一緒に眠ることもなく、祖母が私を独占し、出かけるときには私を背負ってミルクを持って出かけたと成人してから聞いたときはぞっとした。
(妹はミルクを飲まない子だったから、祖母は「あの子は私を嫌っている」と言っていたらしい)
婿に来た「父親」と「祖母」の交流はなく、私は、ずっと「祖母」から「あの人は私に挨拶もしない」と聞かされて育った。
どうしたらいいのかわからなかった。
私が反抗期を迎えた時=自分の意見を持った時、祖母は「そんなに憎いなら包丁持って殺せ」と言った。
訳がわからなかった。
母親は仕事に逃げた。
夕方、母親が帰ってくると祖母は私と妹を押しのけて母親と話したがった。
「今日、蒼李にああ言われた。こう言われた」と全部「ご報告」した。
母親は私を守ってくれなかった。
「何でおばあちゃんの言うことが聞けないの」とひっぱたいた。
私は自分の「意志」と「感情」を押さえつけているうちに、とうとう、それがわからなくなった。
それなのに、母親は「どこの高校行きたいの?」と言う。
私の「意志」を奪っておいて、そんなこと聞くなんてずるいと思った。
結局、周りが期待する進学校へ行った。
あとになって「もう少しランク落としたところにしておいた方がよかったかな」と思った。
それを母親に言ったら「私もそう思ってた」と言った。
やっぱり、ずるいと思った。
そのうち母親は「板挟みになって私はどうしたらいいの」と言いだした。
「なんで遠くの大学に行かなかったの?」とも言った。
私が、考えて選んだ大学が地元だっただけなのに…。

祖母が死んで安心した。
でも、今度は、それが「父親」に変わっただけだった。

私は中学生の頃から、うつだった。
包丁持って殺して欲しいのはこっちの方だった。
就職して、病院やカウンセリングに通うようになって、「親」を連れて行ったこともあるけれど、「父親」は自分が感情的だと言うことを認めなかったし、「母親」は「みんなが私が悪いって責める」と泣いた。
「そんなことないよ。お母さん」って言って欲しいの?まだ私に要求するの?わがままな奴め、と思った。
<1609> 深雪 ■2010年02月10日 水曜日 10時22分01秒
今日・明日と、夫と子供はディズニーランドに行った。本当は、私も行く予定だったのらしい。しかし、夫が「オマエはこなくていい」を連発するので、いつも除け物で育って来た私は「そうか。」と行かないつもりでいた。それに、今週・来週は、すごく(外せない)用事が立て込んでいるのだ。なので、ディズニーランドは疲れるので、こんな時に企画してもらいたくなかった。しかし、夫は私の都合など全く聞かない。聞かないで決定。で、「来なくていい」だから、行かない。当たり前。

と思っていたら、出発30分前に怒り出すではないか。「なんだ、お前行かないのかよ!全く、いっつもこうだ!」と。まるで私がドタキャンしたかのような言い種。

知るか、バーカ!と言ってやりたいところだが、地道に「こなくていいと言ったじゃない?」と反論(?)した。「確認しなかっただろ」と言われたが、「来なくていい」と何度も言われて、これ以上何の確認? 本当に一体、何を確認をするのか、分からないよ。

私は具合悪いの分かってるでしょ。子供の送迎が出来ないんだよ。30分前に、ディズニーランド行こう、って行ける身じゃないのよ。ああ、ストレス。夫は子供だ。子どもの喧嘩みたい。もう、いやだ、こんな事に巻き込まれるの。

このところ、私ら夫婦は、連絡・報告をし合わない。黙って行動する癖がついてしまった。向こうが聞きたがらないことは、こちらも言わないしね。いつのまにか、すーっと、忍び寄るすきま風。

それでも、仕方ない。と思えてしまう。万一離婚てことになっても、それはそれで仕方ない、って思ってしまう。「仕方ない」。そう、そういうこと。それがあたしの気持ち。
<1608> hxsrzocre ■2010年02月05日 金曜日 02時04分12秒
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<1607> ソラ ■2010年01月23日 土曜日 17時15分10秒
弟へ

先日、久しぶりに会って色々なことに気づきました。
ひとつは、私が母からされてうんざりしていた行為をあなたにしていたこと。
ひとつは、私があなたに嫌われることをひどくおそれていること。
それから、いつかあなたが私の気持ちを理解してくれるのではないかという期待を、
捨てきれずにいること。

こどもの頃は、この家のなかでお互いを庇いあって過ごしたこともあったし、
つらい時期を一緒に乗り越えたりもした。
でももうそれはずっと昔の話で、今のあなたはこの家の価値観に浸かっていて
それを手放すつもりもないという現実を、私はまだしっかりとみつめることができないみたいだ。

あなたが引きこもっていた頃、私はこの家にあなたの理解者が誰もいないと思い、
あなたの話を聴こうと一生懸命になった。
自分の言葉や行動があなたを傷つけてきたことを後悔して、
その償いをしていたつもりだった。
けれどあなたが自立した後も、いつまで経っても償いを終えた気持ちにはなれなかった。

あなたの私への批判の言葉がつらくて、距離を置いた。
けれど、それでよかったのだと今は思う。
私はそれらの行動の裏に、あなたに対する怒りをずっと押し込めてきたことを
昨日ようやく思い出した。

男だから女だからと差別されて育ったこと。
何でも買ってもらえるあなたとは対照的に、
「将来うちは大変になるんだから、贅沢はしないように」と言われていたこと。
「家のことは任せる」といわれて重圧を感じてきたこと。
統合失調症の母の面倒を見てきたこと。
自分の意見を言えば、あなたは素直でいい子だと、
私は反抗的だから悪いのだと言われてきたこと。
そういうことがとめどなく思い出される。

私はなぜ、良い姉でいようとしていたのだろう。
罪悪感からだろうか。
いや、この家で、自分も家族と一緒になって引きこもった弟を責め、軽蔑し、見捨てるなら
この家の人間と同じになってしまうと思ったんだ。
私はただ、この家の人間と同じになりたくなかったんだ。

でもそれは私の事情であって、あなたの価値観とはなんの関係も無いのだろう。
あなたが、家族の価値観にのっとって私を責めたとしても、
あなたがそういう価値観を選んでいるという、ただそれだけのことなのだろう。
でも、わたしにとってはそのことがひどくつらい。
私と弟とが別個の人間で、別々の価値観を持って、
別々の道を進むという当たり前の事実を、私は受け入れられないんだろう。

自分を正直に見つめてみれば、私は内心、弟に頼っていたんだろうと思う。
実際、死にたくて、苦しくて堪らないとき、先が見えなくて不安なとき、
「せめて弟だけは無事に暮らしていてほしい」と願うことが心の支えだった。
自分のことがどうにもならなくて、自分の人生を見つめる勇気も無くて、
自分の人生はどうにかする方法を見つけられないでいたから、
あなたに対してお節介を焼くことで気晴らしをしていたのかもしれない。
お節介を焼くことで、優位に立とうとしていたのかもしれない。
いや、きっとそうなんだと思う。
いつだか、あなたが私に対して説教じみたことを言ったとき、
私は上から物を言われている感じがして、ひどくいやな気分になった。
それと似たような事を、あなたにしていたのだろう。

私があなたの役に立っていた、というのも私の思い込みなのかもしれない。
でも、まだそれを認めることが難しいみたいだ。
でも少なくともあなたは今、あなたなりに生活している。
私にとって本当に大切なことは、私に関すること。
ただ、この間の親戚の集まりで、昔の自分の行動や感覚に戻ってしまった。
ひどく疲れたし、心も揺れた。まだ整理がついていない。

でも、あなたに理解を示そうとするとき、
自分を理解してほしいという下心が潜んでいるなら、
それは単なる取引に過ぎないのだと思う。
ありのままのあなたを受け入れて、
そしてあなたに近づかないという方法もあるのだから。

こうして少しずつ、親戚や弟に認められたい気持ちを手放していこう。
何度も失敗するのかもしれないけれど、それも仕方ないのかもしれない。
私を理解したいと思わない相手に、私を理解してもらうことはできない。
それを体得するまで、もう少し時間がかかりそうだ。
<1606> 上尾 ■2010年01月13日 水曜日 13時44分20秒
自分が夫を私の母親にしようとして必死だった事に気づいて愕然とした。
結婚してあの家を出て、新しい人生を歩もうとしていたはずなのに。
全身全霊をかけて弱者になって、夫に自分の未来のレールを引いてもらおうと必死だった。
夫が私の期待に答えて引いてくれたレールには猛反発した。
私に言う事訊かせようとするのはやめてくれと無気力・無反応で反発していた。
何にも出来ない、何にもしない私を愛して愛して愛してと無意識に叫んでいた。

自分の愛情飢餓に巻きこんでごめんね。
<1605> 上尾 ■2010年01月12日 火曜日 19時30分07秒
夫へ
私は、自分の趣味にアナタが口を出してきた事に心底イラッとしました。
両親の言う事を聞いて、他の何をも犠牲にして大学まで行って、そのためにボロボロになった私に、まだ「言う事を聞かせようとする」のか。
私の趣味くらい私の好きにさせてくれ!
アナタの理想の形に持っていかなければ気がすまないのか!

私に一番を求めないでくれ!もう無理なんだ!
趣味でやっていることなんだ。それに未来への展望を無理やりつなげるのは止してくれ!

家事に関しても、アナタの理想を押し付けるのをやめて欲しい。
より良く。より良く。その言葉が私を追い詰める。
その言葉が私から思考力を奪い、気力体力を奪い、私から根こそぎ力を奪っていくのだ!

アナタが私を治そうとすればするほど、アナタが私にかかわろうとすればするほど、私は疲れます。
<1604> 上尾 ■2010年01月12日 火曜日 17時19分21秒
夫へ
誰かとどこかへ出かけた後、アナタにその様子を聞かれるのが私は凄く嫌でした。
なぜなら、私の態度・言動についていちいち採点するから。
そして私に「もっと良く、もっと良く」と要求してくる。
それはつまり今の私が駄目ってことでしょう。
駄目な私を突きつけられるたびに、アナタに答えるのに、私はとても疲れる。もう外に出るのも嫌になる。
それなのにアナタは「もっと友達を作って外へ出ろ」と強要する。
私はアナタに疲れています。

批判も批評もせずに、ただ話を聞いて欲しい。
(思えば私の母も、黙って話を聞くという事が出来ない人でした。)
そう思うのは贅沢ですか。
<1603> 上尾 ■2010年01月12日 火曜日 08時07分46秒
夫へ。
両親への恨みと憎しみでいっぱいいっぱいになってる私に対して、
「一度喧嘩してこい。」
と無造作に言ったアナタが憎い。
両親が私の心からの叫びに耳を貸したことがあったと思うのか。
私の心からの苦しみがあの人たちに受け入れられた事など一度もないのに。
私の怒りも痛みも涙も、
「お前の問題なのだからお前が解決しなさい。」
「お前の事なのだから私達はしらないよ。」
と聞いてくれさえしなかったあの人たちとどうやって喧嘩するというのだ。

夫よ。
あの家から救い出してくれて、あの家族から引き離してくれた事は感謝する。
でも、私の話を聞くフリをしてアナタの考える解決策をこちらに押しつけてくることに対しては殺意を抱く。
私はアナタを恨んでいます。
<1602> 上尾 ■2010年01月12日 火曜日 07時52分52秒
夫へ。
アナタの体調が悪かった時、心配して「大丈夫」と声をかけた私にアナタは
「人の心配よりまず自分を立て直してくれ。お前に心配されるのは迷惑だ。」
と言った。それは何度も何度も繰り返された。
アナタは私の言葉も気遣いもいらないのだと、そう強く思った。
私が感じる事はアナタには不要で、私が行動することもアナタには不要なのだと強く思った。
転じて、私はいらない人間なのだと思った。
それなのに、私に対して
「お前は人の話を全然聞かない。俺の話をどうでもいいと思っている。」
と言うアナタを恨んでいる。
とても憎んでいる。
<1601> さくら ■2010年01月04日 月曜日 00時00分34秒
関係を修復する手段は本当に何も残ってない。
母親とも弟とも
物理的に遠ざかって、二度と近づかないことが一番。

そんなこともう何度も思い知った。
このサイトも見て、ACの自覚を持って
もうわかりきってることなのに…

いざとなったら子供のままの自分が
「おかあさんごめんね、おかあさんだいすき」って泣く
私にはもうこの家族の外に、信頼できる大切な人がたくさんいるのに
"絶対に叶わない希望"をいつまでも捨てられなくて、
知らず知らずのうちに自分の道を塞いでしまう。

勝手に期待して傷つくことの繰り返し
化膿していつまでも治らない傷みたいに
私なにやってるんだろう?
いつになったらきれいに捨てられるんだろう?
いつになったら自分を認めて歩き出せる?

足を引っ張ってるのは今もう母親じゃない
置き去りにした自分自身
お願いだからじっとしててよ。

もう疲れた
だけど私は生きなくちゃならない

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.