Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 家族過去ログ No.80
メッセージ数:1600件

<1600> oikvdwqqbts ■2010年01月02日 土曜日 19時10分58秒
vIkMdw <a href="http://msxehttpquqz.com/">msxehttpquqz</a>, [url=http://vjwvbdwhohyt.com/]vjwvbdwhohyt[/url], [link=http://xjcxuaievqdj.com/]xjcxuaievqdj[/link], http://afttkgcirolp.com/
<1599> krn ■2009年11月23日 月曜日 22時19分09秒
訳あって同居して6日目。
ついに、キレてやった。
できるだけ、言いたいことをストレートに言ってやった。

相変わらず、わからんちんなアホ母で
こっちの言いたいことも
全く聞いてなかったけど。

ちょっと「アレ?」って思った。
依然ほど、カウンター攻撃にキレがない(笑)。
キレがないっていうか、明らかに「弱っ!」
って感じた。

ヤツも年取ったせいなのか、弱み握られてるからなのか…。
わからないけど、いつも戦いながらも
どこかで恐れていたのに、
今日は恐さはなく、明らかに格下のファイターと
戦っている感じ。

初めて味わう感覚。
何かが変わっていくきっかけだといいな。
もちろん、アホ母が変わるはずはなく
変わるのは自分のみだけど。
<1598> xvekeriloj ■2009年11月15日 日曜日 21時00分45秒
IFqn7d <a href="http://kdzludsymvqy.com/">kdzludsymvqy</a>, [url=http://apmopbbocmld.com/]apmopbbocmld[/url], [link=http://edovwedzdjwg.com/]edovwedzdjwg[/link], http://nfcdvsdelwia.com/
<1597> Reprica ■2009年10月31日 土曜日 23時43分22秒
姉と妹
二人は必要

私は必要?

姉が失敗してもいいように生んだんだろ

でも生まれてきた子はより駄目な子だった

だから妹を産んだんだろ?


もうなんにもいらない
だから最後にお願いだ

嘘に気づいて


もう無理なんだ
私とあの子は違うから
一緒になんていられない

笑っておけば全部いいと思ってたんだよ
そしたら皆とおんなじだと思ってたんだ

でもやっぱり偽者は偽者なんだ
失敗作は失敗作なんだ

変われるわけが無かった

いろんな人に嘘をついてきた
時には自分にも
でもどこか足りなくて、切なくて
嘘をつけばつくほど何かが溜まっていった
そうしていつしかどれが自分か判らなくなったんだ

嫌なんだ

こんな自分
大事な人にも平気で嘘ついて
すぐにあきらめる

嫌なんだ

でもそうするしかないんだ

だから嘘をつき続けるよ

笑い続けるよ

それが馬鹿だと分かっていても



妹まで同じにしたら許さない

あの子は絶対に守りたいんだ

お前のつまらない意地に巻き込んで壊させてたまるか


私は強くなるよ

大事な人を守るために
自分を認識するために

いままで作り上げた嘘を活用するんだ

そのためにも笑い続けるよ


だから待ってて
いつか必ずぶっ潰すから

それまでせいぜいおびえて下さい
<1596> krn ■2009年10月30日 金曜日 21時48分38秒
久々、悔しくて泣いた。
いろいろあって、あの母がクソだってことをしばらく忘れていた。
有難くも、クソ母が思い出させてくれてよかった。
モウロクしたときに、どうやってお返しして差し上げようか、
考える楽しみを思い出せてよかった。

あともう1つ、自分自身がクソ母になりかけていたが、
こんな思いをさせる人間をもう一人増やすところだった。
危なかった。

ありがとう、クソ母。
あなたのお陰で、私は2つのことを思い出し、
悟ることができました。

もう、怒りも湧いてきません。
クソに費やす時間は無駄なので、
自分のために貴重な時間を使います。
<1595> おは ■2009年10月29日 木曜日 08時48分02秒
幼いときは可愛がられていた弟
小学校高学年くらいからそうでもなくなった、、、
弟は半分以上ネグレクトされて思春期をすごしたと思う。
もちろん私も同じ、精神面でのネグレクトと暴言受けてました。

本当にほったらかし。エサ(食事というよりエサという感覚のが近いのでこういう表現にしました。)と必要最低限のお金とか面倒見てたけど
彼は私より重症。私は偶然知ったアダルトチルドレンという言葉ですが、弟は現在も知らないままでいると思う。

友達はいない。
笑っているところ、しゃべっているとこあまり見たことない。
両親を毛嫌いしている、家族全員に憎悪している感じを受ける。
家にいるときは居間にきたこともない。

親は馬鹿だから(親のせいで弟もこうなったのに)
「あいつはしょうもないやつだ、情けない、、、」と本気で言ってる。
自分たちのことは立派だと自負しているようだ。

弟は昔はとても可愛いい心の優しい男の子だった。
両親は仕事のみで家族団らんなんてなかった、彼は放置されていた。
彼を大事にしなかった。
それでこうなった。

「私らも大変だったんだよ、甘えるな」って言い訳しやあがって
そんなことより「寂しい思いをさせて悪かったね」じゃないのか。
心ある親なら
違うだろ、お前ら。親業してなかっただろ、親ということから逃げていただろ
親といい関係を築いているよその家の長男を見ると「なんでうちの子はだめ息子なんだ」って顔してため息をついている、、、自業自得だろ。
お前らが息子を育てなかったんだ。弟の存在を無視しつづけといて。
弟の苦しみや悲しみがあんたらわかるか?
私には分かる。

私はまだこれでもまし、親に正直な気持ちぶつけたことあるから(私の回復には必要だったと今でもおもっている、間違ってない)
言ったところで親は何も変わらなかったけど
本当の言ったら、私を睨んだ。 
こいつもしょうもないって思ったんだろう。
最悪な親です。
それでも、自分たちは間違ってないと信じて疑わない。
自分たちは正しく、出来損ないの子供が悪いのだって、、、
どうしたらいいこの親?


弟はきっと自分を責め続けて生きている
わたしは本当はアダルトチルドレンのことを彼に教えてあげたい。
でも、怖い。
弟が怒りくるって「俺の人生を返せ!」って親を殴り殺してしまうんじゃないかって、、、
弟を救いたいのに、、、弟に幸せになって欲しいのに、、、怖い。
どうしたらいいか分からない
<1594> ohagi ■2009年10月28日 水曜日 01時19分39秒
人と関わることをなるべく避けて生活しています。必要最低限には表に出ます。一応母親なので、役割を果たさないといけないし、、、表面取り繕ってます。他のお母さんともにこやかにおしゃべりします。でも、本当のところは苦しくてすごく疲れるので一人でいたいのです。

ACに気づくまでは自分を責めて生きてきました。自分の出来が悪いから、性格が悪いから、いいとこなんて一つもないし、、親もそう言ってたし。。。がんばればがんばるほど人は離れていきました。

生まれたとき、何だ女か、と病院に父は来てくれなかったと聞かされました。弟が生まれて、とてもかわいがっていたのを覚えています。私が部活でラケットほしいといったらしかめっ面で 売っている中で一番安いラケットを買ってくれましたね。弟は欲しいとも言っていないのに高そうなグローブとバットを嬉しそうに買ってあげていましたね。

小さいとき、私はおばあちゃんに引き取られたね。友達のいないおばあちゃんのペットとして、、、おばあちゃんは優しくもなく、あの人の言うことを忠実に守って幼児期をすごしました。いつの間にか自分の気持ちを言えなくなっていました。嫁姑問題で、いつも私は間に入って辛かった。対人恐怖はその頃から始まっています。抱きしめてもらったことないね。新しい服を買ってもらったことなかったね、姉はいつも新しいの買ってもらってたって言ってたよ。あんたかわいそうだね、って姉にも言われてたくらい

中学高校時代死にたくなるほど悩んでいた時期、仕事を理由にだったか、話を聞いてもらったことも気にかけてもらったこともありませんでしたね。お弁当も見事に一度も作ってくれなかったね。ほめてもらったことないね、けなされてばかりだったね。今でも姉と比べて、、、母は姉がすべて標準と思っているから、、、私はいつも変人扱い。出かけると姉には洋服を買ってあげてたけど、私にはハンカチ一枚も買ってくれませんでしたね。


そんなに私が嫌いですか?私がそんなに邪魔ですか?

生きづらくて苦しんでいます。アダルトチルドレンを知ったのはほんの1年前。振り返ると育った環境でこうなってしまったと理解してからは自分を責めることはやめました。それまでは何も知らずに尊敬する人は両親なんて言っていました。自分はだめ人間で両親は立派な人間だと思い込んでいましたから。。。

だいぶ楽になりました。でも、ACからはなかなか抜け出せません。人といるより一人でいるほうが楽なのです。癒しには長い長い年月がかかりそうです。

かわいそうな幼少期でした。親は気付きもしません。やはり私が悪いと親は責めるのです。もうたくさんです。いっぱい泣きましたから。

食事とお金だけは最低限与えてくれました。
けちな両親でしたが、
家庭を顧みずお金儲けに没頭していた両親はかなり稼いだようです。
家族を犠牲にして働いた金を、今は湯水のごとくばら撒いて生活しています。
高級車、年に4回も海外旅行に行き、ブランド品やお土産を買い近所や親戚にみなに配り歩き
暖かい家庭よりお金が大事だったのですか?
そんなお金の使い方をするために、子供を放っておいたのですか
死ぬまでに自分たちで使い切ると言っています。

私は形だけ母の日に感謝の気持ちを言います。
心にもないことを、相手の要求に応えるだけのために伝えています。
これが精一杯の私にできることです。精一杯の嘘です。

私が死んだら苦しみに寂しさを気づいてくれますか?
死んだら泣いてくれますか?
期待しても無駄ですね、

アダルトチルドレンに気づいたのは子供を生んで数年経ってから、、、
子供には同じ思いをさせたくないと思っているけど
心のどこかで子育てが怖いと思い始めています。
子供を心から愛しています。
無事に育てることができるでしょうか、不安が消えません。




<1593> こうた ■2009年10月26日 月曜日 16時02分14秒
私の家族のイメージは、寒くて固い。
父はお酒を飲むと人が変り、暴言・暴力。
ちょっとしたことで、怒りが湧く。そのスイッチを押さないようにみんな静かにしている。
そうかと思うと、子供をつれていろいろな所へ出かける。やさしい父。
でも、いつもスイッチを押さないようにしていた私。
母は、いつも父の暴力の対象で、アザをたくさん作った。
父が投げたもの。。。イス、机、はさみ、包丁。
表向きは、とても恵まれている家族だったが、裏は悲惨で、周りに隠すことで精いっぱいだった。

父と母は、お金のことでいつもケンカになった。
父は商売がうまくいかず、苛立ち。母はお嬢様育ちで思うことを口にし、稼ぎがない父をばかにした。
子どもの気持ちは無視され、主張も無視された。
成績が良ければいい。だから、気持ちや感情は無視された。

家族の温かみがわからない。
家族のイメージが冷たいまま。
<1592> スーザン ■2009年10月25日 日曜日 23時30分12秒
祖母の家

私が高校生だった頃、祖母の家は清潔だった。
祖母は細々とした手料理でもてなしてくれた。

だけど祖母は年をとって
今、祖母は老人ホームに入っている。

残されたのは50代後半の身障者の叔母1人。
その叔母は、祖母に甘やかされ手厚い世話を受けて来た人で
身の周りの事ができない人。
たまにヘルパーさんは来たけれど、多くの時間を1人で過ごした。

その叔母が先日倒れて、残ったのは空家になった家。抜け殻。

残された家に行くと、足の踏み場もない家。
限られた部屋以外はあらゆるものが30センチの高さで散乱してる。

別の叔母が、掃除をした。
押し入れのふとんから大量のウジ虫が・・・

わたしと母が掃除をすると
段ボールの下から動物の大きめの糞・・・

きもちわるい、きもちわるい、きもちわるい・・・
うんざりだよ。

どおゆう暮らし方するとああなるの?
っていうか、ああならないようにしよう。

身障者の叔母は、今、看護体勢の充実した施設で月20万円使って生活している。

一人暮らしをした4〜5年を除いて
手厚い世話を受け続ける叔母。
叔母は何も生み出さない。
ただ消費する。大量のゴミを残す。

あんな人は、なぜ生きているのだろう?
働いた事もなく、未婚で、子供もいないし・・・だけど皆に世話される一生。
楽そうだけど、そんな叔母も壮絶な生があったのだと
生々しい現実に言葉を失う。
<1591> Reprica ■2009年10月24日 土曜日 22時37分15秒
どうすればいいのか全く分からないんだ。
何にも分からない
考えても考えても頭がぐるぐるするだけなんだ。
がまんすればいつか報われるっていうけど
そんなの絶対ありっこない

「お前なんて要らない」とかいわれても勝手に生んだのはそっちだろ
死のうとしても怒るだけだし

じゃあどうすればいいんだよ
誰か教えてくれ

人はいつか救われる日が来るのか

生まれてきたことになにか意味はあったのか

自分が自分であることにいみはあるのか

なんで辛くても生きないといけないのか

誰か教えてくれ
<1590> かえる ■2009年10月09日 金曜日 01時45分14秒
小さい頃から兄弟やいとこを含め私のまわりには男の子ばかりだった。子供の中では唯一の女の子で、たぶんみんなに可愛がられたんだろう。私にはそんな記憶は残念ながら残ってはいないけど。親戚や近所の人達が、そんな風なことを時々言っていた。きっと私の中の女性的な部分と男性的な部分はこんな環境も影響してるんだろうと思う。小さい時に男の子とはよく遊んだが、幼いながらもやはり自分だけは何か違うと感じていたんだろう。もともと人見知りで怖がり屋で泣き虫で、決して男まさりな女の子ではなかった。父親が怒る度に体は縮こまり自然と涙がでて、しまいには嗚咽が止まらなくなった。私にとって父親という恐怖は長く心に住みつき、なかなか消すことができなかった。成長していくうちに父に対する反感や怒りを感じながらも、やはり父が恐ろしかったし反抗するなんてできなかった。それは、もう遠い昔のお話になったし、私は父の娘であって、驚くほど似てる部分が多い親子だ。けど、父は昔気質で女は女らしくと考えてるんだろう。私がとても男の子っぽい格好をして実家へ帰ると、変に咳ばらいが多くなり話し方もつっけんどんになる。今はもう、そんなのは怖くないし、父は父らしく、私は私らしくでいいと思う。あの家の中で、料理が好きでよく食事の用意をしたり、機会がある度に祖母に着物を着せてもらったり、縫い物をしたり、確かに女の子らしい私が育っていた。今は、そんな自分も嫌いじゃない。けど、まだ自分自身に本当の自信を持ててないと思う。あの家族の中にいて守られ、安心できていたのかもしれないが、ちゃんと自分で自分を肯定できるまでには至っていないんだろう。誰かよその人の問題をもってくるんじゃない。今、自分に起こってる問題を考えるし、現在進行形で自分の生活をしてる。人の振り見て、我が身を正せではなく、自分自身が問題に気付こうとすることが大切だと思う。答えを見つけることは案外簡単かもしれないが、問題提起はとても難しい。
<1589> 深雪 ■2009年10月02日 金曜日 12時53分42秒
「親を殺したら、尊属殺人といって 死刑か無期懲役しかないんだからね。」
こんな事を、10才になる前に母親から教わるような環境って、なんなんだ!?(注・尊属殺人は今は廃止された。たぶん)

やられたかな〜。なんか伝わるものがあるよね〜。

当然、子供の頃は「大きくなったら親に復讐してやる。この思い、思い知れ。」と思っていた。そして成長するに従って、復讐心は消えていった。
まあ、諦めたわけだな。忙しいしね。

そして、周りの人に迷惑と害を与え続けて、母の一生は終わった。
葬式の時に、実姉(私の伯母)に「Kちゃん(私の兄)が死んだのは、Jちゃん(母)のせいだぜ。」と言われていた。私は黙ってたが内心「よく言ってくれた、その通り。」と思っていた。
<1588> てん ■2009年09月11日 金曜日 19時47分57秒
また祖母が私の元に、愚痴を言いにきた。
このところ、それを聞く余裕などない。
いつも、家族のことを一通り愚痴ったあげく、「○○(父や母)に何々してあげなよ」と言ってくるけど、
愚痴言いながらそれって、何なの。
不愉快になる。
自分が思いやりをもって、やってあげればいいんじゃないの、何でも、と思う。

それに、私いつもしてるじゃん。
今母が入院してるから、今日だって朝から料理作ったし、
鍋の中には私が作った料理が入っている。
なのに、そういうところ全然見ないで、
こちらの神経を逆なでばかりしてくる。
一体何なの?
私、あなたのこと、もう背負えないよ。

祖母の人生が不幸なのは、祖母自身のせいだと思う。
時代のせいもあったでしょう。
でも、いつも祖母は愚痴ってばかり。
文句ばかり言って、都合が悪くなると逃げて、
私や母や父にもたれかかって。
私が祖母から教わった格言といえば、
「人を見れば泥棒と思え」とか、
そういうマイナスなものばかり。
苦労はしたんだろうけど…

もう、自業自得としか言いようがない。
<1587> aiai ■2009年08月30日 日曜日 04時03分43秒
父が死んで、母が一人になり、私は形式的に電話をしていた
でも、私のほうに、母への気持ちがないから、母も迷惑そうとういか、母は私のことを嫌っていること、私はわかっているけれど、気がつかない振りをいつもしている。

でも、心の中では私は、母が早く死ねばいいと思っている。
いつ死ぬかなとか、想像すると楽しかったりする。

しょうがない。自分の気持ちも受け入れたよ。
これでいい。母は本当の意味で、母ではないから。
私も子供ではないのはず、と思うことにした。

私が何を言うよりも、相手が死ねばおしまいよ。
母は、死ぬ。確実に近く。高齢出し病気もちだかな・・・
あの人、死ぬとき何考えるんだろうか・・
まったく、母は理解できない、動物みたいに見える
人間ではなく、別の生き物みたいだ・・気持ちの悪いいきもの
<1586> かえる ■2009年08月20日 木曜日 22時35分25秒
摂食障害で病院に通院するようになってから何度も病院を変えた。その中の一つの病院の先生がアダルトチルドレンの本を読んでみてくださいと差し出した。その時に私は読んだ記憶が全くない。でも父や母は本を読んでくれていたみたいだ。後からわかったことで、本の内容は親が悪役みたいに書かれてあり、親からしたら自分の子育てを批判されてるように感じるだろう。。。こんなものをうちの親はよく読めたな。。。それだけじゃなく、病状が悪かった何年間の間に母は自分の子育てが悪かったと自分を責めていた。その時は口先の言葉だけで私の本当の気持ちなんかわかんないじゃんと思ってたし、口に出して母を罵っていた。病気の子供に振り回される母の、親の、家族の苦しみなどその時の私にわかりはしなかった。あの時期に私は自分のしたいようにしていたし、食べたい時に食べ、吐きたい時に吐いていた。今思うと本当に情けない気持ちでいっぱいになる。なぜ、なぜ?私はあんなにも親を憎んでいたんだろう?あの感情はどこへいったんだろう?子供の頃の償い?親に昔を償わせたかったわけじゃなく、ただ感情を爆発させ、違う自分になりたいともがいていた。もう、もがくこともせず、惰性だけで病気に流されていた時期もあり、その時は逆に母に罵られたこともあった。今思うこと。母親は本当に強い。強いよ。修羅場が何度もあり、家族みんなのお荷物でしかなかった私を見放さなかったのはどうして?病院の先生も薬じゃないと言っていたから、私の気持ちが自然に変わるのを気長に待ってくれていたんだろうと思う。病状が落ち着いても、先生には定期的に診察に言っていたし、働きはじめてからも完全に過食嘔吐は消えていなかった。多分、私はあのままあの家にいたらきっと親や家族に色んな意味で甘えていただろう。頑張るのは誰のためでもなく、自分のためだ。気持ちが不安定な時には、まだ自分には通院が必要なのか?と考えたりもするが、自分で自分の感情にけりがつけられるように、今は練習中なんだ。段々に、今まで見えなかったものが見えてくる。
<1585> bou ■2009年08月13日 木曜日 13時46分25秒
疲れた
疲れた。
誰か助けてください
心が動きません。
一人になりたい・・・。
逃げたい・・・。
<1584> なお ■2009年08月13日 木曜日 01時26分59秒
妊娠したときハッピー子育てアドバイスを読んで泣いた。
涙が止まらなかった。
胸がぎゅーッと縮んで締め付けられて苦しかった。
私は、この本に書いてある
子供にしてはいけない事の方を全てされてきた。
「こんなことをされると言われると、
子供はこう思ってしまいます」
あぁ私はこの本の通りに生きてきた。
いつもこうやって胸に憎しみを抱いていた。
何で私だけ。
涙が止まらず親を攻めた。
でも何の解決にもならなかった。
<1583> かえる ■2009年07月21日 火曜日 05時52分20秒
小さな小さな世界。私は家族から何を学んだんろう?何を得たんだろう?あの中で自分なんか必要ないとずっと感じていたけど、今は私が沢山しゃべってニコニコしてる。不思議なもので昔はずっと、自分が家族から得たものなんか一つも無く、むしろ生きるのに不都合な要素ばかりを身につけてしまったと嘆いてばかりいたのに、、、、あの家族の中でしか得られなかっただろう私らしさが、今の自分の生活になくてはならないと感じている。性格や思考パターン、気質、色んなものが遺伝子に組み込まれていて親から私に繋がっている。それは命を繋ぐ上で当たり前なことなのに、どうしても受け入れられずに自分を嫌い、親や家族を嫌い、人が当たり前に生きることから逃げていたんだと思う。自分を嫌い、他の誰かを恨んだり憎んでも決して何もうまれないとわかっていたのに、ずっとずっと親を許せずにいた。それは大人になっても小さい頃の親に縛られていて、自分自身の人生を生きていなかったからだ。私の人生は私のものであり、父や母のものではない。親子なのだから父や母に似ているのは当たり前だが、完全に同じではなく、両親と全く違う私らしさがあってもいい。こんな当たり前のことを受け入れ、自分の生き方ができるまでにずいぶんと時間がかかったけど、それはそれで必要な時間だったんだ。
<1582> てん ■2009年06月22日 月曜日 19時27分36秒
今日ニュースに関して家族と話しながら思った。
わたしは、父に対して、
「お前の言うことなぞ信用ならない。お前の意見なぞ、全て価値のないものだ。」
と思っていることに気がついた。
これって、私が家族の中で受け取ったメッセージに他ならない。
そういうものの中で苦しみながら、私自身も、父に対してそういうメッセージを発していたのだ。
染まってしまってるんだ…

そういう思いの中に、傷ついた自分がいることを発見した。
私の意見が受け入れられない悲しみを、父を攻撃することで紛らわしているような感じ。
その点に関しては申し訳なく思うけど、私は父が嫌いだ。
大っ嫌いだ。
<1581> うろこ ■2009年06月03日 水曜日 23時48分58秒
眠ろうとして、涙がでた。
過去の、必至に助けを求めた時に、得られなかったそれを思い出して。
私の中の子供が泣いている。
過去の家族の助けを求めて、泣いている。
それでも、眠らなきゃ。明日はくる。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.