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私たちの物語 - 家族過去ログ No.8
メッセージ数:160件

<160> kanan ■2004年01月17日 土曜日 01時29分47秒
家族なんて言葉の意味がわからない。テレビとかで我が家の家訓とか親から教えられた人生における教訓とか言ってる人がいるけど、うちにはそんなのなかった。きっと両親は私たちを学校に行かせて、最終的に就職して結婚させることが親の務めだとか思ってるんだろう。その過程で最低お金を出せば問題ないって。だけど私が求めてるのはそんなことじゃないんだよ。精神的に支えて欲しいの。私はお母さんの所有物じゃないし、ストレスのはけ口でもない。小さい頃からお母さんの愚痴を聞いてたけど、その私の愚痴は一体誰が聞いてくれただろうね。この精神的苦痛に対する慰謝料を請求したいよ。私が部屋にひきこもった時だって何が原因でそうなったかなんて聞きもしなかった。私が自律神経おかしくなってお母さんに助けを求めた時だって薬でも飲んどけば?の一言。ああこの家の人には何を言ってもわかってもらえないんだって私は悟ってしまった。結局私が私自身としてどうであるかより、お母さんの目に映る私がどうであるかってことが大切なわけだ。私はその無言の重圧にもう耐えられないよ。
<159> miwa ■2004年01月16日 金曜日 00時26分49秒
最近強く思い出される事がある。私が中学一年生ぐらいの頃だ。中華料理の店に家族全員で行ったとき、父が私に、セルフサービスの水をくんでくるように言った。「中学生にもなって親の言いなりになっている」と周りの人に思われたら嫌だと思って断ったら、いきなり怒られた。なにがいけないのかもわからず、とりあえず謝ったら、「もう遅いよ。」とはねかえされて、重苦しい沈黙のなかで、ラーメンを食べた。恐ろしくて味なんかわからなかった。店を出た後、車に乗り込んだら、父が私に、「おとうさんに対して、あの態度は何だ。車を降りろ。歩いて帰れ。そうすればゆるしてやる。」と言い放った。私はもう一度謝ったけど、やっぱりだめだった。車を降りて、泣きながら一人で帰った。家について、しばらくして家族が帰って来た。父は、何事も無かったように笑ってた。私は悔しさに泣きじゃくった。母はなぐさめてくれたけど、父は無視していた。父が憎くてたまらない。
<158> ミルキー ■2004年01月14日 水曜日 16時33分08秒
私には夢がある。
好きな人と結婚して、子供を生んで、幸せな家庭を作ること。

でも、分かった。
無理だ。私にはあいつと同じ血が流れている。
ストレスたまると破壊したくてしょうがない。
私もいずれ虐待ママになるんだ。
なら生まないほうがいい。

フェミニストとして生きていくほうがいいのかもしれない。
うちの場合、確かに世代交代がおこなわれてきた。
みんな傷ついてきた。

自信ないよー。
誰かが止めなきゃ終わんない。
<157> シャローナ ■2004年01月12日 月曜日 20時56分50秒
うちの家族には軸ってものがない気がする いっしょ食事をしてもただ食べているだけ ただ人がいるだけ テレビがついているだけ 会話はただ一方通行にしゃべるだけ 皆それぞれが忙しく自分のことだけをやっている どうしてこれでいいんだろうか なんでこれで信頼が保てるんだろうか 家族っていう人に対して自分の思い込みを見ているだけなんじゃないの? 会話や関わりがないからそうできるんじゃないの? 確かに以心伝心ていうのはあると思うけどこんなにバラバラな家族の生活では以心伝心は成り立たないと思う そんな中で私は自分を自由に表現できないイラダチを覚える 本音をいえば成り立っているかのように見える虚像が崩れるから家族に総攻撃を食らう でも本音を引っ込めても考え直さなければ消えることはないから他でも同じことをくり返してしまうんだよ ほんとうにイライラする この頃携帯電話がここまで普及するのもわかる気がしてきた しょっちゅう話して確認しないと信じられるものがないんだよ
<156> シャローナ ■2004年01月11日 日曜日 22時06分35秒
まだまだたくさん怒りやら恨みやら出てくるとは思うけども
今までの関係とは違う関わりを試行錯誤しながら作っていくっていうのは
いいと思った。今までのような暮らし方ではなくなると思うけども
そのほうがいいような気がする。だからただ察し合って確かめることなく
やり過ごすのはもうしないよ。私は犠牲者じゃないんだから。
<155> ノラネコ ■2004年01月08日 木曜日 09時19分56秒
私は三人兄弟の真ん中。
「姉と私」という組み合わせの時、私はプラケーターやクラン。
「弟と私」という組み合わせの時、私はイネイブラー。
汎用性のある子供だったわけだ……
<154> 太郎 ■2004年01月07日 水曜日 19時05分32秒
中学から10年間何回夫婦喧嘩というものを見せ付けられただろう。親の愚痴を何回聞かされただろう。あの狭い家で、殴り合って、貶しあって。家出を何回止めただろう。あの喧嘩は俺のせいだと思ったのは何回あっただろう。
<153> 太郎 ■2004年01月06日 火曜日 17時05分43秒
人生は教科書通りに行かないのはわかっているのに、教科書通りしないと怒りまくる親。いっぺん試験を受けてみろ。教科書を丸暗記してみろ。
<152> ノラネコ ■2004年01月06日 火曜日 09時59分37秒
バブルがはじけた頃にリストラされ、以来職も探さず引きこもりの父。
彼は何かの世話をするのが大好きだ。
でもそれは相手のためじゃなくて、自分のためなのではと最近感じるようになった。
職を失ってからというもの、いつも卑屈で「自分が情けない」と言いながらも、母や私たち子供を常に見下していた気がする。
私たちを弱いものと決め付け、世話をしないと生きていけない弱い存在のままだと勝手に決め付けていた気がする。
それがすごくうっとうしくて、息苦しかった。

姉が、そして私が家を出、今度は弟が家を出る事になって、父はかなり元気がなかった。
だから、新たな『弱いもの』 を手に入れたんだろう。
血統書つきの、世話のかかる大きな犬だ。
すでに一匹、雑種の犬がいるのに。
先にいた犬は、ヤキモチを焼いて必死で鼻をならしていた。後から来た犬も、構ってほしくてヤキモチを焼いていた。
その二匹を両手で撫でながら、父が嬉しそうに
「二匹ともヤキモチ焼きで大変だ」
と言っていた。

ぞっとした。
その犬たちは飼い主である父の愛情が欲しくて必死なのに、父は嬉しそうなのだ。愛情が欲しくて必死…それだけ犬たちは不安を抱えているからだろうに…。そんな思いをさせておいて、何故嬉しそうな顔ができるのだろう。
父は『弱いもの』 の世話で手一杯にならないといられないのだろうと思う。
私がどんなに父から心配されても、どんなに色々してもらっても、全然嬉しくもなく、むしろムカついていたのは、父が私のために心配していたからじゃないと、薄々気付いていたのかもしれない。
大体、本当に子供の事を心配しているというなら、自分の作った借金を背負わせようなんてしないでほしい。
<151> WINNIE ■2004年01月05日 月曜日 04時07分29秒
私の育った環境には親だけでなく、兄弟や祖母など家族の心のひずみが、いろいろとあったと思う。

それぞれに対して持っていた不安が、今の私をいろんな形で不安にさせている。

書き出せば、具体的な説明が長くなりそうなので、今はやめておくけれど、私を振り回す不安を、どうしたらいいのだろう。外へ出たい、人と関わりたい、そうやって飛び込んで行っても、関係を続けるのに息が切れてしまう。

孤独の方が、楽だろうか。ずっと引きこもったまま?
<150> シャローナ ■2004年01月04日 日曜日 17時29分13秒
今年の正月は変な感じで過ぎている。別にやっていることはいつも通りなんだけども、正月に触れていない感じ。いつもは正月のあいだは気持ちが落ち着くとか、着地するとか、休むとかそんな感じがあるんだけども、今年はそれがない。ちがうゾーンにいるみたい。いいんだろうかこれは。それともこれがいつもさけていたものなんだろうか。
<149> まぁ ■2004年01月04日 日曜日 15時49分43秒
今年の年末年始ほど辛いものはない。
ACと自覚してからの初めての年末年始。父親の長期間の在宅。
目もあわせたくないとはっきり自覚した。
もっと言えば、父親の兄弟にも会いたくない。目が似ているからだ。
口調もそっくり。何も分かっていないくせに全部分かったようなえらそうな口調。人の都合を自分で決めてしまう。そんなの何でお前がわかんだよ。わかんねぇだろ。ばかじゃねぇの。
父親の家族はとてもゆがんでいる。みんな離婚していて、家族で集まっても腹の探り合いのような会話しかしない。お互いを心から気遣うような会話は、弱みを見せたくないのか、聞いたことがない。
ウチはかろうじて離婚してない。母親がいい人だから。
「お母さんたち夫婦は、こういう形でいいと思ってるんだから」と彼らの夫婦像への口出しを拒否されたことがある。
しかしそれは間違っていると思った。
二人はそれでよくても、それを見て育つ子供はどうなる?
それに対する責任は?
それ以外の夫婦像を見て育たない子供が、「ウチはまともじゃないかもしれないけど、あんたはそうじゃない夫婦になればいいのよ」と言われて、「そうじゃないまともな夫婦」を作っていけるのか?

そんなことを始終考えさせられた。
つまらない年末年始。
親戚行事で年末はすべてつぶれ、年始は疲れて遊ぶどこどころじゃない。
私がやらないと、と思ってやってきたけど、なんて馬鹿馬鹿しいと今年初めて気づく。
行事をやりたいのは親じゃないか。
私じゃない。
どうしてそれを今まで、何も疑問もなく年末はつぶれるものだと思い込んでいたんだろう。
不思議で仕方ない。

早くカウンセリングを受けに行きたい。
この思いを誰かに聞いて欲しい。
だれも信用できないから。
<148> NAC NAC ■2004年01月02日 金曜日 01時28分38秒
今日はこれで最期だろう。
書き込まなければ気が済まないし、私の感情が整理されない。
そもそも正月そうそう、しかも深夜までここネットカフェにいること自体が「寂しい」証拠である。
私はとりあえず「第一合目の寂しさ」を認めた。
正確には、純真無垢な私のインナーチャイルドの素直さと、私の狂気を孕んだ「怒れる戦士」がお互いに妥協して、思いやって認められた副産物である。
彼らは(他にも数名いるが)私の中の新しい精神的家族である。
現実の私の家族の修復は如何ともしがたいものがあり、私は先にこちらと仲良くして、コミュニケーションを量り、最終的に皆と和解できるように自分を持っていく。
そのためにも私には「機能する家族」のモデルが必要だ。
自分で経験もせず実感もないものを、「本」を読んだだけの頭でっかちでは足元が覚束ない。
まず「土台となる家族像」が私には必要である。
幸い、私には遠方に大学時代の友人A君がいる。そしてA君の弟のBとも、私が大阪にいたときにお互い「あ〜でもない、こ〜でもない」とアホなことばっかしやっていた仲である。
Aの結婚した姉貴も「あ〜らKさん、いたの〜? 家族みたいでわからなかった」と言っていたことがある。
本当は「いつもいつも厚かましいわねKさん」と皮肉っていたのかもしれない?
私からすると、Aの姉貴はちょっと気が強いのは確かだ。それはAも認めている。
なにはともあれ、今まで私は非常に厚かましくKの実家に、盆に正月に、とお邪魔していた。
ほんとにお邪魔していた図々しい私。
それでもKの実家は「私が息子の友達」ということもあってか、嫌な顔一つせず暖かく図々しい私を迎えてくれた。
私は何回も心地いい一時を静岡の山奥で過ごさせてもらった。
最初Kに、夜実家に連れて行かれた時は、狸も見え、「一体俺をどこに連れて行く気だ? こんな山奥に人間が住む民家なんてあるのか?」と私は内心思ったものである。
星もよく見え、手が届くかと思うくらいの標高だ。
一夜明けたときはびっくりした。
「こんなに高かったのか! 凄いところに来たのぉ〜」と思ったくらいだ。
「人間の欲」とは無縁?の世界のような、まさに俗世から隔離されたような集落だ。
そうはいってもKの家族だって「感情を持った人間の集まり」だ。
感情鈍磨で育った私には気付かないところで、Kの家はKの家なりに、大なり小なり問題があってもおかしくない。
でもその問題のレベル「タブーにするか否か」は、私の実家とKの実家では明らかに違う。
雰囲気が違う。あの雰囲気は装って出せるものではない。
私のその辺の嗅覚が鈍感じゃなければの話ではあるが、家族の雰囲気ってのはいやがおうでも、自然と細かいところに滲み出て、他人にもそれとなく分かるものだ。
当時の私は、無意識にKの実家に「理想の家族像」を投影していたのであろう。
うちとは会話の質が全然違う。
Kの実家は多少の「あ〜でもない、こ〜でもない」はあっても、家族全員でコミュニケーションしていて、偏り過ぎたものが私には見受けられない。
「いいよなぁ〜家族って。うちもこうありたいよなぁ〜」と私は何度思ったことか。
そういう家族内で感情の交流を当たり前にしている「感情の風通しのいい」家族をもっと自分の身近に感じるように、自分で働きかけ「機能する家族」を探さねばならない。
「他人にも暖かいものを感じさせる家族」は私にとって貴重な存在であり、私もそういう家族を自分の手で、皆で協力して作りたいと思う。
ありがとうございます、K君の家族。
私は目に見えないものをあなたたちからいろいろいただいていたみたいです。
今年の正月は電話での挨拶だけだったけど、またお盆にお邪魔させていただきます。
そのときはよろしくお願いします。
<147> 牧人 ■2004年01月01日 木曜日 01時32分36秒
やだな…。
今日に限ったことじゃないけど
しんせきとか家族で集まらなきゃいけない日はユウウツだ。
会って話す事って、どうせ誰かん家の悪ロとかウワサだろ。
ゴーマンな意見のやりとり、まるで全てを知ってるかのような
ロ調。
こいつらに態度で示したい
このロからどれだけこいつらが嫌いかとその理由をぶちまけてやりたい
どうせ「誰が今まで金払ってやったと思ってんだ」「てめえはもうメシ食うな」しか言えねえんだろ。「このバカが」がロぐせだもんな。ボキャが減るわな。

あきらめられない自分はカイフクおそいべな。
殺さないまでも、刺したら少しは、苦しんでるってわかってくれるかな。
死んだら困るんだよ、お前が大好きな「お金」の事でな。

金払えば刺させてくれる?
今年もいやなイべントでまくがあく
本当自分がみじめになる
愛情もカネも借しむ父には、しっぽふる犬にあげるエサしか
持ち合わせがない様だ。
相変わらず「逃げられない」放し飼いは続く。
目があらさがしをしてる。俺の名前は「てめえ」らしい。

“どうして反抗しちゃいけないの?”
<146> マンボウ ■2004年01月01日 木曜日 00時17分45秒
ひさしぶりに母親を怒らせてしまった。そして、なんと数日、口を聞いてない。ごはんも何度かスルーした。年末だっていうのに自分の部屋しか掃除してないよ、私。一応、窓拭きの約束があったから今年はきちんと約束の期限の通りに終わらせたのに「もうやったのになんでそんな無駄なことするんだ!」って言われてから一切手伝わなかった。こころが弱っているときってこういうぐっさりくる言葉はもうだめだな・・・。ただでさえ引きこもりたいのを押してなんとか掃除しようとしてるのに。・・・でも、いま家族を放棄して自分のことを考えてるとすごく楽になる。いつだって私は考えている時間、悩んでいる時間を認めてもらえずにきたから。「悩むのは暇だからよ」というのが母の結論。いつだって悩むことは非生産的な作業だと言われてきた。だったら、いまこうして悩んでいる私はなんなんだろう。・・・っていうか暇を作ってまで悩んでいる自分を否定しないけど、悩まざるを得ないこの現実はどうすればいいの?誰だってあるだろう、そんな時。母さんだって一年前おばあちゃんの介護でくたくたになって父さんともうまくいかなくなって離婚まで考えていたのも知っている。私たちをほうって夜中車で飛び出したこともたくさんあったよね。あなたはあのときの自分を無理もない状況だから仕方ないと思っているんでしょうけれど人の悩みなんてそれぞれ重さが全然違うんだから勝手にはからないでほしい。いま、私はあなたたちの過干渉をうけずにいて心はすごく平穏を保っています。だけど、いつまでもこのまんまじゃどうにもならないから近いうちに謝るつもり。でも、その際、ちゃんと伝えたいな。私は本当に最近自分がACだって知った。そして、ずっと親不孝な最低人間だと思っていた自分からなんか変われる気がしている。決定権がいつだってなくて空想の世界でしか自由に生きられなかった私。でも、そうじゃなくなるかもしれない。・・・もしかしてそれは、あなたたちと決別するという結果になるのかもしれない。いまの私にあなたたちの哲学や正しい論に惑わされずにはっきりとものを伝える自信ないんだけどさ。だってまだまだ支配されたまんまだし。
<145> 霧の森=夕霧&朝霧 ■2003年12月29日 月曜日 15時29分26秒
早く結婚しろってさー。
早く結婚しろって言われたよー。
うわーうわーうわーうわーうわーうわーーーーーーー。
早く結婚しろって!!!!!!!!!!
この私に!!!!!!!!!


心が渇く。
ひからびる。



>管理人さんへ。
ずっと「霧の森」というハンドルで来ていました。下のカキコから「霧の森=夕霧&朝霧」と書きました。なぜかというと、別の場所(自分の場所です)にほぼ同じ事を書いたので、同一人物であることがわかるようにしなければいけないと思ったからです。不適切でしたら削除お願いします。
<144> 霧の森=夕霧&朝霧 ■2003年12月29日 月曜日 15時11分40秒
運命!運命だって!私を生み出した生き物曰く。
私が地獄行きなのは運命だと。地獄のような・・・・。

当然、むこうは地獄だなんてわかっちゃいないんだ。でも私が死ぬほど辛いということはやっぱり地獄なんだ。「私が悪いから」なんて簡単に思えるんだ。むしろ、むこうはいいことだと思ってやっていることの多いんだろう。いいと思っているか、もしくはそんなことまで考えていないか。それをむこうの思った通りに受け取るのが死ぬほど苦痛なのは、わたしのせいじゃない。なんとしても逃げなくちゃならない。逃げ出すことだって悪いことじゃないんだ。当たってくだけたって、悪い方向にすすんでもいい方向には進まない。
それをわかっているなら、逃げるべきなのだ。逃げて行き伸びなくちゃならない。

でも、疲れたんだ。本当に疲れているんだ。これ以上何も戦えないくらいに。これ以上対抗も抵抗もできないくらい疲れているんだ。せっぱつまっているんだ。でも、やっぱりいくつも修羅場や、狂人手前まで行きながらも強く生き延びてしまった自分は生きていけるんじゃないだろうか?生きている方が辛いことだってあるとは思う。でも、今度が最終電車。これに飛び乗って行かねば本当に生き延びたいと思う気力も無くしてしまうだろう。

まだ逃避行の列車には乗れないけれど、最終列車だろうがそれを作り出せているうちはまだ・・・・。といっても二年後だけれど。あれに関わるたびに自分がどうしようもないクズに思える。酷い人間に思える。幸せなのに嫌だと思うなんて、なんて不幸のヒロインでくだらない人間なんだと思ってしまう・・・。
<143> しらゆき ■2003年12月29日 月曜日 00時03分35秒
お母さんは今日も男の人のところへ行っています。
相手の家族にも反対され私だって決して賛成してるわけでは
ないしむしろ反対してるくらいなのに。。
せっかく実家に帰ってきても娘より恋愛が大事な、彼女自身もさびしいんだろうな。私だって寂しいんだよ。
クリスマスはいつも一人だった、というお母さんのメールを
みつけたけど、ほんとに一人だったのは私なのにな。
今は帰省中の私だけど、春からこの家には父が住む。
父親なんて役割何もしなかった男と。。
そして母親は新しいだんなと暮らす。
私の居場所が本当になくなってしまった。
どこに帰ればいいんだろう?
<142> シャローナ ■2003年12月27日 土曜日 13時45分39秒
父親が「しかたないよな、仕事だから」といったあと
うんとうなづいてしまった
この家族の掟にのまれている私がうなづいてしまった
服従って感じだった
そして話を聞いていても他人のたわごとを聞いているようで
白けていた
白・・・ブランク・・・空虚
父親が隣にいても何もない感じだった
私はこの家族の掟にはもう賛成していない
近づけない
<141> シャローナ ■2003年12月26日 金曜日 23時57分11秒
父親と小さな娘が仲良くしている姿を見て
自分のインナーチャイルドがどう反応するのか観察したら
何も無い感じだった
私は父親に抱っこされたり、頭をなでてもらったり
甘えたり、抱きついたり そんな子供らしいことは
一度もしたことが無い
父親のそばにいて安心した記憶もない
だからそんな父娘を見ても他人ごととしか見えないのか
とにかく反応がない
これ空虚感なんだろうかとも思う
もっといろんな気持ちが出てくるといいな

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This script written by Shintaro Wakayama.