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私たちの物語 - 家族過去ログ No.79
メッセージ数:1580件

<1580> うろこ ■2009年05月28日 木曜日 23時57分58秒
昨日、家族のうちの何人かと衝突した。
衝突というよりは自分の心の内をひきずりだされたという方が、自分としては実感だ。「どうしてほしいの」「何が不満なの」「それで、そうしたらどうするの」心の内を話すというより、責められているようで・・・何が何だかわからなくなった。私は姉とわかりあえる日などこないのかもしれない。
<1579> 秋 ■2009年05月27日 水曜日 00時29分49秒
すごく胃が痛い。最近夜になっても寝れない。
一時間くらい空想してる。浮かぶのは気味の悪いことばかり。

同じように過ぎしても同じ日って絶対ない。
体調も食べるものも食べる時間も対人の機嫌も様々。

父は病気のせいで家族にあてっていると妹からの相談を受ける度に
胸が痛む。
妹はおねえちゃんはそこにいないからいいよねって言いはしないけど、
内心思っているのではないかと疑心暗鬼になる。
だから自分の持ってる数少ないユーモアと自虐ネタで和ます。
私ができることといったらそんなことしかない。

でも跡継ぎとか子供の話をされる度に余裕はなくなり、
甥のいる前で子供は嫌いだって言ってるでしょ!と言ってしまった。
何故本音を言うとこんなに険悪になって自己嫌悪になるんだ。
私に子供が嫌いな理由はここで言わせる気なのかと思ったとたんに
あげかけた手を心の中で下ろし、冷静にクールダウンを行う。
厄介なことになるのはたくさんだ。
母が家の端ですすり泣く声が頭の中で何度も聞こえた声がして、
父との会話をうまくあしらう。

自分の実家でありながら恐ろしく神経を使っているのだなと
自分でも驚く。
母が自分の実家なんだからドンとしてればいいんだよ。って言われる長女って
どうよ。
帰る度に父から土産の催促はされるし・・・。
<1578> みゅー ■2009年05月25日 月曜日 00時25分59秒
すっかり手が止まっちまった。外は雷ゴロゴロいってるけど、あたしのはらわた火山もゴロゴロ噴火してるっつーのよ!
昨日の深夜「父親」が、またあたしのチャリ使って酔っ払って、チャリごと倒れて、母親も付き合いだからって、しぶしぶ一緒に出てったけど、その父親のケガの手当を、妻でもない、なんで娘の、あたしがやんなきゃなんないの?!

お母さん、オロオロばっかしてさ。ドジで外科の世話になってたあたしだけど、プロの看護婦さんじゃないのに、親のヘモグロビンの臭いがただよいながら消毒してさ、化膿止めの軟膏塗ってさ、お母さんには「次、サージカルテープ、次、大きめの湿布…」で、酔っ払って手足うにゃうにゃさせてる父親の怪我の腕、片手で力づくでおさえてさ。不潔恐怖のあたしは後で手を洗いまくった。

お母さんは「ごめんね、ごめんね。あんたがいてよかった」…って…。兄ちゃんは昨晩も、さっきも血見るの怖いのか、ずっと隠れてたし。 あたしだって今日から始まった生理と、薬のんでもおさまんない酷い生理痛と、自分のヘモグロビンの臭いだけで、かなり…いや…年々酷くなる生理痛でつらいかな…。

自転車買って、たいしてたってないけど、もうすでに父親が乗り回してて、すっかり私物化。しかも昨晩のことで、あたしのチャリが、どうなったのかもわかんない。

もうチャリ買わね。どんなに帰りが遅くなっても歩いて帰る!しかし、いくら昔あたしが看護婦さんになるのが夢だったとはいえ、理科が苦手だったから小4であきらめたんだよ。 ほぼ新品のチャリ、また取られてボロにされて、無給で娘が手当って…。 あたしが、こんなバカで親不孝な娘だから?!お母さんは、いてほしいときに、あたしのこと、いつもおいてきぼりにして、兄ちゃんのこととか色々任せてくけど、ほんとはずっと寂しい思いしてんだよ。しっかりなんてしてない!!
もし、あたしが死んでたら、いなかったら、こういうときどうするの?    あたし一生ここにいなきゃ、お父さん、お母さん、兄ちゃんのこと心配で家なんか出られないじゃん。
<1577> ねこ ■2009年05月24日 日曜日 15時30分15秒
家の家族がおかしいなんて思ってなかったな。

ちゃんと衣食住がそろってて、学校にもいかせてもらって
それなのに、こんな子にそだってごめん。
公務員にもなれんかったし、育てて損したね。
でも、今まで生きてるのは親に育ててもらったからだから
私には死ぬ権利はないよね。そんな勇気もなかったけど。

この考えが、普通じゃないなんて、
思ってもみなかった。
<1576> ねこ ■2009年05月24日 日曜日 15時13分45秒
今日、ここを見て
初めて自分がACだと気が付きました。
涙が止まりませんでした。
意味も無く、生きている事がつらくて・・・
でも、会社ではよく
「いつも笑顔で、明るくていいね」って言われます。
だって、私にはそれしか、嫌われない方法がわからない。

離婚した夫は、働かずに暴力を振るう人でした。
「おまえなんか、セックスする以外はなんの価値もない女だ」
と言われながら、3年間生活しました。
共依存だったのだと思います。
父も母もきちんとした人で、普通の家庭です。
でも、離婚して子供を連れて戻ってきた今も
子供の頃も、母が機嫌が悪くなるのが怖いです。
30も過ぎて、母親の一言にびくびくして・・・
そんな自分がみっともなくて大嫌い
そう思って生きてきました。

サーカスの象のように
ずっと・・・一人ではどこにも行けない
そう思っていたような気がします。

前回の結婚で、心配をかけたから、
今度はずっと家にいて
親の老後を見なければ。
そうでなければ、お母さんが喜ぶような人と
再婚をしなければ。
今は自分も母親なのだから、恋愛をする事自体が
悪い事なのじゃないのか。
24時間、365日を子供にささげるのが、良い母親のはず。
こんな暗い、なんの取り得も無い自分が再婚などしても
幸せになれるはずがない。
こんな考え方からは脱却できるよう、少しずつ努力してみます。
そして、子供と一緒にお嫁さんに来てほしいと言ってくれる、
彼と今度こそ本当に幸せな家庭を(完璧な家庭ではなくて・・・)
持ちたい。

出来るかな?
今は自信がないや・・・
とりあえず、自分を好きに・・・
自分が大好きな彼に、「大好き」って言ってもらえる自分を
ちゃんと認めてあげたい。
過去にたくさん間違った自分を、許してあげたい。
私の子供に対しても、母と同じ事をしたくないし・・・
くじけそうになったら、またここにきます。






<1575> かえる ■2009年04月27日 月曜日 17時49分07秒
私は今の自分や暮らしを手に入れてなかったら、親や家族、世間の人達をまだ恨んでいたかもしれない。嫌っていたかもしれない。結局は自分の招いた己の責任だとわかっていても、どうしても憎しみや怒りは抑えきれなかった。今、昔の修羅場や狂った生活を思い出すと、本当に親に申し訳ないと思う。そして、どんな私でも決して見放さなかった両親をすごいなと思う。それだけで私は父や母に愛されていたんだと実感できる。あの頃の父は私がどんな馬鹿な事をしても、子供の頃のように激怒しなかった。きっと父もどうしていいのかわからなかったんだろうと思う。その反対に母は強かった。決して行動派でない母が、私の病気に関してはできる限りの努力をしてくれた。あの頃はきっと親の方が私自身よりも真剣に病気について考えていたかもしれない。私自身の気持ちが変わるまでには長く時間がかかったし、心の中で綺麗さっぱりと完全に問題が解決したわけでもなかった。けど、きっと答えを探そうともがいていた時期に、段々と強くなれたんだろうと思う。どんなことになろうと、逃げずに自分で自分を支えていく力が欲しかった。親や家族だけじゃなく、友達、まわりの人達に助けてもらいながらも、自分の責任は果たさなければだし、気持ちの整理をうまくつけられるように、毎日が気付きと勉強なんだろうな。
<1574> ぺあ ■2009年04月21日 火曜日 21時25分53秒
姉は、共依存者だ。
私は、小さな頃から、ずっと、「お前はばかだ」って言われながら、育った。
「お前は、世間的に通用しない、馬鹿な女だ」と。

私の家は、父が母にそう言っていた。気がつけば、姉と父で、母をせせら笑うのが、うちだった。
姉の私へのさげすみはすごいものがある。そして、彼女は、この家の異常性に気がついていない。
「皆何かしらあるんだよ」
そう一蹴される。

私も多分、おかしいと思う。訳分からない世界で生き延びてくるために、やったことは、感情鈍磨、恋愛依存、マスタベーション依存、そして、自傷や、私は殺人者ですって、神様に頭の中で言い続けることだった。(自分いじめ)
ずっとずっとずっとずっとずっと、自分で自分をいじめることがやめられなかった。だって、世界は、私にとって恐怖そのものだったから。誰が何をするのか分からない世界だったから。父の寂しそうな姿。姉のさげすみ、父のさげすみ。そして、あの悪夢のような学校が・・・。誰が何をするのか分からない学校。暴力と心の殺人者がうようよしている、あの残酷な子供のいる学校。学校。学校。今でも女の子供がいやだ。憎い。ものすごい暴力性が出てきてしまう。子供は怖い。怖いの。
<1573> るり ■2009年04月20日 月曜日 23時13分17秒
これからがこわい。
高校・大学の受験の時母親と話が合わなかった。
つらかった。
死にたかった。
最終的に母親の言いなりだった。

今大学3年生となり、今年から就職活動。
公務員をこの頃考えるようになった。
でも、母親にそれを言ったらまた否定されそうで怖い。
また、「お前には無理」って言われたら怖い。
思い出すだけ体が震える。
思い出すのが怖い。
身動きが取れない
苦しい
誰もわかってくれない

助けてっていえる人がいない
みんなにお前が弱いから、と否定されそうで怖い
怖い。。。でも助けてほしい

なんでこんなに弱いのかな?
人に弱みを見せることができない


GWは帰省しなければならない
母方の祖父・祖母が入院してしまった
祖父母の心配よりも。。。母親に会うことのほうが恐ろしい
何を言われるのかな?
どのようにけなされるのかな?
どのように絶望するのかな?

もう思い出したくない。。。
<1572> みゅー ■2009年04月19日 日曜日 21時51分15秒
ぢった向けば楽になるるかわかんない。左下あぱらびねしをぞうしたのあばらほねが痛い深呼吸すると痛い。神経痛かなさっき薬採るのにかがんだら立ちくらみしてから他起こせなかった。つこ向いてまちらう。痛いぢっちむけばちすくてだれか。痛いだいじゅうびても居間だけつもらきにして
<1571> moo ■2009年04月15日 水曜日 20時57分16秒
今になって思うけれど、ウチの家族は本当に歪だった。

血の繋がりのない母方の爺さんの後妻
能力の低さと統合失調症で社会に適応できず実家に寄生するしかない伯父
マトモな価値観を持ちつつも身体的ハンデを背負い暗い過去を持つ婿養子の父
ワガママ放題に育てられた社長の娘である母
他人を省みない行動言動の末に孤立し統合失調症になった兄

当然、そこで構築される人間関係は極めて不健全なものだった。
でもはじめから正常な家族のあり方なんて知ってる子供なんかいない。
幼い自分はこの家族が異常だなんて思いもしなかった。
虐待すら日常的にある家だったというのに…。
母と兄は自分が絶対に正しいと主張する人達だったことも災いしたと思う。

10歳位、普通なら自我が目覚める頃かな、違和感を覚え始めたのは。
でも家族の中でたびたび起こるいさかいを極力避けるために、
自分の欲求、感情を抑えていい子にしているしかなかった自分は、
その違和感にちゃんと向き合わなかった。
というより、向き合うなんて考えもしなかったな。

今となってはその違和感と対峙して、家族と戦っていれば…と思う。
異常な抑圧的環境に適応しつづけた俺は、人と適切に関係を築けずに苦しんでいる。
20半ばになってようやく問題を自覚して、感情、感性を大切にできるようになってきた。
でも、それは普通の人が十数年前に通り過ぎてきた場所。
歳相応の感覚に追いつくにはかなりの時間がかかるだろう。
輝かしく幸せな青春の記憶ももう作れない。
だからこそ、これからは自分を大切にして生きていこうと思う。
俺はもう十分苦しんだんだ。

まだしばらく実家にいなければならないけれど、もう恐れることはない。
家族だからなんだっていうんだ、所詮は他人なんだ。
それだけで俺が我慢しなきゃならない理由なんかない。
<1570> aiai ■2009年04月04日 土曜日 15時46分55秒
うんざり、息子と話をするのは、もううんざり。
<1569> halu ■2009年03月29日 日曜日 12時41分41秒
小さいとき漠然と自分って他の子と違う・・・何か変?ってこと、高校生ぐらいから知り始めた・・・変な原因を知りたくて、いつもうつっぽい父親の愚痴や話を聞いたのだ・・・原因を知りたい為。そうしてはじめて知った事、父親が今までに10回以上転職してても、転職しすぎて貯金無くなって・・・って事など・・・聞く事によって私もうつっぽくなったり病院通いをしたけど・・・やっぱり聞いてよかったと思う。でももうあんまり聞かない。聞いた事を半面教師にして生きていくだけ!!
<1568> halu ■2009年03月29日 日曜日 12時28分01秒
父親が今までに10回以上転職してても、転職しすぎて貯金無くなって、自分で学費払ったり、家のローンを親の代わりに払ってても・・・負けない!自分の幸せの為貯金も頑張る、生活習慣も正す、他人とはほどほどに付き合うそのために精神的に自立して相手に迷惑かけすぎない・・・全て親の、主に父親を反面教師にして頑張る!そのとき父親の事を許せる日が来るかもしれへん・・・どんな愚痴も人それぞれ大変やったんやって聞き流せるかもしれへん・・・だからそれまでは家族のこと無視する!今まで気にかけすぎてたかも・・・でも大変な時はやっぱり家族をほっとかれへんけど・・・でも基本はほっておく!自分の事を頑張る!!
<1567> halu ■2009年03月27日 金曜日 22時47分32秒
父親は自分の妹に2度雇ってもらっている。
だまされたり、えらそうに言われて辞めたみたいだけど・・・
大企業に勤めて、仕事頑張ってたら、その妹の中小企業の中でも小企業に行かなかったんちゃう?
たとえ、妹に仕事手伝ってって言われても、大企業で働いてるからって言えたんちゃう?
言えなかったのは、中小企業で5年以内にいつも転職して、会社では居場所無かったからちゃう?
年齢的にも転職が難しいときに、会社辞めて・・・手伝ってっていう言葉で妹に雇ってもらったんやろ?働く先無かったんやろ?45歳で5回くらい転職してる人雇う企業は少ないやろ・・・
解雇理由はどうあれ、雇うとき、行く先無くて雇ってもらってるのに・・・ね。
兄弟やから、もっと解雇するとき卑劣な仕方を取らなかったらよかったんやろうけど・・・雇ってもらってる恩があるんちゃう?
私なんか、親のコネは期待できないし、こんな感じで親は親戚と敵対心持ってるから親戚のコネも期待できへんし・・・私なんか自分の力で働く先見つけなあかんのに!!
父親!いつもでも妹の事うらんでんと、距離を置いたら良いのに!距離を!!
<1566> てるてる ■2009年03月20日 金曜日 22時06分17秒
ねえ、お父さんお母さん。
あなた達は私の成績が良ければ、それ以外の問題には目を向けてくれなかったね。
私がいじめで苦しんだ時も、友達とうまく付き合えなくて苦しんだ時も、
「いい加減にしろ。お前の愚痴はもうたくさんだ。」
と突き放したね。
「周りの人間はレベルが低いんだ。」
というのがあなた達の口癖だったね。

私が生きるためには私は一人でなけりゃならないと私は思いこんだよ。
本当は友達がたくさん欲しかった。
友達を怖がらずに楽しく笑いあいたかった。
自分から進んで仕事ができる人間になりたかった。
周りの人と協力できる人間になりたかったよ。
過去の成績しか誇ることがない、自分一人の殻に閉じこもる、こんな人間にはなりたくなかったよ。

あなた達の口癖を私は捨てます。
私は人に頼っていいし、無理やり結果だけを追い求めなくてもいい。
私は楽しく人と付き合っていいし、無理やり自分を図る定規を探さなくてもよい。

私はあなた達の理想を捨てます。
ここにいるのは成績優秀で社会的に成功した娘じゃありません。
何もできない無力な女の子です。
あなた達の言うことを実現しようとむやみに背伸びするのはもうやめます。
私はあなた達の理想を捨てます。

これからは私の出来ることを精一杯しよう。

<1565> かえる ■2009年03月17日 火曜日 13時30分29秒
私は母親よりも父親に似ている。容姿もだが性格で遺伝してるなぁと感じる部分が多い。小さい頃には父が怒ると条件反射みたいに大泣きした。むせび泣いて嗚咽がとまらなくて、けど父は私が泣くと、泣くな!と更に激怒した。夜中に家の暗い物置に入れられたことをよく覚えてる。ただただ恐怖でしかなかった父の存在がいつ頃から私の中で変わったのだろう?父を反面教師として絶対に父のような人間にはならないと強く思っていた。だから今は父と正反対の部分も私には多くある。なによりも親子なのだから似ているところがあって当たり前だし、似てないところがあるのも私自身の性質なんだろうと思う。こうでなければいけないという枠組みなんかありはしないんだ。自由でいい。自分らしくていい。今現在、親子関係は穏やかで落ち着いたかんじで、あれだけ問題を起こし迷惑をかけていた私が社会の中で独り歩きできてることに家族はホッとしてるのだろうと思う。欲を言ったらキリがないし、人の生き方やしあわせなんて比べるものじゃない。人の過去は決して消せないからこそ、その人の中で血や肉となり生きる糧となるんだろうと思う。本音を言えば辛いこと苦しい記憶はきれいさっぱり消えてしまった方がらくだろうし、答えを探してもがいていた頃は、昔からやり直してくれと親に言い続けていた。どうしたってそんなの無理なのに言わずにはいられなかった。小さい時には父も母も私の言葉は聞いてくれなかったし、受け入れてもらえないなら、もう望まないこと、求めないこと、自分の言葉をのみ込んでしまうことが、家族をざわつかせない方法だった。一人で思考を非現実の違うところへもっていき、空想ばかりしていた。本当は淋しくてかまってほしかったし、両親も祖母も兄や弟の方が大事で私なんかいらないんだと悲しくて悲しくて仕方なかった。何度もみんなに隠れて一人で泣いていた。その時に母にすがって泣けていたら、私はどんなに救われていただろう?それでも何年もたって20代になってやっと母にすがって何度も何度も泣いたことで欲しかった安心感を手に入れられた気がする。今はもう大丈夫だからと言える。
<1564> あい ■2009年03月17日 火曜日 01時34分34秒
家族って、子供の頃の私の家族なら、もう捨てた
だって、新しい家族を作れるんだからね
きっとすてきな旦那に出会えたらね
今、それはないけれども、それでも、子供が居るからすてきな家族がいる
そういえる いやな人と暮らすことはない 危険な人と暮らすことはない
私は誰と暮らすか選択できるだから、私が決めることだ

悲しい時、死にたいといった時、子供が言ってくれ言葉
「楽しかったことを思い出すんだよ、僕は奏して乗り越えてきている」
良かった、君には楽しいと思える時間があったんだねと、思った
ごめんね、私にはそんな思い出なんてないんだよって・・・
でも、これから、作ればいいんだから
哀しい、苦しい時が100回あったって、
その100倍、うれしい時、楽しい時、心地よい時を私が作ればいいんだ
それが、分かった 君の言葉で、
そして、忘れる事ができるのなら、その苦しみをすべて忘れよう
良い現実で、悪かった過去を消してしまおう 消しゴムみたいだね
<1563> ナナ ■2009年03月13日 金曜日 02時53分51秒
すいません。とりあえず書いてみます。
夫の借金癖のことで追いつめられ、いろいろ読んでいくうちにACと共依存について自分が当てはまると気づきました。
きょうまでACは自分と関係ないと思っていた。
自分以外の人を優先させることを、今日まで当然だと思ってた。
それをつらく感じてる自分が良くないと思ってた。
両親を大好きなのに同時にこんなに恐れている。

まだなにもわからない。でもぬけだしたい。自分のために生きてみたい。
どうもそうじゃなかったらしい。
<1562> かおり ■2009年03月11日 水曜日 14時34分20秒
このサイトには数年前からアクセスして時折り書き込んできました。今日のこの書き込みが最後になるだろうと思います。

いろいろな人の人生のお話、さまざまな本、心理学、哲学、宗教、その他、ことばを使って自分のこころの奥にあるものとのつながりを試みてきました。自分自身が一番わからない。人間とはそういうものでしょう。そして、人間の持つ智恵が、善にも悪にも作用する、その、人間としての在りようすべてをしずかに見つめることができるようになって初めて、これまでに自分を適確に客観視し、これからの自分を自分自身のものとできる端緒になったと思います。

結論は、すべては私自身が決めたことだった、ということです。子どもの感情を大切にしなかった両親と、そんな両親への反発を飲み込んでしまった自分自身に対して、私の中のわたしが、すねたのです。これまでの人生における出来事はすべて自分自身の責任で起こったことでした。すねてしまっていた、その私の中のわたしとやっと和解しました。これからは迷わず、そのわたしを何よりも大切にすることにしました。

自分の中の核となる生命体を無視すると、判断力が鈍ります。生きてゆくのが困難になるのは必然です。

こころとからだは一体です。苦しい方にはヨガを勧めます。流行りのパワーヨガではなく、たとえば沖ヨガのような、呼吸と、自分自身の体との対話を大事にするような。

とにかく、自分自身の中に深く深く降りてゆくのです。

ありがとうございました。
<1561> みゅー ■2009年03月09日 月曜日 21時17分32秒
とりあえず履歴書2枚仕上げた〜。ここに書くのは、この携帯持ってからは、ここからで、パケ代節約しても少ない折り込み求人じゃバイトないから、携帯サイトでもバイト情報見てたらパケ代定額いくの、あっという間。でもあたし選んでるわけじゃないのに…。「短時間で週に数日」っていう限られた条件でしか続かないし、今のあたしじゃ持たないし…。「その条件でしか選べない」ってことでは「結局選んでんじゃん、アンタ」ってことになるんだろうけど…。
今日半ば強制的に婦人科行ってね、あたしの「女性の色んな調子」みたいのが、ここ三ヶ月くらい、特に疲れたりすると「ぎょ?!」って感じだったの「ぽつぽつ」言ってたからなんだけど…。
あたしは、お母さんの「ペット」なの。「猫飼いたいけど、お父さんや兄ちゃんにいじめられてるの見るの辛いからあんたが代わりでいい。あんたが猫。」ってお母さんが言って甘えてくるから。あたしもこの歳で、いつまでも実家になんているのが悪いんだけど…。食えよ!ちゃんと!だね…。 なんか、お母さんあたしが癌だったら…っていうのがあったみたい。「口きいて話し相手になってくれて、頼まれたこと全部やる『ペット』になんかあったらヤダ!」みたいなね、なんかそんな感じ。
検査行ったっけさ「あたしが、今飲んでる薬だと、卵巣に異常が出るのは仕方ない」んだって。それだけ。あと「来週(大丈夫だろうけど)癌の結果聞きに来て」って。 お母さんは、喜んでた。あたしは誰にも持ってかれずにすむもんね。あのドラマじゃないけどさ…。この歳だし、でも薬飲んでて、多少卵巣に異常出てても、悲しむどころか…。
ペットは、いつ「老いても、ひとりぼっち」になってもいいように「おひとりさま道」極めなきゃね。

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This script written by Shintaro Wakayama.