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私たちの物語 - 家族過去ログ No.78
メッセージ数:1560件

<1560> さんま ■2009年03月09日 月曜日 20時41分39秒
甥がぶち切れている。
不登校から復活したかと思っていたら
こんな家族いやだ!みんな死んでくれ!それか僕を殺してくれ!
って家族に叫んだ。
みんな言いたいこと言って、僕はそれを聞くのもういやだ
って

彼は私と同じでアダルトチャイルドなんではないか?

彼の心の叫びが聞こえる。
私と同じ叫びだ
<1559> sao ■2009年03月09日 月曜日 17時12分56秒
お母さん。お父さんとかお兄ちゃんにはちゃんと愚痴ってるの?
それとも私にだけなの?
私はお母さんのたった一人の娘だから
同じ女としてもわかってあげたいし
お父さんやお兄ちゃんの分まで安心させてあげたい
ずっとお母さんの味方でいてあげるから
私は大丈夫だから
どこに行こうがどうなろうが
幸せになれるから
レディーストークができるって言われて
もう自分もそんな年になったんだな、って思って
そしたら甘えるにはきっともう遅いんだろうな、って思って
だけど、ちょっと心配性すぎるよ
ちょっとは頑張ってるよ
飛行機だってホテルだって、乗れるし泊まれるし帰ってこれるよ
ちょっとは頑張ってるよ
だから少しは安心してほしいな

なんで焦ってるんだろうね
就職できるだろうかって心配?
いつでも母親の安心でいたいから焦ってるの?
ずっと一歩先へ行けば、いつまでも安心してもらえるから?
ずっと焦ってる気持ちはなんだろうね
何がそんなに不安なんだろうね
何でこんなに自信のない子に育っちゃったんだろうね
誰にもわかんないよね
なんで頑張ってるんだろうね
そりゃ自分のためなんだろうけどさ
打算、って言葉、少しもないとは限らないからさ
頑張れば安心してくれるから
心の隅っこで、そう思ってるんだ
あんなに褒められたかったはずなのに
いざ褒められると
自分が頑張らなきゃ誰が頑張るんだよ、って思っちゃう
「男は女に比べてのんびりだから」
そう言われたら私が頑張るしかないじゃん
<1558> さんま ■2009年02月25日 水曜日 22時39分10秒
今日仕事が忙しくて残業していた。
自分が忙しくて疲れて帰ってきたのに
家へ帰ったら母に、早く帰らないと怒られ
びくびくしている。
顔色をうかがい、ご機嫌をとる
がんばって仕事してるね〜、お疲れ様って一言を聞きたい
でも、その望みを心で思うことへの罪悪感ったらひどいものだ
<1557> ぽち ■2009年02月24日 火曜日 22時31分38秒
どうしても母親が好きになれない。
小さな頃、着たかったピンクの服は着せてもらえず、
赤いランドセルも買ってもらえなかった。いじめられた。
彼女いわく、赤やピンクが「野暮ったい」から。
ピアノ、水泳、英語、公文・・・どれも勝手にやらされた。
おかげで放課後に友達と遊べなくて、仲間はずれになった。
気づいたら中学受験の塾に入れられ、毎晩勉強させられた。
選んだ学校は、自分の憧れていたお嬢様学校。
進路を選ぶときも、専門学校に行きたかったのに、
自分が行けなかったからと、良い大学に行けと言って聞かなかった。
入学したら、私の大学名を、親戚・知り合いに得意気に言いふらしていた。
就職先が、有名企業じゃなかったことで、機嫌が悪くなった。
出かけると言えば「誰とどこへ何しに行くか」説明しなければいけない。
帰りが遅くなると言っているのに、メールと電話攻撃。
「いい加減にして」と言っても、
「あんたは冷たい、そんな風に育てた覚えはない」と返ってくる。

私はもう、あなたの思い通りには生きていけません。
これ以上、何を望んでいるんですか?
<1556> さんま ■2009年02月24日 火曜日 20時23分02秒
昔からだけど、母は私がダメなやつだと言う
言うだけじゃない
生活の中でいじめる

今日も、仕事して帰ったら、弟のご飯の支度だけしてあって
私のはしてない
用意してもらうのを希望するのはわがままかもしれないけど
何で弟だけ?
私はとても腹が立ち、悲しく、感じる
何と言っていいかわからない気持ちになる。
何もかもぶち壊してやりたくなる
<1555> さんま ■2009年02月19日 木曜日 21時33分51秒
姉と話していると、楽しいこと、正しいことを話さないといけない感じがして息苦しいと思ってしまう。姉ちゃんはいつも正しい。
甥(姉の子)が登校拒否で、彼は私と同じで思ったこと表現できず、自分の気持ちをもてあますんだとはなしていたけど、今日姉が、彼は私と違う、彼は思ったことをうまく話せないのはいっしょだけど、芯があると言われた。つまり、私は芯がないって言ったのか?傷ついた。
<1554> ayako ■2009年02月18日 水曜日 14時30分45秒
今更だが母が亡くなった影響が出て来た。落ち着かない、焦燥感がある。イライラはしてない。なんだか手持ちぶさたなのだ。何かしたい、けど何をしたらいい?ミシンをかけるのももう無い。何処かに出掛ける?体がダルイからそれも辛くなる。お香を焚いて部屋を換気して…江原さんのCDをかけて…なんだろう何かが違う。寂しさや悲しさや不安
<1553> あい ■2009年02月08日 日曜日 01時50分16秒
自分がたくさんの間違いをしたこと。子供たちに虐待をした事。
それが、自分を責めるのに、もう疲れた。カウンセリング受け、子供への接し方も少し変化した。でも、本当に私は辛い。子供も辛いって分かっているけれども、私の辛さも分かってほしいって思う自分がいる。
子供は私を許さない。過去の事を言ってくる。私はその言葉でひどく傷つく。
好きでしたわけでもない。デモ、事実だからね。しょうがない。
今更、何をすればいいというんだと、わめく。私は悪くないと自分に言い聞かせる。かなしい。自分の感情を抑えきれない、私を攻めるどんな言葉にも、憎しみを感じる。それを、子供に築かれないように、しているつもり。
ああ、こんな時、とてもストレスがたまる。私が大人になればいいんだとわかっている。私が子供の痛みを受け止めればいいんだと分かっている。
子供が病気なんだと、分かっている。でも、出来ない。デモ、しないとだめだ。そして、言い争いが住めば私は体調を崩して、寝込む。
子供は元気になるんだ。日ごろのうっぷんを吐き出したからかな。
そんな時、もっと憎くなる。ああ、辛い。こんなこと。何度繰り返せば、
子供は、元気になるんだ。毎日、家の中で寝ている、あんたを見ている母の気持ちなんて、考えないだろうな。何もしないで、面倒を見る、病気の母の辛さなんて、何も感じないだろうな。私が親に感じなかったように。
まるで、同じことの繰り返し。まるで、同じ構図。家族の崩壊ってやつ。
でも、作り直し努力をして入る。このまま行けば、私と同じ様に、ひどい生き方をする事を知っているから。まだ、私よりはマシな人生を生きてほしいから。でも、壊れそうなくらい、ばらばらになりそうなくらい、しんどい。
いつまで、続くんだろう。。。私は家を出れば、きっと、子供はいうだろうな。俺を捨てるんだろう。俺のことなんて、同でもいいんだろうってね。
ばかじゃないの。こんなに苦しみながら、面倒見てあげているのに。なぜ、見えないんだろう。ほんとうに、家でしてやろうかな。そのほうが、いいのかも。1人になる方が、お手伝いさんのありがたみがわかるかもね。
<1552> みゅー ■2009年02月04日 水曜日 17時08分07秒
お母さん、やりたかっ掃除、できるようになって、よかったね。おとつい、お母さんにマッサージしただけなのに、「おひとりさまお出かけ」させてくれて、ありがとね。ごめんね。

お土産、気に入ってくれたかなぁ…。少ないお給料でも、よかった支給されて。でなきゃ、お土産も選べなかったし、お出かけもできなかったし。あたしも、昨日はちょっと体力的に無理しちゃったけど楽しかった。 ごめんね。ありがとね。お母さん。
自分用にも、遅い誕生日プレゼント…。 あたしね、もしかしたら、気になるひとが、名前も知らないし、お仕事してる以外は、なにも知らないけど、ちょっと気になるひとかも…。 でも、たぶんきっと絶対あたしなんかダメだから。言ってみただけだから。ここでだけ。 お母さんは、心配すること、なんもないからね。
<1551> クレヨン ■2009年01月28日 水曜日 20時39分08秒
この家には私の居場所がない。家族って何?血がつながっているからといって、なにを言ってもなにをしてもいいとは限らない。心をもった一人の人間なんだよ。家族だから大切にしなきゃ。でもしていることは傷つけることばかり。矛盾してる。
<1550> みゅー ■2009年01月28日 水曜日 01時53分12秒
「アウシュビッツ『解放』」かぁ…。「解放」されたいし、当時アウシュビッツで怯えながら毎日を過ごしてた人々は、どんなに、こころが「解放」されて、でも「解放なんて…」と思いながら過ごした、傷だらけの日々と一緒に「解放」の日を迎えたのかな…。

母が左半身、特に顔がひどい「帯状疱疹」になって、おとついあたりかな…前兆らしきものはあって、昨日「これは、あまりにひどい」ってことで病院に行った。けど今日ますます酷くなって皮膚科、眼科のはしご…。注射やら、「これまで母は、こんなに薬に囲まれて、しかも薬ごとに時間が決められて…なんてことあったかよ?!」ってくらいで。原因は「ストレス」らしいけど、あたしは「とうとう来たか…」って思った。
明日は、あたしの病院の日で、あのバイトから、あたし色々と変になったからかな。母は「先生に、どうしても話したい事があるから一緒に行く」って言ってたけど、安静にしてれば「帯状疱疹」が治るのは1ヶ月ぐらい…の母に「来てくれ」なんて言えないし、母も「無理」と自己申告してるし。その母に、「今まで『母ひとりにのしかかってた重り』が、今になって『爆発』したんだろうな」って感じた。先生は、「あなたみたいな思いをした人は何歳になっても必ずなんかしらの形で出ますよ」って言ってたから。 こういうとき「男」って、おたおたするばかりで頼りなくて、母もそれを分かっているんだろう。 「おぎゃー!」と、初めて元気に生まれた2番目の子。しかも女の子は、なにかにつけて頼られ、いなきゃ、つまらなくて、安心できなくて、困るって存在になった。あたしは、それとも単なる「わがまま」ですか?「女の子」なら不満も言わずに、皆、家の中の事こなすんだよね。そうでなきゃ、いけないんだよね。
父が言った。「親にならなきゃ分からない。」。あたしは、「大事な事、なにひとつ関わらなかったじゃない!」って思いつつ「孫の顔が見たいなら、そう言えばいいじゃない。」って言った。そしたら「そんだけ薬のんでて子供なんて産めるのか!」って言った。あたしは、ぐうたら?本当は苦労いちばんかけた子なの?「解放」されないの?

こういうときはいつも誰も助けてくれない。「体の丈夫な『女の子』」の「解放」はいつなんだろ…。自分が悪いんだ。自分から動けよ!!
<1549> みゅー ■2009年01月24日 土曜日 17時50分19秒
父親が不在の間は、兄ちゃんの「天下」。結局、あたしは「家族の『クッション』」になるのは嫌で、寒い部屋でもマシだし…。自分の部屋から携帯からの書き込み…。
それより兄ちゃん、自分のPCの回線ちゃんとひいて、月々支払いするって話、どうなっちゃったの?!お母さんだって「もう、トラブル続きだから、そうさせる」って言ったのに。結局うやむや…。
父親が「父親らしい『父親』」だったら、母だけに負担もなかったろうし、こういうとき、なんかしら適切な事言ってくれたり、対処してくれたかもしれないのに…って今更、そんな、もう夢みたいなこと言ってみてもさ…。分かってんだけどね。「仕方ないよ…」ってさ。
<1548> ayako ■2009年01月21日 水曜日 22時00分42秒
さっき父に言われた
黒豆が食べたかったのに無いと。私が何でも食うと。黒豆としば漬けを買って来たと父に話した時父は「いらない」と言った。私は朝ご飯にしば漬けを食べた。しば漬けは二、三切れ食べた。残ってるそのしば漬けも無いのだと父は言った。
私は我慢の限界が来た
「黒豆要らないと言ったでしょ!しば漬けも!しば漬け残ってるでしょう!無いの!?」
ブチ切れた。黒豆を買って来たのだって私が漬け物を食べて無くなったと言うからだ。無いと主張した漬け物は残ってた。母が亡くなったから実家に居るまでの事。49日も終わった。明日一人暮らしの部屋に帰る事にした。すぐに航空チケットの変更に荷物の集配を手配した。
姉はそんな事しなくても…という演技をしつつ私が帰るのを喜んでいる。元々私が実家に居るのを嫌がり追い出した人間。10年経っても変わらない。今回で私が二度と実家に帰らないと解り心から喜びと安心が満ちていたのが伺えた。まぁ姉はまだ親と居たいんだなと良く解った。母の遺品整理の為の帰省だったが、遺品整理は終わっていて時間が沢山あるだけだった。
今回の実家の長期滞在は私に嫌気をささせて二度と実家に近寄らないと思う様に―悪意を持って姉に仕掛けられた事だった。
母のお盆は帰らないし、一周忌も帰らない。遠くからでも手は合わせられるから。母の死で実家と縁が出来たと思ったがそうでは無かった。未だ変わらずの共依存家庭の世界をかいまみただけだった。黒豆の件で思った。父は私を口賎しい餓鬼だと思ってたのだ。
小さな子どもの頃から。侮辱されて黙っていた子ども時代とは違う。当然として怒っただけ。姉には一万円渡そうとしたら断られた。食費や生活費としても受け取れないという。何故事ある事にお金頂戴と言ってたのか?
私は本気だと解ってる。一万円は帰る予定日に置いて帰る予定だった。
明日私が実家を後にする時間に姉は居ない。お金は置いて帰る。
本当はかかった総額を支払いたいのだが、今は言わないだろう。

祖母が亡くなったら…行くが葬儀が終わったらすぐ帰る事にしよう。
アパートの保証人は保証人協会を使おう。父には頼めないし、頼んでも良い返事は来ないだろう。
<1547> j ■2009年01月15日 木曜日 13時25分55秒
ねえ、知ってる?
人間の愛情や感情は赤ちゃんの頃に親から貰った分しか心に無いんだって、
動物の赤ちゃんは親に構って貰えないと死んじゃうんだって。

私は例外。生きてるけどね。
けど、恋愛経験は無し。異性との接触の経験も無し。この歳で、だよ?
感情?憎悪、嫌悪、寂寥。

ホント、生きてるだけ…
<1546> れんげ ■2008年12月22日 月曜日 07時36分12秒
妹とは仲が悪い。
どうやったら上手く付き合えるのかわからない。

自分の自慢ばかり。
相手を貶す時は、ものすごくうれしそう。
でも、こちらを多少卑下してみせても、彼女を誉めても共感しても、
それが彼女に響いた、と思えることはない。
いつも不機嫌そう。不満そう。「全てが気に入らない」オーラを感じる。
あったかい感じ、穏やかな感じが全然しない。
そういう違和感を口にすると、
「冷たい」「思いやりがない」「被害妄想」等、なじられて、結局全部「私の所為」という感じで曖昧に終わる。

私はパワーゲームはもうしないんだけど。
共感しあえる関係になれたらいいのに、と思っているのだけど。
でもやっぱり、無理のようだ。本当にあの母親にそっくり。

まあ、しかたない。
私の所為じゃない。
「貴女の感じ方はおかしくないよ。貴女は悪くないよ。」と言ってくれる弟や夫がいてくれて、本当にありがたい。
<1545> みねこ ■2008年12月08日 月曜日 18時11分37秒
今、母との関係について抱えているので書こうと思います。
私が思春期に入った頃の話。
自助グループなどでは男性がいてしゃべれないのでここで。

私は物心ついたときから母に嫌われていた。

特に思春期に入ると、エスカレート。
体を見て冷やかされ、好きな人ができたのか、とニヤニヤして聞かれたりした。小学校の頃も男子と遊んでいると何とか君が好きなんだろうと言って
母は弟たちを味方につけ、冷やかした。
私は男の子のような格好をしていた。6年のとき長い髪をショートにした。
学校では絶対に男子とはしゃべらないようにした。
本当は男子としゃべったり仲良くしている人がうらやましかった。
オシャレな格好もしなかった。できなかった。ミニスカートなんて穿けない。
何を言われるかわからないから。
バカにされるから。
女の子らしいこともしなかった。
男になりたいと20歳の頃まで思っていた。
子供が産めないように手術をしたいと友達に言ったこともある。
本当は、オシャレしたかった。
でも許されなかった。

中学に入っても、ブラジャーを買ってもらえず
体育の授業のときは苦痛だった。
中一で、ブラジャーをしていない子は3人くらいしかいなかった。
透けてしまうのでいつも前かがみになっていた。
おかげでひどい猫背になってしまった。未だに、そうだ。

高校に入っても、ブラジャーは買ってもらえなかった。代わりにスポーツブラという可愛くないものを与えられた。
みんな可愛い下着を着けていた。だから、嫌だった。
高校は、男子としゃべらなくていいように女子高にしたんじゃないかと今は思う。
生理のパンツは買ってもらえたが、おばさんが穿くようなダサいパンツだった。
私は、父から性虐待を受けていたので、特に母は私を嫌っていたんだと思う。
自分は可愛がられないから。愛されないから。
娘が憎い。こんな子生まなければよかった。しかも自分に顔がそっくりだからなおさら憎らしい・・・・そう思っていたんだろう。

20才前に初めて彼ができた。
母はもっと私を苛めた。いつもヒステリーだった。当たられた。
喧嘩をしたというと、鬼のような顔で「別れろ」と何度も言われた。
本当に未だにトラウマだ。ああいう母の鬼のような顔が。本当に怖い。

何でも母に言わないといけないというのが暗黙の了解だったから
セックスをしたことも何かの拍子に言ったら
「あんたは最低だ!!!信じていたのに!!!!」と激怒された。
その後、ひどく冷たくされたので必死に反論した。
今時、高校生でセックスするのも当たり前で、自分は遅いくらいだ、と。

彼ができた後、男友達も少しいて、携帯に電話があった時、
「誰からだ」と聞かれ、誰々だと説明したら
あんたは最悪だ!!!彼氏がいるのに、男なんかと電話でやり取りして!!!!彼氏に失礼だとめちゃくちゃ怒られた。

私の勘違いで妊娠したかもしれない、とホントに勇気を出して言ったときも
「世間ではそれをおめでとうというべきなんだろうね」と人事のように言い放った。
不安なので検査に一緒に言ってほしいといったら
「そんなのは妊娠させた男が一緒に行くべきだろう!!!!なんで私が行かないといけないんだ!!!!」と激怒した。

悲しかった。何をしても、母には愛されない。母は喜んでくれない。
病気で働けなくても、出て行け!!!早く病気を治せ!!!!!早く仕事しろ!!!!といわれ続けた。
がんばって仕事をしても、何も変わらなかった。
自分を殺して、必死でいい子をやってきた。
それでも母は私を愛してはくれなかった。
夫にDVを受け初めてようやくやさしく接するようになった。
戻っておいでといつも言った。

散々、出て行け、お前なんか生まれてこなければよかったと言われ続けてきたのに
いざ家を出たら今度は「帰って来い。」

私は、もうこれ以上あんたに振り回されたくない。
人並みに幸せになりたい!!!!!!もうこれ以上私を振りまわさないで!!!!!!!!!!
いい加減、楽になりたい。自分を愛したい。こんなにボロボロで。もうつらい思いしたくない。
<1544> みねこ ■2008年12月08日 月曜日 17時43分09秒
今、母との関係について抱えているので書こうと思います。
<1543> halu ■2008年12月07日 日曜日 23時26分19秒
父親は
私が高校のときは国公立大学に行かないといけない、
就職するときは大企業に行かないといけない・・・っと言っていた。
でも父親が5年以内に転職、10数回の転職、数回の無職期間、母親の貯金取り崩し・・・
そんななかで良い大学良い会社に入れなかった自分は親不孝なんだろうか・・・
昔は自分を責めたけど、こんな親じゃ家庭環境じゃ難しい・・・
せめて早寝早起き朝ごはんと規則正しい生活をしてたら・・・でも家族で実行してたら、父親もこんなに転職してなかったんちゃう?!
自分を責めるのを辞める。
早寝早起き朝ごはんと規則正しい生活を送ること、今ある仕事を頑張ること、それが今の私に出来ること。
でもやっぱり心の中で、良い大学良い会社に入れなくてお父さんお母さんごめんって責める自分がいる。
親も私もどっちもどっちやし、親・・・ちょっと変わってるよね。良い人たちやけど。
だから本当に今出来ることと規則正しい生活と早寝早起き朝ご飯を実行して、そうやって毎日生活していく!!
<1542> かえる ■2008年10月29日 水曜日 04時43分32秒
なにか新しいことをはじめるのは、とても勇気がいる。でも、ある程度年齢がいくと、いつまでも、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりとふらふらしてもいられないから、安定した暮らしをすることに重点を置くんだろうと思う。それを保守的な生き方、つまらないと感じてしまうのか?私の父には仕事しかなく、家庭サービスなど全くといって言いほどせず、自分の好きな趣味があるわけでもなく、確かに勤勉実直な父親だと思うが、その一方で、父の頑固さや融通のきかない部分は、自分の狭い世界しか見ていないからじゃないか?とも思う。単に、今の私が好奇心旺盛に、やってみたい事が沢山あるから、父親をそうゆう風に見てしまうだけの理由ではないと思う。父は自分の考えがすべてだと思ってはいないだろうか?相手の意見や考え、言い分をきちんと聞ける人は、きっと自分にはわからない領域があって、相手には相手の心情、思考があることを前提にして会話できると思うし、頭から相手を否定しないと思うから。うちの父は今でこそ私の話を聞くようになったが、昔の父は意味もわからずに激怒して、家の物を壊し、家族に当たり散らし、小さい私には恐怖でしかなかった。 でもその恐怖が、いつ頃からか反感に変わった。どう考えても、その主張はおかしい!なぜ、もっと冷静に感情的にならずに話せないのか?私の中に、父親に対する反発があったのに、ずっと言えないまま、我慢や逃避をして過ごしていた。人間関係で当たり前に我慢は必要だと思うが、人には我慢の限界がある、あまりにも理不尽な言い方、あしらいをされて、それでも、はいと答えなければならない状況になると、今でも自分の内の声が心の中で連呼する。それ、おかしい!なんで、私の話も聞かないのに勝手に決めつけるんだ!?と。今でこそ、そうゆう事が減ったのは、何度も何度も、そうゆう場を経験して自分を適応させていくしかないんだと腹をくくったから。正直、今でもしんどい。こころがかきみだされるし、穏やかではいられない。きっとその相手と、昔の父親が重なるんだと思う。でも、上手にやり過ごしていける様に、自分の悪いところも改善していこう。決して、父の生き方は否定しない。父は父で頑張って仕事をする人生を選んだんだと思うし、きっと何か一つの事に一生懸命になれる姿勢は共感する。
<1541> rysh ■2008年10月24日 金曜日 23時37分19秒
祖父にだけは愛されていたと信じていた。祖父ほど立派な人はいないし、我慢強い人もいないのだと。
でも、祖父が亡くなった後、母が「実は」と切り出した。
祖父は外に愛人がいて、その写真を見つけてしまったのだと。その時の祖父がとてもいやらしい顔をしていてショックだったのだとも話した。
おいおい、何を話してくれるんだよと思った。
(その時は親に対して反抗してはいけないと思い込んでいたから、母の言う事を全て受け入れようと考えていたが)
わたしが唯一血縁者の中で尊敬している人の事をそんな風に言うなんて。
その後母は、「でも、お父さん(祖父)はわたし達の誇りだよね」と結論付けて納得したようだった。

ショックだった。おじいちゃんがそんな事をしていたなんて。
おじいちゃんはよく、「おばあちゃんにはたくさんの苦労や迷惑をかけてしまったから、俺はおばあちゃんより長生きすると決めているんだ」と話していた。
その苦労の内容は、お金とか自分の母と奥さんであるおばあちゃんとの間を取り持てなかった事とかだろうなと漠然と思っていたのに。

祖父は、アルコール中毒だったと思う。
お酒を飲むたびに祖母に迷惑をかけて心配をかけて。ある時は背中に大怪我をして帰って来たらしい。
だけどそのことを責める人は居なかった。娘である母もそれを全て笑い話として受け止めており、赤い顔をして二日酔いの祖父を許そうとしていたのだと思う。・・・だからと言って、わたしにしたことを許すわけではないけれども。

祖父の酒癖は、食道がんだと発覚するまで止められなかった。
わたしにとっての祖父は、わたしの唯一の理解者だったから、祖父にすがっていた。だから祖父を否定するような事を書くのにとても勇気がいったけれど、やはり、母があんな状態になったのには祖父にもその原因があるのだと思う。
「どんな親でも愛しなさい」というメッセージ。

祖父とあまりコミュニケーションのとれなかった祖母もやはり、孤独で寂しかったんだと思う。だから母に「死んじゃおうか」と呟いたのだと思う。だけどやっぱり母は祖母を恨んだり憎んだり否定をしなかった。「親は愛さなければいけないもの」と思い込んでいたから。

でもわたしは親に愛されたかったけど、親の言う事全てを聞こうとは思わなかったのかもしれない。ありのままの、どんなに反抗したり親の目から見て間違った事をしていたとしても、愛して欲しかった、認めて欲しかった。

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This script written by Shintaro Wakayama.