私たちの物語 - 家族過去ログ No.77
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<1540> みねこ |
■2008年10月14日 火曜日 16時05分55秒 |
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私の母は、私が嫌いだった。 物心ついたときから、母に鬼のような目で見られていた。 幼稚園のころから不眠症で。 いつもお前なんかよその子になれ、いらない、早く出て行けといわれ続けた。 小学生のころは、弟たちとけんかするといつも自分だけ倉庫に閉じ込められていた。雨だろうが、冬だろうが。 おかげで、そのトラウマで16の頃から病気になった。 思春期に入ると、母親の目はさらに厳しくなった。 もともと夫婦の会話もない、冷め切った関係だった。父は母にDVを奮っていた。母の口癖は、「私の時代は好きでもない人と結婚できた時代だった。親のために早くに結婚した」
私の家は、ほしいものなどもってのほか、必要なものすら買い与えてくれなかった。本当に、いいこをやってきた。わがままも言わず、子供らしくない子供だった。家族で出かけることもめったにない。家族だけの旅行は一度もない。 なにより金が大切な家だった。子供よりなにより、金をためるのが大事。 金には本当にうるさかった。さっきも書いたが、必要なのに買ってくれなかった。もうボロボロの体育着。スニーカー。当時はやっていた友人たちはみんなもっていたコンバースのスニーカー。そんなもの私の親は買ってくれやしないから、無地のスニーカー。友達に馬鹿にされたっけ。 母は私に対して女としてライバル視していた。父に愛情をもらえないからって私を虐待して憂さ晴らししていたのだ。 そんな父は、小さい頃から私に性虐待を繰り返していた。 おかげで、未だにドラマなどで性的な場面があると、怖くなってとても見れない。 そんな父親だったから、弟は妹に性虐待を10年間も続けた。母は知っていたが止めないという、非常に重い罪を犯した。 長年それを見てきた私もPTSDになり、本当に苦しんできた。弟が妹に性虐待をしたのは、子供の頃弟を苛めた自分のせいだと思い込んで生きてきた。実際は父が主な原因だとわかったのは、最近だ。 TVドラマなどのレイプシーンなどは、まず見ることができない。 トラウマのために、10年ほどを棚卸、癒しの作業に費やしてきた。 それでもなお、今でも耐え難い寂しさに襲われてしまう。 夫に、親代わりを求めてしまい、うっとおしがられる。 この寂しさはどうしたら消える?? なぜ加害者は自分に向き合わず他人のせいにして生きているのに、私はいつまでも悪くないのに自分を追い詰め苦しむ?死にたいと思う??苦しい。苦しい。世の中なんて不公平なんだろう。それなりに愛情を受けていたら、こんなにも苦しむことはなかった。
あの人たちは私にひどいことをしたのに、平気でたまには実家にも帰ってきなさいと言えるの???お前ら、何したかわかってないのか???虐待だよ!!!!!ひどい虐待を長年してきたんだよ!!!!!
世の中って本当に不公平。つらくなる。 私の周りの子持ちの人たち。子供は当たり前のように甘えて、親は当たり前のように抱きしめたりする。自分の子は一番だと思っている。女の子も男の子も関係なく、年齢も関係なく、愛してもらっている。 うらやましい。
・・・・ワタシニハナカッタ。悔しい。当たり前の幸せ。ほしいのはそんなに贅沢なことではないのに。。当たり前のものを手にしているやつ等が憎い。みんな苦しめ、私のように病気になったり、障がい者になっちまえ!!と思ってしまう。一度でいいから、味わってほしい。
眠るという誰でも苦労せずできること、私も苦労せず眠りたい。寝ても悪夢にうなされることなく・・・・。
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<1539> みゅー |
■2008年10月04日 土曜日 16時01分49秒 |
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もうすぐ「父親」のお帰りでございます。母は、どうしてあの人を選んだんですか。
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<1538> Gg |
■2008年09月24日 水曜日 11時13分18秒 |
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母は宗教を信仰している。父はそれに反対。
わたしは…? どちらか選ぶことなんて出来ないよ。独りになってしまう。 どちらか悲しい顔をするのは見たくない。 二人とも私を頼りにしていた。
相手の言い分、悪口を聞くたびに 自分が何を選べばいいのか分からなくなった。 親に嫌われないように頑張ってた。
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<1537> アーネスト |
■2008年09月18日 木曜日 05時37分01秒 |
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洪水のように幼いころの記憶がよみがえってきた。私は今、依存症の治療を受けている。だから、再発を防ぐことが第一優先だということもわかっている。それでも過去に処理しきれなかった感情の疼きに耐えることができない。母は画家になりたかったらしいが、祖母に反対され保母そして保険の外交員をやっていた。私は兄を恨んだ。いつも母親と争っている兄が憎かった。でも今は、わかる。私は結局、母親の愛情を独り占めしたかっただけだったのだ。2人の喧嘩が始まると私はいつも布団にくるまって寝たふりをしていた。芸術の道を断念した母だったが、兄が芸術の道を行こうとしたときひどく憤慨した(らしい)。そしてその道を阻もうとした。私は母の自慢話や愚痴を聞いていた。今はおぼろげに感じるのだが、私は母親に、許容量を超えた期待をしていた。思うに、きっと彼女は自分の好きなことをしていたほうが幸せだったのだろう。私は彼女を一人の人間としてみることができていなかったとおもう。
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<1536> 花音 |
■2008年09月15日 月曜日 03時32分53秒 |
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あなたのお陰でずっと生き辛くて苦しかった。 離れて過ごしている今も、それらに苛まれている。 罵声を浴びせ、殴り、蹴り、今でも考えただけで目の前が霞んでくる。 お前はどれだけ偉いんだ。 何度もいっそ消えてしまいたいと思い、自分自身を否定してきた。 いつも他人より劣っているという劣等感が付きまとって、 いつも誰かの後ろを歩いていないと不安で仕方がなかった。 いつも自分に自信がなかった。
他人にはいい顔ばかりして、家の中では我が物顔で自分の気分で、 私達を掻き回す。 あたしの大事なものをぐしゃぐしゃにして棄てた。 あたしの大事なものをゴミ袋に入れて隠した。 ご飯中でも気に入らないことがあったら水をかけられ、 茶碗を投げられた。 雪が降る外に放りだされた。 寒くて、寂しくて、悲しくて、悔しかった。 いっそ死んじゃいたいって思ったけど、 出来なくて、結局帰るところは家だけだった。
時間がたっても、この思いは消えるはずはない。 いくら消そうと思って、普段忘れても、 何かのきっかけがあれば、全てが蘇る。
あたしはいつもみすぼらしい格好をしてた。 友達が持っている流行のものをいつも持っていなかった。 嘘を重ねて、 友達に見下されたくなくて、 こっそり盗んだ。 何度自分の部屋で、暗闇の中涙を啜ったか。 何度この世から消えたいと思ったか。 あの涙の味は一生消えない。
それでも殺せなかった。親だから。 あたしの存在価値を認めて欲しかった。 ただそれだけ。 愛されたかった。
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<1535> gwbtswdeuch |
■2008年09月13日 土曜日 08時52分30秒 |
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fOJtak <a href="http://zhpfpootpvav.com/">zhpfpootpvav</a>, [url=http://jgfuqywrkguf.com/]jgfuqywrkguf[/url], [link=http://ioywanucvjrf.com/]ioywanucvjrf[/link], http://lyzrjdtbpdsj.com/
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<1534> ふら |
■2008年09月01日 月曜日 15時52分14秒 |
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さようなら、お父さん。あなたはお金をかせぐことしか私にしてくれませんでしたね。そのお金も自分の母親につぎ込んで。 育ててやった。早く大人になれだって。ふざけるな。 私は大人になります。 自分で、自分のことはして。子供のころからそうだったけど。 子供のことも自分でやります。 あなたも、最後の時まで自分で自分の面倒はみてください。 いい思いでもあったのかもしれないけれど、私には苦しいことばかりでした。 時には自分の命さえ軽いものに思えました。 さようなら、おとうさん。
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<1533> 雲 |
■2008年08月29日 金曜日 10時51分12秒 |
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面倒臭い事、難しいと感じた事、 時間を掛けなければ結果が出ない事、、、 つまり生きる事、自分と向かい合う事を嫌って 目の前の事から逃げたり、周りの人間に押し付けたり、 尻拭いをして貰った積み重ねのツケを今、 あなた(実母)は払わなければならなくなった。 これが結果だと受け止めなければならない。
それでもあなたは逃げようとする。 逃げられると思っている。 自分自身から逃げられると思っている。 嫌な事は避ける、それが苦しみの源だとまだ気付いていない。 薄っぺらな人生を送って来て、何を始めるにしてもいつも一年生。 いつまで子供のままで居られると思っているのですか?
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<1532> かえる |
■2008年08月24日 日曜日 22時41分32秒 |
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昼間実家に帰った。実家に帰ると、どうしても甘えてしまう自分がいる。のんべんだらりして、、、でも、今日は休日だし、、、休もう、、。家に居れば全部を自分でするし、しなきゃならないし、誰もしてくれないし、たまに休んでもいいんか、、、?とも思う反面、まだ考えが甘いなとも思う。親は昔から私には何も言わない。だから、自分で考えるしかなかった。もっと普通に一緒に食事したり世間ばなししたり、悩みや考えを話せば良かったと昔を振り返る。けど今は、何と無く父や母がどんな人なのか、漠然とだがわかれた気がする。私はこの二人の子供なのだと痛感する。嫌というほど似ている部分が多い。父の頑固さ、仕事だけは頑張るところ、不器用にしか振る舞えないところ、一辺倒な性格。あれほど嫌っていた父親に、驚くほど似ている自分。けど、もう、いいや、と思う。きっと、父は父で生きづらい人生を歩んできたんだと想像できるから。己の考えが自分自身をがんじがらめにするということを私も痛感しているから。もっと柔軟に適度に物事を考えられればいいとは思うし、その方が断然生きやすいと思う。父に似ずに、変なところでいい加減なところは、私の性質だろう。けど、もう腹をくくってしまった。自分の短所も長所も、私が私であるかぎりしょうがないんだと…。こういう自分を素直に相手に見せると、反感を持たれた。正直に偽りなく話しても、何故か、相手のかんに触るらしい。特に同性の友達からは、これでもかと言うほどきれられた。私が、男だったら、そんなことはなかったろうに…とも思う。きっと、私は人は人、自分は自分、と、はっきりしてるんだろうと思う。あの家庭で育てば、そうもなるよな…と納得。その以前にこれも私の性質だろうなと思うし。嫉妬や妬みは女性の方が強く抱くんだろうか?嫌だな。気付けば、私はこの頃、まわりと自分を比べなくなったけど、これは良い兆し?悪い兆し?素直すぎても、相手に煙たがれるのは、十分承知してる。けど、なんで、もっと人それぞれの個性がそのまま成立しないんだろう?私は、学生時、みんなと同じものを選ばなかったのをふと思い出した。ただのつむじまがりか?変わり者か?そして、できれば男として産まれたかった。女で、随分楽している部分もあるが、、、私の考え方は、やはり女らしくないと思うし、同姓から煙たがれるとも思う。…父は男だったからそうゆうことは、無かったのだろうか?
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<1531> ふら |
■2008年08月09日 土曜日 16時12分03秒 |
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父親と呼べない。 あの人は、卑怯だ。そして、マザコン。そして、卑屈で小心で一貫性のない発言、反論すれば暴言、不安定なルール。 お前は卑怯だ、みじめな姿を見せて許してくれといわんばかり。 でも、自分の罪は絶対にみとめない。 いい加減にして。 狂ってしまいそう。頭がおかしくなりそう。 本当はわたしが悪いんだろうか。 違うはずなのに。 疑ってしまう。 私の息子にに触らないで。 声をかけないで。 いなくたって。
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<1530> しょう |
■2008年08月05日 火曜日 19時15分36秒 |
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大好きな分、大嫌いだ。 この家はズタズタに傷付いた私の歴史でもある。だから早く離れたい。 でも庇護を受けて今生活している。 情けない。
今更母親に何をどう伝えたらいいのだろう? もう辛かった事はみんな過去にある。その時の自分を救ってやれはしない。 憎しみと恨みばかりで生きていくのもイヤだ。 本当の意味で「自立」「独立」したい、精神的にも。 父は好きだけど、母親がひどく自分を叱っている時にも何も言ってはくれなかった。
結婚も出産も夢は持てない。する気もない。 自分と同じ「寂しさ」を抱えた子供をもう一人作ってしまいそう。 自分の引き出しには育てられた経験しか無いから。 うちの母親だって祖父母にそう育てられたから、自分にもそう育ててしまったのだ。 受け継がれるんだ。
でも諦めない。きっときっと自分らしさを取り戻す、親から離れて生きていくんだ。 もう泣いてるだけでも叩かれっぱなしでもいない。 イヤだと辛いんだと主張してみせる。
理想の親像に捕われてる訳じゃないんだ。自分達はただ愛されたかっただけなのに、何でも許す父母やホームドラマなんかに出て来るものを求めてるんじゃない。
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<1529> ラビット |
■2008年08月01日 金曜日 23時03分51秒 |
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久しぶりにめちゃくちゃ苦しい。この苦しみをなんとか乗り越えたい。俺はお前らにはやられへん。本当は挫折しそうや。このまま元の前の自分に戻ってしまいそうや。誰かにこの苦しみを知ってほしい。でも転んでもまた立って前に進むんや。またそこから前に進むねん。
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<1528> 桃色タイガー |
■2008年08月01日 金曜日 05時33分51秒 |
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「わがまま」って言葉 そっくりそのままお返ししたい
自身の生活を幸福を守りたいがために 自身の血を引いた実の子を捨てる親に 知たり顔で説教されたくなんかない
「平凡」て言葉にどれだけ憧れて でも平凡になれなかった子供の気持ち あんたにはわかんねぇだろ
親の愛情を受けられなかった子供は 他人の愛情に対しても懐疑的だ
結婚とか 家庭だとか そんな平凡で普通の生活が どれだけ遠いものか 想像できねぇだろ
そんな普通の幸福を手に入れることが 親に対する敗北だって気持ち あと100年かかったって 理解できねぇんだろ
ふざけんじゃねぇ
不幸になれ 嫁は不治の病に冒され 子供たちは非行に走り 孤独という無限地獄へ堕ちてしまえばいい
他人の不幸を願うような人間にだけは なりたくないと 常々考えて生きてはいるが お前だけは別格だ 地獄に堕ちて 二度と這い上がれないほど 苦しめばいい
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<1527> halu |
■2008年07月29日 火曜日 01時19分51秒 |
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父親はいつも私や私の周りの友達の考え方が偏ってておかしいって言う。 私も少しは変かもな・・・ってくらいには思うけど・・・ 父親は、私たち姉妹が生まれてから10回くらい転職してるし、バブル期の私たちが小学生くらいのとき。一度と思ってた家での休職が2度ほどあったことが年金のお知らせで分かった・・・ 小学生の時、父と母はなんの縁もゆかりもないパン屋をやろうと言い出して、なぜか母親にパンの学校に通わせた・・・結局はポシャッタけど・・・ 働く所がないので、親戚のところで3年ほど働かしてもらって、その後資格を取って転職・・・資格を取るときも家族を巻き込んで、半年以上休職してた・・・ こんな感じなのに、父親は普通って言える? 私は普通に育ってないって思う。そう思って当然て今は思う。こんな親でまともに育つのが奇跡かもって・・・ 今まではまともじゃない、普通に生きれない自分をずっと責めてきた。 でも、こんな親やったらまともに普通に生きれないし育ってきてないって思えて、自分を責め続けるのを辞めることができた。
親はいいところもいっぱいある。 でもやっぱり変だ。自分だけのせいでなったんじゃないって、自分を責め続けなくていいって、30歳過ぎて強く思うことが出来るようになった。
やっぱり、家族や家族関係、育ちは色々自分自身に影響を与えている。
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<1526> みゅー |
■2008年07月25日 金曜日 14時50分13秒 |
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なんだか最近「自分は生かされてるのかなぁ『家族』『両親』『今の世の中』」って、思う。だから、「家族」にも感謝しなきゃいけないのかなぁ、とか、「そう思わなきゃいけないのかなぁ」とか、「でも、しなきゃいけない」で、本心か、分かんないのに、無理してるのか無理してないのか、なんだか、そういう事すら、分からなくなってきてる。 「家族」とか「生まれてきた」とか「生きてる」とか、そういうのってなんなんだろう・・・。
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<1525> いのり |
■2008年07月14日 月曜日 04時11分15秒 |
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わたしも、、少し書かせてもらってもいいですか?
母親に甘えた記憶がない。 母親にほめられた記憶がない。 母親に泣きついて、抱きしめられた記憶もない。 そもそも、母親の前で泣いたことがない。 数年前、母は言った。「あんたは泣かないこだった」・・・・・。 なんとも 都合のいいようにあんたの頭はまわってるんだね? 小さなころから、私が泣くたび「そんなことで泣くな」「うるさい」そういってたじゃない? 私がいやな思いをして、不愉快な顔をしていると、「あんたの顔をみていると、気分が悪くなる」そう言っていたよね? 忘れたの? 自分に都合の悪いことはぜーんぶ忘れて、「私はいい親だった」とでも、思っているんだろうね? さぞかし、気分がいいことでしょうね。
テストで90点台をとっても、母は不満だった。100点満点でも、不満だった。「そんなもん、やれば、できるわよ」、そうのたまった。 他の成績のいい子は、ずっと前から、塾に通ってた。 わたしよりも成績の悪い子だって、ずっと塾にかよっていた。 親が家庭教師がわりに、勉強を教えてもらってる子もいた。もちろん、プロの家庭教師に勉強を教えてもらっている子もいた。 もちろん、そうゆう優秀な子は「学校の授業」以外の勉強を教えてもらえる時間があるわけだから、 勉強部屋どころか、自分の部屋さえもなかった、わたしには家族の騒音とテレビの騒音で、集中して勉強する時間なんて、あるわけなかった。塾以前の問題だった。
それでも母は、小さいころから、習い事をやって、塾にかよって、自分の部屋のある子と比べてばかりいた。 わたしだって、習い事や塾にいってみたかった。わたしの年代で、ピアノが弾けない、音符が読めない、なんて、ありえない。(←ピアノや楽器をならっていないし、家にはなにも楽器はなかった)。今でも、一番のコンプレックスでもある・・・・・。
そのころは たたただ、母親に否定されてばかりだったし、父は話にならないし、弟は母親にべったり甘えて、母も弟を溺愛して、弟のご機嫌をとっていた。 だから、子供だったわたしは、自己の否定へと向かっていった。残念ながら、わたしに信頼できる大人はいなかった。いじめ問題や、いじめのすえの傷害致死事件、いじめを苦にした自殺、、、 そんなことがマスコミに騒がれていたせいか、担任の教師は「悩み相談室のようなもの」を作って、宣伝していた。 ろくな大人(主に両親、祖父母、親戚連中もいれとくか)に出会えなかったわたしには、アホらく思えた。「教師に話せるような悩みなんて、悩みなんかじゃないんだよ」とおもってた。実際、教師が入ったがために、オオゴトになって、保護者会までもまきこんだケースもあった。とにかく、大人が信用できなかった。
自己否定にむかった私は、どんどん 自分に自身をもつことが できなくなっていった。。 もともと、人見知りをするし、毒親のおかげで、自分にいいところ(長所)があるとは思えなかった。そんなだから、どうしても気後れしてしまう。だから、友達を作るということが、苦手でしょうがなかった。 明るくて、社交的な子はどんどん、似たようなこと友達になっていった。 わたしは、、 取り残された、数人と友達ごっこのようなことをしてた。 わたしは目立たないおとなしい感じの子、という線におさまった。 友達とけんかもしない。だって、相手の子にたいして興味がなかったから。 適当に話し合わせて、うなずいていた。 本音をはなしたり、相手にアドバイスしたり、、 そうゆう関係ではなかった。だって、残り物の集団なんだもの。気があったわけではないんだもの。
そして、自分がそろそろ「大人という年齢」になるには・・・ たしは、もう自分の可能性を信じるという、いわゆる「青春」みたいなことはできなくなっていた。 幼稚園のころから、タップダンスを皮切りにいろんな習い事をして、俳優デビューした人をみても、 憧れは覚えても、 自分がやろうとは思わなくなっていた。 もう、いまからやっても、努力したとしても、、 あれだけの踊りを踊れるようになるのは、、、いつになるんだろう、、、、? それをかんがえると、途方もなくはるかにおもえた。 そのころは、今のわたしの若さはない。。。 老化は着々とおとずれてくるだろう。。 そう考えていた。。 ろくな大人に出会えなかったわたしは、大人たちの中に自分も入っていくことがいやだった。 20になる前に死のう。とか。本気でおもっていた。
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<1524> ぽち |
■2008年07月12日 土曜日 09時39分42秒 |
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母親に甘えた記憶がない。 母親に褒められた記憶がない。
3つ違いの姉が甘えている姿の記憶はある。 3つ違いの姉が褒められている場面の記憶はある。
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<1523> ろびん |
■2008年07月11日 金曜日 10時05分58秒 |
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自分のことは自分で!! 私はそんなことしてもらったことはない。 だから、あなたも自分のことは自分でやって。 私の中で今でも叫び続けている子がいる。
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<1522> こくーん |
■2008年07月05日 土曜日 11時15分42秒 |
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家族なんて、と思いながら、心のドコカでまだ「家族」という幻想に期待してた。
でも、毒になる「親」…いや、「親」という言葉を切り離して、 「人をダメにしてしまう『人間』」というのはいるものなのかもしれない。 それが、悔しいけど…たまたま、自分の親に当たってしまった。
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<1521> ぺあ |
■2008年06月18日 水曜日 10時29分24秒 |
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祖母が亡くなった。 病気だった。
父が亡くなって、またしても家族がなくなった。 なのに、泣けない。姉や母が泣いている時だけ、周囲に「正常だ」と思われるときにだけ、自分の感情を小出しにできる。でも泣けない。怖い。きっと、周りからは、「〜〜思われているに違いない」だとか、妄想に走ってしまう。ありえない妄想。うちの家を相続するために、父と祖母を私と母で殺すように追い詰めたんだ、本当は笑っているくせに・・・そう近所から、誰か一人からは思われているに違いないなんて・・・考えて、その人に合わせて、「そうなんだ」なんて思って、自分の思考をねじる。本当に泣くことができないの。もう。 十分すぎることをされた。 父は、躁鬱で亡くなった。 十分すぎるよ。 なのに、周囲からどう思われているかだけが怖かった。どうせ、精神障害者だの、思われる・・・それが怖い。怖いの。怖いの。周囲の目が怖いの。父の事思えば、気持ちが悪くなる。怖いの。怖いの。怖いの。もう泣けない。自分の感情も出せない。怖いから。怖いの。怖いの。怖いの。誰も共有はしてくれない、私の思いは。怖いの。 結局、父は自分のプライドから、認めずに、いなくなったんだから。でも、私は必死で父を救おうとしてきた。そして、そのたびに、父に思いっきり拒否されてきた。このままじゃだめだよ。何千回言ったことか。でも、母も見ようとはしない。父が、家で、なくなるまで・・・・見ない、聞かない。なかったふり。なくそう・・・って。
父が自死したことはしょうがないことなんだろう。でも、私の頑張りは無駄。そして、周囲の冷たい目。私は、今も泣けないよ。何かが私を押しとどめていて、もう泣けない。父が自死した後も、一人で泣いていたら、母に、「何ないてんの?」ってにやにやされた。姉にも母にも驚かれた。それが怖くて、家でも泣けない。母や姉を内面化してしまったからなんだろう。泣きたいのに、泣けない。自分の思いを通したいのに、怖くてできない。誰にも味方になってもらえてない気分。皆に笑われている気分。
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This script written by Shintaro Wakayama. |
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