Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 家族過去ログ No.76
メッセージ数:1520件

<1520> かえる ■2008年06月14日 土曜日 23時34分06秒
仕事が休みで実家へ帰った。祖母が私に、〇〇ちゃんはちゃんとみんな一人でやってるんだから心配してない、って。父の目、母の目、祖母の目、まわりの目に、今の私の姿はどう映っているんだろう?自分が認められたいから、褒められたいから頑張るんじゃない。したいからするだけのこと。仕事ではできる人になりたいと思うし、私生活では思いきり楽しめる人になりたいと思う。時には、仕事おわりの充実感を心地好く感じ、時には、疲労感や不満を強く抱き、帰宅後は家事もおろそかに夕飯を食べて速攻で寝てしまったり。それは、毎日違った色合いをみせる。晴れた日の洗濯を気持ちいいと感じたり、料理で野菜を切る包丁の音のリズムが楽しかったり、好きなものに囲まれ、自分のお城だなと嬉しくて掃除を念入りにしたり。私にしたら身のまわりのことをするだけでも楽しめる瞬間がある。不思議なもので、それを祖母は、〇〇ちゃんはちゃんとやってるって言葉で表現する。幼い頃のいい子の私である必要はもうない。ただ単に、もう親から巣立ちたいと、自分の世界を自分の手でつくりだしたいと、私のこころがそう思うだけのこと。親の顔色を伺って小さく小さく身を縮めていた怖がり屋の幼い私がいた。父や母、兄に不信感と怒りをおぼえても、おもてにあらわせずに、自分の感情を呑み込んでいた物分かりのいい私がいた。けど、今は違う。自分の感じたままを自分の言葉であらわすちからをやっと得られたんだ。もうなんにもできなかった子供じゃない。父や母の世界が、私の世界じゃない。親にこっちを見て欲しい、親に認められたいから私は生きてるんじゃない。私は私らしくていいんだ。自分一人の力で生活全般を賄えてることが、私の自信に繋がったんだと思う。自分で自分を褒めてあげよう。弱音吐かんと、よう仕事続けてる。嫌でも、苦手でも、人付き合いを切らんで、よう接してる。過食嘔吐に逃げ込まんと、よう辛抱しとる。あたしは誰かの賞讚の言葉はいらん。祖母に、〇〇ちゃんちゃんとやってる、って言われても…あたしにしたら、そうすんのが普通やろ?って思う。褒めてもらえるのは嬉しいが、あたしは子供のまんまじゃないよ…もし時間を戻せるなら、あたしが昔幼かった頃に褒めて欲しかった。けど、当たり前に時間は戻らんから、今は昔のあたしに、今の祖母の言葉を伝えてあげたいて思う。今はもう大丈夫やから、って一言を付け加えて…。
<1519> アーネスト ■2008年06月14日 土曜日 08時24分51秒
私は屋台骨。おかしな家を支える屋台骨だった。
<1518> アーネスト ■2008年06月14日 土曜日 08時23分04秒
「そうなるしなかなかった」「プらケーター」「ケアテイカー」になるしかなかった。そういう考えは主体性を欠いていて僕は好きじゃない。
<1517> aki ■2008年06月04日 水曜日 04時07分52秒
家族か。わたしは小さい頃から監獄でしかなかった。いつ抜け出せるんだろう?子供のころからずっと思っていた。


あれからずいぶん経ってわたしの持ってた、大人になったらきっと抜け出せるという夢は粉々に砕かれた。ここの監獄で行われていることは簡単に言えばネグレスト。あとはミスをしたらただくすくす笑ってるだけ。そんなとこで育って社会でうまくいくはずがなかったんだ。

わたしはものの善悪がよくわからない。嘘のようだけど本当。両親は一切なにも「教える」ということをやらなかったからね。ネグレスト。


よく、この出来事はどう解釈したらよいのだろう?という壁にぶちあたって前になかなかすすめない。親に相談しても笑われるだけだし。相談できる人もなかなかいない。


両親はまともにわたしとつきあってくれなかったから基本的な人間関係のいろはがわからない。どのくらい嘘つけば許されるのか?どのくらい距離をおけばいいのか?友達ってどこからどこまで?表面上のつきあいってどんな?どのくらい冗談って言っていいの?社会でやったほうがいい顔は?

手探りで今探している。ああ、他の人とあまりにもハンデがあるよな、と人生に虚しさを感じてしまう。

ハンデをしょった人間が監獄から抜け出して自由になれる瞬間を見てみたい。はじめから自分には何もなかった。小学生のころから抱いた自殺願望をおさえ、友人の「死なないで」と言ったただ一言のために生きている。


翼はいらないからたったひとかけらの羽がほしい。
<1516> こくーん ■2008年05月25日 日曜日 17時10分21秒
不幸しかもたらさない家族を持っていても、自分が不幸になるだけ。
切り離そう。

そう思うのに、
家族のない自分…を受け入れることも、辛い。

何故、皆が普通に持っているものがないのか。
それはずっと思っていること。

…切り離しても、離さなくても…ないことには変わりがないのに。
執着しているのか。
<1515> ぺあ(FB注意かも) ■2008年05月20日 火曜日 23時22分40秒
2年前。父が亡くなった。
ずっと苦しんでいたAC的傾向にあること。

それが、実は、父が双極性気分障害を持っていたこと。その躁状態のときに、母に八つ当たりをして、それを私は、物の見事に父の感情を察知しては、父の怒りを和らげようとしていたこと。

とにかく、学校で子供に、虐待を受けやすかったこと。ひどい扱い、際限の無い扱いを受けてきたこと。

教師や家族には、「お前が悪いからいじめられる」だの、「もっと意見をはっきり言いましょう」「おとなしすぎる」といわれ、そのまま、自分の中に取り込んでは、自分はどこにも居場所がないと思っていたこと。自分のままでは、みたらずだから、だめだ、世間で認められないだ思っていた。そして、なぜこんなにいらいらした子供に目を付けられやすいのか?という長年のくすぶり続けた疑問に、私は、「辛そうな家族」を取り上げて、「自分はただでさえずるくて汚い人間だから、敏感で純粋でそのままの感情を素直に出せる綺麗な、私のように大人の快心を買ったり、おべっか使ったり、媚を売れない子供には、私のずるさや汚さが分かるのだ、その子たちの怒りをぶつけられても当然だ」と思い続けたこと。
そして、いつしか、いじめられて当然になっていった私のどこにもぶつけられない思い、思いでさえ感知できない思い(怒り、恨み、悲しみ)は、自分に向かっていった。過呼吸になり、自分はガンなんだと思いこみ、異常人間だと思い込み・・・。それでも、尚、「順調そうに生きている」家族の一員をやめられない。どこまでも、私は「普通の人生」を世間体のために、降りられない。「どう見えるか?」だけが私の人生だった。親の、ため。教師のため。同級生のため。近所の人の目のため。順調で、大多数の子と同じ人生・・・。

過呼吸も、自分で押さえ込み、治し、まっすぐ歩けなくても自分で治し・・・。

辛いよって言えない。学校は恐怖。でも、それさえ分からないように、その恐怖を感じれば、敏感な子供に感じさせて、その子は私に飛びかかるから・・・。

誰にも分からない方法としと編み出した、自傷。それも空想の中での自傷。強迫神経のようだったのかな?自傷思考を編み出しては、自分を守った。自分の感情は全部壊した。

でも、もう1つの目で、上から俯瞰して、大多数の中間にいくようにした。感情を感じないように、周りの環境からの刺激を全部シャットアウトして、自傷だけして生きた、中学校から大学、いや多分、父の自死するまで。

必死だった。いつも、今でも自分を甘やかしていると思っている。

辛いことだけじゃなかった。勿論。楽しいことも、子供らしい時間も、いっぱい近所の年齢の違う子と遊んだ日々も。大好きな友人のことも。

でも、それでも、いじめられたことと、父や母のことで板ばさみになったことも、それでも、もたれかかることのできない場所で必死で自分を律していたことも。
いなくなった父に、私は、楽になったんだ。でも、時々、楽になって、自分の人生歩んでもOKって思えてからも、こんな風にいなくなるんだなあって・・・思う。
丁度、父が亡くなる前にもこのサイトに来てた。泣きながら。訳分からないと思いながら。こんな形で、訳の分からなかったことが分かり、私の感覚は合っていたんだって思えたとはね。

父に甘えていたのだろうか?私は、その後も、私をいじめた子の今の状況を聞く機会にもあってしまったけども。家族がそういう双極性気分障害とか、気分障害を持っている中で育つ子は、私と同じような思いをするのだろうか?

大好きで、理解をしたかったけども、半分は憎んでいた父。区切りになるだろうか?父が大好きだった。現世でもどこでもまた家族として生きてもいいかな?でも、やっぱり父のようにプライド高くて、頑固すぎる人といるのは、辛い。この先、私は、バランス取りながら生きて生きたい。過去の私は、素直で、優しくて、気を使いすぎた。自分を抱きしめて、生きたら、また、会えるかな?でも、変わらず、今の所、私が生きている限り、お父さんの娘だから。まあ、仲良くもなく、適当にこれからも付き合っていこうよって思ってます。
<1514> けんと 改め まさ ■2008年05月19日 月曜日 03時07分54秒
インナーマザーに支配されている自覚(FB注意!!!)

今だに母の言いなりになっているような感覚があり、小さな頃の母が、

俺の中にあって存在している。優しくも怖い母、それにすごく怖がる俺、

過去の時空にとどまっている状態だと、斉藤先生の「インナーマザーは支配する」を読んで、そう感じたんだ。

俺の時間は今より過去にあって、今と言う現実から漂って、過去に答えを

探してしまう。

何回、精神科医に語っても(トラウマ系の先生なんだが)

回復が止まり、自分の感情の成長を実感できない。

自分の中に、成長を拒む自分がいて、今は、5から8歳の自分がいる。

このときに、実家が火事になり、俺の感情は止まったと思う。

そのときの母は、燃え盛る家を見て、しゃくりあげて泣いていた。

まるで子供のように・・・・その記憶が自分の脳裏にこびりついて離れない。

典型的なPTSDであり、母もそうだろうな。

母が子供っぽいのは、いろんな苦労(父のこと、仕事、親戚問題、多分、父のとのセックスのこと)

で、混乱し、怒りを抑制して、自分の感情を生きることが出来なかったからだと思う。

俺と母は似ていて、あまりにも親密なので(偽りの親密さ、共依存)

ACの先輩の弟と妹は冷静にカプセル化と診断していた。

俺は実感がわかず、その後でAC知識を得て、ああ、そうかと思う。

母は、起業して元気になったり、落ち込んだりする。

最近困ったことがあったので、母に電話したが、まるで子供に戻ったように、

たくさん話す。95対5で、95が母、5が俺。

俺に忍耐力が無かったら(妹と今まで付き合った女性、その他のおかげ)

我慢して聞けない。しんどい作業であり、限界を感じると、

俺は適当な理由を作って電話を切る。

最近は、母の方から切るようになったが、しんどい作業であることには変わらない。

怒りを後で感じて、紙に書いて、自分の母に対する感情を感じて、怒り、

破って捨てる。

書いていて、自分の怒りが母と今までに愛した女性たちに向いていることに

気づき、唖然とする。

精神科デイケアは、インナーマザーに支配された形跡の在る、変に優しくて、

べたべた世話をする女性が多く、書いていて、気分が悪い。

心理療法が本当に俺にとって効果があるのか疑問に感じる。

俺は回復を学んで以来、自分の快、不快の感情に敏感になるように訓練してきた。

日頃から、自分の感情が理解できない方なので、何に対して怒るのか分からない。

考えると頭痛がするし、疲れるので、寝てしまう。

今日も、不眠で、それで書いている。

ワインを飲んだが、寝れないし、自慰もしたが、ストレス解消にならない。

自分の感情の中に、たくさんの規制と、自分らしく生きることに対して、

罪悪感と怒りと叫びたい感情と、葛藤する俺自身がいて、

原因が、あまりのも複雑で、自慢の頭脳でも解析できない。

まだ、コンピュータープログラムの解析の方が簡単だ。

怒りがまだあり、蓄積した排泄物のように、感情が便秘だ。

怒りに対して規制があり、俺は本当に怒らない。

今の彼女に対しても、本当に無礼だと感じる時、真剣に怒り、顔に出す。

彼女は、その俺の感情を理解して、かなり落ち込んだ。

俺は、2週間、無視した。

デイケアで学んだ、自分の感情を信頼して女性にぶつけて試すテストだ。

抑圧的な人生だったし、俺は、自分の感情や本音をぶつけて、それを理解でいない女は付き合わないと原則を作っている。

当然だ。感情をぶつけると言う行為は、信頼しているよと言うメッセージだし、

それを理解できないぐらいの女なら、恋愛に向くわけが無い。

俺は彼女は見事にパスした。

あまり話さないが、表情が豊かになり、感情が出るようになった。

思えば、今まで付き合った女に、同じ事をして、テストして、

付き合ったな。懐かしくも、懐疑的な俺を許そう。

変な宗教に約15年(足掛け)はまったせいで、俺の人間としての感覚は、

何かの刺激でFBして、時間が過去に戻り、その感覚で生きてしまい、

自分が自分でないことに気づく。

インナーマザーとインナー今まで世話を焼いてくれた女性陣が、

俺の中に巣食っていて、いろいろと話してきて、混乱させるのか?

それを感じて、俺自身が混乱するのか?

混乱も感情だと、斉藤先生は本で書いていたが、本当のそうなのか?

俺は疑問を感じている。

精神医学が万能か?先生もインナーマザーの役割をしていないか?

今まで読んだ本(心理学、哲学、宗教、PC関連、起業関連)

俺の感情と連想に影響を与えていないか、俺はそう感じる。

人格は、人間関係の関する記憶と「家族パラドクッス」に書いてあった。

俺は元々は2重人格だったが(同僚による指摘、約6年前)

それがうまく統合できていないのかと心配になる。

書いていて、吐き気がするし、怒りが出てきて、泣いてしまう。

自分の感情を感じて、過去をカミング・アウトして、自分の成育史を、

書くのは、本当に辛いし、自分の女性観が、今まで母と妹を含め、現在に至るまで、今まで付き合ってきた女性の価値観、今付き合っている女性の価値観の影響を受けて、形成されてきたことに驚きを感じ、不快になる。

ということは、俺は女性に対して、ノーガード(境界が無い)だったのか。

かなりショックである。

自分の信念ををもって(信条を10個作って、紙に書いて、たまに見返す)

生きてきたが、あまりの自分の無さに、あきれて、自分に腹が立つ。

このなんとも言えない敗北感は、自分を作る過程で、女性たちに侵入され、

(俺の言葉では心理的なレイプ)

自分が自分の性が嫌いなのは(ここでは不適当ですか?、ごめんなさい)

自分の男性性を肯定するより、女性性を肯定する言う、深層心理が意識化で

働いて、自分は女性なんだと深く信じた結果ではないかと感じ、

もう嫌になった。

俺は、母の相手を長くやってきたから、母は、俺を女子扱いしてきたのではないか?

普通の男子より、俺はかなり感情的で優しいので、そう感じてしまい、

そんな自分を責めてしまう。

怒り、怒り、怒り、怒り、怒り、怒り・・・

家族の基本単位は個人である俺自身だ。俺は、男性の家族の成員では無く、

去勢されていない男性でありながら、女性だった(かなりショック!!!)

注記:不適当な表現が多々あります。不適なら削除してください>管理人さん
<1513> こくーん ■2008年05月18日 日曜日 12時24分56秒
私の家族は、今はもうない。
そう思う。
葉を茂らせることも、実を結ぶこともなく、枯れていった木。

枯れてしまったその木にいつまでも執着して、落ちまいとする葉。
自分も枯れていることに気づかずにいる葉。
それが私なのかもしれないと思う。

もう、手を離して、枯れていることに気づいて。
もう一度分解されて、土に還って、新たな命の一部になることを願おうか。
それも夢かな。
<1512> アル ■2008年05月16日 金曜日 02時16分36秒
この間母親が話があるとうちに来た。

話の中で、また、私のことを「遊んでいる。」と言った。

子供の頃から具合が悪くて寝ていても「遊んでいる。」と言い、仕事に就いていても「遊んでいる。」と必ず言う。「お前は遊んでばかりでいいね。」が口癖だ。

結局、自分ばかりが大変な思いをしていると勘違いしていて、私が家のことを一切やらないでいるものだからそう言うんだろう。てめえが勝手に「お前は何もしなくていい。」って手伝おうとする私を拒否してきたんだろうが。

好きであのバカと結婚したんだからその後始末はてめえがやるに決まってるだろう。離婚も出来ず、子育てもまともに出来なかったんだからそれぐらい自分で責任を取れ。
こっちだって毎日嫌な思いをして苦労してるんだ。子供の時からだぞ。ふざけんな。
<1511> 真名 ■2008年05月11日 日曜日 23時00分29秒
結婚したら、私は彼と家族になる。
子どもは持たないと話し合っている。
猫を飼おうと話していたけど、旅行に行けないからやめようという話になった。
その代わり、旅行をしたりしようねと話した。
二人だけじゃさみしいこともあるにはあるけど、二人だけだからこそ楽しめることもあるから精一杯楽しみたいと思っている。
<1510> ぺあ ■2008年05月11日 日曜日 21時51分58秒
生きているのが、寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。

一年続きで、祖父と父がいなくなって、それも父は小さい頃から感づいていたけども、決してそれを表に出せなかった病気で。私にとっては救わねばという強迫観念と、共依存の基盤となったもので。
そして、祖母が今度は病気で倒れた。今にももう死にそう・・・?分からないけども。私でさえ、未だ流れの止められなかったあの時間、空間のトラウマで、電車とかバスとか公共機関が乗れないのに。もう、やめてくれ。自分を傷つけるこの父方の家系は、もう嫌だ。

私は人を助けたい。でもその数千倍誰かに救って欲しい。助けて欲しい。認めて欲しい。抱いて欲しい。寂しい。誰か、抱きしめに来て欲しい。感情の動きも変化もない、ロボットでいい。誰かに私だけを思って欲しい。何で生きているんだろう?
寂しかった。この家で、私は物に囲まれていたけど、こうあるべき家族にも、こうあるべき夏休みの行事にも恵まれていたけど、その中で、マイナスで、今にも倒れそうなこと、いじめの後遺症、学校と言う場が恐ろしくてたまらないことをいえなかった。

自傷して、感情を破壊して、学校と言う場に身をおいた。形だけ整えて、世間の多数派の節目節目にやることだけを、踏破すればいい。
感情なんか殺しても壊しても良い。

家族の中のロボットだから。良いこと、大多数の中にまぎれること、順調に育っていることだけが、大切で、そう見えることが大切で、実際に何を感じているかなんてものは、捨てないと。

もしも感情を持っていたら、私は父の双極性気分障害をはっきり見てしまっていたと思う。

父が死ぬほど嫌がっていた、精神的に弱い人間がかかるものとしてきた、気分障害に、私は心を持っていたら、気が付いて、逃げていたよ。
でも、物と、恵まれている旅行、スキー、記念写真、お金に囲まれて、文句や父の命を削って家族にしていることに文句はつけられなかった。

おかしいのに、言えない。
そして、それは学校でも、どんな人間関係でも同じだった。

おかしいよ。なのに、言えない。いじめられて、心は死んでいるなのに、誰にもそれを言えない。

死んでいるのに、心は、誰にそれに気が付かない。私心はもう自傷だけで、何も外界の刺激に感じないのに、順調に育っているように見せている私には、誰も気が付かない。

お父さんの双極性気分障害を知って、それが自死だったにしても、どれだけ楽になって、どれだけ、私の感覚は、私がおかしな子だから持つものではなく、親不孝者だから持つものではなく、合っていたんだと分かったよ。
でも、それが自死して分かったとはね・・・・・・・・・・・・・・・

生きていることって、なんて悲しいことなんだろうか?

私は、今誰かに抱きしめて欲しい。もう大丈夫って、性欲の刷毛口でもいいから、抱きしめて欲しい。私のことだけを誰かに思って欲しい。何で生きているんだろう?もう、甘えるなとか言わないで。お願い、誰でもいいから、私を見て欲しい。
<1509> かえる ■2008年05月11日 日曜日 07時05分04秒
前言撤回というか…兄に久々に会って、なんか、あたしの車のことをぶつくさ話してて、他の誰に言われても聞き流せるのに、あいつだけは駄目だ。てめーにはかんけーないんだよ。あたしは、あんたのこと、全くふれねーよ。間接的に誰かに少し聞いたりはするけど、本人を目の前にして、批判もしねーし、話題もふらねーよ、そーゆーところがあんたは無神経なんだよ。親になったことは認めるが、お前には人の気持ちはみじんもわかんねーんだよ。今度、家に来て、なんか言ってみろ、ぶちきれてやる。この怒りは呑み込んじゃ駄目だ。子供の頃の繰り返しになる。いい年の大人になったら、常に理性的で穏やかな対応じゃなくちゃいけないですか?まだ家族に変な目でみられても、父が怒りだしても、これが今の私のありのままの感情だ。兄だけは、許せない。
<1508> 真名 ■2008年05月11日 日曜日 06時42分05秒
お兄ちゃんのことも許せているなと思う。

この前実家に帰った時、私は寝てた。
前日寝られなかったから眠くて。
その日はお兄ちゃんたち家族が来て、みんなで外食する予定だった。
私が寝ているとお兄ちゃんが来て、隣の部屋から
「M,行かないのか?」
と聞いてきた。
「うん、眠い」
「じゃ、またな」
それしか会話しなかったけど、お兄ちゃんの優しさを感じた。
久々に話しかけられたという感じ。
うれしかった。
<1507> ぺあ ■2008年05月10日 土曜日 16時23分25秒
いつか、自分のために生きられなかったこと。
自分に良い様に生きることに罪悪感をずっとずっと持ってきたこと。

手放して、生きられるかな?

好きでもない男子に色目使って、汚い男子の言われるがままになって、友人ともどんな人間関係でも、教えを請う生徒役になってしまって、そのたびに、自分で星を回せなかった日々・・・

自分の良いように生きることに、ものすごい罪悪感と不幸そうな人を背負って生きた日々・・・

いつかいつか、もういいんだって思えるのかな?どうして、うちの家族は皆不幸そうなんだろうか?どうして、大学時代の友人は、きらきら輝いているんだろうか?私の周りには、「お前まだまだだね」という目で、先生役として、私に助言ばかりしてくる人が多いのだろうか?
いつか、私にも現れるのだろうか?軽く手を握り合って、さりげなく、でも自分の夢に向かって歩けて、自分に自身を持たせてくれる人が・・・・

自立した人間関係が築けるのだろうか?
もう、もたれかかられるのは嫌だ。特に男性には。女性も嫌だけど。神様、私にもうまく生きられる日がくるのでしょうか?この有限な人生に。
<1506> かえる ■2008年05月07日 水曜日 23時24分48秒
今更、父や母の言うことなんか聞かんよ。子供の頃から放任主義だったじゃんか。兄や私や弟がなに考えてて、どんな気持ちで育ったか、二人ともわかんないじゃんか。あたしだって、弟や兄のほんとのとこはわかんないよ。けど、形は違っていも辛かった気持ちは三人ともおんなじだったと思う。家を出た兄が一番苦しかったかも知れないと言った祖母の言葉はその通りかもしれないが、苦しみを比べんな。比べらるもんじゃないだろが。どうしたって、くいちがう歯車は、あんたはもう此処から出ておいき、ってギシギシと私に繰り返し言う。きっと、今の私には父や母の気持ちを想像し汲み取ることはできても、実感することはできないよ。いいこちゃんの私はわかったふりはできるよ、みんなの事情とか、感情、頭では理解できるよ。けど、こころでは拒絶し反発する。実際にはわからんもん。あたしは子供で、あんたらは親だ。この立ち位置は一生かわんない。親の気持ちは自分が親になって初めて実感できるんだと思う。こんな親子関係を連鎖させないために、きっと兄は今自分の子を精一杯愛してるんだろうな、って普通に納得する。昔、あたしにしたことは一生許せないが、これとは話が別だ。ちゃんと親になろうと、自分の家族の暮らしを築き、守ってる兄は、素直にすごいと思う。親になった兄は本当の意味で父や母を許せたのだろうか?私は、父や母のような生き方を否定してるかもな…。もしかすると、弟もそうかもしんない…。二人して好き勝手やって、親からしたら、いい気はしないだろうな…。でも、母は自分で言ったじゃんか。なに言っても聞きやしない、って。そうだ、あんたらの人生じゃない、あたしの人生だ。これまで散々迷惑かけて、この言われようじゃ、親のたつせがないだろうよ…。けど、私もちゃんと父や母を心底、許せるようになりたいんだ。父や母に縛られてるうちは駄目だよ。取り繕った家族ごっこの優しさなんか本物じゃないじゃんか。ちゃんと、私が私らしい生き方を一人でできるようになって、本当の意味で親の呪縛から解放されるんだ。
<1505> ぺあ ■2008年05月06日 火曜日 22時31分39秒
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああって叫びたかった。家のお皿全部割りたかった。
それが父の気分障害の正体を知ることだったのかも。

ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああtって叫んでいたら、お父さんは孤独のうちに死ななかった。自死なんかしなかった。なのに、私はそれを知らせずに気が付いていたのに、父を殺したと思う。

電車にのりたくないよお。もう、普通人間になりたくないよお。もう、無理だよ。助けて。窓蹴破って、でも乗れたら、また「裏切り者」ってA川さんに言われるかな?小学校時代の子の言葉なのに、不合理な話だよね?あの子は私が一緒のクラブにはいらなかったから、そういっただけなのに。

私の思うとおりのあなたじゃないときれられたことを思い出す。
友人にしても彼氏にしても、誰かにしてもそうだった。

そのたびに、生きているのが辛くなる。

ぎゃあああって叫べば心のままに生きていれば、お父さんをひきとめられた、最大の親孝行ができたのに。
誰のせい?誰のせい?

耳のありが痛くなる。そう。そう進むしかないすべてのことへの怒り。いじめられても、耳にむしいれられても、私は笑って学校へ行き続ける。そして父の自死を待つ日々・・・・・・・・・

ぎゃああああああああ電車をとめよう。人の流れも、どうあるべきな答えも、とめたい。とめたい。とめたら、お父さん自死しない。とめたら、お父さんあんな死に方してないよ。
あんな葬式してないよ。あの顔で死んでない。まだ生きている。退職して、楽しく農業でもしているよ。
とめたい。どこまでも頑張れる私を殺したい。そしたら、お父さんもお母さんもおねえちゃんも助けて・
もう、電車にのれない。なのに、のれたら、またここのサイトの人に裏切り者っていわれるよきっと。
<1504> ぺあ ■2008年05月06日 火曜日 17時04分12秒
私は家族が好きだった。

そして、両親の思いを汲んで生きていた。双極性気分障害・・・。でも、オードリーヘップバーンもそうだったって言うし。少なくない。北さんだって。チャーチルだって。
その家族だって、きっと。でもやっぱり、それを認めずに、ただそのよくない結果に向かって突き進む父を見ていた、痛みをやっぱり違うかな?良くない結果というか、結局、認めずに、見ない振りして、両極端のすごい怒り爆発の場面に遭遇して、泣きたいのに泣けない、子供の私。

延ばし延ばしにきたこと。そして、なぜ?か分からずに、それにこだわり続けた私。生きているのは辛いね。本当に。勿論、幸せな振りしていたから余計にね。

あの頃の、24歳のあの頃の・・・どっちに行ったらいいのか分からない思い。どう考えてもお父さん変だよという思い。お父さんの足や身体が、異常に痩せて、気持ち悪いと思った私・・・。

おかしいよおかしいよ・・・絶叫したいのに、声が出ないの。いじめられて、耳に虫を入れられて帰ってきたあの日と同じ。
声が出せない。助けて。確かにおかしいの。お父さん。なのに、家族は笑っている。結婚式間近で笑っている。おかしいのに、私もあわせる。助けて。言いたいなのに、出せない、出ない。皆社会の仮面かぶって生きている。助けて。そう心は絶叫していたのに、出ない。

一週間後に、姉から電話がきて、家の前に葬儀屋の車がとまっていた。お父さんのこと、とめられたのに、声が出なかった。どうしても。助けて欲しかった、私のことも。
あの時、の電車に乗れない、もう、出られない。社会の顔をつくって、周りに合わせて少しでもおかしいと思っても、皆の顔色にあわせて生きている。

自死を止めるだなんて言わないで。自死はとめられないの。双極性気分障害を私が赤ちゃんの頃から持っていたとして、認めずにここまできて、もう私には何もできないよ。なのに私を責めないで。いじめの女の子の声が聞こえる。「裏切り者!!!」「OOOOには何やってもいいぜ〜」「嫌だって言いなさい!!!!」「お前はこうだからだめなんだ。」「お前が死ねば皆おおよろこびする」「おとなしすぎて気持ち悪い」

どこにいっても駄目。誰とも駄目。でも確かに分かっているの。見えているの。自死する前の父の姿。どうしても分かりたくて、実習で、過去にいじめにあって、時空の変わった場所で、もう一度、訳のわからない世界を理解したかった。時の止まった場所で。
「私はコンプレックスだらけでした。」「同級生のことうらやましかった。」「友達はあんまり好きじゃなかった」って、校内放送で言った。
その後の学校中の生徒の突き刺さる目、視線、先生のあきれた顔、ばかにしたような顔、笑った顔・・・・・・・・・・

私は、ただただ私の弁明はただただ、訳の分からない世界を分かりたかった。いじめによって、時の止まった、あの場所で。小学校で。でも、その訳の分からない世界が、父の双極性気分障害であり、そのことを父が触れないようし、母もそうして、自信のない私は、子供の格好の餌食になった。

ただそれだけだった。

自信のない私を餌食にした、同級生。ああしろこうしろって、先生面して、私の悪いところを指摘し、ああしなさいと目を吊上げて、上から見ていた、同級生。

優しいけども、訳の分からなかった、現実寄与感のない家族。自信のない、臆病な私・・・・・

私の歯車と世界の歯車があまりにも食い違っていて、生まれた国や時代を間違えたと思い続けた日々・・・・。

父の自死ですべて理解した。私が24になるまで。本当に、うちの家族は。いつまでも私は、父のことを支えるために、子供であり、何もできずにいつまでも助けをまっている子を演じなければならなかった。

ずっと、理解したかった。それが、父親の双極性気分障害だったとはね。
<1503> ぺあ(FB注意) ■2008年05月05日 月曜日 22時46分14秒
お父さんが好きであり、憎くもあったね。
お父さんのこと、どう考えたら良いのか分からないなあ。

お父さん。気分障害は辛いよな。

私は、父を良いようにしてあげられなかったねえ。お父さん。私は、お父さんが、どれだけ仕事にかけていたか、定年退職後に、寂しそうな背中で帰ってきたか知っている。

超ごめんね。こんなこと書いて怒るよな。

お父さん、ありがたいこともいっぱいありました。

でも、無理な要求もたくさんありました。

憎くてしょうがなかったこともたくさんありました。

死ぬって・・・案外近いんだよね。お父さん待っていてくれるね。またあの続きの話をしようね。お父さん。いやはや、双極性気分障害を持っている方って多いんだ。だから、なっても大丈夫。

私は、大好きな父にひどいことしたなあ。あなたの姿を見て、思ったよ。お父さんが、ふけていたのに気がついたよ。会社でいっぱいストレスあったのも分かったよ。お父さんの髪型が思ったよりも後退していたのも分かったよ。
お父さんならば、「もう俺がいないならばどうでもいい」っていうね。でも、あんなに早くに色んなことを決めないといけなかったなんて・・・。

あの日を境に、父はいなくなったね。

お父さん、いろんなことしてくれたねえ。で、もう、この世にはいないでしょう?お父さん諦め早いしなあ。

どこでもかけることじゃないけども。あまりにも辛い体験した人のところではかけないの。だって、信じられないほどの体験した人を目の前にすると、「まだましかも・・・」ってどこかで思っているから。
かなりひどい娘でごめん。

お父さん。生きたように生きたかねえ?私は、ずっとここにお世話になっていて、よくお父さんの悪口もかいたわ。何を書いてもすっきりしないけども。お父さんにはいっぱい色んなことしてもらったと思ってます。でも、傷ついたこともまた沢山あった。

それが、躁状態だったとはね・・・。はあ・・・・。なんか、今日は、友人に「あなたはまだましなほう」「恵まれている」だなんていわれて、本当はショックみたいよ・・・・・私。

自死遺族の枠に甘えたくないわ。だって、小さな頃から見ていたことの延長なんだもの。私のバイト先に来てくれたこともきっと私のエールになっているよ。だからさ、また会おうね。福祉だって、多分できるよ。苦しいことも多かったけども、まあ、でもさ、私も行くから、皆行くから・・・。誰もが行くところだからさ。プライド高いお父さんらしいよ。もっと現世で、できることもあったかもしんないけども。あれで精一杯なんだよねえ。私もね、死ってこんなに間近なものだって分かったの。お父さん、そっち行く時はよろしくな。でも、まあ、悔いなく死にたいね、本当に。お父さん、私ははっきりいって、嫌な娘でしょう?
でもまあ、生きて、死んで。皆同じだね。悲しいこと沢山あるね。わたしはね、人からされた嫌なことを繰り返さないように生きたいの。色々あるよね?お父さん。
<1502> みゅー ■2008年05月03日 土曜日 19時07分09秒
お母さん、いつも、さっきも、あたしがPCで何を見てるのか、PCの後ろの棚に映ってるガラス越しに監視してるの、知ってるのよ。今だって、目の前には「父親」がいる。止めはしないけど、「PC、携帯持つと犯罪に関わる」って信じてて、日に日に、「携帯嫌い」になっていて、あたしは、どこか所在なさげな「父親」を、目の前で見てる。「母親」も、今は、そばの台所、うろうろしてて、普段だったら、「父親」「母親」が、家にいる時は絶対に、書き込みなんて出来ないし、しないんだけど。
でも、「母親」が、本当はあたしがPCいじってる時は、横になっても眠ってないで、いきなりむせたり、密かに監視してるのに、「あたしは、してない」って認めないこと。あたしは、すごく腹立ててるの。「あたしは、そんなことしない。あたしは、そんな親じゃない。」ニュースで、人の事は言ってるくせに、己の事は「他人事」。今だって、見てるでしょ。
あたしだって、こういう状況で打つと肩こるし、緊張する。さっきから、打ち間違えては直してる。

あたしは、「母親」には、正直になってほしかった。それより、また腹が痛い。腰も。持病の、左側の腰がめりめりいってる。生理痛4日目。生理始まって、1日目は、不眠で、不安定で。生理痛がひどかったから、眠るに眠れなくて。昨日も、「痛み止め」飲んでも、お腹痛くてしょうがない中、絵を描いてた。「いてぇ、いてぇ・・・」言いながら。こういうときは、なるべく気持ちを、楽しい方向に持っていくようにしてるけど、さっきみたいなことが、こういう「不安定」な中で、あると昨日みたいに、また「酒だけしかのみたくないよお」って思う。なのに、気持ちは、また「痩せ願望」に向かってる。
「兄ちゃんの救急車ごと」や、「兄ちゃんは、小さい頃から「心配される子」に慣れてるから、今も、お母さんに大事に、心配して欲しいんだな・・・」って感じるような発言してるの見ると、「痩せ願望」に気持ちがいってしまう。
今は、この状況で書いてる緊張と、生理痛、腰痛で、麻酔代わりに、もちっと、酒が欲しい。
お母さんは、行動が荒くて、怒ってる。
<1501> ネコかわいいよネコ ■2008年04月29日 火曜日 13時53分32秒
今日も父は理不尽に暴れ、母は愚痴を撒き散らしてる。
よく飽きないなぁ。もう30年くらいソレやってるよ。

もうそれに反応するのも対応するのも疲れたよ。
もの心付いた時からだからね。
夫婦の愚痴を聞いて報告してお互いの理解を深めれば仲良くなってくれると、
必死になってた子供の頃を思い出すよ。
何をそんなに頑張ってたんだろう。自分の問題じゃなかったのにね。

自分の記憶にないんだが、妹が出来た時に
「自分が出来た時も父はあんな事を言ってたのか?」と
母に聞いたそうだ。
母はその言葉に驚いたと言っていた。
何度も母は
「この子が出来た時に近所中に「俺は作った覚えない」と言った」と
父を責めてたからね。
気が付くよ。馬鹿じゃないから。
あぁ・・・
小さい頃に自分の本当の親は誰なんだろうと思ったのは、
これが原因だったのか。
スッキリ納得しちゃったよ。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.