仕事が休みで実家へ帰った。祖母が私に、〇〇ちゃんはちゃんとみんな一人でやってるんだから心配してない、って。父の目、母の目、祖母の目、まわりの目に、今の私の姿はどう映っているんだろう?自分が認められたいから、褒められたいから頑張るんじゃない。したいからするだけのこと。仕事ではできる人になりたいと思うし、私生活では思いきり楽しめる人になりたいと思う。時には、仕事おわりの充実感を心地好く感じ、時には、疲労感や不満を強く抱き、帰宅後は家事もおろそかに夕飯を食べて速攻で寝てしまったり。それは、毎日違った色合いをみせる。晴れた日の洗濯を気持ちいいと感じたり、料理で野菜を切る包丁の音のリズムが楽しかったり、好きなものに囲まれ、自分のお城だなと嬉しくて掃除を念入りにしたり。私にしたら身のまわりのことをするだけでも楽しめる瞬間がある。不思議なもので、それを祖母は、〇〇ちゃんはちゃんとやってるって言葉で表現する。幼い頃のいい子の私である必要はもうない。ただ単に、もう親から巣立ちたいと、自分の世界を自分の手でつくりだしたいと、私のこころがそう思うだけのこと。親の顔色を伺って小さく小さく身を縮めていた怖がり屋の幼い私がいた。父や母、兄に不信感と怒りをおぼえても、おもてにあらわせずに、自分の感情を呑み込んでいた物分かりのいい私がいた。けど、今は違う。自分の感じたままを自分の言葉であらわすちからをやっと得られたんだ。もうなんにもできなかった子供じゃない。父や母の世界が、私の世界じゃない。親にこっちを見て欲しい、親に認められたいから私は生きてるんじゃない。私は私らしくていいんだ。自分一人の力で生活全般を賄えてることが、私の自信に繋がったんだと思う。自分で自分を褒めてあげよう。弱音吐かんと、よう仕事続けてる。嫌でも、苦手でも、人付き合いを切らんで、よう接してる。過食嘔吐に逃げ込まんと、よう辛抱しとる。あたしは誰かの賞讚の言葉はいらん。祖母に、〇〇ちゃんちゃんとやってる、って言われても…あたしにしたら、そうすんのが普通やろ?って思う。褒めてもらえるのは嬉しいが、あたしは子供のまんまじゃないよ…もし時間を戻せるなら、あたしが昔幼かった頃に褒めて欲しかった。けど、当たり前に時間は戻らんから、今は昔のあたしに、今の祖母の言葉を伝えてあげたいて思う。今はもう大丈夫やから、って一言を付け加えて…。
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