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私たちの物語 - 家族過去ログ No.72
メッセージ数:1440件

<1440> ぺあ(FB注意) ■2007年12月05日 水曜日 11時32分02秒
学校は、私を改造して武装していく場。私のままでは絶対にいけない。
私はそのままでいじめられ続けた、あの日々をもう思い出すことはできない。あまりにもつらすぎて。
 でも、自分の感覚をなくすように迫ったのは、父であり、母だったのだ。
 お父さんの双極性気分障害を、見ないようにするため。現実のカバーをかけ続けた。だまされたふりをし続けた。現実を覆って、目を半分つぶるようにして、生きてきた。
 人を傷つけてはいけない。
 そういうものすごい思いだった。

 雰囲気、父の願い。
 お父さんは、自分でも自分が、双極性気分障害だと、認めることができなかった。格好悪いから。
 父のプライドのために、私は命を落としかけた。いじめで、心を殺され続けた。
でも、私の感覚は死ななかった、生きて生きてくれた。
 私は大学時代に、産婦人科に、体調悪くて行った時に、ホルモンのバランスが悪くて、そして、医師に「あなたの子宮は本当にものすご〜くちっちゃいのよ、でもまあ機能はしているみたいだけど」って言われた。
 そうなんだ、ずっとずっと私は自分に「女であること」を許してこなかった、人よりも上になること、女らしくあることを許せなかった、ずっとずっと自分を殺して、自分の感覚を麻痺させて、ただ人生の節目を「入学式」「卒業式」「反抗期」「思春期」「大学受験」「悩める青年時代」「やっと道が開けたふり」をただ、そう見えるように振る舞い、「パス」し続けた。
 どれだけの、恐怖と不安と、怖さと怒りを内に秘めて生きてきたことか。
 ずっとずっと、もう一人の子供のまま時間のとまった私は、寝ていたよ、うずくまって泣いていた、訳分からないってうずくまってうずくまっていた。でも私のもう一人の世間一般と同じように振舞い続けた私は、自分の感覚は異常で、人を傷つけてしまって、しかも「合いすぎている」から、誰かを蹴落とすものとして、感じないように、しながら、ただただ、周りにあわせて、周りにどう見えるかを考えながら、振舞い続けた。
 彼氏のこともそう。ただただ出来事を世間一般なフツーの子だったら起こるような事を、息を止めて、事実を「パッシング」していただけ。
 セックスする。キスする。全部大人の通過儀礼として、私の中の私は上からそうしている私を見下ろして、感じないように、して、ただただ事実をすることだけが大事なことだと思って生きていた。
 でも感覚を殺せなかった。殺さなかった。生きてきてこれた。
 あの日、もしも父が自死していなかったら、私は教育実習でも、自傷しても(自傷は私がどうしたらいいのかもう分からなくなったときの、恐怖の前の防衛手段、最終手段なのに)、許してもらえなかった、あの日、皆の前で意識とんだほど怒鳴られた、子供の前で怒鳴られ、職員室にまでおっかけられたあの日。私もう死んだと思う、精神はいつも学校で死んでいたけども。でも、私はわけの分からない世界を解き明かすのは、わけの分からない、一番自分の行きたくない場所に逃げずに行くことだと思ったから、行ったの。ただただ、わけの分からないこの世界を分かりたかっただけだった。そして、願わくばいじめられ続けて、そのままの私を批判され、まだだめだと責められ続けて、他の明るい子供らしい子たちと比べられ続けては、批判に晒され続けた私の位を、「恋愛も経験ずみな、誰かに大切にされてきた経験もそこそこした違う自分で」あげたかった。そんな私を姉と母にも見返してやりたかっただけなんだ。

 24歳で父親が自死した。そして彼が双極性気分障害だったと知った、はじめて。そして祖母もまたそうだったとした。祖母は自死未遂したことがあったことも。そして、私がNAに一番狙い定められて、漬け込まれ、いじめられ続けた日々は、ちょうど父が高速道路で、反対車線につっこもうとか、思っていた、したかった時期だったんだそうな。そして、母はそのくらいの時に、私が車かなんかで、誰かに連れ去られる夢を毎晩見たんだそうだ。
 その頃・・・・私はいつもいつもいつも人から卑しめられ、子供って言う理由で「からかいだよ!」って皆に言うあいつらをどけられなくて、ただただ、顔に虫つけられて、椅子を座る時に下げられ視界がぐるんって回って、いったかった、しりもちついて、毎日毎日「ばかあほしね」ってはたかれて、その子の気分次第で、集団にからかいの波を起させられて、皆でまってましたとばかりに、集団に思いっきりあげつらわれていた時期だった。
 いじめ。
 昔もあったよ。
 でも、今のいじめはもう逃げられない。いじめられるのは汚いから、格好悪い・・・どこまでも追い詰めて、自死したら、笑って終わり・・・大人になってからいきなり、「かわいそうだった」とか反省するごみ人間ら。
 父が自死するまでずっと私は自分の感覚をなくさせようと迫る人につかまってはいいようにされつづけた。
 24歳で父が自死して本当に救われた、良かった、早く死ねよ、あのくそじじいめ、お前のプライドで私はぼっろぼっろになったんだよ、早く死ねよ、このくそが。
<1439> ぺあ(FB注意) ■2007年12月05日 水曜日 11時10分47秒
ずっと、「自分の感覚」を失くすように、迫られてきた。
そういう家庭環境だった。
私の感覚を出せば、いや、感じれば、私は「合っているから」「正解すぎるから」父や母を、(脆い自我の持ち主を)壊す、バリンって割ってしまうって、怯えきっていた。
 そうして、そういう自分の感覚を疑っている、自分の感覚をまっすぐに出せない、許されていない(私の場合は、壊れそうな、ぎりぎりのところで立っている、ガラスのような自我としてしか思えなくて、寄りかかれる場所ではなかった両親を、壊さないために・・・)子供を、餌食のようにして、本能丸出し、本能のままの同級生の子供は、自分の感情を、ぶつけ続けたんだ。

 「何で嫌っていえないんですか?」「おとなしい」「あいつ何やっても何にも言わないぜ」「どこまで耐えられるかやっちゃおっか」
 子供の本能。理性のない、暴力性。集団。どんどんエスカレートしていく。私は、人から「あなたはこういう人って決め付けられたら、その人を崩さないために、そうならないといけない」って思っていた。
 その人の決め付けてくださった、自己イメージをはがすことは、その人を壊すこと(その人は私が助けないといけないくらい脆い人って思っていた)、その人への裏切り行為・・・。
 ずっとずっと、そう思い続けた。
 22歳の時にできた、彼氏。
 彼には「婚約者がいる」って早々に言われた。
 ずっと、私はそういう事実を、石なのに、「皆飲み込んで当たり前だ」って迫られて、栄養物だとおもって、飲み込んできた。おいしくもない、飲みたくないものでも、石なのに、「おいしいよ〜」って、事実を言ってくれる人なんてだれもいなくて、泣きたくても、誰も受け止めてはくれない、ただ「おいしいよ」って迫ってきて、皆笑っている、子供同級生が私の反応を見て、皆で見て、ニヤニヤしている中、何が事実なのか、石なのに・・・「皆飲んでいるよ、お前だけだよ、飲めないの!」って責められて、飲んだ。飲み込み続けた。飲んだ。痛くて、怖くて、でも周りの子供たちは、皆にやにやしている。「あ〜あ〜飲んじゃった、すげ〜よ、うける〜」って。
 こういう感じ、私の見ていた世界、学校、家。

 その彼氏にも、飲み込まされてきた。え?婚約者いておかしくない?って思った。でも彼が外人だったこともあって、こういうの普通なのか?宗教的なものなのか?って考え続けた。おかしいのに、「おかしいって言えば、相手は崩れてしまう」っていう私の中の消えない家庭の中でもらってきた、感覚のおかげで、言えなかった。
 ただただ、相手が壊れないように我慢して、目をつぶり続けて、生きてきた。そして、でも私の中の感覚だけは、死ななかった、殺せなかった、確かに言語化はできないけど、「いやな感じ」「信用できない感じ」があるんだ。
 でも、人間一般を信用できない私は、またもや自分を責めた。お前には一生恋人なんかできない。人を信じられないのは、お前の性格のせいだ。そう思い続けた。ただただ、言いたいことを飲み込み、できたことは、その彼氏には、昔占いで「同性愛者傾向にある」っていうのを読んで、変な感覚、人をまったく通じあえない、自分は汚い人間としてしか思えないのは、生まれつき、この占いの通り、「ぴったり」だって思った。(同性愛者の方ごめんなさい)
 だから、彼に「私女の子好きになったことあるよ」って言ったら、彼はげってすんごい気持ち悪がっていた。いったん、言ったら引けないのが私らしいけどね。
 ずっと、実習行くために、早くキスを経験したかった。早く、恋愛経験持ちたかった。あの学校が私につけた、「レベル下」な人間というレッテルを張り替えさせたかったからだ。いつも、そうだった。学校に行けば、「こいつ何やってもいい人間」としてしか扱ってもらえなかった。弱虫、汚い、こいつは奴隷、いいように扱ってしまえ〜。人間じゃない。ばかにされるのも、相手の機嫌に左右されて、いらつかせてしまえば、また当たられる、また皆に「Oさんの罰ゲーム!」って良いように皆の刷毛口。皆本当に心の底から楽しそうだった、私を傷つけることが。いたずら〜。からかっているだけ〜。からかいがいがある。
 いつも私は強くならなければって思っていた。改造しないといけなかった、私を。私でいてはいけない場所が、学校だった。だから、大学で恋人つくりった、ただただ経験済みをして、学校を見返してやりたかった、家族にも。そして、強く見せて行ったのが教育実習であり、大学時代のバイトだった。ばかで、下ネタ言い合って、世間に迎合できる「明るい」人間に作り変えた。何言われても傷つかないふりをした。
<1438> みゅー ■2007年12月04日 火曜日 02時22分04秒
眠れない。ちっとも眠れない。今から4時間ぐらい前、夕食中にあんなアホな言い合いがあっちゃ、興奮して眠れるはずもないし。お酒もちっとも酔えない。
なんであんな人が「父親」って立場なんだろう。あのヒト、「親失格」で「人間としても失格」だよ。お母さん、もうあのヒトに「お父さん、戦争で父親亡くして、「父親」としてのあり方が分からないんだと思う。かわいそうな人なのよ」って同情は、もう通じないよ。そんなこと言ったら「自殺遺児」の人たちだって、まともに父親の顔知らずにいる人だっているかもしれないのに、みんな「うちの「父親」」みたいになるの?

故仰木監督だって「戦争で父親亡くしたけど、選手達にとって父親の様な存在でありたい」って素晴らしい方だったのに。
「DV」とか「ドメスティックヴァイオレンス」なんて横文字にすれば、なんだかカッコよく聞こえるけど、要は「家庭内暴力」でしょ。カッコわるいよ!
その「言葉の「家庭内暴力」」を今日あたしはされたんだよ!あんなに「バカ!」だの「だからお前はおかしいんだ!」「そんなんだから外で働けないんだ!お前なんか、すぐボイコットされる!」とか、あんなに言われて。しかも、「先生は運動しろなんて言ってなかったよ!もう少し外出はした方がいいかもしれないですねって。今のあたしに「運動しろ」なんて言えないって!」って言っても「先生は言ったんだ。忘れてるんだ」なんて、デマ言って。恥ずかしくないの?!自分のしてる事?

おじさんは父親の顔、覚えてる時に、戦地に行ったっきり戻ってこなかったけど、でもそれだけで、こんなにも違う?「父親」が2歳の時、自分の父親見たらしいけど覚えてなくて、簡単に数えれば生まれてから終戦まで7年間、自分の父親の顔全然見てないとして、兄弟こんなにも違う?

お母さん。確かに「あのヒトは、何言ってもダメな人だから」だわよ。でも、あたしだったら、その時点で財布と子供の手引っ張って、それこそつっかけだけの、きのみきのままで家出てた。でも、おかあさんは、兄夫婦、弟夫婦と比べられるが嫌だったんでしょう。いいとこ育ちの変なプライドと、「変な同情」が、今日みたいな、あたしだけに対する、言葉の「家庭内暴力」に結びついちゃったんでしょ。

もう、あたしも歳だし、あまり先長くない予感するし、そろそろ家出る事考えよう。行くあて全く無しだけど。
<1437> かえる ■2007年12月03日 月曜日 16時53分25秒
本当にうちの家族は人がいいと身内ながらも私は思うよ。いつまでこの優しい人達に甘え続けるのか?外で働いてることで家の中では〈外で頑張ってるんだから〜疲れてるんだから〜〉と言ってくれる。家事と仕事を両立している人はいくらでもいるのに…先生も〈仕事と資格取得で大変なんだから家では怠けてもしょうがないよ〉とか話す。一体いつまでこのぬるま湯の生活が続くのか?私は産まれてこのかた、いつだって守られてきた。一人で勝手に寂しがったり親が子供に愛情無いって決めつけたりして、散々まわりの人達を恨んで振り回して…今に至る。昔から成長なんかちっともしてない。でも少しはマシにはなれたのか?私の微かな変化を先生や親やまわりの人達が見逃さずにちゃんと認めてくれる。有り難い。私の歩みは本当に遅いんだ。それを理解してくれるだけで救われる。でも今の環境ではずっといられるはずがないんだ。だからこれから先が物凄く怖い。世間の厳しさがわかってはいても一人になって飛込んでいく勇気が出ない。自分は本当に弱い。
<1436> ぺあ(FB注意) ■2007年12月03日 月曜日 10時48分13秒
うちはサイテー家族だわ。
ほんと。
私はずるいですか?
うつ病じゃなくてごめんなさい。双極性気分障害じゃなくて、ごめんなさい。精神病院にはいって、精神荒廃しまくっていなくて本当にごめんなさい。私はずるくて計算高いから生きてきたんです、そういう人に対していつもいつも自分はきたなくてずるい人間だって思っています、本当に思っています。
<1435> アル ■2007年12月01日 土曜日 23時22分08秒
私は決して親を許すことはできない。憎むことしかできない。
育ててもらったことに対して感謝なんて無理。
まともな家庭で育ちたかった…、この思いは一生消えない。
<1434> G ■2007年12月01日 土曜日 23時17分36秒
もう家族と離れていくのが一番いいのかなって思う。いろんなヒーリングとか相談とか本読んだりして、結果家族との調和が大事だとか言われても実際は一緒にいいるだけで気が狂いそうで、涙と怒りしか出てこない。兄が性的ないたずらをしたときも父は家出した私を殴って、「男がそんな感情を持つのは正常なこと」だとか平気でほざくし、私のこと今でも、気味の悪い目でしか見ないし、母も自分で物事は何一つ決めれなくて泣くばかりだし、相談しても支離滅裂になって黙り込むだけだし、冗談のひとつもえない雰囲気になってますますどうしていいか分からないムードを高めるだけだし、ついでを言えば私が元気なときは無視決め込んでかかわりたくないのみえみえだし、掃除しても掃除してもごみをまき散らかすし、仕事に行っても家でも休まらない。この人たちと調和もとってすごすには離れて暮らすしかない。。。
お金をためなくてはならない、もっとお金が必要なのだ。引っ越す先はもう、簡単には顔をあわせられないくらい遠いとこでなければならない。その遠いところで何か嫌なことがあっても、自分で頑張らなくてはいけない今の自分に出来るのかな?でも、それ以外に方法はないここにいればいただけ、自分はおかしくなる。ペットで飼われている猫でさえおかしくなってるのに、私は人など助けることは出来ない。このままずっとカウンセリングなんかを受けて少しでもまともなフリをして働くしか生きる方法はないのだろう。人生に目的なんかどうやって持てばいいのだろう。ただ死ぬことが許されないのであれば、少しはまともな精神状態で生きていたい。お金をためtこんにちは〜!一緒に遊ぼ!の人たちとはんれて過ごすのが私にとっての調和なのだ
<1433> ラビット ■2007年11月30日 金曜日 21時55分16秒
僕が家族から受けているのは耐えず支配されることだ。決して愛情なんかではない。今腹の中にものすごい怒りが貯まっているのがわかる。僕はACということばを知ってからもまだ心のどこかで虐待なんてって思ってたのかもしれない。でもそうではない。今も精神的虐待は続いていて自分の部屋にいる今でさえ体の首から頭にかけて硬直しているから。心には不快な感情と負けと感じる敗北感と圧迫感、そして腹の奥底にはとてつもない怨みという化け物がいる感じがする。

父を筆頭に母、姉ともにあいつらは悪魔だ。
<1432> so ■2007年11月30日 金曜日 08時29分09秒
わたしは、親だけでなく、その同居の親、ばばあに殺された。その女の狂気は強く、落ちこぼれなどとんでもなく、社会的に認められることが人間の第一条件だった。その狂気を父は受け続け、力を失い、母は姑の言うこと聞くしかない、これまた弱い人間だった。そのくそばばあの振りまく毒に、我が家の初期の汚染源が認められた。真の自己がかかえきれない怒りを、ここに吐き出して欲しいといったので、吐き出した。僕は君の見方だよ、毒から君を全力で、守る。
<1431> ぺあ(FB注意) ■2007年11月27日 火曜日 17時11分07秒
助けて。
母親のこと知らないっていいたい。でも自死されたらどう使用って思っている。くるしい。くるしい。くるしい。くるしい。くるしい。誰かを助けたくなったり、一人で苦しんだり、誰かを傷つけたくなったり・・・・
もういやです、母親のことを忘れたいです。もういやなんです。
でも私いじめとかあわずに、違う人生だったらどんな人生だっただろう。
<1430> ぺあ(FB注意) ■2007年11月27日 火曜日 17時09分45秒
母親が許せない。
でも母親にべったりな私もいる。
何なんだろうね。。。。
でも母親のおかしな言動は筋金いりだった。よおく分かった。もうあのばかの意見は聞かない!!!!
父が自死したことは3人の秘密らしい。
そうだよね。
誰にも言えないよね。
昔私は行き先の分からないバスに家族で乗っていた。その行き先はこういう暴走だったんじゃないだろうか。いつも不安だった。なのに、笑い続ける母と姉、父。いつもいつも何か変だと思いながらも何もできんで、ずっと人のいじめられるままの人生だった。
 いつもコントロールされていた。
まだ足りないまだ足りない。まだ足りないって言われ続けた。
変わりなさい変わりなさい言われ続けた。そんな人生だった。
あなたは自分で自分の面倒見れない子なのねええっていう風にあのSという男の友人にされていた。父とまったくおんなじことをされてきたんだ。だからこそ、認められたかった。でもあいつ「3年になってOOさん明るくなったよ」だとか褒めてきて、認めるよとかいいやがって、麦価じゃねええええええ得の!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
<1429> ぺあ(FB注意) ■2007年11月27日 火曜日 17時05分03秒
母親との関係がうまくいかない。
いや、もう既に昔からそうなのかもしれない。
母親を守っているつもりだった。
今、家族に対して私は「ずるい」っていう思いが消えてくれない。
私はずるいんだっていう感覚。
すごいある。
母の私への「早く働け外に出ろ」という視線がつらい。
あてつけがつらい。
母を理解できる日がくるかと思っていたけどもこなかったよ。これからでももうこないよ。
母親はひどい。
私から見たら母はひどい。
どうして父が荒れ狂った時に私たちに何一つも説明してくれなかったの?
躁鬱だって分かっていたらもっと楽だったのに。
何一つ父に合わせて生きていた。
そのくせ、私がいるときに声あげて泣いたりしていた。つらかった。おろおろしていた。私は。
私のことを「OOちゃんは気の弱い子の典型で〜す」とか言って大笑い。親戚中に話しのねたがなくなったときは、私のいじめられ話をする。「OOちゃんいじめられたことがあって・・・」とか。ひどすぎる。
「OOちゃんが男の子だったら絶対にいじめられています」とか笑いながら大声で子供の頃よく言っていたし。何があっても、「何でいえないの!!!!」と私をなじることもよくあった。
 そのくせ頼んでもいないのに、物買ってきたり、お金出してきたりして、私は自分で払おうとしたことも「いいよいいよ」とかお前のかせいだかねでもないくせに、払ってきて・・・・・。
一言で言えばうっせえばばあ。すぐに言ったこと翻すうっせええばばあ。ゆるせねえばばあ。あのきたねえばばあ。きもいばばああ。だいっきらいだ。許せない。何がOOちゃん好きなことないのお?だよ。うっせんだよ。死ね。あのくそばばあ。
はあ?あんたうちの姉と漢字が読めないごときで喧嘩してんの。「へぼ編集長」という言葉に姉がきれて、母に「何にもできないくせに」といい、母もきれて、実家に帰ろうとした。夜の11時に。で、お決まりの通り私がとめにはいった。で、後々聞くと、「実家に帰るのは私の喧嘩の風習だ」だとかほざきやがって。
そもそもこの家にとついで30年もたつのに、父が自死してからいきなり「この家はやだねえ〜」とか言い出す始末。やっぱり私はOO県民だよ。とか自分の実家を今までばかにして、田舎くさいとか馬鹿にしていて、私都会人だからあって実家でいいまくっていたくせに、これかよ。
はああああ?
ばっかじゃないの。このぶた。
この家の人は何にも風習をしらないだとかわめきちらして、いい加減にしてよ、父がいたときは父の言うとおりだったくせに、てゆうかてめえ働きたくないから父にしがみついていただけだろうが!!!!!!!
で、父がいなくなると、急に今までの習慣を「ああもうやだやだ」だとか言い出し、学歴とか言うと「もうそんな学歴いい会社だとか一切聞きたくない、この躁鬱家族!!!!あたまおかしい。こんな家結婚するまで見たことなかった。私はさああ・・・・ふつうのふつうの家に生まれたんだよ・・・」って私に言うのよ!!!私は娘なのに・・・・私は娘なのに。。。。。どうして?
<1428> ぺあ(FB注意) ■2007年11月27日 火曜日 12時26分34秒
同じケースな方のコメント読んだ。
いやだあああああああ。
ええええ?
何で?両親とも自死された方とか結構いらっしゃるの。
げ!
お願いだから、もう誰かに自死なんか死んでもされたくないよ。
やめてよ。。。。
でもうちはうちの父方は本当に。
父の母親(祖母)も気分障害、父の弟も気分障害で、措置入院をしている。
すげええ家族だ。
やめてくれええ。
もうやだ。
母は更年期とうつ。
姉は不安障害。
私さ、この家にいると、健康で幸せ感じて生きるとものすごい罪悪感なの、子供の頃からそうだった。
<1427> ぺあ(FB注意) ■2007年11月26日 月曜日 20時40分29秒
家族が分からない。
私にとって家族っていつも一緒に旅行行く人たちのことかと思っていた。
家族って何なんだろうか?
家族が分からない。
家族。
格好つけあいの場。
母親のあの翻しももう聞きたくない!!!!!
頼んでもいないのに、物を買ってくる。そんなときだけルンルンなのね。
意味不明。
「あんたは一体何が好きなわけ?」だとか、うっせ〜んだよ、死ね!
とか思いながらも、
外出先でもしも今誰かが殺されたらっておもうだけで、いてもたってもいられない。
母が不安定なんだろうと思う。
母は更年期からうつ病になった。
見るからに午前中はすごい顔色も悪いし。
でも近所の人とおしゃべりする時だけは、虚勢はってんのかわからないけど、元気なのね。意味不明。このばか。
ああもう嫌、母親にいつまで私はつきまとわれるんだろうか?
もういいやだああああああああ。
うまくかけないけども、もういやなの。
いつも家族が自死することを浮かべて、それを発見すること考えて生きるのも。いつも私じゃないだとか警察に弁護している姿を思い浮かべるのとか。
恐いの。不安なの。何かを見落としている気がするの。
私だけの人生を生きたいんだけども、そうすると、それに絶望している母親の姿が見えるよう、そして最後は自死している姿が出てくるようなの。辛いの。怖いの。
人生って辛くないといけないの?
私には分からないの。怖いの、不安なの。不安でしょうがないの。
<1426> みゅー ■2007年11月25日 日曜日 23時31分54秒
今、ドラマ見ながら書いてる。ドラマはビデオ取ってあるし、ほとんど見てないんだけど。
今日、ほんとはここに来るの怖かった。「また変なこと書いちゃった。しかも酔ってる・・・」今も、はっきりいって「しらふ」じゃないけど打ち間違えに気が付いて直す余裕はある。今日は、今のところお酒は気をつけたの。
考えたらもったいないよね。いくら安酒屋で、お酒買っても「ちりも積もればなんとやら・・・」だもんね。
今、お母さんからメール来たんだ。メールふてくされずに普通に返した。今日、自分の部屋で好きな音楽、いつもだったらお母さんがいたら、聴けない音楽をラジカセでわりと、あれでも大音量になるのかな?聴いて「わ〜。なんか別世界にいるみたい!」って思った。
だけど、きっとたぶん、お母さんがいたら「好きなことできないで、うっとうしいなぁ」って思っちゃうんだろうなぁ。

あたしも兄ちゃんと同じことしてるんだろうなって思った。兄ちゃんは、お母さんがいない時に、あたしをお母さん代わりにして相談して、お母さんが帰ってくると、あたしの前で同じことをお母さんに相談して・・・って「ポイ捨て」というより「都合のいいヒト」にされてるだけで。
本当は、もう兄ちゃんのことは、もう書かないつもりだったけど。
兄ちゃんは、ただそこまで気が回らないだけ。いやみとか言えない。言い方とかが分からない人なんだって分かってても、頭にきちゃうんだけど。
「だったらはじめから、あたしに何で相談するの!」って。

でも、よくよく考えると、あたしもお母さんがいない時はすごく寂しくて、どこかで頼られてるの分かってるから「しっかりしなきゃね」って、気がピン!ってなるけど、お母さんが家にいると「好きなことできないし、うっとうしいなあ」って、兄ちゃんと同じ「都合のいいヒト」にしちゃってるのかも。

あたしね、本当は誰かにあたしのこと好きになってもらいたいの。これから太って、どこかで働いていろんな人と出会うことがあっても、きっと誰もあたしの事好きになれないと思う。それはね、もしかしたら容姿とか性格とかの悪さに加えて、もしかして、あたしの存在の周りに「母親の影」もあったからなのかもしれないって思うんだ。

23歳ぐらいに、多少強気で突っ走ってた頃、先生にね「あなたは人一倍、人懐こくって、寂しがり屋の人ですよ。」って言われたの。
もしかして、兄ちゃんも、こういう想いしてきた人達って、本当はすごく、寂しがり屋さんで、すごく人懐っこい人たちかもしれないなって。
あたしはどうなのかな。「家族の影」もしかしたら「母親の影」も、なくなったら本当に、家族以外の誰かにとってあったかい存在になることができるのかな。昨日一緒に遊んでくれた近所の「おともだちどうぶつ」みたいに、いるだけでいい。いるだけでニコニコなごめる、そんな存在になれるのかな。

いつか、「自分のたいまつ」つけて長いトンネル抜けたら、暖炉や、ちょっとやそっとじゃ崩れないキャンプファイヤーの前で「ほっ」っとできるのかな。
明日は、どう過ごそう。あまりカリカリしないで過ごしたいなぁ。
<1425> ぺあ(FB注意) ■2007年11月25日 日曜日 21時29分56秒
私生き延びてきたんだ。
生き延びたの。
生き延びたの。
それで「であんた何が好きなわけ?」。
生き延びるだけで精一杯だった。
決して外の世界には母親の親戚なんか特に、このばか女の見栄っ張りのために、全くそんな風には見せてこなかったけども私は、自分が生き延びてきたことを大切にしてあげたいの。
父が自死するまで私は見栄っ張りでした。
父が自死するまでは父のお気に入りやってきたのでしょう。
父が自死するまでお父さん自分が躁鬱だってばれなくて、いや自分も分からなくって良かったね。そうとしかいえない家族でした。
見た目には全く見えない、仲の良い家族でしょうけども。
私はもう殺されたくない、殺して生きても、私は家族以外の人と関係結べなくなるんだ。
 私だけは殺さない自分だけはきちんとどれだけ悲しい思いしたか分かっているもの、でも母の姿や母の私に対する態度見るだけで自信がなくなるの、きっと母親の親戚も同じだろう、そう思うとどんどん沈んでいく。
<1424> ぺあ(FB注意) ■2007年11月25日 日曜日 20時59分02秒
もう限界・・・
うちの母親と一緒に住むのはもう限界・・・・
もう限界なのかも・・・・
辛い。
殺してしまうかも。苦しい・・・・
死んだりしちゃうかも・・・・殺してやりたいくらい憎い。
書くね母親に見られたらどうしようっていう思いもあるけど、書こう。
殺してやりたくなる。
夜中とか殺しそうで包丁で刺しそうで、部屋とおれないもん。
殺してやりたい。
本当に許せない!!!!
見られたらどうしよう?
母親は言った。「私と姉がいい大学に入らなかったら、父さんにお前の頭の遺伝引き継いだから、だめなんだって・・・だから父さんにそう言われないために成績良くなって欲しかった」と。
 そして「今になって思えば誰が何処の大学に入ったかどうかなんてどうでもいい話しだけどね・・・・・」
 そして今日私がいつまでも家にいるのが許せないらしく「あんたは何が好きなわけ?やっぱ料理?」とかうっさく聞いてきた。
 私ずっとずっとこのばかな家の茶番につき合わされたんだ。
 父の格好付け。
母の華麗な翻し。
 何一つとして。
 私は母を助けたかった。父の躁鬱だとか知らなかったから私は母から父の怒りが向けられないように必死だった。母は「そうだっけ?」とか忘れている。でも「OOちゃんが私の方を心配そうに見ていて、OOO(姉)と父さんは二人で先にどんどん行ってしまっていた」とか言っていた。
 驚くことに母は「私って父さんに殺される日くるのかと思っていた頃があった」だとかほざく。
 私必死だった。
 学校でいじめられていても必死だった、母を守りたかった。
 すべて茶番。
 後から父の躁鬱を知り、でも逸れ知ったのは父が自死してからだ。
 そして母は今フィーバーしているみたいよ。歴史楽しい!!!とか大騒ぎ。で、「あんた家で何してんの?」だとか「あんたは何が好きなの〜?」だとか・・・
この家に私は何で生まれてきたのかな?
 父には高校時代すっかり気落ちして(いじめの後遺症で中学までは心を殺しまくっていたから、それが出たのね)制服のままソファで眠っていたら、「お前なんかしろよ!!!」って激怒していた。
 ねえ、このサイトを読んでいる人は私の両親ほうが正しいと思いますか?
でも何一つ私には素直な答え返してくれなかったのは父だよ、母だよ。そして母の勝手な翻し。
 「父さん純粋すぎるよ」
「ずっとお父さんを弱い人だと思っていた」(そういう目で彼女は父を見ていたの知っていた)「大企業の中で出世する人普通にいるのに、父は精神を病んで弱い人だと思っていた」そして自死してから
「父さんは強い強すぎるんだよ、やっと分かった。うつ病の辛さを私に分からせて彼はいったね・・・」「優しすぎるんだよ」とか。全く理解し合えていなかった夫婦な気がしている。
でも私はその中で必死に茶番繰り返していた。自分の成長も真の成長も省みずに必死でこの家族の中で両親が気に入るように生きていた。必死で。心を殺して、ただ24時間(睡眠時間除く)勤務の営業マンのようだった。演出。うまくいっている順調に育っている普通の子供役。観客すべての人。特に父と母、姉、そして母のプライドを守るために母の親戚、父の親戚・・・・近所の人。
 本当は倒れたかった。
本当は泣きたかった。
本当は学校通えなくなるくらいの悲しみだった。
すごいよね?姉には「私が大変な間、あんたは婚約者のOOちゃんとラブラブでルンルンしていたんだろうが!」「早くOOOO(姉の新居)帰っちゃえ!!!!!!!!」姉に暴言を吐く。
 そして今は私に「あんたさ、何やってんの?家で。あんたさ何が大体好きなわけ?」
 もういい加減、このばかに振り回されたくない。
 言わせて。
母は躁鬱なこと知っていて、勉強しなかった。したのは父が自死してからよ!!おかしいと思わない?父が躁鬱で苦しんでいるのに、当時はそんな事知らなかったけども、母もね、それでも「会社行きたくない」と寝込む父に「私をこんな目にあわせて!!」って父が苦しんでいるのに、泣いている、そんな母なの。ひどすぎるよね?いじめで苦しむ私にも「いつまでお母さんを悲しませたら気が済むんだああ」って私に受話器で叩きつける始末。
 自死して急に「父さん長生きするんだったら離婚しても良かったな」だとかほざいている。悪いけど、もう遅いんだよ。もう父は自死しました。
 父が自死する前の日にね、「あそこのボイラーがだめになってんだよ。あれじゃだめだ!」ってぶつぶつ一人で暗い顔してつぶやく父に母は言った「いい加減にしてくださいよ!!!いくつだと思っているんですか?娘が結婚する年になったんですよ!!!」そうやって父を殺したんだ。
 後で泣きながら(気持ち悪く身をよじりながら、ほんとげろはきそうなほどきもい行為ばっかりしやがる身をよじってんの、きもいんだよ、このくそ女)「何であの時抱きしめてあげなかったんだろう?」だって。
 本当にばかじゃないの?
 いいじゃん、金もらってよかったじゃん、この豚女が早く死ねよ、ぶす!!!
ここ読んだらどうしようって思う、でも正直な思いなの。お前ばかじゃねえの?ぶ〜す。死ね早く死ねよ。もう怒りはとめられない。いい加減にして欲しい。
<1423> ぺあ(FB注意) ■2007年11月22日 木曜日 19時11分00秒
今でもお父さん帰って来るかもしれないって思っている。
ぴんぽーんって早めのチャイムで。
父を恨み、生きているときは辛かった。
父の躁鬱を知り、父が亡くなって、誰かにもういじめられることもない、責められることもない、日常は、それに同情も優しさも、もらえるし・・・私は楽になったの。もういじめられた頃じゃない。今はある程度の人に「休み」期間を許されてもらっているから・・・・・・・・・・。
 そんな自分を父をこんな形で亡くしているのに、楽になっている私を「心底ずるいきたない」とも思っています。でも、休みたいんだ・・・・・・・
 そしてもう十分私は大人なんだあ・・・・・。お父さんが死んでよかった。そう思う思いもあるの。正直に書くと生きているよりもずっっとずっと楽になったから。他者からの整合性もつくし、堂々と休めるし、堂々と鬱にもなれるし、だって自死ってしらなくとも、親の死で精神的にバランス崩す人もいるでしょう?
 素直な思いたち・・・・・
私は否定しないで、ここに書かせてもらうんだ。ありがとう。ここにきてからもう3年以上たつけど、家族関係は大きく変わった、父親の死。そして始めて知った父の躁鬱。ずっとここに来ている頃はじめての頃は辛かった、生きていた頃の方がずっとずっとつらかったよおおおお。
 ごめんな、父ちゃんごめんな、自死して楽になっただとかおもって本当にお父さんごめんよ。
<1422> so ■2007年11月21日 水曜日 23時54分09秒
お母さん、やってしまったんだね。その選択しかなくて,僕を見捨てた、困った?いや、、すっとしただろ、僕を見放して。僕は心の中で,暗闇の中で,君の帰りと,連絡を待ち続けた。とても小さい頃、あなたは来なかった,僕は捨てられたんだ、つまりミミズなみの価値に自己を認識した。いらないんだ、お母さんは,僕を,つまり僕は世界の中で無価値だ、そう全身で認識した、いわば心に入れ墨した。幼少期の入れ墨。気も狂わんばかりだった、そりゃ、最初は、でもあんなにたたかれたんじゃね、、、、怒りと,凶器は抑圧し,静かに眠った。やかで僕は死んでいった。歩行期以前の話だ。いつかその武器で世界を破壊してやりたい。狂う僕がいる。恨み,怒り、殺気を放ち,静かにしてる。こうして、書いて溶かす。わずかながら、溶けて流れる。ぶち殺す。
<1421> ぺあ(FB注意) ■2007年11月21日 水曜日 21時44分38秒
自死に関するサイトで、いろんな人のお話を読ませていただいた。
涙が出た。
こんなにもどうして二重で家族を自死で失う人もいる。
身元不明のまま、警察に呼ばれて遺体確認をした人もいる。30代で両親二人ともなくされた方だっている。いや、もっと現に病気の方だっている・・・。

どうして?
悲しいことが三重のように責めることがあるんだ。
比較はもうしないって決めた。
でも悲しかった。どうして?かたや、私の友人のように毎日ハッピーな子たち、きらきら輝くような女の子もたっくさんいるのも知っている。本当に家族にも健康にも友人にも恵まれ続けた子も知っている・・・・。

 神様、どうしてなんだろう?
 もう介入はしないよ。でも悲しいよお・・・・。神様お願い。神様、鬱とかそういうのもどうか和らげて。そんな悲しいことが起きないように。
 私は、思う。
 皆自分のことだけ考えて生きればいいって思う。
自分が一番大切。自分が大好きな人ばっかりだったらいいのに。
自分を責めるのは自分を含めてもうやめたい。悲しいことが起きないように。でも私もそういう悲しみに関わらないようにして行きたい。そう考えると私には自動車だって運転できなくなりそう。本当にぬけているから・・・誰かに事故とか巻き込めないし。
 私は確かに家族を自死でなくした。はじめて父の躁鬱の気分障害を知ったんだ。でも、このサイトで書き込まれた悲しみや衝撃は私を圧倒する。神様お願いします。どうかどうかどうか神様、人間を助けてください。どうかお願い。傷ついた人を優しく癒してあげて下さい。傷ついて、復讐の権化になっている人、心を閉ざした人に、暴力を受けてきた人に、どうかエンパワメントされて、いつか、そういう暴力を小さいものとして見れて、いつか笑い飛ばして生きられるように・・・・誰かを貶めることなく。神様お願いします。どうか、悲しいものが癒されますように。私にも。絶対に。

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This script written by Shintaro Wakayama.