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私たちの物語 - 家族過去ログ No.71
メッセージ数:1420件

<1420> ラビット ■2007年11月21日 水曜日 21時21分00秒
ほんまに心をイライラさせる母親!とにかく言葉をきくとイライラむかつく!人をあざわらうかのようなあの本心から笑うことのない笑い。僕が聞いてるのをわかっていて精神分裂、精神分裂の言葉連発するな!それから父よ!お前は人間のくずだ。僕が仕事をきちんとこなした事が気にいらないかなんかわからんけど感情むきだしわけわからん口実で人をけなすな!それからアホな姉よ!人の粗探しばっかしするな!
あんたらが幸せになれへんのは僕のせいではない。それはあんたらの責任や!
<1419> halu ■2007年11月20日 火曜日 21時22分06秒
AC、すごく気にしすぎるところ、人に合わせすぎるところとそれとは逆に人の輪に参加できないところ・・・父と私の似ているところはいっぱいある・・・それゆえに、心配しすぎて学生時代から父の愚痴や話を聞きすぎてしまったのかも・・・父も私も家族以外に話す人がほとんど居ない・・・家族以外に話を、会話を出来る人が居ないのかも・・・父と私が話してる内容って、一般的にうっとうしくて聞いてて後ろ向きで・・・とかそんなん・・・だから最近父と話すのが嫌になってしゃべっていない・・・遅い反抗期?(笑)
そうやって父のことを客観的に見てると、私も他の人からそんな風に、しゃべりにくい奴って思われてるんかもな・・・って思った。本で「鏡の法則」ってのがあった。なんかそんな風に行動できたら良いんやけど・・・やっぱり父親も母親もおかしいもんな・・・
<1418> ぺあ(FB注意) ■2007年11月20日 火曜日 19時33分14秒
もう要らない。
もう要らない。
おせっかいな友人も。親も姉ももう要らない。
あいつらのアドバイスはもう要らない。
もう聞かない。
 「自閉症だった私へ」という本であったように、ドナさんに言わせれば、本当の自己を見せられない家族なんていないも同然・・・だと書いてあった。彼女が正しいとは思わない。でも彼女のものすごい率直さや、まっすぐさ、完璧さから言えば、やっぱりうちの家族はいないも同然だったのかな?
 いや、そうじゃない。
 あれが私の家族なんだ。
 父が躁鬱の気分障害を持っていたこと。
 父は大企業の中にいて、常に人と比較、競争しかなかったこと。
 私はこの家では、絶対に自分の素直な感情を見せられなかったこと。
 常に、「普通に順調に育っている子」を周りに見せるためだけに、ふりをし続けたこと。
 感じている事を無視して生きてきたこと。
 姉に常にばかにされるのが当たり前だったこと。母に、父に常に姉と「性格」で「すべてにおいて」比較され続けたこと。
 私が、大学時代あのSと付き合ったのは、母親と姉と過去の同級生を見返したかったから。私だって一人の敬意払われるべき人間として、扱われるんだって見せ付けたかったから。
 すきでもないのに、頑張って付き合って、彼の部屋に「ふつう」な女の子の反応を探りながら・・・「行くべきだ」って考えて、行ったこと。当然のごとく、キスされたこと。舌まで入れられたこと。気持ち悪かった、あのべろがすんごい動いてんの、あっちはいらついているようだった、私の素直な気持ちばれたらどうしようって思った、あっちの反応はいらいらして、早く「性感」を感じたいだけのようだった。服もぬがされた。最後までしなかった。もし寝ている間にされていたら、違うけど。でもそういう人ではなかった。それだけで救いだった。大学ってそういう場所だった。そして私は常にパワーゲームの中にいたから、そうやって競って恋愛した。
 昔大学時代の友人に「上、下って基準であんたが私を見ていたら、失恋話しとかできないよ〜」って言っていた。「失敗とか話せないよ」って。
 そうなんだ。
 私も、このパワーゲームだけの家で、比較試合だけで、どっちが上が、どっちが世間的に認められているか、そんなことしかない、この家で・・・いじめの話ができなくて当然なんだ・・・ずっとずっとこんな「優しい」人に恵まれて(虐待とか受けない、いい家で・・・当たり前なのに、もっと辛い人を想像してしまう、そしてましって言う目で見てしまう。)なんで私はいじめられた話しをできなかったってずっとずっとず〜っと自分の「勇気のなさ」を本当に責め抜いた。
 だから、無理やりの勇気を出しては、傷ついた。本当の素直な気持ちはどんなになっても私は認めてあげられなかった、危険なものだったから、誰かを崩すものだったから・・・・
 そういう感覚しかなかった。
 でも今ならもう分かるよ。
 私が24歳で父親が躁鬱の気分障害で、自死して。
 そうしてやっと初めて知った、父の気分障害を。隠されてきたから。見ないでっていう父の願いを無言の怒りのような願いを子供の私が吸ってきたんだ。
 私は、見たまま感じたまま聞いたまま、いたら、それは父の気分障害を見ることだったんだね。だって、変なことくらい分かるでしょう?
 お父さんにとっては、恥だった。
 そんなくだらない茶番劇に付き合わされて・・・・育って・・・・レイプされそうにもなった、いじめにはもううんざりするくらい遭って来た、婚約者いるのに、それを言われて尚付き合わされた、どれも、「分かる」のに、「何か変って分かるのに」自分の目を濁らせて、「自分の感覚のままで相手に抗議すれば、相手の世界体系を壊滅されてしまう、自殺するかもしれない・・・・自分の正しさは分かるけども、相手はかわいそうな不幸な人だから、救わないといけない人だから、私は言えない・・・私が我慢・・・・いや、世界はこういうものなのかな・・・・私は間違っているのかな?」
 あいつと婚約者いるって言われながら付き合わされた時もそう。そいつが外人だったからもあるけど。「ああ、これって彼の国では普通なのかな?」って頑張ってしまった。私変だし・・・・。何にも気がついてないふりをしてあげる感じ。
 思い出した。中学校時代、3年の時、N村っていう男子に足をそいつの足を私の足にくっつけられた。きもかったね。でも何も気がついてないふりをしてあげる。だって、その年ごろの男子だもの、性欲たまっているじゃない?かわいそうだから・・・はちきれそうならば、自分に向けてもらっても良かった、だって、分かっているけども。。。。その人の狙いにどんどんはまってしまう、漬け込まれてしまう、漬け込ませていた。気がつかないふりしてあげながら、いじめられ、レイプに近いことされ、二股を普通にかけられていた。
 話しは戻るけども、その婚約者持ちの男を私は「信用できない」って思っていた、その感情だって当たり前の感情なのに、当時は「私は人間自体信用できない、自分の問題なんだ、心を死んでもがんばって開かないといけない」って自分を責め続けた、心を開く努力しかしなかった。
 でも当たり前な話しだった。
 信用できなくて当たり前なんだ。
 父の自死で何もかもがわかった。
 私の目を私が何だか分からないけど、誰かが壊れる気がして、濁らせて、見ないようにしてあげてきたのは・・・・・父が躁鬱の気分障害を隠したがったからなんだ・・・・・・・・・母も同様。父の手先のような人だから。そして、最後は自死されてんの。ばかじゃない?このばかばばあ・・・そのくせ、「このOOOO家を一生恨む」だとか、「お義母さんをOOO(父の名)さんにそういうDNAを受け継がせたことを一生恨みます!」とか私たちの前で叫んでいた。そのくせ、「もう恨んでないよ」だとかうざい話しばかり・・・・
お前、父の自死前に「いい加減にしてくださいよ」って父を殺したくせに。私は「もう母に父が変だって絶対に言わない」って精神的に死んでいる父をせせら笑ってみていた。
 でもそういう風にせざるを得ない生き方しか私はこの家でさせてもらえなかった。
 高校時代にも、教室に行くのが怖くなった私が正直に「人が怖い」って父に言えば父はそんな私にただ怯えた。多分、父方の祖母も自殺未遂何回もしているような人だったから、しかも父の弟も躁鬱で閉鎖病棟に措置入院したから・・・この家の血を見るようで怖かったんだろう・・・・すんごい顔していたもの。「ええ!!!」って目が怯えていた。そして、ベランダから一階に落ちてやるって父に「死んでやる!」って意気込んだ時も、父は「死にたいなら死ね!!!!!何だよ!!!!早くやれよ!!!!やりたいなら死ねよ!!!早く飛び降りろよ!!!!」って言った。彼には死んでも応えてはもらえなかった。どんなに彼が欲しいものを何でも買ってくれても、何でもしてくれても、絶対に素直な私を特に悪い所や、世間とは違うものは、かれは死んでも許してくれなかった・・・・・・・父の怒りはすごかった。こんなに俺は死ぬ思いでこんなにこんな、いい思いさせてやっているのに!!!何がお前は不満なんだ!!!俺がこんなに命削ってさえもやってやってんのに!!!!!
 ずっとずっとずっと、親のために「普通ちゃん」を演出して生きるしかなかった。表面上でならいくらでも付き合えた、でもそれでは嫌だった、優しい性格も親のこと分かっていたし、分かり合いたかった、誰かに感じた思いを見せることもなかったけども、この世に出したかった・・・だから、手紙も書いた、でもかれは絶対にそれに何かを応えることはなかった。「過去は変えられません、変えられるのは未来だけです」それが父の言葉。
<1417> ぺあ(FB注意) ■2007年11月20日 火曜日 14時08分00秒
私は母が怖い。こんなこと書いているのばれたらどうしよう?でもずっと、ふりの下で生きてきた。ふりしかなかった。私は家族に嘘ついているってずぅっと思い続けてきた。寂しかった。私にあったのは既成概念を踏むこととかわいそうな人を助けること。家族ごっことふりの人生、自分で稼げないから、何も感じないようにして親のレールをただ行くだけ。うちの家族は何にも話し合えない。隠す繕う、表面だけの笑い、格好つけあい、世間でもっと不幸な人との比較、問題はみない、見ようともしない。母なんか自分のことだけ。高校時代苦しむ私に「逃げるのかっ」彼女はただ問題もなく学校に通っていればいいだけ。ばかみたいに恋愛しているふりして、ジム行って青春しているふりしていればいいだけ。ふりと実際にそうであることは全然違うのに!ふりだけ。好きでもないのに好きなフリ。したくもないのに喜んでするフリ。フリ。フリ。その仮面の下で確かに私は生きていた。おびえて恐怖に身をちぢこませて。それだけ。そんな自分を私は汚い二重人格者、嘘つきやろうとしか思えなかった。私は汚い女としか最近まで思えなかった。もういらない、家族のうるさい干渉もいらないあいつの「今までの恩を忘れるな」ももういらないいらないいらないうざい人たちの自分の中身空っぽなことを他者を変えて世話を喜んでかわいそうな人に与えるような本当の私の成長は別に喜んでも一緒に共有してもくれない、いらないお節介でそのくせ心の力を奪うような、うざい奴らがどんなに恩を売ろうがいらない!父は躁鬱でそれを押して大企業にいて私に何でもくれた。でもそれにも私はもうせおえない。父が命削ろうがいらないもうあなたの恩と同時に背負わないいらないいい加減にして。
<1416> ぺあ(FB注意怒り表現ありです) ■2007年11月20日 火曜日 00時48分42秒
あんたのせっかくつかんだものぶちこわしたっていいんだぜ、一番の恐怖あたえてな。殺すぞ。しね。でもあいつのような子にはならない、難しくない。でも右耳が痛い痛い痛い痛かった。まだまだ。私ね電車に乗れないの。教育実習のせいで。一斉のあの視線はもういや。もういやなの。誰かに変な気おこされたら集団にそれがうつり、私は自傷しても許してもらえないから、実習がそうだったから。今までの手段使えなかったいじめっ子喜ばそうと思った。電車に乗れないことを母には言えない、でもばれたら?私もうあんな諍いしたくない。無理しないで。まだまだ右耳は痛い。父の自死も私は同じ事を感じようとしちゃう。私は行きたい生きたい生きたい生きたい生きたい。ゆっくりで無理せんでええよ。
<1415> ぺあ(FB注意) ■2007年11月20日 火曜日 00時39分03秒
私はずっと奪われてきたんだ。学校に行かなければ、いつも自分いじめで身を守る必要もなかった。父はひとりも素直な自分を見せられる大人はいなかったんじゃないだろうか?母の見栄のため父の面子をたてるために、私はふつうの仮面をかぶり、その下で誰にも分からないように自傷しながら、育ってきた。がんになりたいです、白血病になりたいです神様に祈った、私の中の「自分いじめっこ」が。そんな自分におびえきっていた。エイズになりたい。レズになりたい。思いつく私の怖いこと死んでもなりたくないもの、自分が惨めな気持ちになるものたちをそこに入れた。自分が勃起した気弱な男になった、かわいい高貴な女の子たちにいじめられ、さらに勃起している、そんな惨めで汚らしい自己イメージしかあのころの自分にはなかった。だから今度は自分にやった。今までのため込んでためこんでため込み続けて、自己がカイリするくらい掃き溜めにして自分さえいじめっ子にどんどんやれ〜っていつからか思うくらい、自分を他者の感情のゴミ箱だと思っていた。そんなため込みすぎてとっくに限界を突き破っていた怒りは一気に自分に向かっていった。殺人事件のニュースは今でもその節あるんだけど、「お前が殺した」「俺が殺した」ってもう一人の「いじめっ子」が自分を脅すの。笑いながら。まだ痛い右耳N・Aが入れた蟻。今から16年前のGWのあけた日。あいつのうれしそうな顔。〇〇〇〇の耳鼓膜やぶれてるかも耳聞こえなくなるかもよっほんとに何がにくいんだか、憎しみに裏打ちされたあのにや〜ってつぶれた鼻と手術後の鼻と口汚い唇あの顔、目、そしてあのにやにやの笑い、私の反応を見るあのにやにや。汚いあの子の顔。私が汚いんじゃない。あの子のやり方が汚いのよ。あの子がどんだけ悲しいかは私にはやはり無関係じゃないか。あの子が顔で辛い思いしたかもしれない、苦しかったかもしれない、でも私はあの子になぜあれだけのことを、ずるい恵まれているというあのこの勝手な理由でされないといけなかったの?あの子が何であろうが強い人にはできなかった。弱いのはあいつだあの豚だ。
<1414> ぺあ(FB注意) ■2007年11月20日 火曜日 00時21分08秒
思い出したよ。やっと。恐怖に不安に頭に押さえつけられた悲しみが、ほんの少しだけ顔出してくれたんだ。父が躁だった時のあの恐怖。泣きっぱなしですぎた子供時代、むろん私にはふつうチャンとしての家族用の顔を常に顔に貼り付かせていたけどね。 ずっとこんな私を家族に対しての大嘘つき者な恐ろしい、ずる賢い計算高い、汚い汚い世界一汚い女だと私は思っていた。私は嘘をつきながら育った。本物の私を家族こんなに優しい家族に見せずに。汚いと思っていた。泣けなかった、信頼なんかできなかった。人を信じられなかった。今なら分かる。私が人を信じられない猜疑心の強い性格の悪い子なんではない。この家族が私の信頼に値しなかったんだ。今ね私ね、紐があったりね、ピンと張りつめた縄の駐車場見るだけで、首に巻き付けたくなるの。シャワーのホース見ても同じ、縄や紐を見ると首に巻き付けては鼻から血がでる想像してる。お父さんと同じことして父の悲しみを独りにさせたくないの。お父さんを死んでも彼を独りに孤独にさせたくない。
<1413> ミン ■2007年11月19日 月曜日 21時37分08秒
約30年会ってもいない父について、心から感謝することが一つもないと思っていた。幼稚園に入る前、子犬を飼うことになった。その犬への想いは、私の現在に繋がっている。まるでそのコに導かれたような人生。子犬との出会いを与えてくれたのは父だった。
<1412> ラビット ■2007年11月17日 土曜日 09時20分37秒
母や姉が僕の部屋を掃除を理由にあさる。そんなにちらかってないのにまだお前にはできてないことがあるんだぞ言わんばかり。ついでにというか私の行動や考えを把握するために。さっき嫌だということを伝えた。少し罪悪感を感じたけど
<1411> ミン ■2007年11月16日 金曜日 22時21分07秒
男性の暴力にひれ伏しながらも離れられない母を見て、私はこんな大人になりたくないと思っていた。人に話すと反面教師にすればいいと言われることが多く、実際そうしてきた。結果は散々。私は攻撃的で人も自分も傷つけてきただけで、一歩下がって見たら、これじゃ母親と同じじゃん、と思う。
<1410> ぺあ(FB注意) ■2007年11月16日 金曜日 09時58分30秒
思えば母は、私が大学時代、いじめを受けていたことを永遠に話した時に、電話でね、母が「もういい加減にしてよ・・・えへえへえへえへ・・・(いきなり泣き出した)あんたはいつまで私を悲しめたら気が済むんだああああああああああああああ!!!!!お母さん悲しい!!!!あんたくらいの年の子は、彼氏作って美術館とかでデートして、楽しんでいるのに、そんなそっっんな暗いことばっかり考えていて、お母さんは悲しいっっっ!!!!!!!いつまで本当にいつっっまで私を悲しめたらあなたは気が済むんだああああ!!!もう聞きたくない、一言も!!!!」電話の受話器を思いっきり叩きつけられた、耳に私の耳に受話器の叩きつけられた音がつんざいた。ばあああん!!
 ・・・・いつもそうだったな。
中学校の頃、数学のテストの点数が学年の平均点の10点下だったとき、46点くらいだったかな?母に正直に話したのね・・・・。そしたら、母は「次ぎ頑張れば?」って何でもない顔していたのに、そのあとしばらくして、台所から母の「あはあはあはあは(泣き声)」って聞こえてきた。びっくりしていると、とにかく身体曲げながら泣いているの。そして、私が「ごめんね・・・」って言った。母は点数のことがそんなに悲しいのかって思って。「(通信講座をやっていたので)その質問コーナーに二次関数の分からないこと聞くから。どうしたらいいのか勉強法聞くから」(母をなだめるように)
母が言ったのは「あんたはいっつもいっつもいっつもいっつもいっつもそうじゃないかああああ!!!!!!!」だった。いっつもいっつもおんなじ。いっつもそうじゃないかあああああ!!って。何が?って感じだけど。私はまだ13歳14歳だった。そういっつも私のやっていることの人任せな判断がだめなんだ、本当にいつも私はこうだって本当に落ち込んで反省していた。
 何で、いきなりいつもああなのか分からない。母の中で、点数悪い=父に責められる=私はだめな母親っていう想像図ができるのだろうか?
 いつもそうだった。
母はそういう人なんだ。
父がうつで会社いけないときに、寝込んでいると「私をこんな目に遭わせて1!!!!父さんひどいっっ!!!!!」って泣いていたらしい。
 彼女はそういう人なの。
 この前もはっきり私はACだと思うって言った時も、母に電車に乗るときに思い出すのは教育実習のことって言ったときも、「OOちゃんはいっつもいっつもいっつもそうじゃないかああああああああああああ!!いっつもいっつも誰が悪い誰にいじめられたいっつもいっつもいttっつもそうじゃないか!!!!ああ、もう一生ずっとずっとず〜っと人のせいにして、誰が悪いって言いながら生きていけばいいじゃないか!!!!!!!!!!!!!!!!!一生そうやって生きればいい!!!ああ、もうあんたの誰を責めるだとか誰のせいだとかもう聞きたくない!!!!!!!(ふって鼻で笑いながら)学校でいじめられたごときで大騒ぎしていたら、これからもっともっともっとも〜っと大変なこと人生であるんだよ!!!!そんなことくらいで大騒ぎして!!!!!(ばかばかしい。くだらない。)人生これからやってけないよ!!!!!!!!」
 そういわれた。
 そう言われたんだ。

昨日、姉から出張先から電話があった。「待ち合わせの場所に行っても誰もいないの〜」とか甘えてきた。
 私は姉に合わせる。うんうんうんって。姉を受け止める。こうやってまた私ねじれていくのかな。ここでこんなに罵詈雑言かいているのに、現実では仲良し、姉には信頼されちゃっている(利用されているともいえるね)。仲良し姉妹、仲良し家族・・・・・。
 私、こんなパワーゲーム姉妹の関係降りたい。姉や母にすごいと思ってもらえるために、彼氏作って、大切にされるんだって分かって欲しくて。でも彼氏は好きでもなく・・・。部屋についていっては、アダルトビデオ見せられて、身体をいいようにされた。あんな怖かったことはない。惨めだった。誰も私にはいなかった。パワーゲーム家族。それでも父の頼みだと思って、姉を心配し、家族のためにおいしいものを作ろうと頑張る私・・・・・
そしてやっと上になったとどこかで喜ぶ私、姉を弱っている姉を一撃でいる気がして、そんな自分のあばら骨を思いっきり取り出す想像して自分を罰している。姉といるといつもそうなの。自分を責めてしまう、今私勝っているからね。多分、仕事もうまくいかない、誰にもまかせてもらえない、不安障害、父の自死姿見た、全部姉のマイナスで、彼女を追い込んでいて、私は姉よりも優位にいるもの。だから、過去の仕返ししてやりたい。そんな自分が怖くて、姉に自死されたらいやだから・・・・だから、自分を罰してしまうのだ。
心が守れない。
自分のことだけ考えていたい。
<1409> ぺあ ■2007年11月15日 木曜日 23時19分19秒
よく親は「あんたほど恵まれている子はいない」みたいなこと言った。
でも、今考えれば何一つ分かち合えたこともない、現実を分かち合えたことも、納得できたこともない、家族で何か問題を乗り越えたこともない。あったのは、見せつけ。格好良さの競い合い。父が亡くなってなお、姉に「私は男性からいかにもてるか」を聞かされ、自分の美しさの自慢され、私の葬儀の時の顔が四角いとか大笑いされ(写真が葬儀屋から届いたの)、教習所で教官に雨がふっていたところ、私にかさをさしてくれた話しをすれば、「あんた男からそういう扱いうけたことないだろ?」って言われた、自分はいっつも大切にされる存在だけとって付け加えながら。
 あの人の芸能人でもなんでも、近所の人でも「あのこはぶら下がりの状態でテキトーに嫁前に仕事していたんだろ?」とか「あの子十分にパラサイトじゃん」とかすんごくイヤミな台詞嫌な方向にしかとらえないばかにした台詞ははっきりいって、うっざい。本当に嫌な気持ちになる。でも前までは、「ああこういう風に批判的に物事見ないといけないんだ」って思っていた。私は素直に、そうなんだって何でも受入れるから、それを姉の意見で常に反省していたんだ。
 いい家だから、なぜACなの?そう思っていた。でもそれは経済的なことだったんだな。本当に休みには父と母に慰安旅行に連れて行かれ、楽しかったけども、それを恩義に感じないといけないとも思っているよ、父は自分の気分障害を押して生きていて、あんなにやったんだから・・・・
 でも助け合いの一切ない家族だった。
 ばかにしあい、格好つけあい、ランク付けあい、どれだけ世の中に認められているかを比較しあい、見せ付けあい、自分の問題は一切見せずに、皿を叩きつけたり、分かりにくい形で表現する。
 バースデーカードでは良いこと書くけど、ほんとうに日常ではひどい言葉の応酬・・・・・「ぶすばかあほ」「お前のことなんて誰もみてねえよ」「ぶす」「自意識過剰!!!」「レベルひっく」「お前ばかだな」「どうせお前のやっていることなんてくっだらないことなんだろ?」姉にはいつも言われていた。寂しかったとても、どんなにカードにいいこと書いてくれても、旅行先で誕生日カード送ってくれても、寂しかったとてもとてもととてもとても寂しかった、そうあの頃高校3年の頃大学受験の情報誌に囲まれて、専門学校だとかの情報誌に囲まれて、物がこんなにあるのに、その中で満たされずにいつも鬱屈していた、高校時代は勉強しながら涙がとまらなくて、参考書がよれよれになっていた。
 父が自死してなお、私は姉と二人で手続き相続しながら、姉よりも出来の悪い子であるように見せかけつつ期限もあるから、手続きが円滑に進むようにしながら、でも姉と母の喧嘩にはいつもどきどきぢながら仲裁して、また姉よりは絶対に上いかないよう、正しくならないように注意払いながら、やっていた。
いつもそうだったから。
私は彼女が怖いの。
そのくせ今弱っているから、傷つけてやりたい思いと、もし死んだらどうしようという心配もすごい。
姉と母はずっと辛いからね。父の姿知っているから。
パワーゲームの中にいたから、弱みや惨めなこと、皆から卑しめられ続けていることいえなかったんだね。
そういう友情しかなかったし。
<1408> ぺあ(FB注意) ■2007年11月15日 木曜日 22時30分47秒
 父の精神的な奥さんしているような、いつ性虐待にあってもおかしくないような状態だったんだじゃないだろうか?
 勿論、そんなことあの父とはありえないんだけども。
 精神疾患で、躁鬱だったあの躁状態の頃は、やっぱり、そういう雰囲気が遭った気がする。とにかく、私はぼろぼろで瀕死だったのに、家族の行事ホテルに泊まりにいくことを実行させるために、ぼろぼろの心と身体をひきずりながら、この家族のわるのり、慰安旅行、につき合わされていた気がする。発狂しそうな爆発しそうな思い抱えて(今思えばあれは広場恐怖だったんじゃないだろうか?おかしくなりそうだったの。脂汗が、家族前で表面上笑い浮かべながらものすごい出していたし、いつもいつもあの頃12歳頃辛かった)、あの観光地のレストランで4人で精進料理を食べながら・・・・。そうめんをあげたかごの中にてんぷらのナスが入っている料理食べながら・・・・冷や汗だらだら流し、何だか朦朧とした頭で美味しいものを高いものをほおばりながら、家族の前で倒れるわけにはいかないから、身体や心を必死に保たせて・・・・自分を上から見下ろしているような気分でいた。「料理人においしい料理作ることは任せて、私はカウンセラーになって高い料理食べても癒えないどうにもできない心を治す、暖かくするカウンセラーになろう」って思った。そういう思い、未来への思いだけが私を支えていた気がする。
<1407> ぺあ(FB注意) ■2007年11月15日 木曜日 22時21分37秒
思い出したよ・・・・
昨日、ある方に色んな思い聞いてもらっていたら思い出したんだ。

私が本格的にいじめられるようになって・・・
11歳くらいの時、いや12歳の頃だったかな。
父が、躁鬱の躁状態に今にして思えばなった。
家族がその前からもあったんだけども、弱い「母」を姉と父がからかい、集中的にばかにする。家の空気がいや〜な笑いに包まれていて、まるでクラスにいるようだった。いつ矛先決まれば、流れるこの流れ。母は矛先なんだ。守ろうと思った。いっつも家族でこんな雰囲気当たり前の家族の中で、旅行もお出かけもたっくさんいった。父と姉は二人でさっさと行く。そして私は母がいつも後ろから遅れるのを、いっつも母を手握って、母を守るつもりで一人にしないつもりで、生きていた。盾だった。父の怒りは私には向かないの。だから、母から守るために、必死で「おどけ役」やった。妙にもっともらしいこと言った。大人びた発言した。第3者的な発言した。そして父はそれを「お前は賢い」ってわるのりのようなヨイショしてくれた。
 でもあの頃の父はそれはそれは恐怖だった。目が違った。いっつも人をあげつらっていた。母をばかにしていた。見下していた。母のいい加減さに、「お前はアバウト」って名づけて・・・何するにしても「アバウト」「アバウト」家の台所の窓から外を母はよく見ていた。それを父は「覗き魔」って名づけた。「のぞきま」いっつもそういった。母は、笑っていた。でも、空気悪かった。母が物を落とす。父は怒り爆発する。「うっせえな!!!!」「いい加減にしろ!!!!!」皆でペンションに行った。そうたしか私は小学校5年だったか6年か・・。夜に、母が友人にペンションのロビーから電話をかけた。大きな声で笑っている。その頃いつも私びくびくびくびくしていたな。父の怒りのスイッチが母の言動で入るの分かっていたから、どうかお願いっていう気分と、矛先を別の場に向けようと、必死で和ませ、笑わせ、おどける私。
 母の大声の馬鹿笑いが気に入らなかったのだろう。父は、私と姉と3人で他の人とテレビかなんか見ていたのかな、それとも3人でゲームしていたのかな?母が帰ってきた瞬間!「お前うっせええんだよ!!!!!」「でっかい声でぎゃあぎゃあ大騒ぎしやがって!!!!」「こっちまで聞こえたんだよ」「うsっせえよっっ!!!!」
 ロビーにいた他の子がその父の剣幕に驚いて、その子がこっちをじろじろ見ていたのは今でも覚えている。ああやっぱりうちって変なのかなってその時、少しだけ思ったんだ。
 4人で中華料理屋に行った帰り、あの階段のあたりで私、この家の雰囲気にほとほと疲れて、泣きそうになった・・・。どうしてえ?そう言おうかとも思った。お母さんかわいそうだよ・・・、悲しいよって。でも、そんな下向きがちな私の顔を覗き込んだ、姉と母が「OOちゃん元気ないよ〜」「どうしたの〜」って二人で笑いながら、言うの。え?ああなんかこの家の人にとってはこの家の雰囲気なんて大したことないのかなあ・・・・って思った。なんか張り詰めていた緊張があれ?って肩透かしに遭った気分。こんな気分なのは私だけ?みたいなそんな感じ・・・。母も姉も嬉しそうに歩いていく。なんだか、腑に落ちない、そしていつもこの家のわるのりみたいなものにつき合わされている気がする・・・・。この家の「悪いことを悪い」って言わない雰囲気。流される雰囲気。そして大事なことは何も話さずに、流れていくあの雰囲気。いじめられたことなんて死んでもいえないはずだよね・・・。
 この頃、そうだね、私私の身にとんでもないことが起こっているって思ってた。とにかく、母から母の座を奪って、父の精神的な奥さんにされているような感じだった。「OOOさん」って私を父は呼ぶの。私にはかわいいかわいいってくるの。でもそれが私に「お前は分かってくれる」っていう甘えたような態度でもたれかかってくるの。まるで飲み屋のままさんのように、父によしよししてあげながら、私は父の怒りやすべてを和らげながら・・・・一体何なんだ?私の身に何が起こったのかわからなかった・・・・。ただ恐ろしいことが起きている気がして、底知れず怖かった、本当に恐怖だった。
 母も姉も父も何もないように過ぎていく。そしてその頃学校でも一人の女に狙われていて、その子に毎日つねられ、耳に虫いれられていた頃だったから・・少し時期はずれるけども、過呼吸にもまっすぐ歩けなくもなった。寂しい寂しい。
 この時期は、父が死んでやっと分かった、躁状態で、母によると薬の副作用だったんだって。はじめて知った。この時期は、皆封印していて。この時期が過ぎたらやっと父は、私を、さん付けで呼ばなくなった。そして、またいつもの通り父面。正論で向かってくる。この時期が私には意味が分からなかった。だから、彼に手紙で伝えたい事書いた時も、この時期の事書いたけど、当たり前にそんなことはシカトされたし、絶対に、私の本音に向き合ってはくれなかった。いじめられたこと言っても。父の過去のいじめの話しされた。
 高校時代、小学校中学校でされてきた、数々の嫌がらせを母に私はした。その時、父に「俺にはなにやってもいいけど、母さんを傷つけたら許さないからな!!!!」って言われた。父に手紙で「お前が心配です」とか言われた、そしてまた「僕の反抗期の頃はどうだったこうだった」とかいう内容の手紙をもらった。あまりに気持ちが、何なの?この親っていう気分でその手紙は、びりびりに引き裂いて、ゴミ箱に父や母に気が付かれないように封筒に入れて、捨てた、一言も見たくもなかったし、今でも後悔していない、ひどすぎるって思った。
 高校時代、父に「もう死んでやる」ってベランダから飛び降りる格好したときに、「早くやれよ!!!」「死にたいなら早く死ね!!!!」って怒鳴られた。父は世間話や周囲が盛り上がるような話し、客観的な議論なら、第三者的な目でできるの。「あの政治家がああだから、教育はだめなんだ」「だから、こうなんだ」とかいえた。でも本音で交流できたことはなかった。向き合ってはくれなかった。何一つ納得して家族で乗り越えたこと、協力したことは一度もなかった。そんな家族だった。
<1406> so ■2007年11月14日 水曜日 23時32分23秒
どこまで、さかのぼり、搾取されてたのか?なにもかも、笑うほど、父母、父的な母的な人にいつか認められるためにする努力だった。右を見ても左をみても、内なる子を窒息させ、麻痺させることだと気づく。なんだ、地獄にいたのか、、、。殺されました。回復の作業も、結局、人にいつか褒められるために、母的な人や、父的な人がやってきて、いつか、いつの日か、抱きしめられると思ってやってきてる。父も、母もとっっくに失ったのに、喪失を受け入れずに、まださまよう成仏出来ない、霊のようだ。すべて、奪われ、全て搾取されてた事しか分からない日々。とうさん、かあさん、うまれかわったら、僕の子になってください、同じように殺してあげます。笑えることに、父も母も、その親にそうされたのだけど。ビバ!連鎖。神様、どなってる?
<1405> ミン ■2007年11月14日 水曜日 14時47分13秒
まだ両親がいた頃の自分を思い出そうとすると、心に鍵が掛かったようになる。自分の深層心理に辿りつけないもどかしさを感じる。
食事の最中に始まった喧嘩が忘れることができないが、心に痛みを感じない。
その時の私を抱きしめて癒してあげたいと思うのだが、思い出の中の私は私の方を見てくれない。父が激怒した後は何もなかったように皆がふるまわなければいけない-家の無言のルール。父は何が元で不機嫌になるかわからないから常に気をつけなければいけなかった。ちゃらけて機嫌を取り、気を紛らわすことが日常だったように思う。
<1404> ぺあ(FB注意) ■2007年11月12日 月曜日 19時10分46秒
お父さんはどう思っているのだろうか?
私怖い。
私は、姉と母の3人の秘密(実際に見たのは母と姉だけだ)って言われているのに、友人に話した。
祖母も叔父も躁鬱の気分障害持ちで・・・祖母は85を越えている。もう、父のことは絶対に言えない。祖母がおかしくなるから。外部に漏らしたら祖母の耳にも伯父と叔父の耳にも親戚一同にも届くかもしれない。この「問題ない振り」家族のもとに・・・。
 姉が不安障害です。母は、更年期障害で、鬱で父がいなくなる前から医者に二人ともかかっているんだ。
 怖いです。
 私はラッキーとも思っているのね。この家の毒気には晒されなかったんだ、私ね、2歳くらいの時から「この家ってちょっと変?」「親はもしかしたら信用できないかもしれない」ってうっすら思っていたの。用心しておこうって私実はあの頃3歳だったかな、旅行先かどっかの駐車場で思ったの。まだ3歳か2歳(2歳はありえないっか。でも早かった気がする。)私さ、どうやって生きてきたのかな?私いじめられて自分はがんだって思いこんでいたし、その後はがんになりたいって自分で神に祈っては自分を怖がっていたし明らかに精神病なのかな?
私どうやって生きて来たの?
私高校も普通に通った。毎日夜は悪夢だったけども。ふって気を抜くと、誰かが私をさらいにくるの。(つまりいじめを過去にあったいじめ、を自分が気を抜くたびに私は自分にしてきたのだ)
 私浪人して大学にも入った。大学は世間では「いい大学」だった。いっつも体裁整えてそれだけで生きている。この家族のために。
 どうにか出来たいこの世界に。
 でも出れたのは父が自死してからよ。
 父が自死して彼の気分障害を知ってからよ。
 お父さん、俺の苦しみお前には死んでもわからないって私に言うだろうね?許せないでしょう?私のこと。お前は本当にずるくて汚い女だって言うでしょう?お父さんお前は何も助けにもならないって言うでしょう?お父さん、お父さん、こんなにこんなに命削っても娘にいっぱいいっぱいいっぱいい〜っぱいしてやったのに、こんな見返りしかこなかったって怒っているでしょう?自傷しているでしょう?娘とか母とかこんな家族にこれだけの子としてやったのに!!!!!!!!!!!!111!!!!!11!って思っているでしょう?お父さん、お父さんはこんなに頑張ったのにこれだけかって思ったでしょう?お父さん。お父さん、私が自分の思いの丈をかいた手紙読んで愕然とした?私が汚い女だと思った?うそつきな演出娘だと思った?怒って怒っていかった?
ねえ、応えてよ。私はずるいですか?どうして細木かずこの占い通りにだいさっかいだったの?何なの?
死んだんだよ。
今更、教授が「私も幼い頃父が亡くなって」だとかうっざいお前の不幸ちゃんばなしなんか聞きたくねえよ。いい加減にしてください。あなたは私に言ったよね?「あの先輩だってね、家族から虐待受けていたけど、自分でお姉さんとお母さんとの関係を変えていったんだよ??!!!あなたは・・・?」とかいったよね?いい加減にしてよ!!!!!!!!!!!!あんたの研究室なんか入らなければ良かった、もういい加減にして!!!1過去を洗いざらいにしたらいいんですか?あなたの空っぽな人生を埋めるために自分の経験だとか知識を、学生に当てはめないでよ!!!!11!!もういい加減にしてください。
「冗談わかれよ?」っていった人。「お前には本当の友達いないから心配」って言った人。バイト先の上司の「もっとお前は自分を出せ!」って言った人。教育実習で言われたこと「OOOOOさんは薄いカーテンがあって、仲良くなれない。頭の中で生きているみたい。」あっそ。確かにな。でもいい加減にして!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いい加減にしてよ!!!!あれしろこれしろああしろこうしろもうもうもうもうもうもうもういい加減にしてください!!!!私私が言いたい、それは私がいいたい。何なの?
学校時代はさ、「嫌なら嫌っていいなよ。OOOOOがそんな態度取るからこっちは付け上がってしまうんだよ!」だとか丁寧に自分の甘ったれた態度説明してくれたなまず野郎(ぶすななまず顔していて甘ったれなくせに看護婦めざしてんの、お前なんか看護婦今やっていたらな、ほんとにできてんのか?、このなまず顔した昔の疎開先に行くみたいな分厚い層のあるおかっぱ髪型のぶす、やろうめ)なんか、お前のいじめをやめろよ!!!!いやっていえているくらいならいいけどな、うちの家族は不幸そうなの、皆崩れてしまいそうなの、そういうフィルター通してしか世界を見れない自信のない、相手を常に支えていないといけないという恐怖にとらわれている子供だったの!!
<1403> ミン ■2007年11月10日 土曜日 21時40分47秒
今日思い出した。母と兄で私のことを密告しあっていたこと。大げさか?言わないで欲しいことも知らぬ間に伝わっており傷ついた。安心も安らぎもなかった。何かするとき家族には相談した思い出がない、進学も一人暮らしも仕事も結婚も全部自分で決めた。何を言っても言うことを聞かない、と母は何のアドバイスもしなかったけど、陰でコソコソ何か言われたり、心を挫かれるようなことを言われて傷つくのが嫌だったから。私が必要としていた時は避けるような態度をしておいていざ私が離れようとすると寂しいと言った。一緒に暮らしていたけど、私はずっと寂しかったんだよ!!
<1402> かえる ■2007年11月08日 木曜日 03時09分05秒
子供は親の所有物じゃない。けど家族環境や親のしつけ方、愛し方によってその子の基盤になるであろう人間性が形成されていく。子供が自発的に言ったり動いたりすること、その裏側にその子の親の影を見る。ふーん。あなたがそーゆー育て方をしたのね。何が駄目で何がいいか、あなたはそーゆー価値観を持って子供に教えているのね。いくらでも世間体を繕うことのできる大人。でも繕っても無理ですよ。あなたの子供は正直だもの。まわりの迷惑なんて関係なしで行儀が悪いのも口が悪いのも、あなたは許す。きちんとしてるように装っても所詮は付け焼き刃。はげてますよ。だったらはじめから子供みたいに地でいけばいいのに…。繕うから余計に不自然に思える。
<1401> so ■2007年11月07日 水曜日 22時25分23秒
母が私を心の穴埋めに使い捨てた。おかげで代理母を飢えた餓鬼のように求める病気になった。父が、自己を保つため幼い弱者をサンドバック代わりにケツにひいて生活を送った。おかげで、悲しみが眼からとびでたままの、薄ぎたねえパワーゲーム孤独はなくそに成り下がった。おい、僕を生かしてくれんのは、排ガスだけだ。おい、カスの親共よ、代理母を求める心が枯れ、人を見下すチンコのような行為をやめれるまで、お空に向かいお前らの悪行をライムに載せてつぶやこう。時間は俺を癒さない。お前らへの講義だけが、果てしなき罪悪のなかに射す、光となるであろう。時間よ、お前は僕を、癒さない。忘却も、意味がなかった。よし、交渉しよう。真実と、痛みの引き替えだ。俺は勇気を差し出す。お前は解放を渡しな。

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This script written by Shintaro Wakayama.