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私たちの物語 - 家族過去ログ No.70
メッセージ数:1400件

<1400> いちご ■2007年11月07日 水曜日 03時35分16秒
最近は元気だったけど、やっぱり上手くいかない・・・
わたしは、表面上は本当に普通の子だ。だけど、たまにどうしようもない空虚感が生まれて、心に小さな穴があく。
誰かに埋めてもらいたいけど、誰も埋めてくれない。。。
バイトで、家族連れのお客さんを見たら、すごく羨ましい。
私にも、お父さんとの思い出があったらなぁ・・・
<1399> so ■2007年11月07日 水曜日 00時41分26秒
何をされても、だまっていれば、心の穴埋めにでも、父は、僕を使ってくれ、僕の体は、役に立ち、愛されていたという幻想を保つことができるという、幼い子の虐待を受けつづけたい、心。
がある。それが僕の魂を殺す。引き裂かれそうだ。
<1398> ミン ■2007年11月06日 火曜日 21時23分47秒
兄はテレビを見て仕事や恋愛で成功した人をバカにするようなことしか言わなかった。テレビは1個しかないのに、私が見ていても気にいらないとチャンネルを変え続た。だが機嫌を損ねるのを避けるために、その意見に同調し続けた。でも、私にも似たところはある。
中学の時ある歌手のファンになったが、兄にバカにされてから隠れて歌を聴いたり雑誌を読んだりしていた。兄は自分が認めた物意外はカスで、そこからはずれないように、兄の好きなものに興味があるフリをすることで機嫌を取っていた。今も顔を合わすと無意識にそうしてると思う。
私が好きなものを他人に批判されると、「やっぱり!」と安心感を持つ。
本当に私が好きなものなのか、他人が好まないものを無意識に選らんでいるのかはわからない。
<1397> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時20分45秒
家族の中で、あんなこと言えなかった。
だから、一人だった。
寂しかった。
まだ10歳だったけども、私は家族には「家族サービス用の顔」で接していた。そうやって嘘ついて生きてきた。嘘つかなければ生きてこれなかった。
<1396> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時19分17秒
よく霊能者が、自分の言ったことは自分に帰って来るっていうけど、それでも言わせて。言ってもいい?どれだけ辛かったか私には受け止めてくれる場所もないからね。
姉なんかだいきらい。あのぶす。
死ねばいい。お前なんか憎悪だよ、死ねよばかあほだいっきらい。勝手に結婚しろ、勝手に付し合わせになれよ、このぶすばかあほ。
でもここに書いてあるのがうそのように、姉とは仲良い。
私は背負わされてきたの。
今になっていきなり私に一目置きだしたけど、姉は中学校に入った頃から私に対する態度はあまりにもひどかった。言えば応えてくれたときもあったけど。それでも耳が腐るだの、ひどいことばかりいわれた。私はそんなこと人に一度も言ったことはないよ。それどころか、いじめも同じ。私はそんなこと絶対にしないのに、どうしてあんなことを人から言われないといけなかったのだろうか?ばかは当たり前。今になって皆結婚したり幸せになっている話聞くけど、私って何なんだろうなって思って生きている。私っていじめっていつまでも。私は人に言ってはいけないの?いじめられた当時言われていた事、今なら弱いものに当たることできるから言ってはいけないのですか?
<1395> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時14分32秒
姉のことが嫌いだった。
姉はとてもしっかりしているから。
姉はピアノの先生にもしっかりしていて評価もいい。でも私は違う。いつも比較されていた。とても辛かったのは、姉は何でも言われたら言い返せる強い子、私は言われたら押し黙ってしまうような、子。そしていじめられやすい弱い子っていうレッテルを貼られたこと。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっと私はいじめられるのは自分のこの性格のせいだと思って生きてきた。
姉には悪いけど、父が自死してよかったね。姉の結婚式なんかに参加できなくてよかったね。長年の仕返しが最高の仕返しが手を汚さないでできて嬉しいわ私は。
<1394> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時04分49秒
父が死んでくれてよかった。
楽になったから。
合法的にヒッキーできるから。
周りが「あの子はお父さん死んだから」って見てくれて、同情票も集められるし、超ラッキー。
私はね、素直な話しで言えば、親がご健在な方の方が大変なことも多いかもって思うことも多々あるんだ。
死に方もあるし、書けば悲しくもなるし、自分で気がついていない心の傷、父に関してのことはあるとは思う。
でも、それでもあの頃の父のダブルメッセージの中で、分からないけど、とにかく私は父や母を否定できないで、心が真実見ないようにしていて、したら、真実見ないようにして生きてきた人らを傷つけ、根こそぎのダメージを与えてしまうのではないかって漠然と思っていた頃よりも、ずっとずっとずっと楽になったんだ。
もしかしたら、生きているほうが死ぬよりも辛いことなのかもしれない。死ぬのは解放なんだろうなって思うの。
でも、不思議。私は子供の頃から不思議だった。何でこの世界には幸せな人と不幸せな人がいるんだろうって思っていた。ありとあらゆる不幸に興味があったのは、そういう穴に無意識に生きていて、落ちるのは恐怖だったから。
<1393> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 21時00分03秒
家族とは・・・・格好つける場所。
家族とは・・・・サービスする場所。
家族とは・・・その人の許容範囲に納まる程度の自分キャラを作って、その人の世界観を絶対に否定したり壊したりしてはいけない場所。あくまでもキャラだから。素直な自分は見せられない。泣いたりするのをからかう人たちに素直になれますか?なれない自分を責めてせめてきた。キャラを自分だと思おうとした。でも、キャラです。それから、素直になれなくて当然だと思う。だから、いいんだもう。この家族以外の居心地のよい場所を作るんだ。それだけが私の人生でOKなことなんじゃないだろうか?
<1392> ぺあ(FB注意) ■2007年11月05日 月曜日 11時50分55秒
家族の中で常に私は父と母の安心する姿見るために、私が「子育て」している気分だった。 
いじめられて、私はなぜ家族にいえなかったんだ!って自分を責め抜いた。だから、私はもってきてしまったのだと。
 でも、今なら分かる。あなたは全然間違ってはいないと。父が自死して楽になった。私が赤ちゃんの頃から躁鬱の気分障害だったんだ・・・そうだったんだ・・・・分かった。
 お父さんを抱きしめてあげたかった。
私はお父さんのお母さんみたい。
 もしくは、疲れたサラリーマンのおじさんが集まる飲み屋のママみたいな役割していた。「うんうんよしよし」って抱きとめてあげるの、疲れたおじさんを。そうだった、ずっとそんな役割背負っていきてきた気がする。
お父さんが疲れて眠っている時には子守唄みたいなものも歌ってあげたの。(早く寝かせて一人でテレビみたいっていうのもあったけどね)←こういう気持ちが大切なんだと思う。子供としてしたたかに生きるためには。
 誰かが不幸なのは私のせいだと思ってきた、そのほうが生きている気がした。でも、どうして生まれつき唇がくっついて、鼻に手術跡が残っている女の子のお世話をしなければならなかったの?その子が本当に幼少期にいじめにあっているのは可哀想だと思う、自分を傷つけたいくらいかわいそうだと思う。その子のお母さんがうつ病でその子が手術した時本当に孤独で寂しかったのも誰も受取ってやらなかったのも可哀想だと思う。でも、私はそんなにずるい子なんでしょうか?事実は知らなかったけども、父が人が変わったかのように怒るのは恐怖だったし、いつもいつも飲み屋のママさんやっているような気分で家庭の中で皆をくるくる気を回して、気遣った。私がずるい?かわいいから?あなたのように鼻の手術も点滴も大変な思いしていなから?歯の矯正もしていないから?ずるい?ずるい?ずるいって当時私は思っていたよ、自分のこと。でも、父親が24歳で自死してから、やっと事実をしって、そしてやっと物事が理解できた、飲み込めた。そういうことだったのって。
 ねえ、Nさん?私そんなにずるい?あなたが大変なのももう分かりたくないのに、いつまでも迫ってくるのは何でなんだろう?もい20年も前の人なのに。
 かわいそうにね、お兄さんがなくなって、お母さんもがけから車で飛び降りたって聞いた。でも、私がそれでどうしてまた私のせいかもって思わないといけないの?とても悲劇的な人だけども、それは周りの情報で本人にとっての現実とは違うからね。もう、いいじゃない。もうあの子のことはあの子の問題なんでしょう?でもあまりにもずっとずっとずっと憎んでいた私は。彼女は人の心を殺す天才だと思う。それも周りからは分からないように。あなたは、心を人の心を殺す天才よ。それだけはいえる。あなたがどれほど苦しんだかは分からないし、分かる必要もない。もう二度と私の人生に迫ってくるなよ!心のぶす。
<1391> M ■2007年11月05日 月曜日 00時46分39秒
吐き出しです。
お父さん!お母さん!たしかに、弟は障害者だったけれど、彼は一生懸命生きていたけれど、私だって一生懸命生きていた!
私を忘れないで欲しかった!ただでさえ、大変だったから、お父さんとお母さんに迷惑や心配をかけたくなかったから、必死でいろいろなこと我慢して、いい子できたけど、自分がどんな風に生きて行きたいと思っていたのか、わからなくなっちゃったよ!
弟が死んだとき、私が替わりに死ねばよかったと、思っちゃったよ!
私なんて、この世に生きている価値無いと思ったよ!
弟みたいないい子が死んじゃうなんか、私のほうが死んだほうがよかったと思っちゃったよ!
今でも自分のこと大事にすることできないよ!
我慢することしか、覚えなかったよ!何がしたいかわからないよ!
人の役に立っているときだけ、生きているっていう気持ちがした。
誰の役にでも立とうとして、アルコール依存症の夫の役に立って、立派なイネイブラーになったよ!
私の子どもは、弟の遺伝子をついでいるかもしれないということで、本当に病気かどうかわからなかったけれど、育てていく自信が無くて、堕してしまったよ!
お母さん!生まないほうがいいよって、私に言ったよね?悲しかったよ!
元夫はアル中だったけど、この世の中でたった一人だけ、私の子どもが身ごもったのを祝福してくれたよ。
けれど、またお酒飲んじゃって、私が耐え切れなくなって離婚した。
本当は、ずっと一緒にいたかった。
お母さん、お父さん、なかなか自己憐憫が取れなくて、苦労しているよ!
自分で作った会社も借金だらけでうまく行かないよ!
もう、一人になりたくないんだ。
これ以上、私から、なにかを取らないで!
<1390> so ■2007年11月04日 日曜日 10時41分18秒
親父は、あわれだなあ。もともと、子供は価値あるものでも、無価値でもないのに、無価値であるかのように僕にふるまった。彼は強迫の反復をしたに過ぎない、ダンス野郎だった。ブタは仕事とオ○ンコに夢中で、子をどうにもできなかった。しようもない、あわれな小僧が、そんなレッテルを子供に貼るという、人生の仕事を終えて、その時期を通りすぎた。あわれだ、それは勘違いだ。僕は価値あるも、価値ないも、ないんだ。バカ親父、俺は誰からも自由なんだ。
<1389> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 23時10分30秒
もしかしたら、父の愛情は愛情じゃなかったのかも。そう、私を苦しめるものだった。「こうだけやればいいだろう」という押し付けで甘やかしの中で、父の死ぬほど一生懸命の姿見ながら、私は心の奥に感じるものをことごとく捨てなければならなかった。いつもそういう思いにカバーかけて、目をにごらせて、あたまの思考をぼやけさせて、父を傷つけないために、「なんていい家族に恵まれたんだ」「私は幸せで順調に育っている」って周りに見せ付けるようにして生きてきました。父が贈ってくれるもの、おいしいレストラン、スキー、旅行、観光地めぐり・・・・でも、でも肝心な話しはないまま、世間話と、うわべだけの話と笑い・・・・・生きられない。話せない。学校でどれほどのことを抱えていても私は出せないよ。過呼吸になった。お風呂で息が上手くすえなくて、怖かった。ため息つきすぎて、(耳が聞こえなくなると思っていた)夏休み中、息を吸うことだけがうまくできなくて、そればかり考えていた。しまいには、私はガンなんだって思いこんで、歯磨きがいつまでもきれいにならないようでとまらなく、トイレもいつも出足りないようで、トイレを5,6回は繰り返し繰り返し寝る前に行っていた。そのうちに、がんなんだって思いこんで、本当に死ぬと思っていた。これは私が小学校高学年の頃。そして中学に入って、今度は意識飛ばすために、がんになりたいって神様に祈った、本当はそう思っていないけども、そう思うことで、自分が一番なりたくないことを自分に押し付けるの。一番怯えていたのは私だ。
 そうやって神経麻痺させて、人工的に心殺さないと生きていけなかったんだ。自分いじめを自分にやることで、学校で必ず私にくるいじめを回避したかった。「これで気が済むんだろう!!!」って過去のいじめっ子に思っていたよ。多重人格の一歩手前・・・・なんじゃないかな。
<1388> ぺあ(FB注意) ■2007年11月03日 土曜日 21時14分16秒
家族を考えると、私は家族に本当の姿は見せられない。
何が本当なのか分からないけど。
辛い時、どうしたらいいのか分からない時、人から馬鹿にされている時、世間から見放されている状態(いじめ)、惨めな姿は、絶対に見せることが出来ない。
 父の葬式の時、思わず、ここで素を見せられるチャンスかとも思い、衝動的になることで、仲良くなれるかもって思った。(そんな時でも私はすべて計算なんだ・・・)ある漫画の主人公みたいだ。絶対に誰にも心開けないで、計算だけして周囲を欺いている最近はやった映画化された漫画みたい。
 こんな時だからこそ、衝動的になろうってまた私は「ふり」。ふりの人生だ。どこまでも。すべてそうふりしかなかった。
 家族は「笑っている」だから、笑うだけ。
でも、素直な思いは、出さなかった。常に普通でいたかった。精神病患者にならずにいたかった。
 私、父がいなくなった時でさえ、それも自死と言う形で・・・そんな時でさえ、ふりしかできなかった。周囲にどう思われているか・・・正常な人間の反応ができているか、願わくば正常で社会的に上のほうの人間でいれているか、ゆくゆく成功する人でいれているか・・・・の演技。意識なんてもともと心殺しながら生きているんだから、意識なんて飛ばしているんだから、あの頃の学校時代に培った「意識飛ばし」を十分に使って、父親の葬儀すべて乗り切った。周りに私が殺したとか思われていたらどうしようだとか、私を誰かおかしな行動していると思うだろうだとか、今ここで泣けば、後々のPTSDは残らないだろう・・・とか全部私は演技していた。私の姉の知人が「妹さんだけはお姉さんやお母さんと違って異常にしっかりしていた」って言っていた。そう、私は異常なんです。異常なの。ここでこうするべき・・・だなんて父が自死した後で考えられるくらい私は取り乱せないの。とっくに、心なんて学校と言う場で殺してきたから。家族には繕った子供を演じ続けて生きてきたから。私、隠し隠し自分を隠し隠し隠し生きてきた。調節してあわせてときに意識飛ばし、自傷もとめられずに・・・・・。だってこのままの私じゃあ生きられないの。全体の私は誰も受取ってくれないの。生きられないの。
 
<1387> ミン ■2007年11月03日 土曜日 15時43分25秒
両親に感謝すること、問題が起こっても私は愛されていたに違いないと思う気持ちは
寂しさを覆い隠すには丁度良い、風呂敷のような物だったのかな。と思ってる。
私自身へ対する言い訳のように。
これって、自分を騙したことも、寂しかった原因???
でも、しゃーないよ、何も知らなかったんだから…。
実際、親が私をどれだけ想っていようが、行動が伴わないというのは、不安を広げるだけで、寂しい気持ちは変わらなかった思う。
感謝、謝罪、憎悪に惑わされることなく、真実を見つめなければ。
父親については人づてに聞くことが多く、冷静になれるがその分、うんざりするし、期待も持ち続けている。


<1386> ('-'*)ネコムライス ■2007年11月02日 金曜日 06時39分18秒
母親は今は良い人になってる。昔みたいな怖い人・意地悪な人ではなくなったみたい。
母親もあんな父親と一緒にいて理性を失っていたんだろう。
なんだかもう過去の話しになってしまったみたい。

だけどいまだに私は苦しんでる。
ありえない理想を思い描いてはその思いを振り払ったり。

今は優しい母親とどう接して良いかよくわからない。
家族なのに他人みたい。
今までずっと母親が嫌いだったし、避けてきたから、二人で会ってても何を話せば良いかわからなくなるし、すごく気を使うから疲れる。

みんなはどうなんだろう?どうやったらちゃんと出来る様になるんだろう?
姉妹の中で私だけACから乗り越えられなくて、もう10年以上鬱も治らなくて、母親や他人とも上手く接する事が出来なくて。
表面上は仲良くしてるし、姉妹の中でも一番気に入ってくれてるみたいだけど。なんかすごく苦痛だよ。

今日もACの事調べてた時に家に来て何事もなかったかのように接してきた。
私は親のせいでこんなに辛いのになんでひょうひょうと生きてられるの?って思ったし。
あなた達のせいで今勉強してたのに、なんで??って。
親はもう過去の事に出来ても私には無理だよ。難しすぎる。

本当に回復出来るのかな?私も乗り越えられる日が来るのかな?
<1385> みゅー ■2007年10月31日 水曜日 13時26分50秒
いつだったか、今年かな?去年の暮れも「両親」に土下座して。そのあと、お母さんとバトルというか、あたし自身の言いたいことや、「この家族」の事で、すごいガンガン言った事がある。それで、お母さんがキレちゃって「もう、いいかげんにしてー!今更そんな事言ったってしょうがないでしょ?!」ってなったから、「父親」から「お前、誰に向かって口きいてるんだ?!」って、無関心のはずなのに土下座するはめになった。

あたしは「反抗期」がなかったし、兄ちゃんもなかった。お母さんは「自分は理解ある母」って思いつづけてるみたい。そういうところも少しはあると思うけど・・・。でも中学の頃、兄ちゃんが「友達とも上手く付き合えないけど、ゲームセンターは行きたい。でも校則でダメだから・・・」言ったら「行けばいいじゃない。行ったって私怒らないわよ」って言ってた。
でも兄ちゃんは行くことなかったよね。行くのが怖かったのか。先生が怖かったのか。それとも、お母さんが怖かったのか。
だけど、あたしが中学の帰りにCMで見たお菓子食べたくて、帰りに買って帰ったら、あたしのかばんの中見て「あんた!帰りにこれ買ったの?校則違反でしょ?!」って怒ったよね。

今、思うとね、兄ちゃんはやっぱりお母さんが怖くて行けなかったんだと思うんだ。口では許してても、表情とか、ものの言い方とかあるもんね。
「バトル」のことで先生から「あなたも、やっとそういう事が言えるようになったかぁ」って言われた。「そういう時期に来てるのかもしれないね。」とも。これからまた「バトル」があるかもしれない。
でも、この前退院した「お母さんの母親」が、良くなってきて、お母さんが家を空ける事が少なくなって。お母さんの様子も、なんか落ち着いてきてる。
でも、お母さんは小さい頃から「両親」「友達」まかせで後ろからついてくだけだった女性で、それこそ自分の父親、母親と向き合う事が無かったなら、今からでも「お母さんの母親」と向き合う時間つくってもいいんじゃないか。
そうするべきなんじゃないか。後々の事考えると、そう思うよ。
今から「求人検索」だぞ!あたし!!
<1384> ぺあ(FB注意) ■2007年10月30日 火曜日 15時59分55秒
 母に信じては裏切られて・・・そんな事ばかりだった気がする。頑張って頑張って生きてきたけど、こんな結果しかなかった。お父さんのこと好きだった。だけども、何もできなかった。もう結構かなって思っている。もう他の人の幸せのために自己犠牲払って努力し続けるのは、もうやめたい。
 私は自分の幸せのために努力したい。おばあちゃんが可哀想。お母さんが可哀想。お姉ちゃんが可哀想。お父さんもおじいちゃんも。私はそんな風に思って生きてきた気がするんだ。許されなかったな。私の人生思いっきり楽しむことが。私ってずっと自分はこういう重いものを背負う「もともとずるい女」なんだって思ってきた。だから、いじめられたんだって。思ってきた。家族、とってもいい家族だと思っていた。それでも、私が決められたレールから落ちたら多分誰にも見捨てられると思っていた。父を傷つけるとも思っていた。いい家族の中で笑いながら、勿論うそ笑いしながら(学校で毎日いじめられている10歳の私が心から笑えるわけない!)とっても寂しかった。皆の明るいけたけた笑いの中で私は何だか背中が凍えるように寂しかった気がする。孤独・・・そう強く思っていた。
 何かを見ないようにして生きている。この家は。
 私はずっと自分で判断できる能力を少しでも持つことにものすごい罪悪感を持ってきた。なぜならば、私は父の本当の姿見ないようにしているから。判断しないようにして、見過ごしてだまされた振りして生きている。判断を自分で自分の頭に霞かけて、目を濁らせて、相手の姿を相手の望むように見る。
 もしも素直な私の判断したら、この家はこの家の人は私が正しすぎるから、死んでしまうのではないかって思って思って24まで生きてきた。

 お父さんのこと素直に私の判断をすることに罪悪感や何も感じないで、したら、多分、私は父から逃げただろうな。逃げたくなるよね?優しさ振りまいて、私のやるべき事も盗って、〜しろああしろってアドバイスばっかりして、でも「お前は楽しそうでうらやましい」って顔してすごい見てきて、「これだけやってやってんのに!!!」という重圧や怒り感じていたよ、私。今でも泣けてくるくらい、悲しい。何なんだろう?私は本当に欲しいものは買ってもらえるし、頼んでもないのにクーラーを部屋に入れてもらえる、何でも言えばもらえる、してくれる・・・・そんな中で自分を本当に責め続けてきた。一体何なんだろう?この家に飲み込まれたら、良くないのは分かっていた。高校生の頃、私はあまりにも心の鉛がとれなくて、重たくて(ずっとずっといじめられても演技して生きているんだもんね。相手とはもう心をすっかり閉ざしているのに、その子の目には何にも気にしていないように振舞う私がいたんだ)辛くてたまらなくて、それでもこの家では絶対に本当の姿は見せられない。私は、この家に飲み込まれてはだめだって思った。意味も分からなかったし、高校生だったから、やっぱり辛かったな。本当に。友人関係だとか、将来の心配だとか勝手に決められてやっぱり本当に辛かった。ある女性作家のエッセイで彼女が高校生の頃ずっとずっと眠っていた、精神が辛くてねって書いてあったのを見て、「これだ!」って思ったの。眠ろう、眠っていいんだ、いいんだ、そういうことしていいんだって思った。それからはずっとずっとずっと眠っていた。眠っても許してもらえる環境にいたのも幸いだった。勿論、高校はきちんと行ったけど、(外面保たないといけないからね)でも電車の中で授業とか友人とは不安で仮面繕って付き合っていたけど、後の自由時間や休みはひたすら眠り続けた。眠れるだけ眠って、友人との思い出とかな〜んにもないもんね。でも、全然全然いいと思っている。だって、それくらい私は背負ってきたから。
<1383> ぺあ(FB注意) ■2007年10月29日 月曜日 08時50分15秒
 一人でいるときと、ここにいる時と自分の気持ちが全然に違う。怖いくらい。私は、「父の保護者ではない!」って一人でいる時は思っている。
 
<1382> ぺあ(FB注意) ■2007年10月26日 金曜日 22時37分54秒
 私は、父も母も姉も祖父母もとても好きだった。でも、この家の中で高校時代息が出来なくて窒息しそうなほど、気持ちが素直な想いが死にそうだった。
 良くしてもらったって思っている。経済的には本当に不自由なく父にしてもらったし、小遣いを祖父母にも親戚にも父母にももらったからね。
 父は優しかった。とても。でも、あの頃の10〜12歳の頃のあの怒りと憎しみの目や、高校時代の私のお父さんへの反発の時怖かった。「もう死んでやる!」ってベランダに手をかけた私に、父が「死にたいなら死ねよ。早くやれよ!!」って言ったものね。それからテレビの電源抜かれたり、お風呂の電源も私の入る前に消された。私を見ていたもの。怒っていた私に。朝ご飯もうあいつにやるなって高校行く前に母に父が言っていた。怖かった。
 反抗期って後でほほえましく語られるものじゃない?でも違うの。うちは。怖いの。私はお金沢山もらっているよ。学費も言えば行きたいところに行けた。スポーツクラブもね。そう、表面的に「ふつう」やっていれば、問題ないの。お金もらえるの。でも、でもでもでもいじめられて心がすっかり閉じている私がスポーツクラブで汗流して、友人とマックかなんかで暇潰したり、部活に打ち込んでいる姿がそんなに欲しいのだろうか?
 そんなに素直な気持ちじゃだめなんだろうか?
 恵まれている・・・たっくさんの人に言われたよ。家族の悪口言えば大学ではじめていえたんだけど・・・「いい年こいて」「お金で養ってもらったんでしょ?それなら感謝しないとだめだ」「社会に出れば分かるよ、両親の苦労が」
 恵まれていたって思うよ。思う。でも、其の逆もあって・・・・その狭間で私は自分の家族への愛情もあって、こんなにいいようにしてもらって、何でこんな怒りもつのかって自分が分からなかった。
 ただ、なぜいじめられやすいのか分からなかった。
 自分の素直な気持ち誰かと共有したことこの家族でなかったな。明るい話題、世間一般の人が口にする話題なら、楽しく話せた。
 でもマイナスなこと、普通の高校生らしく、中学生らしく、子供らしくないことは言えなかった。
 家族で何かの問題を皆で乗り越えたことは一度もなかった。
 辛いこと、自分ではどうにもできないことは言わない言えない、どうしたらいいのか分からないことこそ、大人に相談するべきことなのに、私は逆。自分で何とかできることは、其の範囲なら言える。相談する演技しながら、甘えて、親を一応親子らしいなって安心させてあげる演技なら出来る。
 でも、本当に困っていること、自分ではどうしたらいいのか分からないことを言って、相談することは絶対にできなかった。したら、笑われる、からかわれる、其の話題でずっとネタにされる、自分の素直な思いなんてふって踏みにじられる、お前はこういう奴だと断定され、将来はこうなるから、今から性格矯正をされる、心配だと押し付けられる、姉と比較される、姉には絶対に馬鹿にされて笑われて母と一緒にからかわれる・・・そう私は思っていたの。
 そういう自分ではどうしたらいいのか分からないことこそ、自分で耐えて自分で処理して、家族には隠すしかなかった。それが私の子供時代だって・・・これだけは言える。
 
 鍵付き日記に、自分の思い吐くしかなかったな。自分をお母さんに見立てて、「よしよし」って背中なでていた10歳の頃。それからぬいぐるみと一緒に眠って、いつか大人になった私見えるかなってそのぬいぐるみの隙間から見える空間を見て、想像膨らましていた。
 どうにもできないことを他者に相談する。自分ではどうすることもできないことを他人に言う。恥ずかしい。怖い。でも今は人って笑ったりばかにしたりしないんだって分かった。
 普通で優しくていい人だらけの家族って思いこんでいたけど、それでも、母のしたことも姉のこともやっぱり今は客観的に見て、あの人たちは人の弱みや格好悪さをあげつらうんだって分かる、分かった。
 ずっと自分の思い過ごしだと思っていた。でも、父の葬式でのことや手続きのことでやっと分かった。母はいい人だけど、勝手でひどくて態度が急変する。お葬式に来てくれた父の会社の人へのはがき(姉が作ったのだ)を一枚一枚「この人い〜らない!」って床に投げていたの。「これ義理だから」「これ会社の関係のみだから。くそ!」とか言いながら。もっと驚いたのは「この人もこういう口で〜す!!(精神疾患があるということ)お薬飲んでいま〜す!」とか言って笑って捨てていたの。本当に驚いた。手続きの日姉と私で頑張ってやった(それでも姉よりも出来すぎないように私は印象操作やって、姉よりは馬鹿な振りして姉を立てながら配慮思いっきりしながらしたんだ)ものを、母は「私が探検隊の隊長!」だとか言って姉と私の前に立って市役所行ったの。そういう人なの。そういう人を私なだめて生きている。勿論、優しい人だとも思っているけどね。こういう中で私は一人の人に対してすごく「いい人」「悪い憎むべき人」という両方の判断が自分の気持ちにもよるんだろうけど、日によってものすごく振れ幅が大きいのね。友人に対してもそう。許せない!殺してやりたい!憎む、恨む・・・やっぱり私のためを思ってやって言ってくれたのよ、あんなにいい人いないよ、優しいよ、私はなんて恥知らずなの!という両方の気持ちがすごい変わるの。
 家族・・・
 気多分私ものすごい気がつかないで使っている。
 それに母はうつだし、姉は不安障害だし、祖母も昔から躁鬱だし。姉と母は父の姿見たから(最後までやったわけだから)本当に心配。怖い。そのせいもあって、とてもじゃないけど私は気を使うしかない。私のお得意だよ、自分を抑えることなんて、他者のことばっかり配慮して優しく(本当の優しさじゃないかもしれないけど。弱い人に対しての私の優しさは本当に得意中の得意)するのは。自分我慢するのは大好き、お得意。(本当にすきかは分からないけど、昔から本当にさりげなくするのが慣れっこなの)
 
<1381> halu ■2007年10月08日 月曜日 02時01分44秒
今ではお姉ちゃんの新居に一人ででも遊びに行ったりしてるけど・・・学生時代は、仲悪かった・・・お姉ちゃんによく当たられてた・・・ストレス発散の為に私に当たってるの?ってしかも親もお姉ちゃんは色々頑張っててしんどいから・・・って・・・親が放任してて、お姉ちゃんが高校に行けないかもって事態になって・・・必死に勉強しててイライラしてんの分かるけどもよ・・・話しかけたら、明らかに不機嫌そうに「何?」「うるさいねん」「はぁ」とか・・・話しかけたらそんな言葉返ってきたんが、10年弱続いた・・・お姉ちゃんが社会人になった時に、私から姉に、何でいつもイライラしてるん、何でそんな返事の返し方なん?とか色々聞いて、姉なりに親に振り回されて大変だった事・・・とか、高校入れるか分からなくて大変だった事・・・とか、イライラの理由は予想できてたけど、本人の口から聞いて、また私には言い過ぎたって事を聞いて安心した・・・でもやっぱり、あのころ攻められ口調で言われた事がたまに思い出されるんよね・・・そして学生時代は特に家族関係もあったけど、そうやって姉に言われた事があって人と上手く話せなくって、友達も私が頑張って話し聞いたり、(母親からは姉がイライラしてるときは話を聞いてあげて・・・って言われてた・・・母よ・・・今なら分かるけど、自分が楽したかっただけちゃうん?!)合わしたりしないと駄目だって思ってた・・・でもそうやって出来た友達関係はしんどくって・・・向こうが普通の子やったら、向こうもそんな対応がしんどそうやった・・・私と同じACの子は、そんな対応が妙に上手く噛み合って近づくんだけど・・・それも、お姉ちゃんや家族と同じ関係の様で・・・だんだんしんどくなるし、嫌悪感がつのる・・・私、神経質すぎ?考えすぎ?かもね・・・ウォーキングとかした方が良いかもって最近思う・・・まぁそんなこんなで、うちの家族変や・・・だから、私がこんな状態・・・そう思っても良いよね・・・今までは自分が悪いってしか思ったこと無かったけど・・・家族に原因ありきの私の生き辛さ・・・

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This script written by Shintaro Wakayama.