おじいちゃんが、父に言った「かわいい奥さんと子供がいて、お前は何が不満なんだ!こんな子に育てた覚えは無い!」会社いけなくなった若い父を、皆責めた。当時今から30年も前、まだうつ病は「単なる怠け、単なる甘え」だった。特にあの国立はいって、大企業にはいった貰われっこの戸籍に瑕のある祖父には理解できなかった。 父の悲しみ。優しかったまっすぐな父。父の悲しみ。でも父もまた私に同じ子と言った、いじめを自傷で感情を鈍らせていきぬいた私には高校で、一気に崩れて、毎日自責感と罪悪感で死にそうになって、クラスメイトに怯える私に父は「一体これだけしてやってんのに、何が不満なんだ!」と言った、間接的にでも言った。飛び降りようとする私に「死ねよ、早くやれよ」と迫った。
父はその9年後にほんとに自死しちゃった。ひもで首絞めて死んだ。父の家族。おとうさん、私はおとうさんが好きだった。それなのに、おとうさんの悲しみ、つらかったと思う。ACという概念も知らず(認めず)そううつ病も「精神が弱いから」と考え、恥に思い、祖父の介護も期待も一身に答え続けた。大企業で工事の責任者として事故での死者がでて、同期と常に競争し続けた。精神病は弱いから、男の癖に、何を甘えて・・・妻子くらい養って当然。そんな考えと、母の「こんな目に遭わせて」という不満。私たちの不満。最後はもしかしてすべて受取ったのかな。何なんだろうね? 自死した。姉の結婚式の前に。死んだ。ほっとした顔してた。祖父もまた、病室で孤独に死んだ気がする・・・・。 見せ掛けだけの、この家で、それでも優しかった思い出と、脆い家族。
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