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私たちの物語 - 家族過去ログ No.69
メッセージ数:1380件

<1380> ぺあ(FB注意) ■2007年10月07日 日曜日 22時15分55秒
 おじいちゃんが、父に言った「かわいい奥さんと子供がいて、お前は何が不満なんだ!こんな子に育てた覚えは無い!」会社いけなくなった若い父を、皆責めた。当時今から30年も前、まだうつ病は「単なる怠け、単なる甘え」だった。特にあの国立はいって、大企業にはいった貰われっこの戸籍に瑕のある祖父には理解できなかった。
 父の悲しみ。優しかったまっすぐな父。父の悲しみ。でも父もまた私に同じ子と言った、いじめを自傷で感情を鈍らせていきぬいた私には高校で、一気に崩れて、毎日自責感と罪悪感で死にそうになって、クラスメイトに怯える私に父は「一体これだけしてやってんのに、何が不満なんだ!」と言った、間接的にでも言った。飛び降りようとする私に「死ねよ、早くやれよ」と迫った。

 父はその9年後にほんとに自死しちゃった。ひもで首絞めて死んだ。父の家族。おとうさん、私はおとうさんが好きだった。それなのに、おとうさんの悲しみ、つらかったと思う。ACという概念も知らず(認めず)そううつ病も「精神が弱いから」と考え、恥に思い、祖父の介護も期待も一身に答え続けた。大企業で工事の責任者として事故での死者がでて、同期と常に競争し続けた。精神病は弱いから、男の癖に、何を甘えて・・・妻子くらい養って当然。そんな考えと、母の「こんな目に遭わせて」という不満。私たちの不満。最後はもしかしてすべて受取ったのかな。何なんだろうね?
 自死した。姉の結婚式の前に。死んだ。ほっとした顔してた。祖父もまた、病室で孤独に死んだ気がする・・・・。
 見せ掛けだけの、この家で、それでも優しかった思い出と、脆い家族。
<1379> ぺあ(FBもしかしてあるかも) ■2007年10月06日 土曜日 11時07分13秒
姉に「いいね、いきいき行動していて」ってまた体調悪そうに言われた。
でも当の私は今日も電車にのれるかわからない。バスも。それでもとりあえず出て必死でピアカウンセリングに着こうと頑張る。歩いて自転車で。でも泣きながら秋の空の風感じながら、平和な日本にいる素晴らしさ感じながら、ゆっくりゆっくり歩いて自転車で行くつもりだよ。
 
<1378> ぺあ ■2007年10月04日 木曜日 21時39分07秒
 辛いな。姉のこと。姉に私は未だに悪いっていう感覚が消えない。いっつもいっつも「頭痛い〜死ぬ」「おなか死ぬほど痛い、助けて」とか言われ続けた。
 其のたびに、え?どうしようって思ったけど。でも、姉は心配しているのよそ目にして、彼氏と旅行に行ったりするし、私の発言をばかにし、あげつらい、おおうけする。とにかく、この家でいっつも不機嫌で私に当り散らし、身体の不調訴えて、くる。そのくせ、土日になれば、テニスクラブからず〜っと帰ってこないで、るんるんで行ってしまう。それでいいんだけど・・・・なんか意味わかんないの。
 この前もメールで「あなたに見下されるように感じていた」と書いたら返信なくて、すごく彼女をつぶしたような罪悪感と、彼女が旦那からも見放されて、会社もうまくいっていないみたいだから・・・一人で孤独に「私って・・・」と泣いている姿想像して、私なんか変なこと言ったかなって何度もメール見直し、どうしようって姉のことを頭いっぱいにし、すごく悪く、感じ、姉を助けないとって思っていた。そしたら、その次の次の日に帰ってきて、「めちゃいいホテル旦那と泊まって来た〜」とか言って、お土産買ってきた。
 そんなことの繰り返しだ。
 姉はものすごく自分の不調訴えることで、私や母がおろおろするのを使っている気がしてきた。
 姉は頭がいい、本当に。発想の転換も、先読みの力もある。
 でも、あの私への馬鹿にする態度はもういやだ・・・・なのに「あんた最近見直した」だとか「あんたがいないと実家に帰らない」とか、言ったり。母と喧嘩するかと思うとびくびくする。母とくっだらない喧嘩をした。父が亡くなって、すぐに。「こういう漢字さえしらない!」って母が姉をばかにした。「あんたこんな漢字さえかけないでよく仕事できるな。へっぽこ!」って姉に言ったら、姉が怒り狂って、「お前こそ何でもやってもらう、中年になっても何もできないばばあ」って言うようなことを言い返した。母は怒り狂って、「もう実家に帰る!」と時計まとめて、荷物まとめて、夜中の11時30すぎに、家を出て行こうとし、私がとめた。「行かないで。こんな遅いのに危ないよ」って言った。あの二人に対してもびくびくしている。私はいっつもいっつも仲介者。
<1377> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 17時34分02秒
父が躁鬱病だったこと、ずっと認めたくなくて突っ張っていたこと、でも私に助けてという期待と視線で見ていたこと、母は表面上波風たたずに問題なく普通の人生上のポイント(受験失敗した時の失望など)を普通の人が反応するのと同じくあれば許せること、姉が常にいらいらしていたことが私に与えた影響を私は見つめるべきだ。いじめにあってきた、性暴力にもあってきた。すごくわかりにくい形で。でも加害する人は私のように中身はおどおどだが顔は周りに合わせて笑って自分の意見何一つ言えない感じさえできないと分かるのね。私はこのサイトの方を見ると、つらすぎな過去に私がいかに恵まれ精神的な病にもならずレイプされず失ったこともあまりない、金銭的にはまあまあ恵まれてきたから、私は全くたいしたことない、騒いで甘えているだけお前はここにくる方よりもぜんぜん軽くてずるいんだよって私に思ってきた。私なんか殺される危険性も性虐待を受けたわけでもない、本当にかわいそうな人理解したいなら私も同じ目に遭わないとって自分に憤ってきた。でもいじめ許し、暴力許し、性的行為をまるで自分のこと、じゃないようにして許した。自分の体だけどどうとでも使って共用物、私の意識外、たいしたものじゃないと自分を思い、自分と切り離して相手に性的にも私を使わせてきた気がする。私がなぜ自分をたいしたもののように扱えないかといえば私はそうする度に、自分はたいしたもので大切だと思う度、父を母を姉を圧倒すると思ったし、そう思う度同級生に傷つけられ続けつぶされ、家族皆喜んでそんな私を見ていたから。話し無くなった時の話のネタになるから。
<1376> ぺあ ■2007年10月04日 木曜日 12時26分14秒
 いつか、この家族と縁を切って、きちんと人と向き合えて、人をばかにしたり、上か下かで負かしたりしないで、素直に(父が味わえなかったかもしれない、ごめん、私そんな安心感じていいのかな?)友情や安定、安心、愛情、情を感じあえる人間関係作れる日がするのかな?
 怖い。父を見捨てたり、彼を否定したくない。だって、命削っても私たちの経済的な援助してくれた、一杯、色んなことしてくれた。
 父の感じていたことを私は一緒に感じたい。私は、怖い。誰かを見捨てるのは出来ない。誰かを下におけないよ。姉を世界から落っことしたらどうしよう?姉が誰からも相手にされなくなったらどうしよう?まあ、頭の良い、口悪いけど、根はいいやつって感じだから、大丈夫だけどね・・・。彼女は本当に頭のいい人なんだ。だから、私にああだこうだ言いまくったのかも。でもあの人のやったこととあの人の性格が良くて、世間に受入れられていることとは、関係ないよね。
 父を母を否定も、できない。したくない。怖い。いつも「許す」こと前提で、母を父を暖かく見守りたい。そう思ってきた、素直な感情は出せない。素直な感情はいらないもの。そうしたら、本当のあの人たちの姿世間にさらして、彼女たちを傷つけるから。怖い。本当のことは怖い。自殺なんかされたくも、誰かを立ち上がれさせなくすることもしたくないんだよ。
<1375> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 11時50分22秒
 いい加減にしてほしい。家族から離れたい。其の思いは、私の中の渦巻きにかき消された。なぜだか、だめだめって私の中で何かが言うの。
 そうして、姉の結婚式も嬉しそうな顔を用意して、行かねばならなくなった矢先、父は自死した。
 ほっとした。パニックになりそうな思いを新幹線でしそうだったから。何かあれば私はトイレで手首切って、自分の消えない思いを誰にも出せずに、認められないけど、手首にだけは出して、手首に怒りをぶつけようと思っていた。
 母方の祖母も母の弟も来る。それだけでも私は母の名誉のためにも笑顔でいなければならない。この結婚は成功だって(父と母の結婚のこと)。母は、何も考えず、アウトレットで買い物できるぜ〜ってはしゃいでいた。私は結婚式の2週間前に父をみたとき、「おかしい」という自分の中のサインがもう最大に回っていた。いつもおかしいと思っていたけど、それでも隠し隠し、真実話せば、皆からあんたはおかしいと言われるからね。あの時は、もう最大におかしい。でも誰も気がついていない。どうしたら言いの?最初は笑って、人をいじめている気がして、笑って、見下す立場逆転って笑っていた私だけど、私の理性がこれじゃいけないと・・・父を心配げに見つめた。そうしたら父は顔をそむけた。傷ついた。母ははしゃぎまくっている。姉はいつもどおり、機嫌悪そうに、具合悪そうにしている。何か問題あるというだけで彼女は「は?あんたばかじゃねえの?自意識過剰!ば〜か。暇人?」と言うんだ。あの人は人の傷つく言葉を本当によく多用する人だ。
 「もう知らない!」が私の思いだった。「ばかじゃん!」「何があっても知らない、許せない。」そして、「この家でのすごいことこの目でみてやる!!」って思った。教育実習時の校内放送で私のことを素直に言った時の後の学校中の反応を思い出していた。白い目で一斉に見られ、私をおかしいって言う眼でみる、あの私を変な目で見るあの一斉に向けられる視線。傷つくなんてもんじゃない。もう一生多分忘れられないくらい悲しかった。
 もう二度と分からない人には頑張って真実言って、目を向けさせようなんて思わない!いや、あの頃は、もうなんかあってもモグラのように突き出さない、この家族お得意の見ない振り、たいしたこと無いように振る舞い「笑う」「見下したようににやつく」ことをしようと思っていたからね、実習の後からは。家族にも、実習の後でも、うちって変じゃない?っていうことと、私の見てきたものは何だったのか一緒に検証して、分かってもらいたくて、やったよ。「お母さんは私の独立なんて喜ばないでしょう?いつまでもしがみつかせたいんでしょ?」って言った。でも、当然そうなのかもしれないけど、父は喜んで「あいつおかしくなった」って言ったって母から聞いたとき、「もうこの家はだめだ」と思った。彼らお得意の問題ないふり、見ない振り、勝手に処理して、笑っているだけの行動を家族にするしかないんだって思った。

 父が自死したって最後にあって、一週間後の思い出したくないけど、日曜の朝電話で姉から聞いた。ばかじゃん?って私の本音。今更っていうくらい、姉は私に「ひどいこと言ってごめん」と謝り、父に渡すはずだった、「定年退職お疲れ様カード」姉以外皆書いて、姉が仕事忙しくて1年以上持っていたそのカードを「渡さなくてごめん」と謝った。ばかじゃん?ばかじゃねえの?どれだけうちって変って言ってきたと私が思う?私をばかばか言ったのは姉だった。お前は暇人!どうせお前のやることなんか全部くだんねえんだよ!!馬鹿ジャン。どれだけ言われてきたと思う?4つも下で子供の頃は姉は正しいと思わされてきた。合っている合っている、姉が、そう思ってきたよ。
 でも、父が死んで、私が取り乱さず、やることやって、資格取っていたら、「今回でちょっと見直した」って姉が言ってきた。
 何なんだろうね?姉が確かに、子供時代は私に目をかけてくれて、一杯いろんなこと教えてくれたのはありがたいし、仲良しだった。
 でも、姉が中学行く頃から、私に当たりまくって、すごかった。いや、昔から、姉は不機嫌なこと多くて、私は姉にも何か、不幸そう・・・悪いって思っていたよ。
<1374> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 11時29分32秒
 私今でも、上下の関係から抜け出せない。正直に言えば、父が死んで、下になって、自死なんて最大の下なばかがやる行為、自らやって、したできて、精神病も患っていて、やっと弱み見れて・・・もう私をばかにしたり、いじめのことごときで家族が大笑いしたり、私をみて、にやにやしたり、することなんて取るに足りないことになって、ほっとしている。
 父のほうが下になってラッキーとも思っているし。姉にも母にも勝ったと思っている。あいつらは、父のそういう姿見て、この先浮かばれないんじゃ寝えの?って思っている。私を散々ばかにしたけど、あんたら精神病なんかになってばっかじゃん!!すげ〜嬉しい。姉なんか、結婚式もあげられないでほんとラッキーって感じ。これからも、あんたが自分の幸せのために立ち上がろうとしたら、父の自死のこと思い出して、お前にはそんなことやろうとしてもすぐに潰されると思い込んで、欲しい。一生浮かばれないで欲しいし、散々私の弱み笑っていたけど、父の自死でほんと私は正しかったって分かれて、ラッキー全然悲しくない。ばかじゃん、むしろ姉と母に正当なものぶつけられた気分。あいつらは許せない。ほんと嬉しい。父が自死して、すべて理解して、あいつらが私よりも下になれば、ほんと嬉しい。嬉しい。私のいじめられたことだとか、そんなこと取るに足らないことになってくれたおかげで、いじめの話しがニュースで出るたびに、姉や母やまあ父からも奇異な目で私を笑うような変な目で、見られていたのも、うけることに、父の自殺なんかでなくなって、まじ嬉しい。そう思っているよ、本と。いじめられてきたこと正直に話さねばと頑張ったら・・・そういうふうに我慢してきたからこんなに苦しんだと頑張って話しても、おかしな目でみられるだけだった。後は、父に「過去は変えられません、変えられるのは未来だけです」といわれ、母には「私にどうしろっていうんだ!こんなに悲しい目に遭わせて!」と電話たたききられ、死ぬほど泣き出す始末。すごかった。いきなり、「おほおほおほ」ってヒステリーのように声がすごくなって、「いつまでお母さん苦しめたら気が済むんだぁ!!!!!!」って電話の受話器のところで私にものすごい怒鳴りつけて、電話叩き切られたの。傷ついたな・・・・。私だって、分からないのに。でも、頑張らなければ、全部言わなければ・・・私はおかしくなるし、言わない私が事態を悪化させたとずっと自分の勇気のなさを憎悪してきたから。
 そうして、3時間後くらいに「もう大体気分納まりました」とかメールで入ってくる始末。
 もういい加減にしてほしかった。
 からみつく父の「助けて〜分かって」という感じ。でも真実に触れたりすれば、分からないけど、自分の感じていたことを意識飛ばすくらいの勇気を出してやれば、その手紙は皆に見えるパソコンの横に見せ付けるようにして置かれる。父は絶対に認めない。そうして、父は正論、世間一般で言われること、本に書いてあることで私を押さえつける。母は、ひたすら、「お前は謝れば土下座すれば気が済むのか!!!いつまで苦しめたら気が済むの?普通の子に育ててあんなに心配してやったのに!!何で普通の子の考えることじゃない、虐待とか心理とかアダルトチルドレンなんかに興味持ってるのよ?」といわれ、私が真実話して、もういい加減、この訳分からない世界を理解しようと少しはしたかった。
 でも頑丈のドアは死んでも開かない。私のやっていることは、安定し、誰も不満もたないこの中でモグラ叩きのように、出れば潰された。私がおかしいから・・・家族皆言った。「あいつ不安定だ。心理なんか研究しているから、過去思い出しておかしくなった。就職うまくいかないから」そう決め付け、心配心配と私を連呼した。母は、ばかだから、本当に私を心配していた。違うって言いたくても、聞いてもくれないし、聞いても一部分しか聞いていない、いつも自分の世界しか見えない、自分の気持ちが世界のあり方に直結している人だからね。
<1373> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 11時12分25秒
 神様、私はもしかしたら、恵まれているのかもしれません、軍事政権の下で恐怖に怯えている人、飢餓に苦しむ人、原爆に遭われた方、沖縄戦で子供を殺さざるを得なかった人、強制収容所に送られた生き残りのユダヤ人の子供。皆、ACという概念にまで手が回らなかったんじゃないだろうか?
 
 本で読んだんだけど・・・迫害をナチスに受けたユダヤ人で生き残りの方の子供の手記の本が出ていて・・・其の中の子供の証言で「私は、両親の受けてきたことの埋め合わせのためにいつも幸せでいなくてはならなかった」という言葉があるそうだ。
 強制収容所で両親が受けたことを、子供は直接には知らないが、両親が受けたであろう、言語を絶する体験、恥辱感、恐怖は、子供にも伝わるんだって。夜の闇、留守番中の独りにされた時に見る風景、突然鳴り出す電話とか・・・そういうものにも恐怖や自分たちはよく分からないけど・・・何か恐ろしい目に両親があったんだという、根深い感情を持つとあった。(これは本の孫引きだけども)

 私の父が苦しんでいたのは、知っているんだ。父は、常に貰われっこで経歴に瑕のある祖父の、学歴経歴コンプレックスを埋めないといけなかったんじゃないだろうか。祖父が過去の自分を捨てた親類へ見せ付けるために、貰われっこの田舎者だと見下した人に見せ付けるために、「すごく」いなければならなかったんじゃないだろうか。
 父は、まっすぐだった。人に影響されやすかった。子供の頃私は父親が死ぬほど好きだった気がする。私にとっては友達のようででも格好良くて、優しくて、私を「OOOの介」って言いながらかわいがってくれる、よく顔も似ていたし、そういう父が本当に好きだった。いつも足にしがみついて、離れなかったし、其の時の嬉しそうな父の顔がとても嬉しかった。だから、父の寂しさは私には「自分はずるいんだ」って思ったし、私にはきつかった。悪いことに、私はいじめられはじめていたしね。父は、格好悪い姿(精神病であること、社会から見放されること、会社の出世競争から外れること、人に必要にされなくなること)は死んでも人に見せられない人だと思う。私にも、分からない。精神病って悪いことなの?でも世間では確かに隠すよね。私が同じになればわかるかな。
 父は、私が幼稚園の頃に、設計責任者として行った工事で、死者1人出た。乗ってはいけないところに彼が乗って、そのまま強度の低いもの(父は強度の高いものを使いたいといったのに、予算が合わないから安いものでいけって上司に言われた)だったので、折れて、落っこちて、亡くなった。父は、30歳くらいで工事の責任者だった。その死者が出た事件の後、父は怯えて眠れないって訴えたらしい。
 父が、ずっと働いていた会社は祖父の自慢の会社だった。うちの息子はあそこでっていっつも言いふらしていた。でも、父は、苦しかったみたいだ。「もう行きたくない」と泣いて、どうしていいのか分からない若い母は、祖父と祖母を呼び、祖父は「お金もあって、いい暮らしもあって、かわいい奥さんと子供がいて、お前は一体何が不満なんだ!!俺はお前をそういう風に育てた覚えは無い!!!」と言い放ったそうだ。そして、あの大企業の中での上司は父に、2回目に精神疾患で倒れた時には、「何どもやるなんて子供じみているぞ!」と言い放った。誰もが奇異の目で見たんじゃないだろうか。10数年前の、うつ病は「心の弱い人の病気だ」とされ、父もずっと自分のことをそう思い続けたらしいから。あの会社の中では、父は「ストレス耐性の無い人」で通ってからかわれていた。プライド高くて、そういう名の通った学校、企業を科掲げて、生きるのが大好きな父だ。私が10歳の頃、父は、躁鬱の鬱がひどくて、自殺しようとしたらしい・・・母に言ったんだ。「高速道路で反対車線に飛び出そうかと思った」って。母は、そういう父を見ない振りして、でもお金は沢山もらって生きてきた。それでも父は妻子を養うのは、男として当たり前で、もしできないならば、それは男として失格だと祖父から言われ続けてきたから、そう思っていたらしい。母は、父が会社がいやだとか寝込むと・・・「私をこんな目に遭わせて!」と泣いていたらしい。そして、父の悩みを聞いては、「もうまたうるさいこと聞かされた!」とストレスの発散で、お金を大量に使って、自分へのプレゼントしていたって・・・・。どうでもいいけど。でも、私は、感情は見せないで、良いところを見せ付けて、母をこばかにして、いつも自分の中に怒り溜めて、自分を攻撃し続けた、かたくなな父と、問題さえ起きなければいい、金さえもらっていれば、私は何かをしてもらって当然の母・・・・の心の通わない、問題は隠して、隠して、時間通り過ぎるのをひたすら待って、何一つ動かないこの風景を見ていて、父の寂しさも母も不満も私にはとてつもなく大きかった。寂しかった。私もまた問題は誰かを傷つけるから、見ない気がつかない振りがうまくなった。
 何も見ないようにして、それぞれがマイナス部分を独りで解消。世の中に認めてもらえることだけ、おおっぴらにやるのが、この家、そうして、多分一緒に暮らしていたから分かる、父方の祖父の家の慣わしなんだ。
 世の中にいかに上に行くか・・・・そうして兄弟でさえ性格、学歴、勉強できる度、能力何から何まで比較と競争。いかに、自分が世間で受入れられ、尊敬されているかを見せ付けあう場所が、家族であり、姉だった。助け合いは無い。いじめられていれば、下見っけ〜弱い弱点として、姉は母は下ができるのが、嬉しいの。だから、世の中から「捨てられる」「外される」いじめ役に抜擢されている私は、言えなかった。これ以上傷つくのはいやだった。
<1372> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 10時38分11秒
 うちは、確かによく考えて見たら・・・おかしな家なんだ。
50過ぎでいきなり死ぬか?自分の息子の葬式になんで祖母は出ないんだ?弟も仕事忙しいとか言う理由で欠席していたけど、躁うつ病なんだ。
 いつか、母は、父が亡くなったのは、自死だったと、伯父と叔父に言うといっていた。叔父の精神状態が良くなったらと。しかし、もともと躁鬱気質で私から見ても、やばい感じの高齢の祖母にはいえないね。
 私は、ずっと、父の寂しさやいつ自殺するのか分からないくらいの自分に対する怒りを「かわいそう」だと感じ、本当に父のお世話、母との仲介役、何よりも、父を見捨てないこと、父を否定しないことに、全力を掲げていた気がする。母の座を奪っているという感覚も父が躁状態のときにはあった。私が、父のなだめ役として、手腕を発揮し、どこまでも彼の心を読み、彼の気に入るように振舞い続けた。10歳の頃だ。私は、当時うつ病というのは、母の書いた日記で分かった。でも、躁鬱だとは分からなかった。なぜ、いきなりものすごい目で母を睨み、そのくせとても悲しそうなのか、理解できなかった。人格変わるの。押さえつけていたものが一気に噴出すの。柄が悪くなって、すごい人見下して、二人でファミレスに居た時に、障害持った人が父の椅子にぶつかるだけで、「ふざけんなよな!!!なんだあれは!!!」と激怒と蔑みを暴言として吐いていた。よく車の中でいらいらが頂点になるのを、私はただはらはらして見ているしかなかった。そして、父の寂しそうな背中にも、顔にも、私はすべて私が何とか、彼の一字一句すべての思い読み取り、彼の気持ちを私は満たしてあげようと・・・・・思っていた。
 そうして、この考え方は、其の後、学校の中で気になる、好意を持ってもらいたい男子、私を好きになってくれてそうな男子にたいしての思いに結びついた。男子が私を見ている、私のこと好きなんだ。じゃあ、その好きという思いを永久未来永劫変わらなくさせたい!ずっと其の評価さげたくない。だから、彼の今まで誰も満たすことのなかった、かわいそうなもてあました彼の思いを、私だけはすべて彼の表情からすべてを読んで、彼の思いすべてに応えて、私はずっと評価高くいられる。少しでも変な顔、あくびしたり、鼻動かしたりも、絶対にしない。いつも「かわいい」って言ってくれて、気に入ってくれた顔で永久に変化しないでいる。少しでも変な顔は死んでも見せまい、そうして私は他の女子よりも勝っているし、姉にも母にも見返せる。その子がずーっと私を監視している、評価のあげさげをしていると思い込んでいた。
 とにかく、私は相手の一字一句、相手の感情の動き全部網羅して、彼の私に対する期待を全部に応える、決して裏切らないと、自分に課していた。
 これは、私はこの家族に対して、やっていたことなの。私は父のすべての表情を見て、私は、父を和らげてあげたかった。父のもう私は見捨てないという信号を私だけは出して守ってあげたかった。私だけは辛い現実にいる父の私だけは最後の砦として、彼をすべていいよいいよって何でも許してあげたかった。
<1371> ぺあ(FB注意) ■2007年10月02日 火曜日 10時45分19秒
 私は、仕事もせずに、父の書斎にこもって、パソコンで過去のことばかり打っていて、父に怒られているんだろうな。父の怒りの顔が見えるようだ。祖父の悪口、言ってはいけない家族のこと、書きまくっているものね。
 家族は、私が中学校時代の部活のペアの子に、学校行くのを待ち合わせしている時に、毎日その子に時計持たれて1分遅刻!とか、5分遅い!とか、計られているの見て、笑っていたな。
 思い出したくも無いけど、おかしいよね。
 私の家族は、私の窮地もおかしいらしい。うけるらしい。
 あの子の苗字とって、OOOんとか言って、おおうけしていたもの。あの子になんか、下にされている〜って大喜びしていた。
 うちのお母さんはいい人です。でも、もういや。それなのに、この家から離れられない私って何なんだろう?性格がいい、裏表ない。でも、私ははじめから母を父を癒すために、この世に生まれてきた気がする。私が助けるために生まれてきた気がする。母に、「あんた一回だけ病院ばっかりいって、おかしい!!」とか冷笑されたり、泣かれたり、心配であの人が寝込むの見ると、力がへなへな〜って私の心の力がへなへな〜って萎えるの。

 萎えた私の心に、本当に多くの人が学校で私の気持ち踏みにじって、大笑いしていった「こんなのただのからかいにきまってんじゃん!」「まじめだな〜」「冗談わかれよ、社会でやってけねえぞ、友達いないんじゃない?」「そんくらいで!!」いっつもいっつもいっつも「そんくらいで!!」って下に見られ、過小評価され、それでも、何も言わないと、「何で言わないんですか!!」って先生からは言われる、親からも言われる。

 私、病院いってもいいよね?変だと思ったら、病院いってもいいよね?一回だけの受診でもいいよね?私の気が治まる方法他の人が変って私を非難してもそれでも、私の方法してもいいよね?

 私っておかしいのかな?
 私って家族の中にいると、常に心がへなへなになる。そして、子供の頃は、学校では、何も自分の見聞きしたものを信じられない、他の人と共有できない私を、色んな人がこずいた、色んな人が自分の欲望満たす道具にした。男子には、中学校時代、足をくっつけられたり、壁に身体押し付けられたりした。髪触られたり。それさえも、相手を傷つけたくなくて、嫌われたくなくて、ふふって笑ったり、相手の気に入る範囲で「足つけないで」ってにこにこ笑いながら言っていたの。おかしいよね。見えない振り。見ない振り。何でも、二人の世界で終わらせる、全部たいしたことないようにしか振舞えない。だって、私なんておかしいから。私がおかしいから。私が女っぽく誘っているように見えるのかもしれない、私が悪い、相手が全部正しい。

 私って、何なんだろ?祖父にもこびて生きてきたのかもしれない。ただ、寂しいなら、私が話しを何でも聞いてあげたかった。私って、どうしてここにいるのかな?何で、この家に生まれてきたのかな?父を助けるため?父の自死を見るため?学歴のため?
 でも何よりも私は、父を祖父を母を姉を喜ばせるため、あなたは間違っていないよってうんうん受容するために、私だけはこの人の世界観を肯定し、あなたは合っているよっていうのを体現するために、生きてきた気がする。だから、学校でいじめられて、ダークな世界に浸っているのは、家族への裏切り行為。私は、明るくて裏表無くて、皆の玩具に喜んで収まっている奇跡の子だから。皆の玩具で笑われ役になっているのが当たり前で、それで満足しているのが私で、本当は暗い部分があるのは、それをましてや隠しているなんて、「お前はこの家族で明るく振舞う、何されても喜ぶキャラなのに・・・・本当はしっかりしているだなんて、俺は許さない!」っていうメッセージをいつも心に発していた。
 うそつきうそつきうそつき。家族の前でと全然違う自分を持って、いじめられ続けていることに、私は明るく振舞っている、何されても玩具で喜んで、あんたがたの下でいる、何も分かりません〜世間のことは、っていう顔しているのに、本当は違う一面を持っていることに、最大の罪悪感を感じて生きてきた。
 私はこの家族に嘘をついているそう思って生きてきた。私は誰かが私を「こいつ何やっても喜ぶらしい、いじめられキャラ。何も世間しらないキャラ」って下の玩具見つけたように、喜んで私と人間関係を作ると、私はその人が倒れそうで、かわいそうで、私はあなたは間違っていても、うんうんって全部あなたの世界観価値観を受入れて、あなたを肯定しなければと、脅迫的に思うの。だから、そうじゃない哲学が好きだったり、すごくまじめだったりすると(そういうところから私の力の源泉が湧き出るのに)、本当にその決め付けて、そういうふうに接してくる人の裏切り行為している気がして、ものすごく罪悪感にさいなまれる。また、その人の価値観を壊す行為をするわけだから、私の力見せ付けるわけだから、相手が死んでしまったり、自殺したり、「俺が間違っていた〜」とものすごいその人が罪悪感でつぶれたり、自己を嫌悪してしまうんじゃないかと、はらはらしているの。ごめんなさいって私が怯えるの。
 境界線のなさ。いつも、人の責任を押し付けられてきたこと。父が躁鬱でそれを認められずに、でも私には「お前だけは分かってくれる」という視線で見ていたこと。それは祖父も祖母も同じ、「あなたは分かってくれるよね。」って期待の目で私を話し相手にしていたことに、影響している。
 祖父は祖母は、自分の息子3人に、パワーゲームさせて、見事に一番上の子に嫌われて、避けられて・・・そういうの全部自分の責任なのに、寂しさを全部押し付けたんだ。かわいそうだから、寂しいから。。。。って私に甘えたりしたんだ。父もそう。
 この家族は世代が下に甘える家族。下の自立を応援するんじゃない。下によっかかって甘えてそれを愛情だと勘違いしている。おかしい。私の自立を応援するんじゃない。名を残してくれれば、大喜び・・・自分の価値があがるからね。確かに、それだけじゃないところもあるよ。私の作文コンクール優勝を喜んでくれた時には、いい大學合格した時には「さすが、おじいちゃんの孫娘で頑張りやだ、努力家だ」って大喜び。
 でも其の影で、上のお兄さんが、うちの家族と祖父祖母がうまくいっていることに、かなりの憤り、嫉妬があったみたいなの。
いっつも競争。こんな悲しい家族。なぜ、家族同士で競争し、比較し、争うの???

 私は、其の中で多分、自傷系だったんだと思う。あなたが喜ぶのなら、って私たちの破綻望むなら、そうするし、あなたが望むなら自傷も、自分を汚くもできる。
 この家族から離れたいな。離れたいな。でも一人はいやだな。つらかったし。現実と夢がわからなくなった。
<1370> ぺあ ■2007年10月02日 火曜日 09時57分39秒
すみません。下記の1369の書き込みは、FB注意 です。書き込み忘れてすみません。
<1369> ぺあ ■2007年10月02日 火曜日 09時56分11秒
母に「あんたは病院ばっかり行ってなんなの?」って言われた。私は、大学時代一杯ドクターショッピングした。10年前にいれられた右耳のありをずっと心配してきたから、大学3年の時に耳鼻科に行った。一年前に、虫が入っちゃって…とか言ったら、一年前?ってそんな古い話しって医師にいぶかしげられた。 私は時間感覚がおかしいんだ。ずっと気になること残して生きてきて、生きるより気になることが頭占めて生きている。だから何十年前のことも私には昨日だったりするの。耳鼻科では、低い男性の声聞きにくい、鼓膜がへこんでるって言われました。 それから産婦人科でホルモンバランスおかしいって言われた。原因不明らしかったけど。 そしてつい最近は、ひぶん症。目に水晶体に傷ついていて黒い物が見える。うちの母親にはそれらが気に食わないらしい。あんたは一回医者行って終わりか!って鼻で笑われちゃった。私の体なのに、なんであの人がああだこうだ言うんだろう、私の体なのに。うちの父にだって自死を荷担するようなことしか言えないくせに!こんなに心配してやってんのにって言われる。私っておかしいのかな。私って何なんだろう?今回もパニック障害かも?って精神科行った。でも医師の目がすごい押しつけがましく、他者の視線に期待するもん敏感に読んで、相手はかわいそうでたとえ相手が間違っていても、私だけはうんうんって相手の思う通りにならなきゃ相手は死んじゃうっていう感覚が染み着いている私には、あの気持ち悪い医師の目一見ダンディそうで、すごい不躾なのぞき込むような、顔が嫌だった。 一回でやめた。理由あんもん、私は何でバスとかに乗れないか?教育実習だよ!あの集団で私を見る目が、あの先生おかしくない?という目、被害妄想じゃないの。きちんとあるの。校内放送で私は自分の過去をとめどめなく話したの。友人嫌いでした、コンプレックスの固まりでしたって。それが終わった後のあの一斉に精神病者を見る目がすごかった。
<1368> ラビット ■2007年10月01日 月曜日 22時31分02秒
相変わらずでかい音をたて扉をしめたり階段歩いたりジョークを隠れみのにして嫌味を言ったり、食事の場では一方通行の自分勝手な主義主張したり、自分の感情に責任もてないアナタ!仕事では私と比べようとするし、私の心を血だらけにして感情を潰した張本人!

ほんまに笑えない。笑えないで。

俺の人生めちゃめちゃや!もうどっか行けや!

僕をおびやかさんといてくれ!

たしかにあんたは殴ったんだ!
たしかにあんたは蹴ったんだ!
たしかに暴言をはいたんだ!
たしかに大きな音たてたりして脅かせたんだ!

たしかに恐怖を感じさせたんだ!

たしかにあらゆる嫌味を言っんだ!

謝ってください!

謝ってください!

心から謝ってほしい!

それでも許さないぞ!
<1367> ぺあ(FB注意) ■2007年09月30日 日曜日 16時36分25秒
 家族は、好きです。良い人しかいません。
 でも、異常なの。
 なぜ、人が弱っている、からかわれ、こずかれているのを見て、母も姉も喜ぶの?下な奴できたって思うの?
 父は自分の弱さ見せないで、げたを高い高いげたを履いて生きています。
 祖母は、いつもテレビの前でじーっと動きません。決められた日課をして死に向かってんじゃないでしょうか?自殺さえしなければ、いいけどね。あんたの躁鬱がまた発症しなければね。まあ、あんたは、自分の癌とかやっているから、そういうからだの不調がくれば、また癌だとか思い込んでいたり、あんたの高圧的な夫がいたり、あんたのかわいいかわいい末息子の就職がうまくいかないから・・・・おかしくなるらしいから・・・まあもう躁鬱にはならないでしょうよ。
 きもい顔で笑うんでじゃねえよ。
 てゆうかさ、姉も母も父も私に「就職活動うまくいかないからおかしくなった」とか私に決め付けたけど。就職活動ごときでおかしくなれたらどんなにいいでしょうねえ?自分の問題で自分の気持ちそこまで注げたらどんなに、自分のために立ち上がれる人生歩いていることになるでしょうね???

 逆だよ、あんたらのことしかねえんだよ。この頭はよ。ふざけんなよ。
 気持ち悪いくらい顔した祖母に、いつまでもお話相手だよ。
 いつまでも元気付けだよ。自分のことしか考えられない時間なんかねえんだよ。20代半ばなのに、いつまでも私の帰り待っているような、私の出かけたかどうか母に聞くようなしがみつきばばあ。
 そのくせ、あんたの末息子来れば、超ハイテンションかよ。うちの父がいなくなったことに、その末息子には「話し相手いなくなってごめんね」だと。
 ほんと許せない。
 「千の風になって。この辺浮遊しているかも。でももう何もいえませんよ」だって?ふざけんじゃねえよ?ほんと。
 今更、何か、色々。ほんとこの家おかしいわ。何か、責任放棄。相手思いやれない。いつも甘え戦法。ほんと気持ち悪くなってきた。
 自立妨げる。私の自立誰もこの家は喜んでくれない。足ひっぱる。これだけやってやってのに!!ってすごいくる。
 真綿でじわじわくる。「優しさ振りまいて」
 この家族おかしいわ。
 学歴と企業での比較し合い家族。祖父の貰われっこコンプレックスから、出てきた、色んな障害。
 3人兄弟の真ん中だった父。
 悲しい。自立妨げない。悲しい家族。でも、もう無理しない、もういや。この家族。親戚含めて。もういやだ。もういやだもういやだ。父のために帰ってきたときも、迎えてくれたのは、伯父の嫁。すごい嫌だ。嫌だ、嫌だ、勝ったか負けたかの世界。どっちが幸せかの競争兄弟。叔父が言った「結局、一番幸せだったのは、一番上のあにきだな」って。
 ひどいよ。ひどいよ。
 祖母は笑って聞いている。
 祖母は、彼が来れば、私なんか、話のネタ提供者として扱う。
 祖母は・・・・「あなたが帰ってきてくれてよかった〜」だって。まじきもい。うざい。もういい加減にして。
 寂しい兄弟。
 どうでもいいけど。でも伯父が祖父の80のパーティのときに、レストラン予約してやるから、その代わり「お前が喪主やれよ!」ってうちの父に言ったの!!!そういう家族。そういう家族。そういう家族。伯父は「あいつ(うちの父)に何でもやらせればいい」「あいつがやればいい」って遺産相続も祖父の介護もぜ〜んぶぜんぶ父に押し付けた。叔父は、其の間、躁鬱になって、「助けて〜」「全部やって〜ぼくの分もお願い」ときたよ。
 この50もすぎた、男がよ。そのくせ、父が亡くなれば、「あにきはえらいよ。一番上のあにきは何もやらないでよ」かよ1!!!1!!
 そんで、私のお父さん代わりやりたい〜とか言わんばかりだ。
<1366> ぺあ(FB注意) ■2007年09月30日 日曜日 16時08分11秒
 ずっと、毎年2回は家族旅行する。スキー連れて行ってもらえる。有名ホテル連れて行ってもらえる。おいしいもの沢山食べさせてもらえる。料亭連れて行ってもらえる。
 お父さん一杯やってくれる。欲しいものは買ってくれる。頼みごとには応えてくれる。質問にも答えてくれる。それなのに。そんな親を見ていたから、どうしても出せなかったこと。私の弱さ。いじめられているこの惨めで世間から「不適当」と笑われ、こずかれまくっている姿。汚い姿。見せられなかった。受け止めてくれると感じたこともなかった。姉も母もニヤニヤ笑うのは見えていた。姉は大喜びなの、私のそういう汚くて、世間から認められていない姿見るのは、大喜びなのよ。そういう人なの。そういう人にしか思えなかったの。多分、私はまっすぐなんだ、あの子はすごい意地悪でイヤミな言い方をする人。心は優しいと皆言う。そうなんだ。きっとねはいい奴なんだ。
 でも、私って、根が良くても、言葉の優しくて言語と気持ちが一致している人じゃないと、混乱するんだ。相手の心情に自分が重なってしまうんだ。言葉にすごくストレートに受けちゃって、そいつの背景だとかまで考えられないんだ。言葉なの、私は言葉を優しくして欲しいし、言葉とその人の思いの一致する人じゃないと分からないの。
 4つも年上の姉のストレス状況なんて慮れませんよ。私は一番年下でまだ10もいかない子供だったのに。
<1365> ぺあ(FB注意) ■2007年09月30日 日曜日 16時01分13秒
 何やっても笑われる。何やっても、私は、ナース。私には、「自分のために自分の足で立ち上がる」ことを応援された経験は少ない。
 この家族。
 祖母も祖父も「寂しい。自分必要としてくれる人欲しい」というものをすごい感じていた。だから、いつまでも私は祖父母の玩具役。いつまでも、私が子供なのに、真に甘えられない。私の方が、「よしよし」ってやってあげている感じ。なのに、何もできないように応援される。
 父もそう。寂しさばんばんに感じていて、私は父を見捨てることなんかできなかった。寂しいよ。
 私のために私の足で立つこと応援されただろうか?どっちかっていうと、父は笑っていたし。姉なんか、4つも下の私のあら捜しをしては、大笑いとばかにすることが日常。友人に「あんたって人に失敗に大喜びするよね」って言われた。そうなんだ。人の漢字間違い、受験の手違いに、大喜びして、笑う、人の失敗にものすごい言う。指摘されたとおり。姉なんだ。姉なんだそうしてきたんだ私に。あいつは、自分の助言私にすごいんだ押し付ける。私には何にもわかっていないように取り扱うの。母は、「お姉ちゃんが正しいよ。立派な企業で働いているからね」といわんばかり。姉の助言は絶対だった。辛かった。その助言のおかげでどれほど傷ついたり、必要ない傷つき体験し、ほとんど無いに等しい自尊心をさらに傷つけられてきたことか。
 なのに、私は、仲のよい姉妹のふり。こんなこと書いているなんて信じられないくらいだよ。もしこれを見た人が、私と姉の関係見たら、「え?仲悪いんじゃないの?」って驚くよ。
 私は、とにかくいつも具合の悪い姉しか心配できない。なにも、できない。自死姿見せてしまった。父の。姉より上になってしまった。姉より上でこれから人生順調にいったら、きっと傷つき体験した姉は弱いから。姉よりのしあがったら悪いよ。自殺した父を母も姉も見たんだ。私は見なかった。血が出ていたって、一杯。知らないよ。でもでもでも私は上で、私はずるくて、私は助けられたはずの父も、傷つく必要のなかった姉と母に汚点を残させたのは、私なのかもしれないんだ。
<1364> ぺあ(FB注意) ■2007年09月30日 日曜日 15時51分04秒
 もっと、頑張れば、良かった。もっと頑張れば、絶対に父親をとめられたのに。
 もっと頑張ればよかった。頑張れば、父の自死をとめられた。
 私は、父がどうやって死んだかは知らない。でも、ひもで首を絞めたんだ。其の前からずっと躁状態が続いていた。父の場合分かりにくいんだけど、朝3時に目覚めて、活動的になる。人にメール送りまくる。それから、大企業に再就職して、仕事にめちゃめちゃ打ち込む。定年したというのに、何で?って父の友人は不思議がっていた。
 私が、あの時、「お父さん変だよね」って母に言えていたら。父の会社の後輩や先輩は、じきじきに母に電話で「前みたいに鬱になったんですか?」って心配の電話かけてきたんだ。母は、「いやいや、企業生活振り返っているらしいですよ」って応えた。
 一般の人から見ても明らかにおかしいの。
 それで、そうなのよ。
 おかしく見えるの。
 でも、母は、そういう暗いものは見たくない人。
 父は、自分のプライドのために、絶対に弱みは見せない人。
 私は、明らかにおかしいと思ったよ。今までもおかしかったけど、最高潮におかしいと感じた。でも、「うちって何か変じゃない?」と少しでも言うたびに「お母さんは悲しい!!」とか絶叫されたり、父にも姉にも母にも「あの子就職活動でうまくいかなくて、頭おかしくなった」って言われる。
 変なのは、あんただよ!!!1!!お前だよ。お前。
 一般の父の友人が、電話かけてきたなら、私もあの時泣きつきたかった。「お父さん、もう休んで」って「お父さん変だよ」って。なのに、なのに。できなかった。心配げな顔を見せたら、父に顔背けられた時点で、ああ、もういいやって思った。知らないって思ったし。笑っていた、私。本当に笑えたの。なんか、ある漫画の主人公みたいに、清楚だけど、心の牙を持っている女性みたいな顔して、笑っていた。
 一週間後に、姉から「今すぐ帰ってきて」といわれた。
 あんたがた、姉も母もおかしいんだよ。このうちは。おかしいよ。一般の人だって、おかしいって言ってくれたのに、どうして見ないの????
 私だってこのうちに幸い毒されずに、ありのまま見てきたからね。障害を持つ人とかと交流してきて、言葉じゃなくて、相手の求めているものを感覚で感じるの他者としてきたからね。私には、父がものすごい無理した笑顔作っているのも、嘘ついているのも、見えたんだよ0m;:;:」:

もうおかしいもうこのおうちはおかしいおかしいおかしいおかしいよ。
 明け方に、首絞めたって。単身赴任先から、予定ないけど、帰ってきて、「敵前逃亡だ」とか言って、帰ってきて。明け方やっぱり3時頃起きたんでしょうね。そのまま自殺したって。母は、いつもなら一緒に寝るところを、其の日は、別々にねて、その明け方7時に母から姉が入籍したって、喜びメールはいってきたの。私、おめでたくもなかったから、「良かったですね」って返した。
 そして父の書斎に母がはいったのが、もう9時くらいだったんだろうね。もう父は死んでいた。そういうこと。
 信じられないでしょうね、この家、超ふつうだもの。超、ふつうぶっている家族だもん。でも明らかにおかしいものに見ないように、生きている・・・そういう感覚はあった。あったけど、それでも、いじめられて、変な人としか交友関係築けない私の感覚異常なんだと思ってきた。

 父は、自殺したの。自死のほうが、言葉よいと思っていたけど、それでも、躁うつ病、自分が一番認めたくなく、きて、誰も一番大切なことや問題は見せない家族で。
 そうして、自殺しちゃった。。。。笑えた。ほんとうけた。
 私の頑張り不足ですか?
 私のナース役不足ですか?
 私の頑張りできたはずの、絶対にできたのに、頑張れたのに、だって、いじめられた頃のあの頃のそれでも普通ちゃんしてきた、あの頃よりもだいぶ楽だったのに、頑張れたのに、「お父さん変」って言おうと思えば、できたのに。母にでもいえたのに。不安障害でいつもつんけんして、私のそういう暗い話題には、「は?ばかじゃねえの。お前。そんな暇こっちにはねえんだよ」って言うであろう姉には言えないけど。それでも、母にはいえたのに。
 そしたら、父は助かっていたのに。
 私のできたはずの、頑張りを。もう少し足のばせたら、できたのに。できたのに。自殺しなくてすんだのに。母にも姉にもそういう姿見せずにすんだのに。
 だって、分かっていたんだもの。私だけはおかしいって分かっていたんだもの。なのに。
<1363> ぺあ ■2007年09月28日 金曜日 23時05分36秒
 家族について、分かれる人と話しあいたい。誰かに、「そうだよ」ってうなずいて、「よく頑張ってきたね」ってよしよししてほしい。認めて欲しい。
<1362> ぺあ(FB注意) ■2007年09月28日 金曜日 23時03分17秒
分かち合ったこと、なかったな。
特に、マイナスなことに対しては。とにかく、隠して、個人で処理。見せない。格好悪いから。でも、「明るく家族演じる」。自分にさえ嘘をつく。

 姉にも母にも祖母にも言います。私はまず自分の居場所つくっていいのです、この家族以外に、もっと居心地いい場所を。だから、私はまず自分の足で立つようにしていきます。
 あなたがたから一線をひきます。
 安全だと感じない場所では、自分出しません、たとえ家族でも。それから母親のあの思いつき行動と、勝手なことばかり口走るあの人の思いに巻き込まれないようにします。
 あの人がたを心配し、アドバイスし、どうにか幸せ感じてもらえるように努力し、自分の素直な思いに目をつぶる前に、私の人生に努力します。
 今日9月28日から私は良い子やめます!!!
 そして、姉に対して、心配や罪悪感捨てます。あの人のやったことやイライラや身体の不調や、不安障害や父の自死の姿見たことへの不安、罪悪感(私最後の姿見て、何かおかしいって心の底から感じた。それでももう無理だ。もうこれ以上私なにか騒いでもまた「あいつおかしくなった」っていう目で皆に見られるって思った。そうして、「もういや。今に、見てろ。この家族のなにごとかをしかと見てやる。ばかじゃん。父の遠い、姿、何か変って誰も思わないの?って思っていたから。とめようとすればできたかも。しなかった私は姉にとんでもないもの負わせたかもって思っている)から退きます。
 ねえ、私のこの直感は、私は見てきたからね、この家族を。ものすごい意思の力で。
 そうして、罪悪感を感じるべきなのは、父じゃないか!!躁うつ病を今さら勉強しはじめた母親じゃないか!!!そして、姉にしても、4つもしたの私になぜあれだけのひどい言葉かけられたか、あいつが反抗期か学校でむしゃくしゃしていたのか知らないが、許せないよ!!!あの人の立場にたって、考えたら、よっぽど、私を見下しているか、いらいら募っているかじゃなければ、あんな発言できない。
 だから、もう手放して。
 私の罪悪感も手放せますように・・・・・・・・・。
 今でもできるきしない。
 自分を許せない。
 でも、私のせいじゃない。
 赤ん坊の頃からの父の病気。世界の見方が偏ってきたこと。母が、働かずに、父任せなくせに、会社に説明しにいって恥かかされたと怒ることも、私のせいじゃない。
 父の自死なんか、とめられるはずもない。
 父、やった〜最後までばれずにすんだって顔していたもん。
 父も母も何も話し合えない人たちなんだ。格好悪いことはね。
 でも、それも私のせいじゃない。
<1361> halu ■2007年09月24日 月曜日 01時11分25秒
父親は私があまり話しかけなくなったり距離を置くと、私が好きなお笑い芸人の話や若いアイドルの話をしてくる。いつもは批判的なんだが、こういう時は好意的だ・・・話す相手が一人減るからやろうな・・・色んなアドバイスも子どもとしてじゃなく話す相手として・・・自分はアドバイスしたし注意した・・・なんかあった時に責任追及されない為自分が傷つかないようにする為・・・人は弱い・・・人間関係の希薄な人はもっと弱い・・・父も私も・・・弱いのだ・・・分かってるけど、父とはもう距離を置く・・・でも嫌いになったんでも全く話をしないんでもない・・・でも家族、父から話や愚痴など聞きすぎて受け入れすぎる私は、たまに話すぐらいで良いのだ。そして一緒に住んでいる時はなおさら、距離を置くぐらいで良いのだ・・・

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This script written by Shintaro Wakayama.