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私たちの物語 - 家族過去ログ No.68
メッセージ数:1360件

<1360> halu ■2007年09月23日 日曜日 21時22分13秒
最近、父親が母親への罪悪感を私に語る・・・
「お母さんは俺と結婚しなかったら、幸せに暮らしてんじゃないか?不自由せずに暮らしてたんじゃないか?」(私は心の中で、嫌やったら離婚したら良いし、離婚せずにいるお母さんもお母さん)「お母さんは優しいから、俺が仕事辞めるって言った時も、しんどいんやったら辞めたら?って言うだけで、いつも俺もそうやって仕事をかわってきた。お母さんの性格分かってたら、仕事辞めへんかったかもな・・・」(また心の中で、お母さんも生活していくことどう考えてたんやろ?結局この二人は子どもの事は考えてないわな・・・二人が心地よく生活しいく事・・・父が仕事しんどかったら辞めて、母はこれ以上父の愚痴をしんどい姿を見なくて良い・・・ってそんなことしか頭にないんやろうな・・・)
ちゅうか、こんな夫婦の愚痴を普通子どもに愚痴るか?自分の後悔を子どもに愚痴るか?一年に一回とか、何か法事とかそういう先祖や過去など、振り返る時に言うんやったらまだしも、ほぼ毎日・・・自分が抱えてるのしんどいからって、子どもに言うか?!私はカウンセラーじゃないねん。父も母も姉も・・・まわりの友達とかも、私をカウンセラーにしか思ってない?!これから話聞くのと引き換えになんかしてもらうで!ほんまに。ボランティアちゃうねんから・・・カウンセラーじゃないんやから・・・これが私の都合を考えて話してくれてたら良いけど・・・都合おかまいなしやからな・・・父と一部の友達・・・もう、父は一週間に一回しか話聞かないし、一部の友達はメールでしか悩みは聞かない!
<1359> ぺあ(FB注意) ■2007年09月23日 日曜日 00時19分34秒
不思議だったなあ。不思議。子供の頃の写真見ると、自分は本当に無邪気な顔している。親がなくなると、過去も遠くなったようなものになってきて、気がつけば私ももう26歳。結婚しても子供持ってもいい年なんだよね。
 なんか、ずっと心だけ引きこもって育って、周りの求める役割と期待だけを先読みして、応える人生しか送ってこなかったから、心の伴う感情も、経験も、心の痛みや自分なりの感動、自分なりの思いが動いた経験なんて、ほとんどしないで、現実とばして生きてきたから・・・・いつの間にかここまで周りに合わせ合わせ生きてきたから、12歳から止まっている気がしていた。
 姉にあわせ、自分なんて本当にたいしたことない子だと思っていたし、いつも先読みして、自分の思いなんて伴って生きてこなかった。
 人の人生って不思議だね。たいしたことしているようで、何もできない。でも、何かできている。親がいなくなったほうが、子供って大きく何かできるのかも・・・なんて勝手なこと思ったりした。
 うちの家族は皆優しかった。ただ、父の自分のプライドと、すごい企業にいるという自負、自分は一流だという思い、自分の昇進、同期との比較。
 全部父のものだ。
 それでも、私は父の優しいけど、でも、母に対する態度や、それがたとえ躁鬱という病気だったにしても、あの怖さは忘れられない。
 恵まれているかもしれない。
 どこの家にもあることなのかもしれない。
 それでも、必死で役割演じていた私を認めて欲しかった。
 いじめられています。学校でひどい扱いうけています。自分は汚いです。それに、私が不幸になったほうが、皆嬉しいみたい。そう思った。
 自傷がとめられなかった。私は父が幸せで居て欲しかった。本当に願っていた。父にも姉にも幸せでいてほしかった、勿論母にはもっともっとそう思っていた。だから、本当に寂しかった。

 父を止めなかったね。私父をある意味見殺しにしたね。でも、そうしなかったら、私はぎゃあぎゃあ叫んで(当時は精神不安定って家族皆からレッテル貼られていたと思っていたし、相手の世界観に合わせないと相手は私を殺すかも?もしくは相手が死んでしまうかも・・・・だから相手を全肯定してあげないとと思い続けて、生きてきたから。)いたと思う。それくらいの、変な空気、過去の私の姿(学校でどんなに心殺されても、家で笑い続けて、そのうち他者はいるのに、私には誰もいない。存在している他者のそばで顔だけ笑っているけど、その場に合わせているけど、私は消えかかっている。誰もこの世にはいない。こんな強烈な思い。思い出したくないけど。いじめ自殺した愛知のあの子の遺書の言葉から読み取れる、誰もいない・・・あの孤独そのものと同じなの。)、苦しみ続けた11歳、12歳の時とまるで同じだった。
 叫びたかった。おかしい!おかしいよ!と。でも、できなかった。しなかった。「もう、いや!」と思った。笑っていた。私は笑って、父の孤独な姿、それでも笑っている姿見ていた。
 とめたいけど、できない。何かおかしくても、私がおかしいといわれる。言いたいのに、言えば、正解じゃなく笑われる、気まずくなる。ぐっと飲み込んだ。
 父の薬の入れ物のイラストが、祖父の介護の最期のイメージとだぶって、なんか嫌な感じがした。
 でも、私にはもうできなかった。
 あの時、叫んだら、私は父に「あいつまたおかしくなった」いうような言い方されたり、姉や母からそういう目で見られたろう。相手の世界観をすべて合わせないといけない私は、そうなるかも。自分の人生生きられないほどの強い、怒りと怨念のエネルギーは、家族を殺したかもしれない。
 あの頃、私はたびたび父や母や姉や祖母を刺すかもしれないくらいの、現実感のなさを必死でどうにかしようとしていた。
 皆に責められていた。
 ずっと、自分の性格のせいだと責めてきた。
 父の自死をとめなかった。ずっとずっと変だと思っていても、うちの固い家族には言えない。顔で笑っているだけの家族には言えない。ずっと生きることができない子供時代だった。人のためにしか。

 父の自死を聞いて、やっぱりと思った。やっぱりねって。私の問いかけに何も応えないで、必死で正論だけで通そうと、私を見下したように笑う父。高校時代のあの頃と全くお葬式でも同じだった。
 私も父も変わらなかった。何も。父は、多分、そのままの自分には自信なかったんだろう。いつもいつもパワーゲームの中で育ったのだろう。いつもそうやって生きていたのだろう。ずっと私が赤ちゃんの頃から躁鬱を抱えていたなんて。そしてずっとあの大企業で昇進目指して生きていたなんて。
 私はずっと見ていたよ。
 ねえ、私は今とても楽になった。やっと、人を殺したいという強い恐れや恐怖や現実のつかめなさから来る、そういう重いから解放された。
 家族を刺していたかもしれないのよ私。それくらいの思いあった。なのに、今でも孝行娘みたいに言われたり。
 不思議だよね。私ね、非行に走る子分かるの。分かるよ。殺人したかもしれない、皆に非難罵声浴びせられる斧で父を殺した娘さんの思いも、弁護したいわけではなく、分かるかもしんない。どこかで。
 紙一重。だから、もしも、人を殺したいまでに思って、殺した人がいたら、私は助けたい。それくらい辛かったんだよねって言ってあげたい。美化してないし、弁護していない。それでも、そうならないけども、そこまで至るくらいの重さを抱えている人、この世には沢山いる。純粋な人かもしれない。
 だから、自分の人生生きてって言いたい。
 私は今優しい子って尊敬されたり、大切にされたりするけど、もし親が分からず、苦しく、もしも殺していたら・・・・皆に罵声でしょう?
 それくらいの強い怒り、憤りたくさんあったよ、親ころしたいくらいの。私と、あの子どこまで違って、どこまで同じなんだろう?
 人殺したくってもいいじゃん!その思い大切にしな。そういいたい。勿論、しないでおきなって言うけど・・・自分のためにって。
 いじめられても、何も抵抗しなかった、私は。
 でも、今なら言えるよ。
 暴力やいじめを同じように返さなくて・・・それはそれでよかったかも。
 あんなに人殺したいくらいの思い抱いていても、幸せな人刺したくても、しなかったのは、勿論(あの頃はおごっていたとも思うけどね)他者のためでもあるし、本当に自分のためでもあったと思うよ。
 父がなくなって、楽になった。それはいえる。本当に楽になった。それでも、時々思う。助けなかったな私って。父は自死するために、生まれてきたわけでも、いい会社はいったわけでも、いい学校出たわけでもないのに。
 父は本当に優しくて、まっすぐな人だった。だから、傷ついたことも沢山あるんだろう。
 不思議だね。子供の頃から私は父を守りたかったのかもしれない。今も、そう大切な人の為なら私は自傷も何でもやってしまうくらいの思いがある。共依存者だから。それが、いいことだ、美しいと思っているから。今も。
 守りたかった。そう思う。ストレス軽減させてあげたかった、心の底から、子供の頃父に対して、姉にも母にも心からそう思った。
 そのつけとして、ものすごいストレス抱え込んでは、誰かにぶつけざるを得なくなったけど。
 自分のために生きていい。今の私はまだそう思っていないのかもな。誰かを助けたい。そう思って、そういう時だけ元気になれる。そうやって、その人に依存しているのは私。
 いつ、健全ないい関係を私は他者と築けますか?
<1358> halu ■2007年09月22日 土曜日 01時34分37秒
高校までは、良い大学に行けって言われてた・・・その先は、大企業に就職しろとも専門職につけとも言われてない・・・親が、特に父親が自分が生きるのでいっぱいいっぱいだったのだ・・・で、そんな話を鵜呑みにした私も私なんだけど・・・頭には良い大学に行くことしかなかった・・・まぁそんな家庭も多いんだろうけど・・・どう生きていくか・・・もっとね、勉強だけじゃなくって友達と遊びたかった話したかった・・・
学生時代・・・特に父親が一年間休職してた、小学校5年くらいからか、母親に言われたのもあって、父親の話や愚痴を聞いてたな・・・母親も父親が仕事辞めて現状でいっぱいいっぱいやったから、末っ子の私は要領良い?っておもいこんだらしく、父と姉の話を聞くように言われた・・・今考えたら、母親も大変やったんやろうけど、子どもに甘えてるよね・・・最近まで、15年以上父親の愚痴を聞くようにしてた・・・話に口を挟んだり、私が話すと、お前は常識が分かってない、話し方がなってない・・・とか言われたりした・・・それは父が他の人から言われた言葉?しかもこれって嫌がらせやで!?って、父親は世間はずれなとこあったから、きっと嫌がれせうけたんやろうな・・・しかも話したり相談する友達おらんから、嫌がらせ受けてるの気づかんかたんやろうな・・・あと嫌味とか言われてたんやろうな・・・かわいそうやけど、私は父の話を一週間に一度くらいしか聞かないことに決めたんで、もう毎日は聞かない。たまには聞くさ・・・
<1357> ポテカラ ■2007年09月15日 土曜日 22時14分24秒
もう、本当に疲れた・・なにもかも。少し大げさなのかもしれないけど、あの自称引きこもり・・この間はいい子ぶって人の話を聞いていたような顔をしていたけど結局自分のことしか頭にないんじゃん。被害者ぶってなんなんだよ?もう本当にお前の存在自体がウザいんだよ。早く死ねばいいのに・・と思う自分もとてもイヤだけどそれだけのストレスを周りの人間に与えてんだよお前の存在自体が。
どうしてそう被害者意識をもっていられるのか・・今までお前のせいで人がどんだけ迷惑こうむっているのか考えもしないで、しかもあんたになにかを言ったわけでもないのに勝手に人の話に首突っ込んできて言った覚えもない言いがかりをつけて突っかかってきて・・あんたそうやって職場でも周りの人間に勝手な被害妄想で食ってかかって辞めてきたんだろうね・・あんたのは確かに病気かもね。
でも障害者年金をもらえるほどの病気では正直ないと思う。どうして担当のカウンセラーがそういう判断をしたのかはほんとうに理解に苦しむけど、あんたのははっきりいって病気ではなくてただの甘え、わがままだから!!!!!!
結局自分でそういう意味不明な行動をとって人を不快な気持ちにさせるから周りから疎ましがられるのがどうしてわからないのか・・一万歩譲ってお前が病気だとしてもそれは自分で自分の首を絞めてるだけじゃんか。大体、どこの職場へ言ったって一日も持たずにけんかして辞めてくるくせに、どうしてお前の病気(病気じゃないと思うけど)の発端が我慢のしすぎなんだよ?お前のカウンセラーは本当にそう言ったのか?また勝手に自分の都合のいいところだけを聞きかじって勝手に勘違いしているだけのような気もするけど。
でもカウンセラーも馬鹿ではないから、こいつはおだてておいたほうがいいと思ったのかもね。そうでないとなにをしでかすかわからないような気違いだと気づいているんでしょう。あそこのカウンセラーってほんっと信用ならないから。
それにしてもお前の面倒くさがりというか腐った魚の目みたいな生気のなさは本当にぞっとするもんがある。世の中を恨み、つらみでしか見ていないような本当に死人のようなあの顔・・ただでさえ不細工なのにあの腐った顔を見せられたら誰だって逃げるでしょう。でもそれだって自分が悪いくせに、どうしてあそこまで他罰的でいられるのかが本当に不思議だよ、っていうか呆れてものも言えません。
そこから立ちあがろうという努力のどの字もしないで病気だって言ってるほうが楽だもんね。そういうところがほんっと〜に!!ウザいんだよ!!!
大体障害者年金もらえるようになったことをラッキーだと公言しちゃうところとか公言するどころか自慢しちゃうところがもう本当にあんたがどうしようもないヤツだってことの証明だよね。
こっちがなにを聞いたわけでもないのに自殺したいとか人に言ってるんじゃねーよ!そんなことカウンセラーのところへ行って言え!!
大体自殺したいって思ったことのない人間なんかいないんだっつうの。
なんの努力もしないで、しないどころか自分が悪いくせにそこには目を向けないで
なんでもかんでもそうやって人のせいにしているところがもうだめだっていうんだよ!!ほんまもんの馬鹿っていうのはおまえのことだ!!廃人!!!
おまえなんかさっさと家を出て行けよ!!出て行く勇気もないくせになにを偉そうに言ってんだ!!
金輪際お前となんか一切口をきかないからな〜!!!!!!!!!!!!!!!!(怒)
<1356> かえる ■2007年09月15日 土曜日 22時08分23秒
子供の頃。親に誉めてもらった記憶が無い。父の膝の上で機嫌よく笑ってる小さな私が写ってる写真。覚えてないや。物心つくと家具を壊すほど激怒する父親と泣いている私を助けてくれなかった母親の姿が深く心に焼き付いた。…人の記憶の曖昧さ。きっと幼い時。一つぐらいは楽しかった思い出があったはずだ。なのに叱られた場面ばかりが強く残ってた。恨んだ。罵った。私の人生返せ!って大声で泣きじゃくった。とにかく食べまくった。一日中を過食嘔吐に費やした。あの時は寂しさを埋めるために食べるしかなかった。痩せることが私を支えていた。私が子供の頃に受けた傷の代償を家族に払わせたかったのか?                   今でも昔の楽しかった家族の思い出は思いだせない。でも。恨みつらみも思いださない。…なんだか。真っ白になってしまった。だから辛い過去を払拭できたのか?は定かじゃない。けど親の呪縛からは解き放たれた気がする。父は怒りっぽく生真面目な人間。母は愛情表現が苦手だけど我慢強く頑張り屋。(母親に関しては私が病気になってから本当に変わったと思う。普通に父に意見できるようになったのだから)嫌なほど自分は二人の血を引いていると痛感する時がある。生きづらいとは思うけど。二人は自分の親なのだから当たり前か…と思ったりもする。
<1355> ぺあ(FB注意) ■2007年09月14日 金曜日 20時42分07秒
 私の生きる意味は、父を幸せにすること。とにかく「ふつうのレール」から絶対に降りないこと。「ふつうのレール」とは、他者が眉をひそめない生き方をすること。学校へきちんと行って、就職して、結婚して。だから、いじめを受けていても、死んでも私は学校に行かねばならなかった。たとえ、うつになろうとも、恐怖で身体がおかしくなっても、父の「ふつう」でいてほしいをいう思いを先読みして、彼らを安心させるために生きてきた。
 いじめを受けても、心を殺してあの場所に向かう、何も感じていないふりして、心はここにあらずで生きてどうにかやり過ごしたけど、そう親の願いのために!
 ふつうレールから外れることは許されない。たとえ、いじめられても、「学校楽しい〜」なんて笑いながらあの場所へ行く。どうせ私を待っているのは、気まぐれな子供どものストレスの向けられる恐怖の場所でしかなかった。
 なのに、私は学校の先生の心情も先読みして、「クラスがいかにうまく行くか」を考える。すべて、相手の意図、思いを全部読んでは、期待に応えること以外はできない。
 自分の思いは虫けら以下。自分の思いなんか聴いていたら、将来ホームレスになる、誰からも見下げられる存在になる。
 子供って不思議だね。私に人間として普通に大切にされる権利なんてあるなんて全く知らなかったし、そういう扱いなんか受けたことも無かった。嫌なことも「こんなことくらいでぐだぐだ言っていたら・・・この先やっていけないぞ!」と家族にも誰にも一蹴される。同級生には「弱い」「はっきりしない人は嫌いよ!」「こいつ何やっても怒らないぜ〜」「怒らせてみよ〜」「奴隷にしない?」という言葉のナイフ。
 私に人間として大切にされる日が、そのままの自分でくるなんて一度も思えたこと無かった。だから、大切にされていて、されなくなったら、泣いて抗議したり、先生とか周囲に大問題のように扱われたり、されている同級生の女の子は、私とは生まれが違うんだ、あの子は「ずるくない」子なんだ、きれいな子なんだ、私と違って・・・・そう心のそこで納得して、あの頃は生きていた。
 たくさんたくさん、心殺された。自信のない姿にいつも漬け込まれた。
<1354> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月13日 木曜日 19時11分08秒
昨日母親にあたってしまった。
帰って来るなりエンドレスで自分の事をしゃべりまくる。
あげく私の話には相槌もなく、聞いてるんだか聞いてないんだかわかんない。
いつも思う。母親は自分の事しか考えられないんだろうなって。

私だって寂しいのに。話し相手が欲しいのに。
悩んでる時は親身になって一緒に考えて欲しいのに。

何一つ叶えられない。

聞きたくもない話しをし続ける母親にキレた。
「みんなはACを乗り越えて普通に生活出来てるかもしれないけど、私はまだ乗り越えられてないんだから!!」

たぶん今までの人生で一番辛かったのは夫にDVを受け続けた母親なんだと思う。
なのに「あの人は病気だったからしょうがないのよ」「可愛そうな人だったよね」…なんて、もう過去の事として受け止められてる。
すごいと思う。私には出来ないし。
いつになったらそう思えるようになるのかもわからない。

それはそうだとしてもやっぱり、今を楽しむ事と自分中心とは違うでしょ。
結局子供なんてどうでも良いのかね。
見せかけだけの心配なの?
<1353> halu ■2007年09月13日 木曜日 01時47分25秒
家族・・・家族環境って影響するよなぁ・・・色んなところで・・・
私は冗談で、よく家族に、あんたが全て悪いって何か良くないことがあると言われた・・・
冗談ぽいんやけど・・・冗談でも、良くないことを人の・・・しかも
身近な反抗できない子どものせいにするのはどうか??
友達関係・・・職場の人間関係・・・家族関係・・・
私は何かあると自分のせいって思ってしまう・・・
それは偽善とかエエカッコしいとかじゃなくて・・・
消そうと思っても、それが消えない・・・
冗談は、こんな冗談は一年に一回くらいだったらまだ良いんかもしれんけど・・・事あるごとに子どもに向かってするもんじゃない・・・
私が、色んな所で人に対して後ろめたさや罪悪感・・・何かあった時の申し分けなさはここからきてるんかも・・・30歳前にしてやっと気づいた・・・(泣)また仕事辞めてきてしてしまった・・・私はそれを家族のせいにしている・・・
本当は・・・家族のせいもほんの数パーセントあるんかもしれんけど・・・
自分自身の改善点やもっとほかにある・・・
両親もACやなぁ・・・何か悪いことがあると、あの二人は自分のせいって思ってしまうから・・・何かのせいにする・・・それが子どものせいってどうよ・・・自分の負担を子どもに押し付けてるんちゃう?!
普通、親と話しないようになるんちゃう??こんな環境やったら・・・なんやったらグレてやる!ってね・・・二人はそれが出来ないように私をコントロールしているわ・・・お姉ちゃんはそれに気づいて、さっさと一人暮らし始めたけど・・・で去年結婚したけど・・・
やっぱ両親はおかしいわ!
今まで一緒に暮らしてきて、なんとか家族を再建?!させようと躍起になってきてたけど・・・なんかおかしいよね・・・躍起になってるの私だけやし・・・親を嫌いになりきれなかったけど・・・
今も嫌いにはなりきれんけど・・・やっぱ両親はおかしい・・・距離を置こう・・・もう見て見ぬ振りや・・・私はそう思ってるくらいがちょうど良い・・・見過ぎるから・・・受け止め過ぎるから・・・
<1352> かえる ■2007年09月12日 水曜日 21時37分15秒
私はねっこの部分で自分の家族を否定できない。なんだか。。。いい人達なんだよ。口数は少ないし、短気だけど家族の中で私と性格が一番似ているであろう父。私が子供の頃は父に文句の一つも言えなかったのにいつのまにかちゃんと自己主張できるようになった母。家族で唯一プラス思考で楽天家っぽい祖母。〈昔の話を聞くと裕福ではなかったからこその強い大正時代の女性像を感じる〉優等生を演じるのに疲れて脱線した兄。兄に関しては今でも子供の頃の私にした仕打ちは許してないし、嫌いだとはっきり断言もできる。ただ。今はもう家を出て違うところで別の家族をつくって生活している彼を〈機能不全家庭で育ったもう一人の被害者〉だとも思う。これ以上は兄を弁護できないし、人間的には嫌いなタイプの部類だし。何よりも兄と妹という最初の設定がまずかったと思う。もし違う形でもう一度やり直せるとしたら少しはマシな関係が築けたかな?…きっときょうだい以外の二人の接点なんか見つからないから〈出会わない人〉になるだろうなぁ。…あと一人のきょうだいは今だもって〈掴み所の無い人〉。基本的には優しい弟で〈頼りの無い馬鹿な姉〉を助けてくれる、有り難い存在です。私が病気真っ只中の時期に彼にも散々迷惑をかけたのに、今も優しくしてくれるから〈昔のこと恨んでない?〉って恐くて面と向かっては聞けない。でも。彼は家庭では自分の事は全然言わないから本当に何を考えてるのかわからない。今の我が家では私とは真逆。私は思ってる事や毎日の出来事を機関銃のように喋る。〈受け入れてもらえない?〉って不安がって全部を自分の中に押し込めてた子供の頃の私はもう居ない。私が一方的に話して、たとえ優しい言葉がかえってこなくても〈吐き出せる場所〉があることが安らぎになる。無条件で包んでくれる人達。適度な距離をもって成り立つ家族。どんなのを一般家庭と呼ぶのかは分からない。けど。ここは私の出発点であり帰る場所でもある。居心地が良いとかより当たり前に私が居ていい居場所。〈私が変わったからみんなが変わったのか?〉散々あがいて、まわりに沢山迷惑かけてでも手にしたかった〈安住の地〉は此処なのか?家庭とか家族って何なんだろう?
<1351> ぺあ(FB注意) ■2007年09月10日 月曜日 22時07分06秒
<1350>の続き

 二重人格だった。そして、自分を責めていた。家族に対してうそつきだ、誠実ではないと・・・。そうやって、器用に使い分けして私は育った。いつも悩んでいてのは、自傷がとまらなかったから。
 でも、そんなこと言えないから・・・高校ではずっと眠るようにして足を引きずって、「ふつう」人生レールからは高校までは行くことで、外れないように、頑張り・・・わざと浪人して、悩みをまとっている人間を浪人という身分に隠した。
 大学に入るまで、私は他者に心配されるくらい暗くて、いっつも悩んでいるように見えたらしい。浪人だから・・・そう皆見ていたけど。私の生育歴なんて見ないよね。予備校の帰り、真っ暗なガードレール渡りながら・・・ただ、傷ついてぼろぼろの私の心、つぎはぎな私の心を埋めるイメージばかりしていた。周りの女の子は、皆すっかりお姉さんでかわいくお化粧もうまくなっていて・・・私は自分の化粧することにも罪悪感あって・・・不安もあって、できなかった。寂しかったな。19歳。いつまでも私は独りなんだなって心底思っていた。とっても独りだった。
 大学に決まったけど、過去を洗いたい・・・意味も分からず意地だけ張って、自傷とめられなくなった転落人生を、なんだったのか分かりたい・・・そんな思いしかなかった。
 過去のいじめの研究、暴力、虐待そんな勉強ばかりした。そういえば、入試の時も、途中自傷したり、意識朦朧したり、自分で自分傷つけるから、テスト頑張ってやっているけど「お前は人殺しだ」と自分に言い、(当時の話題になった殺人事件)被害者の名前あげて、その名前ばかり私の中で言いまくったりした。
 意識抜けるの。自傷して守るの。今もその傾向あるの。浪人で悩むのは、全部ポーズ。就職試験で悩むのもポーズ。ほんとの私は中学時代から自傷を続け、自分いじめをやり、世間用にあわせた顔を作って・・・家族に学校に友人に振舞う。
 私は、ずっと全体の自分で生きられなかった。
 そんな私を癒してくれたのは、障害を持った方だったと思う。初めて、手を握られて、初めて私は、私と言う存在を受入れてくれる人間に20歳の時に出会った。はじめてだった。あの場所にあの方がたに出会えたことは、多分ぱっくり開いていた、不審の塊だった私に(彼らは気がついていないけど)少しの希望と優しさをくれた。本当にラッキーだったと思う。家族は与えてくれなかったけど、学校も、でも彼らは与えてくれた。人との会話がこんなに楽しかったのははじめてだった。それまでは、私はどういう性格なのか、会話の端々で分析され、どうせ他者のお笑いねたにされるか、ばかにされるか、将来お前こういう人になるから注意しろとか、将来のレッテル貼りされるか、人との比較されるか、パワーゲームに巻き込まれるか、いじめてもよさそうだと思われるか・・・そんな不快感しかなかったもの。
 自分という全体の存在まるごと、受入れて、必要とされ、相手も同じように誠実に人間として向かってくる、そんな会話20歳になるまで一度もしたことなかったとあの頃思った。
 ずっとずっと、なぜ私はいじめられやすいのか、他者に良いように言われ続けるのか、こうも簡単に他者に境界線犯されるのか、それで笑われるのか、ずっとからかわれ続けるのか、分からなかった。
 でも私には、他者が脆い壊れそうな自我もっていて、私はその人よりはまだ大丈夫・・・相手の世界観絶対に覆してはいけない・・・という他者は弱いという不審、怖さ、過度の心配があった・・・これが私を弱くさせた。また、私は世間知らず、私は足りないという思い込み、逆に相手は正解、相手はすべて正しい、世間で通用しているものと思った。私が見るものを見たままではない。感じることは、相手を傷つけるから、私は正解だから相手を自殺に追いやるからだめ、抑えて殺す、相手のために。
 この思い込み、フィルターがあるのだと気がついた。家族から常にからかわれていたこと・・・それがいじめられた原因だと大学4年の頃に気がついた。
 それでも、まだ足りない。何かうちにはある。何かおかしい。私が受けていた印象。父は母を姉といつもばかにする。いつも私は母を守ろうとしたこと。12歳頃の、父の髪を角刈りにして常にサングラスかけて、母を本当に意地の悪い言葉の暴力、怒鳴り、私を「〜さん」で呼び、私に「あんたは気が利く」と絶賛する、あの母の座に代わったような、ママ役になってしまったような・・・本当にとんでもない恐ろしいことが私の身に起こっているような恐怖。
 虐待があったのか?そもそも虐待のようなことされていた。何かがおかしい。そして壊れた機関車が走っていくような、壊れたものを、それでも見ないで時が経つままにしているような、嫌な感じがあった。
 明らかにうまく成長できていない。成熟していない。何か全体性で進んでいない。なんかおかしい。
 大学卒業しても、私は意味の分からないこの家族をぶち破ろうとし、そして、そのたびに「あいつは就職うまくいかないからおかしくなった」だの「あいつはおかしくなった」だの言われ、姉には「あの子が死んじゃう」と心配され、母にも心配された。就職うまくいっていないから・・・家族の一致した私へのレッテルだった。
 人の世界観を覆せない私は、そのレッテルのままだった。おかしいという父の私への見方で、私は「もうこの家族に心底関わりあうのはやめよう。自分がおかしくなる」そう思ったの。
 父と姉との結婚前の旅行も私は「行かない」と拒否した。悪いけど、あなたたちの前で見せられないの、素直な私は。きっとまた何も問題ないように笑うだけ。演技だけど。
 それでも、私の中では「家族とは縁を切ろう。家族以外にもう私の居場所作ろう」という決意をすれば、心が「だめだめだ」とゴーゴーゴーゴー何かが渦を巻くの。どす黒い何かが。私は途方にくれた。
 その何かって・・・もしかして父の父自身がずっと拒否してきた、躁うつ病だったのかもしれない。父への私の精一杯の「父を独りのままにはしない」という思いだったのかもしれない。母は、見ないでずっと見ないふりして、無い振りしてきたことだったからこそ。
 姉の結婚式の前に、父は死んだ。そして私は「やっぱり」そう思った。感想は「やっぱり」だった。でも、ショックでもあった。姉から泣きながら「とにかく帰ってきて」といわれ、うちに着いたら、うちの前に葬儀屋のトラックがあった。亡くなった・・・父が。そう私はもう分かってたよ。やっぱり、間に合わなかった・・・思った。そのトラックはとてもいじめられた頃以来のショックだったな。
 意味も分からず、ただ現実とばしたな。あの葬式。いじめられたことでの自傷がこういう風に役に立つとはね・・・。ほんと、首かしげたよ。母の行動にも。私には見えていたけど。でも自分を捨ててまで助けることはできなかった。現世ではできないことなんか沢山あるのかもね。父をもう一歩で助けられたのにという思いは・・・違うのかもしれないね。
 でも、楽になったな。私は、あの頃の恐怖は今だきっとあると思うけど。それでも、楽になった。やっと父から解放された。
<1350> ぺあ(FB注意) ■2007年09月10日 月曜日 21時28分05秒
 私、学校ではいじめられ、(彼女たちは、当時はいじめだとは思っていないみたいだった、今もすっかり忘れているだけよ)それでも、家では、家庭が壊れないように必死で、割り当てられた「明るい、悩みなんかない、末っ子役」をひたすらやり、「さりげなく、気が使えて、もたれかかられる、カウンセラー役」「家族間の中で不調和音を起させないように、とんちんかんなことを言う道化師役」をやった。

 寂しかった。自分の感情だけが、一人取り残された。どんな現実にも、参加できなかった。顔は、その状況に応じて、笑っているけど。何よりも自分を苦しめたのは、家族に私は「うそをついている、うそつきな女」だと思っていたことだった。自分を偽善者だと責め続けていたことだった。怖い子供だと、自分で思っていたよ。
 こんな風に使い分けする、子供である私は本当に汚いと責め続ける思いと、家族に本当の自分を見せていない、嘘ついているという罪悪感に苦しんだ。

でも、今日ある本読んでいたら・・・ふと、精一杯な思いで、家族を愛していて、二役こなし、家族に本来の自分を隠し続けた、そうでしか生きられなかった・・・健気な子供の私が見えた。「どんなに辛かっただろう」と、小さな健気な子供の自分を、やっと少しだけ労わりたいと思った。
 あの頃は、いじめによって、自分のイメージは「そういうことされて当然な子」というものであった。だって、皆やるから。小学校4年の頃は、皆にされていた。5年になっても、ある子が私を最後まで漬け込み、文字通りストレス発散の何でも言ってやってもいい存在として、扱われ続けた。自分へのイメージは・・・いじめられている汚い、惨め、人間扱いされなくて当然、気持ち悪い、女でもふつうの子でもないと心の底からこびりつき、私の自己形成の一部になってしまった。

 そんなイメージの自分を、家族に見せたら・・・もともと、いつも母から「あんたは気が弱い・・・」ってからかわれ、あげつらわれて、母は面白おかしく人に言ったり、姉と比較している、そんな風にしか私は言われないから・・・多分正直に、泣けば、母に「いじめられてるんだって」って笑われ、同じようにまた他者に言われると思った。家族への不審、家族の中で自分は役を受け持って、そういうイメージで母も姉も父も私を捉えてい、それで保てているこの家族を壊す、私は今までの家族を失うとの恐ろしさがあったんだ。
 二役(明るい役と、暗い役)を家庭と学校の中で続けていた。私は、そういう子供時代を過ごした。必死で頭働かせて、親には死んでもいじめの事実を気がつかれないように・・・(まるで不倫しているオヤジの気分だった)ありとあらゆることに気を配った。
 
 母は、学校で女子の集団の中で泣いている私の情報を男子から聞いたりしたし、ものすごい下手に電話している私の声を聞いていたりして、私を「何でそんなに謝るの?」と不機嫌に叱った。私が、友人との約束を断れないから、土曜になっても早く帰ってこない、近所の友人に雨の日、ピアノ教室の日、私の傘を持って、ピアノ教室まで行くのに私は、わざわざ反対方向まで行って、一緒になぜかその頃していた、その子の社宅まで迎えに行くとか、周りの子供に私の物を欲しいとか言われ、取られる危険性あったし、私の手提げはいつも女子の中で、(子供特有なイライラ、退屈する強い迫ってくるような全体の雰囲気、何か私の責任にしちゃえというように私に迫ってくるもの、誰かを遊んじゃえという思いが皆の中で高まったり、一人の子が先頭で始めると皆喜んで、付いて来る感じなんだ)皆のバスケのボールのようになり、「パス」「パス」と、皆ものすごい面白そうにして、私は「返して」と各子供ごとのところに(私も笑いながら)走るけど、宙を舞う。

 自信ないのに、いつも他者(かわいそうな・・・私よりも色々ストレスで大変な子たちと私は思い込んでいる)に「あなたはこうだ」と「あなたはこういう存在」と決め付けられると、相手の世界観を否定する、裏切るような行動を取れなくなるから・・・どんどん、人からの仕打ちの深みに自らはまっていってしまう。
 なぜだか、自分でも意味が分からなかった。でも、自分は汚いからだ、ずるいからだという理由付けに納得した。そこから、元気もなくなり、ただ、演技するだけの毎日になり、次第に何処に行っても、不満抱えている子、抱えていなくても子供同士のよくある意地悪な言葉につかまり、それによって、過去の繰り返しは(小学校時代のいじめだけは、耳に虫入れられたり、つねられたり)避けたい、もう傷つきたくない、もう無理と中学校と言う場所も恐怖な場所になった。
 そして私は、自傷をはじめた。自傷すれば、少なくとも、自分の心は他者の意のままにはならない、自傷によって、傷つく体験が自分の意のままになることに・・・とても安心した。それに、家族にはばれずに済む・・・周囲の先生や大人、同級生にも、自分がどれだけのものを抱えているかを、ばれずに済む・・・自分の本心ばれずに済むと思った。それは、私には嬉しいことだった。自傷すれば、登校拒否になるよりも。ずっと誰にも分からないし、自分の思いに触れられない、そしてどこまでも周囲に嘘つける、自分守れると、嬉しかった。

 

 

 
<1349> ぺあ(FB注意) ■2007年09月10日 月曜日 12時00分35秒
父の自死にものすごい罪悪感。だっておかしいと気づいたから、私。私が中学時代に、いじめ自殺した愛知の男の子に父がそっくりだった。彼の周りに人がいない…そうすごく感じた。彼の心象風景だったのか?彼は娘の結婚式前で浮き足だってる母やつんつんする姉に混じって、笑っていた。顔だけ。でもそれはぎりぎりに追いつめられても尚がんばり抜いて日常他人に合わせて生きて、飛び抜けた顔していた。もう心はあっちの世界にいるようなくらい孤独で、でも家族に合わせて表情だけは笑ってる。私のいじめにおびえ、自傷していた頃にそっくりだった。ふつうで周囲にいる限り受け入れてくれる。周りは笑ってるけど私は表面だけ。怖くて孤独で心ころした。父の最期の姿私は見ていたよ。私に見えたもの。私の孤独と同じ。姉の結婚式どうせまたわけわからん気持ち押し込めて表面上嬉しい振り。だって普通上から見たら、普通の世界の人から見たら、まあ姉良い人だし、周りに順調家族見せるの染み着いているから、親戚にも母の実家になんか特に。だから嬉しい演技しないといけない。そしてまた素直な気持ち殺して誰かにまたは、このサイトに素直な思い吐き出して、罪悪感の塊になるのかなと思った。家族の中にいると、父や母や姉の異常なくらいの境界線侵入、優しさ、甘さ、私のできることも取ってしまうこと、押しつけで、心の力が弱まるの。でもなんて良い家族なの?ってこんな家族の悪口言っていたなんて私は贅沢の極みだと心底家族といる時は思うの。でも一人になれば、セクハラのように私のひとつひとつの言動笑いモノにされたり、自信がなくて、学校では格好の餌食であったこと、父の母への怒り、私の必死ななだめ役姉の私の心を自信を根こそぎうちのめす、ばかにすることに、家族への不満がふつふつ湧く。私は完全に二重人格で、分裂しばらばらだった。出せない、変だと思っていても父の雰囲気母の空気姉のどこまでも私をげらげら笑いばかにし、その対象として世間でも絶対通用しないとこきおろす態度。言えないよ。私は家族からこの意味分からない家族から離れたかった。皆にあんたは恵まれてるあんたは良い家族に恵まれてると騒がれ続けたけど。私は外面よくて、自分さえだますあの人たちに巻き込まれていた。寂しい。毎年名のあるホテルに2回くらい休みごと連れていってもらっても。スキーやっても、帰ってから学校でまっすぐ歩けなくなったりしたけど誰にも気がつかれないようにした。寂しい寂しい。
<1348> ぺあ ■2007年09月10日 月曜日 11時39分26秒
逆転親子。いつも私がかわいそうでちゅね〜ってママ代わり。家族だけじゃない、友人も男性も年寄りにも。私はあなたがたのお母さんじゃない!!あなたがたが自分で背負うべき荷物をなぜ私が、さりげなくできるからってお〜かわいそう、よしよし今までよく頑張ってきたわね〜よちよちってしないといけねぇんだよ。ふざけんなよ。知りません。悪いけど、関わりたくありませんし、背負いません!!!私は私の人生を生きたいだけなのです。
<1347> ぺあ(FB注意) ■2007年09月09日 日曜日 23時40分20秒
こんなこと知り合いや誰かには言えないし、問題ない家で近所、学校関係では通ってるから。 子供時代から、父が母に言葉の暴力していて、母は見ないふり、問題なく振る舞う。でも時々、私と母のいる家の中、おいおい声張り上げて、泣き出す。まるで、私に聞こえるように。分かってよ!こんなに私は大変なんだと、解釈押しつけてる。確かに外食よく行ったよ。父と母らしいことも沢山してくれた。仲良かった。スポーツ一緒にやったし。泳ぎにプールに連れて行ってくれた。旅行も。学費も行きたいとこに、塾も学校も予備校も出してくれた。でも、確かに問題あって、でも触れてはいけないことでした。父のプライドの為にも。分かるけど。私は過度に相手を、どんな人も、心配し、相手の崩れそうな心、問題きっと持ってる大変な状況にいるように、見えた。ただただ自分を押さえつけ、相手の世界観肯定するために、私は相手の視線さぐり、迎合する。ひどい人になると、私を人間扱いせず、くずのように扱う。中学時代の男子生徒には、性的興味の対象にされた。足くっつけられたり、壁に押しつけられたり。私はただただそれを好かれてると勘違いをし、相手にかわいいと思ってもらうように、相手の描く私を壊さないように、息を殺して、相手がっかりさせぬように、中学生の生活をそのためだけに生きた。今なら、無駄にしたとも言える。それだけ人に期待はずれだと思われるの怖かった。それだけ相手を受け止めた、まだ私だって中学生なのに!自分なんかいなかった。私の思いなんか感情なんか相手の好意継続してもらう為には邪魔なものだった!!
<1346> ぺあ(FB注意) ■2007年09月09日 日曜日 23時23分11秒
ねぇ、家でさ、父がいつも目三角にして、母をさも面白げにからかい、ばかにし、傍から見ていても、意地の悪いからかい、ばかにすることを、私が小学校の頃からひどかったけど、ありました。 学校でひどいからかい、人格無視、何か言うごとに笑われて、揚げ足取られて、皆のネタをされていた。言えますか?私には、小学校の頃、同級生に、人格ある人扱い受けなかった。子供ってずるいね。罪悪感もないだろうよ。私は、自分責め続けて、なおかつ心配し続けて生きてきたんだ。 私は大人になって、同じ事やった。そしたら何千倍のお返しされた。私は何にもあいつらに、お返ししなかったのに。父に自死された。勝手に死にやがってよ。ふざけんなよ。 あんたに言ったよね?私寂しかった、分からないけど、って。 その手紙皆に見えるとこに、置きやがって。 言いたいこと言えない意気地なしは、あなたよ。ねぇ、お父さん私が高校の頃、「死んでやる」ってベランダから飛び降りようとしたら、「早くやれよ。死にたいなら死ねよ!」って言ったね。言ったよね。あなたは、相手を型にはめて、自分も型にはめて、どれだけ心割いたか、私は知らないけどさ、あなたの勝手ですよ。どこまでも、こうあるべきばっかりしか見ない。どこまでも、世間話しならできても、問題解決していけない、本音はなさない。あなたを助けなかったのは、あなたがそうさせなかったからです。躁鬱なんて知らなかったし、あなたが認めたがらなかったことも子供の私に何も知らせてももらってないのに、おまえなら分かるみたいな言い方して、どれだけ背負わせたと思いますか?もうあなたが不器用だろうが、悪いけど関係ない。そんなに不器用なら、少しは本音で向き合って、あなたが頼めばいいでしょう?格好つけるのそんなに好きなら、どうぞ。認めてくれないくれない、あなたがいつも相手に求めてる。 最後まで私に負わせて。ねぇ、父が精神的に明らかにおかしくて、母は見ない問題ないと心底して、姉がいつもいらいら時に私にぶつかってきたら、私カウンセラー役担うよね?道化やって、緊張和らげるよね?あの子に、おまえずるいからいじめるって信じるよね?父が私に甘えてきて、私におまえ気がきく、とか、さん付けで呼ばれるようになって、母代わりの父の受け止めるママ代わりさせられたら、危険感じるよね?性的含め、ものすごい気持ち悪かった。なのに、お父さんがなぜかかわいそうでずるずる父が少しでも緊張和らぐようにした
<1345> ぺあ(FB注意) ■2007年09月08日 土曜日 10時39分13秒
父は、別に私に助けてほしかったわけじゃないんだろうな。
 父は、ある意味不器用だった。
 会社について書いてあるノート見ると、本当に細かく、書いてあった。まじめで、いつも批判的で。本当に、まじめだ。父は、悔しかったんだろうな。同期と比較し、いつも競争していた。いつも。入社当時は、エリートの中の先頭だと、周りにもてはやされたそうだ。
 そういう会社で、そういう時代だった。うちの祖父もまた、貰われっこで、悔しい思い沢山したから、学歴と良い会社に入ることだけを、息子に強要したのかな。自分のエゴのために。分からないけど。私は、孫なんだから。
 父は、兄弟3人の真ん中で。上のお兄さんは、祖父を嫌っていた。すごく学歴において、ばかにされ、プレッシャーもすごかったらしい。下の弟は、躁鬱病があるんだ。
 うちの父は、あの会社で、事故があり、その責任者であったらしい。私が赤ちゃんの頃の話。父は、組織の中で、安全ではなく、コスト削減の中で、色んな矛盾見ていたんだろう。そして、いつもパワーゲームの視線で人との関係を、仕事上で、やっていたのかな?少なくとも、そういう気持ちになるのは、当たり前の、エリート集団の会社だった。その中で、精神的な病になったことは、彼の汚点(出世の)となったらしい。色んな人にお前はストレスに弱いと言われていたらしい。こんなこと書くのも、父のものすごいプライドが許さないんだろうけど。
 私は、娘の視線でしか、分からないけど。父は、苦しそうに見えたな。自虐的に笑っていたことがあったな。自分のプライド傷つけられるなら、家族をばかにすること言っていたな。評価してくれる人を、ものすごく好きだった。会社の上司で、自分を評価してくれる人が、いたら、どこまでもついていくのだ。
 評価されなかったんだろうな。生まれた家族に。世に認めてもらうのが、一番大切だったんだな。祖父と祖母のあの家族の中では。
 私は、娘の視点でしか見れないけど。あの家族の中で、父の虚しさ、色んなこと私も感じていた。それは、一見笑って、ふつうの家族演じているけど、とてもとても寂しい情景に見えた。
<1344> ぺあ(FB注意) ■2007年09月07日 金曜日 22時29分33秒
でも、父のこと、好きだったな。子供の頃は、母も好きだった。
両親の、父の母へのあてつけは、心から傷ついたけど。
 塾帰り、二人で1時間近く待っていてくれた。父は、最期の方よく私を駅まで送っていってくれた。
 助けてあげなかったのは、私なのか?
 父を、分かりたかった。それでも、私の問題もすごくあって、辛くてしょうがなかった。たな卸しして、理解したい。
 それでも、あの実習先の担当と、変な目でみたがきは一生許さない。きっと、私のおかしな行動が、そうさせたのは、分かる。
 でも私が父を止められなかったのは、あいつらのせい。一生許さない。私の父をあいつらが殺した。あいつらが私の現実感覚なくさせた。あいつらが、視線に迎合しやすい私への傷深めた。
 許さない!!躁鬱で隠されて、きたのよ。いいよ、それは隠しても親の勝手だもの。それでも、自信なくて、いつも人に漬け込まれて、いじめられたり、人のお世話役でしか、なかったのよ。
 とても屈辱的だった。悲しい記憶だ。
 頑張って、覆したかったのよ。でも、家族は何も言ってくれなかった。過去を探求すれば、このもやもやの正体分かると思ったから、研究だってした、勇気ある子になるようなこと沢山した。
 行きたくもない過去の学校にも行った。そして、ひどいめにあった。許さない!そしてやっと父がいなくなって、彼の躁鬱が分かった。そして、母は私がかばったこと覚えていなかった。
 許さない!!!
 それでも、私は実習で誰かを傷つけた代償として、父に自死された。周囲から見たら亡くされた。これで満足?あの担当教官?がき。担当教官にもなすりつけやすいがきにも、罪悪感なすりつけてやりたい。
 お前らのせいで、私は傷ついて、父の自死の前兆無視したんだよ。全部、お前らのせいなんだよ。ふざけんなよ。むっつりオトコ。ぶさいくおとこ。ざる。
<1343> ぺあ(FB注意) ■2007年09月07日 金曜日 02時34分38秒
どれだけのことをあんた達にやってやったと思う?両親はこうだ。すいません、良い子になります。世界のかわいそうな子、私を妬む子に配慮します。幸せ見せびらかしません。不幸になってかわいそうな子の気持ちを慰めます。これが私の思いよ。父がおしまず私たちにやってくれた事、つきあわされただけかもしんないが、父が躁鬱病おしてやってくれた、自分犠牲になりながら、お金たくさん教授した、ごめんなさい。母にはあなたの時間割かして、沢山時間かけて家事料理やっていただきました。ACだなんて、無責任です。という思いは消えないいつまでも。私は背負ってる。不幸そうだった父、父や姉にばかにされる(やっと彼女自身が何もしなかっただけだとわかった。自分さえよければいい。自分の非見えない。気に入らなければ癇癪おこす幼稚な)母。母はほんとにひどい、父の葬式に来てくれた会社の人への喪中のはがきに、それも姉が作った、「この人も同じくち〜(精神疾患があるということ)」とか嬉しそうに、にやにや、けたけた笑いながらはがきをいらな〜いとぽいっと床に投げていた。これパスパスとはがき送らない人放り投げていた。彼女は覚えていないんだろうなぁ、もう。そして父の会社で自殺した人教えてくれた。そのくせうちの情報ばれると皆知ってしまう、とふさぎ込む。やだよと言う。あんたばか?私いろいろ思い出したよ。姉に「もうあんたなんか旦那んとこ帰れっちゃえ!いきなよ!」と怒鳴ったり、「あんた達は私を泣かすのが趣味かっ!」と怒鳴り。後々私がなだめ、うんうんと聞き役に徹すると「あの台詞あの映画によく出てくる言い回しだと言いながら頭で思った」と笑ってけろっと言う。私って、人間関係上、人にその人自身の責任おわされることほんとに多いの。ほんとにその連続だった。今も家族に負債おってるよう、あんなにやらせてごめんなさい。そう背負い続け親をかばい続けたくなる、そうでなきゃ自傷に走る。どうして人に狙われやすいのかやっとわかった。ずっと「優しすぎるからつけ込まれやすい」そう言われた。つけ込まれるんだ、最初はその人を救おうとして。人との境界線がわかりません。責任についても私はまだ何もわからない。家族背負っているだけ。そして出会う人びとにも。悲しいです。それでも家族は好きなんです、母の無邪気さも父も姉も祖母も。よいとこもあるから。
<1342> ぺあ(FB注意) ■2007年09月07日 金曜日 02時12分33秒
相続手続きも、全部私と姉がやった。母は、全部終わって、役所に報告するときにだけ「私、探検隊の隊長ねっ」とかにやにや笑いながら、姉と私より前に立って勇み足で歩いたり。「あんた税理士なれるよ〜いや、医者になれ。金いいし。医者だ医者だ」だとか。悲しい。ほんとに。私が車の中で、泣いた時、母は笑って「なんで?なんで泣いたの?なんでなんで?」自分の実家の母に「〇ちゃん車ん中で泣いたりしちゃってぇ〜この子泣いたりしてんの!」とばかにしたような笑ってるような怒っているような顔で言う。ねぇ当たり前だよね。父が自死して、いつも一緒に車で通った場所の風景見て、泣いて、当たり前の感情をどうしてこうも、からかわれたり、あげつらわれたり、笑われたり、ばかにされたり、母の実家に報告されないといけないの?一昨日、この事言った。そしたら「覚えてないよっ。そういう事は、その時言ってよ!!あなたが、そんな小さなこといつまでも覚えている子だと思わなかった。今まで素直な気持ち〇ちゃんに話してきたけど、もう〇ちゃんには段々素直に話していけなくなるかもしれないな〜。これだけ心配してやってるのに、ばかにするわけないじゃない」ときました。分かってたよ。彼女はいつも正当化、私の気持ちは、大したことじゃないと過小評価。「社会に出ればもっともっと傷つくこと沢山あるんだよ」「いつまでもそうやってずっ〜と人に傷つけられたって言っていればいい。〇ちゃんはいつも人のせいにする!」と言われた。そのくせ、自分が調子悪くなると(強い姉に新しくするガスコンロ工事とめられたり)すごい勢いで、あはあはあはと泣き出し「私は知らないよ。ふつうの家庭で育ってきたのに、躁鬱なんて。あんなに心配してあげたのに、ほんとに死んじゃうなんて。もう聞きたくない。もう沢山!祖母はおかしい。いい加減にしてよっ」と手が着けられないほど、わぁわぁ泣き出しまくる。父が自死した時も言われた、「私はふつうの家庭で育ったんだよ。ふつうのこんな精神病には全く知らない世界で育ったんだよ!DNAで祖母のせいだ。祖母を恨んでる」だとか「もう祖母を恨んでないよ…だって高齢だもん」と主によく聞く私に怒鳴ったり、真剣に語気強く言うの。私はこの家庭を背負わされている。代償は、どれだけ心配したか、どれだけ時間割いてかわいがってやったか、高い学費出してやったか、望むもの何でも買ってやったか、毎年どれだけレジャーしてやったか。
<1341> ぺあ(FB注意) ■2007年09月07日 金曜日 01時49分44秒
毎年夏休み、冬休みごとに一応名のあるホテルに、両親に連れていってもらったくせに。私がこれだけ心配してやってるのに、という母の声、私が父と母を背負わないといけない内面の贖罪感がすごいある。 私がこの世に生まれてきたこと、私として存在してることには、私は何の責任もない、ことを心は拒絶する。そんなこと分かれば、あなたは良い子じゃなくなっちゃう、そう内面はいやがる。これだけしてやってるのに!父にも母にも言われた。あいつらが満足なのは、私がスポーツクラブで汗流して、さわやかで一応周りから「ふつう」でいることなんじゃないだろうか?未だに、あれだけやってもらった父の背中に罪悪感感じてる、母にも。昔こぶつくった左のおでこをおもいっきり、うちつけたり、殴りたくなる。俺は不幸だ、救ってくれ、父の無意識のメッセージ。誕生日カードに「16歳か。おまえがうらやましいよ。」と書いた父。なぜか背負う私。酔って「〇(名前)〜」と呼んで、夜の帰り道、私におんぶをしてもらおうと甘える父を11歳くらいの私は、泣きたくなる思いで、笑っていた。母からは中学時代に、数学で平均点10点以下とったと伝えたら、その場は過ぎて、後から、台所で、いきなりおいおい泣き出した。私が当時、通信講座での、分からない時困った時の相談窓口に相談してみると言うと、「〇ちゃんは、いつもそうじゃないか〜っ!!」と怒鳴られた。泣いていた。悲しかった。彼女は、何の信念も持たずに、その時の気分で気に入らないと、泣く、怒鳴る、癇癪起こす。少年事件多発した高校時代、「テストの点なんてもう気にしないよ、性格が大事」だとか言い出した。ずっと、父に従ってきたくせに、父が亡くなった途端、父の友人の暮らしぶり、親戚とのつき合い聞く度、「やっぱ普通がいいよ。あの方、子供の学歴気にしてなくて、肩に力入ってなくていいよね。〇さんがうらやましい、親戚中仲良しで。やっぱふつういいよ〜」とかほざいてくる。「父さん優しすぎるよ、純粋すぎるよ。もうどこの大学行ったかとか、そんなの聞きたくない!このうち(てめぇが嫁いで30年もあんたの責任でいたんだろうが)のやり方嫌いだ、潔癖、精神病、冠婚葬祭のしきたりのしらなさ!そんなの知ってて当然だよっっ」私に、泣きつき怒鳴る有様。分かっていたけど、今更ほんと何?あんた今更うつとか精神病の本読んで研究か?ばかじゃないの?父がいるときは捻挫してても、父を運転させていたくせに。

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This script written by Shintaro Wakayama.