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私たちの物語 - 家族過去ログ No.66
メッセージ数:1320件

<1320> ぺあ(フラバ注意) ■2007年08月20日 月曜日 17時25分48秒
家族は、私を愛してくれたと思う。でも父が、繰になるととても怖かった。母がからかいの的になるのが、意味不明だった。私は、両親とりもつような顔をいつもしている。父も母も姉も好きだった。特に母が好きだった。たぶん、からかわれていて可哀想、助けないとと思っていた気がするからよけいそうだった。私の見ている現実は、ふわふわしていて、現実ではないから、とても自信ない子供だった。そこに漬け込む子供の意地悪さは、身にしみて分かるんだ。いや大人もね。見ていた現実は、現実なんだと分かってから強くなった。人は人に依存して、コミュニケーション取ってる。理性ない子供は、ストレスためてればどんな事でもする。だから私の恐怖はもっともだった。父を見捨てた、つらそうな変な空気充満したのを突き破りたかったけど、何もできなかった。そんなことすれば、教育実習みたいにみんなに変な目で、頭おかしい人のように見られるもの。だから私はとめなかった。父はすぐに亡くなった。優しかったし、共依存なくらいお世話焼きだった。でも父なりにものすごく大切に愛してくれた。私は父がとてもとても好きで、子供時代はいっつもくっついていた。自分が傷つけば、誰かの怒り治められるという思考回路は今でも変わらない。
<1319> かえる ■2007年08月18日 土曜日 16時55分57秒
もう子供の頃のことを蒸し返して親を責めることはなくなった。自分で〈確かに今を生きているのは幼い頃の私じゃない〉と思うようになっから。昔の傷は残ってるけどフラッシュバックとかないし、自傷行為もしない。ここに来て。自分なんかよりもっと根深い精神的、肉体的ダメージを受けてる人達がいることを再確認した。苦しみは比べられないし、自分が他の誰かの傷を変わって受けることもできない。だから自分の傷も自分で癒すしかない。親に救いを求めても、もう今は自分自身の問題に変化してしまったのだから、筋が違う。もう。甘えてられない。自分で何とかせねば!という気持ちも大きい。まだかなり親に依存してる部分が多いから、これじゃいかん!とか思う。すべきことは山ほどある。なのに親任せで日常が過ぎていく。                        自分はなんてあまチャンなんだろうと思う。〈だったらもっと頑張れば!〉横から突っ込みを入れられそーで恐い。温室育ちに慣れた子供は社会に出て自然の厳しさを知る。そして段々たくましさを身に付けられるのだろうか?ちっちゃな事につまずき右往左往している私。
<1318> ぺあ ■2007年08月18日 土曜日 09時46分55秒
子供って、自分が生きるために、家族何より親を「愛する」のだと思う。それは、社会も文化にもまだ無知だから。その定められた環境で、大人として一人前になるまでは、自分をねじ曲げてでも親を「愛して」生きるんだと思う。子供って大人と決定的に違うのは、相手への依存度が高いのね、雰囲気敏感に察知しては、その雰囲気に染められるの。 私が教育実習行った時、クラス担任の先生がぴりぴりしていたら、クラスもまたぴりぴり、子供も何となく元気なさげ、担任が明るければ明るいとカラーがでるんだ。子供って、まだ分かってなくて、必死で生きてる、順応している。だから、子供時代の傷はその子を変形させて、ひどくなれば、後々出てきてしまうのかな。でも、幸せな子ども時代送った方は、ほんとに幸せだと思うけど、子供故の苦しみを抱えることには無自覚なんじゃないかと思います。
<1317> ぺあ(FB注意) ■2007年08月16日 木曜日 13時22分53秒
お父さん。ごめんな。つらかったな。でもお父さんはやっぱりどうしようもなくお父さんだな。なぜうちの父のような何にも悪いこともしない、上司にもうまく取り入れない、人に押しつけられてしまう、潔癖で頑固でうまくわたれないけど、頑張り抜いてしまう人が、首にひもまいて死なないといけないんですか?うちの父が何したの?なんにもしてないじゃない。何で?いつも成功する人の本読んでいた。いつもあまりのプライドの高さに辟易していた。でもつらかったな。私も同じ苦しみ味わえば分かるかな?痛い?お父さん、何にもしてあげられなくてほんとにごめん。
<1316> アーネスト ■2007年08月15日 水曜日 23時08分08秒
そうねぇ。
親の期待なんて言葉だけで実態はないって思っているけどあったのかな。俺の父ちゃんは有名な国立大の理系学部を出ているから、頭がいいんだ。その父ちゃんによく数学の勉強の見てもらった。最近、内田春菊さんの「ファーザーファッカー」を読んだけど、あおの父親そっくり。自分の(子どもより優位に立ちたい)欲望を満たすためだけに、子どもの「小ささ」「無知」を利用している。数学の勉強なんかも俺にはじめから完璧を期待している。
<1315> ひな ■2007年08月15日 水曜日 16時50分31秒
いらいらする
喧嘩の声
無い物ねだり
甘え

でもきっと私もそうなんだ

顔色うかがって黙ってろって
思ってしまうんだ
<1314> ぺあ(FB注意) ■2007年08月15日 水曜日 10時35分31秒
運と縁と環境と、性格。
これが決めるのよ。人生を。
不思議だね。私はね、学校時代とあの家庭とこの性格と。そして結果すごく傷ついた。ずごくちぐはぐで。すごく孤独で。すごく心閉ざしていた。すごく他人怖くて。すごく自分を「汚い女」と思っていて。すごく罪悪感そのもので、すごく現実から自分をただ守っていた。
 私ね、環境変わって、こういうサイトにも出会えて、おんなじような方に出会えて、そして不思議なのは社会人になれば「人間力」が大切だとか、優しい人がで成功するだとか、いつのまにか学校時代「負」であった、私の「優しさ」って社会的には認められるもんになっていた。不思議ね。学校って何なんだろうね。あんなところでうまく行っても順位(子供って性格でもなんでもあそこは序列化しているのよ)上な人でも、社会に出たら分からないものなんだね。私ね、大学時代外国の人とよく交流していた。性格が「おとなしい」ことを彼はほめてくれた。はじめてだったの。「明るい」女の子もてはやされている時代だったからね、私ねよく「暗い」「まじめ」「仕事しかしない」「暗い」「つまらない」といつも周りから言われていたんだ。いつも覆したいほど、いやだった。母にもいつも言われていた、「暗い」「あの子の方が明るくていいな、ああいう子供がほしかった、男子と気軽に話せる子供の方がいい」とね。私も自分いやだったの。嫌いだった。私だって明るくなりたかった。明るくて好かれたかったんだ。大学時代にね、必死で明るい人演じて、「B型でしょ?」とか、「明るい」「わがまま」といわれるたびに喜んでいた。「見返してやった、過去のあの頃の評価変えてやった、母の言葉」そう思い続けてきた。姉や母に見せてやりたかった。
 でもその彼の違う価値観に、驚いた。おとなしいことって良いことにもなり得るんだ〜って思った。不思議ね。この日本社会はなんて一つのことに向かって、皆でほめたたえるんだろう。たった一つの価値観に。その中で苦しむ人は沢山いるのに。マスコミもそうだ。学校はその最たるものなんだろうね。何も分からない子供は特に、大人の価値観吸って、期待吸って、雰囲気察知してしか生きられないものね。
 私、人の「良い」「悪い」価値観が、こんなにも広いんだって大学でやっと気づけた。福祉やって気づいた。人とはじめて一人の人として対峙できた気がした。不思議だね。そんなことも学業でも、仕事でも人でも「評価」されるんだ。
 私は、今でもものすごい罪悪感がある。それでも、やっと人に大切にされるようになったの。父が亡くなって、やっと私の訳分からなさが分かったの。やっと卑怯なのは、あいつらだと思ったの。やっといじめた奴ら、勝手なこと言っていた奴らの本性分かったの。皆幼稚で皆自分のことばかりの人だらけだった。やっと姉のばかさにも分かったの。やっとやっと分かったの。不思議だね。ずっとずっと私はね皆に馬鹿にされていたの。でもね、今は誰も私の性格を欠陥もちだなんて言わないの。不思議だね。父が亡くなって、やっと認められたこと多いの。不思議ね。不思議だけど、笑えるね。悲しいね。寂しいね。今でも上あごの皮ひっぺがしたいぐらい、自分を責め続けるの、ずっとずっと、何も私を満足させないの。寂しいの。悲しいの。怖いの。やっぱり境界線がつくれないの。自分のために生きられないの。
 12年ってね人にとって区切りなんだって。がらって変わるんだって。変わるんだって。
 何かが何かを呼ぶ。そうやっていじめられた日々は私をどんどん傷つけていった。覆せたのかな。いつも彼氏になんで助けにきてくれなかったの?って言い続けた。私は今優しさがほしいんじゃない!!!って叫んだ。あの頃なんだと。そしてそうやることでやっと自分は「人間」に戻った気がした。力のある人間に。そして人を傷つけた。その人から背を向けられた。誰ともいい関係築けなかった。不思議だね。人間未満だった私が、今は違うの。今は今でいいこと呼んでいて、そうすると不思議なの人ってそういう人にちゃんと敬意を払うのよ。今まで散々姉に押さえつけられて、当然のようだった私に人は、それなりにばかにした態度取るの。それが変わるんだよ。
 自分が人・物を選ぶこと。自分の感情を感じれること。女の人はきれいになること。自分が気持ちよくなれるようなマッサージで自分で自分を癒す時間を持つと、周囲の態度って変わると思います。
<1313> ぺあ(FB注意) ■2007年08月15日 水曜日 10時11分50秒
家族は家族そう思えないよ。
不思議だね。不思議なの。人生ってその時の運や縁に囲まれて生きているの。私ね自分が少しでも「よく」なると、恨んでいた実習先の担当教官がうつ病にんっているだとか、自殺しているんじゃないかとか、アノクラスでうまくいかなくてそのせいで仕事上つまずいているんじゃないかと不安になるの。恨んでいた人全員を「ああ、大丈夫だろうか」と心配になるの。なぜ、私は憎しみとそれでもその人たちの幸せ願いをやめられないんだろうか。私は自分の憎しみがその人たちをどうにかしてしまいそうでどこか不安なんだろう。これもまた自分の心と現実がごっちゃごっちゃなんだ。どうしても現実を生きられないんだ。つらいんだ。いつまでもいたくない過去にとどまりつづけるのは。それでもそれも何か意味があるんだろうか?
 私の、人を大切にしすぎて、他人の意思の方が私を上回ってしまうことは、子供時代の私の学校生活、家での生活を台無しにした。あの頃の運縁、であった人との関係の影響ね。いじめられた。ストレスでいじめしたくてうずうずしている人、ストレス溜まった人をいらつかせ、いじめられた。そして、そのことは私の自信を全く失わせ、自己イメージを汚くし、何一つ肯定感をもてずに生き、それがまた更なる、いじめられになり。そこには家での姉の私へのばかにし、何でも一言言わずにはいられない、自分が上でいたい、自分の分かっていることをうるさくうるさくいう、いっつもつんけんしている、いつも不満持っている、いつも言った途端忘れる、溜めない多分ね、恋愛を6年も続けられるくらいだから、いい性格もしていると思うの、それでもそういう姉が居たことは、私の自信のなさをさらに拍車かけた。あの人は何でも「こうしろああしろ」という。母をばかにしている。姉は絶対的だった。今はあのばかたいしたこともないくせにと思う。でも、あの頃は絶対的な存在。そして、そいつの助言を全部その通りに実行する。自分の考えや感情なんて紙くず同然だった、そう思わされ、そう心から思っていた。それが、私の行動をちぐはぐにさせた。私には向き不向きとてもある性格なんだと思う、でも姉の言ったことを忠実に実行する私には、私に合わない行動しているわけだから、周りもおかしいみたいで、私に合わないから、周りも笑うわけで、私に合わないから、私は苦しむわけで。私は助言を聞くロボットのようだった。何でもなんでも私にとっては石でも「栄養物」だと姉や周囲にわんわん喚きたてられて、飲み込む。うまく行かないたびに、私は姉よりも劣っているから、私は世間では通用しない子だから、という自信だけを失っていったと思う。ミニ姉になっていたんだね。
日本人が英語いくらうまく話してもミニアメリカ人でしかないように。私は私にしかなれないんだ。いつもいつも他の人になりたいと思っていた。自分なんて捨てて、自分なんかじゃなくて、もっともっと違う成功している人になりたくて、さくらももこ(笑)のまねしたり、周りの友人のまねしたり、そのたびに誰もいなくなっていった。いつも誰かになりたかった気がする。そして何よりも誰かに敬意をしめしてほしかった。誰か一人でもいいから私を「人間」として尊重して、敬意を示してくれる人がほしかった。自分を半人間前としてしかどんなところでも扱ってもらえなかったから、私をただ大切にしてくれる人だけが欲しかった気がする。そしてとてもとても不満だった、いつもいつもばかにされていると思った、いつも隙なんて誰にも見せられなかった、ばかにされたくなかったの!!ただそれだけばかにしないで。からかわないで。私の心の声聞いて。真剣に私に向き合ってくれる人がほしい。真剣な人がほしい。誰も私にはいないから。私の「好き」な人なんて家族にも学校にもどこにもいない。
<1312> ('-'*)ネコムライス ■2007年08月14日 火曜日 10時37分30秒
姉と仲良くしたい。姉を許せるようになりたい。
姉はもう変わったのに。もう優しい人になったのに。
私はいつまでも過去の傷に傷ついて、今でも怒りの感情を持っている。
怒り続けるのにもパワーがいるから、すごく疲れる。
いつも緊張して休まる時がない気がする。

どうやったら許せるんだろう。
周りはみんな幼稚だ…って思って生きてきたけど、今は私の方が幼稚なのかもしれない。
小学生の心のままで止まってる。いつも愛されていたいと思うし、構ってほしい。優しくされたい。仲良くしてほしい。認めてほしい。
そんな気持ちでいっぱいだ。

逆にちょっとでも無理かもと思う人の事はとことん憎んで、嫌って、避けて。
今まで自分は嫌われてるって思ってたけど、嫌いになってたのは自分の方だった。
自分から嫌いになって、敵を作って、避けて。
それなのに被害妄想を抱いて。何やってるんだろう。そんなんじゃ居づらくなるの当然だよね。

根本的に人間関係の築き方が間違ってるんだと思う。
ちょっとずつで良いから、直していきたい。
もう辛い思いしたくないもん。仕事だって一つの所で長く続けたいよ。
自分の力で生活したい。
<1311> ぺあ(FB注意) ■2007年08月13日 月曜日 19時36分38秒
家族ふつう私おかしい。そう思い続けた。父は私と姉に「社会的に成功していいところ見せるのが父としての誇りだ」と思っていたらしい。
 うちの祖父に似ているんだ。精神的な病で会社いけない時には、「社会人失格だ、こんな姿娘に見せてかっこわるすぎる」と責めていたらしい。
 はっきり言えば、あんたの姿なんて見てねえし。私は私で母を守りたく、姉の不満をうんうん聞いて、学校ではいじめの的になっていたのに。父は自分の自己満足の世界にいたんだろうな。別にいいけど、でも私は父のかっこいい姿期待してねえよ。母もまた父が一番つらいのに、「こんな目に遭わせて」だとかお門違いなこと言っていた。よく「わ〜んわ〜ん」って私に聞こえるようにあの頃小学生の頃泣いていた。うざかった。今でも、うちの父を外見はいいけど、中身は欠陥ありだとか、言うのが母だ。そういう病持ち〜とかお葬式に来た父の同僚へのお礼のはがきを一枚一枚確認するときに、この人「病もち〜」「それ系統〜」とかうけながら笑いながら、はがきめくっていた。
 父が母を憎むような顔していた、いらついていた理由少し分かるよ、今なら。でもこの家はなんなんだろね?母は、父から「いつか殺されるかも」と思ったときあったんだよね、とか言っていた。ふつうに。馬鹿ジャン。でももう口出すまい。夫婦のことは夫婦しか分からない。子供は責任負わなくていい。ずっと「普通」に生きてきた、「自分のこと考えて」育ってきた周囲から太鼓判押されている「いい人」=決して友人とは呼ばない、には分からない。私がおかしいそう言われまくった。でもうちの家族はもういいよね。父のことは父のこと、母のことも母のこと、姉のこともまた同じ。私あの人たちが不幸になるんじゃないかと今でも怖いんだ、がんになって、それを受け止められずに(だって母は弱い人に見えるから、不幸道進んでいるような人に見えるから)不幸な人生の閉じ方するんじゃないかという恐怖感、姉にもやっぱり誰からも見放されて独りになっている姉を思い浮かべて、私が最後の砦となって守らないとという強迫観念があるの。母はうつ、姉は不安障害、祖母はもともと気分障害、叔父も気分障害だから、なんかやっぱり不安になるんだよね。でももういいかなあ。そういう病気あってもいいじゃんね。それでもそれはその人たちのこと、私の人生歩みたいの。誰にも覆いかぶらされないで。誰にも「おまえのせいだ」とか「お前はずるい」とか責められて、幸せになることに罪悪感も足されずに、自由に生きたい。それだけなんです。それでも今までためてきた重い思いは私を苦しめる。
<1310> ぺあ(FB注意) ■2007年08月12日 日曜日 23時42分47秒
お父さん。私あんな実習行ったからあなた助けられなかったのか?違うよね。私寂しかったなあ。「笑顔」の中でほんとにコミュニケーション取ったことなくて、いつも無理して、いつもいつも暴力の的だったなあ。
 教育実習が許せないんじゃない、あの担当教員が許せないんじゃない。私には分かる。そうじゃないよね、本当は。本当は、あの頃の姉とあの頃私のおどおどした雰囲気に平気で漬け込んだ子供たち。名前もいえる。あの子達。子供は悪気ない?悪気あろうがなかろうが、許さない、私は。あの子達は卑怯よ。弱弱しい人を徹底的に見えないように痛めつける、喜んでそういう人を見つけることには天才的で。
 私あの頃、ずっとトイレで声殺して泣いていた。家族にはいえない、笑うから、親戚の話しのねたになるから、母が思いっきりきれるから。私には何の権限もないから。
 いじめ。私ずっと学校時代いじめと戦ってきた気がする。いつもなんで私はいじめられるんだろうと考え続けた、そして自分に答えを見つけたんだ。
 暴力の連鎖とめたかった。でも私にはびこった暴力の心根は私を破壊しようとし、そしてその自然な流れで他者を破壊しようとし、そしてそのたびに私を私に恐れ、食い止めようとした、分かってもらおうと話をした。へんな目でみられた、頭おかしい女だと思われた、人の視線は人を殺すんだって思った。友人だと思っていた人に「もっと人の話しを聞きなさい、聞けない人だから。全部受入れなくてもいいから、耳を傾けたら?」どれも私には受入れる器ないのに、わあわあわあわあ言われているようなもんだった。私はただ私の見てきた現実に「うんうん」て聞いてくれる人ほしかっただけなの。でも私の話し最後まで聞いた女が言った「あんた1年の時から全然変わってねえな。いい加減変わりなよ。変わらないことだっていいことだけど、いい加減いつまでも暗いと友達やめるよ、もうこれが最後のチャンスだよ」って言われた。
 寂しかった。いないんだ。誰も。母も誰も耳をふさぐ。父は鼻から「過去はもう変えられません、そんなことばかり考えて視野狭いと思いませんか?今お前がやらないといけないことは沢山あるはずなのに」と正解を押し付けられ続けた。でもだって、おかしいんだもん、この家族。笑っているのに、誰も心に気づかない。私は親とも姉とももう距離置いていいんだよと自分に言い聞かせた、もう距離置こう、適当な距離置こうって。
 でも心の中に変な渦巻きが「だめだめ」って騒いだの。なぜかどうにもすっきりも納得もいかないの。一生私こうなのかなと思い続けた。ちょうど1年半前かな。
 平気な顔して笑うけど、人もこのサイトもどこも私から「離れた」。
父の姿を見たとき、私の笑っているけど何億光年も離れている孤独さを絵にしたようなへんな感じした。誰も通じない世界にいるようで。私、もうそれまでの過程で疲れきっていた、実習、研究発表、大学時代の人間関係、すべて、そして姉の言葉と母の反論、父の押し付け、誰もうちの家族も私が「何か変だ」と騒げば、そのたびに「おかしくなった」白い目で皆見た。
 父の姿を見たけど、叫びたい思いあったけど、はじめて心の声無視した。はじめて父の期待する姿に自分がなったようだった。
 心の声無視した。
 母は笑っていた。わ〜楽しみ〜。姉は無視していた。
 父の姿に誰も気づかない。
 そして一週間後に父は自死した。私は姉の電話をとった。ああ、行かないですんだ。行っていたら私リスカしていたと思った。別の道選んだら、私あのときものすごい声で叫びたかったの、もしそうしていたら私父にも母にも、姉にも完全に頭おかしくなったとレッテル貼られて、私は人のレッテルにあわせて生きているだけの人間として生きてきてしまったから、本当にそうなって、精神病院送られて、多分憎しみと怒りで家族殺していたかもしれないと思う。
 あの頃、あまりの孤独さに包丁見れば父を母をさしたくなっていた、祖母も。それくらい追い詰められていたの、私も。
 父を助けなかった。そしてやっと私は今までのことを納得したんだ。
<1309> とら改めけんと ■2007年08月12日 日曜日 19時12分54秒
昨日、実家に行ってきた。正直に言うとお金がなかった。嘘をついて、実家に言った。父は黙って、俺の置いた財布を開けてみた。チェックされてしまった。正直腹が立ったが、父は悪い動機で見たわけじゃなかった。純粋に心配なんだ。父は母に内緒で、1万円を出して、もっていきなさいといった。ただし、お金の管理について、15分ぐらいの説教と父自身の反省を聞いた。つまり、父は俺の姿を自分と重ねているらしい。

 俺はただでお金をもらうことが嫌いなので、父の仕事を手伝った。建築関係であるので、トラックに積んである荷を降ろす手伝いをした。炎天下で、気温が36度。めちゃくちゃ暑い。父の激励が飛ぶ。久しぶりの手伝いなので、感覚が戻らない。そこで父の言うとおりにする。うまくいく。

 約3時間であったが、ふらふら出ある。通常の現場であれば、現場はストップする気温。俺はよくやった。実家の風呂を借りて、汗を流し、作業着から普段着に着替える。冷たいお茶を飲む。落ち着く。ふと考える。父は確か日本の少しだけ共依存だ。しかし、この知識は本当に正しいのか?俺だってまだほんの少しだけ共依存だ。この知識だけで人を判断することはできないなと。

 父のいいところはいい意味で、おせっかいだ。おかげで臨時収入が入った。すごく助かった。これを素直に感謝したほうがいい。そのあと、心の中で父に感謝した。気持ちよかった。
<1308> ぺあ ■2007年08月11日 土曜日 19時35分42秒
まずは自分を大切にしようね。まずは自分だまずは自分ね。嫌だと私が感じる思い出たちは消そう、ゴミ箱にぽいっと捨てようね。家族ってつらいけど無理しなくていいけどやっぱり意地ばかり張って誰かを傷つけるのはよくない、家族にも時には優しくして適度に距離とれればいいのだよ。
<1307> ぺあ(FB注意) ■2007年08月05日 日曜日 13時23分57秒
書けば書くほど真実味がなくなる。うちは本当に「ふつう」だった、そうじゃないだろうと感じていたけど。あの頃の苦しさも誰一人分かってくれる人いない感も世界と仲良くなれない事、周囲のふつうの子たちとはぴたってこなくて、いつも笑いながらものすごく心理的に遠ざかっていたこと、家のお皿全部ぶちわりたい怒り、訳の分からないまま人の怒り、不満のはけ口にされ続けてきたどうにもならない私が今度は弱くて訳の分からない世界で右往左往している人見つけて、分からないように水面下でいじめて自尊心粉砕してやろうかと素直に想うくらいの気持ちとそういう自分への恐れ、自責感。周囲から私は周りに人が一応存在していても心は何億光年も離れて自傷していた。この恐怖はうまく描けない。ちちを見てちちも周りにひといても誰もいないようだった、いじめ自殺の遺書を書いたあの子のようだと感じたのに笑ってみていたのは私だ。誰もちちを省みなかった。姉は自分で精一杯で、洗濯物こむように具合悪いちちに押しつけた。ひきちぎるように込んだから、洗濯の干し物壊れていた。母はあの工事はあれが失敗だとぶつぶつ言うちちに言った、いい年していい加減にしてくださいよって。弱い、弱っている人の声は決して聞こえない、傷ついたことない人には。ちちは女運悪かったよね〜妻だけじゃなくて子供もとか、何やっても認められないちちの気持ち今なら分かるよとその後祖母の面倒みても誰も姉が評価されない時期に姉がすごいすごい泣き叫びながら言った。母は祖母が悪いだとかいい男は早くいなくなるだとか。私も子供時代とても寂しかった。ちちが好きであり憎んでもいた、本音ではなしたいと想った、建前でしか関わってくれない、正解で私に逃げ場なくすと憤った。でもそれは私だけじゃなく自分にも誰にも態度変えずしてたんだ。それがちちなんだ。誰もが弱っている人を踏みにじる。私はうまく現実受け入れられんよ。ただ楽にはなった気がする。でも現実はあまりにも現実で。変えられない人の方向性ってあるんだなあって想っているよ。私は何か伯父一家の孫や楽しい話しきくたびつらいや、何か私は寂しいや。うまく言えないけど。
<1306> ぺあ(FB注意) ■2007年08月05日 日曜日 12時46分25秒
私の心は複雑だ。ただちちがいなくなる前は私は弱い立場=定年迎えて大企業で同期とおなじように副工場長とかなれないで企業の歯車として何やっていたのか分からないと嘆いた父を私は今までためてきた、不満の刷毛口にされても笑うしかできないためていたものすごい怒りを、ぶつけてやろうと想ったこともあった。父を金蔓でそれで利用しようと想ったこともあった。ばかみたいに水道出しっぱなしにしたり、よけいにみず使ったりして、実家の水道代かさめばいいと想った。ちちに何か苦言言ったら私への資金打ち切られると想った。そんなことしかできない自分はやっぱり汚い奴だと想った、でも何かがおかしいのに言えないで、人の不満をすべて私はずるいし、この人よりましだと受容して暴言はかれたり利用されまくった過去の傷も人と関係をもつ恐怖も自分の感情を抑圧することも辛かった。ちちがなくなってね、楽になった。やっと認められた気がした。散々「わがままだ」とか「こんくらいで」とか「世の中にはもっともっと辛い人いるのにあんたは恵まれすぎだ」とか誰もまともに過去のいじめにも周囲をとばして生きてきたことにも、なぜか罪悪感のかたまりであることにも、ずっと自分が悪いから努力足りないからそう想ってきたから。やっと分かったかって想った。やっぱり…それが私の一番の感情だったから。でもちちが死ぬはずないだとか弱い立場にたっているから今までの怒りぶつけてやろう、分からないくらい内密にとか…そんなことしかちちと最後の日々思えなかったなんて…いったい親子って何なんだろう。ちちが好きで心配して生きてきた子供時代なんてくずのようだ。誰も助けない、問題あるのにないように振る舞って笑い続けた、心はもうなかった。うちの家族って何が一番大切だったんだろう?見かけ?幸せ演出?勝つこと?潔白に生きること?お父さんうちって何なんだろうね。うちのお母さんも姉も理解できないよ。お父さんはどんな思いで電車のっていたの?私は笑っていた。あなたが辛そうでも。過去の周囲が私にやったと同様に笑っていた。母に父がへんだと言おうと想ったのに顔背けられたらもう憎しみしか湧かなかった気がする。もう結構としか思えなかった。運命は誰にもとめられないんだね。でもちちはやっぱり辛かった?すっきりした?私はただバカにされたような想いを持つだけだった。
<1305> halu ■2007年08月05日 日曜日 11時24分55秒
優しいね・・・よく言われる。私自身優しくぐらいしとかないと人に好かれないって思ってるのもあるし、父親の愚痴聞いて、母親を慰めて・・・優しい自分はこうして作り上げられた。美人やったり可愛かったりしたらもっと優しくなくっても良かったんかな・・・
やっぱり昨日、素敵な彼氏の友達の奥さんに会ったから、最近気にしてなかった容姿コンプレックス出てきた・・・歯出てるな・・・鼻毛でやすいな・・・鼻低いな・・・一重だな・・・
まいっか・・・努力できることはしよう!そう思えるきっと・・・
<1304> halu ■2007年08月05日 日曜日 11時11分42秒
これからの生活を考えてみる・・・。彼氏はいる、結婚願望は強いけど、この人とは結婚できないかな・・・生活環境が違いすぎる・・・日雇い労働的な仕事をしてる人が多い私の血縁者。彼氏の方は大企業勤めや公務員の人が多い。環境が違いすぎると、お互い言いたくないことを言ってしまうかも知らない。分かってもらおうと言ってるんだけど、それが嫌味な言い方や意地悪な言い方になる。誰が悪いって事無い。しいて言えば、違いを理解するのは難しい。違いの理解を深めるように努力するか、近寄らないこと・・・私にはそれしか思い浮かばない・・・白か黒か的な考え。
<1303> halu ■2007年08月05日 日曜日 11時01分30秒
自分、よくやったやん。でもやらんでも、家庭は崩壊しなかったのかも・・・
あの10数年の生活を振り返って思う。
私が家事したり、色々くるくる動き回らなくっても、親は離婚しなかったかもしれない。
家族の言い争いの元になることを、解決しようと色々した。家事に始まり、親戚の集まりの付き合い、近所の防犯活動や自治活動・・・父親の愚痴を聞いたり、母親を慰めたり・・・色んな事を親の代わりにした。
色々することがあったから、それを念頭に入れて生活してて、遊ぶ・楽しむ余裕が無かった。
<1302> halu ■2007年08月05日 日曜日 10時49分33秒
言わなくて良い事・・・
仲の良い友人じゃないのに、家庭の不和や不幸を言わなくて良いんじゃないか・・・言われた方も困る・・・よね。
仲の良い友達・・・それぞれ、持病や親の家賃滞納で借金払ったり・・・うちと同じように親戚付き合いを断絶してしまってて、コミュニケーションスキルが乏しくて、社会生活になじめない子・・・言ってもそれぞれの問題で一杯一杯で人の話に耳を傾ける暇が無い。耳傾けなくても良いやん。それぞれ言って満足しようよ・・・
<1301> halu ■2007年08月05日 日曜日 10時40分21秒
私は昨日嫉妬してしまった。
彼氏の友達夫婦に会いに行った。
彼氏の友達は、ある程度裕福そうな家庭で、親戚づきあいもある、好青年だしなかなか要領が良くって、意外と生活力がありそうだ。
奥さんは飛びきり美人じゃないけど、鼻筋の通った美人の部類に入る人だ。大企業に10年弱ほど続けて働いていたし、勉強も出来る人だったみたいだし、空気も読めて、要領もなかなか良く、生活力もありそうで、知り合いが多そうで良い雰囲気の人だ。
私はこの二人に会うといつも悲しくなる。彼氏にもしばらくは同じような感情を抱いていたことを思い出す。
昔の話を彼氏やその友達夫婦に聞いていると、ある程度大変な事もあったけど、学生時代や社会人になってからの生活を楽しみたまには遊んで生活をしてきたみたいだ。
私は、今する事で精一杯で、楽しめなくって遊べなくて、ガムシャラに生活してきた。奨学金もらってるから、遊んでちゃ駄目だって思いもあったしね・・・
・・・すごくうらやましくって涙が出た。
親には悪いけど、私、美人でも可愛くもないからね・・・20歳過ぎまで、顔に大きなあざがあって、男性に女性扱いしてもらえなかったからね・・・
だからホント言うと、彼氏の友達夫婦には会いたくない。あまりにも素敵過ぎて・・・自分が悲しくなる。

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This script written by Shintaro Wakayama.