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私たちの物語 - 家族過去ログ No.64
メッセージ数:1280件

<1280> アーネスト ■2007年07月14日 土曜日 02時58分19秒
母からの「あなたはかわいそうな人ね」という言葉は、僕をコントロールするための、僕を彼女の支配下に置くための初期の言葉掛けだったと思う。でもそれを真に受ける必要はもうないんだ。
<1279> アーネスト ■2007年07月14日 土曜日 01時59分33秒
僕はね、家族に、もっと言うと家族の不幸に気を遣い過ぎた、深刻に取りすぎた人間だったと思う。しょうがないよね、子どもだったんだから。僕には父も母も兄も不幸だということを直感でわかっていた。でも僕は彼らを救う必要はなかった。だってそれは彼らの問題だから。不幸な男女がくっついて、子どもを生み、緊密な家という場所で生活してみなよ?その不幸のオーラが伝わらないわけないんだから。それは優しさなのか???自分でもわからなくなる。不幸な親を救うのは優しさと呼べるのだろうか? 呼べなくもないきがする。でも度を越せば・・・僕はそのことにどう感じていた???覚えていない。
<1278> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 21時44分31秒
母に過去のことを電話で言ったことがあった。そしたらイキナリ「もうそれについて勉強してもう消化させたってあんた言ったじゃん!」とイキナリ切れて、その後、私が何か言おうとしたら「わーんわーん」すっげー泣き出して、思いっきり電話を叩きつけられて切られた。そして、その夜、「もう落ち着きました」というメールがきた。母のこの行動意味わからない。そして私にあなたは若いいい歳なのに、彼氏と美術館行って楽しむとかそういうことしないで、そんな本ばっかり読んでいるから悲しいとか言われた。そのくせ、自分が独りになったら、彼氏じゃなくて仕事探しなさいとか、言ってくる。
OO歳だからこういう行動とかパターンがあるらしいね。普通パターン。分かって欲しいって思い続けたけど、やめます、もう。私は家族の中で見せている「顔」と違う「顔」を持つことに罪悪感をものすごく感じてきた。「良い家族」をそとめに見せる、自分に思い込ませてきた節があったけど、その中で本当に困ったことを家族にはからかいの対象にされそうで、できなかった、私には相談相手というものが全くなかった、いつもぐらぐらしていたから。「愛情」の正論のもとに、私ができることも全部、暇人の母にされてきたと思う。父も自分の問題見たくなくて、私が問題になれば私の世話をしてやろうというお世話焼きがあったように思う。今母とは話すけど、それでも私はもうここではない居場所を見つけたい。それは彼氏とかではなくて、描いていた親友とかではなくて、自分と同じACと自覚している人たちの中なのかも。それでもまだ行くのが怖い。家族を裏切ってそう。
<1277> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 21時33分09秒
子供の頃、いくつだっけかな?3歳?それくらいに、何かこの両親信用できないかもって思ったことがあった。何かの雰囲気で思ったんだ。それから5歳前辺り?どっかのICで父親が母の行動をあげつらって笑っていた、姉も父に味方して笑っていた。私はお母さんがかわいそうで、「そんなことないよ、お母さんの行動かわいかったよ」なんて言ったんだっけ。母親にはよく馬鹿にされた。気の弱いところと人にNOと言えないところを。父にはよく比較された。姉にはものすごくきつい言い方されて、立ち直れないほどの嫌な言い方やきつく当られた。家族とはクラスメイトのようだった。一度ある人をターッゲットにいじめると皆でエスカレートしてばかにする。家族もまた同じだ。母に父はよくやっていた。私は母を守ろうとした。でも母はなんとも思っていなかったのだ。父の精神的な病気もあったんだと最近始めて分かった。父のいつもある不満、イライラ、ははにぶつけ、母は何もなかったふり、時たま何にもない時にいきなりお皿をばーんばーんと叩きつけて、実家に帰ったりした。そしてけろっと帰って来る。問題は話し合わないんだ。ただ機嫌悪くして、そのときだけ父は母に対してやばいって顔していた。何で話し合わないんだろう。そして母を追うのは子供たち。それを母は喜んでいた。
<1276> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 12時47分14秒
問題ないことがそんなにえらいですか??????問題なくて国立大学行くことがそんなにえらいですか??問題なくて強くて家族がいてそれがそんなにいいことですか??何で笑っているんですか?何で人の辛さを感じても誰も見ないでただ学校へ送り込むことだけを至上としている馬鹿な親がいるんですか??そんなに個人的な思いはだめなんですか?そんなに逃げないで生きることが大切ですか?そして今になってころころころころころころ態度を変えますね。もう逃げても良い。それなら私は何処に行けばいいの??どこにもない。この気持ち悪いまとわりつきばかり。私の居場所を持ちたい。今はそれだけで何とか生きている。自分の居場所を持ちたい。それはどこで?友人に求めた。友人は過去のことばかり言わないで、あんたの話しは辛い、もっと冗談わかれよという。彼氏に求めた。身体目当てにされた。彼女いても付き合ってと二股を強要された。弱そうな人を求めた。私を単なる相談相手としてずーっと付き合わされてあげくに好意を示された。家族を知っている人は「良い人」という。「恵まれている」と。自助グループに行こうか迷っている。行きたい。でも夜中までかかったらははに変に思われる、何処に行っているの?と。
<1275> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 12時20分25秒
うちの家族は笑っている。問題ない家族、幸せな家族でいるため笑っている。ACを言っても分かってもらえない。私は他の居場所を持ってもいいでしょうか?それで寂しがられるの?祖母にも母にも「良い子」として居て、自分は何が不満なんだって自分に言ってしまう。こんなに問題あっても、誰も何も共有なんぞしない。笑うだけ。問題も持つのは弱いから。でももうその人もいない。いない。事実を知っていてもそれはうちらだけ。問題ないように振舞うのはやめたい。「もう大丈夫物語」のレールに乗って、他者にそう思わせて生きるのはいやだ。祖母がほんとは嫌いだ。固まって生きていて、何か私を話し相手にしたくている。母も問題を見ない割りに、私に「そう思うならなんで言わないの!言えばいいじゃん!!」とか言ってくる。子供がどれだけ親の思考とか期待とかに脅威を持っているかなんて分からない。母は外面いいし、心は優しいんだろう。でもそれが何なんだろう???ねえ、私は分からない。ただ、ちちが精神的に苦しいのに、母が泣いて、それでも父に頼りきって生きて、お金出してもらって、好きなように使って、私にもお金好きなように使わせてくれて、それでもなんか問題を持っても私には誰も居ない、子育て批判するとすっごく拒絶される。問題なく、笑って海外旅行でも行ってれば彼女は満足らしい。私の手紙ださえ辛くて読めないらしい。それから人の話しも彼女は聞けないのだ。本当に人に思い込んで話している。家族以外の場所で本音で受け止めてくれる場所がほしい。今でも笑いものとして、世間足らず、あんたにできるんだ、驚き〜みたいな下に見られる感覚をほっぽりたい。お願い、もう生きさせて。私の人生生きさせて。それでも私はここで「良い人」やるんだろう。優しそうでも私は母のいきなり怒ったり、ちちのことを迷惑だってほんとに自分の都合のいいような言い方しかしないことに、母の心に怯えている。
<1274> アーネスト ■2007年07月13日 金曜日 00時49分11秒
埋め合わせをするっていうのは、相手の怒りを鎮めたりとりのぞているあげることだと思ってきた。相手を傷つけたり、怒らせたりしたらそれは全面的に自分が悪いことだと。そういう過剰な反応で、取らなくてもよい、というか到底、取りきれないような責任を取ろうとしてきた。兄との関係もやはりそうだった。僕は彼よりも小遣いが多かったり、運転免許を取らせてもらったりと彼より優遇されたことがあると決まって、兄は母親に向かって文句を言っていた。僕はいちいちそれに責任を感じていた。こういうときも僕は彼の怒りが自分に向けられていると感じて、「どうやったら彼の怒りを鎮めることができるだろう」と思った。 あるいは「すまない」という気持ちを表明するために罪悪感を持った。とにかく自分に対して怒りが向けられるのが怖い。 今はすこしずつ考えを修正してる。万引きのことにしろ、兄との関係にしろ、これからやっていこうと思うのは、客観的に見て僕が兄を傷つけたと思うことに対する修正。それは傲慢な言い方かもしれないけど自分のため。 理不尽な怒られ方、なんの脈絡も前触れもない怒りのあてこすり、あてつけ・・・でもこれらも僕一人の力では多分、取り除けないんだろう。あまりここにとどまりすぎるのもよくないような気もする。
<1273> トラミ ■2007年07月12日 木曜日 23時18分03秒
私は親の期待に沿おうとして、生きてきたんだな。
親のことが嫌で嫌でたまらなくて、早く家を離れたくてしょうがなかったけど、
私があれだけ勉強していたのは、親の期待に沿うため、頑張っていたんだ。
もちろん親は、「そんなことない、自分がしたい事をしなさい」と言った。
でも、態度で分かるんだ。明らかに不機嫌になったし、私だけの判断で進路を決めたことなんて、それまでは無かった。
進路を変更したとき、「今まで目指していたものは、本当は自分がしたいことじゃなかった、親に錯覚させられていただけだ」と自分に言い聞かせて、逃げるような気持ちで、偏差値の低い大学を受けた。
でも、本当はあの時「私はもう、親の期待に沿うことはできない」と負けを認めるべきだったんだ。そこから成長が始まる。
認められるための必死の努力さえも、自分の意志でやっていると思い込んでいたなんて・・。かわいそうな子供時代だったと思う。
<1272> アーネスト ■2007年07月11日 水曜日 23時42分17秒
僕の欠点の一つは「人生、失敗したらそれで終わり」という態度だったと思う。10代で万引きをしたとき −それまででもっとも熾烈な怒られ方をした。そのときの恐れの感情は・・・「あぁ僕は今、両親に恐れを感じている」などという悠長なものではなかった。身を守るというのは動物の本能なのだろうか? たぶんそうだろうと思う。生き残るための手段だ。それから現在までの約20年間ほど、自分がなぜあれほど怒られたのか理解できず、彼らの怒りに責任を感じてきた。「あれほど怒ったのだから僕が相当に悪かったのだろう」と。 だから罪悪感を感じていれば許されると思ってきた。僕にはそれ以外に方法がなかったように思う。だって許してもらえるような雰囲気ではなかったから。よっぽど怖かったのかな? 客観的に僕の側の責任を見ていくと、僕の方が過剰反応して「もう一生、許してもらえない」と受け取ってしまったことかな・・・。ただね、今ではなんとなくこう思う。彼らは僕の行為に怒っていたのではなく(無論、戒めのために怒ったであろうが)「俺たちに恥をかかせやがって」というタイプの怒りだったと。理由はない。ただなんとなくそう思うだけだ。理由を挙げるとすれば、僕の行為に対して寄り添って諭してくれるという感じを僕は受けなかった。「そんなこと言わなくても知っていて当然だ」というような印象を受けた。怒りの的は「あんたが私たちを『怒らせた』」という感じに聞こえた。その頃も、今も僕は彼らの怒りの焦点の不明瞭さにいつも混乱していた。「それだけ、激しく怒っていることはあなた方の剣幕を見て理解できた。ところであなた方は一体、何に対して怒っているのだろう?私に対して?私の行為に対して?それともあなた方自身に対して?」。怒りをぶつけられていることは理解できるのだが、なぜ怒っているか理解できなかった。今にして思えば「なぜ彼らが怒っているか理解できないなら放っておく」という選択肢もあったが、当時はそんな冷静にはなれなかった。

そういう経験が何回か続くうちに、悪くもないのに自分が本当に悪いことをしているかのような気持ちを抱いていくようになってしまった。本当の罪悪感とは多分、人に対してではなく行為に対して抱くのだろう。両親が怒っている理由がわからず、かと言って、両親を怒らせたままでは、僕はサバイブできなかった。だから、彼らの怒りを静めるために「自ら罪を買って出た」。 今にして思えばそれは自殺行為だ。彼らの怒りに対して責任を持つ必要などなかった。 そういう癖は、両親意外の人間関係にも顕著に出た。「相手の怒り=自分の罪」という構図が思考上・行動上で出来上がってしまった。10歳の時に。本当に大人子どもだ。中学の塾教師。強面だったせいもあって、僕はいつも怒られることに怯えていた。今思えば、ちょっと口は悪いが、根はいい人なのだが、その人のちょっと乱暴な口調に、逐一恐れていたような気がする。彼がああいう口調なのは、俺のせいだ、と。その3年間は気が休まらず辛かった。
 
<1271> みゅー ■2007年07月10日 火曜日 02時30分19秒
たぶん、このPCからも、ネカフェみたいなところからも書くのは最後。最近、PCの履歴の削除の、やり方を覚えた。「母親」が、たぶん見たかもしれないウェブサイトがいくつかあって、「日記さえ見なけりゃプライバシーの侵害にはならないってのとは訳が違うんだよ!」と思った。これを書いた後も削除に気は抜けない。「母親」の私物だから、なおさらだ。

あたしにとって、やっぱりここは「建物」だった。あたしには「この家」以外に本当の「おうち」が3つある。1つは「病院と、そこの主治医の先生」。次は「毎日の紙の上と紙に向き合ってる時間」。最後は「いろんな、見知らぬ人間と一緒にいながらもあたしが、時間も忘れて「あたし自身でいられる」とある場所」。
だけど、その場所に行く時は、常に自腹で宿をとらなきゃならない。「母親」は、仕事でも「その場所」でも、終電ギリギリとかの時間になっても起きて待っているんだ。これは肩がこるし、いろんな事に集中できないしで、たまったもんじゃない。けど、あたしが「母親」に「今は、おばさんの方が夜、狙われやすいんだから、あたしが宿とって、お母さんも夜中に自転車で、あたしの事迎えにこなくてもいいようにするから。その方が、あたしも安心だし」で、宿での「おひとりさま」は可能になった。
でも今回は、宿が「おうち」にはならなかった。「ある場所」から帰って「Cメール」で連絡したけど「母親」は不機嫌で怒ってるみたいだった。
あたしは、ひどい罪悪感に「ずっしり」襲われて「Cメール」を送りまくった。ご機嫌取りしてるみたいで、宿で気が休まることは無かった。

だから、あたしは決めたんだ。主治医の先生も反対はしてない。「家を出るのなら、そういう施設に住むのも、一つの手かもしれないね」。そう言ってくれたから。準備には時間と手間がかかる。でも、もう、それしかないから。
<1270> ぺあ ■2007年07月09日 月曜日 22時02分16秒
電車の中にいると、家族への憎悪や色んな気持ちを頭で反芻している。それの思いは、普段ではぼーっと忘れているけども、その時に出てくる本当と思える気持ちだ。前まで私は大学の友人の前と家族の前で言う、感情が余りにも違いすぎて、二重人格になりそうだった。
 もし本当に私が「自分を大切にできる人」であったら、当にこの家族を捨てていると思う。家族の前で格好つけないといけない父、父の親の、企業で上に行け、妻、かわいい子供いて何の不足があるのか!という言葉。実は父が会社にいけなくなった時に祖父が父に言った言葉だ。環境は十分整えてある、これだけ恵まれているのに、何の不足があるのだと。「お前は弱い、世間でやっていけない」という一昔前の「典型的」すぎる言葉ですね。父はそれを内面化してしまったんだろうと思う。うちの家族もそうだった。これだけお金出して、これだけ整えてやっている、物も豊富で親も理解する「恵まれた」環境、なのに心がない気がした。ほんとにない。いつも平均を気にして、世間で上に行けるか、落っこちないか、性格までが評価対象に入る、世間の判断評価で生きて。祖父は比較好きでした。父は優しかった。完璧主義だった。父も辛かったのはよく分かる。親孝行もしていたの知っている。私は父が好きでした。優しい人は早く死ぬではないけど、結局父は優しかった(それだけではないが)ので、私に辛い思いもさせたけど(心の病気のせいもあった)それでも、最後は環境整っている、うわべだけの笑いをして、本心は誰にも見せなかったんだろうなって思う。あなたを分かろうとする人はいたけど、この家族の中にはいなかったのかな。あなたもそうさせなかった所は大いにある。自分のプライドのためだね、本当。私、他の家族も意識するしないに関わらず、父に集中砲火を浴びせたかも、最後に。父は優しくてまっすぐだった。私は自分を守るために曲がった。それでも言わせて。私は私の人生を生きたいの。子供は環境選べないんだよ。父は大人でしょう。
<1269> ぺあ ■2007年07月09日 月曜日 21時41分28秒
家族への思いを大学時代にほんとに半分はなりふり構わず、友人、話しを聞いてくれそうな人に言いまくった。早く、こんな段階から抜け出て、現実に参加したかったから。でも、家へ帰れば、私のいう事を大抵聞いてくれる優しい家族がいる。
 昔私の父は私が車外に出ようとして「私も行く」と言ったとき、母から車のドアを思いっきり閉められて、すごく危ない思いをしたことがあった。母の間違いだったんだけど、父が母に「危ない」って言って、続きをエレベーターの待ち合わせの所で言おうとしたら、母がふんというすごい怒っている態度をとった。それから、レストランで父が私に「お前はそういうことをされるタイプ」「この人(母)はそういうことをするタイプ」と嗤いながら言った。母の怒っている意味も分からないし、父の私を「弱い」と嗤うのも悲しかった・・・。それなのに私は二人の取り持ち役を止められない。姉が中学高校時代はほんとによくばかにされた。私のなすことすべて嗤ってたし、ぐさぐさ図星なことを言われた。ばかにされた。私は世間では通用しないまだまだ不足していると子供のときから当たり前のように思ってたから、姉のアドバイス「4大行くなら教師免許くらいは取んないと損でしょう」ということを「正しい」と思い、姉が言ったから、そう行動してきた。ほんとの私は学校も子供の理性のなさ、直感の鋭さ、暴力の歯止めの利かない、不安定さに怯えきっていたのに、そこでもまた持ち前の頑張りをしてしまった。怯えている自分、でもこれ=実習さえ乗り切れば、弱い自分を変えられる、何かつかめる、そして過去の自分のいじめられた体験などを今度は客観的に見ることが出来ると。そしたら、この訳の分からないものも、消え、私は強くなれると固く信じてた。
<1268> ぺあ ■2007年07月09日 月曜日 21時30分20秒
子供は環境を選べない。つくづくそう思う。私はずっと親に幸せであってほしかった。おこがましいかもしれないけども、そう願って生きてきた。友人に対する自分の態度も「助けを求めてそうな人」はすぐに直感で分かり、助けるようなことをしてきた。私は親が好きだった。子供の頃の私は親を本当に好きだった。
皆私を「恵まれいる」って言い立てる。そう思おうとしていた。それでも、家族の中に吹きすさぶ寂しさを感じていた、それは12歳の頃だった。いじめられても、素直な感情を受け止めてくれる場所もなけりゃ、私には自分が本当に困ったことを相談できる場所もない。普通の子供が相談しそうな事や、親の標準に合わせて、このくらいなら平気だと認定できたことは相談できた。また、他の人が相談をしている多くの事柄ならば平気だったように思う。家族の前では「ちょっと外したとしてもまあ普通に順調に育っていく子供」のふり。親を安心させるため、親の子育てを肯定するため、家族の承認する私=「なぐさめっこ、面白いキャラ」の仮面をおっかぶるため。
今、自分が今まで思ってきた事を頑張って言ったら、否定されましたよ。ひどいとか。どんな環境でで子供で逃げられる人はいるんだよとか。
でも、私にはずっと書くことしかなかったんだよ。鍵付きの日記に日々の人の悪口を書く時だけ、本当の自分でいられた。そこには家族への思いも書いた。鉛筆が折れるくらい、びりびりになるくらい、家族が憎いと書きまくった。それでも家族の前では笑顔で居たと思う。ずっとずっと「普通」の振りして生きてきた。ずっと家族?世間?やはり親が求める自分を演じていたと思う。それでも本当の自分を殺さなかった。心の直感は、私は何かおかしい、そして何か、家族は漠然と変だった。たとえ、世間的に恵まれていて、両親に理解があっても。
<1267> アーネスト ■2007年07月08日 日曜日 02時09分54秒
家系図を書きたいとずっと思っている。
僕の家系に流れる家柄・価値観・・・それからそういった価値観に影響を与えているであろう時代背景・経済状況・・・僕はいつも自分の家系に、言いようの無い「負」のオーラを感じていた。とにかく受け継がれるべくして受け継がれてきたのだと思う。多角的に調べて納得したいという気持ちが強い。家柄のせいにしたくはない。でもそれだけ代々受け継がれてきたものって何なんだろう?っていう好奇心がある。時代背景や環境(戦争、教育、経済情勢)そういったものも僕の家柄と全く無縁ということはないだろう。そういった「社会の中の一つの世帯」として原家族を考えていけばより客観的に、今の自分を捕らえられそうな気がする。すぐに取り掛かるかは別にして。余裕があればやってみたい。
<1266> ぺあ ■2007年07月05日 木曜日 21時14分35秒
つづき
だって「やっぱり。そうだったか。私は『合っていたんだ』」とあることが契機で理解したから。そしてそれから1年は経ちました。信じられません。だらだら生きてきましたが、時間の流れが前と違うのを感じます。今までのことを考えました。そしたらいじめた子の弱さが見えてきました。強い子には確かに何も言えなかった。それから姉のひどさも分かりました。私のことを思っていたのは確かでしょうが、それでも人の一生懸命やろうとすることを嗤ったり、図星かもしれないけど、本当にひどいこと言われました。あの人の一言はいつもぐさっとくることと自分はだめ人間だし、そうであってあの人の下でいないといけないと思わされてきた。それは彼女は何か上でいたかったんでしょうね。正直言って、彼女は根はいい人なんだろうけど、それでも今回のことに同情はしません。彼女も大変だったのでしょうが、それでもその年になっての身近な人への言葉遣いはひどすぎます。姉のいう事をすべて正しいと思っていた。本当に苦しかった。いい助言もあったけど、言うとおりにして、いやな目にあったこともあります。万能な人なんていないのにね。彼女が多分下を望んでいるだろうなという想定の下で生きてきました。女としても勉強面でも下でいないとと思っていた。彼女の真似してもうまくいかないですね。でもある男の人が私を気に入ってくれてることに彼女はちょっと圧倒されたみたいです。これからはもっといい関係を作って生きたい。そんなに悪い人じゃない、むしろ支配欲は強いのかもしれないけど←私も相当だけど、人のことを考えられる人なんだと分かったから。それでも今までの事は悔やまれます。
<1265> ぺあ(FB注意) ■2007年07月05日 木曜日 21時04分40秒
どの家族の人も好きでした。そして両親のために生きてきました。友人にいじめられ依存されました。寂しそうな背中もなんか私に頼るかんじのほかの家族も、私には重かった。ごめんなさい。優しさで売ってきました。ほとんどの人に優しいと言われました。でも私は寂しかった。私が思う現実はない。いつも他者が主人公。私の思う現実は、ストレス溜めて弱い人狙う人の主張によって、ねじれていました。私は他者の方を信じました。だって、私は世間知らずだから。現実すべてが納得できないから。この年にしてようやく気がつきました。なぜねじれていたのか。運命ってあると思います。もしもあの時こうじゃなかったら私は人を殺していたかもって思う。家族とか?弱い人とか?傷ついたことなく幸福の中で輝いている人(→こんな人いないけど)、私の内面に土足で入って、心の力を失わせる人とか。それぐらい怒りで渦巻いていた。誰とも現実共有できずにずっと演技しながら、周りの都合を考えながら生きることの訳の分からなさなんて絶対に理解できない。どんなに自信なかったか。どんなに無理していたか。どんなにそれでも頑張らないとと思っていたことか。そしてその弱さに漬け込んで、自分の周囲には「遊び、おふざけ、からかい」と捕らせても、いじめ、心の力を失わせる人が多いことか!現実は恐ろしかった。だから自傷して現実を心に入ってこないようにして、それでも周りの基準に合わせる演技はやめずに成長してきた。今やっと強くなれた気がする。
<1264> トラミ ■2007年07月05日 木曜日 00時27分38秒
家族の問題・・私はまだ、自分の小さい頃からの記憶を掘り起こす作業をする勇気がありません。
私の中で、親というのは依然として、圧倒的な支配力をもっていて、それに逆らったり、その支配力がたいしたこと無いと分かるのが、怖いのかもしれません。
そして、小さい頃の記憶を思い起こすのが、すごく怖いです。小さい頃であればあるほど。
私はあまり子供の頃のことを覚えていないので、そこでどんなことがあったか分かったら、きっと耐えられない、と思っているのだと思います。
だから、まずは、今の自分の考え方とか、現在の人間関係の問題に影響を及ぼしていると思われる、昔の親との問題から取り組もうと思っています。
はやくここに書き込めるようになりたいですが、ゆっくり進んでいこうと思います。
<1263> season ■2007年06月30日 土曜日 01時55分10秒
まだ足りないの?
まだお金がほしいの?
これ以上どうしてほしいの?私があなたたちの人形でい続ければいいの?
やっと一人暮らしできて、生活安定してきて、毒親読んで、病気もほぼ治って、やっと線引きできたと思ったのに...
あの頃...実家暮らしだった頃の記憶が蘇ってくる。
こないだ「夢だった事務所開く」って話したら
「おお、稼いでくれ、頼むよ」って...
結局、最期の選択をするしかないんだね。
連絡とっても、会っても大丈夫だと思っていたけど..わたしの心はどんどん蝕まれていく。
家に泊まりに来ると、バッグや財布や手帳の中をまたあの頃の様に探られるんじゃないかとか不安でたまらない。交通費や食事代、全てをわたしが出さないといけない、食べたくなくても食べないといけない、そんな強迫観念。
さらに老後のために貯蓄して住宅ローンもしなくちゃとか...。
そういえばあの頃..友達と朝まで呑みに行きたかった。好きな人と一緒に居たかった。好きな人ができる度、否定され、監視され、束縛され、しまいには刃物、「産まなかったことにしよう」なんて言う。
あなたたちにどんなことされようと、わたしはあなたたちからの本当の愛をずっと求めていたんだよ。
抱きしめられたかった。肯定されたかった。裕福じゃなくても。どこかに行きたいわけじゃなかった。服じゃない、食べ物じゃない、飲み物じゃない。
お父さん、お母さん、あなたたちに認めて欲しかったんだよ。ぬくもりが欲しかったんだよ。泣いてる時に、苦しいときに、悩んでるときに、抱きしめて欲しかったんだよ。家に帰ったら、部屋の電気がついてて、「おかえり」って言ってほしかったんだよ。
いつ怒るかわかんないから怖かった。今も他人が、いつ怒るかわかんないから怖い。
家族って産まれてから一番最初の社会。
これがうまくいかなくて外の世界に出て、うまくいくはずがない。というか、生きにくいと感じるのは当たり前だよね。
ついつい焦ってしまうけど、ぼちぼちやっていこう。
愛犬と自分のために。
かわいがろう、もっと。してほしかったこと、たくさん。
<1262> kahori ■2007年06月24日 日曜日 22時22分12秒
もうそろそろ「原因」から離れて「結果」を自分で作ってゆけるようになろう。家族親戚兄弟、全てと関係を断ち切って2年、それでもまだ少しずつしか彼らとの心理的距離が離れてゆかない。いや、少しずつだけれど離れているのだ。離れて、そして、自立してゆかなければ。自分で親や親戚や兄弟の代わりとなる人間関係を作る努力をするのだ。今でも時々耳鳴りのように母の声で「それでいいのか、生きていていいのか」と私を追い詰める声がする。事実、私に保険金をかけているし、私の死を意識的あるいは無意識的に願っているようだ。…新しい人間関係を作ろう。作ってゆこう。私には欠けているものはない。私に欠陥などない。愛されない理由は私にはない。私を愛してくれる人は、どこかに必ずいるはずだ。
<1261> YUKI ■2007年06月24日 日曜日 01時51分33秒
家族が自分の居場所??なんか違う…あたしの居場所はどこなんだろう…今思えば、ずっと演じてきてた気がする。小学校、中学校といい子を演じてた自分…それをあたしだと思う家族がいる。
本当の自分をだしたら、どんだけ楽なんだろう。だけど、本当の自分がわからない。ずっと演じてきてたあたしはあたしを知らないんだ。
もう疲れたあたしは“いい子”をやめた途端に、お母さんが言った…
「あんたは小学校の時が1番よかったな。自分でも思うやろ。」
…そりゃ“いい子”でいたから、あなたにとっては良かったでしょう。だけどあたしにとっては何にも無い。
何より傷ついたのは、今のあたしを否定された気がしたことだ。なんだか虚しかった。高校・専門と流れに身をまかせてだらだら生きてきた、あたしは確かに前よりダメかもしれない。
でもあたしにとって今が一番、あたしらしい気がする。
それだけなのに…誰も気づいてくれない…

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This script written by Shintaro Wakayama.