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私たちの物語 - 家族過去ログ No.62
メッセージ数:1240件

<1240> アル ■2007年06月01日 金曜日 01時16分51秒
母から外で一緒に食事をしようとメールが来た。
行きたくない。
顔を見ると腹が立つ。
それに何か下心があるのだろう。
また愚痴のはけ口か?いい加減にしてくれ。
<1239> may ■2007年05月29日 火曜日 23時04分22秒
父親から逃れるために母ときょうだいたちと家を離れた時、私は涙が止まらなかった。母のことを殴る父は嫌いだったけど、ひとりぼっちで家に残されてしまうと寂しいだろうと思って悲しかったから。そのとき母は父の自業自得なんだから泣くなと言った。私は混乱した。父はかわいそう。でも母の言うことも正しい。私はお父さんを好きになればいい?嫌いになればいい?嫌いだけど好きだったんだ。それは間違ってる?
<1238> ポム ■2007年05月27日 日曜日 19時12分37秒
私の両親は私が物心つくころから子供の前で怒鳴りあいの喧嘩。普段のときでも二人で話したり、笑ったりは一切なかった。無理して家族旅行とか行っても必ず喧嘩。そんな感じで12歳のとき母が病気で入院。それでも両親は仲が悪いまま。母がどんな状況なのかも話してくれなかった。私はずっと二人に気を使っていた。
18歳のときに両親が離婚した。いつかはすると思っていたけど、喧嘩ばかりだったけど、やっぱり自分の親だから離婚してほしくなかった。でも離婚よりも私を傷つけたのは父と母に言われた一言だった。
「お前は母親(父親)に似てるから嫌いだ」
ふたりに違うときにそれぞれ言われた。もういわれてから10年以上たつけど、いまだに忘れられない。そのときの光景が頭からはなれない。
二人に謝ってほしい。
<1237> てん ■2007年05月26日 土曜日 23時59分22秒
私は今30代。結婚しました。結婚をする前までは、仕事をくそ真面目にして何故かサービス残業も平気。仕事に依存してたと思います。でも、頑張ったのだから評価が欲しい 評価がないとむなしくなる  評価をもらっても、自分が会社の為だけに生きているような気がして更にむなしい。。。そんな風に、好きだったはずの仕事は段々苦痛になりました。結婚を期に辞める事にしました。結婚前は、自分が本当に幸せな家庭を築けるのか内心不安だった。私は、成長期全般の間 ずっと両親が仲悪く喧嘩や暴力の場面を見てきました。そして多感期に離婚 即再婚した母。我慢をし続けてきすぎた私は、すでに本心や本音を押し隠した表面的な子供になっていました。そんなこんなで30歳。不安だったけど、それでも幸せになりたいし幸せな人生を送っていきたい。。。そんな希望から何とか結婚しました。そして、努力しようと動きました。ところがうまくいかないんです。もともと色々うまくいかない人生でしたが、まさかまたここでこんなにつまづくなんて。なんなんだろう?どうして?答えを探している内に自分がACだと自覚しました。性格も症状もその通り。何かあると、いつまでも悲しいトラウマが浮かんできて立ち直れない。ひきづられる。このままでは、これから先も思いやられるし、連鎖してしまうんじゃないか。私は変わりたいと思っている。子供時代は帰ってこないけど、もともと健やかに育ってきた人たちのようにはなれないのだけど。これ以上の苦しみや不幸はもういやだ。幸せになりたい。自分を愛する人を、今更変わることなどない親を、いつかもてたらいい子供を、素直に愛したいな、と思える自分を何にも邪魔されず素直に実行できる自分になりたい。いやなことは水に流して、悲しみはあるけれど、それにこれ以上引きづられて私のこれからの人生を、これ以上犠牲になんかしたくない。どうしたらいいか分からないのだけど、そう思っている。
<1236> MO ■2007年05月20日 日曜日 18時31分31秒
前は仕事がいやで終わったら家に逃げ帰るといった具合だったけど、最近また家に帰るのが嫌。

早く結婚させようとしてくる母親に、生活リズムがだらしないと怒る父親。
家を出るべき時期か。
逃げたい。
<1235> みゆ ■2007年05月16日 水曜日 20時00分39秒
今まで全部親のせいにしてきたけど、もうやめようと思う。そろそろ親離れしよう。 本当はいつまでもあなたたちの子どもでいたい私だけど、そろそろ一人の人間として生きてみようかな。
<1234> アーネスト ■2007年05月09日 水曜日 01時21分42秒
主に、母親からの批判・干渉から逃れるために、防ぐためにいわば防壁を築かなくてはならなかった。最初のうちは彼女の批判を ―それが建設的、破壊的であるかに関わらず― 鵜呑みにすることからはじめた。そしてだんだんと、次に相手は自分にどんないちゃもんをつけてくるのだろう、と「読み取り」を始めるようになった。取り越し苦労または先取り、先読みと言ってもいい。でもそれはしょうがなかったのだと思う。僕はまだ人格が発達途上にあったから、つまり一度出来上がった人格を修正していくのではなく、その途上にあったからこそ「できてしまった」ことだと思っている。それはまるで王様のお抱え画家みたいなもので自分の描きたい絵ではなく、王様が見たい絵ばかりを描いて生涯を閉じるような生き方だ。画家でも、作家でも音楽家でもなんでもいい。自分の創りたい作品ではなく、誰かのニーズを満たすための作品。
<1233> ラビット ■2007年04月27日 金曜日 22時03分57秒
私が笑うとあいつが怒りくるう。なぜならそれは奴にとっては負けを意味するから。恐怖、恐怖、恐怖。成功しては行けない。体の硬直。思考の停止。何事もないように振る舞う家族。恐怖で心が凍りつく。これが私の家庭の真実。
怖いと叫びたい。怖いと叫びたい。怖いと叫びたい。
<1232> アーネスト ■2007年04月25日 水曜日 09時53分12秒
万引きがばれて家に帰ってきた時の母親の鬼のような形相。びしっと張り詰めた空気。そう今、思い出したけど何か意外な感じ。あれ予想に反して怒られるの?っていう・・・今まで家族の他のメンバーに向けられていた怒りがとうとう僕にも向けられた。恐ろしかった。あれほど怒った母親をはじめてみた。怖かった。スーパーに母親が迎えに来て・・あれはたぶん初夏・・・僕はリビングでサザエさんを見ていた。母親は言った。「まずその汚い体を洗い流してきなさい!!」僕はこの言葉をやはり反芻している。10歳の子どもには重過ぎる言葉だったと思う。自分のくそ真面目さ、頑迷な道徳心もこういう影響を受けたのだろうか。彼女の真意が僕にはつかめないが僕はこう解釈している。「あんたは犯罪者だ。そんな奴とは口をきかん。これから説教してやる。でもその前に、そんな犯罪者の汚い体で『ウチ』にあがってこられるのは、迷惑だ。だからお清めをしてこい」。まるで何かの「菌」のように扱われた。拭いがたい汚れ。車にはねられた泥のような外的なものではなく、僕という全人格の中核から、湧き出てきたような、まるで今までそれが僕の中に潜伏していた、つまり生まれつき汚れた人間のように扱われた。もちろん10歳の自分が考えたことではない。一体、10歳の少年は、こんな難解な言葉をどう理解するのだろう?しかし「それってどういう意味?」とは聞かない。僕はシャワーを浴びた。後年、シャワーという短編も書いた。

それはもう人格を根底から否定した発言なのだろう。もちろん彼女に悪意はなかった。彼女も必死だったのだろう、愛する息子がそんなことをしでかしたのだから。そして彼女自身も「汚れている」(と洗脳された)インナーチャイルドを持っているのだから。
<1231> アーネスト ■2007年04月24日 火曜日 17時31分15秒
10歳で万引きをして両親にしかられたとき、2重に傷ついた。そのときの自分の気持ちを汲んでもらえなかったことと、見捨てられそうになったことで。本当に傷ついた。あのころから異様に人目を気にするようになった。そう自覚している。というか昨日、気づいた。

「ママ、ごめんなさい、これからは僕はいい子にするからどうか『あんたはうちの子じゃない!!』なんて言わないで!!」表現は違ったかもしれないが、出かけ先に寝室で着替えている母親にこんなことを言った記憶がある。思えば僕はこのころから今の自分に向けて人格を構成していったような気がする。今の自分もあのころの自分もそう変わらないような ―もちろん外見も体の大きさもぜんぜん違うが、あの事件が僕に落とした暗い影は今もひっそり僕の中にあるような気がする。父親は言った。「俺の時代には万引きなんぞだいそれたことはできなかった。それをお前はどうしてできるんだ!!」なんだそれは。僕は今もこの言葉を反芻している。じゃああなたがこの時代に生きていたら、万引きをしていたのか??「悪いことは悪い」と自分の視点から表現することのできない父親に頼りなさを感じた。彼の言葉にはいつも押し着せられたような脆さがあった。話し方には憤りがあり、凄みを感じるが、説得力が感じられなかった。まるで街中で肩同士がぶつかり「ちゃんと前見て歩けや!!」と怒鳴る人のような不親切さ、自分の責任を度外視し相手にすべての責任をなするりつけるような不快な粘着感を感じた。

あのころのことは僕にはあまり記憶がない。ただ僕は自分が万引きは悪いことだと知ってやったのだ、と信じたい。そうじゃなくそのことを通して言葉にならない呻きを両親に感じてもらいたかったのだと推測している。仕事が忙しく僕に関心を抱かない父、家族の他のメンバーの世話に忙しく僕に注意を寄せない母。そして二人の不仲。そういった事実に僕は問題提起をしたかったのだと思う。それ以前の僕は割りと自由闊達だったような気がする。事件後、僕は他人の目を以上に気にし、母に見捨てられないように、とそれだけを考え、気がついてみたら母の愚痴をよく聞き、家族の問題に常に注意を払うような子になっていた。おとなしく、気が利く子。それは僕のしたい生き方ではなかったような気がする。そしてそれを非常に残念なことと思う。
<1230> ゆうこ ■2007年04月21日 土曜日 13時11分08秒
母はやさしい人だと思っていた。
完璧な母親になりたかったんだろう。でも舅にそれを邪魔された。母は舅の攻撃から自分を守ることで精一杯になり私たちのことどころではなくなった。でも良い母親でいたかったから時に私たちの機嫌をとり、舅の仕打ちに絶えている不幸な自分を見せ付けた。
でも本当に私が母を必要としたとき、あいつは何もしてくれない。
父親はすべてに無関心。仕事に逃げた。今更父親面して子供に相手にされないとすねる。馬鹿か。
両親とも私を馬鹿にすることで自分を保ってた。今まで私は自分の性格は自分が決めてきたものだから、人のせいまして両親のせいにするのは卑怯なことだと思っていた。けど卑怯でも良いから、今は私がこんなつらい思いしてるのはお前らのせいだって言ってやりたい。お前たちは私に自分の責任は自分で取れといったけど、だったら自分たちの足りないところを私で補おうなんてするな。私の不安のない子供時代を返して、私に謝れ。もっと愛されるはずだった時間を返せ。悲しい寂しい。人を信じることが出来ない。こんな私にした責任を取れ。
<1229> ラビット ■2007年04月16日 月曜日 15時13分56秒
手足をじわりじわりと動けなくしていく。そういうやり方だったんだな。そしてあらゆる手段でこちらのてのうちを読みたえず支配し続ける。けどそれをして最後に一体あななたたちには何が得られて残るのですか?
<1228> アーネスト ■2007年04月14日 土曜日 04時18分22秒
あんな卑劣な人たちに負けたくない、あんな人たちの愚劣なプレッシャーに負けたくない、あんな人たちに自分の人生の責任を取らせてたまるか、そう思った。ましてや依存などしたくない、とも。
<1227> とびげり ■2007年04月13日 金曜日 23時55分14秒
いまさら、父も母も精一杯だったんだとわかる。でも私は相変わらず怒るし悲しむ。
沢山の扉の向こうに、その時々の自分の気持ちを追いやった。それらが今になっても過去にならない。消えない。時々いろんなかたちでここにやってきては暴れる。どうしたらいいかわからなくなる。小さい私を抱きしめたくなる。
自分も他人も信じることができない。でも狂おしいほど愛情が欲しくなる。でも私にはそんなことは許されない気がする。
責めるんじゃなくて黙ってみた。親を心で失くしてみた。楽になったけど、心は埋まらない。多分、一生だ。
<1226> ラビット ■2007年04月13日 金曜日 22時07分33秒
なんで俺が鬼の役目なんだろう。毎日毎日心が潰される。父親のエゴのためにどれほど苦しむのか。生かさず殺さず。そしてわかっていて何もせずご機嫌とってる母と姉。もう逃れたい。
<1225> アーネスト ■2007年04月12日 木曜日 10時31分39秒
何も責任転嫁の相手は家族だけではなかったのかもしれない、とふと思った。
僕は家族以外にもいろんな人に責任転嫁してきたんだと思う。ただ、たまたまそばにいて、なんのかのと理由付け、正当化するのが楽だったから親を責めていたのだと思う。ここからスタート
<1224> 前に来ていた者 ■2007年04月10日 火曜日 11時59分41秒
前に来ていた者です。
ずっとACだと自分のこと思ってたけど、何でなのか分らない。
やっと分りましたが、やっと分ったのは片親が亡くなってからでした。
私をいじめた子の近況を聞きました。いじめっ子いじめられっこって
本とに似ているって思った。私の親は躁うつ病だった。あの子の親はうつ病。
すごいいじめられ方したし、今でも心が痛むけど、私もあの頃、
自分の感覚に自信なかったから、からかわれているだけ、こんな事で傷つく
自分がおかしい。神様も自分の運命も呪ってやる。そう思って、いじめられる
ままでいた。傷ついた。やっとこの感覚のずれが分ったときには、こんな
結果でした。
<1223> 海の花 ■2007年04月06日 金曜日 23時25分05秒
あの人(母)は許せない。
ここで、書いていったら、私は楽になっていけるかな。
憎んでいる母親から離れられない自分も嫌い。
母親に取り込まれて成長した私は外の世界に花開いてないんだ。
外の世界が怖い。ポーカーフェイスのふりしているけど怖くて淋しい世界。
母親について何から書けばいいのだろう、ありすぎて難しい。辛い。
私たち子供があなたのところに生まれてから、あなたは不幸で仕方がなかったんだね。
わたしはパパが好きだった。あなたは夫が嫌いだった。
私たちが産まれなかったら別れてた?
あなたは子供の家庭教師と浮気してさ、しばらく別居状態になったよね。
その後、パパが死んだんだ。
そうしたら、あなた、すぐ、欝病、不安神経症になって、私たちにしがみついてきたよね。
そんなこんなで、わたしは体だけ大きくなったけど、人として、愛情、信頼
安心、わからないことばかりだよ。
<1222> HO ■2007年03月29日 木曜日 03時16分43秒
父も母もとても賢い人だ。

父に対して、外面の優しさを家にも持ち込んでいるのか?と思うときがある。
ごくたまに、狡猾で老獪な側面を見せる。
子供達の問題には逃避する傾向がある。
子供達が何か目に見える、解決可能な問題を起してしまったときには優しく助けてくれるのに。
つかみ所のない性格をしていると言える。

母は、物凄く知能が高いらしい。今ではあまりそういう部分を感じることはない。基本的には攻撃性と我の強さで自分を押し通す人だから。
母方の祖父は何でもできる人だったようだ。
祖父のことを自慢げに話すことがある。
母のプライドの高さはこういうところからきているのか?

二人とも次男には弱い。彼は、家では王様のように見える。
母は彼を責め、怒るが、心の奥には恐怖が見える。
父は、彼の心身の弱さを理由に、彼を庇い続ける。彼が悩み、葛藤していることにも気付いている。母と同様彼を恐れているようだ。
彼を擁護するのは、優しさからじゃなく恐怖から来るものなのかもしれない。

彼は、親の庇護の下で自由な生活をしているように見える。
勝手気ままに飲み食いし、趣味に興じ、惰眠を貪っているように見える。
しかし、家族の中で一番縛られているのは彼だ。
本当に自分の生活を楽しめてないのは彼だ。
親から恐れられ、自分の生活に罪悪感を感じ、葛藤や悩みを自分の狭い価値観の中だけで堂々巡りさせて進歩できないでいる。
自分の気持ちを誤魔化し続けている。

僕には、両親の問題、兄の問題に対して責任はない。
僕がどうにかしなきゃいけない、なんて考える必要はない。
自分を犠牲にしてまで彼らの問題を解決しなきゃいけない義務はない。
自分のできる範囲で彼らと接していくだけ。

神という言葉はあまり使いたくないけど、神様、どうか彼らに心の平安を。
僕や彼らに、自分の魂を救う強さを。
<1221> ラビット ■2007年03月27日 火曜日 00時43分20秒
いかれてる。家は自営業で家族全員で働いている。自己愛型でワーカホリックの父と共依存の母親、イネイブラーの姉とスケープゴートの私。けどこれは28歳になってようやく気付いた。父親には昔から肉体的、精神的暴力をうけていたが(今も)それが虐待と受け入れることが出来なかった。でも小学生の頃から殺意を持ってた。大人になったらボコボコにしてやると思っていた。けどダブルバインドと共依存により今まで気付くことができなかった。そして今家族の誰も信用できなくなったままスケープゴートから抜けられない。

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This script written by Shintaro Wakayama.