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私たちの物語 - 家族過去ログ No.58
メッセージ数:1159件

<1159> しろくろ ■2006年10月19日 木曜日 01時07分41秒
この世に一体どれだけの正常に機能している家族があるのだろうか。「正常に機能する」なんてきっと夢まぼろしに過ぎない。
どんな親も親と言う役を離れればただの人間。
間違いもすれば、的外れなことを正しいと思い込んだりする。
それに、子育ては誰もが初心者であり、これが正しい子育てだなんてモデルをきちんと知っている人のほうが珍しいんじゃないか。

もちろん、子供に様々な虐待を加える奴らは論外だけれどね。

だから、あなたが私に対して行ったり行わなかったりしたことは、もう仕方がないとあきらめるしかないと思っています。
あなたも、親から満足に愛してもらえなかったようですからどう子供を愛していいのかわからなかったのは仕方が無かったですよ。
私で試行錯誤して満足した作品には仕上がらなかったけれど、弟は上手に仕上げたんだもん。上出来だよ。
私は、弟を尊敬するよ。
自分の家族をとても大切にしていて、奥さんも子供もとても愛している感じがあふれているものね。
でも、私と弟と間の秘密知ってる?
あなたたちが喧嘩するたびに、私たちはその声がなるべく聞こえないように、無関心になろうとしていたけれど、その声がますます大きくなり、いつもより長引いていたときはさすがにどきどきして、自分たちの部屋からでて、あなたたちの声をおそるおそる聞いていたことを。私と弟はそれぞれに部屋を持っていたし、お互いにあまり関心がなかったから、自分たちが親に対してどうおもっているかを話し合ったことは無かったけれど、そのときは顔を見合わせてどちらとも無くため息ついてしまったよ。
まだ、小学生だったっけ私たち。
弟は、きっと自分はこんな家庭にしたくないって幼心に刻み付けたかもしれないね。

暴力って言ったって、成績が悪かったときや、あなたの気分を害するようなことをしたときにあなたが気が済むまでたたかれまくったぐらいだから、大したこと無いんだけれどさ、でもあなたが怒って手を上げるとびくっとなって手で頭をかばうしぐさをしてしまっていたってことは、結構頻繁だったんだよね。でも、
まあ、そんなことどの家庭でも良くあることなんだよね。
だからかもしれないけれど、私つい夫に手を上げてしまうんだよね。
これはやめなくちゃね。

あなたはとてもやさしい人なんだと思うよ。
けれど、自分に害が及ばない限りっていう場合だけね。
私、本当に苦しくつらい悩みなんて決してあなたに打ち明けたこと無いんだよね。
だって、あたなたはきっとあなたの許容範囲を超えた悩みや苦しみを受け止めることができなから。
弟が万引きで捕まったときの嘆きようったらすごかったもんね。
少しからだの具合が悪いだけで重病人になったかのように大騒ぎするし。
そう、度量が無いって事?
面倒くさいことや大変なこと、精神的に大きなショックを受けるようなことが人生の中で何度と無く起こっていて、今も大変な事態の真っ最中なのに
それを自分のこととしていまだに受け入れられない、受け取れない、受け取ってそれを自分の中で噛み砕き消化し人間形成の糧としてこれなかったことが
あなたの未熟な人間性を作り出しているのでしょうね。
人生死ぬまで勉強って言うけれど
あなたはそんな気はさらさら無いみたいね。

私はあなたに感謝しなくてはいけないと思う。
人とのコミュニケーションをとるのが下手で、友達がいなくて苦しいけれど、
うつ症状があってこの世に存在すること事態を厭うような精神状態に陥っていることも、様々な問題が起こっていてそれを乗り越えるため鬱憤を晴らすようにわざとかそうでないのかわからないけれど私が傷つき苦しむような相談や愚痴を聞かせたりすることや、そのたもろもろのことが
強い私を作り出そうとしていることを。

いままで私は甘えに甘えてきた。
あなたにも世間にも。
頼りがいの無いあなたに甘えるって少し矛盾しているかもしれないけれど、その頼りない人間だっていっぱしに生きていられるんだから、私だってあなたぐらい世間に甘えたっていいじゃない?って思っていたってこと。

でも、もう甘えていられないと自分に檄を飛ばさないといけないと自覚できたこと。
このまま何も自分を変えようとしないで、何も反省しないで、何も受け入れようとしなければあなたのような人間になってしまう。
それは、絶対に嫌だ。
あなたのようには絶対になりたくない。

それに気づかせてくれたんだもん。

感謝しています。

でも、まだあなたを受け入れ、愛し、尊敬し、親として当然面倒をみなくては、というところまで成長していないの。
だから、もう少し甘えながらそれでも叱咤激励しながら自分を鍛え続けます。
そうすれば、何年か後にはもう少しまともな人間に育っているかも。
いえ、育てなくてはならないのです。

頑張るね。

<1158> U1 ■2006年10月16日 月曜日 23時23分10秒
親になり損ねたお母さんへ

あなたは自分の弱さを守って、僕の心を犠牲にしてきました。
子供の頃いつも不機嫌そうにしていたこと。
子供に怒った事をあなた自身がやっていなかった事。
良い結果は当たり前のように受け流され、悪い結果は厳しく追及された事。
自分に都合の悪い事を言われたら、それ以上に相手を悪く言おうとする事。

そういうあなたの態度に僕は傷つき、自分や社会への信頼感を築けないまま大人になりました。

そしていま、自分の中にいるあなたという破壊魔に向かって宣言します。

あなたは親になり損ねた子供だと。

僕に本当の意味での親はいなかった。

いまでもそれを認められないあなたとの関係に、これ以上僕の時間も感情も注げません。

育ててくれてありがとう。
物質的には恵まれていたけれど、感情的にはとても寂しい親子でしたね。

さようなら。。
<1157> アーネスト ■2006年10月14日 土曜日 06時28分40秒
いろいろな人の話を聞いていくうちに、今はね親のことを理解したいと思うようになってきている。理解というか和解かな。それは、別に自分の辛かった気持ちをわかってもらうとか、受け入れてもらうとかそういうことじゃなくて・・・なんていうのかな。親だって所詮は人間で、私という人間の全人生の責任主体でもない。言って見れば、友達や教師、同僚、先輩など今までの人生で会ってきた『他人の一人』と言えるような気もするから。

僕が見たくないのは、この数年間、特に父にものすごく精神的、経済的、身体的に負担をかけてしまったということ。それでも相変わらず、適当な理由をつけてそこは見ないようにしてる。『他人』なのだから、『他人』にそこまでの負担をかけたり、借りを作るのは、やはり今の自分の価値観に反しているから。そこが今、自分が矛盾してるとこ。

理解したいって思った。あの人たちも、病んでいたんだって。僕は今、仕事で親と同じような、似たような立場にいるけれど、初めから、子どもを忌避したりしたいわけじゃないから。頭ではわかるんだよ。感情的に納得できないだけで。だからこれを超えていきたい。そう思う。
<1156> 泣っく泣っく ■2006年10月12日 木曜日 08時54分47秒
いや〜だめだね、今日はついに書けなかったよ「2006春野より秋 子供の成長願って落下傘」をね。おかげで10.6ハッスル大阪編もあたしゃ全然手つけられなかったしね。
自分でもわかってる思考停止して書けなかった理由をね。だってそれが「痛みを訴えている」チャイルドからのサインであって、当然そこに今の自分が一番認めたくない、と同時に親に分かってほしかった大事な物があり、それをこうして活字にして表現することに自分の内面奥深くでかなりの心理的抵抗があるんだってね。そして何かこうして書いてても涙出てくるよあたしゃ。
認めなくちゃいけないんだ。でも逃げたいよ。正直逃げたい。いくら偉そうなこと言っても逃げたいものは逃げたい。それが痛みと対面している自分の偽らざる心境で「何でこんな自虐的な思いしなくても、今は(急な寂しさにも飲み込まれないようにまでなった自分は昔と比べたら大分)安定してるしいいんじゃねぇか」とも思うよ。
でもあるんだよそこに寂しさが。どうしようもない寂しさが。はっきりと内面奥から「ここにあるんだよ」って傷付いたままのチャイルドが意識の私に教えてくれている。
それにずーっと気付かず、気付けず、結果的に自分は逃げてきた。無視してきた。例えそれが虐待の傷を緩和させる又は凍結させる精神的防御だったとしてもね。自分は逃げてきた。ずーっと逃げてきた。認めたくないけど逃げてきた。
そしてずーっと自分の感情を私は置いてきぼりにしてきた。感情の存在も気付かないほど意識の深い深いところへ私は自分の傷を置き去りにしてきた。そして何時しか置いてきたことさえも忘れ、結果的に無視するような形になっていた。
そして今チャイルドへの罪悪感からか、こうして機能するもの、素直なものに触れる度に自分の中で何かが融けて行き、融けた以上はその剥き出しになりつつあるものと今度は意識の上で自分は対峙しなければいけない。それが自然の摂理であり、今がその融け続ける時期なのだ。
向き合うよ。何回逃げても自分は「逃げた」と認めまた戻ってきて向き合うよ。
でもね、「そうしなくちゃ」と頭じゃ分かっていてもやっぱ辛いもんは辛いよ。なんでこんなに辛いのか!と思うくらい辛いよ。それは日頃「かなりの量の感情を書き込まないと納得できない」自分の指先・思考を停止させるのだからかなりの痛みだよ今回は。
もちろん今までの自分の経験からこれを本当の意味で受け入れたら「受け入れた分だけ暖かいものが返ってきてまたひとつ上のステージに行ける」とわかっちゃいるけど、それでも今回はちょっと1回や2回では飲み込めないくらいの、それこそ噛むことさえ苦痛な代物で、たぶん時間が掛かるだろう。よって10.6ハッスル大阪は後回しだ。
幸い今日は午後私が信頼できるカウンセラーと、そのあと「No.1ACがいる」グループで素直なACに私は出逢えるので、そうした安心して嘆ける場で「これが何処から来ているのか?」そして「内面の傷付いた子供はどういう言葉を欲しているのか?」私は内面奥深くに刺さったナイフをゆっくりと抜きながらケアに務めたいと思う。
ホント今回の影響であたしゃかなり涙腺緩んだよ。それは自分の場合それだけ感情が自由になった証拠でもあり、同時にまだまだ言葉にして吐き出さなくちゃいけないものがたくさん無意識に眠っている証拠でもあるんだけどね。
向き合うしかないやね。先行く仲間も同じことやってるし。奇策も応急処置も効かないしね。「誤魔化さずとことん向き合う」それだけだね。
<1155> ptmakko ■2006年10月06日 金曜日 17時07分29秒
今の今まで父からの音信は一切ありません。完全無視です。
少しは期待してました。(馬鹿ですね、私も)人間として何か反応があるかなと。

それまではお土産を持って行ったり温泉に連れて行ったり、外面上は普通に接してました。もう歳老いているのだから許さなければと、自分を納得させようとしていたんです。

でも、ついに自分を誤魔化し続けることができなくなりました。
まだまだ時間がかかると思いますが、楽になるつもりです。

楽になりましょう!

<1154> 純 ■2006年10月03日 火曜日 09時36分14秒
私もつい最近「毒になる親」を読みました。
私はもうすでに、両親へどれ程傷付いて来たのか訴えるだけ訴えてきました。
でも、やはり、「そんな覚えは無いとか、お前が秘密主義だから悪い」などと言われ・・・消化不良を起こしてしまいました。
それなのに・・・・
馬鹿な私は、両親の役に立とうと考えたり心裏腹で誕生日のプレゼントを一番嫌いな母親に贈ったりと自分を苦しめ続けてしまいます。
もうそんな事は辞めます・・・!!!
楽になりたいよ・・・。 
<1153> ptmakko ■2006年09月26日 火曜日 14時22分37秒
今日、父に「毒になる親」ハードカバー本と、私のブログアドレスが届きます。私は対決に手紙ではなく、ブログを使いました。

多分返事はこないと思いますが、ブログを書いているうちに、私の上に君臨していた父が、ただの小心者の偏屈じじいであることが認識でき、クソのようなあの家族を思い出しても段々動揺が少なくなってきました。

母は亡くなってしまい、父ももう歳だし、と思い、今まで何もできなかったけれど、思いきって書いてみてよかったと思います。

http://kakomirai.exblog.jp/
<1152> 黎 ■2006年09月24日 日曜日 17時28分05秒
「あたし」が、「あたしだ」と思うところまでが
確かに「あたし」なのだと。
誰かに決めてもらうものではないのだと。
それならば。
誰かの不幸せと、あたしの不幸せを
天秤にかけることはできない。
誰かの家族とあたしの家族を
比較することだってできない。
誰かの恋人とあたしの恋人を
比べたってなんになるの。
だから。
誰かに指図されることは、できない。
あたしが、「これじゃ駄目だ」
と思ったときからが、やっとスタート。
あたしが、決めればいいことだ。
あたしを責めないで。
あたしを、追い立てないで。
<1151> しっぽ ■2006年09月24日 日曜日 02時51分05秒
どうしたらいいんだろう。
皆はあなたはまだ幸せな方だって言う。だから何なんだろう?
こんなに訳わからず苦しいのに。
甘えてばかりいるって言われても…。甘えさせてくれもせずによくそんなこと言えるね。親に甘えて誰に甘えるというの?
離れなきゃいけないのに、物質的にも精神的にももう離れられなくなってる。
自分のことは置き去りだ。
これからどうしたらいいんだろう。

<1150> アーネスト ■2006年09月23日 土曜日 00時46分10秒
ことあるごとに、家族との接触を持った。何か聞きたいとき、そうすれば早いから関わりを持った。あとで苦味を味わった。どうして拘わってしまったんだろう?ずっとその繰り返しだった。何か自分が変わり始めるとき、変わった自分を家族にわかってもうおう(?)として、取り残したくなくて(?)「報告」してた。それを手放すのは死ぬほど怖い。なぜなら自分が変わっても、もうそのことによって家族を変えようとするのをあきらめることを受け入れるから。自分が変わることが、家族を変えるためでなく、純粋に自分が変わるための動機だから。見返りを求めないから。でも変えざるをえ無くなった
<1149> YUKIE ■2006年09月22日 金曜日 22時28分57秒
まだ縛られるんだろうか。まだ私が悪い?まだ?まだ?

一度は許容したことを、どうして覆そうとするのだろう。
あなたが良かれと思ってする発言、行動、その端々から匂い立つ矛盾が、
浮上しかけた私をまた底辺へと押し戻す。私は何もできなくなる。

あなたはいつも、あなたが思う「我が子」像で私を縛った。
あなたの許容範囲を私たちきょうだいが超えようとすると、
あなたは必死で、自分の理解できる範疇まで私たちを制御しようとした。

今もあなたは、私の生きていく道を縛ろうとしているのね。
口では自由を認めながら、心が認めていないからそういう矛盾で縛るのね。
その度に私がどれだけ不安になるか、どれだけ自分を責めるか、
あなたは一生気づかないでしょう。きっと気づきたくないのでしょう。

あなたにこんなことを話したところで、あなたは理解しきれない。
私が病気になってまで訴えたかった痛みも、あなたは直視することすらできずに
自分の痛みの訴えにすりかえてしまった。私はいつも宙ぶらりんだ。
あなたが弱いから、私は自分の弱さをこらえていつも我慢する。
あなたが弱いから。あなたが弱いから。あなたが弱いから。
それを叩きつけたら、あなたが壊れてしまう。

私は大人のふりをしなきゃいけなかった。
私は大人でない自分を責めて生きてきた。
私は大人になれない自分を今も責めている。

あなたの弱さが、憎いです。
お母さん。
<1148> 青 ■2006年09月20日 水曜日 12時53分10秒
一通の手紙を見つけた。それは、父親が母親へ私が生まれる3年前のラブレターだった。内容は、最初の一枚目がとても丁寧なお礼の手紙。その次の二枚目から、母への想いでいっぱいの文面が広がっていた。

何十年も経てば、人の気持ちも離れていくかもしれない。けれど、私以上に母親である彼女の気持ちを分かっているのは、恐らく私ではなく父であると思った。父親に送ろう、その送る手紙には今までの気持ちを出来るだけ書き綴ろう。そう思いました。

家族がバラバラでも、家族ではなくなっても、私は関係ではなく存在を信じて生きたい。きっと、母親の涙は母親としてではなく、妻としてだったのかもしれない。通じ合えないと悩み、苦しんで、耐え抜いて…諦めてしまった=閉ざしてしまったのだろうと思う。私は何とかしてみたい、私だけは諦めたくは無いから。
<1147> アーネスト ■2006年09月13日 水曜日 22時49分13秒
忘れていた母のこと。

AC自覚してから、もう既にこの世にいなかった母親に対して自分は正直なところ、どう思っているのだろうと考えていたが、今年の6月ころキヅイタのは「口惜しい」という感情だった。もちろん恨み、伝えたい悲しみ、いろいろ今まで書いてきたが、一番強かったのは口惜しさのように感じられた。

今はもうこの世にいなくて、実際にそういう気持ちを直に伝えられない、彼女の不在に残念さを感じた。これは妙なことだった。恨みよりも何よりも、会って話せないことのほうが残念に思えたのだから。
<1146> まーち ■2006年09月03日 日曜日 01時49分43秒
いつも不機嫌で怒鳴ったり殴ったりする、そして私を小さいころから「気ちがい」と否定する父。
ベタベタされるのが嫌いだからと小さいころから甘えさせず、ずっと私を認めてくれない母。
障害者だからってわがままばかりの兄。
私はそんな家族にずっと認められたかった。
でも自殺しようとしたり、自立できなかったり、迷惑ばかりかけて・・
認めてもらうことができない。
こんなに家族に迷惑をかける自分は、本当に自分は最悪な人間だって思う。
でも・・・・・
自分がACじゃないかって思うようになって、自分に起こっていた問題を「自分のせい」にするのをやめるようにしてみた。
そしたら、親のことを少し恨んだ。
でも同時に、親にもいろいろ問題があって子供の私にこんなふうに接してたんだってわかった気もする。
明日になれば、また鬱な自分がでてしまうかもしれないけど。
家族から離れて、自分を好きになってみようと思う。


<1145> タカ ■2006年09月01日 金曜日 21時52分30秒
中二のとき母が死んだ
親父はその日を酒を飲んでいた
親戚から援助してもらった。
また酒が原因で借金を作った
親戚はみんな片親で僕ら兄弟を育てている父の味方だ
誰も僕ら兄弟のことを助けてはくれないくせに説教してくる
本音をまじめに話すことなん家できない
冗談半分に言うしかない
でももう限界だ
<1144> ever ■2006年09月01日 金曜日 11時25分55秒
原因不明の高熱が出た。
ベッドに横になるだけで精一杯だった。
翌日母に話したら、頭を冷やさなかった事を指摘され、
馬鹿にされ、せせら笑われた。
労わりの言葉は全くなし。
この人は母親なんかじゃないと思った。
<1143> アル ■2006年09月01日 金曜日 09時49分06秒
私は誰の子供にもなりたくなかった。
<1142> July ■2006年09月01日 金曜日 02時49分55秒
私はなぜ家族の中で孤立しているの?
親族の中で浮いてるのはなぜ?
家族って何?
世間一般の人が言う家族なんてどれも幻想だ。私には考えられない世界だ。
家族の絆なんてクソくらい。
最も憎むべき人間は母親。
人の物を勝手に見る。日記も手紙も何もかも私の見ていないところで見ていた。そして自分の機嫌が悪くなるとその内容を引き合いに出して私を小ばかにする。なぜそういうことをするんだろう。理解できない。何が楽しいの?何がしたいの?家族だから別にいいでしょとあんたは言った。人権侵害なんて偉そうなこと言うなとも。今私がそのことを言ってもどうせあんたはいつも通り知らないフリするんだろうね。ヒステリー起こして怒り狂って誰の手にも負えない。結局あんたの機嫌が直ればそれで問題は解決する。家庭内の平和は母親の機嫌に左右された。父親も手が出せない。心理の勉強していた割には母親の扱いが下手だった。よく分からない。死んでしまったからどうしようもないけど父のことも嫌いだった。なぜ嫌いだったのか分からない。いつから喋らなくなったのだろう。父が居なくても別に悲しくない。母親と父親の仲も悪かった。喧嘩は私が幼いときからだった。殺すとか死ぬとか何とか言い争ってる現場を見たのを覚えている。クソ。2人の間に何があったのか私は知らない。母親は悲劇のヒロインぶって自分の苦労話をする。そんなの知ったこっちゃない。
姉がどういう人間なのかも分からない。
頭がいいということしか知らない。意味も分からず避けられた。衣服が触れただけで嫌な顔をされる。私が何をした?
ろくに口をきかない。その現場を目の当たりにしながら何も言わない親。私は何なんだ?ずっと比較された。できのいい姉と。勉強しろと言われ続けた。むりやり勉強させられた。姉はいつも褒められていた。今でも一家の期待の星だ。私がドジを踏んだら祖父はやっぱりお前は何をやってもダメだと冷たく言った。勉強ができれば親も誰も何も言わない。勉強ができなければ生きてはいけなかった。勉強のでき不出来でしか評価されなかった。どこの誰からも。良い成績をとらなきゃ進学できない。テストを受けるのが恐くなった。カンニングもした。自分の力が分からなくなった。自分のための勉強などではなかった。そんな自分が許せなくてリスカに走った。自分の弱さを、能力のなさを呪った。うちの家族は裏表の差がありすぎる。心配していると見せかけて人を侮辱したり痛めつけることを平気でしたりする。何もかも一時的なものだ。愛情とか優しさとかは全部見せかけだ。
本当の人の優しさが分からない。
誰かを大切にしたい気持ちが分からない。
愛が分からない。
悲しいよ。
どうして私だけ?
こんな腐った家族さっさと無くなればいいんだ。
<1141> 泣っく泣っく ■2006年08月30日 水曜日 12時23分34秒
〈1140)のつづき どうやら今日中に遊園地まで私は書き終えそうだ。し、書き終えないとまだまだ別件で私は書き込みたいことがあるし、特に来週&来月は何かと忙しいのでさっさと済ませたい(でも詳細に書かないと気が済まない私)。では第9部「お姉さん嘘ついて心配させてごめんなさい」スタート!

閉園まであと30分ない。フリーパスの元はまだこの時点では取っていなかっただろう。とにかく子供の手を引っ張って観覧車のある遊園地内奥に向かう私。
そして「おいしいものは最後」が基本の私は観覧車を後回しにし、とにかく乗れるものは乗っていった。
ここで私の遊園地内最大の失敗というか、悔やみがあって、それは発車前の機関車風アトラクションの乗り場で並んでいた時にRが「トイレに行って来る」と言って走って行き、その間私はTの手を繋いで待っていたのだが、発車時刻になってもRは戻って来れず、私も「降りようか否か?」迷ったが、「もしRが乗り遅れても1周してから、どうしてもRが『乗りたい』って言うんなら再度一緒に乗ろう。Rも小学校3年だし、しっかりしてるから迷子にはならずにちゃんと乗り場で待っているだろう」の判断から私は間に合わなかったRを置いてTと一緒に乗り物に乗ったのだが、乗ってみたらホント子供だましみたいなちゃちな内容で、所要時間は5分もなかったろう。
しかしその数分後戻って来た時に見たRの顔は、やはり「(短時間といえど)誰も知り合いがいない所に一人置いていかれた不安・寂しさ」があった。それを感じた時「あちゃー、やっぱトイレも一緒に付いてってあげるんだったわ。つっ失敗だったなぁ。遊園地来て子供に寂しい思いさせたんじゃ何しに来たのかわかんねぇもんな。ほんと失敗、思い遣りが足りなかったわ俺。せっかくここまでいい調子で来れてたと思ったのに、最後の最後で油断しちゃったわ。つっまだまだ甘いね。常に子供のこと考えなきゃな」ホント後悔しきりでした。
一応そのことを私はRに謝った上で乗れなかった物に乗りたいか?聞きましたが、Rも残り時間が少ないのを分かっていて首を振り、「最後私あれ乗りたい」と(私の「最後の希望」観覧車ではなく)サイクル式の空中遊具?を指名しました。Tも「僕も僕も」 それに対してちょっと大人気ない?引率者の私は「あれ? 観覧車の方が良くない? 観覧車だと夜景が綺麗だよ」と水を向けるも、まだまだSEXYじゃないRは男心が分からず「だってR観覧車嫌い」 私「何で?」 「だって高いところやだ」 (「ゲッ じゃ何のためにあなた達をお母さんに嘘言ってまで連れてきたのよ。ショックー」)
先ほどRを寂しくさせた負い目もあって、ここは我を引っ込めRとTの要望を私は飲みました。でも観覧車ほどじゃないにしろ、遊園地内高台の空中サイクリングからみた光の群れもなかなかお洒落でした。
蛍の光が流れ始める中、もう最後なので2人乗りサイクリングを思いっきり漕ぐ子供たち。それを後ろから囃し立てる私。できればこのまま子供たちから貰い受ける暖かい雰囲気を私は持続し続けたかったのですが、もう時間、降り場は目の前です。戻ってガチャンと音がした瞬間に楽しかった時間は終わり、最後Tははしゃぎ過ぎて足が痛くなり、私に「おんぶして」 で私もRと手を繋ぎながらTをおんぶして駐車場へ。
しかし子供は飽くなき者で、最後射的コーナー前で最後のおねだり。でも私は「今日はもうお終い。また今度着た時に寄ってあげるからね。だから今日はもうお家に帰ろうね」と粘るRを諭し、Rもそれ以上駄々を捏ねず無事遊園地を出たのでした。
時刻は21:00。車に戻った子供たちは遊び疲れて後部フラットシートで早くもお寝んねモード。
そしてここからが表題の「お姉さんごめんなさい」なのですが、私は母親からお子さんたちを預かる時に「その都度連絡しますから」と約束しといて、勝手に子供たちを遊園地に連れて来て、尚且つ私は「子供たちと迷子にならないよう、怪我させないよう」それしか頭になく、携帯を車内に置いて来たことをすっかり忘れていて、見ると20回近い母親からの「心配している」着信履歴があり「あちゃー。ヤバ。速攻で謝んなくちゃ」と謝る前に、怒られない友人Tに先に「無事遊園地出てこれから帰る」ことを伝えてから母親である姉の方に私は電話。当然お冠です。「何処行ってたの?」と聞かれたもんで「ああっあのぉ浜名湖付近で遊んでいて・・自分携帯車ん中に忘れて来たことさえ忘れちゃって連絡しなくて心配お掛けしてすみませんでした」と恐る恐る言い訳し、(もちろんそんな約束破って心配掛けた私に対して怒ってはいるが、弟の友人ゆえキツクは怒り辛い)姉は「Rはいる? R出して」 でRに替わると再度「何処行ってたの?」の母親の問いに正直者で罪悪感のない娘Rは「パルパル」(「あちゃー隠しておきたかったのに何で言っちゃうかなもう」諦めた私) 母親「パルパル? あんたパルパル行ってたの?Kさんと? お金はどうしたの?」 R「K君」 母「Kさんに代わって」 私「すみません、あのぉそういうわけで?遊園地行っちゃったんです、すみません」 母「いえいえこちらこそすみません、子供のわがまま聞いてもらっちゃって」 私「いや、あの、自分も一度パルパル行ってみたかったんで、それでつい、そのぉ」 母「
で今何処にいるんです?」 私「子供たちがアパートの方戻りたいって言うんで都田に向かってるんですけど」 母「今そっちに誰もいなくて、私(子供たち心配して)春野に来てるんですよ。すみませんけど春野まで来てもらえますか?」 私「わかりました」 母「それとTは?」 私「もう後部座席で寝ちゃってます」 母「それだったらTオネショするかもしれないので途中でおしっこさせてもらえますか?」 私「わかりました」 母「じゃすみませんけど春野までよろしくお願いします」 私「わかりました。あと1時間くらい、22:30にはそちらに着けると思いますので」 母「よろしくお願いします」
その後私は友人Tにその旨伝えると、なんとTも私を信用していたのか?暢気なのか?私が子供たち遊園地に連れて行ったことをそれとなく姉に伝えるのを忘れてしまってたらしく「あっごめんごめん、忘れてた」と電話の向こうで笑ってた。まっいっか今更。「でも一応お姉さんかなり怒ってたみたいだから、悪いけど「K君大分謝ってたよ」ってお姉さんに言っといてもらえる?」とお願いしてもT「大事だって。だってしょうがないだら(浜松弁)。確かに電話なかったのはあれだし、俺も忘れちゃったけど、TもRもK君に連れてってもらえて1日遊んで楽しかったんだら? だったらいいじゃん?」 私「そりゃそうかもしんないけどさぁ」 T「大丈夫だって。まっ一応俺からも姉貴に言っとくから。K君は心配しなくてもいいよ」 私「ん〜まぁお願いしますよ」 T「じゃ気を付けて帰ってきてね」 私「うん。で、そちらに着くまで何回か連絡入れるよ。そうすれば焼け石に水かもしんないけどお姉さんも少しはあれかもしんないし」 T「おぉ、そうしてくれると助かるね」 私「んじゃそういうことでまた」
で予定通りの22:30過ぎ、無事(Tのオネショもなく)私は子供たちを眠ったまま無傷で春野に帰し、早速迎えに出たお姉さんに謝りました。やはり母親として私に対して怒りを抑えている表情で、子を持つ親としては当然です16時から21時まで5時間も我が子の行方が分からなかったのですから。その間どれほど彼女が心配だったかは20回に亘る着信履歴が物語っていて、如何なる理由にせよ何ら連絡しなかった私に弁解の余地はありません。し、辛うじて失踪届けを出されていなかった分だけ、未だ私がお姉さんに信じてもらっていた?証拠かもしれませんが、子供と自分の欲求を優先させた余り母親を心配の局地にさせたのは全て私の責任であり、良かれと思って姉弟にしてあげたことも、翌朝母親から改めて怒られるRとTを遠目に見て私は「自分の思い上がり?」に胸が痛みました。
連れて行かなければ行かないでR・T姉弟との楽しい時間はなかったであろうし、行ったら行ったで母親の許可貰ってはまず無理だったろうし(私が母親でもそこまでしてもらうのは気の毒でやはり鍾乳洞止まりでしょう。でもそれだと子供たちは面白くないし)、良くも悪くも今回はいい勉強になりました。
そしてこうした貴重な経験は機能不全家族で育った私にとって今後2度とできないかもしれませんが、改めて友人T家族一同に私はお礼と謝罪を述べて今日は終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。そして多大なるご迷惑をお掛けして真に申し訳ありませんでした。

                   
                   完 

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