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私たちの物語 - 家族過去ログ No.57
メッセージ数:1136件

<1136> 泣っく泣っく ■2006年08月30日 水曜日 10時09分44秒
〈1139〉のつづき 夏休みもあと2日なので私は今日中に仕上げたい(夏休み中に宿題やり遂げたことが記憶では1回しかない泣っく泣っく)。では第8部「やめてくれぇぇぇ目が回るぅぅぅ おぇっ」スタート!

子供は手加減を知らない。遥か昔の私もそうだったのか?ACの私は記憶が定かでないが、目の前のRとTはパワー全開だ。容赦ない。
それは光り輝くメリーゴーランド内の出来事。私は子供たちと馬に乗りたかったのだが、奴らは何故かコーヒーカップ? で子供たちを優先させてしまう私。その「子供時代に満たされなかった」甘さが禍してカップに乗ったのが失敗だった。それは自分たちの手で回せる(回転速度を速められる)もので、嬉しくて猿のように回す彼ら。最初は私も「所詮子供のすること。いくら回した所で大した事あるまい」と高をくくっていたのだが、予想に反してというか、物理の法則よろしくカップは加速度的に回転速度を上げていく。「? ? もしかしてヤバイ?」 周りには子供を見守る親たちの目線。それを意識して私も「大の大人がこれしきで気持ち悪くなってたまるか」と思うものの、「大人をやっつけたい」悪魔の如き笑顔でカップに勢いをつけるガキども。これが自分の子供なら首を絞めてその笑顔を苦痛に変えてやりたいくらいだ。
結果何とか私は子供の無邪気な拷問に耐えられたものの、少し目が回ってア〜ンド気持ち悪くなった。そして昼飯食べてから私は何も食っていなかったから良かったものの、食後に乗ったら必ず吐いていただろう。にも拘わらずガキたちはケロッとしてそんな私を笑っている「いったいどうなってるんだお前らの神経は?」 長かったその拷問。実際には3分なかったと思うが、「餓鬼共の前でギブアップしたら後々何て言われるか?」私は春野町友人宅でのポジショニングを心配しつつ、内心「いつまで続くんだ、早く停めてくれぇ」と回転しながら祈っていた。
そんな休みたい私にお構いなしに「次これ」と穏やかじゃないアトラクションをねだるRとT。今は悪魔にすら見える。特に「錯覚の部屋」の出口。マジで私は気持ち悪くなりました。平静を装うのがいっぱいいっぱいでした。クソがきめぇ。
そして時刻は20:00をまわり閉園まであと1時間ない。し、まだ私の観覧車にも乗っていない。にも拘わらずRは「早くゲーセン行かないと(自分たち小さい子供が入れる)時間制限になっちゃうよ。早く早く」と回復しきっていない私の手を引っ張り走らせる「おぇっ」 堪えて走りつつ私は「あれ? 遊園地内で時間制限なんてあったっけ?」と思うも、急かされるのと気持ち悪いののダブルパンチで思考回路がきちんと働かない。
で着きました子供らお目当てのゲーセン。最初Rはクレーンゲームをしていたのだが、「流行の着せ替えゲームが如何なる物か?」乙女心を掴みたい私は言葉巧みにRを誘導してラブべりに、Tは虫キングに。幸いカードゲームは一箇所に横一列に並んでいて引率者も子供の動向に注意しやすい配置になっている。いいぞパルパル。
でRにやってもらいました「ラブ&ベリー」! 
結果から言おう。完全に女心を掴んでいる。儲かる!
理由その1.女性にとって自分のファッションセンスが試され、いくら相手がゲームとはいえ、それを否定されるのは常に美しくありたい女性にとって凄〜く屈辱的。その心理を逆手に取った恐ろしいゲームだ。だから女性は勝つまで、自分のセンスが認められるまでやる。

理由その2.その勝つまでやろうにも基本的にカードが最低でも100枚以上ないと勝利は難しい。Rの隣に座った女の子は、バッグから何を出すのか?と見ていたらその子が集めたぶ厚いアイテム帳を取り出し、余裕綽々で勝利していた。然るにRは家に帰ればたくさんカードがあるが、帰ったら母親にゲーセン行きがばれてしまう。でも残りの手持ちは\500。買えるカードは5枚。これじゃ(負けず嫌いらしい)Rでも宝くじ並にいいカードに巡り逢わないと勝てない。(虫キングなら少なくてもそこそこ楽しめるが)。そして勝つためには最低でもその必須アイテムであるカードが100枚は必要と見た。1枚\100。単純に100X100で\10,000は必要だ! 気が付いたら\10,000! 私なら迷わず風俗直行だろう。
でRがなけなしの\500で手に入れた最初のカードはモコモコヘアー。簡単に言うとストUの春利のような中国式?お団子頭だ! となると似合うのはチャイナ関係でまとめるしかないだろう。当然そんな都合良く次のカードが出てくれるわけもなく、結局出てきたのは(正式名称は忘れたが)ショッキングピンクのキャミ?と編み編みヒールとか、全然ちぐはぐな物ばかりだ。故にRは5戦全敗。別にRのセンスが悪いわけではなく、ただカードを持ち合わせていないだけの話なのだが、上記の何処ぞの女の子はささっとやって来てささっと勝つ。それと比較すると初めから条件が整っていないRはかわいそうだ。
まっRはRで初めからカードがない=負けを見越してやっていたみたいだが、引率者としてはやっぱ不憫でならない。そんな不憫な姉に目もくれず脇の方で目の前の虫キングに夢中な弟T。やっぱ男の子。そして自分が誘導した負い目もあって、なんとか少しでもRにいい目を見せてやりたくて私はRに\500援助。速攻コンティニューするR。そしてそんな姉弟間に差が生じる時だけ「僕も」と目ざとい弟T。ぼうっとしているようで嗅覚鋭いぞ。
そんな私の援助も虚しく結局Rはラブべりで勝てなかったのだが、以外に最後はさばさばしていて引率者の私としては助かった。それも母親譲りの強気のお陰か? 

そんなファンタジーな時刻は20:30を回り。閉園まで30分ない。
果たして本当に乗れるのか観覧車?


つづく
<1135> 泣っく泣っく ■2006年08月30日 水曜日 08時25分45秒
〈1138〉のつづき 第7部「親よりも子供を優先させてしまう・(結果的に)してしまった私」

目の前に人参ぶら提げられた馬の如く、子供たちの&私の心は既にパルパルに向かっている。問題は如何にして彼らの母親Mに誤魔化し嘘言って行くかなのだが、ここでギリギリの折り合いを発見! それは「お姉さんには内緒というか、これから子供たち連れてパルパル行こうと思うんだけど。浜名湖付近で遊んでくるとか細部をぼかしてお姉さんに言うんで、(正直)言ったら当然拒否されるの目に見えてるし、だもんでそのへんT君と口裏合わせて、後でT君からお姉さんにうま〜く言っといてもらえる?」と子供たちの親族であるTに了承を得ることだ。
してツーカーのTから一応「パルパルに(母親から無断で)子供たちを連れて行く」ことの了承を得、そのあと私は何とか母親Mにシドロモドロのいい訳(強引に誤魔化す)して、多少の罪悪感・引っ掛かりを感じながらも子供たちを乗せ浜名湖沿いにパルパルに向かったのでした。「う〜ん良かったのかなぁこれで?」
当然子供たちは大はしゃぎです。彼らにとっては数年ぶり2度目?、私にとっては初めてで心ワクワクです。
で着いたのが17:00前。最初私は自然と遊園地内駐車場に車を停めようとしたのですが、値段が\800ということで徒歩1分のホテル前無料駐車場に停車。セコイです。
車から降りると弟Tは「僕(浜名湖で足で漕ぐ白鳥型)ボートに乗りたい」と言ったのですが、そのお値段(割安感の有無)と湖上を渡る風の強さから金庫番の私は「今日は止めといて、また風が静かな日にしようね」と言ってもTは「やだやだ、僕ボート乗る」 その困った私にお姉ちゃんRの援護「だめだよT。今日はK君の言うこと聞くの。じゃないとTゲームさせてもらえないよ」 渋々了解するT。 ん〜援護になっているのかいないのか、とりあえず子供らしさは全開です。
そうして早速のトラブルを未然に処理して、子供たちの手を引っ張って向かったチケット売り場。運良く16:00以降は割安のフリーパス(これだけは子供も大人と同額なのは私的にちと解せぬも)\2,500ということで、もちろん私は3枚ゲット。そして私の頭の中は既に観覧車が回っていました。
で入園して一番最初に目に飛び込んできたのがゲーセン! 獲物を見つけた如くダッシュしようとするRとTに腕を引っ張られる私。「こんな所で金使ったら何のためにフリーパス買ったのか分からない。元は取らなきゃ。ゲーセンはその後だ」の思いから私は何とか姉弟を「また後で寄るからね。今は先に乗り物乗ろうね」と言うも、しっかり者の姉Rは嘘つき前科(1134参照)のある私に約束させないと気が済まないらしく「絶対? 絶対また寄ってくれる? 約束だよ」と指切りげんまんを求め、私も「ん〜しつこい女だ」と思いつつ指切りげんまん。だめだ子供に勝てない。
そして2番目のトラブルも何とかクリアしてやっとアトラクションコーナーへと思ったのだが、ここにも「フリーパスの効かない」メダル使用の射的場あ〜んど掬い物ゲーム! くそっ(子供に振り回される大人ができるだけ金を落とさせるよう)上手い作りになっている。
景品取りゲームが大好きなRとT「やりたいやりたい」の連呼で、もう彼らの欲求を抑えることは不可能だ。ここで抑えたら彼らは思いっきり駄々を捏ね、引率者の私は周りの視線で恥ずかしい思いをさせられるのが予想できたので、かと言って際限なく子供にやらせたらフリーパス買った意味がなくなってしまう。だから私は「一人\500分だけね」と「同\1,000分やりたかった」彼らを説き伏せ、一刻も早くフリーパスを使いたい私は射的をせず、引率者として「子供たちが目の届かないところに行かないよう」常に2人の位置がわかる場所から子供たちを見ていた。結果Tは景品取れご機嫌「上手だねぇ」だったが、Rは取れず「残念だったね」しょ気ていた。 ん〜神経使うよ。でもかわいい子供たち。
でそれぞれ\500使い果たしやっとアトラクション。ここで母親役がいない問題点が出た。それは4人じゃなく3人、端数ってことだ。Tは「僕これ乗りたい」Rは「Rはあっちがいい」と子供らしい自分優先主義発動だ。でも意外と私は冷静に(チャイルドのお陰?)「さっきの鍾乳洞内の肩車はRが先だったから今度はTが先ね。その後でRの好きなのに乗るから、それでいい?」と小さなお姫様Rに伺い立てたらRも納得。 ふー さー元取るぞ。
途中Rが「K君と2人でこれ(ミニジェットコースター)乗りたい」と(私にとっても嬉しいことを)言ったのだが、それだとTが置き去り又は一人で乗らなくちゃいけない(寂しい思いをさせる)ので、私は「やっぱ姉弟で一緒に乗った方が後々絆を深くする意味でもいいよな」と思い、何とか言葉を駆使して?彼ら姉弟で乗ってもらった。それに対して感情をはっきり出すRがぶすっとするのかと私は心配したが、結果2人とも笑顔で乗り終えたので良かった。
でも子供は飽きっぽい。引率者兼金庫番の私に対して再度の射的要求だ。特に負けず嫌い?のRは先ほどの景品なしが面白くないらしく、今度はかなり強気に私に迫ってくる。で「1人\1,000までね」と折れてしまった私。ん〜
流石に今度はTの真似をして比較的景品が取れ易い物を狙う「母親似か?」したたかな少女R、見事いくつか景品をゲット。一方Tは相変わらず欲張らない堅実主義。たぶんあの(温和な)父親似だろう。
でここでも見事彼らは軍資金を使い切って、再度アトラクションコーナーへ。なんぼも乗っていないのに射的に時間を費やされ、時刻は19:00回って閉園まであと2時間ない。「元は取らなきゃ。観覧車だけは絶対乗らなきゃ」の私と「最後にゲーセン」の彼ら。果たして私は甘い夢(だった)をもう一度見ることができるのか? そして「ラブ&ベリー」の行方は? 

ワクワクして第8部「やっと終わったよ」につづく  こうご期待。
<1134> 泣っく泣っく ■2006年08月30日 水曜日 05時44分48秒
こんばんは皆さん。今の私はちとテンション低いですが、楽しかった夏の思い出を書いていくうちに回復してくるでしょう。
それではお待たせしました〈1137〉のつづき 第6部「涼しくないぞ鍾乳洞」の始まりです。VTRスタート!

忘れもしない、茹だるような盆の昼過ぎに子供2人乗せて向かった龍臥覗堂。頭の中は既にIt's Cool!
しか〜し、しかしだ。世の中考えることは一緒で、お目当ての鍾乳洞は駐車場に向かう幹線道路から早くも渋滞!「ゲッ」 甘く見てました。
で私は機転を利かせ順番待ちの駐車場ではなくトイレ用駐車場に車を停め、「鍾乳洞よりはゲーセン」の子供2人の手を繋いでチケット売り場へ。ここも行列です。料金は大人\600・子供\350だったかな?
ホント小さい子供は手を繋いでいないと何処行っちゃうのか分かったもんじゃないです。姉Mと市野のジャスコで飯食った時も駐車場で私と手を繋いでいるにも拘わらず弟Tいきなり走り出そうとするし。一瞬ひやっとしました。ほんと神経使うよ。まっそれも子供相手なのだから当たり前ですがね。
で話は鍾乳洞入り口に戻って、なぜかお客さん牛歩の歩み。最初私は「洞窟内かなり狭いのかな?」と思ったのですが、それも甘かったです、あの駐車場の混みようを考えれば。
結果を先に言いましょう。通路が狭いのもあって入り口から出口まで観光客の多さで大渋滞! 人の体温で洞窟内大して涼しくありませんでした。信じられないかもしれませんが事実です。せっかく涼を求めて来たのに「マジかよオイ」 それに私の場合、傍から見ると父親と子供2人で母親いない。「あぁ周りから父子家庭、離婚家族と見られてんのかなぁ? そう考えるとちと辛いもんがあるねぇ」と苦笑い。
でもいいこともありました。狭い洞窟内で頭上にスペースがある場所でRが「ねぇねぇK君、Rのこと肩車してぇ」 それを聞いたTも「お姉ちゃんずるい僕も」と、姉弟で「擬似お父さん役の私の肩車優先権」をめぐり喧嘩を始めようとして、私も「かわいいもんだな子供は」と思いつつ後から要求したTを「次はTだからちょっと待っててね」と宥め賺し、要求が先だったRを最初に肩車(はっきり言う子は得?)しなんか私は凄くいい気分でした「もしかして俺ってお父さん役こなせてる?」 その姉が肩車されていい気分の間少しブーたれていたTでしたが、私も会話で相手し、次の頭上にスペースある場所で肩車されるとTは上機嫌でした。
ほんと子供は正直ですし、そういう風に素直に自分の感情を出せるように育てた親も立派です。っていうか、私の育った機能不全がおかし過ぎるだけなのかもしれませんがね。何故なら機能する家族で育った人には正常進化が当たり前であるものの、私は(そうしたまともな人たちからみれば)異常変形が当たり前で、「(そうした正常進化の土台である)ありのまま受け止めるとはいかなるものか?」生育暦上経験したことがありませんでしたから、仕方のないことです。算数教わっていないのに上の数学はできないでしょ。
話は鍾乳洞出口に進んで、最後はお約束の土産物売り場。幸い店内も大した広さじゃなく、RとTが子供よろしく興味本位のまま動いても「何処にいるのか?」引率者に把握できる広さで私は助かり、また彼らの小遣いがゲーセン用の\500だけだったので「それも不憫だなぁ」と思い、私は「\1,500ぐらいまでだったら(自腹で「父親体験させてくれたお礼に」)お土産買ってもいいよ」と彼らの好きにさせました。
そしてここでも姉弟の性格の差がはっきり出て、はっきり物言うRは2回迷っただけですぐ土産物を選びましたが、優柔不断?なTは幾度となく迷い、結局Tは土産物選ぶのに15分以上掛かりましたが、その間私は「早くしなさい」とは一度も急かさずに「ホントにこれでいいの?」とTが納得いくまで土産物を選ばせました。
因みにアンモナイト(45cm級)の化石のお値段はいくらだと思いますか?(答えは最後に)
で無事子供たちのお土産買って時刻を見たら16:00前。私たち一行が洞窟に入ったのが確か15:00前後だったから、そこから買い物の時間を省くと正味30分少々? それもあの洞窟内大渋滞で? ちゅうことは空いていたら10分掛からない? 昔行った福島・阿武隈洞と比べるとかなり短い滞在時間でした。
その想定(2時間くらいは楽しめるのかな?)外の短さに私は「じゃ(まだ日は高いし、もう少しこの子たちと接していたいから)どうすっか?」と子供たちに希望を尋ねると即座に「ゲーセン」「(ゲーセンある)ジャスコ行こう」の応え。 う〜ん子供らしい答えです。確かに今回の作戦の最大の目的は「いい歳したおっさんなのに私は子供利用して今流行の『ラブべり』やる! そして乙女心ゲット!」なのですが、お楽しみにはまだまだ早い時間です。 
そしてそんな私の脳裏の片隅には「浜名湖遊園地パルパルで観覧車に乗って、あのドキドキした小樽観覧車内での前カノとのチューを思い出す」という、30過ぎても真に未練たらたらで非常に女々しい計画がありました。もちろんそんなことは露にも出さず、如何にも「何でも子供の望みを叶えてくれる好い小父さん」ぶって子供たちへの常套句「パルパル行く?」を出すと、食いついてくる食いついてくる。ホント欲望に対してピラニアの如きです子供は。
でもこれは彼らの母親であるMには「時間余ったら遊園地行くかもしれない」とすら言ってない私の思いつきのことで、懸念されるのは母親として当然「いいよいいよそこまでしなくても、鍾乳洞だけで十分だから。後は春野に戻ってKさん好きなことしてよ。そこまで子供たちにつき合わせちゃKさんに悪いもん」のお約束の答え。だけど好きなことしたくても時間が夕方ということでもう中途半端だし、こうして子供たちと出掛ける前から「午後は(自分が経験できなかったものを疑似体験するため)ずっと子供たちと一緒(にいたい)」と私は思っていたし、また「じゃ子供の要求通りゲーセン行ったとしても、教育上っつうか、お金も母親から貰った小遣い\500だけじゃあっという間に使い切って、彼らも『もっとやりたいぃ』で際限ないだろうし。自分の経験でも\2,000くらい使わないとゲーセンじゃ満足しなかったし。どうせお金使う(自分がどの道出す又は出さざるを得ない)んだったらやっぱ思い出になるものの方がいいよなぁ、ゲーセンは何時でも行けるんだからさ。となるとやっぱ遊園地だよな。で問題はどうやって母親Mの了解得るかなんだけど、ん〜難しいねぇ。親に黙って(遊園地)行くのも(他人の子供を連れている以上)気が引けるし。かといって体裁上親も『うん』とは言わんだろうしねぇ。でも子供たちも私も遊園地行きたいし、(格好つけるなら)忙しい彼らの親に代わって自分が、また『昔叶えられなかった、自分がほしかった夏休みの思い出として』この子達を連れてってあげたい。だけど親がなぁ・・・ 問題はどうやって誤魔化すかだよな? 何かいい方法ないかね?」


果たしてどうなる遊園地行き?  つづく

文中質問の答えは約\70,000です。たっかー。
<1133> 泣っく泣っく ■2006年08月27日 日曜日 16時37分42秒
今回の私の秘めた目的、それが第5部「ABCDいい感じじゃない♪ ABCD   EVERYDAY EVERYBODY♪」 もちろん副題は(ダンスを踊りながら)「女心を擽っちゃうぞラブ&ベリー!」 

フッフッフ どうだ? 初っ端からビビッたか? たじろいだか?
この日のために日夜?私は友人姉弟夫婦の子供たちをお菓子でもって手懐けてきたのだ。甘く見るなよ。
ではVTRスタート!

煩い親もいない、おまけに同年代の親戚の子もいなくなってしまったRとT。その有り余ったハイパワーを持て余し、朝から「どこか連れてってよ」連発。「くそー姉夫婦はこれを見越していたんだな! ホンマやられたわ」 そんな子供のおねだりに「俺今日仕事入っちゃってて」と取って付けたような用事を言う友人Tと「ばぁばも忙しいの」の母親。そんな「自分たちの夏休みの要求を聞いてもらえない」Rは既にキレ気味だ「何時だってそうじゃん。にぃに(友人Tのこと)もNにぃに(大阪に帰った弟N)も『どこか連れてってやるよ』って言っておいて、RとT何処にも連れてってくれないじゃん。R怒ってるんだよ」 ホントはっきり言う子だR。子供を置いて帰ってしまった姉Mも小さい時はこうだったのか?
で「子供の相手は俺一人? 大人一人で子供二人?」の危険を感じた私は友人Tに「仕事って何?(俺一人にしないでよ)」と疑惑の質問をぶつけると、T「天竜川で灯篭流すんで今日それ作らなくちゃいけなくて。で何時終わるか分かんないし」と苦笑いしながら(「大義名分あるんで俺は逃れたぞ」が見え見えで、多少)申し訳なさそうに答える。何も言えない私「しまった! 諮られたわ」 必然的に残った選択肢は一つで、周りの雰囲気も「Kさんお客さんで暇だし、子供の相手してもらえると助かるんだけどなぁ」 そして子供たちも「今日はK君が『自分たちの要求を呑む』遊び相手」とはっきり認識したらしく、「ねぇ何処行く何処行く?」と殺気の不機嫌モードは何処へやら?私に纏わり付いてくる。「重ぉ」顔を歪める私。「流石にこのペースで付き合わされたんじゃいくら体力あってもヘトヘトだ。何かいい案ないか?」と思い巡らしていたところ、運良く静岡新聞に鍾乳洞の記事が!「こりゃナイス。涼しいし、子供に振り回されないし、お金もそんなに使わなくて済む。バッチグー! 3拍子揃ってんじゃん。で場所はどこかな? おっここから車で1時間掛からんねぇ(浜松訛り)。よしこれで決まり」
時刻は11:00。一応友人Tに鍾乳洞の話をし「おっそれいいじゃん」と了解もらい、さらに私は「で、お姉さんにも了解取りたいんだけど」とお願いして電話繋いでもらい、姉Mも最初は「いいよいいよ、Kさんは好きなことしてて。子供らは勝手に遊んどるから」と母親としてお約束を述べていたのだが、私も私で子供らを鍾乳洞に連れて行かないと「振り回され体力消耗」が待ち受けているので、「いや大丈夫です。私も行ったことないし、個人的に行ってみたいんで」とお約束を返し、「悪いねぇKさん。そうしてもらえると子供たちも喜ぶし(自分が親なのに世話押し付けた格好になって)すいませんねぇ」と本音が見え隠れ。で自分も「一応、というか人様の子供預かるんで、あの、心配されないよう(現地)着いたら電話しますし、出る時も電話します」 「あぁ助かります」で話が進み、お昼子供2人を連れて春野を出た私たちと姉の計4人で市野のジャスコで飯食って、買い物する姉(浜松市内在住)を置いて3人で龍臥嗣洞(漢字間違っているかも)へ向かったのだった。
そしてこの時既に私とR・Tの間に(親抜きの)密約が交わされていて、それが表題の「ラブ&ベリー」あ〜んど「虫キング」 要は涼んだ後ジャスコに戻って(親に内緒で)ゲーセン行こう!って話だ。
ん〜何で子供はこんなにゲームが好きなんだろう? そしてそんな子供も大人になると何故「勉強しなさい」と言うのだろう? 自分が勉強嫌いだったくせに。まさしく世界共通?未来永遠の謎だ。

で真面目な話に戻る。そんな浮かれた子供たちを助手席に乗せて(私の車キャンピングカーは前3人乗り。もちろんシートベルトさせて)鍾乳洞に向かっていた時「いいなぁ。これが幸せなんだなぁ」と暖かい感じがしたら、次に内面奥から前触れもなくチャイルドの声「自分も親にこうしてほしかった。自分の感情・欲求を聴いてほしかった」が上がって来て、私は耐え切れず、また助手席の子供たちに気付かれないように涙してしまった。
それは「嬉しさと悲しさ」その両方が混じった涙だった。暖かく包んであげるから凍ったものが融けてくる。そして痛みをわかってもらえた安心感。それが意識の上で精神の安定に繋がり、心のケアにもなる。だから私は傷付いたままの感情を押し留めずそのまま涙として放出するし、そうした私の姿勢を無意識から観ているからこうしてチャイルドも信頼して何時何処でも痛みを出してくれるのだ。
泣くこと(感情を自由にすること)に躊躇わない。痛みを手放す準備(どんな虐待があったとしても全て受け入れる覚悟)が完全に出来ている。それが今の自分、後戻りしない強さを持った自分だ。だからこうして一気に感情に力が付くのだ。


今日はもうグループに行く(その前に温泉入る)時間なので、残念だけど今日はここまで。
読んでくれた皆には一度自分と逢えばわかるよ、その内面から出る強いエネルギーが! それがワンダーチャイルド! 進化した(回復成長の軌道に乗った)インナーチャイルドだ! 自分で経験したからよくわかったよ。インスピレーションを研ぎ澄ませ! さらばだ、グッドラック!
<1132> 泣っく泣っく ■2006年08月27日 日曜日 14時53分40秒
〈1135〉のつづき 題して「おいおい、姉夫婦子供置いて帰っちゃったよ!」

(1135)で書き忘れたのだが、友人Tと私が浜松での買い物から帰宅中に
電話でRが「お母さん帰っちゃった。あとお父さんも」と言っていたのだが、最初はTと私も「んな馬鹿な。所詮子供の言う事だし、まさかそんな事ねぇだろ」と大して気にせず春野に着くと・・・いない。何処見ても姉夫婦の車がない! 「マジかよおい? じゃ子供の相手誰すんのよ? やられたわ!『子供を(暇な独身男のいる、それも2人の)実家に預けて自分たち夫婦はのんびり過ごす』計画的犯罪だ!」があったのだ。

話は戻って、そんな「うざったい親がいなくなってのびのびしている」Rとのじゃれ合い?も終わって、私は一人風呂に入ったのだが、脱衣場でRの弟Tが(既に裸のまま背を向け洗っている)私を見ているのに気付き、その「(お父さん帰っちゃって『父親代わりと見た』私と一緒に入りたいけど)初めてなのでどう声掛けていいのかわからない」Tの不安な表情から「もしかしてお風呂一緒に入りたいのかな?」と察して、私は立ち竦むTに「お風呂一緒に入る?」と声掛けたらTも「うん」と答え笑顔になった。たぶん私も笑顔だったろう。
子供は正直だ。し、その感情を大人が汲み取ってあげねばいけない。そしてその感情が機能する人間になるために、私はこうして「機能する家庭で育った」子供たちから学ばせてもらっているのだ。
話は戻って、「30過ぎて未だ独身の私は擬似父親体験でTの背中を洗ってあげたかったが、「初めてだし、他人の子だしな」と思い、私は先に洗って入浴しながらTが洗っているのを眺めていた。そして「一緒に入浴したいな」とも私は思ったが、なにぶん友人宅の風呂は狭く、「どうしようかな? 交互に出ようかな?」と一人思いあぐねていたら、Tが淵を跨いで入ってきた。安心したTの表情、で仲良く入浴。そして「あぁ、子供と一緒に居るとホント落ち着くなぁ。父親になったら(残業で遅くならなければ)毎日これができるのか? (機能する)家族っていいよなぁ」で心も温まった数分後、脱衣場でもTは自分で体を拭き拭きし、私は「おりこうさんだね」 

ここで一言。〈1134〉まで私は姉Rのことだけ書いて来たが、弟Tともお馬さんごっこや裏山散策などして一緒に遊んでいて、そうした子供たちとの触れ合いを書こうとすると、どうしても父親似で大人しめのTは(母親似で口達者の)Rと比べサプライズとハプニングが少なく、文章を面白くする意味で私は書かなかっただけで、私からすればどちらもかわいい。

そんなかわいい二人と私は(親が居ないのをいいことに)夜添い寝したかったが、「それもな」と思い、結局子供たちは友人の母親ばぁばと一緒に寝た。
翌朝、寝相の悪い二人を発見「やっぱ子供だね」


切のいいところで第5部「(今度こそ)遊園地」につづく
<1131> すいし ■2006年08月26日 土曜日 00時46分59秒
ははが急に不機嫌になり怒り出した。みんなと笑い話してたのに。
気味が悪いほど。だっていつもニコニコしている人なのに。こわい。
なんかムカついた。不満があるならそういえばいいのに。
あんなにがむしゃらにやらずに自分の世話をちゃんとすればいいのに。
そうすればかんしゃく起こさずにすむのに。
そういえば両親ともああいったかんしゃくを起こす人だ。
自分自身のことがよくわかってない。人のことばかり言うくせに自分だって似たようなものなのに。
親だからって子供ならやっていいって思ってるその権力バカなところが尊敬できない理由なんだよ。
すごく不快な気分になった。子供のころのたまらなく不安な気分だ。
私はまたこの枠から逃れられないでいる。もう上手くいってますなんてフリはうんざりだよ。でも囚われたからだは動けない。助けて。
<1130> 泣っく泣っく ■2006年08月25日 金曜日 11時03分44秒
近日中に、構想1週間「2006夏 浜名湖から愛を込めて」(副題は「お壌ちゃん、その年で俺に恋すると妬けどするよ」を数部構成でお届けする。内容は今盆に私が接した機能する友人家族とその子供たちとの触れ合い物語だ(ロマンスあり?&風俗なし)。こうご期待!

そして今日はそんな素晴らしいものを経験したが故の私のささやかな決意表明。
もう失感情症の痛みを取り戻すための自虐的同居はお終い。あの家にいくら居たところで決して心のケアにはならないし、なりようがないことが浜松の経験後私はよ〜くわかった。だから多少条件に満たなくても、9月中に会社から最寄の駅近辺に私は引越する! それが「寂しさをケアしてほしい」インナーチャイルドと私の約束だ。 別に一人暮らしは初めてじゃなく、学生・社会人と数回私は経験しているので大したことじゃない。
寂しさと向き合え。逃げるな。手を繋いで抱きしめろ。 暖めた分だけ子供はきちんと返してくれるから。 グッドラック!
<1129> goronta ■2006年08月23日 水曜日 10時09分23秒
両親もまた、機能不全家族の中で育った子供。
だから、自然な愛情を知らない。共依存しか知らない。そしてまた不健康な心の家族を作った。

長女だった私は20年間、お母さんの夫役であり、カウンセラーであり、親であり、励まし役だった。母から毎日毎日、夫(つまりは私の父)への愚痴・不平不満の雨が私に降った。そうしてそれは「苦しんでいるお母さんを救って」という悲痛な洪水となって私を飲み込んだ。自分でも「可哀想なお母さん」を助けたいと「私は泣きたい程思って」いた。
事実、出来る事はなんでも実行した。

だけどね。
ある日いっぱいいっぱいになっちゃったんだよ、お母さん。
私もう本当にへとへとなんだ。

私はそれで決めました。
お母さんを捨てる事を。私にとって「アナタは私のかけがえの無いお母さん」という愛着を全て捨てて「関係無い余所のオバさん」と思う事にしましょう。
冷たいお父さんの事は、既に15年前に捨てた。
最初はあんな父でも捨てるのは苦しかったけど、今はすっかりやり遂げて、とても心は平穏。「余所のオジさん」となんら変わり無く、お父さんとフツーに会話出来る。深い同情心や共感は無く、ただ客観的にオジさんを見ながら。

だけど少し困っちゃうのはね、お母さんはスゴくしつこいんだよね。
こっちが捨てても捨てても、追い縋って来るだろうね。
だけど、私も幸せになりたい。これは文字通りサバイバル。
そのために、お母さんの脅しや甘えは一切受け付けないつもり。

大丈夫、お父さんの時も出来たんだから。
自分の心を大事にしてれば、時間だってちゃんと味方してくれる。
<1128> saki ■2006年08月22日 火曜日 20時09分10秒
親の期待に答えようと何も言わず頑張ってきた空手
はじめたのも期待に答えたかったから
一生懸命何も言わず頑張っても成果が出なかった
上がるのは階級だけ
「本当に真面目にやってるの?」
「結果が出ないのは何もしないからでしょ」
「もっと頑張ってよ」
…頑張ってるよ
もうやめたかった
期待に答えたかったってさり気なく言ったら…

「別に期待してないけど」

じゃあ何で空手なんてやってって頼んだの?
強いのってそんなに大事?
表向き強くなっても私自身は弱くなる一方だよ
期待に添えなくてごめんなさい
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…

もう疲れました
<1127> kiki ■2006年08月22日 火曜日 00時00分01秒
自分が機能不全の父の元で育ったと最近実感してから、父に対する見方が変わってきた。今までは親孝行しないといけないとか、めんどうを見ないといけないとか思ってきたけど。今までのことを振り返ってみたら、ほったらかしにされて、受け止めてもらえず愛されてなかったことに気づいてた。
憎らしいというか・・・。話したくないと思うようになった。今まででも話す話題は人の噂話や悪口。私のことを馬鹿にしている。がんばっても褒めてくれない。なんでも自分の都合が悪いことは人のせいにする。屁理屈が多い。もううんざり。。自分が小さいころの写真は一枚もない。父が撮ってくれた写真はない。学校の行事だけの写真しかない。自分が不憫で悲しい。
自分で自分を愛していくしかないのかな。

以前のような親孝行しないといけないという気持ちはなくなった。
これでいいのかな?わからなくなってきた。
<1126> sky ■2006年08月21日 月曜日 16時39分12秒
結婚してやっと親から逃れられると思ったら、親の強い希望で同居が始まった
けど周囲には私が強く希望した、と言いふらしてるらしい
私が仕事を辞めることについて今日母親から「辞めたらアンタ1日中家にいるの?」と
言われ「まだわからない」と言うと「若いのに体がなまっちゃうね」と言われた
ねえ、ねえ 自分はずーっと専業主婦よね? 私が専業主婦になったらまずいの?
自分は働こうとせずに娘である私が働いて当たり前なのね
どれだけ私に甘えるつもり?
「今まで誰の金で大きくなったと思ってるんだ」「今まで育ててもらったお礼をしろ」って
普通に言う父親も狂ってるって最近ようやくわかった
だから両親の周りには誰も寄り付かない 
自分の親だから認めたくなかったけど 自分らのことばかりしか考えて無い
私の幸せなんてぜんぜん考えてない 私は一体何者? 父親の恋人? 母親の分身?
夫は「お前はお前でしかない」って抱きしめてくれる その言葉にどれだけ救われてきたか
同居してるだけでも親孝行だと思っているのに自分らの言いなりにならなかったら
「お前は冷たい」と 今までその言葉にびくびくしてたけど、もううんざり
冷たい娘で構わない 私は私 夫と幸せになろう 
<1125> neko ■2006年08月21日 月曜日 04時59分43秒
子供のころ、父から常に罵声を浴びせられていたことは、未だに抜け出せないトラウマ。
何をしても認めてもらえなかった。母も「誰が食わしてやっているんだ」と、子供ながらに理不尽な理由で怒鳴りつけられた。私は、母のような人生を送りたくないと思った。
いつも冷たく固い表情の母には、「あんたがそうやって反抗ばかりしているから、私が怒られる」といわれた。誰も守ってはくれなかった。

今、私は一人の人間として、父の人生にも母の人生にも尊敬すら覚える。
貧困、戦争、病、差別など理不尽な目にあい続けても、
人生を生き抜いた。子供を3人育てて、家も建てた。
私にはまねのできないことだから、それなりに偉い人だったのだろう。
母は今、父の遺族年金と父の立てた家で平和に老後を楽しんでいる。
ただ、関心はない。あまり感謝もしていない。
私は私の人生を生きるから、もう、関係ない。当てにもしない。
自分の好きなように生きてくれ。最低限の子としての義務は果たすから。

義理の両親に対しても、そして夫にも、もう勝手にしてくれ、と思うだけ。
あなたたちの、その場その場の適当な言葉に振り回されていた私はバカだった。
私は私の人生を生きるから。こんな嫁を追い出したいなら、そうすればいい。

しかし、今も、「人間のくず」「疫病神」と、
父に浴びせられたフレーズを自分に向かって心の中で言ってしまう。
未だに、そのときの怒りが、私の中にどす黒い塊となって、
私の感情や判断を狂わせている。
昔、舅・姑にされた理不尽な仕打ちも、
あの人たちは変わらない、もう、ほっとく、と、脇に寄せることにしたが
時々、ちょっとしたきっかけで怒りが再燃する。

そう、今私が感じているのは、過去の怒り。
今ここの現実に感じている怒りではない。

もう、私は昔の私ではない。
私は私の生き方、あり方を選ぶことができる。
私の弱さを支えてくれる、あらゆる資源を活用させてもらいながら
寿命まで生き抜く。
<1124> rody ■2006年08月18日 金曜日 12時33分03秒
私が3年間通った心療内科に母と一緒に行った時のこと。

「この子は親にうまく甘えることが出来ずにずっと来たんですよ、
 限界まで頑張らないと認められないと思っているから、
 倒れるまでやってしまう」

そう言った主治医の言葉をその時は神妙な顔つきで聞いていたけれど、
帰り道、
「先生は結局あんた側からしか物を見ないから・・・」
と言った。
確かにそうかもしれない。けれど、少なからず、そういう部分もあることは
事実なんじゃないの?
悲しかった。もし頼れていたら?こんな風になっているの?

今これを振り返ると、親が憎いと思う。
どうしてわからないの?私はあなた達を引き下げたり、傷つけたりする存在じゃないんだよ?
私は、あなた達の子供だったんだよ?無力な小学生に何を要求するっていうの?
仕事が大変だったとか、余裕が無かったとか、そういうことを言う前に
言う言葉あるでしょう?
「辛い思いさせてごめんね、皆辛かったね」
どうしてその一言が言えないんだろう。。。
それが彼らなんだろう・・・。それが私の親なんだろう・・・。
謝ると自分の足元まで崩れてしまうとでも思っているの?
けど、あなた達のしたことは謝る必要のないことなの?
<1123> rody ■2006年08月16日 水曜日 20時43分36秒
ご飯を一人で自分の部屋で食べていたこと。
五人家族だったのにね。
お弁当のおかずがいつも冷凍食品と卵焼きの二品だったこと。
恥ずかしかった。
少しでも、安心して寄り添っていられる時があれば良かったのに。
私は家族のこと、誰も信用して無かった。。
むしろ苦手だし、怖かったし、いつ傷つけられるかとビクビクしてた。
家族って、人が一番安心して過ごせる場所じゃなかったの?
今も、頼れる人たちだとは思っていない。困った人たちだ。。
あなたたちがいると、辛いよ・・・。

けど。嫁ぐ新しい家族は、本当に温かいから。
私はそっちの家族を大切にする。。
私に温かい気持ちをくれた彼を、大事にする。

100%恨んでない。けどね、辛かったんだ。。本当に辛くて、
結婚前にいろいろ振り返ると、泣けてくることが多過ぎるんだ。。
悪夢みたいな家族との時間。もう絶対戻りたくない。
<1122> 廉 ■2006年08月15日 火曜日 18時18分40秒
私は自由になりたい。
私は私を愛してあげたい。
今まで家族の利己的な感情の犠牲にされてきた私を自由にしてあげたい。
だから、今度は私があなたたちを犠牲にする番。
これが間違った選択肢であったとしても構わない。
私は私を私として愛してあげるために、あなたたちを憎むことが、必要なの。
憎んでいます。
恨んでいます。
私をこんな私にしたあなたたちを、私は憎んでいます。
大嫌いだ!

私は自由になりたい。
あなたたちに植え付けられた醜い価値観から、自由になりたい。
私は私を好きになってあげたい。
もう小さくてなにも拒否出来ない子供じゃないんだから。
私にはもう彼氏も友達も会社の先輩もいっぱいいる。
私の世界は家族だけじゃないんだ。
自由になりたい。
私を自由にしてください。
あなたたちの犠牲には、もうならない。
<1121> sky ■2006年08月09日 水曜日 09時49分02秒
母は一体私をどうしたいんだろう?
母の狭い価値観で縛り付けられ、裏切らないように
演技してたけどもう限界かもしれない
お願いだから私に固執しないで
もっと自分で地に足をつけて もっと強くなって
最近特に「アンタに怒られたら怖いから」って言うけど
私が感情を出して怒ったら、
落ち込んで酒に溺れるあなたのほうが怖いから
ぜんぜん怒ってないのに
酔っぱらって「早く逝ってあげるからね」って笑いながら
言うの怖過ぎる
これから先ずっと私の顔色伺って生きていくの?
1日中何やってるの? 何のために生きてるの?
自分で働いて自立して生きていこうって気持ちはないの?
内職でもいいじゃない 「内職はみじめ過ぎる」ってプライドは何?
「いつでも青色テントで暮らせる」って本気で言ってるの?
母を見てると悲しくなってくる

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This script written by Shintaro Wakayama.