今日こちらにお邪魔する前、私は会社近くの公衆浴場(\350で作りはそれなり)に入って来たのだが、入浴前その銭湯向かいの床屋の前で(そこの家族と思われる)親子4人が仲良く花火をしていた。その光景を見て一言「いいなぁ羨ましいよ」 そして「うちは親子で花火したことなんかあったんだろうか? あるにはあったんだろうが小さい私にとって楽しい思い出じゃなかったみたい(感情が死んでいたせいもあるが)でよく思い出せない。母親と弟はいたと思うけど親父はいたのだろうか? たぶんいなかっただろうが、全く思い出せない。思い出せるのは親戚のお兄ちゃんお姉ちゃん、それと弟とやった花火だ。あれは楽しかった。確かに楽しかった。でも小さい私はその楽しさを誰にも伝えられなかった。ほんとは親にその楽しい感情を伝えたかったんだろうが、うちには感情のやり取りがなかったからその気持ちもやがて萎んでしまい、「寂しさを感じないよう」自分が楽しかったことさえも忘れていく、その繰り返しだ。何でうちはこんなこと(仲良く花火)さえも出来なかったんだろう?」 向き合う私の思考回路はそこまで。それ以上思い出そうとすると私は感情が出てこない。否、寂しい感情が出てくるのが無意識に怖いので私は考えるのを止めてしまった。
あるのはわかってもらえない涙だけ。 あの機能不全家族でも小さい私にとって楽しいことはあったのかもしれない。あったのかもしれないが、それを「楽しい」と感じ表現するだけのものは祖母の虐待によって私の中で既に無きものとなっていた。
「感情と感覚・思考の死滅」 ほんと虐待による症状は千差万別何でもありだ。大人しいと思っていた子が「実は虐待で失感情症になっていた」なんて普通誰も思わないだろう。
そしてここからが今日の本題? 先日某グループ会場を探していた時私は潰れた映画館の前を通った。その映画館は私が小学校低学年の時に弟と一緒に親戚家族に連れられて生まれて初めて映画館での映画を見た思い出の場所だ。それも「E.T」 一瞬立ち止まって私は懐古趣味に走ろうかと思ったが、ここでも立ち止まるのが何故か怖くて、私は見て見ぬ振りでその場を通り過ぎてしまった。
「E.T」 感動した。感情がきちんと表現できない小さな私でも感動したのはよく覚えているし、今観てもいい映画だ。 ほんとあの時は夢のようだった。売店で私はポップコーン?とポテト?とジュース、それにパンフレットも買ってもらい、映画にも満足して楽しい時間だった。(でも弟との接触・会話は全く思い出せない。それは殆ど全てにおいて)
こうして盆や正月にはよく弟と一緒に親戚に2,3日泊まるのが恒例だったのだが、その都度小さい私はうっすらと「うちに帰りたくない。このまま親戚にいたい。いっそ親戚の子だったらいいのになぁ」と思っていた。そして幼心にも「ここは自分のうちじゃないんだ」という事も分かっていた。
実家と親戚の違い その決定的な違いは「かまってもらえる=自分の存在を認めてもらえる」ということで、実家では子供の感情に無頓着でワーカホリックな親が待ち受けている、対して親戚では小さなお客様扱いながら私からするとお兄ちゃんお姉ちゃんがいて遊んでくれ、当時は何もかも親戚では新鮮だった。
私は無関心の中で育てられたので弟に対しても「弟」という認識というか兄弟愛みたいなものは全くもって育っていない。だから小さい頃私は弟と遊びたいとも全く思わなかったし、弟の存在自体すら意識の上できちんと認識できていなかった。だから兄弟喧嘩の時なんか私は手加減せず、まるで甚振るのを楽しむかのように徹底的に弟を痛めつけ、中学の時には脱臼させたこともあった。そして罪悪感も全くなく、今思うとほんと酷い兄貴、否兄貴とは呼べない人間、それが当時の私であり、今の私でもある。そんな兄弟愛の欠片もない私を当時弟は「ほんと殺されるかと思った」と母親に告げていたそうだ。 確かに当時の私は痛みを全く感じない世界にいた。中学でも2年3年と常時キレっ放しの如く私は連日クラスのYに対して平気で堅い床の上でプロレス技を掛けていて、周りが退いているのが何となく感じられていても私は意識でそれを認めず暴走し続け、今なら間違いなくPTAものだ。 全ては家庭内での表現できない・わかってもらえない寂しさを私は暴力という形で家では弟、学校ではY、そうした一番立場の弱い者にぶつけていた。その後は偶々高校で柔道やったから私はそういう形で噴出させることはしなくなったが、でも確実に自分の内面奥深くの無意識に「寂しさに気付いてもらえない親への怒り」は蓄積されていき、今このザマ、だからACなのだ私は。
なんか話が映画館から弟、暴力と変わってしまったが、子供の中に「楽しかった思い出をたくさん作ってあげる」そうした配慮が私の親には全く見受けられない。なぜならワーカホリックにとっては遊ぶことは罪であり、自身が親から遊んでもらった経験がないから「それが後々どういう作用を及ぼすのか?」彼らには全く検討がつかない。そして検討がついたら最後彼らの「無意識に閉まってあった寂しさが一気に口を開け、自身認めたくない内省へと叩き落される」のが無意識に怖いので、これまた無意識に否認の中に逃げ込む。 そしてそうした向き合えない人にとって否認の中は安全だ。その中にいさえすれば外から攻撃されても絶対届かない程の強固な精神的バリヤーが張り巡らされているから決して意識の上で傷付かないし、また傷付きようがないくらい長年に亘ってガチガチに固められている。
よかったよこうしたパターンに気がついて。じゃなけりゃ自分も同じく「情のない」家族を当たり前のようにして作っていただろうからね。情を育てる意味も含めて自分の寂しさと向き合わないと何も変わらないし、何も始まらないよ。
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