家族。 母親はよく私の気の弱さを喜んでいたと私は子どもの頃感じていた。 自分より「下の存在」ができたことに喜んでいた。私は喜んで姉の母親の辛い時には父親の「下の存在」になっていた。勿論父親の気に入るように調整して。時にはクラスで上の存在になる事も必要だったから。 上と下。いつもそんな事ばかり考えていたように思う。なのに友人に上も下もないだとか、あんたはわがままだとか言われた。そう言われて。一体いつまで私は自分を抑えて自分を抑えて客観的に自分を見て自分を「正常値」にまでもって行くことをしなければならないんだろうか? 母親はきがついていなかった。でも私はいつも喜んで母親よりも下の存在になるつもりだった。かわいそうな人を温かく見守る役が私でしたから。そしてかわいそうと思った相手が学校に移り、同級生になれば・・・私は文字通りいじめの対象になった。お前はずるいの一言で。お前はずるい。家族も優しくてずるい・・・・そう私はずるくていつも下の存在でいないといけなくて、いつも気が弱い、本来の性格だと言われ続けて、自分の感情を無視して他人に奉仕しないといけない、いや私ならば強いからできると過信して過ごした子ども時代。 父親のカウンセラーだった。姉の相談役もしながら、主にストレス発散道具だった。母親の笑われ役、からかわれ役だった。私は学校でもソトレスの発散人形だった。そして先生のお疲れ様役だった。いつも人の感情や思いが私に迫ってきて、私はそれを読み取っては期待通りのことを行い、「自分の意見を言いましょう」と成績表の人物評価には連呼され続けた。人の思いがあまりに強烈で私には私の本当の心を捨て去ってしまうくらい私にはある意味脅威だった。 そしていつも下向くしかなかった、それか演技。演技の私に誰も理解しなかった。逆に変と思われるのが落ちだった。分かっている。食べ物を与えられていた。何でも母親はした。それなのにあの家族の空気も雰囲気ももういらない。いつも寂しかった。そして学校での演技と家での演技は私の本当の心を疲弊させていった。寂しかった。この一言に尽きる。私は私のものではなくて、他人の道具で特に同級生に何もかも自分の大切な光(信念や魂のような感じ)さえ譲ってしまう事は屈辱だったのに、私はできてしまうの。これが生まれつきなんだと思った。生まれつきいじめられて当然な私。「あんたといるといらつく」らしく、私は人の暴力性のスイッチを押してしまう存在なんだと思った。もしくは自分の本物の自分の大切な部分は人に笑われるようなそんな自分はもう生まれつきなんだと諦めた。高校生の頃。いつも私は人の敬意を表して欲しかった。ずっとずっと寂しかった。心の中が寂しくて。誰も私の中に入ってこれないようにして・・・危険だったから他者は。それでもずっとずっと異世界にいるように寂しかった。人といるのに私は独り。心の中はどこか遠くの世界か自分の神様としかいなかった。人はどこにも私にはいないも同然だった。もしくは「ふり」して欺くための人しか私にはいなかった。そして本当にいつも私の子供時代はううん、いつからか(はっきりしているけども)ある時期境に本当に寂しかったし、孤独だった。
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