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私たちの物語 - 家族過去ログ No.52
メッセージ数:1040件

<1040> ayako ■2006年04月16日 日曜日 13時09分16秒
心当たりのある番号から着信があった。嫌な予感がした。留守電があったから再生した。姉からだった。「気になったから」と暇潰しにかけてきた様子。腹が立つ。
「暇つぶしにかけて来るなよ!」と言ってやりたくなった。身内が死んだかと思ったから。勿論折り返しはしない。着信拒否解除していたのを忘れてた。また設定。
人に電話して暇つぶしてるならニートしてないで働けよ!アル中の世話よかよっぽど生産的
<1039> momoka ■2006年04月15日 土曜日 10時46分26秒
私は自分の父が人を殺すところを見た。

私が高校生だった頃、
私の家にはいつも怒鳴り声が響いていた。

父が仕事から帰って来ては、酒を飲み、祖父を罵倒するのだ。
それは凄まじいもので、私の父は祖父に、包丁を突き出しては、
遺書を書き自殺しろと迫っていた。

ある時、私が2、3日家を空けたことがあった。
家に帰ってみると、祖父の顔半分が紫色に変わっていた。

“あぁ、父親が殴ったのだ。”

祖父は健気にも、その傷を私から隠そうとする。
父が祖父を殴ったことを私が悟ったら、
私と父親が大喧嘩になることを祖父は知っていたから。

でも、私の中に、それほど怒りは沸いてこなかった。
代わりに涙がでそうになった。
そして、ただ、冷静に、

“あぁ、もう駄目だこの家は。”

と思っただけだった。

思えばこの時、私は彼らを見捨てたのだと思う。
これ以上かかわると、もう自分の精神的が崩れてしまうと思ったから。

それから、私は夜中の怒鳴り声に対し、全く反応を示さなくなった。
喧嘩を止めに入ることもなくなった。

そして半年後、祖父は自殺した。

私は母から、虐待に近い過干渉を受けていた。
行動の一切を、私は、母の許しなしに動けなかった。

でも、その苦しみなど、
この祖父の死の際に受けた衝撃に比べたら、
何でもないように思えた。

私には、殺人者の血が流れている。

<1038> きらきら ■2006年04月13日 木曜日 10時01分02秒
いつも親に認められたくて頑張ってきた。小学一二年までは・・・そこから今まで記憶が全くない。疲れた。自分じゃない。親に受け入れてもらえないほどつらいことはない。特に父親には一度も褒められたことがない。人前でしかる?ことはあっても・・・他人は褒めれるのにナゼ?AC?友達もなんだかよくわからない。今自分がACを認めてる段階です。
<1037> どん ■2006年04月09日 日曜日 17時13分09秒
みんなすばらしい。私だけおかしい。
お母さんに情けないって泣かれたことが一番悲しい。ごめんなさい。
<1036> ひこうき ■2006年04月09日 日曜日 11時31分57秒
父はACで言うところのロストチャイルドだと位置付けていたが、スケープゴートでもあった。
そのことに今朝気付いた。今まで気付かなかった自分に驚く。
<1035> Keron ■2006年04月08日 土曜日 05時18分28秒
すっかり忘れていた私がうかつだった。母の行動パターンは、十分予想できたはずなのに。義父母の金銭トラブルは、私の親には言うべきではなかったのだ・・・少なくとも私自身が落ち着いて物事を判断できない状態では・・・。結果、自分が余計苦しくなった。ダンナと余計な喧嘩をした。失敗だ。何故、上手くやれないんだ、と自分を呪いたくなる。最大の敗因は、AC回復を怠っていたこと。親が遠く離れて、それでも適当に上手くやっていて、職場の人間関係も上手くいっていて、単にラッキーな時期だっただけなのに、自分が大分回復したんだ、なんて勘違いも甚だしい。

自分の中で、親の位置づけができない。親は、親切、それとも押しつけ親切?自分のことしか考えていない奴らなのか、娘のことも考えているのか?親=毒親を自分に言い聞かせて、結婚して親から逃れて3年経った。遠くに離れたから、3年経ったからもう大丈夫と思ってしまった。親の(押し売り?)親切を愛情だと勘違いしてしまった。義親の借金という一つの石につまづいたとき、私のACな面が一気に溢れた。

親は変わらない。少なくとも、良い方には。これは、ほぼ100%確定だ。では、親はとは私にとって何なんだろう?どう、定義づければ良いのだろう?
<1034> イルカ ■2006年04月06日 木曜日 23時27分41秒
家族か・・・。
いつからだったかな、私は絶対結婚しないって思うようになったのは。

いわゆる、結婚適齢期にさしかかると、父からはお見合いの話をされたりした事もあった。
「私は結婚なんてしない、結婚は人生の墓場だから」
そう言うと父は私を馬鹿にしたっけ。
「人は、惹かれる異性と出会って、結婚するのが普通なのに、お前は変わっている」そんなような事を言われて、腹がたった。
だって、どうして私が結婚したくないと思うかって、お前たち両親を見ていて、ちっとも幸せそうじゃないからだよ!!
そう思った。

私の中には結婚イコール不幸、という図式がインプットされている。

家は、外からみたら、恵まれていて、幸せそうにみえていたんだろうな・・・。
だから、きっと、私が親を悪く言っても、私の方が、わがままな娘だと思われるだけだと思う。

父は給料を沢山もらって、車もしょっちゅう買い換えたし、マイホームも何回か買い換えた。
それでも、家の中はなんだか冷たかった。
私はいつも緊張していたし、心細かったし、誰かの笑い声が響く事もあんまりなかった。

何回か、母親には「離婚していいよ」そう言った。
でも両親は離婚しなかった。
家の中に起きている現実に、気づこうとしなかったし、気づく勇気が、母も父もなかったんだ。

でも、両親が、私たち家族の堅実に起こっている事に気づいて、向き合っていたら・・・もしくは、さっさと離婚していたら?私や弟達も、これほどまでには、傷つかなかったかもしれない・・・そうも思う。今更そんな事考えても意味無いか・・・。

今、私は、医療機関と繋がって、自助グループや施設で沢山の仲間と出会って、だいぶ救われている。

でも、自分の得られなかったもの、失ったものを見つめると、虚しい。

心が落ち着かない時、悩んだ時、苦しい時・・・そんな時、施設のスタッフに話を聞いてもらうけど、自分から声をかけれるようになるまでにも、とてもとても時間がかかった。

今だって、スタッフが忙しそうにしていたりすると、声をかけれずに、帰ってしまう事もある。

甘えるとか、助けを求めるとか、私には簡単な事じゃない。

でも、健康な家庭で育った人たちは、いちいち、タイミングや相手の顔色を気にする事もなく、あたりまえに、親に愚痴をこぼしたり、おねだりしてみたり、嬉しかった出来事を報告したりするんだろうな・・・そう思うと羨ましい。

どうして、自分には心の帰る場所がないのか。
どうして、まるごとの私を包み込んでくれる温かい場所がないのか。

一時期、映画「グランブルー」を観て、自分も海に溶けたいと思ったっけ。
私が人間に生まれたのは、何かの間違いなんだ・・・こんなに苦しい事ばかりで、きっとそうなんだ・・・
そう思って、イルカになって、自由になって海を泳ぎたいって、思ってた。

今は、死にたいとか思わなくなった。
毎日必死で生きてる。

でも、人を信頼できるようになるか、不安。
幸せっていえるようになるだろうか・・・

健康な家庭で奔放に育った人を見ると、私がどんなに血のにじむような努力をしても手にいれることの出来ないゆるぎないキラキラとした何かを持ってるように感じる。

自分は愛されているという自信。
自分には失敗しても、帰れる場所があるという自信。
誰かに愛される価値があると感じていること・・・

家族って私には、なんだか、寂しくて、悲しくて、一番残酷な言葉かもしれない。
<1033> ntieokjo ■2006年04月05日 水曜日 18時34分31秒
ここにあったのはなんだったのか。
<1032> なきむしっこ ■2006年04月05日 水曜日 11時06分01秒
家族に対するもやもやが全然はれない。
姉の結婚式にも出たくない。早く死ねば良いのに。くらいに思う時もある。
なのにテレビで病気特集とか見ると長女は私よりも機能不全家族の影響をもろに受けているから今パニック障害の薬もらっているらしいし、きっと姉はかわいそうなんだ。って思ってそれはそれは自分がなくなるくらい心配したりもする。友人に対してもそうかもしれない。
<1031> 0 ■2006年04月03日 月曜日 04時37分27秒
いらない
<1030> こえだ ■2006年03月29日 水曜日 11時25分38秒
兄の侮辱の言葉を私は本気で捉えてた。「私はまだまだ全然認められないんだ…。」何年かしたあとも、兄は私を同じように扱った。

話しがまとまらない。母は兄の面倒を見、より多く私の面倒を見た。兄は母に対する欲求が満たされることはなかったのか。

私は、母の脅迫的なコントロールにどっぷりはまった、その上兄の目を気にした。母に気に入られるように兄に気に入られるように…他人に依存してる、してた。いったいなんなの?!でも、ちょっとけなげだと思った。…
<1029> 彦丸 ■2006年03月28日 火曜日 17時30分21秒
学校、バイト先、婚約中だった前夫の実家。
私に親しい関係の人間ができると、失礼顧みず訪ねては独断と偏見に満ちた私像を語る癖のあった最初の父。
 真に受けるのは主に見え透いたお世辞を好む女性で、陰口を嫌わない人が多かったこともあり、とても疲れた。
父が何をしていても、父に関わる人間にそれを話すことはなく、真に受けるような人に何を言われようと、
まともに相手をしていい人間じゃないように感じ、聞き流していた。

父との縁切り間際に通った精神科の担当医にも、彼は同じ事をしようとしたけれど、
その頃には私も彼の手口を知り、また、父の勝手な面会予定を話したところ
迷惑だと言った医師の言葉に多少救われた気がする。

 母方の祖母は、侵入してくることはなかったが、父同様勝手な思い込みで何も構わず喋り散らす癖があり、今でも彼女の息子夫婦を疲れさせているようで
過去を振り返ると、よく持ったものだと自分を褒めたくなる。
<1028> ここあ ■2006年03月28日 火曜日 01時35分51秒
私がこんなに息苦しいのは、いさかいの耐えない両親の元で育ったから、ピリピリ、ビリビリした家庭だったからだろう、とずっと感じてはいた。
そして、年月と共に、それが確信に変わってきた。
その環境が私の「自分」というものを消してしまった。
だけど、最近わかってきたのは、どうもそれだけじゃなかったらしい、ということだ。

母は自分を正当化するために、自分に価値を与えるために、ストレス発散のために、私の感情や考えを否定し、批判し、せせら笑い、不安がらせ、脅迫した。
それは私の「自信(自分を信じる心)」と「好意、愛着(自分を受け入れ、愛する心)」を失わせてしまったような気がする。

そして、今現在・・・・・・・・・・・・・・・
夫との事で辛い思いをしてきたことは自覚していたが、どんなにその事が私の心にダメージを与えてきたか、与えているかがわかってきた。

もう、へとへとだ・・・疲れた・・・
<1027> ぴよ ■2006年03月23日 木曜日 18時26分03秒
夫との問題を考えて、苦しくて、心理学の本や、ネットで検察し、私はACと自覚した。母に、父に、戦いを挑むように、涙ながらに、まさに気がふれたように、抗議し、自分の置かれてきた状況を訴えた。でも、夫との関係はあやふやにしたまま、、、だった。さらに、本やネットで調べていくと、夫との関係は依存・共依存であったこと、そして私を取り巻く環境は生まれた時から、モラルハラスメントの中にドップリと浸かって育ってきた事を再認識した。

このままでは、私は壊れる。そう、切実に思った。どうにかしないと、私は壊れる。そして、私の宝物である娘もその影響をタップリ受けることになる。
何ヶ月もの間、その気持ちと戦っただろう。

今までに無いほどの勇気を振り絞って、ネットでカウンセリングをしてくれるサイトに、無料ということで短いメールを送った。初めて、自分の気持ち、困っていることを他人に話した(書いた)。自分にちょっとだけ、勇気が出た。次の日、女性センターにカウンセリング相談の予約をした。

カウンセリングでは、肯定も否定もされずに、支離滅裂な私の話をたくさん聞いてもらった。初めての経験だった。離婚の意思が強くなった、、、

そして、私は冷静さを少し取り戻し、夫との関係性は少し変わった(夫自身は変わっているのかはわからないが)。
また、どうしていいのか分からなくなった。私はいったいどうしたいのだろう。

考えれば、考えるほど、自分の育った環境が私の行動を縛っているのに気づかされる。
私以外の人の言動を私は、屈折して受け止めているのだろうか?

”私は私が大好き。私はありのままで存在していい。私はありのままで愛される。私には幸せになる権利がある。”

呪文のように、心で唱える。でもまだ、自分がどうしたいのか見えない。。。
<1026> みゅー ■2006年03月21日 火曜日 05時32分29秒
奥方サン、あたしの部屋何も無いでしょ?どうしてか分かるわけないよね?
なんも知らないんだもん。先生にあたしの部屋の事話したら「自分の部屋じゃないじゃん・・・」って。あたりまえだ。だっておし入れの中は、あたしのおフトン以外は奥方の服だらけ。あと、この家のものだらけ。天袋も「おとうと」のもんはあってもあたしのもんはない。衣替えの季節には奥方が私の部屋に当然の様に入ってくる。「おとうと」も必要なものがあると、ずかずか入ってきて、あたしのイスの上の物も勝手にどかしてイスの上に乗って、しかもホコリを置き土産していく。あんた「一応」兄なんだから。仕事経験なくても、掃除くらいできるでしょ?

あと奥方サンよ。どうしてさ洗濯物取り込むのに、あたしの部屋からじゃないとダメなわけ?「おとうと」の部屋だって同じベランダ方面ぢゃん?あと、洗濯物のハンガーしかも洗濯物付きを、どうしてあたしの部屋の、ちょうど、あたしが何か書いたりする所に掛けてくの?掛けっぱなしなの?アレあたしの頭に当たるんですケド。あたしがどかせば、いつのまにか元どうり。あたしの頭が当たれば文句言う。

あたしはどうすりゃいいんスか?家出すればオタオタする。じゃ、あたしはどこに行きゃいいんスか?
奥方サン。あんた老公のこと、うだうだ文句言ったり、いちいち老公にもやかましいケド、あんたも老公と同じだよ!!
<1025> くり ■2006年03月21日 火曜日 04時21分43秒
妹はちょっとおかしいところがあるのではないかと思う。
ころころ言うことが変わるのだ。
しかも人にすごく感化されやすい。同化しやすい。
全て夢見がちなのだ。27にもなるのに…。
しかも宗教(似たもの。宇宙人との交信とか宇宙人関連に熱心)依存だ。
疲れた。あんたの精神的なおもりはたくさん。
調子のいいときは居丈高にふんぞり返って私を「このクズ」と見下げまくるが悪い時だけ「おねえちゃ〜ん!」はよせ。
そっとしておいてほしいよ。
<1024> トリ ■2006年03月20日 月曜日 03時25分07秒
レシートとお釣りは、ちゃんと渡したのに、財布にレシートが無いからと、私は母に責められた。

当時、家計簿に記帳するのが、母の「絶対にしなければならない事」だったから、レシートが行方不明なのは重大問題だった。

そこに、「なくしてしまった」「ゴミ箱に間違えて捨てた」という選択肢は無く、<私が持っていない=トリが私に渡していない>となるのは今でも納得できない。

母はしょっちゅう物を失くす。大抵、間違えてゴミ箱に捨てる。
だから、最有力候補は「間違えて捨てた」なのに、母は私を責めた。

何度も何度も、「いついついかなる状況で渡した」と言っても、母の言い分は変わらなかった。

「おかーさんが持ってないってことは、あんたが渡してないってことでしょう!!」

大喧嘩になった。時計まで投げた。長年の鬱憤が溜まった私は、これ以上ないくらい母を罵倒しまくった。一瞬だけスッキリした。
だけど、母は私の鬱憤をわかってくれなかった。
行き場のない怒りを受け入れてくれなかった。

いつもそうだ。こちらが謝っても責め立てる。正当性を主張しても責め立てる。
例え自分が悪くても、最後には「だて・・・・」で始まり、責めた自分がいかに正当かをまくし立てる。

あんたの声は耳に響く。凄く神経に障る。
よしんば私が悪くても、謝る以外に何をしろって言うんだ。
だから、私は行き場のない気持ちを抱えてしまう。消化できない感情を抱える。

あの後、あんたが言った言葉は今でも忘れない。
「あんたの言ったことは一生忘れない!!」
私だって、一生忘れないよ。あんたが最低だってことは。

あのあと、数日過ごした、おばーちゃんの家が、人生で最高に落ち着く場所だった。
家は今でも落ち着かない。

今でも、あんたは、物がなくなると、誰かを疑う。
「おかーさんのめがね知らない?」
って、持ち主のあんた以外に、誰が知ってるというんだ。
ばかじゃないの?
<1023> 牡丹 ■2006年03月18日 土曜日 21時28分04秒
いつも、母親と話していると、いやな気分になる、

母親は、怒る。

私は、ただ、話したい、それだけなのに。愛でいっぱいにくるんでくれる親を持てなかったことを、嘆き悲しむ。苦しいよ。

母親は、母親の描く『いい母親』像を刺激されたりつつかれたりすると、怒る、のかもしれないな。 私は、知らないけれど。それに、
母親の価値観に責任はない。母親の価値観にあわせる必要はない。ただ、それを把握する責任はあるのかな。
・・・・
ああ、別にいいのに。・・・
<1022> 牡丹 ■2006年03月13日 月曜日 21時01分05秒
友達は、たくさんの家族に囲まれていて、その中の一人でも精神的に信頼できる人がいる、というようなことを聞いた。友達は成長を見守られているんだなあと思った。いいこと、なのに、
それなのに、私は悲しくなる。
「どうして私は家族の誰一人精神的に信頼できる人がいないの?」空しくてたまらない。
<1021> 青空 ■2006年03月10日 金曜日 00時49分56秒
同居していた祖母が亡くなってから、母は私に祖母(母にとっては姑)の愚痴、悪口を言うようになった。母も苦労してきたんだな。と思って少しでも楽になるならといつも聞いてあげた。それなのに母は、私の性格は祖母に似てると言った。さらっと言った。その一言がどんなに私を傷つけたか母は知らない。こんなこと言われても私は怒ったらだめなんですか?傷つくのはおかしいんですか。考え過ぎと言うんですか。

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This script written by Shintaro Wakayama.