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私たちの物語 - 家族過去ログ No.5
メッセージ数:100件

<100> かな ■2003年10月20日 月曜日 21時43分09秒
正直、親族の付き合いって面倒。
別にその人たちが嫌いってわけじゃない。
だけどそういう場で、どうやって自分を溶け込ませればいいのかわからない。それにそういう場にいる時だけ家族が父親面するのが、母親面するのが許せない。特に父親が、俺はちゃんと父親やってますって話し方をすると虫唾が走る。それからどれだけ私がわがままな娘かってことを話すんでしょ?
家じゃ車での送り迎えと、機械のことしか能がないくせに。
今まで精神的に父親としての役目を果たしたと思っているのか聞いてみたい。
もし家にお金を入れてくれて、機械に詳しい、車で送り迎えしてくれる人がいたら父親なんていらないかもしれない。
私の家にいるのは父親という名前がついた「物」であって、本当の「父親」ではないと私は思ってる。
もし人前で「こいつは俺の自慢の娘です」とでも言ってくれたなら、「何か心配事があったら俺にいつでも相談しろ」とでも言ってくれていたら、存在の意味は変わっていたかもしれないけれど。
<99> ひとみ ■2003年10月19日 日曜日 00時24分42秒
私の家族は血のつながった他人 でも家族である事は確かだ 現実を受け止めるしかない いつまでも理想をおしつけても仕方ない 幻想を抱いても所詮幻想でしかない お互い個々の人間 自分の考えがあれば 家族の考え方もそれぞれ いくら血がつながっていようと私という人間は一人しか存在しない もっと自分を大切にしよう  
<98> シャローナ ■2003年10月18日 土曜日 13時50分58秒
私がこれだけ変に気を使い
本当の自分ではないように振舞って
家族と関わっているのだれど
うちの家族はみんなそうなんじゃないかと思えてきた
たまたま戸籍上も遺伝子的にも家族なんだけども
実際はお互いがただ家族のフリしているだけ?
結果的にうそをつきあっているわけ?
本当の付き合いってできないものなの?
これがふつうよというけど、
自分がわからなくなるなんてヤバくない?
<97> しろん ■2003年10月18日 土曜日 02時57分52秒
家族の皆さん,早く大人になってください。幸せになってください。勝手に生きてください。
もう、面倒見きれません。自分の心が干乾びていくのがわかる。死にたくない。
だから私を自由にしてください。もう一度、空高く飛びあがりたいのです。
お願いです。
<96> シャローナ ■2003年10月17日 金曜日 14時42分19秒
いつも気を使って悶々としています。
本当のことは言いません。言ったらいけないのです。
あたりさわりのない薄い関わりです。
家族が何を考え、どんな人なのか未だに知りません。
訳がわからないうちに物事が過ぎ去っていきます。
私とは関係ないところに日常があるみたいです。
私は別にいてもいなくてもいいような気がしてきます。
もし私が本当に思っていることを話して
それがほかの家族とちょっとでも違っていたら
(おそらく普通ならどうってことないようなことを)
その時は見捨てられるーーーーといった恐怖に覆われて
つい何でもない、私が悪かったと我慢してしまいます。
そしてまたいつも気を使い悶々とした日々が続くのです。
もう家族のフリして過ごすのはイヤだ
気がおかしくなりそうだ。
<95> およよ ■2003年10月16日 木曜日 22時27分31秒
君を生んだとき、泣かなかった。君は、言葉を発しなかった。私が言葉がなかったら、ごめんね。でも、君は、言ったね。「僕、お母さんのお腹の中にいたこと覚えているよ」「へ!!・・・ありがとう。」「もしかして、〇〇ちゃんがお話をしなかったのは、お母さんの事を思ってくれていたの?」君は、静かにうなずいた。「お母さん、大変そうだったから・・」君は何も話さずに、じっと私を見つめていてくれたんだね。ごめんね。お母さん、知らなかったの・・・
生まれてきてくれてありがとう。ゆっくり、ゆくっりと生きていこうね。君の一番好きな歌は、「世界で一つだけの花」君は、君でいいんだよ。
お母さんは、そのままの君が一番好き。本当を言うと、長い間、どうしてこんな子が・・・とお母さんは、悩んだんだ。君をお話が出来ずにいて、とてもさみしかった。言葉をこの子に与えてください。と祈った。何度も泣いた。でも今は、君を与えてくださった神に感謝している。君といるだけで、お母さんは、幸せな気分になる。優しい君が大好きだよ。
<94> しばわんこ ■2003年10月12日 日曜日 23時22分47秒
 あたしは両親と兄の4人家族。でも兄は統合失調症で、あたしは兄の家庭内暴力に怯えていた。父は家族に無関心なのか、感情鈍磨なのか、あたしを含めて誰にも心を開かなかったし、真剣に話を聞いてくれることもなかった。そんな兄・父不在とも言える家庭で育ったあたしは、今になって男性に対する複雑な感情に苦しんでいる。兄と同世代の男性に出会うと、その人に兄を求めて甘えようとしてしまう。父親くらいの年齢の人には、父親らしい威厳や優しさを求めて、わがままになったり、子供帰りしてしまう。そんな自分にはっとして、悲しくなる。こんなんじゃ、ひとと付き合うことなんてできないよ。わかってるんだ。でも、どうしたら過去に振り回されなくなるんだろう。
<93> およよ ■2003年10月11日 土曜日 18時47分54秒
実家にいた頃の事は、覚えている。でも、結婚してからの記憶は、醜いことが多い。楽しい事もあったはずなのに・・・私と言う人間が、これまでの人生の記憶で出来ているのなら、その過去をすべて消しさりたい。そうでなければ、いい記憶だけ残して、後の醜い記憶は、すべて捨て去りたい。今までの人生が、奴隷の生活であった事を認めるのは、つらすぎる。せめて子供には、こんな生き方をして欲しくない。親の目を気にする生き方はしないで・・・愛する人の奴隷に成らないで・・・・
<92> sora ■2003年10月11日 土曜日 10時31分00秒
表面的に「良い家族」だった。きっと近所や親戚の人達はしつけの行き届いたちゃんとした家だと思ってる。どこかの掲示板で誰かが言ってた。「私はあなた(母)に育てられたのではない。世間体に育てられたのだ」と。よく言い当てていると思った。私もそうだった。愛情などいっさい感じなかった。
あなたはいつも不機嫌でこれ見よがしによく大きな溜め息を吐いていた。
私たちにわざと聞こえるように。「はぁ〜しんど!」と。その溜め息で楽しい気分はすぐにどこかへ吹っ飛んだ。そして、私は「楽しんではいけない」と思うようになった。せっかく今は楽しいのにどうせすぐにまた打ち砕かれるに違いないと未来の心配をするようになり、物事を心から楽しめないようになった。
「どうせダメだ。期待はしないでおこう」という考えが普通になった。
いつも母の顔色を伺って「今にまた怒られる」とビクビクしていた。理由もわからないことでよく怒られた。そして機嫌がよければ「ああ、よかった」と心底ホッとしていた。母の感情に振り回されていた。今もそのくせが抜けず他人の顔色を伺ってしまい、接していて疲れる。
ようやくACという言葉にたどり着き、自分のしんどさを理解することができた。
だからといってこの染み付いた心のクセはそんなに簡単には変えられない。
でも私はこの人生の間に本当に「幸せ」になりたい。
「心から幸せ」と言うものを実感したい。
ありのままの私でOKなんだと言う事は頭では解っている。でもなかなか実感できない。でもこのままではいやだ。
「私なんてどうせダメだ」と言う潜在意識を変えていこう。
私の中の小さな私に繰り返し言ってあげよう。
「もう大丈夫。怖がらなくていいよ。私が守ってあげる。
あなたはとっても素敵だよ。世界で一番大好きだよ。
もっと安心していいんだよ。
もっとリラックスしていいんだよ。
もっとゆったりしていいんだよ。」と。
繰り返し、繰り返し言ってあげよう。
あなたが安心して幸せな気持ちに包まれるまで。
あなたは光輝いていて、とてもきれいで魅力的です。
<91> 2匹のチワワ ■2003年10月06日 月曜日 04時52分44秒
ミスターライトだと思って、幸せに結婚したつもりだったんですが、
いろんなものが噴出して、自分というものを知りかけてる今、
私はパートナーに拒絶感を感じています。
彼の、子供のような我侭なところ、威圧的・支配的態度。
これって、私が長年両親から受け取っていたシグナルと同じじゃないですか。
それが嫌で、家を出たのに、親のような男と結婚して、結局同じように、
彼の顔色を見て、びくびくしながら生活しているなんて。
彼は暴力はふるわないし、お酒も飲まないし、私のことをとっても愛してくれているけど、
あの支配的、威圧的態度、私にはしなくても、私の子供にすることで、
毎回自分の子供時代と重なって苦しかったのが、今になってわかります。
いろんなことが見えてきた今、彼と一緒にいることが自分にとって良いことなのかどうなのか、わかりません。
やっと、安定した家庭が持てたと思う半面、
息子と二人だけで、誰にも命令されず、支配されずに暮らしていた頃のほうが良かったようにも思います。
ないものねだりなのか、自分の核心に気付いたのか、わかりません。

いまは拒絶間で一杯。

息子と二人っきりでずっと、過ごしたいです。
<90> あき ■2003年10月02日 木曜日 09時08分06秒
私は、親に愛されて無いと思って生きてきた。寂しいという気持ちを分かって欲しい。けれど、言ったことによって関係が崩れるのも怖い。まだ、17才。親の助けなしでは生きていけない。
愛されるってどういうこと。これから先の人生が不安でたまらない。親からの無償の愛ってあるのでしょうか。
<89> SUN ■2003年09月30日 火曜日 02時04分28秒
私は最近まで家族に本音を話すことが出来ませんでした。家にいるのがつらい時が多かった。
こんな事言ったらどう思われるのだろう、ばかにされないかなという思いが強く、思っていることを言えませんでした。感情は吐き出さないと伝わらないと言うことは分かっていたのですが、出来ませんでした。
自分の気持ちが伝えられず、本当は文句が言いたいのに言えず、独りイライラしていました。誰も何でイライラしているのか分かってくれませんでした。
あるときこの押さえ込んでいた感情が爆発してしまい、キレまくって親にも命令口調で文句を言ってしまいました。
そのうち家族に言いたいことを言えるようになってきました。最近は思ったことはちゃんと伝えるように心がけています。家にいるのがだいぶ楽になってきました。
昔よりたくさん会話するようになりました。我が家は安全な場所のようです。
<88> 霧の森 ■2003年09月30日 火曜日 01時45分40秒
私は父と会わなくても済むようになって1年半、纏足された足が纏足布を外されると同時に成長を始めてしまうように、目を開き始めた。
目を閉じていることには遥か昔から知っていた。目を開かなくては(ひらきたい??)と思ったのは5年前、開きはじめる方法を模索し始めた。
当時は目を開きたい、感情を開きたい、何かを思いたいということまで封印していたので、言葉や文字にできるほど自覚なんてできなかった。でも、心の底ではよくわかっていた。なぜならばそれは、私が自分で感情も知覚の一部も封印したからだ。そしてそのこともよくわかっていた。感情を壊さぬまま必死にしまいこみ、封印したのもいつか生きていけるときまでそれを無くさぬように持っているためだったことを自覚したのは最近だ。
そう、やっとそのことを自覚しても私は壊れないほどに成長できたのだ。
まだ道は長い。でも、まだ望みはあるんだ。

最近、父と会った。彼は愛情を知らない。愛情を知らない者が愛情を受け取ったり与えたりするのは難しい。私もだ。そして彼の場合は「彼自身が愛情を知らないこと」を知らない。
カネモチの彼は給料と貯金と外車の話をした。私にくれるらしい金の金額を喋りまくった。
「お前が可愛い」
「お前は俺の娘だ」
そこで、生きることを始めていた私は唐突に気づいた。彼の中に「家族だ。娘だ」ということは「金をやる」という言葉に直結していて、ほかに何も通過点はないのだ。娘を愛するどころか人を愛するということも知らず、単純に娘だということは金をやるということなのだ。
私は無性におかしくなって無気力に「ふ・・」と笑った。
彼は、私が金をもらって喜んだ(=彼の権力をみとめ、彼の金(愛)を受け入れた)と思って満面の笑みになった。
アホらしい。でも、私は泣きたいような笑いたいような、死にたいような気分だった。死にはしない。私はこの中でここまで生きてきたんだから、もうゴキブリ並に違いない。
<87> みち ■2003年09月26日 金曜日 01時59分34秒
家の手伝いをしていて、よくお母さんに叱られた。
「もっと頭を使って作業しなさい!」とか、「モタモタするな!」とか・・・
わたしはいつも真面目に作業をしていたのに、その気持ちはむなしく、
怒られてばかりだった。
わたしは、頭が悪いんだ、要領も悪いんだ・・・そんな思いが頭の中でグルグルするようになって、いつの間にか、劣等感のかたまりになっていた。
がんばって、学校のテストで良い点数をとっても、劣等感からは解放されない。
お母さんの、怒った顔が頭から離れない。
<86> アスカ ■2003年09月26日 金曜日 00時17分32秒
「お前達が小さい時から父さんも母さんも死ぬほど働いてきたんだ」だから協力しなければいけないの?小さい頃から私は母の宗教に押し潰され、父には遊んでもらった記憶すらない、すぐキレる両親。今日も弟が鼻血を出すほど殴られていた。止めても「俺のやっている事は正しい」と信じてやまない父。記憶にあるのはお金だけ。お金に私は育てられた気がする。家族がバラバラで居心地が悪い、良くしようと皆で話し合っても皆、知らん振り。家族に愛情を感じられない為、協力したいとも思わない、その話し合い自体無駄としか思えない。私はこんな家庭に生まれてきたくなかった。漫画みたいないい家庭なんていらない。小さい頃から宗教にも押し潰されずに自分の考えをしっかり持てて、もっと人を愛したかった。でも20歳を過ぎても心が子供で冷め切った自分がいる。私は両親のようには絶対になりたくない、父の様な人間と結婚したくない・・結婚をして子供を生みたくない。子供を本当に愛し育てられない不安があるからだ。今は親も力が強いから押さえつけられているけど、いつか老後になって動けなくなっても私は面倒なんて絶対に見ない。
今度生まれ変わったら「本当の普通の家庭」に生まれたい。
それだけでいいんです。
<85> ナオミ ■2003年09月21日 日曜日 18時01分01秒
私は母が嫌いだ。
「あんた達のせいで私はこんなにしんどい」と、回りに罪悪感を抱かせる母が嫌いだ。
誰かに幸せにしてもらおうと、自分では何もしない母が嫌いだ。
あんな人間には絶対になりたくない。
<84> ひとみ ■2003年09月20日 土曜日 13時05分25秒
家族って何だろう?よく解らない 何の為の両親?何の為の兄弟?楽しいお喋り くだらない会話 皆で囲む食卓 家族旅行 皆でお買い物 なかったなー
お父さんは夜家にいた事ない お母さんはいつも不機嫌でイライラしてヒステリーだった こっち全然みてくれない お母さんの手伝いしたかったけど嫌がってあっち行って 食事の後片付け手伝うよって言えばヨロシクで自分は何もしなかった 一緒にお話しながら楽しく過ごしたかった お母さんを助けてあげたかった いつもお母さんの顔色ばかりうかがって疲れる毎日 兄弟にテレビゲームを買ってくれた時兄さんと弟が私にやらせてくれなくて泣きついた時も無視兄弟間のトラブルは面倒臭そうにして いつも完全無視 いつも何があっても無視 私の存在も完全無視
<83> くま ■2003年09月19日 金曜日 13時10分56秒
いつからか家族にも怯えるようになってた。
妹にすら・・。というか妹にすごく怯えるようになった。




<82> banbi ■2003年09月17日 水曜日 20時22分39秒
私はACだ。今日、それがはっきりした。
幼い頃の私・・・ 
あれは小学校3年生の時。
学校の工作の時間に紙粘土で人形を作った
その私の作った人形が、学校の作品展で展示される事になった
選ばれたのは、クラスで10人位いた
でも、私は、人から「選ばれる事」が無かったので、とてもうれしかった
家に帰って母親に早速報告した
そうしたら、母親は喜んでくれた。うれしかった・・・
でも、選ばれたのが、クラスで10人いると知ると、急に顔色が変り
「え?!一人じゃないの? な〜んだ大した事ないじゃない! 喜んで損したわ!!」と怒って言われた
私の心は凍りついた 自分は大した事のない人間なんだ・・・ そう思った
その次から、何も楽しくなくなった 笑えなくなった
笑おうと思っても、ひきつってしまう
それだけではない
もっと前、幼稚園の頃の私
まだ甘えたい頃なのに、お母さんに甘えようとしたら
「もう!!嫌だって言ってるでしょう!! うっとおしいなぁ!!」と怒られた ショックだった。。
それから、私は、お母さんに甘えるのをやめた

いろいろ思い起こしてみると、私は母親の言いなりだった
怒ると怖かったので、逆らう事が出来なかった
それ以前に、逆らっても、結局は母親の言いなりにならなくてはならない事をわかっていたから、逆らっても仕方がない・・・とあきらめていた

今、大人になり、長い年月を経て、心の壁が崩れた
心の壁が崩れてみて、その壁の向こうには、子供の頃の私がいた
子供の私は泣いていた
もう泣かなくていいんだよ。あなたは何も悪くないのだから・・・
今まで寂しかったね
もうあなたは一人じゃないよ
あなたには私がいるからね
ずっとそばにいるからね
そう言って抱きしめてあげた

<81> S ■2003年09月16日 火曜日 12時45分47秒
幼い頃の私は、両親の仕事が忙しく毎日他人の家に預けられていた。
私が3歳になった時、弟が産まれた。
弟は生まれつき体が弱く、跡取り息子という事もあり、母は溺愛した。
私は「お姉ちゃんなんだから、良い子にしなさい。」といつもいつも、手の掛からない良い子である事を強要された。
実際、私はある時期までは成績も良く、色々な面で表彰を受ける自慢の子だった。(今は見る影もないが…)
しかし、褒められるのは一瞬で、親の愛情を感じる事は出来なかった。
弟とけんかになっても、悪いのはいつも私で、理由も聞かず私だけを折檻した。
お前は丈夫だから、多少の事では壊れないからという理由で、みせしめのようにいつも殴られた。
弟が足を3針縫う怪我をした時、そばで遊んでいた私は全責任を負わされ、両親に容赦なく殴られた。
私が鉄棒から落ち、額から血を流しながら帰った時の母の言葉は、『馬鹿じゃない?』だった。
そして、たいした事はないと病院にも行かず放置された。
海で溺れた時は、その溺れる様子を笑って見ていて助けてくれなかった。
父は、泳ぎを教えてやると言って、10歳の私を水深3mのプールに突き落とし、もがく様子を笑って見ていた。
飛び込み台から蹴落とされた事も有る。
弟は水に対するトラウマを持つといけないという事で、そのような荒療治は一切されなかった。
弟との態度の差に不満を言うと、『お前は鬼の子だ』となじられ、殴られた。
親からの暴力で怪我をし、こっそり病院に行った。
医者には転んだと嘘を付き、湿布だらけで家に帰った。
その姿を見て母は、『大袈裟ね、何それ、転んだの?』と不愉快そうに言った。
「あんたにやられた傷だ!」という言葉は、こみあげてくる涙でいえなかった。
こんなにも、暴力や言葉による暴力で私を苦しめ続けてる両親だが、仕事柄、外面は異様に良く、体裁を保つ事に執着している。
だから、長年に渡って私が受けてきた虐待は、誰にも理解されず、私の被害妄想として片付けられてしまう。
親のストレスのはけ口にされている自分、自分一人が犠牲になればと耐えている自分、親の望む『幸せな家族ごっこ』という虚構の中に押し込められた自分、そして、そこから逃げ出せない自分…。
自分が変わらなきゃ何も解決しないのだが、長年にわたり、培われた奴隷根性的ひがみの意識はなかなか私を解放してくれない。

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This script written by Shintaro Wakayama.