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私たちの物語 - 家族過去ログ No.49
メッセージ数:980件

<980> アーネスト ■2005年12月26日 月曜日 12時37分00秒
(性的フラバ注意)

AC関連の本を読んでいてはっと思い出したことがあった。11,2歳のころ、なぜ家族で出かけるのがあんなにいやだったのか、母親を公衆の面前で蹴ったりしたのか。うちの家がノーマルに見られることがいやだったからだ。その年齢で言葉化はできなかったが、異常だということはわかった。

同じくいやだったことを思い出した。期間は定かではないが、おそらく中学に入っても母は風呂を覗いてきた。そのときの気持ちを今思い出すとまさしくアブノーマルという感じだった。何が異常なのかやはりその年齢で言葉化できないのだが、「何か間違ったことが起きている」という漠然とした、しかし強い嫌悪感がある。言葉化できないことがまたいらだつのだが
<979> ayako ■2005年12月23日 金曜日 14時45分58秒
昨日姉と話した。姉は変わらずニートで親の金で暮らしてる。健康なのに入院してる祖母の面倒をみながら。姉は私の心にいつも侵入してくる。いつも。「私は親の事は許したの」とか言いながら親の金を搾取して生きている。もう31なのに。
「あんたは現実をみてない」というがそれは姉だ。31で8年も特別な理由もなく家に居座って生きてる人間に世間は冷たい。今は親が生きてるから生活できてるが、両方の親が死んだ後姉は本当の現実を見る事になる。姉は霊界に興味があるのだ。
「エハラさん」と崇めてるから。宗教にはまる人みたいに見えた。エハラさんは宗教家ではないが姉にとっては自分の道を教えてくれる人に見えてる。自分の道は自分で開いて歩んで行くもの。エハラさんは道を教えるんじゃなくてその方向を教えてるだけだと思う。姉は他人に対して恨みや妬みの気持ちでイッパイなのだ。
自分はすごく優秀で世の中に出たら成功するし、世間から認められるべきだと思ってる。でも世の中には出られない。怖いから。本当の自分は思ってる自分とは違うから。エゴ、自己陶酔、自己啓示欲、妄想の固まりの自分が見えてしまう。出ても皆から歓迎されない。使いにくいし、使えない。姉は本当に気の毒な人。私が「長い間暮らしてたから心配してる」と言うと「押し付けだ、エゴだ」と言いはじめる。人の気持ちを素直に受け止められない姉に腹が立った。姉には人の好意や暖かい気持ちも受け止められない。心が硬くなってる。きっと一生柔らかくならない。
結局同じ時間をあの家で過ごしていたけど姉には私の心の叫びは届かなかった。
届くどころか非難した。姉は私が親を恨んで許せない事をちゃんと知ってる。充分に。でもあえて親の話を私にフルのは姉は自分が親に恨みを言えないから。
姉は自分から振って話しをさせるが「のったあんたが悪い」と言う。原因を作ったのは姉なのに。自分が作りだしたおいたのに責任は取らない。挙句に「まだお子様だね」「ずっとこどもでいなよ」とか言ってくる。姉は自分がそうしたいから言う。姉が私を非難する時は全部自分の事。私と姉は別の人間。姉は姉で生きて行く。私は苦しくて、辛くても今の自分があるのは過去の自分があるからだと思ってる。私は辛くても苦しくても問題から逃げない。この問題から逃げたら私の今までの頑張りが無意味になる。私には世間でいう家族は居ない。家族と呼ぶには値しない人達と暮らしていたという事。そこで私は懸命に生きていただけ。ただただ大人になってこの家から出て行く日を待ってた。ずっとずっと。私が本当に解き放たれる日はいつかやってくる。その時は自分の家族を作ろう。 
<978> 青空 ■2005年12月21日 水曜日 13時39分03秒
すみません977の続きです。

手を握られたり、私一人の写真を撮っていたり(これは変じゃないのかな。でも私は嫌でした。)、義母の愚痴を言って「青空ちゃんと出会ってたらなあ。」と言ったり、夫の実家に帰ったら、手の甲にキスをしておでことおでこ
をくっつけてきたり、そして必ず「自分の息子には言わないでいいからね。」と口止め。そういうことがある度に母に電話したけど、全然信じてくれなかった。「お義父さんも冗談が好きやね。娘がいないからあんたのことが可愛くて
しょうがないんやわ。聞き流しといたらいいねん。」と言ったあげくに「そんなに気に入られてうらやましいわ。」ときた。私は信じられなかった。でも
確かにうらやましいと言ったのだ。母に一番わかってほしいのにどうしてわかってくれないのだろう。私が「お義父さんに家に来てほしくない。」と言ったら「まさかそれ以上のことはしないやろうからそんなこと言わずにがんばって。旦那さんの親やねんから。」
たぶん私が義父に押し倒されるまでそんなことを言うのだろう。と思った。
そしてしばらくしてまた義父が来たとき私は妊娠8ヶ月だった。大きなお腹を
何度もさすって、後ろから腰を持って赤ちゃんをだっこしてるんだって、、、
そんな時私は冗談がわかる大人な嫁を演じてうまくあしらっていた。これは
セクハラじゃないんだ。気に入ってくれてるんだから。と言い聞かせながら。
でももう無理だった。義父が後ろから抱きついてきたのだ。その日義父が帰ってから初めて夫に打ち明けた。夫が私を信じてくれたのが救いだった。
母は私が夫に話したことで夫が傷ついただろうと心配していた。
そんな母なんだ。
このことがきっかけで自分がACだと気づく本に出会った。
母とは普通にしゃべるけどこのことは許せない。ずっと許せない。
母にとってはもう済んだことだろうけど私はずっと許せずに苦しい。
義父のことも母のことも許せないだめなわたし。


<977> 青空 ■2005年12月21日 水曜日 12時51分48秒
(フラバ注意)

私が義父(夫の父)からセクハラされてた時、母に電話で相談していた。
3人目を妊娠した時、「その子の父親になりたい」と言われたり、家に来た時は手をにぎ
<976> NAC NAC ■2005年12月19日 月曜日 21時32分01秒
今日はここから

私は温泉・スーパー銭湯系が大好きだ。よく利用する。昨日も練習後に氏家の温泉でふにゃ〜となっていたのだが、私のいた露天風呂には小さい男の子連れの親子が2組ほど一緒で、そのスキンシップを観察する私。

「父親に甘える男の子」 「子供と会話できる父親」

羨ましい。どうしてウチはこうじゃないの? 

「ワーカホリックで子供の情操教育に無関心」の親に育てられ、「自分の意思・感情を失くし乖離してきた」私には非常に羨ましい光景だ。
これも私が内面奥深くの傷付いたインナーチャイルドと会話できるようになったからこそ「小さい私が何を欲していたのか?」感じられるのであって、あとはそれを自分の意識の上で誤魔化すことなく受け入れられるかどうかだ。

ほんと羨ましい。

愛されて育った人と、そうでない人の差はスキンシップや会話を見れば一目瞭然で、経験したことがない人には当然その選択肢すら思い浮かばない。

なんで? なんで僕は愛されなかったの? なんで誰も僕をかまってくれないの? 僕はじゃま? 僕はここにいちゃいけないの? 生きてていいの?

子供の生命すら脅かす親の無関心。

なんで?

親も無関心で育てられたから「関心を寄せる」ってのがどういうことなのか?親自身経験していない。

なんでそんなんで親になってしまうの? なんで「愛情って何か?」考えないの?

「愛されない寂しさ」

まずはそこから始めること。感情のポイントがずれてるから私の親(特に母親)は何をやっても私の心に響いてこない。相手が寂しそうなら自分も寂しいところから感情を発しないと何時まで経っても相手には届かない。挙句の果てには「母親ぶり」を押し付ける。はっきりいってうんざりだ。よくも今まで騙してきたな。頼むから黙っててくれって感じだ。

無意識に子供を傷付ける母親。そして傷付けたことさえ気付かない神経。
ほんと私は機能不全家庭の影響に対して無力だった。それは無意識にある特殊な呪文で、心を開いて視点を変えられないと気付かない。しかも肝心のこころには幾重ものチェーンで鍵がかかっており、それが開くのは「ありのまま受け入れられた」と自分が無意識で感じた時だけで、子供の心は共感・共有なしには絶対開かないし、開けないのだ。
<975> reiko ■2005年12月18日 日曜日 17時14分30秒
小さい頃からの家族とのことを時系列で書き出し、「当時の受け止め方」とそれとは別の見方とを書き込んでいる。やはり決定的な出来事があったことがわかり、幼児虐待やトラウマ関係の本を読んだらずいぶん勉強になった。子どもは大人になる前にかならず一度自分の親を相対化する時点を通過しなければならない。私にはそれがなかった。まったく「おめでたい」ことに、今のいままで自分の両親を聖人化していた。そうでもしないと生きてゆけないほど恐ろしい目に合わせたのはまさしくその両親であるのに。眠っていたような気がするいままで。人格が完全に分離していたらしい。解けるはずのない方程式を解いてきた。ずっと。そしてわかった。パズルの最後のピースは母親に関する前提条件だった。一番最初の条件「母は私が嫌いなのだ」を入れると答えは出るのだ。無意識かもしれないが、私への仕打ちはすべて悪意に基いていたのだ。そう仮定してみると、いままで解けなかった謎が一気に解けるように、こころがもうとてもすっきりした。すべてがわかった気がした。「あ〜なんだ、そういうことだったのか〜」。いままで私はそんなことに気付けずにずっとずっと自分の中だけで悩んできたのか。ずっと親を信じ、親が子どもを憎むことなどちっとも思って見なかった私はこれまでの人生を棒に振った。しかし、親の愛を求めるこころは純粋であり、どんな子どもにも自然に備わっている感情でありまた権利である。私は悪くない。どんな人間だってあの人に育てられれば正常には育たない。問題は母にある。母の問題。私はすっきり。さて、母をどうしようか。
<974> Mio ■2005年12月18日 日曜日 16時23分09秒
父はともかくとして、母への愛着はすごくある。
私を守ってくれない母・・・でも本当は守って欲しかった。
母からの承認、愛情を・・・子供の頃から渇望していた。
そして求めるたんびに絶望して・・・これが絶望的な愛情の餓え、さみしさに繋がったのかも知れない。。

お母さん、私今までめちゃくちゃ頑張って生きてきたんだよ。
お母さんを守ろうとしたこともあったんだよ。
ねえ、認めてよ、認めてよ、認めてよ。
お願いだから、もう少し私のこと好きになってよ・・・。

たぶん承認能力のない母に向かって
私の中の子供が、何度も何度もしつこく心の中で叫び続けてた。
(子供って結構しつこくてあきらめないものなんだ)

だけど・・・求めてもお母さんはそれが出来ない人なんだよ。
出来てたらとっくにやってたはずでしょ。

私の中の大人が冷静になだめても、子供の泣き声の方が遥かに大きい。

喧嘩ばっかりしても、お母さんのことが私は本当に大好きだった。
だけど、私を全然愛してくれないのが、悲しくてたまらなかった。

そんな気持ちをぶつけたら、昔はいつも般若のようだった母も
最近は悲しそうな顔をする。母も少しはわかってくれてるのか。
私の幸せを望む気持ちが、少しは母にもあるって信じたい。

自分で自分を守るんだ。


<973> こく−ん ■2005年12月18日 日曜日 03時10分28秒
母から教えられたこと。
『動物は汚いから触ってはいけない』
『雨の日は湿気が入ったり、濡れたりするから家に他人が来て欲しくないし、
行ってはいけない』…等々。

今思えば、何かがおかしい気がするのだけど…。
未だに縛られてたりする。こういうルールに。
<972> いつか ■2005年12月16日 金曜日 11時31分27秒
長いこと距離を置いていた姉とACに気がついてから交流が始まったのだけど。
やり直そう、いい関係になろう、と努力してきたけれど。
やはり、危険なことかもしれません。

上手くいくと思っていたけれど。

気が付くと完全に支配されている。

今の私は姉を待つだけ。
姉に会うことが一番になって、出かけないで居る。

カウンセラーにも、自助グループにも出かけられない理由の大部分はこれだ。
巻き込まれている。

主役はまた姉になり、私はお世話役になりかけている。
自分の人生なのに。

私が学びたいのは、この支配されない、他人との距離。

姉とは感情的になるので、ますます上手く距離を取れない。
もう疲れてしまった。

悲しいけれども、会いたいけれども、お互いのためにはもっと距離を置くのがいいのでしょう。

姉がまた去ってしまうかも、という恐怖。
15の頃に傷ついたままの私がいる。

私が私でしか居られないように、姉も姉のままでいい。

<971> アーネスト ■2005年12月15日 木曜日 23時09分25秒
まったく違う一人の人間、友達みたいなものとして付き合うことができるだろうか?○○家(私の姓)の人間としてでなく。兄弟とはそうありたいと少し思う。それは父が高齢だからというのと、兄弟にはまだ新しい人間として可能性が残されているような気がするから。父に対しては対話を繰り返すたび、「わかってくれない」という思いばかり募るから・・・もうとっくに見切ったのに、また反応してしまうから・・・でも兄弟でも過去の掘り返しみたいな関係にはなりたくない。大体、こっちにも聴く余裕がないと思う。
<970> mio ■2005年12月14日 水曜日 14時56分28秒
[母の手]

今まで家事やって仕事してきて・・・一杯働いてきた手。
火傷したり傷ついても、「面倒だからもういい」とほとんど手入れしてこなかった手。
私の手とは比べ物にならないくらい、とっても汚い手。
しみだらけで傷だらけ、 だけどこの手で毎日家事やってくれたんだね。
アレルギーだからって、いつも気を使って手入れしてる私とは違うんだね。
お母さんにハンドクリーム買おうかなあ・・・
でもまた、拒否されるのかなあ・・・
<969> なきむしっこ ■2005年12月11日 日曜日 21時09分11秒
 お母さん。お母さんに私よく小さい頃、分けわかんないこと言われたよね?
私の靴の裏側にフンがついていると・・・「やだ〜、汚〜い」ってめちゃばかにされた。3歳くらいだったかな。社宅の水道場で。お父さんが「かわいそうだろう、やめさない」って言った。
 そうそう、お姉ちゃんに「あんたどうせピアノ下手なんだから、弾くんじゃねえよ」みたいなこと言われたとき、お父さんが「そんな事言うんじゃない」って言ってくれたっけか。
 お母さんは、子どもの目から見てもかわいいからかいたくなるような人だったのかもしれない。。。
 で、旅行の時のパーキングエリアでお母さんのうきうきした歩き方をお姉ちゃんとお父さんが「恥ずかしいからやめろ」みたいに次々に言って、私は、「え、かわいいじゃん、いいじゃん」みたいな事を言ったのよね。5歳くらい?幼稚園くらい?
 お母さんはとにかく、ちょっとよく分からないことを言う人だった。
ずれているというか・・・・で、いつも私には、「OOちゃんは、弱いんだよ〜」とか、いつも自分を言えないところを突いて「何でいえないの?」とか、何気なく「家庭科の時間にクレープつくりにうちの班決めたんだよ」って話しをしていたら・・・・「また、そうやって自分のつくりたいもの言えなかったの?言えばいいじゃん」って言われた。
 とにかく、私は気の弱い子どもだったみたいだ。
そして、友人に「今日あんたんち使えなかったから、明日の日直の時に朝話す事一言も言えなくなった、どうすんの?」って言われた時に、母親を説得してうちを使おうとしようと頑張ったら、母親に「あんたたち、うちのOOちゃんをいじめているんだって?さっき聞いたよ。」みたいな事をめちゃめちゃ怒鳴った。
 とにかく、周りを見ないで、自分の想像も交えて判断する人なんだと思う。
テストで数学のテスト平均の10点したを取った時に、それを母に伝えたら「ふ〜ん」みたいな反応の後に、台所でいきなり泣き出したこともあった。
で、私が「進研ゼミの赤ペン先生に相談するから」みたいな事を言ったら「あんたはいつだって、そうじゃないか〜」って怒鳴られたのよね。
 何か、うちのお母さんは、価値観がずれていて、私は外人になったような気分で、境界線を家族間、とくにお母さん、お父さんとひかないと、いるのが難しい。
 昔は、お父さんにめちゃめちゃばかにされているお母さんを見て、子どものできる事(おどけ役)(お父さんのご機嫌取り役)(その場でバシっとした事を言って、ちょっと鎮める役←大抵お父さんに「お前は賢い」とか「あんたは気が効くよとか言われたり、両親に「OOちゃんすご〜い」って言われていた)をやったりして、お母さんを守っているつもりだった。
 でも、結局、お母さんを守っていながらも、高校時代の時にお父さんとお母さんとで出てきた時に「守ってやったのに」って思った私。そして、姉に対しても「お姉ちゃんはね、自分で反抗期乗り越えてえらいよ」って言ったのよね。
 私ってなんだったの?って何度も思った。守っているつもりだったのに。何かのれんの腕押しというか、すかされたというかそんな感じだった。
 今はもう分からない。
 もういいじゃん。お母さんに幸せになってもらいたい。でも、何となくもういいやという思いもある。
 年頃になるとお母さんをお父さんを一人の人として尊敬するようになるって言うけども・・・・私は・・・・何か・・・・う〜ん。今は正直分からない。うちの家族は変わらないと思った。
母親も相変わらず父親に、「この人神経逆撫でするのうまいから」とか、まあ結構言われたい放題。姉にもばかにされている。
 でも、もういいのかも。お母さんの感情はお母さんのもので、私だったらそんな事言われたくないけども。(それも私が強くなった証拠なの!そんな事少し前は言えなかった。)
 私は家族と離れたんだなと思った。あの家族と。もうなあなあ家族、境界線があいまいで気持ち悪いとも思わない。お母さんが少し心配なだけ。でももうお母さんのために「上」の人間にならないように我慢すると思うのはやめた。
もう離れたんだな、と思った。そして、何となく私が何で弱かったのかが分かった。
<968> mio ■2005年12月09日 金曜日 23時00分17秒
父が何かと私に執着、干渉してくるのは、「見捨てられ恐怖」が根底にあるのかも・・・と気づいた。父もまったく回復してないACなので。
父を相手にしてあげるのは、世界中で私と母しかいないからね・・・
でもね、お父さん
見捨てられたくないから、関心もってほしいから、って子供のように暴れないでくれ、頼むから。
お父さんは大の大人で子供じゃないんだよ。
お母さんに見限られてるからって、私にその分執着しないでくれ。
あんたの虐待の連鎖は重すぎて、重すぎて心を壊した私には背負えない。
<967> iwashitakeco ■2005年12月08日 木曜日 11時43分52秒
「やさしそうなお母さんね」と母を見た人たちは言った。
だって、他人には自分の本音なんてまったく見せない人だもの。
人前では絶対怒らないし。
でも家では、それはそれは恐い人なんだ。
私の存在を許していないんだ。何をやっても怒られてきた。
誕生日プレゼントにでさえ、ケチをつける人だ。
それでも「やさしそうな人」で、「母親なんだから子供のことを考えていないわけではないよ。」だそうだ・・・。

そんな母から逃げ出したいのに、逃げ出せない私。
家族を見ていると絶望する・・・。
<966> mio ■2005年12月07日 水曜日 17時50分19秒
何でもかんでも家族のせいだとは思わない
でも、父の症状に私の生活全般引っ掻き回されてる。
疲れきってしまった。つらい
<965> mio ■2005年12月07日 水曜日 17時43分20秒
[不快な表現あり]

あんな人たちに何言っても無駄なのに・・・・
またぶつかってしまった・・・なんかとってもむなしい・・・疲れた
あの人たち殺しても私は反省しないかも。 疲れた
<964> いつか ■2005年12月05日 月曜日 22時37分56秒
以下の文章はフラバ注意です。
ごめんなさい!
<963> いつか ■2005年12月05日 月曜日 22時35分47秒
どこに行くの?
また心配して!すぐ帰ってくるから!
お姉ちゃん帰ってこないとお母さんも私も大変なんだよ。
と、言えたのかなあ?15歳の私。

2年ぐらいして何か傷ついて帰ってきた姉。

そしてまた出て行く、その繰り返し。
残された私は、母を支えるのに精一杯で、自分の人生なんて無くなっていた。
本当はずっと前から無くなっていたんだ。

鬱になった母、そして父。
頭よくて、運動もできて、人気者の姉は、、、。

このころから私は自分を見失い、見捨ててきたのだろう。
全て、愛する母のために、母のあの優しい微笑みが見たくて。
そのためになら何でもした。

それが、間違いだったの?
そうよね。

自分のために生きる!

私にもできるだろうか?

一人でいずれ、人はみな自立していくなんて誰も教えてくれなかった。
私のためだけに生きてね!貴女だけがいい子よ!
こうしたらどう?
ああしたらどう?
貴女はどう思うの?なんて誰も家族の中で聞かれたことはなかった。

大人になって、さあ、出て行けと来た。
お母さん、恨むよ。
お姉ちゃんが帰ってきたものね。そのとき。
待ちに待った、息子を連れてね。

出て行け、の勢いだったよね。

<962> いつか ■2005年12月05日 月曜日 20時10分22秒

今日は帰ってきてね?
彼と出かけていく姉に何度も頼んだ。
解ってるよ!心配しないで。
そして、何日も何日も帰ってこなかった。

怒りは私や母に。

姉が帰ってくるとまるで腫れ物に触るような父と母。

出て行くと当り散らされるのは私。

きっと家族を代表して、帰ってきてねと言っていたのだろう。
父母に言わされてもいたのだろう。

だから私は姉さえ帰ってきてくれれば、という幻想のなかで生きていた。
父母のせいだなんて思いもよらずに。

あの時出て行った姉がまともだったのだ!

だが残された中学生だった私は、、、!
毎日じわじわと父に成績を理由に、勉強を教えると言う名目のもとに、、。

今もそれと同じ。
最高の妹!
もう絶対悲しい思いさせない!
たった一人の肉親、、。

それなのに、、。
<961> いつか ■2005年12月05日 月曜日 19時03分27秒
この一年、言いたいこともいい、無理しないように会ってきた姉とついに別れたいと思った。
やっと出会うことができたと思ったけれど、もうたまらない。

帰ってくることをじっと待っていた中学生のころ。
暗くなって姉がいない食卓で父が怒鳴りだす恐ろしさ。

今の私はまた、そうなってしまっている、かもしれない。
約束は、言葉とはうらはらに次々と破棄されて行く。
いろいろと言い訳があるだろうけれども、私はいつもつい待っている。
姉は回復して私のことを大切にしたいと言った。

姉と私はやはり離れたほうがいいのだろう。
期待しなければ、悲しくもない。
今焦るときっと壊れてしまうのだろう。

もう、私は壊れかけている。
じっと姉からの連絡を待つだけになってしまっているのかも知れない。
また支配されているのかもしれない。
最優先してしまうだろう、きっと。
何か連絡があれば。

今を生きたい。
長いこと会わなかった、心を開かなかった、大好きな姉。
心の底から求めてやまないのだけれど、なにかやはり違う。


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This script written by Shintaro Wakayama.