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私たちの物語 - 家族過去ログ No.48
メッセージ数:960件

<960> こく−ん ■2005年12月04日 日曜日 01時31分27秒
弟の家庭内暴力で、私が避難することになったとき…。
私は母の身が心配で離れたくはなかった…と思っていた。
でも、それだけじゃなかった。
『暴力の加害者と被害者』という絆で、弟と母親が強く結ばれ、
私だけが除外されるのが、イヤだったんだ…、耐えられなかったんだ。
私だけが取り残されるのがイヤだった。ひとりぼっちはイヤだった。
今更ながら、そのことに気づいた。
<959> いつか ■2005年12月03日 土曜日 23時48分08秒
家族で苦しんだ、そうあの時代。
姉が家出をして、悲しかった。

全然許していない。
親が悪いと思うけれど、出て行った姉のおかげでこっちは地獄の日々。
どうしてくれるんだよ!と、怒鳴りたくなる。

一生懸命貯めたお金でやっと買ったレコードを根こそぎ持っていった姉。
やっと買ってもらった服を、それに合わせたソックスまで持っていったよね?

今、思うけどうそばかりなんだよ。
期待させておいて、はずれ。
今もそれをやってるよ!

何の治療してるの?
回復?今私に向かって再演しているの、わかる?
虐待しているの、解る?

もういやだな、あんたから虐待されるの。
<958> はな ■2005年12月02日 金曜日 00時35分29秒
あなたたちが、いつでも幸せであることを望んでいました。
そのためならなんだってやる覚悟でした。無意識に。
自分が幸せになる、自分のために自分の人生を歩むなんて
考えることなく過ごしてきました。無意識的にね。
でもこうして何年も動けなくなって、ようやく、
「自分の」ために生きていくっていう選択肢をとるのもありなのかも・・・
って、うっすらと見えてきたような気がします。

でも・・
すごく、抵抗があるんです。いけないことをするようで、
だから、そんな生き方を選んではいけないような気がして、
なかなか実行できずにいるんです。

これからも生きていく、ということに完全に行き詰っている今、
これからは、自分のために生きていくという方向でないと
これ以上生き続けることはできないだろう・・と、
なんとなく気づいてはいます。

家族に依存しない。自己尊重をする。というのが
できないんだよなぁ・・・・
<957> I ■2005年11月30日 水曜日 21時27分20秒
『(お前は)何処でどう
間違ったんだろうねぇ』
あなたのそばに生まれて
来た事だよ。
<956> NAC NAC ■2005年11月30日 水曜日 21時16分16秒
日曜夜、私のエロ友達Mの両親と姉貴が「5日間ぶらり九州の旅」から帰ってくるというので、私は休日実出勤を4時間早く抜け出し(手当て約\5,000の損失)、無料助手席ナビってことでMの車で羽田まで迎えに行った。
家族旅行それ自体、ワーカホリックの我が家では考えられない羨ましいことである。
なんといってもM家は会話が成立する。当たり前か。でも我が家では当たり前ではない。ないのが当たり前だ。
帰りの車中、時折会話に加わりながらも高速から東京の夜景をぼんやり見る私。
寂しい。
感情が正常に機能し始めた今では、暖かいもの健全なものに触れると自分の過去が照らし出される「何でこうなのかな?」 
心を閉じたくなる私。
車は1時間で茨城に着き、既婚で子持ちの姉貴を送ってから残りの面子で夕食。
ここでも「一家団欒とはどういうものなのか?」私はその一部分を見せてもらった。ACとしてまことに羨ましい限りだ。
「なんでうちはこうじゃないんだろ?」
そしてここで私は粗相をしてしまった。
テーブルが料理で一杯になって私の大ジョッキが邪魔になって退かそうとしたところ、うっかり?私はこぼしてしまったのだ。別にその前に私が中ジョッキを1杯飲んだからといって「酔っ払っていた」というほどではない。
ここで私がうっかりの後に?を入れたのは私が紛れもないACだからで、これがACでなければうっかり不注意なのだが、こぼした後で私が思ったのは「M家の和に自分の無意識のところで寂しさを感じ、例えて言うなら『寂しくて堪らない小さい子供が自分をかまってほしくて無意識に問題行動を起こす』 それと同じで、私がビールをこぼしたのはそうした心のサインからだったんじゃないか?」と自分を疑ったからだ。
どうだろう?
そうとも言えるし、そうじゃないとも言い切れないのがAC故だ。
はっきりしてるのは前述の通り「私は家族内でM家のような団欒を経験してこなかった」ということだ。
幸いこぼれた場所が端っこだったので大事には至らなかったが、私は少々恥ずかしい思いだった。
まっそんなこんなで、私は−\5,000以上のものをM家に感じさせてもらった。
一家団欒は大事だよ。まずは会話からだね。
早退してよかったよ(係長ごめんなさい)。
<955> mio ■2005年11月30日 水曜日 19時21分15秒

[不快な表現あり]

あーー、やだやだ。ほんとにやだ。
父にPCいじられてしまった・・・
もちろん「いや」と言ってもまったく無視。
油断してた矢先に侵入された。
気持ち悪い。ほんと、早くあんな化け物死んでほしい。
<954> 白 ■2005年11月28日 月曜日 15時34分02秒
私は文章を書くのが好きだった。
母はいつしか、私の日記、作文、大切な秘密の交換日記…そういったものを盗み見ては、学校に出かける直前に、玄関で「アンタのあれ、読んだわよ。良かったわ」と言うようになった。
ぞっとした。怒りでどうしようも無くなって、でも遅刻しちゃうから言い合いしている暇もなくて。
何度も何度もやめてと懇願した。その度にわかったと言うけれど、次の日には
何事もなかったように「読んだわよ」の繰り返し。
それに憤慨する私の方が心が狭い、こだわりすぎって怒られた。

私は段々と、秘密は持ってはいけない、すべて母親に話さなくてはならないんだと思い込むようになった。
勤め始めて一人暮らしをし、もういい歳になったというのに、婚約者と少し出かけることでさえも親に言わないと罪悪感を感じた。
職場のことで悩んで相談すると、その上司にいつの間にか電話されていた。

侵入してくるのはもうやめてください。
私はアナタではないのですから。
<953> アーネスト ■2005年11月26日 土曜日 12時44分08秒
もともと強引に侵入されたこの人生。
多少の衝突があったって、なんとか取り返さないと・・・過去に侵入された部分はもういい。これから
<952> いつか ■2005年11月26日 土曜日 00時22分10秒
続き

きっとこれはずっと続くに違いない。
私には姉より大切な友人が居る。
姉よりも大切に思う人を大切にしていきたい。
自分が思うように、自分の欲求のままに生きられるか?

姉だから、と、大事にしていないか?
何々すべきだ?

ただでさえコントロールされやすい私は、今度こそ気をつけたい。
もう家族は捨てたのだから、心地良い関係を大事にしたい!
自分の気持ちを一番にしたい。

姉とは白でも黒でもなく、グレーかもしれない。
グレーがいつのまにか身についたのかもしれない。

ああしかし、すべてを求める!
姉に限りなく求める!
幼いころに慕った、あのころのまま。
それではいけない、解っている。
<951> いつか ■2005年11月25日 金曜日 19時30分44秒
フラバ注意


姉が父の言うことを聞かなくなって、家族は崩壊しはじめた。
いきなり暗闇に放り出されたようだった。
それまで少しはまともなところもあったのに、こなごなになってしまった。
私はまだ15さいだった。
姉は家出や自殺や非行を繰り返し、父は途方にくれ、私にあたった。
繰り返される母の愚痴。
泣いてばかりの母。
かわいそうだったから、いつも慰めていた。

そして、姉さえいなければ。
あの姉さえまともになってくれたなら!

本当は違う!今なら解るよ。
まともでなかったのは、被害者ぶった父と母だったんだ!

そしてこの時から私と姉は母により引き離され、それぞれ母の奴隷になった。
繰り返すパワーゲーム。
お母さん、私のこと愛して!
お姉ちゃんよりも私のほうがいい子でしょう?

姉と私は今年になって和解し、お互いすこしずつ歩み寄っている。
だけど、何もかもがつら過ぎてそう簡単には戻れない。
会うたびに頑張っているなあって思う。
いつも二人で泣いてしまう。
それでも支配されそうになり、たまらない時がある。

<950> Mio ■2005年11月25日 金曜日 05時02分17秒
あんな家族捨てたい。
<949> アーネスト ■2005年11月24日 木曜日 10時07分06秒
(FB注意)

私の家では自分を主語にして話しをする人が誰もいなかった。
それはある意味タブーだったのかもしれない。今、それに気付いた私がやっている。怖い。分けのわからない叱咤、罵声、暴力が、本当に小さい頃の、スポンジのような柔らかな心で吸収してしまったのだと思う。自分を中心に据えている幼児だから、周りで何かあれば、全て自分のせいだ、と思ってきたのだと思う。それは、やはり8、10歳程度では判断しようがなかったのだろう。否認、抑圧、逃避、生きる上でしょうがなく身につけた癖だとしても・・・恨むべきはこの私の感覚器官だ。でもそれは変えられない。今だって、自分の意見を率直に述べれば、刃物を向けられるとか蹴られるとか、胸倉掴まれるとか思ってる。冗談じゃなくて真剣に。「嫌われたらどうしよう」ではなく「暴力を振るわれたらどうしよう」なのだ。まだその恐怖を感じている部分だけが8歳のままなのだと思う。成人した自分が再び、意見を述べるという訓練を積んで、それでも暴力を受けるわけではない、あるいは逃げられるということを学んでいくのだと思う。未解決の発達課題を。
<948> こく−ん ■2005年11月24日 木曜日 03時12分55秒
母親が離婚を考えていたとき、中1だった私は、母の背中を押した。
「いいんじゃない?もう我慢することないよ」と言った。
母は、私を『大人の事情のわかる子』だと思ったようだ。
私も自分を聞き分けの良い、いい子どもだと、思っていたのだと思う。
…しかし、本当は違ったのだ。
父親さえいなくなれば、食べるものも着るもののままならない生活から抜け出せるかもしれない。お弁当を持っていけないから部活を休むとか、雪の中、底に穴の空いた靴を履いていかなくてはいけないとか…そんなことから解放されるかもしれない。
そんな子どもじみた、浅はかな感情だったんだ。
そこから、母の私の、私に対する認識の齟齬が始まったんだ。
そして、そこから成長しきれない私がまだここにいるんだろう。
<947> アーネスト ■2005年11月23日 水曜日 22時49分09秒
自分は冷たいのかな?非情かな?兄と自分の関係。どう言われたら、相手を傷つけないで済むだろうか?そればっかり考えてる。常に彼のことばかり考えてしまうのも、共依存っぽい。アサーティブ講座の指導者も「今まで我慢して言ってこなかった側にも責任がある」と言っていた。それは確かにわかる。我慢していたことを急に、言い出せば場合によって相手を傷つける、あるいは傷つけなくともびっくりさせたり、多少のショックは与えるかもしれない。でもそれを気にしすぎると、ぎゅっとブレーキが掛かってしまって何も言えなくなってしまう。その優しさみたいなものも自分の長所かもしれないけど。どういうのが自分の尊敬できる態度なんだろう?自分ならどう言われれば、(傷付く傷付かないは関係なく)失礼な感じを与えずに言うだろうか?また考えてみる。
<946> Mio ■2005年11月23日 水曜日 20時58分49秒
[不快な表現あるかも知れません]


父の病気の症状のひとつが激しい手洗いで、洗濯も好きらしい。
肌がぼろぼろになってもうれしそうに手洗いを異常にしつこく繰り返す。
今日もとてもうれしそうな顔で、大はしゃぎで洗濯していた。
自分の気の向くまま好きな時間に洗濯してるだけで、何も積極的に家事を手伝ってるわけじゃない。
うれしそうな顔で、はしゃいで、ドスドスと地響きさせて洗濯物を持ち歩いてる姿が異様で・・・その顔見てしまったらどっと疲れてむなしくなった。

父の症状は家族にとんでもなく迷惑かけてるが、そんなことお構いなしで
「仕事してるからそれでいいんだ」とばかりに、絶対治療しないと決めてる父を見てると(見たくなくても目に入ってくる)
とてつもなく空しくなってくる。
私がこんな空しさ、ほんとは感じなくてもいいような気がするが・・。
・・・関わりたくないな、こんな人。
嫌いだがもう怒る気にもならない。
<945> アーネスト ■2005年11月23日 水曜日 19時26分53秒
このまま漫然と家にい続けることが将来の自分にどのような影響を及ぼすのか、
時々、危惧の念を感じる。確かに抑うつ感も取れてきて、調子はいい。でももっと長い目で見たとき自分はどうなるのか?と不安になることが多い。例えば父親とは距離を置くにしても相変わらず恩を着せてくる。表立った実害は今のところ出ていないけど・・・どうなんだろう?
<944> とら ■2005年11月23日 水曜日 15時51分08秒
今日、家族と近くの公園でバーベキューにいった。公園に着いたときは孤独感を感じ、怒りがこみ上げてきた。家族と繋がっていないと感じていた。しかし、時間をへて家族と繋がっていないわけじゃないということを感じに変わった。嬉しかった。もう過去は過去なんだ。思い出しはするけど自然に想い出に変わるようだ。そんな一時過ごせて、とても幸せだった。
<943> reiko ■2005年11月22日 火曜日 22時57分10秒
もう40年たちました。いまやっと、ようやっと、眼がさめた気がしています。真っ裸になって、まったくの無防備で、外に立っている気がします。これから一人でどうやって、と思うけど、これが本当の意味の生きることらしい。トラウマを思い出し、トラウマを書き出し、そしいまやっと、トラウマをトラウマでなくす作業にかかっています。トラウマを自分の過去の歴史とすること。これが、いままでなかなかできなかった。私は悪くない。トラウマから逃げることばかり考えてきた。違うのだ。トラウマをトラウマとして認め、自分の過去に位置付けること。・・・そしたら、一気にからだが重くなったように感じた。長い長い時間が、暗い暗い想い出が、冷たい冷たい幾夜が、すべて私のからだの中にあると思うと、こころもどっしり、体も重いのです。そういう、歴史を背負った自分を、初めて感じています。

何か、見えない力にいつも突き動かされてきた。それは、正しいものだと思っていた。真実が私にはついていると。しかしいま、それもない。私は、ほんとうに私だけだ。この体と、このこころと、ここにいまいる、たったこの私だけなのだ。ほんとうにまっぱだかでいるような気がするほど、私はいま、行ってみれば自由なのだけれど、こころがとても軽いのだけれど、でも、これからあと半分の時間を、生きてゆけるのだろうかと、少々不安でもあるのです。でも、そんなか弱い自分と一緒に、生きていってみたい気がする。何が起こるのか、どんな人と出逢えるのか、そろりそろりと、コワゴワと、チョロりチョロリと生きて生きたい気がする。あー、やっとです。やっと私の出番です。
<942> ミニャコ ■2005年11月21日 月曜日 23時45分32秒
猫って本当にいとおしい。
素直に甘えてかわいいしぐさを見せて、時には媚を売り、基本は自分中心。
そんなところがたまらなくかわいくて、そして羨ましい。
猫のように振舞えたら人間関係で悩むことはないだろう。
相手には問題ありなわがままでも、自分さえ良けりゃ気にするほどのことでもないわけですから。
無垢な魂に触れているとそれだけで癒される。
キミがいなかったら今頃私はどうなっていたことやら。
本当にありがとう。
長生きしてね。


<941> アーネスト ■2005年11月21日 月曜日 15時55分59秒
自分が2歳ころの写真で、火傷か何かを負って大泣きして父に泣き付いているのに、父が知らん振りしている、という写真があって昔からよく家族での笑い種になっていた。「こんなに泣いているのに、あぁひどいね」くらいで済まされていた。その時父は疲れていたかもしれない。色々事情があるのだろう。でもそれが絵的に残っていた。それから笑い種にはなるけど、その代替案が出なかったのだ。自分でもおかしいなとは思っているのだが、ではどうして欲しいのだろうと考えると、浮かんでこないのだ。その写真に奇異なものを感じるけど、どこが変なのか、実際どうであれば「ひどくない」状態なのか、わからなかった。今ならわかる。「ハグしてほしかった」と。

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This script written by Shintaro Wakayama.