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私たちの物語 - 家族過去ログ No.43
メッセージ数:860件

<860> 無為 ■2005年08月29日 月曜日 18時25分30秒
嫌いだ
愛という名前にすり替えたの支配と依存と執着を振り回す存在だ
私が一番傷つくカードを簡単に、それも気づかずに使ってくる、最悪の人間だ
彼らが死ぬとき私は心の中で狂喜するだろう
<859> 桃色タイガー ■2005年08月29日 月曜日 02時16分06秒

 「家族の絆」
 この世で最も信じがたいもの
 「家族の絆」
 私の一番嫌いな言葉
 「家族の絆」
 そして私の人生に最も
 縁のないもの

 
<858> アーネスト ■2005年08月27日 土曜日 19時47分13秒
主張が全くできなくなってる。飲まれてる。
<857> アーネスト ■2005年08月27日 土曜日 19時46分41秒
抑圧したのが昔なら,昔に戻って抑圧を解かないといけない?自分の魂は8歳や12歳,20歳のあたりを行ったり来たり。
<856> アーネスト ■2005年08月26日 金曜日 00時45分17秒
愛してない、とは言えないから様々な理由付けをして自分の言う事を合理化する親。苦しい
<855> はるか ■2005年08月23日 火曜日 21時02分54秒
結婚して子供が出来て家族を持って、自分の原家族について改めて感じさせられる。
普通じゃない。おかしかったんだって。


自分の子供=私のインナーチャイルドだった。
あの子の欲求は私が求めていた欲求。
今まで否定してきちゃったけど、それがわかったから少し楽になれた。
連鎖させない。
私の母親のようには絶対・・・。

<854> いつか ■2005年08月23日 火曜日 01時15分22秒


もう、家族なんか、いらないんだ!
今の、世の中、システムとして合わない!
ろくな親がいないってことよ!大勢が育児に関るってことが大切かも。
子供に、逃げ場を!
<853> こくーん ■2005年08月23日 火曜日 00時32分00秒
友達の『ウチのお父さん』の話には、心がミシッて音を立てます。
子どもの頃より、今の方が酷い。
私はずっと父がいないことを大丈夫だと思ってきましたが、それは心に穿たれたヒビを見て見ないフリをワザとしてきたんでした。そうでした。
それは、段々大きくひび割れてきたのでしょう。
私が平気な顔をすればするほど、大きくなっていたのでしょう。
ああ、どうして、寂しいって、悲しいって、言えなかったのか。泣けなかったのか。今はもう、何もかもが、手遅れ。
<852> たらり ■2005年08月22日 月曜日 21時03分50秒
親なんて他人よりタチが悪い。 何もできないこどもをウサ晴らしの道具に使い挙句には「しつけ」だと豪語するのだ。 彼らが当時の苦しさを乗り越えられたのは間違いなく私たちこどもがハキダメ役をこなしたからだとはっきり言える。 私たちは彼らに感謝も謝罪も求めてはいない。 そんな値もない人間だと知ったから。 混乱する思考になんとか言い訳をして折り合いをつけながらここまでやってきたが 自分に疲れて時々訳がわからなくなる。 かといって誰かに心を開くことももたれかかることもできない。 こわいのだ。 また「取引」を要求されるかもしれないと。 一度その「取引」に応じてしまうとどんどん彼らの思惑に引きずりこまれる。 それはまるで蟻地獄・・・。 親という呪いのような社会的概念は幼稚な親たちの最大の「武器」。 こどもは言いなりになること、されるがままでいることで「終わり」が来るのを待つしかない。 しかしそれにおわりなど来ないことに気付いた時にはもう遅い。 こどもはそれまでの時間のなかに「自分」を使い果たし「自分」というものがいったいなんなのかさえ知らない自分を思い知らされる。
幼稚な親たちは幼稚でいることを自覚していないから その幼稚さを疑うことなくこどもに受け継がせるのだ。 迷惑も甚だしい。 しかしそれに立ち向かうには私たちはあまりにも消耗しているし「無知」だ。 疲れてもいるし決断力もない。 ただひとつだけ私たちが救われるのはそれを「認める」ことができるということだ。 私は彼らとはちがう、と区別できることが今をまだ生きててもいいと思えるところの私の支えなのだ。
<851> アーネスト ■2005年08月19日 金曜日 17時55分26秒
母の代理夫・恋人役だった自分。彼女は俺のことをシティーボーイと言った(恥)。顔がカッコイイとも言った。ただ言われて嫌な気がしなかった。今もやたら容姿に自信があるのはそのせいかな?母親が言ってくれたように女性にそう言って欲しいんだ。でもそうやって溺愛されてきたかというとそうでもなく,あくまで母好みの男にならざるを得なかった。愛されていたようで愛されていなかった。今でも好きな人ができると,母のことを思い出す。普通の女の人がどんなものなのか,全く分からない。でもいい。痛い思いをしながら経験していこうと思う。マザコンとして。
<850> マイル ■2005年08月18日 木曜日 21時13分38秒
機能不全の親を変えるのは、私には背負えない荷だ。少なくとも今の私には。
そう必死で自分に言い聞かせても、親に「生き方を変えたら」「あなた達はACです。こういう本を読んで、いい加減目を覚ましたら」などと言いたい衝動にかられてものすごく苦しい。この気持はどうやって処理したらいいんだろう。そうしてしまえば、そしてそうすることで本当に親が目をさませば、自分の回復はどんなにラクになるだろう、という誘惑はものすごく、圧倒的だ。
けれどもやはり私にはあの人達の回復にはつきそえない。親の親役はもうとてもできない。自分が今するべきことは親の教育ではなく、自分に力をつけることなのに。
この苦しさをただ受け入れることは、回復につながるだろうか?
<849> アーネスト ■2005年08月18日 木曜日 02時27分17秒
自分の感情が親に受け入れられていないと感じたのは9歳くらいの頃からだと思う。母に,「〜君の家はこうだけど,家はこうだ」みたいなことを話したら,すごい剣幕で怒られた。本当は,ただその気持ちだけを認めてくれれば,嬉しかったのだと思う。「そんなこと言うもんじゃありません,家はうちなんだから。うちにはうちのやり方があるのよ。口出しするんじゃありません」と言われたっけ。
<848> いつか ■2005年08月16日 火曜日 20時56分19秒
父は母を、認めていただろうか、人間として。
母は、私たち姉妹を認めていただろうか、そのままでいいって。
コントロールばかりされていた。
あれもこれも、何もかも。
奪い続ける、どろぼうだ!
私は私の思うように生きてよかったのに。
人にああしろ、こうしろ、と言われてやったことは身につかない。
また同じ事になるから、自分で気がついてやることが大事なんだ。

だから、人にも絶対こうすれば?なんていわない。
言いたくなるし、言われてきたし、言ってきたし。
姉に、山ほど言いたいことあったけど、嘘のように消えた。
友達に、ACのひとがいて、アドバイスを求められるが、本を渡すだけ。
自分のことだから、自分で少しでも歩きたい。
もちろん、そっと先をいく人、仲間の様子も勉強になる。

こういう、あたりまえのことを奪われた私の家族が憎い。
生きる力が弱くなるのも当然だ。
もともと自分で考えることすら、許されなかったのだから。

今も、親に支配されている。
<847> アーネスト ■2005年08月15日 月曜日 18時51分04秒
18ぐらいまで母親のことを,「ママ」と呼んでいた。俺だけじゃなくて,父も兄も。俺が受験の頃から,「お袋」と呼ぶようになった。周りにもそう呼ぼうといった。母親がそうであったように,私もいつも家族の全体性を大事にした。皆が従がっているルールみたいなものが必要だと思っていた。呼び方一つとっても,みんなで統一してないといけないという,あまり意味のない規範意識を持っていた。

家族に,みんなもっと仲良くしようと言ったこともあった。

ACを自覚した。知識だけだけど,「親密」とはどういうものか,共依存は何か少しづつわかってきた。多分、私が仲良くしようと言ったのは共依存だった。誰も親密な関係なんかわかんない。

母親とは受験の頃から距離を置き始めた。というか病床についていたから,接する機会が減った。
<846> アーネスト ■2005年08月15日 月曜日 01時30分14秒
兄に対して怒るのは彼のなかに自分の弱さを見ているから。就職で失敗した兄と自分。どちらも家にいて親のスネかじって独立しない。その弱さを自分自身見てない。「だってあいつもそうだから」。最悪な正当化、自己嫌悪。
<845> はるゆたか ■2005年08月14日 日曜日 18時27分46秒
私が小学校高学年のとき、家族で順番にノートを回していた。
それぞれ、書きたいこと書いて、次の人に渡す、交換日記みたいなもの。
でも、長い間、回って来なくなって、おかしいなって、思ってた。
ある日、そのノートが居間の本に紛れて置かれているのを発見した。
中を見て、びっくりした。
私は仲間はずれにされていた。
ショックだったけど、当然だなと思った。
私の存在はもともと歓迎されていなかったんだから。
いない方がいい人間なんだから。

兄がいなくなってから、親は突然私に関心を示すようになった。
今まで透明人間のような扱いをしていたのに。
そんな関心、信用できない。…と思っていたら案の定。
結婚したら、私はカワイイ婿を連れてくる人間として扱われるようになった。
やはり信用できない人達だと思う。
<844> アーネスト ■2005年08月14日 日曜日 05時15分39秒
私が高校生1,2年で,兄は20歳の頃,なぜか兄の進路(就職)のことを案じていた。やっぱりおかしい。しかもあれだけ嫌いだった塾教師にその事で相談していた。身近に相談できそうな人は彼くらいしかいなかった。弟がなんで兄の進路を心配しなくちゃいけないんだい?? 

兄が大学受験の年,私は中一。音大受験のことでかなりもめていた。母は普通の大学の経済学部とかに入学を薦めたらしい。まぁ素人目に見たらそうかもしれない。俺が親で,息子に相当な音楽の才能がなかったら,やはり反対するかもしれない。とにかくそのとばっちりを喰らった。

自分が中一の時、兄が受験という感覚も今気付いてなんとなく以外だったが,その頃の自分の記憶が薄くて離人感があることを考えると,時期的に符合してる。

ピアノを買う買わないで揉めてた。近所の公園で兄貴が女と歩いてて、気まずかった。とにかくその時期,変だった。
<843> コスモス ■2005年08月13日 土曜日 15時55分57秒
このサイトを訪問して、私はACの定義の半分以上あてはまる人だとわかった。そして父も母もACあるいは依存症でないとはいえない気がする。

私が幼いころ、父と母は口論を繰り返していた。平日の夜、眠っていたら両親の喧嘩の声、なにかがぶつかるような物音で目が覚めた。兄も目覚め、兄と私は見守ることしかできなかった。父は子供には暴力を振るわないということを頭のどこかで信じていたせいなのか、あるいは戦う気満々だったのか、ときたま兄が止めに入ったこともあったが、何の解決にもならなかった。父は傲慢になり母は批判的になり兄はそっぽを向き私はフットワークが重い。
昔からそうだが、いまでも家族が集まることもなければ、理解しあうことも無い。あることは、互いの粗さざしをすること、命令すること、文句をいうことか、な・・・。学校のクラスメイトや友達と比べてみてもさびしいし、私もささやかで良いから幸せになりたい。
このサイトは、私が漠然と感じ取っていたものの一部を説明してくれました。ありがとうございます。私自身、ACを理解し何事にも怖気づくことなくすごせるようになりたいです。
<842> アーネスト ■2005年08月13日 土曜日 03時28分51秒
知らない間に,兄の代理母みたいになってしまった。母が兄に対してよく怒っていたことに関して(内容は漠然としているが)自分も兄に注意することもあったし(電気の付けっぱなしとか),今でも電気が付けっぱなしになってると過剰反応する。だから常に兄に対して上から見る感じの態度で接していたし。修復できるのかな。何から始めればいいんだろう?
<841> モーリー ■2005年08月12日 金曜日 20時53分10秒
 さて、あの両親は、たぶん平和な老後をおくりそうだ。私が今までのことを言ってもへーぜんとしてる。「自分たちは子のためを思ってる」「子供たちは無事独立して何の問題もない」となおも平気で言い切ってる。彼らは私が苦しんでることはないも同じ。本当にびっくりだ。普通我が子がここまで苦しんでれば、真剣に話を聞いてくれるでしょう?けど、「いい年をしてバカ」ということにしちゃえばすむ。そういう人たちなのだ。まあそういう環境だから私は「自分はバカだ」と思ってた訳だが。「親なんか乗り越えて」くそばばあ!そういうあんたの無責任って最低!この人ってもう何言ってもだめだ。お互い心を開いて、としくって分かり合える親子っていうのもあるらしいが、私が甘すぎた。彼らにそれは通用しない。一生、「自分はいい親」ってしがみついてればいいでしょ。私はそうは思ってないけどね。
 まあ、私も今後はあんまり問題発言をしないようにしたいです。こんなこと言ってるより自分の現在と将来に目を向けないとね。自分がかわいそうだいくらなんでも。それにしてもつくづく異常な人たち。異常な環境だった。あんたたち、子供をもつ資格ないよ。あんなのでも親は親。仲良くやっていければそりゃあそれが一番いい。自分の親をぼろくそにいうのは仕方ないとはいえ、かなしいものだ。
 ただ今後は床の間に呼びつけられて「自分が悪うございましたお父さん」
なあんて役はもうごめんだよ。スケープゴートはもう降りる。
 

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This script written by Shintaro Wakayama.