親なんて他人よりタチが悪い。 何もできないこどもをウサ晴らしの道具に使い挙句には「しつけ」だと豪語するのだ。 彼らが当時の苦しさを乗り越えられたのは間違いなく私たちこどもがハキダメ役をこなしたからだとはっきり言える。 私たちは彼らに感謝も謝罪も求めてはいない。 そんな値もない人間だと知ったから。 混乱する思考になんとか言い訳をして折り合いをつけながらここまでやってきたが 自分に疲れて時々訳がわからなくなる。 かといって誰かに心を開くことももたれかかることもできない。 こわいのだ。 また「取引」を要求されるかもしれないと。 一度その「取引」に応じてしまうとどんどん彼らの思惑に引きずりこまれる。 それはまるで蟻地獄・・・。 親という呪いのような社会的概念は幼稚な親たちの最大の「武器」。 こどもは言いなりになること、されるがままでいることで「終わり」が来るのを待つしかない。 しかしそれにおわりなど来ないことに気付いた時にはもう遅い。 こどもはそれまでの時間のなかに「自分」を使い果たし「自分」というものがいったいなんなのかさえ知らない自分を思い知らされる。 幼稚な親たちは幼稚でいることを自覚していないから その幼稚さを疑うことなくこどもに受け継がせるのだ。 迷惑も甚だしい。 しかしそれに立ち向かうには私たちはあまりにも消耗しているし「無知」だ。 疲れてもいるし決断力もない。 ただひとつだけ私たちが救われるのはそれを「認める」ことができるということだ。 私は彼らとはちがう、と区別できることが今をまだ生きててもいいと思えるところの私の支えなのだ。
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