機能不全家族。私の育った環境。揉め事が好きな家族だった。 昔、祖父が多額の借金を作って逃げた。私が生まれた年だった。それから父は人が変わったように酒を飲んでは暴言、時には暴力を母に振うようになった。(らしい)私は以前の父の姿は知らない。物心が付いた頃から父親が恐かった。友達の家と私の家とは違うんだ・・幼いながらに悟った。 私は父と会話する事ができなかった。父の前では他の家族とも話せなかった。声を出して何か発言する事が恐かった。こんな事を言ったら怒られるんじゃないだろうか・・。その反面、父の居ない所では母に言いたい事を何でも言った。母と、父の悪口を言い合っていた。それを父は面白くないと思い、怒られた。「なんでお父さんには何も話さない?」と。話さないんじゃなくて話せなかった。私の居場所はどこにもなかった。部屋に引きこもって、ただじっと息をひそめていた。それさえも怒られた。父は、私がそんな風になったのは全部母親が悪いと言っていた。その頃、私はACを知らなかった。 母に依存する私。だけど母は一人じゃ何もできない弱い人だった。両親の不仲、父が母に振るう暴力を見せ付けられて育つぐらいなら、仲良くできないのなら、離婚してほしかった。そしたらどんなに楽だっただろう。 「あんたが小学校を卒業したら・・」「中学を卒業したら・・」母は口ではそう言っていた。私はその日を毎日想いながら、日々じっと耐え続けた。けど、経済力などの理由から、ソレが実行される事はなかった。 次第に母への不信感も募っていった。高校に入った頃には、家にはあまり寄りつかなくなり、そんな想いもなくなった。他人と関わる事で寂しさは埋められていた。他人と居る方が楽しかった。私はただ仲良くしてほしかっただけ。やっとそんな風に思える様になった頃、ソレは実行されようとしていた。その頃は、ギクシャクするものの父と多少会話はできるようになっていた。私は父と母の間に入り仲をとりもった。それから今の所なんとかうまくやっているようだ。 私は機能不全家族の中で育った為、学生時代、社会に出てからもさまざまな辛い思いをしてきた。自分をずっと押し殺してきた私は、表現することが苦手な警戒心の強い内気な大人に育ってしまった。人とのコミィニケ-ションのとり方が分からなかった。今思えば、小学校時代にはすでに自律神経失調症、摂食障害、不眠症、対人恐怖症、不安神経症、などの症状があった。けれど、両親は私の症状には気づいてくれなかった。社会にでてから、仕事にも支障をきたすようになった。 私はずっと自分の家は何かが違うと思って生きてきた。解決する力も気力もなかった。けど、家族以外の人と関わりさまざまな経験をしてきて、今やっとこうしてACと言うモノに向き合い始めている。今は実家も出て両親と距離を取っている。自律神経失調症の症状は多少和らいだけど、社会に適合するのはまだまだ無理。両親にACを理解してもらうのもまだ難しい。 少しずつがんばってみようと思う。
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