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私たちの物語 - 家族過去ログ No.38
メッセージ数:760件

<760> こくーん ■2005年07月03日 日曜日 00時26分02秒
母と半年ほど会っていない。
彼女からは数回メールが届いた。
おかしなメールだ。ほんと、おかしい。
これが、この状況に置かれた親が子どもに出すメールだろうか?
『私は目をそむけてなどいない』
そう母は言ったけど、だとしたら、この、焦点の定まらないメールは何なのか。私が言っても受け入れられないのならば、自分で気づいて。お願いだから。
<759> NAC NAC ■2005年07月01日 金曜日 21時56分54秒
この家族として機能しない状況をなんとも思わない・思えない、危機的と感じられないから何ら対策を取らない・取れないのだろうワーカホリックのマイペアレンツは。
素晴らしい。とても血の通った人間とは思えないくらい素晴らしい。なんせ思いやりや労りを知らない・経験してないのに親になってしまったのだから。どうせ生きてても子供の心を傷付けるしかできないのなら、いっそのこと「未知との遭遇」のUFOにでも乗って飛んでってほしい。
まっそういう私も自分がACと気付く2年前まで30年近くこのおかしな状況を当たり前というか、疑うことすらしなかった・できなかったのだから私も親同様感覚が狂っていたわけだが、少なくとも今の私は乖離(親に感情を殺され、意識・無意識のオンオフ異常)していた頃と違って感情が戻り、「何がおかしいのか?」「どうしたらいいのか?」自分と向き合えるようになった。それもカウンセラーと自助グループ、コーチングのお陰だ。
そして先(回復→安定)は果てしなく長いが、結論も見えている。自分の経験上、そして周りを見渡しても「人間愛されて育たないと自分の無意識のところでモンスターを育ててしまう」ってことだ。そして無意識がゆえに自分では気付きにくい。だから治しにくいのだが、私の好きな番組で火曜の深夜日テレ系でその名もずばり「モンスター」が流れているが、私は眠った自分の過去を刺激するためよく観ている。ほんとよく出来た番組で、自分の親への怒り、それも深いところにあるものを私の意識の上に少しずつ浸透させてくれる。
そして何より私には「怒り」が必要だ。正確には私が子供の頃に抱いていた親への愛されていない不満なのだが、まずそれを自分できちんと認識しないとその裏にある寂しさが出てこない。そして打ちのめされる・癒される→はっきりと子供の時の寂しさを認識し怒る。いつもこの繰り返しだ。
なにぶん自虐的であるが、私は親から(特に父親から)「自分の怒りを表に出すことは恥」と無意識のところで徹底的に刷り込まれていたので、長らく自分が(本当は怒っているのに)意識の上で「怒っている」という感覚・認知がなかった。ただでさえ子供は感情表現が未熟なのに、私の親は情緒を育むどころか抹殺してきたのだ。素晴らしい親だ。最後は絞首刑にしてやりたいくらいだ。

さて、その歪んだパターンである「否認システム」(特に私の場合は矮小化する傾向あり)だが、この言葉はこの前私が通う自助グループ内のステップ4で出てきた言葉で(ここでは詳細は省くが、簡単に言うと事実であるAをAと受け取らず、自分に都合のいいように無意識で流す、またはA'とかBと摩り替えて受け取る)自分は読んでて恐ろしく思った「まさしく自分にぴったり!」 そう思う一方で「私は(実際おかしいのに)そんなおかしい人間じゃない。それは私とは関係ないことだ」と自分の内面から逃げ、毒親から植え付けられたパターンを発動させようとする。
まさしくACだ。AC以外何者でもない。ほんと困った習癖で、できるだけ正常なものに私はプログラムし治さなければならない。でないと何時まで経っても過去の繰り返しだ。

気付かないと何にも変えられないし、気付くためには感覚鋭く。そして痛みを受け入れる覚悟だよね。腹括ったら人間前へ出られるから。そうして変えられるところは変えていき、変えられない者は放っておこう。そんなの相手にしたって疲れるだけ時間の無駄だしね。
でも「どうしようもない親とわかっていても愛されたい」と無意識で思っちゃってるんだよねぇ。こればっかりはしょうがないのかなぁ。だってACなんだもん。
<758> keron ■2005年06月30日 木曜日 01時11分49秒
母が仕事を辞めたらしい。また人間関係のトラブルが原因だ。家にいるとうつになるといって、こちらにしばらく来るなどとぬかしてやがる。頼むから来ないでくれ。自分のことで精一杯な私に、一ヶ月もあなたの世話をする余裕はありません。
<757> 筏葛 ■2005年06月29日 水曜日 00時33分37秒
日付が変わった。あの日からもう2年が経った。
私を必要としてくれた、私の最後の家族だった。
血の繋がりなどいかに脆いものか。
現実は相変わらず刃のように私を切り刻み、色を失った日々が首に巻き付いてくる。
せめて、夢でもいい。
眠れるようにがんばるから。
会いたい。会いたいよ。
<756> さくら ■2005年06月29日 水曜日 00時30分39秒
私は親に愛されていなかった。
その当時の私は、とても孤独だったんじゃないかと思う。
寂しかったんじゃないかと思う。
<755> kitten ■2005年06月27日 月曜日 17時27分10秒
わたしも将来『お母さん』ってものになれるのだろうか、なることがあるのだろうか・・・?
子供を愛すことができるんだろうか??別個の人間として。

 絶対一生子供をもつことはない、、欲しくないと思っていたけど、なんかボーっとしているときに、なぜかふとそう思った・・
<754> こくーん ■2005年06月27日 月曜日 01時59分52秒
5月の母の日も、6月の弟の誕生日も、祖父の1周忌も。
何事もないように、さらり、と過ごした自分がいて。
『お前は結局そういう人間なんだよ』って、自分をなじる自分がいて。
<753> ayako ■2005年06月26日 日曜日 14時27分20秒
近所のスーパーに買い物に行った。土曜だから家族連れが多い。おばちゃんも。
その中に居て寂しくなった。田舎で私の年は子どもがいておかしくない年。友人も子どもが居る。家族・・本当の姿は見えないが世間の家族の姿に傷ついた。
夜中々眠れずにいた。孤独感が襲ってきた。私は一人なんだと。でも誰かと居ても
孤独感は紛れない。それどころか酷くなってくばかりだ。寂しくて人と居たけど結局それはどうにもならない事だった。かえって一人の方が良かったのに。
誰も自分の味方でもなく自分は一人で生きてきた。何でも自分でやった。親に教えてもらった事は何もない。家族という団体ではない場所で私は生きてきた。サバイバルだった。あんな環境で生きてきた自分が可哀想でならなかった。いつもいつも
いつも頑張って頑張って頑張ってた。その息は切れた。切れて今苦しんでる。
やっと切れたとでもいうのか・・・あの人達は相変わらずだった。酒飲んでワーワー騒いで自分たちだけが楽しいだけ。私の事考えてくれた事は一度もない。
人間として最低。気持ちよくなりたいなら自分達だけでやればいい。私を巻き込んだ事が許せない。私は一個の人間なのに。私には意思も意思も感情もあった。私は苦しんでた。でも私は誰にもそんな事言えなかった。言える人は居なかったから。
私が人に頼る事や甘える事に抵抗を感じるのはこのせいなのだ。言い換えれば自立心があるという事。自立心だけは手放したくない。母みたいな人間にはなりたくないから。
<752> こくーん ■2005年06月20日 月曜日 00時40分00秒
友人といろいろ話している中で、彼女が何気なく口にした一言。
『でも、親って言うのは結局最後は自分の味方になってくれるからね』
…そうなんだ。あまりに自然に出てきた言葉だったので、ある意味感動すら覚えた。
<751> ハルタ ■2005年06月19日 日曜日 23時23分07秒
もの心ついた時から母が怖くてたまらなかった。日常的に暴力を受けていた訳ではなく、子供の時から母には甘えられなかった。
現在まで、色々母から嫌な思いをさせられてきた。言われて嫌な言葉達、悲しかった態度、兄との愛情の比較。結婚した現在も、私の為と言いつつ母の行動のほとんどは私を苦しめている。何度“母と一生の縁を切れたら…”と思った事か。【母は私を苦しめる為に存在している】最近はそう思えてならない。何故母はこんなにも私を苦しませるのか。そして、苦しんでいる私に対して自分のせいとは微塵にも思ってない母。母が自分の人生なんだからと言って、今までやってきた事…その代償を私が他人から受けている事を母は知らない。私は母を捨てるべきなのか。
“あなたの為”とよく言う母の言葉を心の奥底で私は信じているのか…。
私にはもう守らなければならない家族がある。この家庭を壊す様な事になれば私はきっぱり母を捨てれるだろうね。でもそうなる前に捨てるべきなのかもしれない。
“普通の母親がほしかった”と思わず母に言った時、「私の人生平凡でいろって事!?普通って何よ!!」と怒り、泣き出した事があった。確かに普通って解りにくい…でも近所の人や友達の親から「あんたの家はおかしい」「そんな事して、よく旦那(私の父)が許してるね。変だと思わないのか。」とよく言われていたから、やっぱり私の母は明らかに普通の母親ではなかったと言えると思う。母は私がそんな思いをし、友達の親からこっそりと“もう遊びに来ないで”と言われ、友達まで無くした事など母は知らない。
このままだと、近く、母との関係が切れる日は来ると思っている。その時私が受けてきた他人からの言葉を全て伝えようと思ってる。言った所で、母は理解してくれないかもしれないけれど。
私は私の家庭を作る。子供達に私と同じ思いは絶対にさせたくないから。
<750> 月子 ■2005年06月18日 土曜日 03時46分33秒
私の母は子どもを呪縛していることに気づいていない。幼いころに枕元で毎晩のように、父親のような酒飲みとは結婚はするなといってましたね。たぶん3、4歳のころだと思いますが覚えています。さらに心配というなの過干渉はやめてください。しつこいです。子どものころは来た手紙をみんな封を開けて買ったに読み、この子恥が汚いとか言ってましたね。さらに、近隣の子ども
や(商売をしているので)パートの人の子や客の子といつも、わたしや弟のできを比べ、あの子は良くできるのに、お前はできないといっていたことを覚えていますか。私は、親のれーるに乗っていないと思っていたのに、最近になって私の息子に同じことを言いながら、お前のしつけが悪いといわないでください。私なりにがんばっています。つい認められたくて息子をたたいたりしてしまい嫌です。それに私に前でお客さんとセックスの話はやめてください、聞きたくないです。
父は自分がアルコール依存だと気づいていない。お酒臭い息をはいて家族をなじるのはやめてください。
母もそんな父をかまわないでください、とばっちりがほかの家族に来ますから。
子どものころ、父には、たたかれた記億しかありません。
学校でいじめにあい行きたくないといってもいかせましたね。苦痛だったの
分かってますか。自分の価値観の居合わせ、反発すると親のありがたみが分かっていないと今も言いますね。感謝はしてますが、そんなあなたは尊敬できません。息子も嫌がっています。
あなた達のレールに乗って、結婚もし、マンションもかいました。でも相手が浪費症で別れました。その時、もう金輪際会わないとしたのに、父が、あったもいいといったばかりに、いまだに離れられません。彼も不完全家族に育った人ですから、共依存かも知れません。
でみ、私も縛られたまま、母の言うがまま子どもも実家のそばの学校にいかせ、おやが購入してくれたマンションに今すんでいます。
自立したい自分と、そうでない自分が一緒にいて、時々おかしくなっています。最近また、大人のチックがでてきました。きっと、ストレスに反応しているのだと思います。
<749> こくーん ■2005年06月14日 火曜日 02時12分51秒
娘に優越することが、母の自尊心を保つ方法だったのでしょうか?
今思えば、大人である母が子どもであった私より、いろいろなことが上手にできるのはごくごく自然なことではないでしょうか?
『美人』『礼儀正しい』『字が綺麗』『絵がうまい』等々…母が私に優越しようとしたこと。
今なお、私の中にコンプレックスとして強く残っている。
これを基準に人を見てしまう自分がいる。

それとも、考えすぎでしょうか。
<748> 天の川 ■2005年06月12日 日曜日 01時03分42秒
子供が嫌いだと言った言葉を、そのまま信じた私が悪かったのかもしれません。
橋の下で拾われた子だ…と子供がよく言う言葉を冗談で言った時、自分の子供でもめんどくさいのに…と答えたのも、冗談だったのかもしれません。
生んでくれと頼んだ覚えはない、そんな定番な言葉に、祖母が孫を欲しがったから作ったと。流産させたくて色々したけどしがみついて生まれてきたのはあんただと。軽い気持ちで言ったのかもしれません。
二人目はいらなかったのに、やはり男の子がいないと…と言われたから、と。私が男だったら、嫌いな子供をもう一人作らずにすんだのだと思うのは、弟に対して失礼でしょうか。
子供が嫌いだという貴方に、子育てに人生を使わせたことを、ずっと申し訳なく思っていました。
大人になって。
少し、心のことを学んで。
ようやく尋ねる事が出来た私に。
言った言葉は冗談でもなんでもないけれど。自分の子供だから特別。
結婚して子供を育てるのは、幸せの一つ。
そんな風に答えた貴方の言葉を、心から受け入れることの出来ない私は、親不孝者でしょうか。
言葉の向こうにあるものを考える事も出来ず、何もかもを真に受けた私の頭が、単純すぎただけなのでしょうか。
私が、余計なことを考えて、融通がきかなすぎただけでしょうか。

今も、答えを見つけることが出来ません。
<747> Ami ■2005年06月07日 火曜日 14時44分00秒
父が怖かった。元暴力団員だから、脅すのは得意だ。
12歳位の頃から「死ねばいいのに」と思う程嫌いだった。
でも、そんな風に思う自分はもっと嫌いだった。
姉は、両親に大切にされていた。
父は事ある事に私を批判した。私のすべてが嫌いだったらしい。。
私のお新香を噛む音まで嫌がる位だったからよっぽどだ。
私は16歳位から家に寄り付かなくなった。
出歩いては愛情を与えてくれる人を探していたんだと今は思う。
父は執拗に私を家に縛り付けようとした。
可愛がってくれない人の傍にいる訳ないじゃない。
鞭を振り上げて犬を呼ぶとはまさにこの事だ。
幸か不幸か、男には不自由しなかったが、相変わらず愛情に飢えていた。
そのうち父は私を、性欲の塊などと言う様になった。
別にそれがしたかった訳では無い、それ以外に男の関心を惹く術を知らなかっただけだ。
悲しくて、惨めで、寂しくて、気が狂いそうだった。
丸1年、ひどい引きこもりになった。
今は、親から遠く離れた所で暮らしている。
親や姉の事を思うと、ひどい怒りを感じて夜寝付けない事がある。
でも最近、少しづつではあるが、怒りがおさまって来た。
自分を大切に扱う事も学んだ。


















<746> こくーん ■2005年06月06日 月曜日 05時42分20秒
『見苦しい』『みっともない』『みじめ』
これが私の母がよく使う言葉でした。
<745> ayako ■2005年06月04日 土曜日 16時51分21秒
この間用事があり親元に電話した。母は変わらず酔っ払い。人の話を無視で「帰って来なさい」とばかり言った。縁切った姉と話した。変わらずな人で話してて付き合つらい人だと切に感じた。姉は自分は変わったと宣言してた。呆れて何も言えない位だった。それから数日後姉から携帯に電話が来た。姉は私の連絡先を知らない筈。旦那が教えたのだ。姉は母が私が帰って来ないのかとウルサイから電話して来た。前回帰らないと返事している。家からの電話は迷惑以外の何者でもない。
また架かって来ると嫌なので着信拒否しといた。一体何の用なのだろう。
姉は暇な人だから話相手欲しさに電話して来る場合が多い。でも私は携帯しか持ってないから滅多に電話はこないだろう。もう私はあの家の人間ではない。同じ人間だと思わないで欲しい。長い間私を苦しめて来たんだ。私の育った環境は家族というコミニュティではなかった。私は家族はこの世に存在しない物だと思ってる。
全ては幻だと思ってる。暖かいものである筈の物が私を苦しめた
<744> バンビ ■2005年06月03日 金曜日 22時27分08秒
昔家族だった貴方へ。
長男が最近貴方に似てきました。
普段のストレスを他人へ向けて発散するところ
全然関係のない人へむけて。。。
一番にてほしくないところが似てしまいました。
朝暗い顔。
あの時の貴方のあの顔です。
一番恐れていた事かもしれない。

私は貴方と居た時いつもおびえていた。
貴方を怒らす自分が怖かった。
言いたい事も言えずに引き下がった時のこと。
心の中に牙をむいて耐えていたこと。

でも私も貴方に全てを押し付けてしまった
その報いを受けました。
少しだけ心が軽くなりました。
貴方と別れたことは今でも後悔していません。
あの時の私の判断は間違っていなかった。
あのままだと私たち親子も今はどうなっていたかと思うと・・・考えたくもない。
もう私も解き放たれたい。
だから言います。
私にも悪いところがありました。
ごめんなさい。
決して貴方が全て悪いわけではない。
私も悪い。
貴方に押し付けた事悪いと思っています。
一緒に生活していた時私は毎日お金お金地獄のような日々でした。
給料日は私にとって地獄のような日々。
右から左へと通過していく。
ガムひとつ買うのも我慢していたことを貴方はしっていますか。
少しは貴方にもわかってほしかった。
もう過去の事ですよね。
これで私の心から貴方を消してください。
あの子が貴方みたいになりませんように。
<743> いつか ■2005年05月31日 火曜日 17時30分54秒
父の、恐ろしさ。
感情をある日、爆発させる。
一貫性などない。あれもこれも気にいらない。
母にあたり、私たちを傷つけ、訳のわからない説教は続く。
誰も友達いないのに、唯一父を大事に思っている家族に牙は向けられる。

そして、惨めさ、哀れさ、悲しみの父は、あくる日から、やさしい父に変わる。
物を買ってきたり、母に冗談を言ったり、私たちにも猫撫で声。
それから、怒りの貯金がはじまり、満期になり、ある日突然大変なことになる。

思えばこの繰り返しだった。
一人になりそうになっては、自分の責任を取らないで、媚びてくる。
私は弱いんです、良い人なんです、犠牲になっているんですって。
そこで何か意見でもしようものなら、ぶちきれて正体をあらわすでしょう。

その、見せ掛けだけの可哀相な優しい所に寄り添うと、また餌食になる、最大の攻撃の的になるということです。
父は、人を、物、としか見ていない。
父は誰も愛していない。
だから、誰からも愛されない。

高いところから、しゃべっている。
誰も聞いていないのに。

僕を見て、僕だけを愛して。
僕はこんなに良い人なのに、、。
<742> レイン ■2005年05月31日 火曜日 07時07分19秒
バイオリンの音が嫌い、と母は言った。それで、私もバイオリンを聴くのをやめた。縄跳びをして、身体を鍛えたい、と言ったら「足が太くなるからやめなさい」と母が言うので、それもやめた。バレーボールで遊びたいと言ったら「指が太くなってピアノが弾けなくなるからやめなさい」と母が言うので、あきらめた。小学校に入学したとき、夏休みに絵を描きなさいと言われて、絵を描いたら、「こんなのは駄目」と言って、あちこち自分で描き始めて、すっかり子供の描いた絵ではなくなったものを、「自分で描いたと言い通しなさい」と言われて持って行った。先生に何度聞かれても、「自分で描きました」と言い通した・・・なにもかも、あなたのいうとおりにしたのに、「あんなに金をかけてやったのに。」ってどういうこと?!病気になって、なにもかも台無しにした私が悪い?!・・・・あんたたちなんか、良いだけ「遠巻き」にしてやる。私の悪口を、言いたいだけ言いなさい。町の人はみんな知ってる。「いくらなんでも、あんなことを言ったらバチが当たる」って言ってくれた人も居る。でも・・・バチが当たるかどうかは、私は知らない。神様のすることだから。
<741> こくーん ■2005年05月31日 火曜日 03時18分49秒
思えば、あれは『家族』などではなく。
『ひとり』と『ひとり』と『ひとり』と『ひとり』。
それが、櫛の歯が欠けるように減っていき、バラバラになっただけ。
私は『ひとり』。昔も、今も。多分そう。

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This script written by Shintaro Wakayama.