この家族として機能しない状況をなんとも思わない・思えない、危機的と感じられないから何ら対策を取らない・取れないのだろうワーカホリックのマイペアレンツは。 素晴らしい。とても血の通った人間とは思えないくらい素晴らしい。なんせ思いやりや労りを知らない・経験してないのに親になってしまったのだから。どうせ生きてても子供の心を傷付けるしかできないのなら、いっそのこと「未知との遭遇」のUFOにでも乗って飛んでってほしい。 まっそういう私も自分がACと気付く2年前まで30年近くこのおかしな状況を当たり前というか、疑うことすらしなかった・できなかったのだから私も親同様感覚が狂っていたわけだが、少なくとも今の私は乖離(親に感情を殺され、意識・無意識のオンオフ異常)していた頃と違って感情が戻り、「何がおかしいのか?」「どうしたらいいのか?」自分と向き合えるようになった。それもカウンセラーと自助グループ、コーチングのお陰だ。 そして先(回復→安定)は果てしなく長いが、結論も見えている。自分の経験上、そして周りを見渡しても「人間愛されて育たないと自分の無意識のところでモンスターを育ててしまう」ってことだ。そして無意識がゆえに自分では気付きにくい。だから治しにくいのだが、私の好きな番組で火曜の深夜日テレ系でその名もずばり「モンスター」が流れているが、私は眠った自分の過去を刺激するためよく観ている。ほんとよく出来た番組で、自分の親への怒り、それも深いところにあるものを私の意識の上に少しずつ浸透させてくれる。 そして何より私には「怒り」が必要だ。正確には私が子供の頃に抱いていた親への愛されていない不満なのだが、まずそれを自分できちんと認識しないとその裏にある寂しさが出てこない。そして打ちのめされる・癒される→はっきりと子供の時の寂しさを認識し怒る。いつもこの繰り返しだ。 なにぶん自虐的であるが、私は親から(特に父親から)「自分の怒りを表に出すことは恥」と無意識のところで徹底的に刷り込まれていたので、長らく自分が(本当は怒っているのに)意識の上で「怒っている」という感覚・認知がなかった。ただでさえ子供は感情表現が未熟なのに、私の親は情緒を育むどころか抹殺してきたのだ。素晴らしい親だ。最後は絞首刑にしてやりたいくらいだ。
さて、その歪んだパターンである「否認システム」(特に私の場合は矮小化する傾向あり)だが、この言葉はこの前私が通う自助グループ内のステップ4で出てきた言葉で(ここでは詳細は省くが、簡単に言うと事実であるAをAと受け取らず、自分に都合のいいように無意識で流す、またはA'とかBと摩り替えて受け取る)自分は読んでて恐ろしく思った「まさしく自分にぴったり!」 そう思う一方で「私は(実際おかしいのに)そんなおかしい人間じゃない。それは私とは関係ないことだ」と自分の内面から逃げ、毒親から植え付けられたパターンを発動させようとする。 まさしくACだ。AC以外何者でもない。ほんと困った習癖で、できるだけ正常なものに私はプログラムし治さなければならない。でないと何時まで経っても過去の繰り返しだ。
気付かないと何にも変えられないし、気付くためには感覚鋭く。そして痛みを受け入れる覚悟だよね。腹括ったら人間前へ出られるから。そうして変えられるところは変えていき、変えられない者は放っておこう。そんなの相手にしたって疲れるだけ時間の無駄だしね。 でも「どうしようもない親とわかっていても愛されたい」と無意識で思っちゃってるんだよねぇ。こればっかりはしょうがないのかなぁ。だってACなんだもん。
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