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私たちの物語 - 家族過去ログ No.37
メッセージ数:740件

<740> まりん ■2005年05月31日 火曜日 01時34分21秒
平気な平和な振りをしてるけど、うちの家族はもう
とっくの昔に壊れてるんだと今日改めて思った
全員の思惑は別だろう。あたしが彼らにもう何の感情もないことも、彼らは気づいている。どれだけ笑顔で話しかけられても、もう応えられない。
それは、あたしが悪いんだと彼らは思ってるのかもしれない。
あたしも、そう思う。そうかもしれない。そうなんだろう。
あたしが異常な人でなしで親不孝で恩知らずなんだろう。
周りの人はあたしの親に同情するんだろう。
客観的に外からだけ見れば、そんな状態だ。それぐらいわかる。
あたしいつも一番頭がおかしい人だった。
本の読みすぎだとか、甘やかして育ててしまっただとか聞き飽きたよ。
だけどそれが外から見た真実なんだ。
あたしは今親を恨んでない。憎んでもいない。
とても長い年月をかけて、結果そうなったってだけなんだ。
少しづつ死んでいった。あたしの中でたくさんのものが少しづつなくなっていっただけだよ。
いまさら過去をほじくりかえして親を責める気にはならない。
意味がないからだ。彼らはたくさんのことをあたしにしてくれた。


感謝してるよ
<739> ここあ ■2005年05月30日 月曜日 23時56分12秒
子供のころから両親が不仲でけんかばかりしていた。
高校のころはまさに一触即発で、ピリピリ、ビリビリした空気の中で必死で親の顔色を伺っていた。
空気を読み取り、顔色を読み取り、ガスに引火しないように、笑顔を見せ、必死でおしゃべりをし、ひとつひとつのフレーズや行動はガス爆発を起こさないようにとの想いだけで作られたものだった。
親をなだめ、ご機嫌を取り、時に切々と説いたりした。
それでも、いつも大爆発は起き、ふたりを止め、沈静化させるのにまた同じ事。
休日は特に嫌だった。お正月休みなど地獄だった。

なんだか急に書きたくなって書いた。
<738> アーネスト ■2005年05月26日 木曜日 21時55分38秒
父が私を殴ったことを彼は絶対に認めないだろう。墓場まで持っていくつもりだろう。例え、自分が忘れてしまったことでも自分に都合の悪いことを「お前の記憶がおかしい」と言い張り、少しも自分を振り返ろうとしない人を、私は尊敬できない。仮に私の記憶が間違っていたとしても、そこまで強情になる必要はないのだから。そうやって長年築いた地位や遺産やちっぽけなプライドにすがっているがいい。
<737> アーネスト ■2005年05月25日 水曜日 17時59分27秒
(追加)
兄に対する態度は兄が帰ってきてからまた考える。
<736> アーネスト ■2005年05月25日 水曜日 17時58分12秒
父に対する態度でいくつかで守りたいものを挙げてみる。
@明らかに過干渉とわかる行動に対しては「行動を先回りされるのは窮屈な気持ち になります」といってみる。
A話しをしている途中で怒りがわきおこってきたら、すぐに退出する。
B怒りが出ている状態で、話しを続けて欲しくない場合は「今はあまり話しを聞き たくありません。」と言ってみる。
Cアクティブリスニングを使える場所では使ってみる。
D最低限の敬意を持って接する(自己評価を下げないため)
<735> わたし ■2005年05月24日 火曜日 04時48分02秒
姉は自分の家庭の事は別として私の家庭には土足で入ってくる。ほんと母と一緒だけど姉に私の家庭の事を非難する権利なんてあるのかな〜。主人の収入が少ないとか、家庭の事情とか・・なんか妬んでるようにも思う。あんた、なんか間違ってるよ。私よりも社交的で友達もたくさんいるかもしれないけど、あんたの性格ちょっと直した方がいいと思うけど・・自己中心的なところ・・
<734> アーネスト ■2005年05月23日 月曜日 12時53分43秒
今月は自助会に出て、随分お金を遣ってしまった。
親に頼むにも頼めない...が、ここが結構重要なところ。お金のことで一回、衝突してもいいだろう。用途は言わないが。衝突しなければ、何が問題なのかわからないから。ただ自分の境界は守る。それでも入ってくるようだったら、話しを打ち切るしかない。
<733> るあん ■2005年05月22日 日曜日 11時30分31秒
一番怖かったのは、母が自殺してしまうかもしれないという可能性だった。
<732> ワタシ ■2005年05月21日 土曜日 17時15分30秒
HNは思いつきませんでした。あとで変えるかもしれません。ワタシはパパもママも大好きです。ワタシはパパとママから愛されています。ワタシは毎日が充実しています。パパはワタシが聞き分けの良い子でいなければ愛してくれない。ワタシは母、父、両方から条件付きの愛の元に育ちました。母はワタシ以上にアダルトチルドレンだと思います。母はワタシの予想では、性的虐待を受けていたのではないかと思います。それは母は母だけお母さんが違うからです。その話はこないだパパから聞きました。父はお金の問題から逃げます。ワタシが自立していれば、鼻高々にワタシを自慢します。ワタシはそれを不快に感じました。パパに、いくら欲しいんだよ?と言われた時、唖然とし、茫然とし、深く傷つきました。父にはすでに別の家族がいます。でも、母と父は離婚していません。母も父もアダルトチルドレンなのだと思います。母と父はお互いを病気だと言います。ワタシは母も父も大好きだから、お互いの悪口の相談を受けるのは凄くつらいです。母と父ともに、ワタシ自身も含めてしっかりと向き合うことが、無気力なワタシのひとつの改善策になる気がしますが、母も父も傷を持っていて、お互いに向き合いたい時期がなかなか重ならないため、フラッシュバックをお互いによくさせてしまっている気がします。助けてください。かみさま。誰かワタシを深い闇から引きずりあげてください。ワタシはワタシが大好きです。ワタシは父からもパパからも愛されています。ワタシはみんなが大好きです。ワタシは〜です。の文を書いたり読んだりすると、おなかが痛くなります。涙もいっぱい出ます。明らかに苦痛と感じます。ワタシはワタシが大好きです。やっぱりおながが痛くなります。
<731> ふうせん ■2005年05月20日 金曜日 22時37分48秒
親を喜ばせたいなんて思ったこと
一度も無かった。
そこが、夫と明らかに違うところ。
夫は、社会的には、非の打ち所が無い、義母の自慢の息子。
家の中ではアル中で、すぐブチキれ(私にしか当たれない)
こどももそっちのけで、毎日テレビゲーム寝るまでやってる
精神年齢は中学生の反抗期くらい?
見栄っ張りな親の、自慢の飾り物の一つでしかないのに
今でも手に入らない母親の愛を必死で追いかけている

‘親に愛されたい’と言う当然の感情を持っているだけ
私よりずっと人間らしいのかな

私は、初めから諦めていた。
どうやったって親を満足させることは、私には到底出来ないって

第一志望の大学に落ちた時、ざまあ見ろと思った
親を失望させることに、喜びを感じていた?
自分の人生なのに、自分のじゃなかった
<730> ふうせん ■2005年05月20日 金曜日 06時10分00秒
私は何故、こんなにも自分を屑のようにしか思えないんだろう。
自己肯定感、自尊心なんてかけらも無い。

小学高学年になるまでの記憶、自分の感覚がほとんど無いのは、何故?

父は普通のサラリーマン、母は専業主婦。
「私をどうやって育てたの?」母に尋ねると,「そんな大昔の事ほじくり返してどうするのよ、今の問題を解決すればいいんだから過去のせいにして言い訳にして何かいい事あるの?」
‘ほんとあんたって後ろ向きの人間なんだから’と私には聞こえた。
<729> ふうせん ■2005年05月20日 金曜日 05時51分53秒
この十年で、一番元気にまともに生活出来ていたのに、
またどーんと、落ちてしまい、まるで動けない。
死ねないから仕方なく生きている。
考えてみれば、今までもずーっと、死ぬことが出来ないから
仕方なく生きてきただけ

学生の頃、ひたすら遊んでいた頃、
「先のこと、なーんにも考えていないでしょ。」
と言われたことが 何度かあったっけ。

今になってやっと気がついた。そこがおかしいんだって。

私は、今の自分も、未来の自分も大切に出来ない。
自分を大切だと思えない。まるで何かの復讐のように、
自分を痛めつけ、だめにしている。
なぜ自分を大切に思えないのか、いやそれよりも
どうしたら前に進んでいけるのか
<728> アーネスト ■2005年05月18日 水曜日 18時22分49秒
兄が旅行に出かけたことは、やはりすっきりした気分になれる。彼と一緒にいると自分の弱さを彼に投影してしまうから、すっきりした、というと自分の責任放棄になるのだが......。彼に殴られたことは、大きい傷になっている。怒りもある。もちろん、同じ親に育てられたものとして、わかる気持ちもあるが。それ以上に去年の夏、鬱が再発したのが、そのトラウマの追体験だったかもしれない、ということに気がついてからは怒りが大きい今日この頃である。
<727> こくーん ■2005年05月17日 火曜日 04時19分05秒
母と信仰と私。
…これについては何度も書いているのだが、上手に消化できない。母との関係を想起するとき、避けては通れないから。
母とその信仰との出会いは母の幼少期だ。元々は私の祖父母(母の両親)がやっていたのだという。しかし、祖母の死(精神的な病が引き金だったようだ)がきっかけで祖父はそれを辞めてしまった。辞める前はその信仰の集会なども開いていたというから、結構熱心にやっていたのだろう。
母はその信仰を辞めたから、自分は不幸になったのだ、と言った。
続けていれば、地元からも離れることはなかった。祖父を支えられた、と。
私は、母のその不幸な人生の結果だ。
そして、もしかしたら、母が熱心にそれを唱えるとき不安を感じるのは、母にとって、その行為は自分が子どもで何一つ責任がなく、皆から愛された、両親に囲まれた、最も幸せな時代に戻る行動だからなのかもしれない。
その中には、未来の不幸の1つである、私は、私の家族(だったもの)は存在しない。
彼女はもう戻ってしまった。
私にはそれを引き止め、私を振り替えさせる力も勇気も、今はない。
そんな価値は私にはないし、振り返った彼女をずっと支える力もない。
ただ、ただ無力。
でも、心の中では、母に自分を見て欲しくて泣いている自分がいるのだ。
<726> アーネスト ■2005年05月15日 日曜日 20時06分13秒
大事なのは,家族との縁より,私の心身の健康、ということか。
明日、カウンセリングで話してみようと思う。問題なのは自分の進路に全力投球できていないということだから。それを親のせいにするわけにはいかない。そして親含め色々な人から背負ってしまった期待・イメージ・あるべき姿、像を捨てないと。
それは,広い意味で言えば高校のころ(15歳頃)から始まっていた。でも家族・両親という一つの世間・社会の目を気にすることを止めない限り,その他人指向は,今度は社会に出たとき,向けられる。あるいはそれは恋人や子どもへの過度な期待に摩り替わるかもしれない。そうならないためにも対決は必要だ。責める気はさらさらない。手放すだけ。
<725> アーネスト ■2005年05月15日 日曜日 17時29分33秒
目的は親を感情的に責めて,屈服させて,自分が支配することじゃない。
上に立つつもりはない。ただ単に対等なコミュニケーションをするためだ。それをやってしまえば,親のして来たことを,して返すだけだから。

近々、親と話し合ってみようと思う。意思確認をしたい。この歳になっても,とか色々な声が聞こえてきそうだけど,これはやっぱり自分に必要なこと。こういうときこそ事,自己指向を思い出して。
<724> φ ■2005年05月15日 日曜日 02時40分56秒
少し分かってきた。
僕の親への恐怖は、記憶の無い幼い頃の「躾」にあるのかもしれない。
親が「今の時代だったら虐待」というのだから可能性はある。
でも、それだけが行き辛さの原因ではないかもしれない。
それとは別に、宗教家という「人を助ける立派な家庭」を
子供たちも必死に維持しなければ行けなかった。
経済的な苦しさや、学校での辛いことも、
助けてといえる立場じゃなかった。人を助けなければいけない立場だったから。
今思えば、ただの親のわがまま人生かもしれない。
でも、それを「素晴らしいこと」と思い込んできた。
その不自然さに気づいたときに、おかしくなり始めた
ような気がする。
よく見れば父は、人助けの名の下に人を嘲笑し、必死にわずかなプライドを守っているようにしか見えない。
「自分の言うことを聞かないから、あの人はだめだ」なんて本当の人助けだとは思えない。
いい子でなくなった思い通りにならない息子には威圧するしかないわけだ。
何を恨んでいるのだろう。
祖父に言われた言葉がそんなにプライドを傷つけたか。
父がかわいそうな人に思えてきた。
<723> アーネスト ■2005年05月15日 日曜日 00時15分53秒
う〜ん,死んだ母親に支配されてるかも。
一回、父に言ってもいいんだ「なぜ結婚したのか?コミュニケーションもろくにとれないような人となぜ一緒になったのか?」と。やはり自分親を捨て去るしかない。黙って怒りを溜め込んでいれば,相手に期待すること。かたや,怒りをぶつけることは問題の解決にはならないが,自分なりのスタンスを示せると思う。もし,金を出してもらえなくなったら.....バイトすればいい?どうなんだ?分からない。
<722> アーネスト ■2005年05月14日 土曜日 05時22分20秒
そろそろ自分が世間・家族から期待される「あるべき姿」を捨てていきたい。
両親がなぜ結婚したのか,そしてなぜ離婚しなかったのか,不思議でしょうがない。単に高校が同じなだけじゃないか。価値観も似ているとは思えないし(いやACという意味では似ているのかもしれないが)スキンシップはみたことない。年に一度の旅行の時でさえ親しくしている様子を見せたことがない。むしろ,生身の人間同士では付き合えないから子どもを媒介として付き合っているような印象さえ受けた。多分、父は世間体を気にして,母は寂しさから(もちろんそんなことは互いに自覚してないだろうが)生んだのだろう。

そういう人間には子ども呼ばわりされたくないし,世間体で生むような子どもに期待などしないでほしい。
<721> NAC NAC ■2005年05月13日 金曜日 06時35分48秒
今回の肺炎での馬鹿親の言動で私の「家に帰りたくない」感覚がはっきりした。
先日も暗くなるまでバイクの練習をしたあと私はスーパー銭湯に入って、そのあと24時間スーパーでぶらぶらしていたのだが、何故かいつもと違い、ぽっかり空いた満たされないものを感じていた。

なぜ?

通常で考えれば「昼間好きなことをやって汗流して夕飯の買出し」 なんら不満の余地がなく気持ちいい1日の過ごし方となって、確かに意識の私はそうなのだが、その時の私の無意識、チャイルドの部分は心を硬くしていて、はっきりと意識の私に「家に帰りたくない」と告げていた。
確かにあんな碌でもない親の元へは帰りたくないだろう。私の親は「子どもを愛する」ってことがどういうことなのか?全然分かっていない。何故ならその親から愛されていないから。

親から愛されなかったから子どもを愛せない
親から関心を持って育ててもらえなかったから子どもに関心が持てない
関心がないから子どもの眼を見ても何も感じないし、話も聴けない、想像もできない
そんな親子間に信頼も安心も労わりも生じるわけがない
あるのは精神的監禁だ
逃げ出そうと思っても逃げ出せない精神的呪縛
心を閉ざせばなんとか生きていける
そうやって私は生きてきた

今そのチャイルドからのサインを私ははっきりと感じる。
結局家に帰るには帰ったが、親が寝静まる時間を見計らって私はスーパーで時間調整していた。
おかしな話だ。子どもが親の元に帰りたくないなんて。でもそれが過去の事実だ。
私は小学校から帰ってきて夕飯までの間どこで何をしていたのだろう?
乖離して感情が作用していなかったから私は殆ど思い出せない。
思い出さなくちゃいけない寂しさだけは想像できるのだが・・・・・

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This script written by Shintaro Wakayama.