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私たちの物語 - 家族過去ログ No.3
メッセージ数:60件

<60> なっちゃん ■2003年07月29日 火曜日 00時46分27秒
 どうせ私は血を見るのが怖いから看護婦になれない。どうせ私は数学が苦手だから国立大学に入れない。どうせ私は30過ぎても結婚できない。どうせ私は孤独。子供のためとか言って、私をコントロールしながら不幸にしている。
何か自分でしようとすると、失敗あおるようなこといって、せせら笑っている。

みんな大勢の友達や自分の家族があるのに。
親の見栄のために勉強ばっかりして、大事なものを得られず大人になった。
自分だって大した事無いのに、親の見栄の道具にされて、一番大事な友達関係を築けなかった。
友達は一番の財産なのに。
こんな大事なことどうして教えなかったの?
勉強できたらあとはどうでもよかったの?
父が嫌いだから、私をしつけなかったの?

なのに30過ぎたら「いつまでも一人でいるのはみっともない」って。
 その歳その歳で経験すべきことを経験しておかないと、ダメ。友達関係も希薄なのに急に結婚相手なんて出来るわけ無い。
 そんな私を「情けない」と馬鹿にしてストレス発散してる、友達ひとりもいない私の母は本当のACです。
可愛そうに。
私には付き合いは広くないけど、親友が4人もいるよ。
そうやって私を馬鹿にしてるけど、私だってあんたのこと大バカだと思ってるよ。
私は絶対いい家庭を作るんだ。
あんたみたいな失敗はしないよ。
<59> くま ■2003年07月25日 金曜日 13時57分31秒
お母さん、私はいい子でしたか?手のかからない楽な子でしたか?
かつてのいい子は今、猛烈に苦しんでいます。
私は何がしたいのが、何ができるのか、どこまでできるのか分からなくなってきています。
お母さんや家族のせいにするのは気が引けると言うか、自分の甘えや責任の擦り付けのような気もするのですが、私はちょっと気づいてしまったかもしれません。

あなたが教えてくれた折り紙の折り方、私は既に知っていて「それできる」と作ってしまったとき、「あっそう、もう教えてやんない」って。なんで?
どうして「すごいね」「よくできたね」って言ってくれなかったの?
あなたより秀でることは許されない。おばあちゃんから教えてもらった裁縫も、編物も、あんまり誉めてはくれなかった。あなたが教えたかったの?
学校の勉強だって頑張った。でも良い成績を取っても、それをあなたに告げることがどこか怖いような感じがした。
おおいばりで、みせびらかすように「見て見て!がんばったでしょ」なんてとても言えなかった。もちろんたいして誉めてもくれなかったよね。
「天狗になるな」と何度も何度も言われたことは良く覚えてるよ。もともと天狗になんかなれないようにしてるくせに追い討ちかけなくたって。ちゃんとそうしてるよ。
クラスの中でだって、先生に贔屓されてるとか言っていじめられてたのに、そんなことできるわけないだろう。でも成績が落ちるのは自分自身怖くて頑張ってしまっていた。自分の恐怖心から頑張って、でも報われなくて、それどころかいじめられたりもして、何なんだ。
かと思えは、そろばんの試験に初めて落ちた時は、「何へらへらしてるの!お金かかってるんだから、いいかげんにするんじゃない!」って。
私だって悔しくて、悔しくて、どこか笑ったりしてでもいないと辛くてたまらなかったんだよ。失敗するのは許されない、でも頑張っても誉められない。
なんですかそれ。

たぶん、母さんもいい育てられ方をしなかったんだろうね。しかたないよね。
でも適切に誉めて、適切に足りないところを指摘してもらえたら良かったのにとつくづく思う。
私は人から非難されたり、指摘されたり、人前で間違えるのがすごく嫌い。受け入れてもらえないことがすごく嫌い。

私は私のすること、感じることを全部 丸まま 受け入れてくれる人がほしい。
せっかくできた彼氏にも それを望みすぎて 「もう知らない」と言われてしまった。
これからどうしていけばいいだろう。
<58> 蓮華 ■2003年07月20日 日曜日 23時55分32秒
数日後に実家に帰省するにあたり、先日ある人にこんなことを言われた。
「●●ちゃん(私の子供)ご実家で誕生日なんですね、おじいちゃんおばあちゃんお祝いしてくれるんじゃないですか?」
この言葉に動揺する自分がいた。動揺を隠したくて出てきた言葉は、
「さあどうでしょうね」
「えー、ケーキでお祝いしてくれますよー、・・・」

昨年の子供の誕生日は、旦那の実家で祝ってもらった。大きなケーキを用意してくれていた。その時は何の違和感もなかった。
が、今年は自分の実家で子供の誕生日を迎えることになる。最近電話で父親と話した時も、
「●●の誕生日だからケーキでお祝いしようと思ってる」
と言われ、怒りやら悲しさやら諦めやらが湧き上がってきて話す気力もなくなり、さっさと電話を切ってしまった。

自分の誕生日。今年は旦那もさっき私が言うまできれいさっぱり忘れていた。なんだか惨めだった。
事実インナーチャイルドは怒ってすねている。祝ってもらえるであろう私の子供に対して、いいな、羨ましいな、と。そして本当に祝って欲しい人は誰も気に留めていないのではないのか。と、怒りを露わにして泣いている。
ケーキを食べる。プレゼントを貰う。家族みんなに祝ってもらう。が、家の経済的な事情を知ってしまってからはそんな要求すらできなくなった。誕生日だけでなく、クリスマス等のイベントも非常に気が重くなった。
家族に期待して、その期待は大抵裏切られて、そのたび傷付いて、傷付きたくないから期待することをやめてしまった小さい頃の自分。未だに身近な人に「こうして欲しい」という要求ができない自分。本当はもっと自分自身を大事にしてあげたい。
だから、今日が終わる前に。
泣きやまないインナーチャイルドへ。
「誕生日、おめでとう」
<57> しょーた ■2003年07月18日 金曜日 15時46分30秒
同じ事を繰り返している
まただ・・・
結局、結論なんて出ないまま過ぎてゆく
私はただ認めて欲しいだけなのに
どうやったら分かって貰えるのだろう

私は疎外感を感じてます
これだけ、長年一緒にいるのにその感覚は消えません
年を追うごとに強くなる一方です
何度も思いを述べても、あなたは聞き入れてくれませんでした
そして冷たい言葉を何度も言われてきました

一体、結婚とは何なのでしょう?
この先、私は自信がありません
あなたは変わろうとはしません
相手を思いやる気持ちがあれば、歩み寄ろうとする
いつもいつも、私が歩み寄ってばかり・・・
歩み寄る事をやめればそこには無視された状況があるだけ

何なのでしょう?
疲れました
これからもどんどん疲れて行くのでしょう
10年、20年、30年、
私はとても寂しい、そして苦しい
別れる決心さえ持てない、
きっと簡単な返事で済まされてしまうから・・・

<56> ふたば ■2003年07月15日 火曜日 15時43分01秒
お父さん、私が、女の子 だったからがっかりしましたか?
男の子は跡取だから大切なんですか?
お母さん、私が、女の子で良かったのは自分のグチ聞き相手と
家の中の雑用や子守りをさせられるからですか?

父は、裸一貫から商売を始め、繁盛店として多忙な毎日でした。勿論母も
切り盛りして、子どもの事は後回しな日常でした。

私は大人達の都合で、良い子をやってました。
うまく立ちまわっていました。小さい子の面倒をよく見ました。
家の手伝いもよくやりました。勉強は苦手でしたが、それなりに努力しました。
大きな破綻無くやっていたと思います。

だけど、あの家庭が嫌いでした。
小学生のころ、仲良しの子の家で遊んでいる時、「ここは落ち着くなぁ」といったらすごくびっくりされました。自分の家が一番居心地がいいはずだ、おかしいといわれました。
その頃、家には、仕事の為に、若い男性が何人もいました。
………母には、いいえ、だれにも言えませんでした。
いつしか、その人はいなくなりました。大人は気付いていたのかもしれません。

いつごろから、自分の本心を父母の前で言わなくなったのか、覚えていません。
小さい頃の自分、嫌だった事や、恥ずかしかった事、つらかったこと。
ひとりぽっちで遊んでいる風景、さみしかったこと。そんなことしか覚えていません。

あれから何十年もたって、今、自分はACなんだなと気付いて、過去を振り返ると
淋しい気持ちや、悲しい気持ちでいっぱいになってしまいます。
子どもの頃から、本心を言わないで生きてきたので、今、自分の本当の気持ちというのに向かい合うと、涙が出て、溢れて、止まらなくなってしまうのです。

自分の子どもにACを連鎖させないぞ と言う気持ちと、自分が充分親の愛を感じて
いないので、子どものことを丸ごと受け入れられない気持ちが相容れないのです。
毎日が苦しいです。
<55> りおか ■2003年07月11日 金曜日 00時18分48秒
おばあちゃんとお母さんは実の親子なのに全然仲良く出来なかった。おばあちゃんとおじいちゃんもそう。いつも家の中で言い争いばっかりしてた。おかあさんは怒ると凄く怖い、小さい頃壁際まで追い詰められてたくさん怒鳴られて叩かれた。私がなにか悪いことをしたかどうかは、憶えていない。そのときの恐怖だけ鮮明に憶えてる。あたしが右の耳が聞こえないって言ってるのにお母さんは信じてくれなかった、「聞こえるはずだ」ってあたしの耳に受話器を痛いぐらい押し付けた。どうして信じてくれないのか凄く悲しかった。優しい言葉も楽しい思いでも憶えてない
10代になって始まったのがおばあちゃんの母の悪口だ。あたしだけがそれを聞いてお母さんにもお父さんにも秘密。妹は小さすぎたから言えなかった。
だって言ったら家族中がけんかになっちゃうから。だからあたしはずっと長い間自分の母は悪い母だと思っていた。相変わらず、言葉で傷つけられてもいたから。
だから、母がわがままをしなければ、みんなが気を使えば、家族はうまくやって行けるのにという考えになった。家族なんてたまたま血がつながっていて偶然そこに一緒に暮らしているだけの集合体だもん。人間は結局「個」だもん。だから思うが侭のことを口に出してはいけないし、人が傷つくようなことも言ってはダメ。気を使ってなくちゃダメ。おばあちゃんがおかあさんの悪口を言ってることも絶対に秘密にしなくちゃいけない。でも二人のけんかがつらかったから、一度だけお父さんに相談した。でもうまくかわされた。妹が中学生になったから、あたしの役割を交代してもらいたかったが、「私のストレスはじゃあどこへ行くの」と言って代わってくれなかった。傍目にみたらよくできた家族でも、中身はどこかおかしかった。
おばあちゃん、客観的な判断ができない年齢のあたしに自分の娘の悪口を言うなんて、どうしてそんなことをしたの?あたしを可愛がってる代償にストレスのはけ口にしていたの?家の中で味方が欲しかったの?あたしは26歳で家を出るまで、お母さんが全部悪いんだとずっと思っていた。27歳で発病して、お母さんと離れて暮らして関係はずいぶんましになったけど、あたしの間違った認知行動や生きづらさは、あなたたちの諍いの中にあったんだよ。ひどく悲しいよ。あたしはこれから、自分の人生のために大きな精神的軌道修正をしなくちゃならない。うらみごと、たくさん言いたいけど、ここに置いていきます。
<54> みったん ■2003年07月10日 木曜日 17時46分19秒
お母さんはいつもできない事は責めるのに、できた時は「できて当たり前」という態度だった。裁縫で使う長い物差しを手に持っていつも私を脅していた。
怖くて泣いてると「涙は悔しいときに流すものだ」という持論でまた叩いた。手のかからない子供だったと笑っていうけど、
いい子になるしかなかったからじゃない。成績の事以外で誉められた事は1度もない。
母が誰かに私の成績の事を言う時、本当は凄く嫌だった。妹は成績が悪くても可愛がられてたのに。躾だって私ほど厳しくなくて、母が何か言おうとすると父が必ず庇ってた。
お父さんは私を可愛がった事は1度もない。いつも父の膝の上には妹がいて、例え妹が悪い事をしたとしても必ず私を殴った。
「どうせお父さんは○○(妹)の事が1番可愛いんでしょ」と幼い私が言ったら父は体が飛ぶくらいの力で私を殴った。
本当は「そんな事ない」と抱きしめてもらいたかったのに。父は私を子供のいない自分の姉の養女にしようとした事もあった。
私がどんなに傷つくかどうして考えてくれなかったのか、と思うたびに父は私の事を愛してないからだ・・と気付いて悲しくなる。
そして、私の体が大人になろうとしてた時、いやらしい目で見てた事も凄く嫌だった。
親戚の家でなぜか胸を出せと言われた。嫌がると「恥ずかしい事ではない」と言われて、出さなくちゃいけなかった。
小学生高学年だった私は恥ずかしがる私が変なのかとずっと思ってた。けど、変なのはお父さんだ。娘の体を親戚の前で披露するなんて絶対変だ!
妹が私と同じ歳になった時、そういう行為はしてなかったと思う。それは妹が大事な娘で、私がどうでもいい子供だから?
今、母は「お母さん、一生懸命育てたのに」と言って自分の為に泣く。「ごめんね」といわれた事は1度もない。
父は私とは口を聞かない。妹には「なんでもお父さんに言え」と言ってるらしい。
私は一体あの家に何の為に生まれてきたんだろう?いらない子供ならどうして生まれてきたんだろう?
誰も私を愛してくれなかったから、私は愛される価値のない人間なんだとずっと思ってた。
今でもお父さん、お母さんに愛されたいと思ってるけど、きっと無理だろうな。
妹が無邪気に両親の事を話してるのを聞くと、憎らしくなる時がある。
でも、私は人と関わる事自体が苦手なのだけど(どう思われるのか、嫌われないかといつもビクビクするので)
妹は人に依存する人間なので、もしかしたら彼女なりに悩んでるのかもしれないな。妹は素直で可愛くて、いつも誰からも愛される。
私はそんな妹が大好きで、大嫌いだ。
<53> はつね ■2003年07月08日 火曜日 20時08分33秒
父親も母親も他人のように感じます。
特に父親は他人です。今まで何の思い出も思い浮かばないです。
私は誰とも付き合ったことが無いです。
これからもないです。
家族をつくることはしないです。
私のような人間が親になって、私と同じ思いをさせてしまうのは耐えられないからです。
私の両親もACだとおもいます。
私の家族のACの循環は私が断ちます。
<52> mina ■2003年07月07日 月曜日 17時45分41秒
母親も父親も姉もみんないい人。ネコだってかわいい。
父は体の中に石ができても働いて私たちを養ってる。
母は毎日毎日洗濯をしてご飯を作って、ご飯はとてもおいしい。
姉は保育士をしていて、姉が帰ってくると家の中が明るくなる。
ネコはいるだけでみんなの気持ちをやわらかくしてくれる。笑顔にしてくれる。

私はいてもいなくても同じな子。ただでご飯を食べて、
家族に好影響なんて何も与えてない。
家族みんなで話してても私はいてもいなくても同じ。

何かの役に立たなきゃ家の中にいちゃいけない。そんな考え方はおかしいとわかってる。
でも、そう思わずにはいられない。そんな風にしたのはお父さんお母さんでしょ?
どうせ私はいてもいなくても同じな子だよ。
<51> maasan ■2003年07月05日 土曜日 02時51分20秒
内の家族は僕と僕の兄弟たちが治療受けたせいか、親に打撃を与えています。仕事をがんばるだけではだめだと父は涙を流しました。母は相変わらず前よりは軽くなりましたけどイネイブリングをしております。僕は病院の治療の成果と回復の成果の表れか、相手の共依存に巻き込まれることが少なくなりました。調子悪いときは見事の巻き込まれますが、できるだけ自分が一人暮らしをしているアパートに戻って、自分の時間をとって自分を取り戻します。一番下の兄弟は、相変わらず自己中ですが、仕事場でいろいろ学ぶことがあったらしく、僕に対する攻撃的な態度が少なからず弱まってきているみたいです。(父経由で聞いた)。ときどき母がいらいらして間接的に僕を追い出すのがしゃくに触ります。もっとストレートに自己表現して欲しいものです。いやならいやだと。相変わらず内は機能不全ですが、父が真剣に悩んでいるのは僕にとってやすらぎです。時間とともに良くなるような気がしています。
<50> 海 ■2003年07月04日 金曜日 11時37分46秒
私は両親から直接的な(腕力等による)虐待を受けた覚えはない。精神的な虐待も受けているとは思っていなかった。虐待なんて自分とは無縁だと思っていた。特に母は父と別れてから女でひとつで私を育ててくれたのであって、感謝こそすれ憎むべき相手だなんて思ったこともなかった。でも。。。本当にそうだったか?私の身体に残る傷は、虐待には見えない虐待の痕ではではないのか?
足に残る火傷はストーブにかけてあった鍋をひっくり返した時のものだ。その時は小さすぎて母が私に対してどんな対応をしたのか記憶がない。
踵に残る傷は母がこぐ自転車の後ろに乗せられていた時、車輪に巻き込まれた時のものだ。この時は確か「あんたなにやってるの!ちゃんと足上げてなさいって言ったじゃないの!言うとおりにしてないから痛い思いをするのよ!」と怒られた気がする。後からは「ごめんね。お母さんも悪かったよね。」と言って自転車に子供用の椅子(?)をつけてくれた。でも・・・私に非があったか?小学校にあがる前の小さな子供が、足に力を入れたまま、長時間耐えられると思うのか?疲れるし、集中力だって切れるだろう?まず真っ先に謝って欲しかった。「お母さんが悪かったね。ちゃんと椅子をつけていればあなたが怪我をすることはなかったのに。痛い思いをさせてごめんなさい。」そう言って欲しかったんだよ。最初に怒られたことで怪我をしたのは自分のせい、そのせいでお母さんに面倒をかけてしまったと自分を責めてしまった。
手のひらに残る傷は果物ナイフを刺してしまった時のもの。友だちに食べさせたくて夏みかんをむいて欲しいと頼んだら「お母さんは忙しいのよ!そんなことくらい自分でしなさい!」って言われたんだよね。お母さんが私にしてくれていたように夏みかんにナイフで切り込みを入れようとして手を刺してしまった。痛いとかより、お母さんに怒られる。。と瞬間思った。どうしようって。案の定、お母さんは怒った。「なにやってんの!あんたが自分で剥けるわけないでしょう!出来ないことをやるんじゃないわよ!」って言った。そりゃそうだね。これも小学校にあがる前。。4歳か5歳くらいの時のこと。果物ナイフは小さいとはいえ子供の手には余るだろう。ましてや相手は硬い皮の夏みかん。だったら自分でやれなんて言うんじゃねーよ。自分で「やれ」って言っといて「出来ないこと」とか言ってんな。ふざけやがって。この時もまず謝って欲しかった。「自分でやれなんて言ってごめんね。あなたには無理なことなのにね。お母さん、忙しかったからつい言ってしまったのよ。痛い思いをさせてごめんね。あなたが悪いんじゃないのよ。」って言って欲しかった。この時も私は何をやっても駄目な子だって自分を責めた。
思えば母はいつもこんな調子だった。私が何かするとまず怒る。「なんであんたはそんな風なの!?なさけない。甘えるな。」って。そしてその後、謝ってくれる時もあった。でもそれは私への思いやりじゃなかったんだよね。私に責任をなすりつけた罪悪感から逃れるため。ただそれだけ。いつも「本当にあんたって何にも出来ないんだから!」って言う。言われるからやろうとしたりやったりすると駄目なところを見つけて、なじる。「まったくのろまなんだから。手際が悪いったらありゃしない。見てられない、待ってられないよ。」って自分でやってしまう。そうやって私から自信を削ぎとっていった。そして"怒り"と"哀しみ"で私をコントロールしてきた。
父も似たようなものだったな。9歳まで一緒に暮らしていた父の記憶はほとんどないけど。記憶がないせいで、もしかしたら私は思い出したくもないような虐待を受けていたのかも。。と不安になる。でも、今のところ暴力も性的にも虐待を受けたという覚えはない。父が母に暴力を振るう場面を毎晩のように見て育ったというだけだ。父は私を自分を慰める道具にしていた。暴力を振るった罪悪感とその後に襲ってくるどうしようもない寂しさを埋めるために私に優しくしたり、抱きしめたりしていた。
私は私の両親にとって"子供"ではなかった。"母"であり"父"であり"夫"であり"妻"であったのだ。子供のままで。。私のままでいられる時はとても少なかった。あの家族の中に居場所なんてなかった。両親が離婚してからも減ったのは"妻"の役割だけ。ずっと母によって親と夫の役割をさせられてきた。
ねえ!もういい?もういいよね?私は私に戻っても。。私として生きてもいいよね?もう自分を見捨てるのはイヤ。自分を見ないフリをするのもイヤ。そんなに寂しいなら私のことより自分の世話をしてよ!私はもう、自分の世話は自分で出来るんだよ!確かにとろいかもしれないけど時間をかければ家事だってなんだってやれるんだ!!私から"私のすること"を取り上げるのはやめてよ!やめてよ。。お願いだから。私も努力する。今よりもっと努力する。だからお願い、少しでいい。。私に思いやりをください。
<49> なぎさ ■2003年07月03日 木曜日 03時47分48秒
私はACだったんだと気付くと、今までの自分にびっくりするくらい納得がいきました。私の父は私を殴って言いました。「おまえはあんなに本をいっぱい読んでいるのに何で他人(父にたいしてですが)にやさしくできないんだ!優しさも学んでないのか?なんのために本を読んでるんだ!?」といきなり切れられた。今思うと、本で優しさがそだつんなら家族なんかいらないよね。あんた馬鹿じゃないの?そんなあんたのお陰で、兄も姉も見事にACじゃねーか。愛情なんて全くない、兄は私たちを無知だ馬鹿だしゃべることは何もかも馬鹿だから信用できねえとののしり、まともな会話もできない。姉だって母を助けて私の世話をしてくれたけど「あんたってほんま一人ではなんにもできへんなー、恥ずかしくないの?たまにはやったら?」と言ったかと思うと私が家事をやろうとすると「ほんまあんたへたやなー、あたしがやるわ!」とすぐさま仕事を取り上げ「ほんまあんたなんにもできへんねんな!」とののしる始末。地獄だよほんと。全部おまえのせいやろ!おまえうちがかぜひいて学校休んで寝てるときに、うどん作ったけどうちが「いらん」って布団の中からゆったら、ぶちぎれたよな。ぶちぎれて「おれの好意をそんな風に邪険にするのか?いいかげんにしろ!」って殴ったあげくに、服だけは持たせてやるからあとは自分で買ったものだけもって家を出ろって、ばかじゃねえ。小学校4年生やで。あんたほんとにすくいようがないよな。いい加減気づけよ!
<48> かな ■2003年06月30日 月曜日 00時22分50秒
私はもうここに来ることはないと思ってた。
なぜならこの苦しみは、もう乗り越えられたと思っていたから。
でも乗り越えられたのではなくて、自分で抑えていただけだった。
母が祖父母に吐く暴言にストレスを感じた。母が手のひらを返したように父を頼ったり円満にやっているのを見た。吐き気がした。
私が今までやってきた努力は何だったのだろう?
母のため、母のためって両親が言い争いをしている時、仲裁をしたのは。
いつでも母の味方をしていたのは。
母の「離婚」の言葉におびえていた日々は。
そのうえ母は今でも私が気に入らないことを言うと、私を無視する。
私の存在って何だったんだろう。
今は父に頼れるようになったから、もう私はいらないのかな。
どうして平気で私を傷つけるんだろう。
私が人との約束に異常なほど執着するのは母のせいだ。
いつも寂しくて、母が恋しくて、でもいつも一緒にいられなくて。
だから私にとって母との約束は大事なものだった。
でも母が私との約束を覚えていてくれたことなんて、いくつあるだろう?
次の参観日には来てくれるって言ったのに。
終わるまで待っててくれるって言ったのに。
私が今人を心から信じられないのも、心から人を好きになれないのも
全部母のせい。
いつかきっと人は裏切るものだって、あなたに教えられたから。
<47> nana ■2003年06月17日 火曜日 08時15分29秒
私には母性が無いのかもしれない。自分がACと気付いたのは最近ですでに子供を二人生んでいた。子供がかわいくないわけではないけれど、自分が一番大事。自分の中に、かつて憎悪した父を見るたび子供なんて生むべきではなかったのではないか、このままだと子供もACに育ってしまう。いや、もう手遅れかも知れないと思う。人間としても、妻としても、母としても私という人間は駄目という烙印を押されっぱなし。どうしたら自分は変われるのだろう。
<46> サクラ ■2003年06月16日 月曜日 23時10分40秒
私は貴方達を養っていかなくてはいけないの?
父親って何? 家族って何?
それがわからなくて、私は家族でいられなかった。受け入れようとしてくれた彼の家族になれなかった。絶対、私は親にはなれないと思っていた。そして、離婚した。
どう振舞ったら普通に見えるの? もうこんな思いをする子供が出てきてはいけない。だから、この血は私で絶やさなくては。貴方達の血は絶やさなくては。
<45> なみ ■2003年05月22日 木曜日 23時03分28秒
学生の時 お金がかかるって言われたことがとてもいやだった。 仕送りはしてくれたけど その前にいつもそういわれた。おかねがかかる てまのかかる迷惑なこだといわれてると ものすごく引け目をかんじた、だから 就職してから 少しずついったんだ、お母さんに。 私は傷ついたんだ。 と。 ききたくなかったと。
 母は電話で そんなこと言ってないっていいきってた。 はじめは。 そのうちこういった、何もしないでせめられるならまだしも きちんとお金入れたんだから いいじゃない。 ふ〜ん かね払ったなら なにいっても いいんだな。とおもった。 子供じゃないんだからもう甘えるな。 同じこといって何度もしつこい、そんなこといわれた親の気持ちがわかるか。 と。 私はうそなんていってない、話もつくっていない、何かをしてほしかったわけじゃない、 ただ そういわれるのがとてもつらかったと 初めていえたんだ。 それなのに 私がおかしいって、
話し方が気に食わないって。 職場でもそんないいかたするなっって。 同じ医療現場ではたらいてるなら (母の)気持ちがわかるだろう、って。
 みんな自分のこと。お母さんのことしかいってないじゃん。 お誕生日おめでとうの電話だったんでしょ?なのに なんでこうなるの? お母さんも いろいろ大変だねといったら、さっきまでの口調がうそみたいに収まった。 おかしい。
 きっと私は今度は 学生のことでせめたてた っていわれ続ける。 いつかそれも言わないことになるだろう。 就職して離れていてもこんなに心配してるのにといって。がんばってるのはわかるけど それ以上にがんばれって、がんばりつづけろ 回りもそうなんだからって。 つらいのはあんただけじゃないって。 でも そんなにがんばるなって。 私はきいた。 お母さんの話は趣旨がふたつあって わからない、っと。そしたら それを判断するのはあんたでしょ、親の私より彼氏の言葉の方が影響力あるでしょ。 ときた。 親の応援の方がずしっとするよ といったら、 子供にとって親はそういう存在じゃないって。
 わかってるのになんで同じことくりかえすんだろう。私は 自分の親のこと もうわかってるのに なんで 。 こんなに いやな思いしてるのに。お母さんと話すと自分がものすごくだめ人間だと思う。親の愛情をほしがるのはそんないけないことなの? 感謝の言葉を口にしないと親子関係は成立しないの?
 生んでくれて有難うっていわないと だめな子供なの?生んでくれたら何をいっても どんなことをしても 子供は親を許さないといけないの?だまって 親の行動を受け入れないといけないの? 
<44> tomoko ■2003年05月19日 月曜日 23時44分22秒
お父さん、お母さん。
貴方達は私の体を育ててくれました。
私の体は大人の体になりました。
でも、私の心は育ててくれませんでした。
私の心はまだ子供のままです。
それは貴方達に言わせれば、きっと私のせいなのでしょう。
でも、私は、私が親となった今、はっきりと言えます。
「 あ ん た た ち の せ い だ 」
<43> 雲 ■2003年05月19日 月曜日 20時23分11秒
もう家族のことは乗り越えられたと思っていた。
親達を理解できた気がしていた。
でもやっぱり怒りが沸いてくる。
まだ怒ってるのか?という自分もいるけど、怒って当然だと思う自分も居る。
私自身の今の人生に負の影響がなくなるまで心底に許せる時はこないだろう。
理解はできるでも私のチャイルドは怒っている。
<42> なおこ ■2003年05月17日 土曜日 00時09分16秒
ずっと母を責めていた。
自分の感情に振り回されてヒステリックに怒り散らす。
部屋の隅でビクビクしながら小さくなっている幼い自分がいた。
自分に自信が持てない、誰かにOKと言ってもらわないと不安になる。
「私はこれでいいんだろうか?」今もそう思い続けている。
最近母のことを思い出すと、一緒に母の父(私の祖父)の事も思い出す。
「他人に迷惑かけちゃいかん」が祖父の口癖だった。
祖父にとって「迷惑をかけないこと」とは
「他人との繋がりを持たないこと」だったのかもしれない。
いつも祖母と二人きりで居間でテレビを見ていた。
祖父に言い聞かされていた私は
他人に迷惑をかけないように気を使いながら生きてきた。
いつも他人の目に自分がどう映っているかを
気にしながら生きてきた。
とても苦しかった。
祖父は死の数週間前に入院したのだが
食べるとオムツを汚すから、と
食べ物を口にしたがらなかった。
お祖父さん、「迷惑をかける」ってどういうことだろう?
人に甘える事ができる人が羨ましい。
本当の自分をさらけ出したい。
でも本当の自分がどういう人間なのかさえ
わからずにいる。
お祖父さん、あなたから母へ、母から私へと受け継がれた
「負の財産」は今日も私を苦しめます。

<41> mix ■2003年05月08日 木曜日 03時55分10秒
まず母親がACだと思う。母の母つまり祖母は、母が中学の時に亡くなったらしい。その後に義母がやって来て、家を追い出されたそうだ。父もACだと思う。同居していた父の父つまり祖父を、異常に嫌っていた。力の弱った老人の祖父は、息を殺して暮らしていた。
私の両親は、私をどう育てたらいいのか、分からなかったのではないかと思ったりする。まるで私に興味がないかのようだったが、金縛りに合っていたのかも知れない。
姉は私をよく悪者にした。私はもの心ついた頃から今迄、その戦いを放棄し続けている。私はいつからか、姉のいる所で親に私の事を良く言われるのが恐くなった。
いつのまにか私は家族の誰にも話らしい話をしなくなった。高校卒業を機に、高校時代にバイトしてためたお金で部屋を借りて家を出た。家族に違和感を感じる。親に育てられた実感がない。家族で集まった時も、同じ家庭で暮らしていた感じがしないのだ。遠い親戚か?
幼稚園の頃によく遊んだ子は30代前半で亡くなった。中学時代に一番気の合った男の子は20歳の時に亡くなった。会社で一番話す人がいたが、GWに出かけたまま帰らぬ人となった。病気や事故だ。
もしかしたら、私の事を知っている人は、地球上に一人もいないのではないかという不安に襲われる。誰も知らなくてもいいじゃないかと、開き直ってみる。現実には知人も友人も親も姉もいるし、生まれた町もあるわけだ。
思い出せない事があまりに多すぎて、気が遠くなるが、それでも私は生きて来た。どうにかやって来れた。私は仕事して生活しよう。美味しい食事をゆっくり食べよう。公園を散歩して5月の新緑をキレイだと感じよう。

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This script written by Shintaro Wakayama.