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私たちの物語 - 家族過去ログ No.24
メッセージ数:480件

<480> るあん ■2005年02月26日 土曜日 07時30分03秒
私が小さかった時
誰も私のためにそこにいてくれなかった
大きな心で受け止めて欲しかったのに
存在を肯定して欲しかったのに
生まれて来てくれてありがとうと言って欲しかったのに
みんな不幸そうな表情を浮かべながら
しぶしぶ私の世話をした
小さい私はそれを自分の責任だと思い込み
どうしたら重荷にならないかと
無謀な問いを自分に投げかけ
もしかしたら捨てられるのかもしれないと
いつも気が気でなかった
母の笑顔が見れないだけで
あんなに悲しかった
小さな私を
今、抱きしめてあげたい
<479> ほーる ■2005年02月26日 土曜日 02時30分29秒
ようするに家には半人前が4人寝起きしておるわけ
誰かが欠けると不完全な自分が晒されて
いやーんそんなの怖ーい
という感じらしい

しるかそんなもん
くれたのは心配・愛情という名の無関心だったんだなあ
この場所からは何も感じられないよ
気付いたら誰も側にいなかったんだよ、ずっと
猫しかいなかった
そんなこともしらないで生きてた
私の家族だと思いこんでた
偶々一緒に住んでた人たち
大事なお仕事、成績、進路・就職、家事、結婚相手……私は何番目?
「そんなこと強制してない、おまえが勝手に投げたんだろう?」
……それすらもない。
どうでもいいならもう正直にそういってほしい
無視しないで
あんたがたは子供を持つべきじゃなかった
経済的にも精神的にも時間的にも

なきたい
<478> 堕天使 ■2005年02月25日 金曜日 19時15分06秒
原因は「寝坊」これだけ。
それだけで「出てけ!」と言われる。
最終的に暴力を振るう父親。
この家族はすでに壊れてる。
一家の柱がこんな調子だから。
小さい頃から父親が暴力を振るうのは見てきた、されてきた。
青あざを作った母親も見た。蹴られる妹を見た。
その仲裁に入ったこともある。
小さい頃から心を休める場所じゃなかった。
むしろ傷付く場所だった。
「家族」それが本来どういうものなのか俺にはわからない。
<477> るあん ■2005年02月24日 木曜日 08時36分18秒
あの閉ざされた家が嫌い
虚栄心を満足させるために
自尊心の欠如を埋めるために
お互いがお互いを利用して
お互いがお互いを傷つけて
お互いがお互いの足を引っ張って
お互いがお互いの心を閉ざしている
誰も外に出てゆかないように
あの泥沼の記憶から
私を救い出したい
<476> こくーん ■2005年02月24日 木曜日 04時44分39秒
弟はスケープゴートだったの。
私と母の。多分。
ごめんね。ごめんなさい。
<475> こくーん ■2005年02月24日 木曜日 04時22分48秒
たった2人残された家族が、
日々の生活の中でどんどん干からびて、
亀裂が決定的になったとき、
私の中で、何かが終わった。

表面的には取り繕いながらも、
あなたのことを、
Nさん、とか、
ママ、とか、でしか呼べなくなった。
『お母さん』という言葉がでなくなった。

まだ、時間がかかる。
いろいろなことに整理をつけるのに。
<474> いつか ■2005年02月24日 木曜日 01時59分39秒
昨年父と対決、手紙で対決。
そして、一月にまた対決。
家族がどんどん小さくなっていく。
何も怖くない。
だけど、今度はもっと穏やかにしたいものだ。
この頃では哀れでしかたないが、
一日のうちに思う時間も少なくなってきた。
自分の今の家族と、自分のこれからを大切に考えるようになれた。
これも対決のおかげだ。
きっぱりと父を否定したから。ふう!
<473> ロヴィン ■2005年02月21日 月曜日 18時59分49秒
プチ内観をしたら,自分は兄から与えられるばかりで何も与えてないことに
気付いた。それは多分、俺に被害者意識があったからだろう。 少し恥ずかしくなった。でも,じゃあどうすりゃいいか,わかりません。うーん,そうだった。
兄に対しての無償奉仕はなかった。結局俺はマザコンだから母が死んだ後も
母が求めるところのいい子を,いえの中で演じてただけだ。今、気がついたよ。
あー,欠点だったけど。なんか,妙にすっきりした。よかった。よかった。
<472> こくーん ■2005年02月21日 月曜日 01時26分49秒
母に対して沸き起こる、
『愛情』と『憎悪』と。
『受容』と『拒絶』と。
『感謝』と『批判』と。
『尊敬』と『軽蔑』と・・・・・・。
矛盾する様々な感情を、表現する術を私はまだ持たない。
だから、あなたの前で、どんな顔をしていいのかわからないのです。
仮面をかぶって、抑揚を声に出さないようにしたいのです。
でないと、抱えきれない矛盾に涙が出てしまいそうなのです。
私はきっと親不孝な娘です。
たった1人の母親に、かける言葉が見つからないなんて。
<471> いつか ■2005年02月21日 月曜日 00時44分31秒
お母さん死んでから、こっそり行われてた、姉への父の虐待がわかった。
私が生まれる前からのね。
道理で変だった訳だ。
秘密だらけの家だったんだね。
<470> いつか ■2005年02月21日 月曜日 00時39分23秒
どうしてお母さんを叩いたの?
の問いに、父は、「あれは叩かれて当然の女じゃった」。
83の父が死んでしまった母のことを言ってる。
この人に何か私、用があるのか?
話す事ある?
母もいやだったけど、この父ねえ!
母の親戚のまえでは、「いい妻でした」。とかいってね。
本当嫌な人。
<469> ロヴィン ■2005年02月20日 日曜日 18時55分26秒
母亡き今、兄の憎しみはどこへ向けられるのだろう?
考えただけで辛い。
<468> ロヴィン ■2005年02月20日 日曜日 17時00分39秒
(連続投稿でごめんなさい)

昔、よく母親にファミコンを隠された。 それは大体紙袋に仕舞われてどっかの引き出しに収まって,母が出かけると兄弟で,あるいは1人で探し出し,外出中に,束の間の楽しみを味わった。別にそれが恨めしいとかそういうわけじゃない。ただ,その頃から隠れて,「何かをコソコソする」癖がついてしまった。ファミコンなんかいいじゃないか。確かに目も悪くなるし,やりすぎは良くない。問題は「隠す」ということだ。子どもの自分にとって「隠されるモノ」を探すのは自分に罪悪感を植え付けることと一緒だった。ふと思い出したので書いてみました。
<467> ロヴィン ■2005年02月19日 土曜日 18時14分18秒
上手く切り離せるかな...「生育」と「現在」。
結局のところ僕は過保護に育てられた。ある本に「いつも立てられていないと満足しない」と書いてあって最初はムッとしたけど当たってる。「承認を求める」って書けば聞こえはいいけど「立てられたい」も同じだから。

そして「あの大事件」があって僕は挫折した。否、性格に言うと挫折の一歩手前で逃げた、という感じだった。

過保護に育てられたのも事実。承認欲求が強いのも事実。ぜんぶじぶん。
家族を否定することは自分も否定することになる。
<466> ロヴィン ■2005年02月19日 土曜日 15時21分08秒
兄が近々,復職するらしく,ピリピリしている。否,ピリピリしているのは俺なのか?私に彼の感情の責任の所在はないよ。なんで,罪悪感が再浮上してくるの?これは,もう受け止めるしかないの? 後,コントロールと自己主張の違いがよくわからなくて困ってます。関わりたくない相手だから一層困るよ。
<465> ロヴィン ■2005年02月19日 土曜日 14時59分47秒
何故だかわからないが,また家族の言動に過剰反応するようになってきた。
この2ヶ月くらいで上手く距離を取るようにしてきたのだけれど,やっぱ
疲れてきた。それは認める。一年前と同じ匂いがして嫌なんだよね。
でもそれは俺にも非があるような気がするんだ。上手くは言えないんだけど
まだ俺は「気付き」や「シェア」を必要としている。まだ発達させることが
できると思う。それにしても今の「からめ取られ」は少々、不快だ,いや
不吉といったほうがいいかな。

私自身も棚卸しが必要なのかもしれないし,知らず知らず相手に対して
無言のプレッシャーを与えているような気もするんだ。
<464> こくーん ■2005年02月19日 土曜日 06時39分13秒
母よ。
『私たちの物語』を語ろうとしている私にとって、
あなたが無意識に使う、
『みっともない』『みじめだ』という言葉が、
外からどう見えるかという視点が透けて見えるこれらの言葉が、
私をどれだけ苦しめるのか、あなたにわかるだろうか?
たった1つ。
あなたに理解して欲しい、ということだけを伝えるために、
どうして私は感情的だったり、小難しかったりする、
何千何万の言葉と、途方もない精神力を費やさねばならないのか。
あなたと、
娘である私の間に、
どんなものが横たわっているのか。
<463> こくーん ■2005年02月19日 土曜日 06時33分20秒
『こうあるべき家族』というものにどこまでも振り回されている気がする。
いっそのこと、「他人」だと思ってしまえば、
家族なんだから、血がつながっているんだから、
言わなくてもわかるでしょう?わかってくれるでしょう?
わかってくれなくてはいけない。
わかってくれ。
という欲求から解放されるような気がする。

それでいて、たった1人。
いつの間にかたった1人でご飯を食べることが普通になった自分は、
悲しい気がするし、寂しい気がするし、かわいそうな気がする。

『家族』ってなんだろう。
自分の問題に向き合うとき、必ずココに行き当たる。
<462> 奈々海 ■2005年02月18日 金曜日 01時05分35秒
両親は、私の友人の悪口をよく言った。
だから、家に連れてくるのが怖かった。私の友人を褒めることより、悪口いうほうが明らかに多かった。
だから、必死で弁護した。親が怒り出さない程度に、と、気を使いながら、どきどきしながら、弁護した。
親も悪気があったんじゃないと思う。単に、井戸端会議的根性で、批判しか口に出なかっただけなんだろう。

なんで、私はあんなに、周りを弁護したんだろう。友人と親の仲を、あんなに必死に取り持たなくてはならなかった理由って何だろう。

父親は、たまに、私を厳しく叱った。その度に、私は、嗚咽して泣いた。たいした事言われてるわけじゃないのに。それは、24歳のとき、ストーカーに追われて、家族に迷惑かけて、怒られたときも、同じような感じだった。
相手が父だと、必ず、すぐに嗚咽してしまう。止めようとしても、無理。そんなに怖く感じてるのかな。
<461> ミルキー ■2005年02月17日 木曜日 02時59分14秒
「親戚の恥さらし」この言葉が今も私の胸を 痛みつける。
私が生まれた時に、ひいおばぁちゃんが、私と一緒に海に身投げすると言っていたらしい。
どうやら 生まれてはいけなかったらしい。

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This script written by Shintaro Wakayama.