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私たちの物語 - 家族過去ログ No.23
メッセージ数:460件

<460> みー ■2005年02月16日 水曜日 20時12分12秒
ただ抱っこして欲しかっただけなんです。
わたしを見て欲しかっただけ。

自分の思うようでないと怒鳴ったり、頭ごなしに叱ったり。
わたしは自我を封じられて育ちました。
怖くて甘えることができなかった。
大人の年齢になった今でも、大人が怖いです。

両親、祖父母、叔母が同居していたうちで
今思えば、とても過干渉に育てられました。
何か一つの行動をとっても、ああじゃない、こうじゃないと言われて
何かしようとするたびに、何か言おうとするたびに
家族から跳ね返ってくる否定的な言葉が怖くて、いつも緊張してびくびくしていました。
うちが嫌いだった。
いじめられても学校を休まなかったのは、うちの中に安らげる場所がなかったから。
だったら、学校に居た方が一人になれる。

辛くて辛くて、毎日のように泣いて。
もう大分長いこと、自分を持て余しています。

家族は、自分の意見を押し付けることはするけれど、わたしのしたいこと、言いたいことを受け入れてくれることはしなかった。
思うようにならないわたしを「お前はおかしい」「理解できない」という言葉で散々苦しめた。
わたしは、自分を責め続けた。
どうにかして、普通になりたいと思った。

当の両親は、当時のことをまるで覚えていないと言う。
もちろん、わたしをどれだけ傷つけて苦しめてきたかも理解していない。
過去には戻れないんだから、そんなこと言ってもどうしようもできない、と。

時々、哀しくなる。
なんでこの両親から生まれてきたんだろうって。
祖父が死んで、祖母が死んでも、わたしは一滴も涙が出なかった。
きっと両親の番がきてもそうなんだろうと思う。
むしろそこで、初めてわたしの枷が外されるのかもしれない。
何だか不毛な人生のような気がする。
<459> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 21時32分10秒
(原則違反なので、削除していただいてかまいませんが、少しの間だけ残していただけると助かります)

豆だいふくさん。ありがとう。ありがとう。
私もそっちに希望を託したい。
<458> 豆だいふく ■2005年02月14日 月曜日 11時12分36秒
私の兄は何か自分の気に食わないことがあると、他人に暴力を振るう。
1年前も職場で傷害未遂を起こして、今休職中である。
いつ「犯罪者の妹」になるのだろうかとヒヤヒヤしている。
でも、もしそういうことが起こったとしても自分自身がしっかりしていれば
乗り越えて行けるのではないかと思う。
「彼のしたことは彼自身の責任である」と思えるようになるまでとても長い時間を要した。
でも正直恐い。
早く気付いてほしいけど、彼自身が気付くまでは私には何もできない。
でも自分を変えることはできるはずだから。
そっちに希望を託します。
<457> こくーん ■2005年02月14日 月曜日 05時26分48秒
弟がいなくなって1年近くになる。
大きな借金を残して、人を騙して、追い詰められて、失踪。
いなくなった当初は正直、安心した。
これでもう、私を傷つける人はいない。

でも、ニュースを見るたびに、弟の名前が出てくるんじゃないかとびくびくしている自分がいた。
ある日、『あなたは犯罪者の姉だ』って言われて、
社会からはじきだされるんじゃないか、って。
怖い。
そばにいても、いなくても、存在が私を脅かす。
怖い。

本当は、「どこかで幸せに暮らしてる」って思いたい。
<456> ロヴィン ■2005年02月13日 日曜日 18時34分59秒
誰か1人が負い目を負う構造。1人が自由に振る舞い出せば,一人が犠牲になる。あるいは罪悪感など負の感情を背負い込む。いまいましい構造。私に責任はない
<455> ロヴィン ■2005年02月13日 日曜日 08時05分03秒
昔は父も父なりに私を気遣って色々言ってくれるのだから,とその気持ちを尊重しようと思ってた。でももうできない。確かに気遣いには変わりないんだけど,バカにされてるとしか思えないし。
<454> 筏葛 ■2005年02月12日 土曜日 23時38分30秒
自分の性別を否定するわけではない。
けれども、どうしても、この中に、この内に、生命を創り出す仕組みがあることが許せない。
気持ちが悪い。汚らわしい。吐き気がする。
身体中の血管にびっしりと蟻が這い回っているような、不快感。
このどす黒い空虚なハラワタを捨ててしまえたら、どんなに楽だろう。
お母さん。アンタのような過ちは犯したくないんだよ。
どんなに月日が経っても、アンタの娘は「生まれてきて良かった」って思ったことがないって、知ってるかい?
極々当たり前の愛情を貰えなかった子が、「普通」であることを要求され続けることが、
どんなに辛いか分かってるかい?
こんな腐った繋がりを続ける気は更々無いんだよ。
<453> ロヴィン ■2005年02月12日 土曜日 20時28分51秒
色々な番組で家族特集みたいなの見ると,本当羨ましい。なんていうかみんな伸び伸び,おっとりしてる。境界線があるというかそれぞれに干渉し過ぎない。 私の母は保母だった。だから尚更子育てに自信があったんだろうね。ところがあの人自身がアダルトチャイルドだったんだ。詳しくは知らないけど超厳格な祖母に育てられたらしい。僕は祖母に会った事はあるけど,母同様あまり好きじゃなかったな。一回、叩かれたか,すごい怒られたことがある。

厳格なだけならいいけど,厳格で過保護だから性質が悪い。反抗しようにも憎しみの対象になりづらいんだよね。だから過保護に育てることで傷つけたことへの責任逃れしてる。
<452> ロヴィン ■2005年02月12日 土曜日 20時23分25秒
ダブルメッセージ,ダブルバインドの影響って怖いな。そして未だにその影響下にある。「お前に任せるから」+「俺がやる」。「1人でやりなさい」+「お前はダメな奴だ。お父さんが手伝ってやろう」。「お前の好きなようにしろ」+「お前はなんで人のいう事が聞けないんだ」etc.....。≪言う通りにしてもダメ。言う事を聞いてもダメ≫。そりゃ,頭が混乱するわけだ。
<451> こくーん ■2005年02月12日 土曜日 06時02分11秒
例えば、子どもの頃の思い出。
お手伝いで皿洗いをしたのだが、後から母がそのお皿を全て洗いなおしていたこと。
手紙を書いて、宛名書きが合っているか見てもらったら、一言、
「お母さんが、書き直してあげようか?」と言われたこと。

そうやって、少しずつ「自信」というものを剥ぎ取られていった気がする。


そして、今。
私は同じ方法で、母親から自信を削り取ろうとしている気がする。
<450> ロヴィン ■2005年02月11日 金曜日 21時17分38秒
とある本を読んで,また家族について考えてみた。
4ヶ月前とは違って大分、冷静には見れているけれど。自分にとってアダルトチルドレンとはなんなんだろう?どういう意味を持つのだろう?普通に考えてみて言いたい事があるのなら思いきり親と衝突すればいい。そうすれば,また違った事が見えてくるのかもしれない。より自分の負うべき責任が見えてくるのかもしれない。そう思うのと同時に,親を責めるのは格好悪いことだ,という考えも頭をよぎる。僕は親にありのままの自分の姿を見て欲しい。他の誰かではなく,それはやはり親なのだと思う。と,同時に他者をコントロールしてしまうことへの嫌悪感。

それで結局,考えつく先は家族でカウンセリングを受けること。でもそこまですんの?思ってしまう。はぁ〜なんなんだろう。時間だけが過ぎてくかんじ。勿論,毎日こんなこと考えてるわけじゃない。でも,家を出るにしろなんにしろいつかは向き合わざるを得ない壁。父ももう若くない。わ〜どうすればいい? コントロールしたくないからっていうのは一見、健全な考えなのかもしれないけど,それで何か解決するだろうか? 家を出る前に「対決」するのはやりずらいし。とにかく,家族との関係を見直す時期なのかな.....。
<449> トラミ ■2005年02月11日 金曜日 09時19分57秒
親を殺してしまいそうです。
妄想じゃなく、現実として。
そうできたら、どれだけ良いだろう。
何を今更怖がってるんだか。
あんたが作ったんでしょう?娘という名の怪物を。
そんなに恐い?私に殴られるのが。
だったら殺せよ。
早く死にたい。
<448> 夕立 ■2005年02月10日 木曜日 23時23分14秒
私が親になったら。
そういうことは良く考える。
自分の子にはどう育ってほしいか。
支配せず、天真爛漫に、その子自身を見つめて。
離れたがれば引き止めず、くるときには拒まず。
親の言うことをよくきく子ではなく、自分の主張をはっきりといえる子に。

しかし、私は百点満点の親にはなれないだろうから、子供にも百点満点は期待せずに。
自分のできないことを子に期待したりしないで。

なーんて。思ったりする。
<447> こくーん ■2005年02月09日 水曜日 23時39分37秒
自分がACだと気づき、
弟はもっと前から、生活が荒れていて、
それは、私の家族は家族じゃないからだと思って、
さらに考えてみた。
母は、ずっと寝たきりだった母(私の祖母)を早くに亡くした後、
父(私の祖父)が相談もなく再婚したこととその相手に当たる継母と
上手くいかなかったことで、親子は断絶状態。
父(両親は離婚したので、父とは人生の半分以上合ってない)はやはり、
強引に結婚させられたという母(私の祖母)に溺愛されて育てられ、
父(私の祖父)は早いうちから病気で入退院を繰り返し、
なんでも東京の大学に進学したかったのに、許してもらえず、
ムリヤリ小さな土木会社を継がされたとか。
(その会社は父が潰してしまったけど)

両親もACだったのかな、と思った。
少なくとも母との会話には家族的なひっかかりが垣間見れる。
本当は、そのことについて母と話してみたかったけれど、
あの人は、子供(私)が核心を突く前に『宗教』という逃げ道を
見つけてしまったから、もしかしたらもう、気づかずに人生を
逃げ切るかもしれない。
でも、私は?弟は?
親がACだったから、仕方がないよ。責めたらかわいそうだよ。
なんて、割り切れない。

私にとって、家族とは、足にがっしり嵌まった重い枷。
いつか、この重みに耐えられなくなって、
底なし沼に沈んでしまうんじゃないかと、びくびくしてる。
<446> ロヴィン ■2005年02月09日 水曜日 21時50分58秒
中学の時,塾の帰りが遅くなると父が車で見回りに来るのが嫌だった。バツが悪かった。俺の親だけだったし,そんなことするの。しかも,スーっと尾行するみたいに,後ろからヘッドライトがついて来て,友達もびびった。そう、そこが一番やだった。「親切・お節介」という支配。その当時は従順な子猫ちゃんだったから,反抗しなかったけど,反抗したところでこういう言葉が返ってきたはずだ。「何が過保護だ!!こっちだって心配してるんだ。なんでそういう気遣いが分からないんだ!!お前はバカだ」と。

更に遡って小五の頃。この年になるとランドセルじゃなく,巾着袋がはやり出した。俺も欲しくて親に頼んだら,作ってくれましたよ,赤い生地に,動物の図柄が入った恥ずかしいやつを。もっと男っぽいのが良かったのに。それから高校まで弁当の包みも微妙に女の子っぽい入れ物だったな。
<445> ayako ■2005年02月06日 日曜日 17時57分37秒
父の事はあまり語れません。記憶ある父は怖かった。いつも私を睨んでた。いつも私を箸で殴って、酔っていつも私を外に投げ出した。泣いている私を母は助けなかった。酔ってて汚く寝てる姿。トイレ一杯おしっこをばらまいていつも母が掃除してた。母が身の周りの事してた。お風呂の着替えの用意。酔って椅子やコタツで寝た時に布団に連れて行くのも母。重いから手伝った事もある。お茶一杯も自分で入れようとしない。母が居ないと誰かにやらせようとする。酔って椅子で寝てる。
誰も起こさないとずっと。私の前でアダルトグッズの番組を平気で見てた。あの時の父の顔は忘れられない。欲情してる男の顔は皆あの顔に見える。嫌な感じがする。食卓で父は話をするが誰も聞いてない。めちゃくちゃな話しかしない。母は黙って父が寝るまでそこに居た。私がTVを見てたら父の声は大きくなる。TVのボリュームがあがれば上がるほど。見たいTVは父が寝るまで見れた試しがない。
夕方6-7まではTVは見れなかった。ビデオは姉が占領してた。私が13歳位になって胸が大きくなったら「**は胸が大きくなったな」と酔いと欲情まじりな表情で言われた。すごく嫌で母に言った。14歳位の時に姉と色違いのスカートとTシャツを買ってもらった。赤の。それを着てTVをみてたら父に話し掛けられたから返事をした。父は「何だと」と言い私を押し倒した。私の手首を固定して私の顔に唾を掛けた。何度も。母は見てた。見てたけど止めなかった。凄く嫌だった。汚い。自分が獲物の様に扱われた。性的に。射精の代わりに唾を掛けられた。セラピストが言ってたけど父は私を女として見てた。女性的になってきた時期に得にそれが明るみに出たのだ。母は私に対して性的に嫉妬してたのだと思う。母が私に酷くきつく当たった時期があった。18の時に後ろからの視線が気になり始めた時期があった。その視線の先には必ず父がいた。私の性的なトラウマは父が作りだし、母は容認してた。母は私をお人形だと思い、物として扱った。「いつまでもかわいい私の**ちゃん」と言った感じに。姉が言った「あんたレイプされなくて良かったじゃん。親父あんたが出てくと決まってから危なかった」姉は気が付いてたのだ。現在の姉は引きこもりで理不尽な扱いを受けながら暮らしてる。30なのにろくに働かず、現実から目をそむけて。姉は母が死ぬまで働かないだろう。その頃には姉には出来る仕事はあるかどうか謎だ。あの人達とは縁を切り。親戚とも音信不通。母方のばあちゃんも凄い人だった。母よりは優しかったけど。ACは受け継がれて行く。それは自分が身を持って知ってる。家族の正体も無い事も。だからこそ私は自分の子どもは持たない。自分はACだって知ってるから。
<444> 左十子 ■2005年02月04日 金曜日 22時17分26秒
物心ついたころから友達とかの親子関係を見てそれが普通だと肯定して、
それに近づけようと自然と努力をしてきてた。みたいだ。

今もまたそんな感じで。

どぉぉぉぉぉおおおも今まで薄い壁作って接してきてたせいか
「普通」に接するのが難しい。話がもたないし。イライラする。


お母さん香料はいったものきらいでね。
私も好きではないけど、そういうコンディショナーもっててね。
残り少ないから使ってるの。
朝になったら毎日臭い臭い臭い臭いの連呼。
しかたないけど。
でも理由を述べる気にはならない。
もともと人の意見聞き入れる許容範囲がない人だから。
最近は言わなくなってきた。臭いとは思ってるだろうけど。
その証拠に私のそば通るときは息止めてる。
そのままずっと止まってればいいのよ。
昨日近くに私いるの気づいてない母さんが父さんにこう言ってた。
「やー左十子臭いんだよー。だから左十子の近く通る時は息止めなきゃなんないの」
言われて気分いいものじゃないけど、仕方ないんだ。
母さんの嫌いな香料ばら撒いてんだから。
悪いと思いながら使ってたし。
で、私が水を流したら(手洗おうと思って)
「あ、左十子いたの?あはははははは」


…………………思ったよりショックのでかいこと
<443> ルフィン ■2005年02月01日 火曜日 00時03分33秒
家族の前で笑うことができない。面白いことがあって家族みんなが笑ってるのに私は顔がひきつる。家族に笑顔を見せることが怖い。笑った後の気まずさ。
私はいつも無表情。感情を切っている。
一人暮らしを始めて一年。自分一人で生きていけると思っていたのに経済的にはもちろん、精神的にも自立できない自分が情けない。
<442> ミルキー ■2005年01月26日 水曜日 06時49分23秒
私の腹違いの兄は薬物中毒者だ。
私は私の母の元で育って、兄は兄の母の元で育った。

初めて会ったのは、2年半前くらい。
他にも腹違いの兄弟がいる。
姉が一人と、もう一人兄がいる。
姉はバービーになりたい人。もう一人の兄は責任感全くなく 結婚離婚を繰り返して、子供があちこちにいるらしい。いわゆる私達の父と同じ。
そしてこの薬物中毒者の兄は、唯一私と腹を割って話せた人だ。
誰も父の無責任さ加減を話題にしようとはしない。

でも、この兄だけは違った。
彼が二十歳のときに、わたしがこの3ヶ月前にしたように 父にすがる思いで会いに行った事を話していた。
その後 世界は終わってると思い出して、薬物を始めたらしい。
今は薬物を手放したと言っていた。

私は小さい頃に彼の写真を見たことがあった。私に顔がそっくりだと思った。
でも、19歳になって初めて逢ってみると、ぼろぼろで老人のようだった。
でも、彼の話を聞いていると、顔だけじゃなくて、内面も似ているのが分かった。私達 違う国で育って、違う言語で教育されたのに、思考回路は同じ。
私達全員ACだ。

私はその後 兄には二度と会いたくないと思った。
あのぼろぼろの姿は、私には痛かった。
兄は30回くらい電話してきたけど、出なかった。
私には 助けることも出来ないし、まだ受け入れることも出来ない。

つまらないけど、バービーな姉は近くにいてもそんなに嫌じゃなかった。
バービーな姉はその兄とはまた腹違いである。
この姉は何がおいしいとか、くだらない話で時間が過ぎる。

私には重いことだった。
全部重い。
<441> ミルキー ■2005年01月26日 水曜日 06時23分32秒
祖父とは、彼が死ぬ直前にしか 逢ったことが無い。
勘当同然だった母は、祖父が死ぬ直前に実家に戻った。
祖父は 私の爪を見て、お前の爪はおじーちゃんの爪と同じだ。この家の娘だって言ってくれた。あの時は その後どうなるのか知らなかったから、意味が分からなかった。
今はよく分かる。
祖母の前で、このこをいじめるなということだったんだ。
祖父は その後まもなく死んだ。
祖母は もちろん私をいじめだした。
親戚の恥さらしと言い出した。
私は 自分の爪を見て、我慢した。
なんで おじーちゃんは死んでしまったんだろう?
なんでおばーちゃんじゃなかったんだろう?

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This script written by Shintaro Wakayama.