私たちの物語 - 家族過去ログ No.21
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<420> ロヴィン |
■2005年01月06日 木曜日 17時53分46秒 |
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一日のルーティンを終えてかえてっくる家がもっと安らかなものだったら....。
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<419> ロヴィン |
■2005年01月05日 水曜日 19時48分47秒 |
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父が高血圧と診断されたらしい......。AC自覚以降,距離を置いて冷たく接してはきたけど,不安だなぁ....。やはりACだろうとなんだろうと,自分を育ててくれた父親が苦しむ姿を見たくない。母が癌で苦しんでいく姿を見るのは本当に辛かった・・・。その再来だけは避けたい。俺は家族の中で何をすればいい? 俺にも俺のすることがある。家事にばかり囚われていたのは昔のこと。今はどうすればいい? 思い出しついでに書かせていただく。母の死。あの時のことはちゃんと覚えてる。朝の8時ごろに,朝食の買い出しに行って戻って10分くらいだった。後少し遅れてたら死に目に遭えなかった。 すごく辛かった。抗がん剤の投与で髪はボロボロに抜けて,体はガリガリ,足はぶくぶくにむくんでいた。今でも思い出すだけで辛い。ありがとう。この場所に感謝。
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<418> あいり |
■2005年01月05日 水曜日 17時05分22秒 |
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こんなに吐き出せる場所があったなんて。 昨日も母とぶつかった。わがままを言っても、離れていかないで欲しかった。 どこまで言ったら離れていくのかな・・・って私たぶん限界をためしていたんだと思う。あっさり私をおいていったあなた。だから私は人を試すことを覚えてしまったんだよ。ギリギリまで追い詰めて、それでも離れないかって確認する。でも不安だからさらにさらに追い詰める。そうして私のまわりから誰もいなくなる。
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<417> ロヴィン |
■2005年01月04日 火曜日 20時04分17秒 |
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続き 要は,誰のせいでもないんだよね。運が悪いんだ
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<416> ロヴィン |
■2005年01月04日 火曜日 20時03分11秒 |
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続き だから,これは正に共依存の連鎖だね。兄は父に依存している。そして私は兄の問題に気を取られている。なんでだろうね?確かに比較はすごくされたよ。後、最近、思うのは性の問題。恥ずかしいけれど自分は遅熟だった。そういうことに関しては...。それは母と共依存だったからかもしれないし,母が性に対して偏見を持っていたから。だって兄貴に彼女が出来た時も「不潔」「不貞」とか行ってたらしいし。俺はだから性に関して,そういう感情があるのかもね。だから兄のエロ本を盗み見すことになんでそんな罪悪感があるのかっていうと,それは2重構造になってる。性そのものに対する後ろめたさ,そして人のものを盗み見ているとという後ろめたさ。プラス兄との不仲。もうぐちゃぐちゃ。とても1人じゃ解決できないよ。多分、色々なもののめぐり合わせ,組み合わせ,タイミング,そういったものの影響で,私自身ひいては家族全員がこんなに面倒なことになっているんだろうな...。もう,本当にやだ。まだ自助会でも弱音を吐ける勇気もないから,今はここで....。ありがとう。
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<415> ロヴィン |
■2005年01月04日 火曜日 19時54分53秒 |
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兄の不健全な行動に目くじら立てちゃう。共依存を端的にいうと「自分の問題より(相対的に)他人の問題にとらわれてしまう傾向」と某本に書いてあったが正に..。 例えば,話しをロクに聞かない父に相談して,それで会話が遮られて腹立ててるくせに止めないとか。でもしょっちゅう,痰を切ったり,ドアを思いっきり「バタン!」って閉められるようなら気になる。でも私は悪くないんだ。数ヶ月前の日記を読むとまだ兄との感情が未分化で,全部自分のせいだと思ってた。あるいは,自分のせいじゃないと思っても,それを上手く肯定できるだけの力、余裕がなかった。だから私は成長していると思う。
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<414> ayako |
■2005年01月04日 火曜日 14時06分11秒 |
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お正月です。正月は嫌いなので仕事してた。年末はtv番組に惹かれるけど休みたくないし、家に居たくない。旦那が居るせいもあるけど。嫌な記憶が蘇る。 毎年正月は何があったんだろう・・酔っ払いとロクに掃除されてない部屋の匂いしか記憶にない・・。たまに母の兄弟が来て酒盛りになってた。誰も洗物をしないから私が進んでした記憶もある。そしたら皆やり始めた。お正月に家族では居た。 居たけどそれが何だったのだろう?楽しかった記憶もない。ただただ苦痛だった。 マズイ母の料理。あの人はいつもそこに居た。何も話さず。動かず。生きてる感じはしなかった。ロボットみたいな人。口を開けば文句か八当たり。最低な人。友達は居ない人。さびしい人。若い頃は楽しかったらしい。写真やコンサートのチケットが取ってあった。それを姉と見て無言になった。父と出会ったから母は不幸の一途をたどったのだろう・・と実感した。写真の母はいつも楽しそうに笑ってた。 当時の話をする時は文句も言わない。母の子供時代の話はAC製造工程のような話。時代のせいもあるが自分が欲しい物は買ってもらえず4人兄弟の世話をさせられていたそうだ。祖母は祖父が働かない人だから炭鉱で働いていた。母はヤンキーになったが祖母に相手にされんかったらしい。15で東京に出て来た母は自分で学費を稼ぎ出していた。自由を与えられたのに父と出会ってその自由や可能性も捨てた。 可哀想な人・・。母から受けたトラウマは消せないし恨んでるし愛してる。でもやっぱり許せない。母の事は客観的に見れる様になった。でも許せない。家族って何なんだろう?一緒にいれば家族なのか?暖かくて・・やさしい母がいて頼りがいのある父が居る。安心できる場所。それが家族じゃないか・・。理想的だけどそれが私の欲しかった家族や家庭。母に優しくして欲しかった。かまって欲しかった。抱きしめて欲しかった。愛して欲しかった。歪んだ形ではない正常な愛情で。それは無理だった・・母も祖母から愛されたかったから・・母は人に愛された事の無い人だから出来ないし、子供を愛する事を理解出来てない。他人の事に気使いできる思考回路はないから・・仕方なかった。子供愛情かけてる父親を見ると悲しくなる。 私は父にも愛されたことは無かったから。私の家族はAC一家で自分達と同じ人間を造り出してる。それが酷い事と気がつかずに・・
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<413> NAC NAC |
■2005年01月03日 月曜日 23時51分45秒 |
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2005年の1発目はやっぱここからでしょ。 基本的に私の正月は、大学時代の友人A君の実家があるここ静岡県で過ごすのがお決まりとなっていて(去年はさぼってしまったが)、今年も図々しく新年のご挨拶を兼ねて1泊お世話になった。 そして私がここで書きたいのは「(お邪魔する度にA君家族の仲・繋がりを私なりに感じて羨ましく思い、同時に、繋がりのない我が家を寂しく思い)これが家族だろ」だ。 大分前にも自分で書いてダブる部分もあろうと思うが、はっきり言って私の家族は機能していない。対してA君家は愛情家族。 何で人間で同じ家族という形を取っていながらこうも違うのか? 私にはその答え「人間として、また親として情があるかないか」と、頭ではわかっていても心の奥では承服し難い。 そう、私の家族には「情」というものが欠けている。否、欠けているどころか心の動きに関しては全て「無関心」だ。
なぜ?
それは「機能不全」だから。
いつもその繰り返し。一向に我が家に「機能する」兆候は観られない。そして悪夢は繰り返される。親が気付かぬ限り、この先もずっと。 だから私は正月や盆に実家に居たくないのだ。居れば「うちよりは、またはうちなんかよりずっと機能する家族」を強制的に見せ付けられる。それも連続して。そして私の無意識はまた傷付く「何でうちはこうなんだろう?」と。 今までずっとそうだった。私の無意識では現実を認めたくなくてずっと葛藤していた「自分は親に愛されているんだろうか?」「必要とされてるんだろうか?」「望まれて生まれて来たんだろうか?」 そして無意識にでも自分で答えはわかっている「自分は愛されていない。そして、自分が存在する意義すら見出せない」ただそれだけ。 だから私は乖離してきたのだ「自分の寂しさで精神がやられないために」。 もう最悪だ。
なぜ?
ACと気付いて認めた今はこうして乖離していた自分の内面奥深くに光をあて、それを言語化することもできるが、当時の小さい私には「自分は親から愛されていない、必要とされていない」と疑うことすら苦痛だ。否、苦痛どころか、自分の存在する意義を疑うことは、未熟な精神の子どもにとって「死」をも意味する。 辛うじて私は生きてきた。あの「感情を許さない」機能不全の家族の中で。「乖離」という手段で自分の心を冷凍保存し、壊死することで。
「魂が死んだ子ども」それが私だった。 誰からも気付かれず、ずっとずっと独りぼっち。 周りには誰もいない。 あまりの寂しさで「自分が孤独」ということも感じなくなっていた。
恐ろしいことだ。こうして書き込んでいても私は涙が出てくる。でも乖離していた私には「寂しさが当たり前」だから、決して映像は浮かんでこない。
なぜ?
自分と向き合えば必ず「なぜ?」にぶち当たる。そして心はいつも大波だ。 ざわつく内面。波が高く上がった時だけ何かが見えそうになるが、私は恐怖で眼を塞ぎたくなる。そして無意識が意識に呑まれる「何も見なかった」と。 本当は見えていたのに・・・・・
なぜ涙が出てくるのだろう? 私の過去に何があったのだろう?
苦痛しかない日々。毎日毎日鈍器で殴られるように心を蝕まれていく。それも親の手で。毒しか吐かない親の手で子どもの心が麻痺されていく。
辛いことばかりだ。私の欲しいものはすぐそこA君家にある。でも私には決して得られない。
「愛情」
言葉じゃないんだよ、言語外で体に伝わってくるもんなんだよ。 うちの家族で「ほわっとした」ことなんてあったのか? 単純に「楽しい」なんて思ったことあったのか?
何にもない。すべてNOTHING!
「足りないものは愛情」そうわかっていても、どうやってそれを得たらいいのか?が経験としてわかっていない。 親から愛された人は親になっても自然と子どもを愛せる。 同様に、遊んでもらえた人は自然と子どもと遊べる。
なぜ?
それは経験として身に付いているからだ。 だけど「親に構って貰った記憶がない」私に身に付いているのは「歪んだ愛し方・愛され方」だ。
親から愛されて育った子どもは羨ましい。私もそうあって欲しかった「ありのまま、生まれたままでいいんだよ」と。
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<412> いつか |
■2005年01月03日 月曜日 17時13分24秒 |
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家で悪い事起きると、全て私のせいだった。男の子だったらいいのに、、仲間はずれのいじめられっ子。二人の姉のおさがりばかり。ボロボロの下着。父は皆を苛め、姉たちの鬱憤晴らしの私。そして母は隠れて最後まで私を苛めた。なんだったんだろうあの家。寂しいときもあったけど変な家と気付いた今、離れていて良かった、せめてもの慰めだ、と思う。
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<411> kitten |
■2005年01月02日 日曜日 00時41分01秒 |
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母から愛されなかった。お母さんにもこういう状況があったから・・とかもう思えない。 お母さん、私をもうそろそろ解放して。世の中には色々な人がいるけど、そしてお母さんが言った意地悪な人もいっぱいいるけど、わたし、なんかもう疲れちゃったんだよ。 私も少しは幸せになっても良いでしょ?
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<410> トラミ |
■2004年12月30日 木曜日 17時48分35秒 |
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妹に悪い事してる。 彼女を、私の感情のゴミ箱にしてる。 死にたいとか、皆死ねば良いのにとかばっかり言ってる。 ほんとうにごめん。
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<409> ミルキー |
■2004年12月30日 木曜日 00時57分33秒 |
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頭にくる! 許せない! 考えたらきりが無いけど、やっぱり許せない。 私がこんな容姿で生まれたのは私のせいじゃない! 誰だって 親を選ぶことなんてできない。 お母さんがミーハーに外人と結婚したから こんなことになったんだ。 私は 親戚のいやな目を全部背負って生まれてきた。 私のせいじゃない。 むかつく。 あんな家族 みんな死んでしまえばいいんだ。 私は私なのに。 学校だって 周りの人だって みんな私のこと外人って呼んだ。 社会は私にレッテルを貼った。 私の中身は 日本人だったのに 私を外人と呼んだ。 みんな消えて無くなればいいんだ! 私のことを つまはじきにしといて、今さら 私がうつ病になってから お前はお前でいいんだよって。。。 遅いんだよ。 too late. 私は 自分が自分であることを許されなかった。 どこに行っても、誰にあっても 私はただの外人だった。 15歳くらいから 男はよってきた。 ただの興味本位で。 私は 誰なの? 私は私でいいって、今さら言われても やり方わかんねーんだよ! 地震でも なんでもおきて 世界なんて終わればいいんだ! ブッシュさんよ 第三次世界大戦でも やってくんねーか? こっちは 望む所だ! みんな 終わればいいんだ。
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<408> スナフキン |
■2004年12月25日 土曜日 23時40分20秒 |
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一人暮らしを始め、親からの電話はほとんどなかった。私もしない。 ただ祖母や、叔母が心配して電話をくれた。
私はおばあちゃん子で育ったもので、おばあちゃんに心配をかけるのはとても嫌だったので、お盆と正月は必ず帰っていた。
もしおばあちゃんがいなかったら、帰ったりしなかっただろう。 親も帰ってこいとも、電話も何もなかったから。 電話が来る時は仕事で私の居るとこに来る時とか、結婚式で来るとか、 何かの用事の時だけ。 私の事を心配で来た事は一度もなかった。
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<407> とら |
■2004年12月24日 金曜日 16時09分27秒 |
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妹と喧嘩中です。互いに家族の問題はお前だ!となってしまうんです。本当はそうではなくACの知識の解釈の違い、母親を独占したいう願望でぶつかっているだけなんですが。。。。僕の願いはまた以前のように妹と仲良くなることです。共依存ではなく、相互依存(適当に距離がとれる関係)で。肉親であるだけに自然な願望だと感じています。
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<406> ロヴィン |
■2004年12月24日 金曜日 14時45分32秒 |
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父親がいつもいなかった。一番古い記憶では,3歳の頃,自転車に¥の後ろに乗っけてもらってるところ。4歳から19歳くらいまで,何か重要な話しをした覚えがない。進路の相談と日,それぐらい。いつも海外赴任か単身赴任。まぁきっと優秀な人なんだろうけど。そういう父親と今暮らしている。
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<405> スナフキン |
■2004年12月22日 水曜日 12時02分59秒 |
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私は中学の頃から早く家を出たかった。 早く自立して、一人で生活して行きたかった。 誰にも頼らず、何も考えずに、、、、 もう住む場所も決めていた。
高校三年、準備段階に入った。まず週末のアルバイト。 車の免許を取る為に、お金が必要だったから。 親はお金を出してくれないからだ。 私がしたくなくても、親が良いと思えばお金を出す。 そして強制的にさせる。私の意志は関係ない。奴隷状態。 私が本当にしたくても、親が良いといった事は一度も無い。 親の言いなりには、もうなりたくないから。
すぐ就職しようと思ったが、何も技術無しで転職は不可能なので、2年間の投資。 専門学校へ行く事にした。いそがば回れというではないか。 週末、夏休み、冬休み、アルバイト、そして自動車学校。 卒業までには免許を取った。 すごく忙しかった。
親元を離れて寮生活をした。今までになく勉強した。 資格もとらなくてはいけないが、これは私がすると決めた事だからだ。 週末は相変わらずアルバイト。 親からお金を貰うのが嫌だったから。
親は金を出す事で私を縛り付けようと、 親の義務を果たしていると思っているからだ。 「馬鹿じゃないの?ふん、私は一人だってやって行けるんだ。 いつまでも人形じゃないんだぞ!!」
就職もして、一人暮らしも始めた。 この頃はとても良かったのかもしれない。 親から離れられた開放感。 もう縛られない。自分は自由だと。
後でひどい事になるとも知らず、、、、
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<404> とら |
■2004年12月20日 月曜日 17時04分34秒 |
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僕なりの理想的な(また現実的)家族のイメージを書きたい。
普段から心の交友があり、感じたことを受け止めあうそんな家族が理想だ。このイメージを最近になって明確に持てるようになってきた。現実も それに近付いている。今は、私の家は落ち着いている。多少の共依存はあるが、あまり長引かなくなった。すっきり、さっぱり感があります。今年はけんかを両親とおもいきりしました。そのおかげで風通しがよくなった感じがあります。今はいろんなこと両親と弟と話します。妹とは喧嘩中。時間が解決してくれると信じています。
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<403> スナフキン |
■2004年12月20日 月曜日 14時23分59秒 |
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私は8人家族で育った。父、母、兄、祖父、祖母、叔母2人。 両親共働きで、下の叔母も会社員、上の叔母は昼間パートでいなかったが、 祖父母と上の叔母が育ててくれた。
父は仕事が終わると家で夕飯を食べながら、 祖母に「会社で今日はどうのこうの」と話しをしパチンコに毎日行く。 子供達は関係ない。 兄が学校で何があろうと、私が幼稚園で何があろうが関心がない。 毎日同じ時間に夕飯を食べるだけ。同じ場所に居るだけ。 話し掛けられたことがない。 いつも自分の自慢話を祖母にする。 その父の声だけが茶の間に響き渡る。 私が小学生になっても、中学生になってもそれは変わらなかった。
母は全国でも名前が通っているいい会社に勤めていた。 結婚してから生活が大変で、大家族なのでいびられ、父にまでもいびられ、 仕事に生きるしかなかったようだ。
母は10時出勤なので私達が学校へ行ってから起きてきて、 夜遅くまで働いていたので、私達が寝てから帰ってきた。 母とも同じ家にいながら顔を合わせずに育った。 両親ともに同じ家にいながら、子供に話しもせず関心もなかった。
兄も私も非常に体が弱い。私より兄がもっと弱い。 愛されないという事は子供達の心に大きな病を作り、身体まで壊していく。 子供心は純粋だ。それでも親は私を愛してくれていると思いたい。 しかし現実は違う。
愛していない。
これが現実。 物だけ与えておけばいい存在。 金さえ渡しておけばよいと思っている。
父は祖母が死ぬまでずーっと甘えていた。 マザコン男は人に愛を与えられない!これは事実だ。
いくら祖父母、叔母達が愛してくれたとしても、 子供の心に親から愛が来ないという事は相当な傷だろう。
子供という人形。物、物体。 心を交わす存在ではない。 自分の都合のいい時に連れて歩き、自慢する。 私達のして欲しい時、手を差し伸べるところか知らん顔。
それが親なのか? ただ同じ家にいれば親なのか? 人の心を無視して従わせる事が親なのか?
知らん顔しているのなら、永遠に知らん顔して欲しい。 自分が気に入らない時だけ、「俺はお前の親だ」と威張り出す。 都合のいい親だ。 手をつけられない。
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<402> ぽいぽい |
■2004年12月15日 水曜日 09時57分20秒 |
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母が飼ってる猫を叱ってる姿を見た。ただ、玄関が開いた隙に外に出た子猫に向かって「ダメでしょ!」って延々とウジウジ叱ってた。 それは「私の手から離れて、勝手なことするからこんなことになるのよ。」って母の手から離れることがいけないことだと、罰を与えているようだった。
私もきっと、歩き始めて外に興味を持ち出した頃、こんな風に怒られたのだろうなって気がついた。。。。
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<401> ロヴィン |
■2004年12月12日 日曜日 17時30分00秒 |
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僕は昔から「親戚」とか「田舎に帰る」ってい言葉がすごい羨ましかった。夏休みに入ると一斉にみんなが帰省する。僕には田舎がない。祖母は恐い人だった。たまに遊びに言ってカレーがおいしかった。それだけ。
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Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama. |
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