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私たちの物語 - 家族過去ログ No.19
メッセージ数:380件

<380> 埴輪 ■2004年11月09日 火曜日 11時58分53秒
自由が欲しい。
家族に奉仕するために生まれてきたかのようだ。
自由を求めれば罪悪感が出てきてしまう。
それに、実際助けが必要なのだからしかたがない。
生きるってなんだろう。
生に執着するから苦しいのではないだろうか。
執着が義務感を生むのではないだろうか。
どうして世間一般の其れよりも私は30年以上
早くに其の事を考えなければならない情況を与えられてしまったのだろう
私はまだ、同じ境遇の人にであったことがない。
ここでも見つからないだろう。
統計でもその病気が発生する平均年齢をはるかに下回る
母親の年代はわずか数パーセント、
健常者を分母に入れたらそのような人は
人口の1パーセントをきることは確実で
さらにその家族、子供が私と同世代であるという確率はどのくらいなのだろう。
姉がその人であるという言い方も出来るけど
私は外部の人と出会いたい。
本当に見つからない。
いたら、その人がどうやって今を生きているか見てみたい。
<379> シャローナ ■2004年11月06日 土曜日 21時49分23秒
家族の役割に縛られてる面と家族愛に酔いしれてる面が凄くあって
じゃあそういうの取り払って集まってる一人一人に目を向けると
何かあまり見えてこない
家族って個人なんてものは認めないあり得ないものなんだろうか
個人なんてものがあると家族はまとまらないものなんだろうか
でもまとまっているのを見たことも無いような気がする
個人というものはとても自分勝手なものにしか思えず
あるいは見せてはならないような深い悲しみにも思える
そういうの抑えながら家族って作っていくものなんだろうか
割り切った方はいったいどこにいってしまうんだろうか
それが毎日酒飲んだりパチンコしたり買い物したりお菓子食べたり必死に働いたりしているの?
もちろん自分勝手がいい訳は無いけど個人と個人の関わりなんか家族でする仕方ってないんだろうか
家族の前に個人はほとんど死も同然なんだろうか
結婚は人生の墓場ってそういうことなの?
<378> ゴンタ ■2004年11月02日 火曜日 17時58分45秒
夫の理解がなくて苦しいってずーーーーーっと言い続けてきたのに、
家は安全な場所じゃないってずーーーーーっと言ってきたのに、
「あなたの近くにいて一番頼れる大人はご主人だと思います」って言われちゃった。
ショックです。
何にもわかってないんだもん。
それができるのなら、あなたに相談なんかしないっていうのに。
何でそんなことを言うのよ!!!!
<377> 柊 ■2004年11月01日 月曜日 09時40分48秒
※フラバ注意
実家では、子供は小さくならなければいけない。
親に物を言う権利はなかった。
家の中で、自分のしたいことをするときは親の顔を
伺わなければできなかった。
自分のしたいことをどうしてもしたい許しがほしいときは
バトルは避けられなかった…
10歳のときに、初めて母に「いや」と言った母の驚いた顔が
今でも忘れられない。初めて反抗した日のことを忘れられない。
その日から親の言うことを聞かなくなったので、両親の夫婦喧嘩は
激減した。私をどうやって親に服従させるかのほうが大問題だった
両親は夫婦喧嘩してるどころではなかった。
親が何か言えば、必ず言い返してくる娘に負けそうになると
最後は包丁をちらつかせたり、殴ったりで黙らせる両親。
最後は必ず黙らせられるから、私の言いたいことを聞いてくれない
怒りは私の中にいつも煮えたぎったままだった。
”なんて卑怯な人間たち…親の権利って子供を言いなりできること?
違うよね?”
殺されるかもしれないし、殴られるのわかってるくせに親に必死に逆らってきた10代の私。
人に言わせれば、バカなんだろう。きっと。
弟は利口なので、親に逆らって姉が殴られてるのを見てるから親に逆らわない。余計なことを言わない。親の前ではいい子なので、親の知らないところで自分を出してそしてストレスを発散させてきてらしい。それがバレたときに、こっぴどく怒られてたのは弟のほうだった。

知り合いが、子供に「数字の8」を書かせようと子供に強制していた。
でも、書きたがらないので知り合いは怒って書かせようとした。
子供は「お母さんに怒られるから、がんばって8を書けるように
練習するね」って涙ながらに母親に訴えたらしい。
知り合いは「この子は、あきらめずにがんばれる子供だ」と
「親に嫌われないように、がんばるから偉い」と
誇らしく思ったらしい。

この話を聞いて、私はまた両親のことを思い出した。
親にたてつく子供は「バカ」扱いだったことを。

子供に脅しを入れてまで言うことを聞かせようとしてた
あんたたちが一番「大バカ」なんだよ!!!!!!!!!
4歳に興味ないことやらせて、
やりたくないって言うのは当たり前の
ことなんだよ!!!!!!!!
脅し入れなくても言うこと聞いてくれるんだよ!!
子供は!!
あーすっきり。
<376> ゆうこ ■2004年10月30日 土曜日 12時59分55秒
彼に言われて、実家に戻ってきました、が、偶然、両親とも帰りは深夜、しかも二人とも風邪気味で体調悪い…。(しかも、二人とも明日から4日間、出張とかでいなくなる)
そいでも、ママが帰ってきた時に、こ一時間ほど、少し話しました。
「彼に、親のことばっかウジャウジャ言ってたら、彼が嫌になって怒って、そんなら、家に帰って直接、親と対決したらいいだろ、と言われたから、帰ってきたの。」
「彼に何て言ったの?」
「淋しいとか、甘えたいとか。」
彼に”よしよし”してもらってることを言うと、して欲しいのならしてあげてもいいと言う。「じゃあ、してくれる?」と言うと、してくれた。
「どんな気持ち?」
「涙が出てくる…」
「パパにもして欲しいの?」
「う〜ん…?して欲しいかもしれない…」
「それは重症だねぇ パパにもして欲しいなんて…言えば、してくれると思うけど」
「じゃあ、今夜、一緒に寝る?」と、言ってくれた。ママは、そういうベッタリするの嫌なんじゃないの、と訊くと、あんたなら嫌じゃないよ、と。

母は、人に触れるのが下手だ。
私が触って欲しいことを知っても、上手に触れない。
母の母、つまり、祖母に対しても、そうだそうだ。
祖母の親友が亡くなって、慰めるために触ってあげたらいいのだ、と思っても、手が出ないそうだ。
私に対しても、同じことが起こっているよう。
私が、「…という訳だから、よかったら、”よしよし”してくれる?」と言うと、笑ってしてくれたが、その後は、私が普通にしていると、向こうも普通に戻る。今までの、距離に戻る。
一緒に寝ても、ただ並んで寝てるだけ。
でも、一生懸命触ろうとしてくれた。でも、恐る恐るというか、不自然で、なんだか、こっちが気を使って、嫌になってしまった。

父親が昨晩帰ってきたときは、少し話したが、重苦しい雰囲気を感じて、朝、起きて、下階に行くのが憂鬱だった。
でも、私と父の二人だけだったので、話しかけて、会話が始まった。
父の仕事のこと、新しく買った家のこと、私の仕事のこと。
家を買った話で、金利とかお金の話になり、私には慣れない話題が長く続いて、疲れたので、「意味わかる?」と訊かれた時に、「よく分んない。なんか、聴いてるのも疲れてきちゃった…あんまり馴染みの無い話題だし」と言うと、話を止めてくれた。
”よしよし”、母を通して、してもらえるかなぁ、と会話の途中に考えると、涙が出そうになるのだった。
<375> ゴンタ ■2004年10月22日 金曜日 10時55分17秒
ACのことは半分も理解できない。
ACってそんなに特別なことなのか?
自分がそんなに特別だなんて思わない方がいいんじゃないの?

あんたはもし回復して自立できたらきっとここを出て行くんだろう?
何年か先転勤が決まったら、きっと俺にはついてこないよね。
頭の中で今はいろんな状況を想定してシミュレーションしているよ。
自分が求めるものとあんたが求めるものはだいぶ違っているものね。
これも自分のカルマなんだろうなあ・・。

まあ自殺だけはしないでくれよな。
とにかく元気を出してちょうだい。
・・奥さんとしてははずれをつかまされたなー(笑)。

夫は言いたいことを言った後、言葉尻を取るなと付け加えます。
自分は吐き出してすっきりして、私には言われたことを気にするなと。

それってずるくない?
被害者になるつもりはないけれど、これだけ言われてしまって、どうやってあなたに愛情を持てというの?

魂のふれあいが欲しい私は、夫に助けを求めることをやめました。
本当に愛しているのは誰なのか、真実が知りたい。
答えは自分の中にあるはず。
<374> Kitten ■2004年10月20日 水曜日 22時30分05秒
ある人が言った。「家族からあいされなくても外にあなたを愛してくれる人はいます」書いてみるととてもステキな言葉。

 でも私は誰と関わっても母親との事にまた戻ってきてしまう。幼児期からの母親から離れる頃のやり方に完全に失敗したのかな。

「私だけしか信用できないから、外は怖いところだからお母さんから離れないで!!」
言葉よりも強くテレパシーに近いようなもので骨の髄まで私の中にしみこんだもの・・・。それはいったいどうやったら取り除けるの??

母は酷いやり方で裏切り、傷つけた。他の家族も同じ。私はスケープゴートでもありカウンセラーでもあり、ピエロでもあり、色んな役割を背負ってる。重い。この荷物降ろしたい、けどそしたら誰かが背負う事になるんだろうか?それなら自分が背負う?もういいよ、おいときなよ。

頭では外に出ればいい人もいるだろうことも想像はつくよ、現にそういう人もいる。でもこの満たされなさ、空虚さでどうやったら人といい関係が出来るの??
<373> chinapom改めゴンタ ■2004年10月19日 火曜日 15時28分28秒
この世の親は魂の親じゃない。
魂の親はあなたのことを否定していない。
あなたが生まれるためにこの世の親が必要だったけれど、
きつい親のところに修行に出されたんだと思えばいいの。
どんなにひどい惨めな思いをしてきても、
あなたのルーツはあなたの存在を知っていて、
あなたを大事にしていて決して否定していないから。

この世に生まれるためにはどうしてもこの世の親は必要です。
その親はいろいろです。
あなたの子供もあなたにとっては授かりものです。
子供は育ててあげる人で、育ち終わったら離してあげる。
世の中に返してあげるんです。
そう思えば子供には依存できないし、
今だけ預かっているのだから大事にできる。
自分のものではないのですから。
あなたも自分を否定しちゃいけない。

私の精神科の先生はとてもあったかい。
いい縁に巡り会えたこと、感謝しています。
<372> 黒ネコ ■2004年10月18日 月曜日 12時58分06秒
(少しだけ、家族からズレます)

家族を始めとして、うちの一族は憎しみの一族だと思う。
常に誰かを憎み、罵りあう。
誰かが争えば、それを火種として誰かが争う。
お金を理由として、嫉妬を理由として、
深く激しく憎みあう。

私は父のDVがあって、いつも怒鳴り声の中で生きてきた。
そのせいか、人が争う場面を見たり、怒鳴り声を聞いたりすると
心がザワザワする。落ち着かなくなる。
だからいつも穏やかな気持ちでいたい。
穏やかに過ごしたい。
そう思っているのに、つねに争ってしまう。

母と兄が争う。
止めに入った自分と兄が争う。
またそれを止めに入った母と私と兄が争う。
家だけでなく、親戚一同もいつも憎しみ合い、争っている。
そのことがまたうちの家族の火種になる。
どうしてなんだろう?
どうしてこんなに憎み合うのだろう。
とても哀しい。
すごくすごく哀しい。

「愛」「信頼」「思いやり」
そんな言葉はどうやったら芽生えてくるのだろう
<371> 湧き水 ■2004年10月16日 土曜日 00時17分10秒
もうすぐ母の誕生日だ。電話しようかな・・・どうしようかな・・・
毎年誕生日には電話するのが恒例になっているんだけど・・・

小学生のころ、母の誕生日を忘れちゃってて、ご馳走を見て、「何の日だっけ?」って聞いてしまった。
そのとき母はすごーく不機嫌で、怖かった。悪いことしちゃったって、隠れて泣いたのを覚えてる。
あれは・・・私に怒っていたのかな・・・何か別の嫌なことがあったのかな・・・
それ以来、母の誕生日を忘れないように、忘れないように(特長の無い日だから、すぐ忘れちゃうの)気をつけているのです。毎年。

電話、どうしようかな・・・
<370> halu ■2004年10月12日 火曜日 00時49分32秒
両親もACなんだね・・・。
最近、自分自身ACだと自覚して思った。
そんな両親の話を聞いて、カウンセリング的な事をしてきて・・・
しんどかった。
この状況から逃げたかった。
でもそれがずっと出来ない自分が居た。
逃げる事は、親を家族を見捨ててしまう事と思っていた。
でも、実際状況から距離を置く形で逃げて分かった。
両親もACだと。
この両親と距離を置く事は逃げじゃない。
これからは距離感を持って、両親と家族と接していきたい。
<369> まる ■2004年10月11日 月曜日 15時42分27秒
 何で一緒にいるの?

 家族だからじゃないのか?

 私が彼に望んだのは、シンプルなぬくもり。
 表面的な人間関係を苦手とする彼。

 機能性が大事なら、見合いをして。親の気に入る相手選んで。
 
 あたしはいつでも出て行く。親も首にしたんだから、分かるよね。

入籍二年目、家族だから一緒に居るなんてこと、耳にするとは思わなかった。痛い。つらい台詞、なぜだか分かった。

 せっかくしてやってるんだから、嬉しくないのは、おかしい。
 作ってもらって、どうして美味しくないんだ。
 連れて来てやったのに、楽しくないのか。
 痛いはずはない
 怖いなんておかしい
 一緒に居るのに何で寂しいんだ

 彼がぶちぶち切れてた訳も、これで分かった。

 私が萎縮していった訳も。
<368> Rose ■2004年10月09日 土曜日 21時45分36秒
私は家族という雰囲気が嫌いで仕方が無い。見るからに「ファミリー」というのが嫌い。  今家族を持ち、それでも家族というのが苦手。
大切だとは思うのだけど・・
昔からそうだった・・お正月とか、家族が揃って食事とかが嫌いだった。
 こんな私が今母となり家族をもっているのが不思議で仕方ない。
<367> のぞみ ■2004年10月07日 木曜日 23時11分32秒
(フラバ注意)
先日、夢を見た
娘が手首を切って血を流し、私は横で泣き叫んでいた

汗びっしょりで起き事実でないと分かってほっとした
最近小言の言いすぎかな?
あの子は頑張っている。分かっているのに・・・

私は14の時自殺をしようとした
でも成功しなかった 痛くて最後まで力を込められない
両腕は切り傷だらけ
心も体も傷だらけになりながら私は「良い子」を演じていた

娘はあの時の年齢を越した
私のような親に育てられてどう思ってるかな?

本当は生きてくれてるだけでいい
素直に口に出来たらいいのに・・・



<366> chinapom ■2004年10月05日 火曜日 17時17分07秒
どうしたら子どもにやさしくできるのだろう。
どうやって「ありのままのあなたが大好き」って伝えたらいいんだろう。
いつもイライラを子どもにぶつけてしまう。
夫に冷たい視線を向けられてしまう。
いつも癒されない自分の中の子ども部分に乗っ取られてしまう。

なんで何も考えずに結婚してしまったのだろう。
なんで何も感じずに子どもをつくってしまったのだろう。
なんでもっと早くいろんなことに気づかなかったのだろう。
<365> クラゲ ■2004年10月05日 火曜日 04時31分01秒
とにかく忘れたい。
今はあの人のことは忘れて前を向きたい。
それが完全にできなくて苦しいからここに来る。
ここの存在をありがたいと思う。

自分の状況は今足踏み状態。
この先数ヵ月間は具体的に前進できない。
自分ではどうしようもない。

この空白を後で埋めることができるのかという不安も少しばかりある。
いずれにしろ、しばらく辛抱が必要。冬とともに。
その間はやはりここでお世話になるしかないなぁ。
<364> 木の芽 ■2004年10月04日 月曜日 15時21分10秒
『冷たい水』

風邪をひいた母が言っていた言葉。
「風邪をひくと、食器を洗う時の水の冷たさにゾクっとするのよ」。
その言葉に、私はなんと答えてよいのかわからなかった。

身体の弱い母が体調を崩した時は、普段よりも余計に緊張していたように思う。
家事をこなし、母の気持ちが少しでも晴れるような事柄を探していた。

こんなことばかり思い出す。
私はまだ、母に期待しているのか。
諦めているのか。

過去を過去として清算できていない。
清算することで、この苦しさから抜け出せるのか。
わからない。
混乱してきた。
<363> めばえ ■2004年10月03日 日曜日 16時39分43秒
今、とてつもなくざわざわとした心の中にいる。何年ぶりかにやって来た。
私は先日自分はとても寂しくて怒っているということをやっと自覚でき、それをカウンセラーに伝えることができた。ずっと小さい頃から怒っている。そして「ごめんなさい」が欲しい。抱いてほしい。母に。父に。
外からみると子煩悩な両親で、暖かい家庭で、なぜあなたのような子供が?と周囲の人は言った。なぜそんなにひねているの?子供らしくないの?と。でもね、私が欲しかったのはなんでも買ってくれたり、どこかに連れていってくれたりする、お金で解決できることではなく、失敗したらいつでも戻っておいで、といってくれる場所が欲しかった。両手を広げて待っていて欲しかった。そのままの自分でも大好きだと言って欲しかった。安全な、落ち着ける場所が欲しかった。実際は、失敗したら「そらみたことか」と非難され、家の外でも家の中でも落ち着く場がなかった。いつも「かわいげがない」「変わった奴だ」と全てを非難された。どうしても自分達の枠にはめたがった。枠外の私は受け入れられなかった。私は受けいられるべく、同調するという術を得た。そして自分自身は消えた。私の辛さや悲しみはけして癒されることなく成長してしまった。
私には今、子供がいる。この子にだけはこんな辛い思いをさせたくない。
<362> 湧き水 ■2004年10月03日 日曜日 09時43分33秒
親への感謝の気持ちがない。
「産んでくれた親には感謝するべきだ」と心の中の誰かが言う。
でも、思えない。
まあ、強いて言えば育ててくれたことにはありがとうと言えるけど、産んだのは親の勝手じゃないか。

罪悪感は薄まりつつあるけどやっぱりこの思いはなくなりはしない。
お母さんのような母親にはなりたくない。
子供は欲しくない。
<361> 木の芽 ■2004年10月02日 土曜日 19時30分38秒
『手作りのお弁当袋』

思い出した。
幼稚園の頃、母がウインドブレーカーのようなものをリメイクして、幼稚園に持っていくお弁当袋を作ってくれた。
雨の日にも濡れないように、肩から提げて持っていけるようにと。
嬉しかった。
幼稚園の仲間から羨ましがられて、作ってもらった喜びは何倍にもなった。

暗い闇ばかりじゃない。
嬉しかった思い出もあったのだ。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.