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私たちの物語 - 家族過去ログ No.17
メッセージ数:340件

<340> 木の芽 ■2004年09月10日 金曜日 18時22分41秒
『問題認識』

私の家族は、問題を絶対に認めない。
子供にどんなに影響が出ていても、見て見ぬふりだ。
私が問題を指摘した時、話題は一瞬にしてすりかえられた。
完全無視だ。
そんな問題は何もないかのように振舞う。

けれども私は、もう黙り込まない。
家族が皆見てみぬ振りをしても、認識しなくても、私は黙さない。
過去は、記憶は未だ断片的であっても、『現在』から遡って、少しずつ思い出すことができるようになっている。

家族を変えようとは思わない。
自分が受けた虐待と、そのときの気持ちを、家族に言う。
制止されても、言う。
<339> 黒ネコ ■2004年08月26日 木曜日 18時28分16秒
母は私を相談役にする。
いつも自分の愚痴ばかりぶつけてくる。
「私はこんなに苦しんでる。あんたも娘なら親孝行しなさい。
私を助けなさい」そう全身で叫んでる。
いつも私に頼りっぱなしのくせによく言うよ。
あんたこそ親なら、私を助けてみろよ。

兄は私をばかにする。
いつも嫌味ばかり言ってくる。
「おまえは本当にダメな人間だ。こんな妹を持って恥ずかしい。
もう少しましな人間になれ」そう主張してくる。
都合の悪い事は私に押し付けるくせによく言うよ。
あんたこそ年上なんだから、もっとましな大人になれよ。

あんたたちは私の苦しみを知らないから、そんなことが言えるんだ。
私はもう8年も苦しんできた。
この悩みで8年も・・でもあんたたちに頼ろうとは思わなかったさ。
母親には相談したよ。
本当に苦しくて地獄をさまよってた頃にね。
でも馬鹿にされた。否定された。
くだらないってね。私のほうが苦しんでるってね。

それからずっと一人で悩んでた。
いつも苦しくて鬱っぽくなったりしたさ。
そしたら兄は「おまえって本当にダメ人間だな。生きてる価値ないんじゃない?
どうしたらおまえみたいになれるのか知りたいよ」
とかほざきやがった。

はっくそったれだ。
確かにうちは問題が山積みだったさ。
父親のDV、親類関係の不仲、母親の病気・・いろいろあったさ。
みんな苦しかったと思う。
けど、その苦しみを私にばかり背負わせてたあんたらがよく言うよ。
私の苦しみを思い知らせてやりたいよ。

のほほんと幸せに生きてるあんたらにね。
くそったれ!!ばかやろー!!って言ってやりたい。
<338> 木の芽 ■2004年08月25日 水曜日 19時07分13秒
↓で、「親の経済的支配については<337>で書く」と言ったが、ここは<338>だった。恥ずかしい…訂正します。

『妹と話して』その2
今回妹と話していて、私は≪親からの経済的な支配≫を改めて感じ取った。
うまく書けるかどうかわからないが、とにかく書いてみよう。

妹との会話で、もう一つ妹に咎められたことがある。
それは「経済的な援助をしてもらっている両親のことを悪く言うな」ということだ。
会話中、私が現在の自分の状態(鬱、不安発作)について説明していると、突然妹が言った。
「辛いのはお姉ちゃんだけじゃないんだよ。家族みんな辛いんだよ」
私は、妹に聞かれたから、自分の状態を説明しただけなのだが。
妹は、私が自分の症状を「辛い」というのが気に食わないらしい。
私が辛さと苦しさから病院に通っていることが理解できないようだ。
確かに、今年は家族にとって耐え難い悲しみがあった(この悲しみについては、まだ私の中で整理がつかないので、ここでは書かない)。
妹に言わせれば、「お姉ちゃん一人が辛いと思うな」ということだ。
けれど、皆が辛さに耐えているからといって、限界を超えてまで私も同じように耐えなければならないのか?
そもそも私は、自分だけが苦しいとは思っていない。
だからこそ、自分の責任で回復したいと行動を起こしているのだ。
両親の辛さは、私には背負うことができないし、背負う義務もない。
両親も、自身が辛さや苦しみを感じているのなら、自分の責任で回復の行動をおこしてほしい。
…と、このようなことを妹に言った。
すると、「経済的な援助を受けているのに、その言い方は間違っている」ときた。
妹も両親に絡めとられている、私はそう感じた。
経済的な援助を受けている立場では、両親に何も言えないのだろうか?何でも従わなければならないのだろうか?
それは違う。
間違っている。
しかし私は会話の途中で混乱してしまい、妹とこれ以上言い争いをしたくなくて、当たり障りのない言葉で電話をきった。
けれど心のもやもやが晴れず、その後妹に手紙を書いた。

返事はまだないが、今日はここで、書くことによって自分の気持ちを整理することができた。
とても疲れたが、私には自分の感情を探ることが必要なのだ。
〆の言葉も見つからないほど疲れてしまったので、今日はここまで。
<337> 木の芽 ■2004年08月25日 水曜日 18時22分07秒
『妹と話して』その1

夏休みに、両親の家で妹と過ごす計画があったが、鬱がひどくて断りの電話もできなかった。
先日、とりあえず話ができる状態になったので妹に電話をした。
電話をすると私達はいつも対立してしまう。
対立の原因は、両親に対する私の態度である。
私はACだと自覚してから、両親と距離をとるようにしていたのだが、妹はそんな私の態度が許せないらしい。
両親に電話だけでもしろという。
でも私にはできない。
そう妹に言うと、「状態が悪いなら、悪いということだけでも言ったほうがいいよ」とのこと。
両親から電話やメールがくると、私は何度も自分の状態を説明している。
「今話せる状態じゃないから、また今度にしてほしい」
それでも両親には通用しない。
一分おきの電話とメールで、何とか私を支配しようとする。
私がその攻撃に耐えられなくなって電話に出てしまうと、憐れみを誘う言葉で泣き出す。
こんな両親の反応が耐えられないと、妹に言った。
それでも妹は理解できないらしい。
これは私達兄妹を経済的に支配する親の影響である。
ここでいったん送信して、<337>でこのことについて詳しく書くことにしよう。
<336> 桜 ■2004年08月21日 土曜日 09時07分43秒
決めた。あの人を見返すために。
私がこの憎悪から離脱するために。
快適な居住環境をそろえる。
これがあの人への反逆だ。
そして私への投資だ。

居住環境がいかに大切なものか、私は知っている。
あの人は知りもしない。なんて貧しい人だ。
だって、心をないがしろにしているんだもの。
私は私の心地よい空間をもつ。
掃除をする。メンテナンスをする。
あの人の「異常」を私は逆をとって克服してやる。
私が「正常」であることを確認してやる。
それが私が外の世界で学んだこと。

エネルギーを吹き返し始めた私に浮かんだ第一の目標。
自分を取り戻しつつあると思う。
<335> 木の芽 ■2004年08月18日 水曜日 18時32分28秒
フラッシュバック注意!
父への感情がフラッシュバックしてきた。
『出さない手紙』を書くことがまだできないので、ここに自分の気持ちを書かせてもらうことにしよう。

私は鬱状態の父の姿を見続けているのが辛かった。
血走った眼でベルトを振り回す父が怖かった。
私の部屋を覗く父が恐ろしかった。
お風呂に入らない父の体臭が鼻をついて、いつも吐きそうだった。
けれど、父に対するそんな感情を口にすることは許されなかった。
「なにも問題はない」という態度をとり続けなければならなかった。
それどころか、父の機嫌を損ねないように、まるで赤子をあやすように接しなければならなかった。
「目の前にいるのはお父さんじゃない、赤ちゃんなんだ」、私はそう思うことにした。
でも、赤ちゃんがこっそり私の部屋を覗くだろうか?
お風呂に入っている時に無理矢理ドアを開けようとするだろうか?
そこで母が言った。「あの人はあなたのことが心配なだけなの」
私は父に対するいっさいの感情を封鎖することにした。
感情は封鎖したままで、目の前にいる『父』と呼ばれる人に接してきた。

私は、戸籍上の『父』の存在は理解していても、現実の『父親』の存在を認めることができない。
そもそも『父親』というものがどんなものなのかもわからない。
私は父に対して憎しみや恨みを抱けないでいる。
父を罵倒できたら少しは楽になれるのになと思う。
でもできない。
「父は鬱状態だったんだ、仕方なかったんだ」という気持ちから、まだ自分の苦しみを解放できないでいる。
父に対するこの感情は同情ではない。
ただ寂しい気持ちで胸が一杯になるだけだ。
<334> 桜 ■2004年08月15日 日曜日 05時29分10秒
これは母とは関わりたくないから母宛ではないけれど、母に対する気持ち。

私はもともと自立した子供でも、自立したい子供でもなかった。あんたが自立に追い込んだんだ! 手をかけてはいけない、それを察知して、手のかからない子供を演じた。それだけのこと。すべてあんたに好かれたいと思ったからじゃないか。

私はそれを自分は自立したいのだといつしか勘違いした。自分は自立志向が強い人間だと理解していた。姉も弟もそういうタイプでないことが不思議でもあった。今はわかる。私だけがそう仕向けられたのだ。だって、私は第2子だから。次女だから。二人めの女の子、大した興味もなかったろうね。それよりも男の子が一人は欲しかったろうね。跡取りだもの。先祖を守る跡継ぎが必要だったものね。

今でも男の子に生まれたかったと切望する気持ちが確実にあるのは、潜在的にそれが要因となっているのだろうか。

私の妹がいたって。水子になった妹がいたって。私は疑っている。あんたが殺したんじゃないかって。これ以上娘はいらないって。それぐらい、私は必要とされていないことを常々感じ取らされていた。

よくわかるよ。すごく自然なことだよ。今の私の気持ち。やりどころのないこの気持ち。私は幼いときに甘えたいだけ甘えなかったんだよ。もっと甘えたかった。でもあんたは仕事にかこつけて正面から甘えさせてくれなかった。今でも人と時間制限して接するような忙しい人が私は苦手だ。すごくさみしくなる。私の方をもっと見てといいたくなる。だから自分が人と会うときは他のことはまったく忘れてその人に向く。それで次の約束や予定をいわぬままに放っておいたことが何度もある。忙しさ。忙しさを理由に人をないがしろにすることもされることも嫌悪しているからだ。これがトラウマだ。

そう、私は正真正銘のアダルトチルドレン。子供のころに甘え足りず、大人になっても甘える場所を心の底では探している。でも、それを容易には見せない。子供の頃ころからその欲求を隠すことはお手のものだ。そうすることでしか母親に好かれるすべが見出せなかったのだから。

私は今もなお、家族へのほどよい頼り方を知らない。家族だけではない。人間すべてに対してだ。まったく頼らないか頼りきるか。頼りきることが人間関係によきをもたらさないことは頭のどこかで知っているから頼りきる前に自分をセーブする。どうせすべてを受け入れられることはないからって。迷惑だからって。それが私の一番の孤独。

<333> 埴輪 ■2004年08月13日 金曜日 14時20分52秒
姉が言った。
どうも父親は、姉よりも私に冷たい。
姉の目からもそう見えていたって。
なつかなかったからじゃないの、って言ってた。
なつくとかなつかないとか、考えたことなかったけど…。
姉は初めて外泊すると言ったとき
すごく怒られたんだって。
「誰とどこに泊るのか言え。言えないようなことなら二度と帰ってくるな」って。
びびった。
知らなかった。
私は、父親にそんなこと言われたことない。
父親がそんなことを言う人だなんて、全然知らなかった。
私については、どこの大学受けるとか何の勉強してるとかどこで働いてるとか
それぞれ実際に始めてしまうまで、彼は何も知らないことが多かったし
外泊をとどめられたこともなければ
無断外泊を詰問されたこともなかった。
姉と違って私は何も社会的に悪いことはしなかったから
聞かれたって平気だったけど。
中学のマラソン大会で5番になったって、知らないんだろうな未だに。
朝起きて私の表情が気に入らないで殴り始めるということは
姉から見てもおかしいことだったって。

そんな私は父親に性格がすごく似ている。
ロボットになる前に気づいたから人間になれたけど
あのまま行ってたらやばかったんじゃないかなあ。
好きとか嫌いとか、もうそんなんじゃないわ。
血縁者だからしょうがない。
いままで一定の距離があったことは確か。これからも多分。
だからって、これ以上何をしようってわけでもない。
あっそう。って感じ。とりあえず。
<332> WINNIE ■2004年08月12日 木曜日 21時41分40秒
兄弟がうつ病になったのだけど、男性のうつって、私にはまだよくわからない。思考パターンが、良くわからない。男性の思考って、女性とは違うんだなー、と最近よく思っていたけれど、近親者の心の病となると、本当にさっぱりわからない。

きっと、親の問題や、できの悪い私のことで、子どもの頃から我慢したり溜めてきたものが、その後の問題と絡み合い、今、持ちこたえられなくなっている所もあるんだろう。

自分の不穏な気持ちと、向き合う姿勢があれば良いけど、兄弟にとってはまだムリみたいで、機嫌が悪いと怖い。

私は、どう接したらいいんだろう・・・お盆。
<331> モハメッド ■2004年08月11日 水曜日 03時24分28秒
「私の家族物語」

 兄弟よ!わりい兄ちゃんですまんなぁ。苦労をかけたなぁ。金はないが愛なら持っている、精神的支えになれることはでける範囲でやっちゃるよ。
 ううっ鼻水が出たなぁ。扇風機まわしっぱなしなんや。
<330> NAC NAC ■2004年08月02日 月曜日 17時46分17秒
自分で〈326〉〈327〉と読み返して涙が出てきた。
この前書いている時は(自分の意識の上では)何でもなかったのだが、やはり自分の無意識のところでは「まだ意識にあがってこない」様々な痛みや寂しさがあるのだろう。
それが今回自分の涙に繋がったというわけだ。
そうした私の内面奥深くには様々な「親に言いたかったこと、抑えられていたこと」が控えていて、私は自分のインナーチャイルドから度々サインがあるのだが、自分の意識でそれを苦痛と感じるとパッと消えてしまうし、認めるとスパンと心に刻印が刻まれ、意識の自分が1の寂しさを認めて安心しても、後日確実に2の寂しさ、3の寂しさが現れる。
そういう時の私は「この前自分は寂しさを認めたじゃないか。何でまた出てくるんだ」と思うが、そういう「乖離せざるを得ない」ほどの寂しさと孤独・不安・緊張の中に小さい私はいたのだから、そうした傷付き過ぎたインナーチャイルドの気持ちを今の私が知ろうとしたら、やはりこうして直に向き合って追体験するしかないのだろう。
そうして私は徐々にであるが、内面奥深くの色々なものと向き合って認めなければいけない。
散々親に否定されてきた、その存在すら、感情すら認めてもらえなかった私の乖離した過去。
そうしたものを思い出そうとすると、今もそうだが、私は涙が出てくる。
ずっと私は訴えていた、明らかに訴えていた「自分の寂しさをわかってよ」と。
そうした思いを、毎日毎日小さい私はワーカホリックの親に投げ掛けていた。
にも関わらず、私の親は子どもの感情を無視する毎日だ。
そうして延々と続く親の感情封殺。
それに伴い自然と消えていく自分。
今以て自分の幼かった過去を振り返っても「僕は○○が好き」とか「○○が食べたい」とか、自分の意思で「当たり前の感情」を出してきた記憶が私には殆どない。
当時の私はいったい何を感じていたのだろう?
何を思っていたのだろう?
いくら自分で記憶の紐を解こうにもお先真っ暗で何も見えない。
あるのはブラックホールのような寂しさだけだ。
寂しくてどうしようもないのに、寂しいと認識することすら子どもが罪悪感を感じてしまう我が家。
「親にかまってもらえなくても親と一緒に住んでいるんだから僕は寂しくない」
反面「何でこの人たちは一緒に住んでいて自分の話を聴いてくれないのだろう? その子どもである僕に関心がないのか? 興味がないのか? 僕の存在って何なんだろう?」
そうした無意識の矛盾と葛藤の連続が、子どもを情緒喪失を伴った乖離へと導く。
何でうちの家は暖かさがないのだろう?
何で仕事以外の会話がないのだろう?
そんなんでどうやって家族の絆が作れるんだ?
だから冷たいんだようちの家は。
全然暖かさが感じられねぇじゃねぇか、最初から何にもねぇじゃねぇか?
糞食らえだ、こんな家族。
思い遣りもへったくれもねぇわ。
<329> 埴輪 ■2004年08月01日 日曜日 20時31分02秒
こっちを見ている。
何か目的があるわけでもなく…。
だから虫唾が走るんだよ。
用があるなら何か言えよ。
こっちにはテレビもなければカレンダーもない。
用もないのに人の顔をじっと見る母親。
きもちわるい。
父親の顔もそうして時々見ている。
<328> チンチラ ■2004年08月01日 日曜日 17時10分53秒
私は自分で思ってるより、あらゆることに怒っている。

彼らの相手に対する不誠実さに。
守られなかった約束に。
安定を壊す歪みの無自覚さに。

そしてそこから逃れたいために、何も知らない子供を利用した。

私に役目があることは知っている。 理解していると思う。
できる限りやり遂げたいとは思う。

でもその後は?

たぶん私はいつか壊れてしまうだろう。
何も感じなくなるだろう。

どうすればいいんだろう?

そのために生まれたのかな?

彼らが抱えた何もかもを引き受けるために生まれたんだろうか。

そうだったら成功だ。
理解なんてされなくても生きていけるのに。
<327> NAC NAC ■2004年07月30日 金曜日 05時44分16秒
季節柄花火大会の時期でもあるが、この前の日曜、私も地元利根川の河川敷で1人寂しく(本当はHさんと一緒に観たかった)花火を見物した。
当然周りはバーベキューやりながらの家族連れが多い。
当然そうした中に1人ぽつんといると、私は否応なく「自分にはこうした(花火で家族わいわいやる)思い出がなかった。いったい子供のとき、夏場家族の間で自分は何してたんだろう?」という疑問と、「それに答えを出せない、出したくない」寂しさが湧き上がってくる。
何でうちの親は子どもにそうした思い出をプレゼントできないのか?
何で「庭先で花火でもしようか?」と提案できないのか?
ワーカホリックの親にとって子どもと遊ぶのはそんなに苦痛なのか?
「何で?何で?」といくら自分で考えたところで幼い時の自分の寂しさは消えない、決して消えない。
それが自分が乖離してきた痛みだ。
そしてそれ以上自分の閉ざした痛みと向き合うのが苦痛で、私はまた心を閉ざしてしまう。
そうした膿を出さなくちゃいけないのはわかっている。
わかっているが、出すからには必ず痛みを伴う。
出しても痛み、出さなくても苦しむ。
そして「その子どもの苦しんでいる姿にも気付かない」親の鈍感さに私はまた苦しむ。
こうして私の内面の奥深くでは小さい頃から「何で何で? 何でうちはそうなの?」という疑問・葛藤・矛盾が荒々しく渦を巻いていて、そうした内面の嵐に耐えられなくて私は乖離してきたのだろう。
乖離しなければ生き残っていけないほどの痛みがどれほどのものか?
私の親にも突き付けてやりたいくらいだ。
<326> NAC NAC ■2004年07月23日 金曜日 08時35分38秒
家族?
I have nothing. 
全てnothing.
「何が足りないのか?」もわからないくらい足りなさ過ぎて、私の記憶には「nothing」が残っているだけだ。
そしてその「nothing」とは「わかってほしかった、気付いてほしかった子ども時代の寂しさ」だ。
一昨日から学校は一斉に夏休みに入ったが、私の中には「家族で過ごした夏休み」なる思い出が一切ない。
何で?
どうして?

答えは簡単だ。
親が子どもの感情を省みることができないワーカホリックだから、「子どもが何を求めているのか?」想像することすらできないほど私の親は情緒が貧しい。
夏場仕事を1日くらい休んで海や山へ入ったって、何も罰はあたらないだろう。
何故親はそこまで仕事に走るのか?
何故そこまで「親と遊びたい」子どもの感情を置いてきぼりにして無視するのか?
そんなに仕事が楽しいのか?大事なのか?
じゃ、子どもはどうなんだ?
そんな子どもの気持ちを考えたことがあるのか?
何故子どもと遊ぼうとしない? 「何処行きたいの?」と声を掛けようとしない?
子どもと遊ぶことが(親に遊んでもらえなかった自分の記憶を無意識で呼び覚まし)苦痛なのか? そうした子どもの感情を無視することが無意識で快楽なのか?

こうして乖離していた昔の自分の感情(特に寂しさ)を思い出すのは非常に辛い。
そんな寂しさを家族内で誰も感じて受け止めてくれなかったから、幼い私は乖離して生き残るしか術がなかったのだ。
言うなれば「感情の冷凍保存」 そんなところだろう。
もちろん私は精神科に繋ったことがないので、厳密なところ「私が本当に乖離していたかどうか?」は定かではないし、もしかしたら脳内の機能障害だったのかもしれない。
しかしだ。
私の中には今もって「家族で過ごした楽しい時間」なる思い出は全くないし、「寂しい」という感情を身をもって感じたのも30過ぎてからである。
今こうしてこれほど子ども時代の寂しさを私は感じるのに、「子どもの時にそれを『寂しい』と感じなかった、感じたくなかったってのは、やはり精神的にどこか健全ではない」のは誰が診ても明らかだ。
こうして幼い自分が乖離してたにせよ、脳内に機能障害があったにせよ、「毎日緊張と不安・寂しさを強いられる家庭環境で自分が育った」のは、客観的に今の自分の家族の現状を診れば、紛れもない「歪んで当然」の事実だ。
それに対して毒親がどんな言い訳をしようとも私の傷付き過ぎた過去は取り戻せない。
それが偶々運良く私はいいカウンセラーに巡り逢えて自分の感情を解放してもらったから、こうして毎日リラックスして「あ〜でもない、こ〜でもない」やっているものの、「これが巡り逢わなかったら・・・」と考えると私は恐ろしいものがあり、ちょっと道を踏み外していたら私も「妄想型境界性人格障害」になっていたかもしれない可能性は否定できないものがある。
裏返せばそれだけ自分の感情・意識ってのは大事なことで、それと向き合って何かしか自分で気付いて行動に変えて行く。
それしか苦痛だった過去を塗り替える道はないのだ。

「家族」
それをきちんと意識して「どういう方向に持っていきたいか?」その訓練と試行錯誤・チェックを親が怠ってきたツケが今廻って来ているだけの話で、「機能不全」そういう家庭で私は育てられたくなかったなぁ。

「暖かいものを感じる」
それが家族の繋がりだ。
<325> うめきち ■2004年07月17日 土曜日 05時43分04秒
なぜ私はこの家に生まれてきたのだろう。
なぜ私はこの家で、女でしかも末っ子に生まれてきたのだろう。なんで男じゃなかったんだろう。
そのせいで全てに於いてぞんざいに扱われてきた。
兄や姉には幼い頃の写真があるのに、私の写真はほとんど無い。赤ん坊の頃の写真はメキメキに縒れたものがたったの一枚。生まれて初めての宮参りの写真さえ無い。
学校の制服は高校まで全てお下がり、洋服も買ってもらったことはほとんどなく、どこへ行くにも制服かジャージ。いつも兄や姉が新調してもらうのを羨ましく思いながら見ているだけだった。
塾も上の二人だけ、高校も、公立で十分合格の勝算があって行きたかった所を諦めさせられ、交通費の掛からない近くのところしか許してもらえず、上の二人は親掛かりで大学まで行かせて貰ったが、私は半ば強引に諦めさせられ父の仕事を手伝わされた。
男は後継ぎだから大事。だからまともな教育を。女は役に立つから近くに置いて小間使い・・。
それが祖父の代からの方針。
姉は小さい頃から「愛嬌がある。可愛い」と言われて、親戚、祖父、両親・・周りからちやほやされてきた。そのせいで奔放に育ってやりたい放題。
そして私は小学生位の頃からずっと小間使い。姉の尻拭い・兄の尻拭い・父の・母の・祖父の・・。

そして今・・・また新たな負担が増えた。姉の子(甥)の誕生だ。
ただでさえ、今、姉の新居の工事中でその手伝いで頭を悩ませ雑務に奔走しているのに、今度は甥かよ・・。
確かに喜ばしい事・・。可愛い?甥・・だよね・・普通は。
でも私には負担でしかない。
もちろん、父は口だけ、母は何もする気なし・・。
その為に、出産準備の手伝いをし、毎日実家と姉の家を往復し姉の送り迎えをし、姉に飯を食わせ、姉の家に行っては散らかった台所を片付け・・。
いざ出産だと言えば、生まれる直前まで姉の手をさすり。
甥が生まれてからは、ビデオカメラを買いたいとぐずぐず言ってくる父を連れて電気屋を渡り歩き見立ててあげ、夜鳴きで眠れないからと毎日のように病院へ行き・・。
やれ、退院準備だ、お七夜のお祝いだ、宮参りの準備だ、新居の棟上だ。
挙句の果てには、甥の面倒も・・・。いったいなんなんだ!

今まで何もしてもらってないのに、なぜ気持ちよくしてあげられよう?
どうしてして私がやらねばならない?
姉だから、家族だから・・協力して一緒に祝ってあげたい・・。
でも・・・どうして気持ちよくしてあげられようか?どうして笑っていられようか?
何も知らない回りの人は「可愛いでしょ?よかったですね」を連発し同意を求めてくる。
もしこれで私が何もせず知らん振りしてたら、きっと私は悪者。してやって当たり前、しなきゃ卑怯者・・。実際今までがそうだった、全て私に対してだけは周りの皆の評価はそうだ。
「困ってるんだから助けてあげなさいよ。姉妹でしょ?」ってね。そう、普通の家庭に生まれてたらそう思うと思う。
でもね、それは何も知らないからそう言えるんだよ・・。私が今まで、どれだけ親・姉妹・親戚の面倒ごとを納めてきたか・・。なのに、私が困ってる時は、頭を下げても誰も助けちゃくれなかったんだから、今までも、今も・・。

幼い甥さえも疎ましく思えてくる。憎らしく思えてくる。
生まれてきたばっかりに私の負担はまた増える。自分の鬼の心に気付かされて自分が嫌になる・・幻滅する。

この世界から逃れたい・・。でも、この呪縛から逃れるために絶縁覚悟で彼らの前から姿を消したら、本当に天涯孤独・・。
ほんの言い訳でも、外から見れば幸せな家庭のお嬢さん・・のはずが、それさえも無くなって、ただの寂しい、学の無いハイミス負け犬・・。
何の為に生きてきたんだろう・・。あまりに虚しすぎる。どちらを選んでも悲しすぎる。
何故私はココに生まれたんだろう・・・。召使いとして?
普通の家庭に生まれたかった・・・。
人生を生まれる前からリセットしたい。
<324> ミルキー ■2004年07月15日 木曜日 23時55分23秒
もう よく分かった。
この人たちとは 割り切って 一緒にいなきゃいけない。
歩みよりも 理解も 求めるだけ 無駄。
こんな家族いらない。
<323> H ■2004年07月15日 木曜日 00時21分01秒
小学生低学年までは幸せに思ってた。小学校高学年になり、祖父母と親達が同居してから、祖父母と母親との折り合いが悪く、結果、祖父母は家を出ていった。
そして父親が躁鬱病で精神科へ入院した。父の親戚は、私の家族を嫌い、家へ寄りつかなくなった。仲良かった従兄弟達とも疎遠になった。
夫婦仲も悪くてケンカばかり。父親はいつも離婚届けをもってた。
父の勤務先の融通で長期休んでも生活はなんとかできた。母親も働かずに専業主婦をやってた。父の病気や夫婦ケンカは有ったけど、それでも口うるさい母親と頼りない兄と私とで生活してた。そのうち兄が大学へ進学した。
私が高校を卒業と同時に、父は仕事を辞めた。私も兄への仕送りにお金がかかるのがわかってってたから、地元に就職を決めた。私はいい子でいようとした。
間もなく兄が中退して実家へ帰ってきた。大学から戻ってきた兄は、別人のように
怒りっぽくなっていた。親から、仕事しろと言われて、就職しても続かなくてすぐ辞めたり、時には勤め先でトラブルを起こすようになっていた。
私は親に言った。「兄を精神科でみてもらったらどう?」そんな言葉に、両親とも耳をかたむけてくれなかった。「家族崩壊すればいいだけなんだから・・・」と父は言った。父は精神科の薬を飲み続けていた。
だんだん、兄が部屋にひきこもるようになっていた。
私もそんな兄を毛嫌いして、段々避けるようになっていた。
自分は職場で、いい人のふりをした。友達にも家族の事は話さなかった。
それから何年かして、兄が母親に暴力を振るうようになっていた。
父親は止めなかった。私も怖くて止められなかった。
母親は兄の暴力で、骨折したり、頭をぬったりした。
それでも病院へは、自分で転んだとウソをついた。
母親がいない時は、父親に暴力をふるった。
そのうち、私を殴るようになってた。
顔に青あざつくって会社に行った。
ファンデ−ションで隠してもあまり隠れなかった。
それから、極力、兄と顔を合わさないように心がけた。
母親は、兄がこうなったのは、父親がしっかりしていないせいと父を責め続けた。
そのうち母親が突然、私を殴った。
・・・・原因が解らなかった。
だんだん原因がわかってきた。理由にあっけにとられた。
「私と父がセックスしている。一緒に寝ているのを見た」
「自分の親とそんな事していいとおもってるのか?」
全くの母親の被害妄想。そんな事する訳無いのに・・・・・
けど、母親は見たと言って聞く耳もたない。
私は家族全員に失望した。こんな事、母親の親戚に話したって、信じてもらえる訳無い。きっと私がすべての悪者だ。私は家を出る事を決めた。
アパ−トを探して、引っ越しを半月後に控えた時、また兄が私を殴ってきた。
怖くて外に逃げた。家の前の道路で捕まって、ボコボコに蹴られた。
道路に私は倒れた。昼間だった。近所の人もでてこなかった。
家には誰もいなかった。私は、怖くて、その日に家をでた。
友人の家に半月住んで、そこから会社に通った。
会社では普通通りに仕事した。家の事は恥ずかしくてその友人にしか話せなかった。(けど母親の事は話すのに時間がかかった)
アパ−トにいても、兄の両親への暴力は治まらなかった。
私は、念のためにアパ−トの電話と場所だけは親に教えた。
アパ−トに夜中母親から「殺してやる」といった電話がかかってくるようになった。電話にはでなかった。留守番電話にメッセ−ジが繰り返される日々。
そのうち、あんまり兄の暴力がひどくて、両親が荷物をもって私のアパ−トへ逃げてきた。1週間くらいいて、家へ戻った。逃げてきた両親は優しかった。
けど、家に戻ってしまうと母親が突然訪ねてきて、父がいないのは、私のアパ−トにきているせい・・と包丁をもってきた。刺されそうになった。
父がいないと、母は狂ったように私を責めにくる。
母が兄の暴力を受けて入院した。父と私は、警察と保健所に助けを求めた。
警察立ち会いのもと、保健所が兄を調べにきた。
診断結果は、本人の意志がなければ強制で病院へは連れていけない・・・・
公共機関にも絶望した。(親戚には係わらないで欲しいと拒絶された)
アパ−トを替えた。もっと兄の暴力がひどくなった両親が、今度は実家をでて、アパ−トで暮らす事に決めた。その間の避難場所に私の所に転がりこんできた。
両親が一緒だと、父・母は私に優しかった。
3ヶ月位、一緒に住んで、両親はアパ−トを見つけて私のところから出ていった。
母親が昔に戻ってくれたかと思った。
けど違った。やっぱり、両親がケンカして父がいなくなると、母はすべて私のせいにした。「寝取った」と言い続けた。髪を引きずられてハサミで髪の毛を切られた事もある。抵抗した私の手は血だらけになった。父が私に助けをもとめてきたが、私はアパ−トに入れなかった。このまま死ぬといっても部屋に入れなかった。
兄が大学を辞めてから10年以上がたっていた。
その間、会社に家族の事がバレナイように、友達(一人除いて)にも家の事を知られないように、人付き合いを極力しなくなっていた。
だんだん、周りが結婚していった。けど、私はずっと一人でいた。
そのうち、実家で一人でいた兄が、食費に困って窃盗事件を起こした。
新聞にも載った。もう、仕事もクビになると思った。
けど、会社の人は誰も触れてこなかった。私の家ではないと思ったのか、気をつかってくれたのかは知らない。
その前にも、兄は傷害事件を起こしていた。それは新聞には載らなかった。私は、いつもビクビクしていた。いつか家族の事が知られて、みんな私の目の前からいなくなるんじゃないか・・・って。
人に心を開けなくなっていた。表面的な付き合いしかできなくなった。
人の目が気になってしょうがなかった。
警察へも何度も行った。警察から何度も仕事場に電話をもらった。警察の人は言った。「プライバシ−は守りますから・・・」
またアパ−トを替えた。今度は住所を親に教えなかった。
仕事も辞めたと親にウソをついた。
そのうち、働かなかった兄が急に仕事を見つけて、実家からでていった。
それを機に4年ぶりに両親は実家に戻った。父は痴呆気味になっていた。
両親が実家に戻って1ヶ月後、兄がまた実家に戻ってきた。
痴呆気味の父や、世話をする母には暴力を振らないようになっていたらしい。
それから1年くらいで、父が肺炎で死んだ。入院した時は、母親からあと、1週間
しか生きられないと言われた。久々に父・母と会った。父はやせ細っていて、
私が誰かわからない感じだった。1週間後、本当に亡くなった。
両親にはお金が全然無かった。私が葬式代すべて出した。香典は母に渡した。
久しぶりに、父・母の親戚と会った。私も8年ぶりに実家に泊まった。
葬式の前日の夜、また兄が暴れた。母親を殴り引きずった。叔母が警察を呼んだ。
実家の絨毯に血がついていた。東京の叔母は、怖くて家には泊まれないとホテルに泊まった。やはり叔母にも見放された。警察から、兄には葬式の期間中、ビジネスホテルにいるよう指示されて、葬式がおわるまで兄は来なかった。
葬式が終わったら、すぐ両親戚は帰っていった。私もすぐにアパ−トに帰った。
あれから1年半。怒りっぽいのは相変わらずだが、母親に暴力をふるわなくなったそうだ。母親から月1回は電話がくる。一緒に墓参りに行くためだ。
兄とは、もう住みたくないと言ってくる。いつ死んだっていいと言う。お金がないからロ−ンを借りたとも言う。葬式代だって、お墓代だって、その他のものはすべて私が払ったのに、生活費が無いという。父は生命保険を解約していたから保険金も無い。母親もそう。
兄が大学を辞めて、かれこれ20年がたつ。いったい、いつまで私はこんな生活してればいいんだ? 母が死んだら、兄の面倒なんか見てやるもんか!
でもきっと警察から電話がかかってくるのは私。
死ぬなら、お願いだから、母と兄一緒の時期に死んで頂戴。
私に、この家族に振り回された何十年を返して。
贅沢は望んでない。普通に暮らしたかっただけなのに・・・・
結局、私は一人でいる。結婚もしていなし、子供もいない。
友達もわずかしかいない。唯一の友達は言う。「身内がダメなら他人でいいじゃない。もっと自分をさらけだして、一人でかかえこまないで人に甘えなきゃ。」
今まで一人で我慢してきたから、人に甘える事ができない。
家族の事で、大事な人が去っていってしまうのが怖い。
若くないから今の仕事も辞めたら、生活もできないし、多分再就職も難しい。実家から遠く離れたいのに、生活の事を考えると勇気がでない。
結局、家から逃れられずに、私は一人で死んでいくのかな・・・・・
周りの普通の家族が羨ましい。私にとって家族は、実生活では憎い存在だけど、心の中では幼かった頃の生活を渇望している。私が依存しているんだろうか・・・


<322> クール ■2004年07月14日 水曜日 23時47分48秒
母もACだよね。でも私も母や周りの大人のせいで?わかんないけど。子供の頃は、自分が嫌われている事は気づいたけど、そんなもんかって感じだったのか、ただのひがみっこレベルだった。大人になって子供をもってACである私の心がうづき始めた。今いろんなこと考えるとわかる。私は私だけど、私じゃない。自分ってのを持ってた試しがない。人の目ばかり気にして人の目に移る自分だけが自分で、人生ずっと演じてきた。お母さんは私が赤ちゃんの時かわいくてたまらないって本当に思っていたのか知りたいです。周りの大人には嫌われていたし存在もなかったかもしれないけど、お母さんだけでよかったんだよね。お母さんが私を面倒なだけの存在と思ってなかったらいい。お姉ちゃんはきっとかわいくて心配でたまらない存在なんだね。妹は病気で生まれたから心配でたまらない。私は?私はかわいかった?今はどうなの?子供を育てる義務ははたしてくれたしいいお母さんだったと思うけど、ただ寂しくて仕方がないよ。私は本当の自分を隠す事で今まで生きてこられた。嘘で固めて非現実な世界に浸るのが大好きで、人間関係も深くなるとダメだよ。自信がないし嫌われてしまうよ。これは自分のせいなのかもしれないけど、そうゆう時にお母さんのこと思うと寂しくなる。子供の頃から長い長い片思いだった。今もずっとだよ。でも子供ができて、かわいくてたまんないのに上手に育てられなくて心傷つけてばっかりいるダメな母親な自分はたぶんお母さん以下なんだ。どうしたらいい?正直お母さんの事は悲しいけど諦めつくけど、娘にはかわいそうな思いさせちゃいけないのに自分がコントロールできなくて悩みます。
<321> まるこ ■2004年07月10日 土曜日 16時11分59秒
両親は絶対に頭がイカレテル。キチガイだ。

父もフツーじゃない。だからあの夫婦は35年も一緒に居られるんだ。
娘に性的な視線を向ける父、それを何度言っても初めて聞いたように驚く母。
いつも暴言を吐き、年齢に見合わないことを求められ親子逆転していたうちの家族。
そんな両親に、育てて貰った恩を着せられ、普通以上に親への奉仕を求められた。
「育ててやってるんだ」。いつもいってた。
確かに食わせてもらった、家に住まわせて貰った。服を買ってもらい、学費を出してもらった。でも相談にのってもらったことは1度もない。相談すればいつもバカにされるか、軽蔑したような目で見られた。
悩んで何が悪いの?子供なんだもん、初めて体験することには不安になって当然でしょう?


あんた達も親に育てられ、育てられることを当たり前に受けてきたはず。
あんた達は親の悪口や批判を子供に散々聞かせ、親を最悪な最期にさせておいて、自分たちには特別な扱いを求める。

あんたたちと関わると人生が不幸になる。
友達もいない、親戚とも年中ケンカ、近所付き合いもない。仕事も辞めて家に引きこもり状態。ますます娘への、私への依存が強くなってきた。

もうやめてよ!
いい加減にしろ!

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This script written by Shintaro Wakayama.