母とけんかした。母が非常につまらないことで文句をつけたからだ。はっきりしていなかった自分も悪い。経済的な援助はもういらないとはっきり母に言えば良かったのだ。遠まわしに母の考えを操ろうとしていた。それはコントロールだ。昔の癖なのだ。固定客が2件、開拓中が1件ある。お金の管理も日ごとに学んでいる。自分がいかに無知だったか痛感している。しかし、勉強すれば 無限とも言うべき情報が入ってくる。それを考え、使い、知恵に変えていく。 知恵を使えば、身になる。つまり体にインプットされ、無意識でやれるようになる。このことは普段は意識しない部分で、あえて書いてみた。
話が横道にそれた。母はいつまでも俺が子供だと思っている。年齢差で考えればそうだ。しかし、自分の生活を守れるようになれれば、大人なのだ。僕が 意見すると母は怒る。いつも実質が伴わないといっていじめる。伴ってないわけがない。自営は伴わない限りできないし、日々勉強して鍛えているのだ。そしてすぐに収入額でまだまだだという。小さな仕事が入ってくれば、やがて大きな仕事へと自然の流れで入ってくることを母は理解できない。何年自営業の 旦那の奥さんをやっているんだ。腹がたってしょうがない。母はいつもサラリーマンの家庭が羨ましいと愚痴っていた。自営業は自営業でおいしいのに。サラリーマンの良さもあるのだろう。僕は理解できないが。(すいません) 父の喜んだ顔が浮かぶ。約11年間、父の会社の手伝いをやり、時には小さな現場ではあったが現場監督兼親方兼職人だった。それに営業という職種もついかできると思う。そんな父を見て育ち、手伝っていたので、父の気持ちが理解できた。母はそんな姿の父を褒めることをあまりしない。どうしてなんだろう。僕は父とともに汗を流し、働き、稼いだ。父が悪く言われると悲しくなるのだ。父は頭がいい人だ。建築図面を見ると一回見ただけで頭に入ってしまう。あとは思いを巡らすだけで、仕事の段取りができるようだ。僕もそんな感じだ。建築関係の仕事は特殊な頭の使い方をする。主要な技術は覚えることだ 。材料の品数が多い。それを印象付けて頭に入れておかねばならないし、数も おおざっぱであれ、記憶しておく必要がある。それプラス、こくこくと変化する現場の状況の対処、突発的に起きる対人関係のトラブル。こんなことをもがきながら父は逃げずにやっていた。パチンコにもめったにいかない。すごい人だと思う。それだけ父は変わったのだ。
僕は母に似ていると思っていた。慎重な点は母に似ているが、自由な発想で行動する点は父譲りだと思っている。動けば何とかなる。父を見て学んだことだ。取り留めなくなった。
|