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私たちの物語 - 家族過去ログ No.10
メッセージ数:200件

<200> ウェルチ ■2004年02月29日 日曜日 22時15分09秒
昔、自分や家族について思ってる事を吐き出す場所が無かったので、原稿用紙に何枚も書いた覚えがあります。今度はここに書いてみます。

私の父親は、酒飲みで、私の母親に言動で暴力を振るい、自分の母親の様に世話を焼かせ、召し使いのように扱っています。母親はそれが当り前になっています。
子供の頃からそんな両親を見ています。
私は強くなって母親を守らなければいけない、母親のように女であるという事が、自分を弱い立場に立たたせてしまうと思うようになりました。
私は自然と女の子らしい事をしなくなり、自分が女であるのが恥ずかしいと思い始めました。
でも、私は女の子らしい気持ちは持っていた為、自分自身を隠さねばならなくなりました。
自分の好みや、気持ちを話す事が苦手になりました。
家では、酒に酔って眠った父親を起こさない為に、大きな声を出さないようにしていた為、今でも大きな声では喋りません。
父親が暴れてふすまや壁がぼろぼろになり、トイレが壊れていてもお金が無いので直せませんでした。
家の外ではそこそこ明るく振る舞っていたので、友達にそんな家を見られるのが恥ずかしくて、家に呼ぶ事もしなくなりました。
そのうちに親友と言える親友もできずに今に至っています。
父親は何度も転職をして、無職だった時代もありました。
今も無職です。学歴も無く、健康状態も良く無いので、この先また働くとは思えませんが、定年にはまだまだ遠い歳です。
この先どうやって生活して行くのか、何を考えているのか。
母と私と兄弟が働いて行くしかありません。
母は一体何の為に生きているのだろうと思います。
楽しい事なんてほとんど無いはずです。友達もおらず、これといった趣味も無く、ただただ働く毎日。
可哀想である一方、そんな弱さに腹立たしさも覚えます。
夫の顔色を伺いながら何十年も、ただ働くだけ。
旅行に行きたくても、何かしたくても「怒られるから」と何もせずに過ごしてきました。
私も早く解放されて自由になりたい。
母親にある時「結婚しないのか?」と聞かれました。
びっくりしました。結婚なんかできる訳無い。父親がいる限り恋愛さえもできません。
大好きな人に父親を会わせる訳にはいきません。
ましてや、相手の家族と親族になるなんてこんな失礼な事はありません。

私もこのまま母親のように、何の楽しみも無く死ぬ時が来るまでただ生きているだけになるのかと思うとやりきれません。
私は子供の時、父親が母親に暴力を振るうのを見て、自分が助ける事も出来ず逃げていました。何度も死んでしまいたいと思いました。
今は、このまま今の生活が続くのかと思うと、子供の時死んでしまえば良かったと思っています。
でも、ある人に「あなたは自殺とかで死にそう(な性格してる)」と言われて、当たっているだけに腹が立ったので、絶対に自殺はするまいと思っています。
早く自由になって、大好きな人に「大好き」と言って、結婚もしたいです。
そして、母親に楽しい事をいっぱいさせてあげたい。
それが今の願いです。
<199> 37 ■2004年02月29日 日曜日 16時58分24秒
アタシのお母さんはね、2人居たお姉ちゃんがすーっごい勉強出来て自分だって結構出来たみたいなんだけど、ちっとも褒めて貰えなくて、いっつも「アタシは褒めてもらえなかった」って。だから、おじいちゃんとおばあちゃんのこと嫌いなんだ。二人を怒ってばっかり。お父さんはね、ちっちゃい時からお母さんに怒られてばっかりみたいですぐに怒るんだ。怒る以外を知らないんだろうね。それでかな、二人ともアタシばっかり幸せでズルイっみたいに思ってるんだ。そんなこと言われてもね、アタシだって褒められたことないし、怒られてばっかり。最近よく言われるんだ「自信が足りない」って。だって、何をしてても怖いんだもん。すぐ怒られそうで。アタシ、お母さんにならないにしよー。きっと、アタシのお母さんみたくなるもん。
<198> 花 ■2004年02月29日 日曜日 10時09分28秒
おばあちゃんが重体だ。ニュースみたに遠くからながめて聞いているだけ。何もせずにいるだけ。いつも、ものごとはそうやってすぎていくだけ。
<197> 花 ■2004年02月29日 日曜日 10時06分13秒
今、家族でご飯食べても、緊張するだけ。友達と食べても無言でいる。だって食事の時どうやっておおしゃべりすればいいのあわからないんだもん。
<196> SUN ■2004年02月27日 金曜日 14時22分33秒
母は今年で定年だ、まだ働いている。
仕事で疲れているとは思うが、私が家事はしないという宣言をしたので母が仕事から帰ってきて疲れているだろうがやっている。
母が疲れて風呂に入る前に寝てしまう。
私が洗濯しなくちゃいけないのかとか嫌になる。
してあげたいとは思えない。
私は親不孝な娘なんだろうか、孝行娘じゃないな。
母が疲れていて、それをどうしようと思い悩んでしまうのは私だけだ。
うちの男どもは何も考えていないだろう。父も兄も。
親が子供に心配させるな。苦しくなる。
自分が悪いのかと思ってしまう、私が悪いのか?
母の呪文でいい子でい続けて、そのあと自分が分からなくなった。
何のために生きてるかなんて全く分からない。
ただ死んでないから生きてるだけ。
とにかく、母が疲れていると、私が助けなくちゃいけないのかという感覚に陥るのが嫌だ。
またいい子にならなくちゃいけないのか。
もういいかげんにして欲しい。
妹が結婚して家を出る少し前に私と兄に「お母さんの手伝いちゃんとやってよね」と言ってきた。
私はもうしないけどね。
いい子でいるのはたくさんだ。
今まで何のために生きてきたか全く分からないのに、これ以上無駄に生きさせないで。
母の手伝いをする為に生まれてきたのか、私は。
子供にそういう風に思わせているんだよ、あなたは。
私は自分がどうしたいとか、何をやりたいとか全く分からない。
自分の意志はもつことが出来なかったから。
いまだに何したいのかわからないよ。
何のために生きてるか分からない、病気で死にたい。
自分で死ぬのは大変そうだから、病気で死にたいな。
心のどこかに死にたい願望はあるんだな。
<195> およよ ■2004年02月26日 木曜日 08時28分31秒
母親に電話で怒鳴った。あんた、それでも親か!!と気持ちが良かった。
しかし、その後子供の頃の記憶が戻ってきた。母は私に嫉妬していたんだ。
父が私を愛していた。忙しい母の変わりに、幼い私を妻の役にした。
白髪が抜き、肩をたたき、足のつめを切る、毎日。
お酒の時には、私が相手をした。いつも、私は父の傍に坐っていた。
ご飯を炊く、洗濯をし、アイロンをかけ、掃除をし、買い物をし、家事が終わってから、私は自分の部屋に帰れた。その毎日が私を妻にしてしまったのだ。
高学年まで、お風呂も入った。父は私をいつも抱っこして、寝ていた。
私は父の妻だったのだ。母親はそれに耐え切れずに、私をいじめるように、父にけしかけたのだ。父はそれが嫉妬だった事を知っている。
だから、母がいない時には、父は何時間でも私と一緒にして、話をしたし、今でも、するのだ。それが父と私には当たり前の関係だ。
母のしたことは、ある意味正しかった。
そのまま行けば、もっと酷い事になっていただろう。私が何故に、男性に媚を売るのか、分かった。その様に、毎日訓練されていたのだ。
今私は記憶が戻った。父を愛していたんだ。私は父を夫のようにみなしてしまってそれが正しいと思い込んでいたんだ。
しかし、私は母に愛してもらいたかったんだ。それを母が怠ったから、母は自業自得だ。父は不憫に思っていたのかもしれない。
しかし、私は思う。もうこの二人には、私をおもちゃには、させない!!
私は、私を大切にする。だから、この二人の罪を許してやるが、もう、親に値しない人たちだ。私に親はいない。
<194> 38 ■2004年02月25日 水曜日 02時08分31秒
俺の家族は小さい頃から争いの絶えない家族でした。
すぐ怒鳴る父親、口やかましい母親。
とにかく小さい頃は父親が怖かった。
あー、なんか書きたいこと山のようにあるのに出てこない。
昔のことより、今俺は38歳なんですが、今なお口やかましい母親に困っています。
口やかましく言わんとってくれ。といっても親はこういうもんだ。といって
まったく取り合う気配もない。
父親は去年の8月に、俺に出て行け。と怒鳴って以来、おとなしくなった。
俺の家族はみんなかわいそうだ。
<193> ねここ ■2004年02月24日 火曜日 01時25分55秒
それから、5歳になって父の実家に引っ越した。
私は幼稚園転入で初登園の時、怖くて怖くて何もしゃべれなかったことを覚えている。
一人じゃいられないのだ。何にも出来ない。パパはいない。怖い。
ちょっとからかわれただけでも、足がすくんで泣く。
男の子が髪を引っ張る。また泣く。おもしろがってもっとからかう。もっと泣く。
この頃の私は毎日ただ怖かった。

父の実家は、祖父、祖母、父の妹家族、そして私たち家族の大所帯だった。
気が付けば、私の母はのけものにされていた。父の記憶はない。
母はよそもので、そして私と弟もその子供で、私たちはあからさまに差別された。
祖母はとても口達者でヒステリックな人で、私は鬼だと思っていた。ものすごい剣幕で捲し立てられる。
逆らえない。
この頃、私は夜になると過呼吸を起こすようになった。今でも覚えている。
苦しくって死ぬんだと思った。怖かった。
母が側にいてくれた記憶がある。それだけが救いだ。

なんだかこうして見てみると、怖かったんだな。怖い事ばっかりだったんだな。
父の依存的な愛情と、それを急に失った事と、鬼のような祖母。
幼稚園の頃までの私にとってのポイントはそこらへんだ。
祖母や実家の環境は、ただ怖かった、嫌だった、怒りを出し尽くしてしまったら楽になったのだけど、
父のことはちょっと難しい。言えない事もまだある。ごちゃごちゃしてる。
でも、これでもすごいこんがらがった紐は解けてきている。と感じる。
だって今こうして書いていることが私にとったらすごい。
無理はしていないし、しない。
また書こう。
<192> ねここ ■2004年02月24日 火曜日 00時43分01秒
私はカウンセリングなどの利用をしていないので、言葉にして吐き出す作業がどうしても滞ってしまう。
なので、この場を利用させて頂きたいと思います。

小学校途中くらいまで、私は父の記憶が全くない。いや、全くではないな。
トラウマになった場面での父以外、父の記憶がない。
本当にいたのかな、、、と思うくらい。探しても探しても、どこにもいない。
もしかしたら、単身赴任かなんかで家にいなかったのかな、とも思ったけど、いた事は確かなようだ。
今は冷静に、不思議だなと思う。ずっと父の事を口にする事ができなかった。

父は私を溺愛していた、とずっと聞かされてきた。私には全く記憶がないのだが。
着せ替え人形のように父好みの服を着せ、本を与え、いつも横に置いていた。
そうして私もそれに応え、父以外の人には心を開かず、本をたくさん読み、いつも父の側にいた。らしい。
それらの記憶が、私には全くない。きっと捨てられた時に、全て消してしまったんだろうと思う。
父は、私が思い通りにならなくなったので私を捨てた。いつなんだろう。
今はわからない。思い出せない。

この当時、私が覚えている事は、当時3,4歳で、母の実家がある土地でアパート暮らし。
お隣の友達と遊んで帰って来たら、テーブルの上に置手紙があった。
「さようなら。パパはもう帰って来ません。」とかなんとか。
私はパニックに陥り、ただ怖くて悲しくて泣き喚いた。
パパは私を捨てたんだ。私は何かいけない事をしたんだ。悲しくて怖くて仕方なかった。
そしたら、父は風呂場から出て来た。泣いてる私を見て笑っていた。嬉しそうだった。
何で泣いてるの?と笑っていた。にやにや嬉しそうに。
私は現状が理解できなかった。それでもずっと怖かった。

あほか。ありえない。父は自分の存在価値を確かめたかったのだろう。
今は、かわいそうなこの人の事を憎む気持ちはないけども、昇華したけども、この出来事は無意識にずっと私の中にあり、影響を及ぼしてきた。
いい子でいなければ捨てられるという恐怖感。というか、いい子でいても捨てられる。
なんにもしなくても私は捨てられる。そんなものが私に植え付けられていた。
<191> 衿 ■2004年02月24日 火曜日 00時01分21秒
おばあちゃんは、もらわれっ子で、ひいおばあちゃんを嫌っていた。
そんなおばあちゃんに育てられたお母さんは、自分はおばあちゃんに愛してもらえなかったと毎日のように私達に嘆いた。
自分のように親に愛されない子にはしたくない、と一生懸命育てたつもりだったんだろう。
でも上の妹は優等生であることのプレッシャーで、生理が止まった。(今はすっかり元気だけど)
下の妹は、母と上の妹から責めたてられて、不眠症になった。
私は、母のヒステリーと過干渉を一心に受けて、長いこと対人恐怖症だった。

仲良く暮らしていたみたいに見えてたけど、ホントはみんな、この家から出たがっていた。
「あの家にいると息が詰まる」と下の妹がぼやいていた。
でも、母は必死だったのだと思う。自分の家を守ろうとしていたのだと思う。
自分がおばあちゃんにしてもらえなかったことを、私達にはしてやろうと一生懸命だった。
けれどそれが私達には重荷になってしまった。

誰かの世話を焼くことだけが生きがいの母は、子供達が独り立ちしてしまった今は、父に頼り切っている。
「私がいないと何もできないんだから」が口癖だけれど、私には、逆に見える。
母は、父がいないとどこにも行けないし、何もできない人なのだ。
私のアパートに来る時ですら、心臓が弱くて疲れやすい父を一緒に連れてくるのだ。

時々、すごく悲しくなる。
お父さんが死んだら、この人はどうなってしまうのだろう?
母もまた、小さな子供のままなのかもしれない。
<190> NAC NAC ■2004年02月23日 月曜日 00時26分01秒
家族ねぇ・・・・・
これが家族と言えるのかねぇ?
あくまで戸籍上だけの家族。
全然こころが通じ合わない家族。
自分で「なんじゃそりゃ?」って感じだ。
こんな冷たい家族で「情緒豊かなこども」が育ったら、それこそ奇跡だ。
まさしく「アンビリーバボー」って私は叫びたい。(茨城弁で)
ほんと奇特な家族だ。
今まで自分が「自分の寂しさ」で犯罪を起こさなかったのが不思議なくらいだ。
そしてこれからも私は自分の寂しさと向き合い、くれぐれも犯罪には手を染めないよう気を付けよう。
その下地の寂しさだけは自分には十分あるのだ。
そこをきちんと己が意識上で認識できないから、己が嗜癖で苦しむ羽目になるのだ。
「機能不全と嗜癖は1セット」
そう診ておいたほうが、間違いは少なくて済むだろう。
ほんと私も弟も、困った親に育てられたものである。
残念無念。
無念残念でもある。?
<189> にょろ ■2004年02月22日 日曜日 18時20分09秒
妹が「理想の姉」、とやらを私に押し付けてくる。
もしかしたら「理想の母」って奴かもしれない。
もうやだな。あなたのお母さん役は疲れたな・・・・・
<188> まい ■2004年02月21日 土曜日 18時13分43秒
私はごく普通の家庭で育ったと思っていた。
でも何かが違ったのだという事にようやく気が付いた。
私は何処に居ても”帰りたい”と思っていた。
それは本来”帰る場所”である家庭にいるときにさえ感じていた。
ここは私の居場所じゃないんだ。
何か悪い事が起こるといつも私のせいになった。
私を嘘つきだと言って信用してくれなかった。
私の帰る場所はどこにあるのかな?

<187> シャローナ ■2004年02月21日 土曜日 14時55分31秒
私は自分を出せない家にいるのがとても辛かった
まだそんなことはたいしたことじゃないと無理につじつまを合わせてしまおうとするけども、確かに辛かった 息苦しかった 憤りを感じていた 寂しかった 絶望していた 悲しかった(涙)
<186> なな ■2004年02月18日 水曜日 15時00分57秒
やっぱり昨日、イヤな気持ちになった。
気持ちが委縮した。
お父さんは、人の話を聞かない。
自分だけが正しくて、自分だけが優れてる。
お父さんの考える像じゃない私は『ダメ』なんでしょ?
やっぱりお父さんにはわからないのかな?
こう言う気持ち。
だからって今、『詫びて欲しい』とか『育て直して欲しい』とか、そう言うんじゃない。
今のお父さんがあるのは、お父さんにだってきっと、子供時代、悲しい・さみしい・苦しいと感じた事があるからなんだよね。
親として『完璧』なんてないのはわかってる。
だから今から『私の過去を返せ』とかそう言うんじゃないよ。
ただ、ただ何て言うか、、、
客観的に見て正しいとか正しくないとか、色んな人からの立場立場から見てどうとか、そう言う考え方をしなきゃいけない時ってあると思うしわかってるけど、そう言う事言って欲しいんじゃない時って、家族や親の関係の中ではあるでしょ。
客観的に見て『ダメ』かも知れないな時でも、『ダメじゃないよ』って言って欲しい時ってあるでしょ。
他の誰よりも、家族や親にはそう言って抱きしめてもらいたい時ってあるでしょ。
そう言うの、上手く伝わらないんだよね。
『あきらめる』と少し似てるけど、少しずつでも心の中の塊みたいなモノがとけて、自分を解放してあげられたらイイな。
<185> kanan ■2004年02月14日 土曜日 17時51分12秒
私が今いる場所はどこなんだろう。
私達は「○○」って表札のついた家に住んでいるだけのような気がする。
小さい頃はいつも家族のいざこざに挟まれて、誰にも認めてもらえないし、誰も私の気持ちに気づいてくれないし、寂しかった。
友達の家に行く度、その子がお母さんに「おかえり」と言ってもらってたり、学校であった話を聞いてもらえてることがすごくうらやましくて。
だから平日に母親が仕事が休みだったりするとすごく嬉しかったけれど。
でも今は違う。
今更仕事を辞めて家にいられても、息が詰まる。
最近になって気づいたけど、母親の人間関係の距離のとり方は極端すぎる。
過干渉か無視かのどちらかって・・ありえない。
過干渉のときは息が詰まる。それが苦しくて突き放したら無視されて。
小さい頃はそれが悲しくて、また近づいたら過干渉の繰り返しで・・。
今は突き放したから、また無視の日々。
それで最近になってずっと考えてた。
私が今部屋で死んだとしたら、誰がいつ気づくんだろうって。
きっと家に帰って来なくても心配しないしね。
ずっとこの家はなんでこんなんなんだよって思ってたけど、原因が何か今ならわかるよ。すべてとは言わないけど母親。あんただよ、お母さん。
あんたさえもうちょっとまともなら、私たちもこれほど苦しまずに済んだのに。いつになったら私たちがあんたのせいで苦しんでるってわかるんだろうね?きっとその瞬間が来ても「お母さんの何がいけなかったのよ。私は一生懸命やってきたのよ。」とかなんとかいいそうだけどね。
<184> SUN ■2004年02月14日 土曜日 15時25分43秒
家族というか母に対する話なんですが。
私は赤ちゃんの時、毎回お乳を飲みすぎて吐いていたそうです。
吐くほど飲むのってなんかおかしいと思うんですよね。
赤ちゃんの時にお乳を吐くほど飲むことで愛情を満たそうとしていたんでしょうか。
過食嘔吐に似ていますよね。
私はお乳を飲む時期から愛情に飢えていたんだろうか。
親にとって一番目の子は初めての事だらけで、腫れ物に触るような感覚で大事に接すると思います。
二番目になると、一度経験していることなのでこれぐらいなら大丈夫とか余裕が出て来るんじゃないかと思います。
母は自分の親に抱かれた記憶があまりないと言っていたので、私に愛情たっぷりに接していたというわけではなかったと思います。
昔は大家族が多く、母親がいなくても、おじいさんやおばあさんがいて、赤ちゃんに愛情を注いでくれる人がいたんだと思います。
最近核家族化が進んできて、両親が共働きだと鍵っ子になったり、1人で夕食を食べるとか、家族の関係が変わってきているとも思うんです。
なぜか、社会的な話にそれてしまいましたね。
話を戻すと、もしも私が赤ちゃんの時に家におじいさんやおばあさんがいたとしたら、母から受けとれなかった愛情を補うことが出来たのではないかなと思いました。
あくまでも仮定の話なのでどうなったかは分かりませんが。
とにかく、今考えてみると、お乳を飲む時期から既に愛情に飢えていたように思います。
ということは、赤ちゃんのインナーチャイルドもいるって事なのかな。
そうかもしれないけど、とりあえず、自己肯定感を高めることをメインに考えていこう。
<183> ること ■2004年02月14日 土曜日 01時30分36秒
親のケンカ凄いなぁ。人間が人間にしゃべらないような
言葉が平気で出てくるよ。特に母親。
なんとかなんないの?
むかしは父親の母親に対する暴力、暴力、暴力、
今は逆。母親の言葉の暴力。
ボケてるだのなんだのって、聞いてらんない。
ケンカばっかりでお互い3分以上いままでまともにしゃべれた
こと無いんじゃないの?しゃべってるのみたことないよ。
そのくせ俺には人形というか死体にしゃべるように
俺は聞いてないし相槌もうってないのに延々としゃべる。
でもとにかく昔の父親の暴力も怖くて見てられなかったけど
今の母親の言葉の暴力も凄いなぁって思う。

<182> まぁ ■2004年02月13日 金曜日 19時52分25秒
最近カウンセリングに行くようになって、気づいたことがある。
母親にコントロールされていた、ということ。
今までは、父親のいう事が絶対の家庭の中で、父親だけに怒りを覚えていた。
知ったかぶりをして、自分の非を絶対認めず、子供の行動を理解せずに怒鳴ったり殴ったりして、母親に「お前の育て方が悪い」と罵倒したワーカホリックな父親。

そんな家庭の中で、自分が平穏に生きていくためには、母親に味方してもらうしかなかった。
だから母親の意見によく賛成していた。というより、彼女の言うことがいつも正しいのだと思っていた。父親が信じられなかったから。
でも最近、気づいた。
母親の言うことは、必ずしも正しくないと。

彼女は結果しか見ない。
虐待した親、奇妙な事件などの報道を見ていると彼女は必ずいう。
「どうしてそういうことするかな。私には判らない」
車に赤ちゃんを置いていって、事故になってしまったときも。
だけど、最初から赤ちゃんが死んでもいいと思って、置いていく人はいないだろう。
許されない結果になってしまったけど、そこに何か理由はあるはず。
パチンコに夢中になっていたのなら、なぜ夢中になったのか。
なぜ赤ちゃんを連れてまでパチンコに行かずにいられなかったのか。
もし赤ちゃんが死んでも良いと思っていたのなら、どうしてそう思っていたのか。
なにがあったのか?
を、考えなければ、この事故は続く。
もしこれが「たまたまその人が頭がおかしかったから」とするのは、どうだろう。


私が、彼女の友達にNGワードを言われて死にたいと思ったと話したとき。
「どうしてそうなるかな」
と言った。
彼女の友達の言動を責めたのかと思っていたら、私が死にたいと思ったことに対して、らしい。
「そう言われたことが、死にたいと思うくらいショックだったのか」と、判って欲しくて言ったのに。
簡単にその投げかけは捨てられた。
その当時は、まだ母親の言うことが全てだったから、そう思った自分がいけないんだと思ってしまった。

でも今の私なら、それは違う、と断言する。

「今まであなたの進路に口出ししてきたことなんて、ないでしょう」
それは、たまたま私の進む道が、あなたたちの好みに合っていただけ。
だってそういう風に育てたじゃない。
アドバイスと称して、私がそれに従うまで言い続ける。
しまいには私が洗脳されて、いう通りにしないといけないのかと、方向を変える。
口出ししたのは進路じゃなく、人格だ。

「あなたはおじいちゃんに預けてた頃があるから、わがままになった」
預けたのはあなた達でしょう。
私に責任はない。

いつもいつも、彼らに逆らうときは、誰が見てもおかしいと思う点を探して挙げ連ねなければ、話にならなかった。
「何となくそう思うから」は、理由にならなかった。
でも母親はそれで通ってしまう。
父親はそれが常識だと言って通してしまう。
こんな人達と会話をすることの何とばからしいこと。

いつも会話の裏を読んで、人の言ったことをネタとして覚えて、後々の攻撃に使う・・・ということばかり覚えた。

カウンセリングにいって、本当に良かったと思ってる。
今まで見えてこなかった呪縛が、嘘のように見えてくる。

さようなら、おとうさん、おかあさん。
<181> あき ■2004年02月10日 火曜日 12時20分41秒
私は、いつも後回しにされている気がする。私は、高校を決めるとき今、通っている学校よりレベルの高い学校にでも行けると先生に言われた。だけど母に通うのも大変だし交通費もかかるから近いところにしておきなさいといわた。そして今年は、妹の高校受験だった。母の態度は、私の時と明らかに違った。近くの進学校でも大丈夫だろうと言われているのに、母は、遠い安全圏の学校に行けばと進めた。私は、勉強も運動も何をやってもいい結果を残せない。それに対して妹は、何をやっても親が満足する結果を残す。それなりの努力をしているのだと思う。だけど、親に差別された事が悲しかった。妹が受験に失敗すればいいんのにと思っていた自分が恥ずかしい。この悔しさをバネに短大での2年間がんばろうと思う。母を見返してやろうと思う。

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This script written by Shintaro Wakayama.