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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.99
メッセージ数:1980件

<1980> ぺあ ■2007年10月04日 木曜日 21時50分01秒
本当は私寂しい。また彼女たちにばかにされるなら、私は私の世界をあの人たちには見せられないな。彼氏のことも、家庭も。私は彼女たちの仲介者。
 私本当の感情見せるのがものすごく恥ずかしいの。うさぎが丸裸になって、じろじろ見られ、大笑いされる、感じ。何やっても笑う。何やっても私の考えや感情は大したことの無い、どうせあいつの言ったことなんかばかっぽいという風に扱われる。姉にも確かにブランドバックやお土産ありとあらゆる面倒見てくれる優しさあるのかもしんない。でも辛い。いつも支配され、彼女の許容範囲で私は笑わせ役としてしか存在しちゃだめなの。違うのかもしれない。でも姉は怖い。姉の言ったことは私に突き刺さる。姉の言葉は私にはきつくて怖くて、つぶれるくらいの威力があるの。怖いの。なのに、かわいそうな彼女を傷つけないために、私は常にカウンセラー。姉だけじゃない、祖母にも、母にも、ううん、もっと前は家族全体のカウンセラーだった、私。姉がかわいそう。だって、中学の頃から、不調あるから。その前から常にイライラし続けてきたから。この家の長女して、辛いこと多かったと思うから。長女って何でも期待されるから。父の自死姿見たから。不安障害だから。不幸そうだから。仕事うまくいってなさそうだから。私が彼女の上をいっているから(大学のこと)。彼女はかわいそう。だから、私はかわいそうな彼女のため、今日も嘘ついて笑い仲良く演じる。そうじゃないと、泣くから。母をぶった姉は、母に「ぶつように育てた覚えは無い!」って言われて、「ひどいよ」とかいいながら、泣いていた。意外と弱くて純粋な彼女は可哀想な人、私だけは分かってあげないと。だって、旦那だって父の本当の死因知らないから。知っているのは母と姉と私だけだから、母と仲たがいするならば、私が彼女の孤独を自死姿見たPTSDで今まで勉強してきたこと駆使して、癒してあげないと・・・って思っている。
<1979> ぺあ ■2007年10月04日 木曜日 20時48分22秒
 新聞で「虞犯少年に対する取調べを強化する法案が警察庁から出ていて、日弁連が抗議している」という記事を読んで、警察庁のその法案自体にものすごい憤っている。虞犯少年とは・・・将来罪を犯す危険性のある非行傾向のある少年のことだ。
 ふざけんなよ!!虞犯少年とよばれる、非行傾向のある少年の背景を探れば、そこにはほとんど家庭の不和、家庭の中での虐待があるんだ。
 それで救いや居場所を求めて、不良のたまり場に行くしかなくなるんだ。そんな子たちに、なぜ将来罪犯す危険性のある子だと決め付けるんだ!!!!!
 許せない。
 昔はサブカルチャーや、たっぷりとした人間性(暴力性や性欲や色んな人間の部分を包んだ)のある漫画、音楽、そこらへんのおっちゃん(これは事実は知らないから単なるノスタルジーであると思うけど)が、そういう多様性を許容していた。憤りの抱えた子を包んだ、独りにさせなかった、そういう怒りもっていていいんだ、お前だけじゃないよ、いきづらいのは・・・そういうメッセージ届いた。でも今は、外面ばっかりみんな。「やさしい」それ金払うからでしょう?消費者としてみるから優しいんだろうが!本当にその人を思っての、助言や発言する人も少なくなった。摩擦起さないため、のその場だけの合わせ会話。皆フラストレーション溜まっているから一人「のけ者」「いじり役」決めたら・・・・徹底的に人間扱いしない。そういうスケープゴートは、わけの分からないことする人や、子供や優しい人。わけの分からないことをする人の中には高機能性自閉症の方や今までいっぱいっぱい傷つけられて、其の憤り押さえ込まれて生きてこないといけなかった人びと、いっぱいいるんだよ。また傷つけられて、二重も三重も被害に遭い、自殺や他殺に及ぶ人いるのかもしれない。私は、すごく弱い人に肩入れしやすいし、でもそういうことして頑張り続けても私が変な奇異な視線で見られる羽目になったこと沢山沢山あるから、あまり肩入れしたくないし、皆と同じようにスケープゴート見つけていじめたほうがどんなに楽でどんなに日ごろの鬱憤晴らせるかしれない。でも、私は自分に素直でいたい。素直にいれば、きっとスケープゴートにされた人とも仲良くなれる。もうあの頃の学校ではないんだ!!閉鎖社会でも、逃げられない場所にいるわけでもない。勇気出さないと。それに自分がスケープゴートにされたら、どれだけ傷つくか経験すれば分かる。
 救世主願望が今いっぱいでている私だけど、いじめられっこ同士が手をつなげば、どれだけくだらない人間性の低い本当は弱い奴らを相手にしないで、楽しい生活していけるか、知れないと思っている。
 でも、週刊誌とか読んでもがっかりする、人の不幸をよくあれだけ面白おかしくかけるよね。人の旦那が死んで、絶叫が聞こえただとか・・・よくもまあ安全な立場にいて、人の不幸をにやにや笑うだけの暇人に提供する記事だからしょうがないけど、ほんとメディアは売れればなんぼの世界で、まあ人の不幸なんてどうでもいいんだろうけどね。それでも何だか、この日本社会ってある人にとっては本当に冷たい社会に映るんだろうな・・・・
 でも私は人のお世話や社会変革に乗り出すよりも・・・自分のお世話しないとね。自分のお仕事探して自立しないと・・・・人を社会を変えようとばかりしないけど、自分のせいにしてはいけない。
 まずは、自分。まずは、自分だよ。
 許せない!!!!
<1978> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 20時28分02秒
 今でも、小学校5年の頃の、Nさんの執拗な嫌がらせ、右の耳に蟻を入れられたことは、忘れられない。あの子が、どんな子であろうとも、許せるべきことじゃない。あの子の鼻が生まれつき曲がっていようが、手術毎年していようが、矯正していようが、母親がうつ病であろうが、そんなことと私にした仕打ちとは関係ないよ。
 私に対しても言える、あなたがどれほど、学校と言う場で理不尽な目にあっていようが、悲しくても自傷するしか自分を守れなかっただろうが、それは今の時代の子供たちには関係ない、私は実習であの子たちを傷つけたし、担当の教員にも嫌な気分にさせた、他の先生にも。私は。そして、私の担任だった人にもいやな思いさせた。だから、もう父のことで実習のせいで自信なくして、とめられなかったとは思わない。
 うちの家族が心の交流なかったから、私の素直な感情も思いも認めてくれなかったから、私はとめなかった。そして、父自身も私にとめてほしいとは思っていない。彼は自分の精神病と格好悪くなるのを見られるのだけは彼のプライドが傷つくことだけは、許さず、それされるくらいなら死んだほうがましだという人だ。
 思い出す。私が高校時代には飛び降りてやるって手すりに手をかけた私に「早くやれよ」「死ねよ、死ぬたきゃ、死ね!」って私に言った父を思い出す。彼はそういう人だった。怒りに燃えていた、今までどれだけお前にやってきてやったと思う?という怒りと憎しみに燃えて私を見るんだ。そして、彼自身、自殺未遂した自分の母親(祖母)に怯えていたのかもしれない。
 うちの祖母は未だに健在だが、自殺未遂したり、うつになったり、そうになったり、していた。
 それは彼女の問題なんだ。でも暗い顔して異常な光を持った目ですがりつきをするのはやめてほしい。
<1977> ぺあ ■2007年10月04日 木曜日 19時32分27秒
今日ハンバーガ屋で一人で食べていたら、男性がトレーをばんと音をたてて片づけていた、その音聞いて、「不満なの?怒っているの?私がどうにかしてあげないと。性欲たまってるの?私がすべて満たしてあげないと」と感じていることに気がついた。私の近くで大きな音をたてる人に私は、怒りを無言のうちに私に伝え、全部私の責任のように感じていた。思えば意地悪く私をからかう人は彼に彼女に問題があるだなんて考えたこと無かった、私が悪いかわいそうな彼らを救えるのは私、責任とるよと私は彼らの怒りを和らげるため何でもする準備している。
<1976> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 16時44分29秒
私がいつも暗い顔していたのを友人に気味悪がられたり、避けられたり、いらいらされていたな〜、高校の時。傷つけもした気がする。でも選択権もない、この家族が私の世界のすべてだった。赤ちゃん、子供の私には、いつも寂しそうで不幸そうな、それでいていらいらし続ける父、ぶつけられて私だけのいるときに声あげておいおい泣く母、いらいらし機嫌悪く体の不調訴え続ける姉が周りにいた。私にはここでバランスとってここで世界と自分のバランスとるしかなかった、世界を理解するしかなかった。こう書くと弱そうに見える母だけど、母は父をち〜びってばかにしていたし、とにかく母のやることほとんど父の癇に障るようだった。父は母を見下し、躁の時はすごい憎しみの目で暴行しなくても口での暴力はすごかった。人格変わるあの様私みた。それでも母はなにもなかったフリ。私は人ってつらくてしょうがないんだって思っていたし、私の見聞きしたこと感じていることって他者と通じ合わないんじゃないかと自信壊された。いつも私は心がふらふらしていて他者のなすがまま、それどころか他者の思いのままだった、視線表情期待のまなざしすべて残らず読みとらさせていただいて生きてきた感じ。そこに私はいなかった。
<1975> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 16時30分07秒
思えば、私は私自身の欲求満たしても良いなんて思ったこともなかった。自分自身についてよく感じる心地よく感じることは、姉のひどいばかにされることで壊された。母は私が見る限り私が子供にこづかれまわされているのを大喜びで笑って見ていた、姉も。私がいじめられ世間に見下されるのを気が弱いのを彼女たちは本当に喜んでみていた、すくなくとも私はそう感じていた。いつも姉が具合悪いとグチグチ言うたび、私は素直に感じる喜び自分のこと好きなことからつながり世界をよく見える、世界を好きである思いを彼女に私はずるいからごめん、あなたの不幸いらいら私のせいかもって思っていた。私は学校で毎日いじめられ続けたし、そうじゃなくても「あんたが全部悪いんだよ!」「全部〜さんの責任っ」「裏切り者うそつき」「おまえはずるい」という言葉を事あるごとに吐かれた。私の失敗に部活の同じペアの子はにらんでいたいつも。「ちょっとぉ〜さぁん」いらいらぶつけられる。そんな私の姿を母も姉も大喜びで見ていたよ。なのにいじめられていたとはっきり私が言えば、母がそんなの知らなかったよぉぉっ!とひきつった叫び声と泣き声を私に向けて絶叫される。姉には、お母さん心配してたよ、パソコンのワードにそのときの文章あって私偶然みたんだよって秘密めいた言い方してきたり、父の亡くなった後にその当日に私も衝動的にまた過去をぶちまけたら、右耳Nさんに蟻を入れられた右耳に、かわいそうにとか言って撫でてきやがった。私の優しいから私にいつも土産買ってきてくれるからぶらんど物くれて私のために奔走してくれるから、今、そういう理由で姉を許さないといけないのだろうか?私は姉にも母にも父にもおまえはしつこい、くどいと言われ続け、父になんか亡くなる前に、お前って怖いなって言われた。父はいつも私に二重メッセージ送り続けた。たった10にもならない子に、俺を分かって〜お前だけは特別だから分かってくれるだろう?俺のつらさを。そして、真実を見るな、ふれるな俺のプライド崩すようなことしたら許さないぞ。お前の見ていることなんかくだらない、金稼げない子供の戯言、これだけしてやってるのになぜ俺の思い通りにならない!お前の素直な感情なんか世間じゃ通用しない!というもの。母姉から、私はうけるピエロ役。私がいじめられてもたぶんレイプされたとしてもあの人たちは大受け。私はやること全部姉にお前笑える!母は私にだけは超えられたくないみたいだ
<1974> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 14時12分01秒
私楽しそうに見せかけていたけど、部屋に呼ばれた時恐怖で怖くてがくがくしていた。何が正しいのか分からなくて相手の方が正しくて、しかも私は他者を裏切れないから自分のために立ち上がるなんてもってのほかだから、私は相手は正しいんだ、世間にも受け入れられているんだと思った。私もしかしたらデートレイプされたのかな。最後までいったか分からないの。眠っていたから。でも性暴力にはあってるんだ。無理矢理ビデオで性行している箇所何度も見せられ続けた。私は受け入れる顔していた。きすされて笑っていた。顔はいつも私の場合フリだけの為にあった。上から正しい私が見ていつか訳の分からない世界が分かるまで、記録し続けた。私は他者から怒りをぶちまけられてきたわけだけど、子供時代は文字通り、大人になればバカにした態度を私が相手にとることで、誘発した…ぶちまけられて実習でひどくかいりした、私はたぶんかいりの前段階までやっていたんだろう。私は姉やいじめっ子のした事を人に試して、怒って良かったことなのか知りたくて、担当に子供にした。結果は、カイリするくらいの怒りのぶちまけられ、で終わったら、「ごめん、でも俺の子供顔をずうっとぼくの帰る方向見て待ってたんだよぅ」って言われた。思い出したよ。私、本当に他者の前ですごい怒りと憤りとともに人形でいつづけたことを。
<1973> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 14時00分43秒
思い出したよ。思い出した。私は好きになれそうな人にキスされた時あまりに驚いて、びっくりして意識とばしたんだ。私意識とばした、そしたら上から私は見てるの、私は上から意識飛び出た私の抜け殻、ただし現実世界には正しい姿の私と彼がキスするのを「人間世界ではこうするのか」って私見てるの。終わった後にっこり私は彼にかわいく見せて笑った。好きになれそうな彼にまで私うそついてるって感じた。私はいじめられた時、意識とばして茶番劇見ているようにして私を見ていた。抜け殻になれば私は笑って上からばかじゃんっていじめっ子見ていた。思い出したよ。好きになれそうな彼にも私は結局意識とばして茶番劇して笑っていた。ばかじゃんって何まじになってんの?ずっと従順でいて最後には弱み見つけて心殺してやるって思った、なぜならあんたは私と私に告白した通り婚約者ともつきあってるんだからと。思い出した。私ずっと意識とばして他者からなにされても良いように生きてきたんだ。思い出したよ。悲しいけど私は最後までいかなくても最初のつきあった外人にはレイプに近いことされたんだ。私自分はものすごい過小評価して、笑って終わらせるけど、自分で思っているよりずっと体をいじられたことにすごい傷ついている気がする。
<1972> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 13時45分11秒
思い出した、そうだ、私は意識とばせば、嫌なことも傷つけようとうきうきして私を見るあの子達も、消えると思っていた。人形になった私に何やってもあいつらは私に何も傷つけることできないって思っていた。私を消すの、この現実から。そう学校からあの私にだけ突き刺さる怒りの目した不満たらたらの子供から。おもいだしたよ。私意識さえとばせば誰も傷つけないし、自分だって傷つかない、なんて良い方法見つけたんだろって思っていたんだ。思い出した。そうだ、あのときも、大学時代姉に母に私を大切な世間から受け入れられている男ともだちくらいいる存在だと思われたくて、思い出した、男性の部屋に遊びに行って、手握られそうになった時、私自分消した。幸いなことに相手はまともな子で、そんな私にセックスを強要しなかった。でも大人の段階(セックスとか就職とか人と深い関係持つこと)を踏むには、私は意識をとばして周りのしろ!と指示することにそのまま忠実にすれば良いのかと思っていた。 外人とつきあった時も、部屋に来てと言われ、そいつの言いなりになった。アダルトビデオ見せられ、裸にされ、嫌なことされまくった、ただセックスはしなかった、寝ている時にされたかは分からないけど平気だと思うけど。私信じられないことに裸で裸のきもいその人と眠ったの。私22だった。好きかと思った人にも私はすぐに肉体関係はいられて、意識とばした、自傷した、あの殺人事件私がやった殺したとか思いながら、相手は私の体にさわりまくってんのに。そしたらそいつは私に、私の様子みて、やっぱり君の心奪えないって言ってくれて、やっと意識とばして生きていることに感じてくれた分かってくれた人に会えたんだと、私は彼に好意持ったんだ。レイプ普通にされやすかったし、22のとき私寝ている間に何かされたとしたら私もしかして大丈夫だとは思うけどされた?そのきもい男にはフェラチオしたの。意識はとばさなかったけど、でも気持ち悪くて怖かった。逃がしてほしいと思った。私ものすごいレイプされやすかった、姉に母にいつも男子とも話せないと見下され笑われていて、彼女たちの張り付けた私への見下したものをどうにか覆したくて、私は躍起だった。思い出したよ。私は全く普通でめちゃめちゃ家族にも経済的にも恵まれすぎているって言われてきたけど、私は人形として他者のストレス発散の刷毛口と他者の重い荷物の背負い役としてしか、存在しなかった。
<1971> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 13時24分47秒
包丁持ちながら、ずっとこのうちで誰か刺すかもしれない不安私が自分に抱えていたなと思った、今持ったら、思い出したよ。私が実習で生徒全員の前で怒なられ続けているとき、私は自分の怒り感じないよう人形のようになっていたこと。父が躁になって父のなだめ役している頃姉には反抗期らしく私に当たり散らしていた、10歳から15歳まで、私は学校での同級生のいじめに人形になっていた。どこまでも無限大に私は許容し続けられるよ、って他者のストレスの刷毛口のためる量をゴミ箱に見立て、どこまでも私なんかにはきまくってよいよってしていた。私はどこまでも我慢できる人だからって自分でしていた。私は離人症のようになった。実習の時もどうせ学校なんかそんな場所って思い続け、やっぱりなって先生のあの人の怒りで私は私という人格超えて上で見ていた、教室を私自身が立ち尽くしているのを。私は思えばずっと自分の人格から離れてあの意味分からないけど、おまえのせいだと突き進んでくる子供たちの怒り不満さげすみを、上から見て傷つくのを防いだ時があった気がする。
<1970> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 12時19分26秒
 人をいじめたいな。人をばかにして、私のように心殺したいな。心麻痺させて、力奪って、その人は努力しても暖簾に腕押しのように、世間は「ばかじゃん?」って冷笑する世界になるように貶めてやりたいな。
 子供見ると、常に不機嫌になって、「お前のせいで死ぬ」とか言って、そいつの罪悪感を思いっきり増やさせたいな。私、人をいじめて、心を殺してやりたいな。私、人をいじめぬいて、その人を独りにさせたいな。恥辱感を感じさせてやりたいな。私のされてきた、この世は意味不明で自分の歯車は世界とはかみ合わない、場違いな世界に生まれてきたんだって私のあのときの孤独誰かに分かって欲しい!!!!!!!
<1969> ぺあ(FB注意です!) ■2007年10月04日 木曜日 12時12分14秒
 それだけじゃない、母の姉の心の傷は一生消えないだろう、彼女たちは、父の書斎で父の姿見たんだから。母はあんなに震えたのはじめてって言った。そう、母の様子が目に浮かぶようだ。姉のもともとの不機嫌さ、具合悪くて騒いでいて、現に不安障害もちなのに、もっと傷ついたろうな。母ももともとうつ病に更年期からわずらっていたから、もっとひどくなったろうな。私は、今のところ、あるかもないかも、でも一応元気でいるのも、私が彼らを背負わないといけない、宿命なんじゃないだろうか・・・・背骨折れるくらい、祖母をテレビの前で一日中動かない祖母へ「生きる喜び」を見出させてあげるのが、私のやるべきことなんじゃないか?
 息子なくしたかわいそうな祖母のため。もっとかわいそうなのは、姉と母。悲惨。彼らが自殺したら私一生罪背負って生きてかないと、異常な家を背負って生きないといけないんじゃないだろうか?
 もうお母さんの悲しみをぬぐうことはできない。姉の刻印された父の最期の姿も。紐で首を絞めた。血が一杯でていた、私には想像しかすることできないその姿。でも父の顔は何か、父だなって思える顔だった。絶対に人のアドバイスは聞かない、優しいけど、人に見下すなら何でもしでかすような、私には正論でしか応えない、父だ、そう私はどこかで感じた。彼は変わらない、本音見せろってどんなにか迫ったけど、これがあなたの姿だったんだって思えた、顔していたな。
<1968> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 12時05分24秒
人の心配役、お世話役私はやめられないだろうな。この家族に居る限り。
 そして二度と変わらない、父が自死して、もうこの世にはいないことも。
<1967> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 12時03分04秒
多分私は姉にも母にも罪悪感、お世話死んでも看ないと、姉たち夫婦の幸せを絶対にさせないとという思いと、今までのあの馬鹿にし続けたことへの憤りと、今になって急に「OOOすご〜い。見直したよ。」とか言って、ブランドもののお菓子くれたり、押し付けが多いんだけど、就職活動アドバイス本とかくれたり(これは前にくれていたものだった)、色々してくれていて、とてもじゃないけど、過去の私に当り続けた日々についての言及なんてできない。しかも、姉は不安障害と、父の自死を見て、全部手配したのも姉のようだから。それがあの人への心理的影響に心配で、何も言えないどころか、悪いって思っては、具合悪いって言い続けるあの人の心配役がとめられない。(もともとすごいあの人が中学の時から具合悪いといい続けていてから尚更心配)

 姉に「あんたがいるから安心して私もこっちで生活できるんだよ」とか言われると、嫌な感じがする。メールでは言葉のときと打って変わって優しい言葉連発するし、私の用事すべて把握しては「今日はお疲れ」とか言うから、悪い人ではないのは分かる。でも私は多分ものすごい傷ついたんだと思う、姉の言葉に。姉は意識していないけど。姉の私への「お前は世間知らずだからな」何でも私のほうが世間知っているし認められているから、私の意見はみたいな言い方して、私に「ああしろ、こうしろ」暗にも意識的にも言わないで欲しい。
 私に常に彼女は「ば〜かば〜か」といい、「お前ばかじゃねえの?」「自意識過剰!!」「お前のやることなんかどうでたいしたことじゃないでしょ!」「あんたって弱いね〜、世間じゃやってけねえよ」「免疫つけろよ。つけさせてあげている。こんなことで傷ついていたら世間じゃやっていけない」「弱い弱い、何で〜?何でそんなこと人に言われるの?私はそんなこと言われないタイプだから〜」「いわれやす〜い」「私は女から見たら美人にあんま見えなくても、男から見たらすごい美人に見える、タイプ」「私もてるし〜」「お前は男から大切にされてことないだろ」だって。

<1966> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 11時52分04秒
姉が許せない。母も許せない。祖母もむかがつく。嫌い。いい加減、「あなたがいて助かる〜。今日どこに行ってたの?今日もでかけたの!!」なんて私を待たないで欲しい。
<1965> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 08時24分01秒
私は未だに母の一挙一動や、大きな音を出すことが怖い、心がぎくぎくする。母は純粋で優しいらしい。でも私にしたら依存心強い、相手を人間とも思わない、自己中心的な人だ。父のことでよく分かった。祖母の躁鬱遺伝引き継いだから祖母を恨みはじめた。しかし、もう恨んでないよとか言い出した。姉にはあんたは恋人とるんるんだったくせにと当たり散らし、もう新居に帰れよとわめき。姉と母の仲を怯え、やっぱり私ってずるいと思いながら、取り持つ。母は父のお葬式に来てくれた会社の人でさえ、お礼のはがきを姉に作らせ、要らない人はそのはがきを投げ捨て、「この人も同じくち〜薬飲んでま〜す」とかけたけた笑いながらはがきを床に投げていた。全く事務処理ができず、私は姉の上いかないように注意はらいながら、姉と協力しすべて終わらせた。姉には自分の能力出せない、自分より上いってほしくなく押さえつけたいみたいだから。本音は言えない、本当の能力は彼女には見せられない。異常に私は彼女たちの上いかぬようおかしくなりそうになりながら、私自身を殺し押さえてあくまでも彼女たちから許された範囲の私として振る舞った。
<1964> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 08時11分50秒
思えば私は自分のやりたいことは、他者を傷つけると思っていた。彼氏をつくる、好きな人とすてきな時間過ごす、相手に嫌だと言う、婚約者がいるなら別れてよと言う。強く私がなれば、私を下に見て、安心しバカにし私を笑いからかっている姉と母を裏切る、彼女たちはかわいそうだから、私はいつまでも弱く自分では選べず、人に大切にされなければ、彼女たちは安心し私という存在だけはあの人たちの下でいられる。かわいそうで、人間社会のストレスでイライラしている姉と母には女としても彼女たちの評価あげる為に下でいなきゃいけなかった。私の思うこと言いたいことは、相手に対してあまりにも正解すぎて相手を殺してしまうと怯えていた。もしかしたら、全く真実向き合わない母、いつも当たり散らす姉、躁鬱病でいつも自分を責めて大企業で出世競争の中にいてそれでも私の言うこと聞いてくれ旅行につれていってくれた父の中にいて、真実みないことに重き置いていたけど、私はおかしい、でも私は正しすぎるから誰かを真実でつぶすとおそれていたんじゃないか。
<1963> ぺあ(FB注意) ■2007年10月04日 木曜日 00時19分45秒
実習先で私に興味持ってくれた子が、私に部活の練習見に来てと言ってくれた、しかしその練習に最後までいないといけないと思いこみ、担当のおまえはおかしい世間知らず(子供時代に染み込んだ自信のなさが学校で再び怒鳴られ傷つけられたことで自信喪失した)みたいに言ってくれたおかげで、私は冷や汗流しながらご飯食べたいの我慢してじっと耐えた。誘ってくれた子にすごい怒り感じた、おめえがこいって決めたんだろうよ?なんで言われたこと守ってるのにいつもいつも耐えて苦しむの?こどもってかわいそうだね、怒りが殺しそうな思いに変わったもん。必死で押さえて笑っていたけど、彼女怖かったろうな。あんたこいって言ったから練習つきあったけど、最後までなんでいないといけないのよ!許さないよ。命令して背けないようにして、また私に我慢させまくって。このばかてめえのせいだ全部って言えばすっきりしただろうな。私は人の言ったことをすべて正しいと受け取りその通りに実行しないと彼女が傷つくと忠誠誓うために実行する。ここから変えないとな。それから怒りってぶつけたらすっきりすると思う、でもぶつけずかろうじて押さえた私はえらい。でも代替行為してあげないと自分にさえ禁止していると、自傷か他傷まで気持ちが爆発しちゃう気がする。私はえらいけどがんばりすぎたね、そして自分の頭で考えて生きられる場所でもっとのびのびと生きようよ。怒りを言葉で相手に伝えるのも少しだけやっていこうよ
<1962> ぺあ(FB注意) ■2007年10月03日 水曜日 22時18分23秒
私は、人から、からかわれ、反応がウケるからと皆でされてきたこと沢山あり、一度そうやって皆のレッテル貼られると、へなへなと心の力が萎える。ゆらゆら他者のされるがままになる。男女関係もそうだった。私の一斉にからかわれ、汚くなっているのを、母と姉は大喜びで見ていた。私は弱いと喜んで見ていた、自分より下がいるのがほんとにうれしそうだった。私の怒りは正当。だから子供を見れば弱いもの見れば傷つけたくなる、されてきたこと今度は味あわせてやりたくなる。あの孤独、混乱、わけのわからない世界に異常なのは私と言われ、歯車が全くかみ合わなかった20年間の私の人生、ただ人のストレスの刷毛口でありつづけた子供時代。大学になって、ほかに婚約者がいるけど好きになった、この気持ちなんで分からないの?という男にも、世間ってこういうものなのかと世間知らずの私は受け入れた。私の疑問はおかしくて細かくて他者とは通じあわないとずーとずっとずーと思わされてきた。私の感じている思いなんか、つぶされ笑われ意味不明と言われ、どうせ反抗期だとか決めつけられた。 父が自死して良かった。やっと世界がつかめたもん。うちの姉が自死姿見て良かったジャン?いつもつんつんしやがってよ、おまえの今までの報いじゃねえのこのくず女!
<1961> ぺあ ■2007年10月03日 水曜日 21時59分23秒
毒になる親読みながら、解毒化していきたい。私は、姉もまた私をからかい遊び、また私を世間知らずとあげつらい、あいつの沢山の助言を押しつけられてきた。母も父も姉の言うことは正しいから聞きなさいという感じだった。大学行くなら教職くらい取らないと意味ないよね〜。あんたは自意識過剰!ぶす。おまえの話なんか聞きたくねぇよ、耳腐る!ばかじゃん!おまえこんくらいで傷ついていたら社会でやってけないよ、そんくらいで。私が免疫つけてやってる。医療事務なんて資格誰でもとれる、まじ大したこと無いよね。女優見ればぶすぶす言うし、近所の人にも仕事すぐにやめて子育てしていると、腰掛けジャン!親の会社手伝っている近所の人には、パラサイト!否定的で自分は上からえらそうな言葉ばっかり。おまえ何様だよ?小さい頃はまあ親に比較され続け、私は弱い、姉は気が強いいじめられない良い子として、さんざんからかわれバカにされた。友人から私ばかにされていても姉も母も面白がって見ていて、たまに食卓の話題になったりする。私は気の弱い子というレッテルをはがそうといろんな試みをしてきた。わざと実習の担当に反抗的になったり。姉はえらそうに自分の言うことは絶対正しいと押しつけ、その通りやって失敗すると、何やってんの?ばか?と言う。今は押しつけに感じるくらいうざいお節介一杯やってくる、だから何も言えない。でもあいつが中学の時から体のどこが痛い、頭かち割れそう、胃が穴あきそう散々不調訴えられてきた。心配で彼女を守ろうとしたこと、体の本を渡したり、彼女の新婚生活で家事の負担増えないように、一杯スープ渡したり一杯した。あのこの苦しみ解放してやりたくてカウンセラーになった。でも彼女が私にした言葉の暴力はすさまじかった。忘れない。怒りは怒るべき人に向けてそして自分のために流したい。

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This script written by Shintaro Wakayama.