Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.96
メッセージ数:1920件

<1920> HO ■2007年09月21日 金曜日 04時51分49秒
流れを失った水は澱み、腐る。
心も同じだ。
欲望、野望、目的、期待。
何か行き着く先がないと心はあっという間に腐っていく。

今の僕はそんな感じ。今の僕には何も無いから。
何もいらない、なりたいものもない、憧れもないし期待などもつようにできていない。

何も無いことが原因なんだろうか。何も持てない心が原因なんだろうか。
<1919> halu ■2007年09月20日 木曜日 00時17分55秒
今回、周りにほとんど相談せず、仕事を辞めた。
彼氏には、予定より早く別れを切り出した・・・
仕事が出来ない=彼氏とは付き合えない・・・
それは、今付き合ってる彼氏だから、特にその考えに執着した。
でも、彼氏は相談してくれないのは寂しいやん・・・
裏切らない?(共依存??)って言ってくれた。
人生やり直しはきくって・・・とも・・・
彼氏は一年前、投資をして数百万の詐欺にあった・・・
そんな経験もあってか言ってくれてるのか・・・
彼氏は私が止めたのに、内緒で投資してたのだ・・・
お互いお互いに相談できてないね・・・
お互いお互いにいい格好したかったのかな・・・
男の子からは言い出しにくいから、私から一杯相談していこう・・・
せっかくそうやって相談してやって言ってくれる人がいるんだから・・・
彼も共依存?!かな・・・
別れる別れない・・・白黒すぐに答えを求めずに・・・
付き合いも、ぼちぼちと・・・続いていくのも良いかも・・・
とりあえず・・・仕事して、歯列矯正して・・・
落ち着いたら、彼氏とのこの先の付き合いを考えていきたい。
今は、少しユルユルな感じでもう少し・・・このままで・・・
<1918> ぺあ ■2007年09月18日 火曜日 11時53分31秒
 人って、その時の運あるんだろうな〜。学校時代、私何やっても、裏目に出ていたもの。何やっても、どうあがいても、皆からからかわれ、馬鹿にされる役は、とめられない。やまない。人からの非難もやまない。
 何やってもうまくいかない。そういう小学校時代だった。中学校も同じく。
 すっかり気落ちした。

 運だった。タイミングだった。他者だった。私の運と縁とタイミングだった。悲しくて、でもうまくいかない様をじっと見ているしかなかった。
 人って誰でもあるんだね。
 でも、大切な人もできた、大好きな友人もできた。こうなりたいと思える人にも出会えた。まだからかわれやすいけど、それでも、自分を大切にもできる。
 不幸なものに巻き込まれやすいけど、それでも、もう大切なものは見失わないよ。
<1917> ぺあ(FB注意) ■2007年09月18日 火曜日 11時48分30秒
不幸そうな人、見ると・・・不安でたまらない。怖いくらい。幸せになってはいけないんだ、そう思う。
 私の友人で、すっごく明るくて、いつも自分に正直な子がいる。かわいくて、女らしくて、でもかっこよくて、自分の要求にストレート。
 好きな男の子には、すぐに駆け寄るし。
 24で知り合ったんだけど、ほんと、天然の無邪気。その子のキラキラした姿や、普通に幸せになっている姿見たり、皆から愛されている姿見ると、「幸せになってもいいんだ」って初めて勇気をくれた。
 幸せそうな子がいい。好きな人、彼女いてもとってしまうくらい、自分にまっすぐな子は、見ていて勇気が出る。
 自分を押さえつけている子は、こっちも辛い。いい子でも、辛い。いいんだけど、でも生きているんだもん、今輝かなければ、いつ輝くの?誰のせいにもできない。父のこともね。誰にも分かってもらえなかったこと。
 でも、だから、私はあの子のようになりたい!好きな人に好きって言ってもらって、男性と付き合ったり、色々優しい言葉かけてもらったり、楽しいことた〜くさんして、大好きな英語勉強して、哲学とかも読んで、生きる。
 あの子は、私にとってはほんとにお手本。こうなりたいと思える人。ああ、幸せになってもずるくないんだ、幸せになってもいいのねって勇気くれた人。
 今でも、私は不幸な人見ると、自分に一緒にそうなりたい!って自分殺しまくるし、不幸にとびこみたくなる。
 でも、輝いている子見ると、ただ勇気くれる。
 マンデラ大統領も言っていた「周囲に遠慮するのはむしろ良くない。自分の持っている能力を十分に発揮し、輝き、幸せでいることは、他者に勇気を与えるのだ」と。エンパワメント。人を有力化すること。デパワメント=無力化の反対。
 そういう人に会いたい。私も幸せになってもいいって思いたい。誰かの輝いている姿たくさん出会いたい。もっともっと、幸せな人が増えて欲しい。
 そして、不幸な人を、不幸の背比べのないようにしないと。
 不幸比べなんて意味のないことはしない。その人に辛さに寄り添う・・・そしたらきっと少しは人は救われるんではないかな。
 私は、私のペースで生きよう・・・そう心から思った。
 私のペースで、寄り道しながら、楽しく、面白く、行きたいんだ。それだけ。
<1916> みゅー ■2007年09月17日 月曜日 18時56分50秒
最近、かわいいものが大好き。おもちゃみたいなものや、キャラものや、今までだったら避けてたような色のものが大好き。なんかバッグの中が少しずつ明るい色の物が増えてきて、ちょっとうれしい。
お母さんの、おさがりのケータイもね、アンテナが出てるけど虫っぽくて、かわいい。スマートじゃないかもだけど、お母さんが正規契約した新しいケータイはいろいろ機能がついてて薄くてスマートなのに「もう、あたしのもの」になったケータイより重い。
はっきり言ってウォーキートーキー的な、あたしのケータイはEメールは、できないけど、カメラ機能にカレンダー、メモも付いてるし、留守電も3件まで入る「電話を携帯してる」ってことでは充分おりこうさんだと思う。お母さんのより軽いし。したら、他のってもっと重いのかな?
色もね、すごくおもちゃっぽくてかわいい。それに好きなキャラのストラップつけてる。これもヴィヴィッドでケータイとは全然違う色だけど、最近このストラップの色が好き。ピンクなんて今までさけてたのにね。かわいいんだ。
ケータイの色とはケンカしちゃうかも。でも、それがまた、かわいい。

やっぱり今「アホか?このヒト?!」って思われても、かわいいものはかわいいんだもん。今、かわいいものが好きなんだもん。今、かわいいものに素直な気持ちになってるんだもん。こういう気持ち隠してたら、もったいないもん。昔は、そんな事思わなかったんだもん。ガキのくせに「ガキっぽい」って思ってたんだもん。どうして、そんな気持ちになってたのか、分かってるようで・・・。でも、だから、かわいいものは、かわいいんだもん。
今のあたしは、かわいいものがあると、うれしいし、しあわせなんだもん。
<1915> ぺあ(FB注意) ■2007年09月16日 日曜日 12時19分40秒
 私と同じような人って、いるのだろうか?
 家族が精神疾患あって、それを隠し、隠し、ここまできて・・・子供ながらに、「変な空気」感じながら、それが分からずに、不満そうで、寂しそうな親や兄弟に、罪悪感を感じ、何とかしようと生きてきた。
 学校では、その共依存を利用され、いじめの対象にされまくってきた。
 ストレスのはけ口にされてきた。

 そして、そのことについてすべて、自分の性格が起したことだと、思ってきた。自分のせいだと思い込んできた。
 それでも、分からずに、色々家族に言おうとして、本を読んで、勉強もして・・・。
 そして24の時に、家族に自死されて、やっと、すべてを知った。

 私と同じような子っているのかな?
 でも、何も知らない子供時代にいきなり、親に自死されるのも辛いだろうな・・・。
 罪悪感の塊になってしまうだろうな・・・・。
 分からないよね。
 私は、父のこと見ていたし、父なら、仕事人間だから・・・仕事でうまくいかなければ、自分を責めまくるだろう・・・って分かるし。父らしいとも思える分、少し楽なんだよね。お父さんらしいな、ほんと。そう思える。楽しい思い出もあるし、泣きたかったことも沢山あるけども、でも、子供の頃はとても仲良しだった。
 幸せって、分からないけど・・・でも、色んなこと楽しいことも覚えているし、父とは話しの相性もあったし、よくいろいろ議論していた。
 精神疾患が、分からない分・・・悲しい思い思いっきりしたし、学校では、ものすごいばかにされ、からかわれる常連だったし、大切にされたこともあまりなかったけども、それでも、そればかりじゃない。いいこともあったよ。
 不幸な面ばかりいうのはやめよう。
 不幸競争もやめよう。
 誰かの同情ひくのもやめよう。
 これから私には何があるんだろう。
 もう、誰かの不幸願うのもやめよう。
 人は人。どうでもいい。それくらい距離はなして、生きるのが一番だと思う。
 自分は、まずは自分しか大切にできない。
 それでいいよ。
 自分。そこから始めようね。
<1914> ぺあ ■2007年09月16日 日曜日 12時10分17秒
 今なら、分かる。いじめた子の思い。分かる必要ないかもしれないけど、私も、ある子をいじめたくなるから。ひどいよね。
 いじめられた話しばかり書いてきたけど、私だって、楽しい思いしながらいじめたことあるんだ。
 その子には、「あなたは優しい」と頼りにされたけど。
 もっと、周囲の評判に振り回されず、仲良くすればよかった・・・。
 だから、あの子達の方が、よっぽど勇気あった。助けてくれたのに、何もしてあげられなかった私だ。もう誰かを救うために頑張らなくていい。その代わり、誰かをいじめたくなったら、それは自分が過去十分に傷ついたから・・・また傷ついて動けない、輝けなくなっているからなんだ・・・。怖いからなんだ。世界が信じられないからなんだ。もし、そういじめたくなったら・・・率直に言ってみよう「あなたをいじめたい思いがあります」と。直接じゃなくても、自分の中だけでも、言ってみよう。誰かに相談してみよう。
 本当に助けが欲しいのは、私の怯える思いや、周囲への怒り、今までの傷ついてきた連続の人生だから。
<1913> halu ■2007年09月15日 土曜日 21時25分35秒
今日、矯正歯科に行って相談してきた。
出っ歯をついになおそうと・・・
小学生の頃に一度、矯正したけど、ビビリの私は歯が抜けず・・・
抜かずに矯正したら、出っ歯のまんま・・・
発音しにくいし、物が噛み切れないし、肩こり頭痛がある・・・
見た目も出っ歯で・・・しばらく結婚する予定もないし、
次に働き始めたら矯正しよう!!
なんかそうやって、ネットとかで矯正のこと調べたら楽しくなってきた!
矯正して出っ歯じゃなくなった自分を想像したら楽しくなってきた!
あと、鼻が低いのと、一重・・・鼻高くして、二重にして・・・
プチ整形しちゃう!?(たぶんしないけど)って気持ちになってきた!
見た目コンプレックスは、こんな風に解決していこう!って
こうゆうふうにしていくこと、もっと早くに気づいたら良かった・・・
今は普通の同い年よりは貯金少ないけど、少しの貯金で矯正する!
働くまではお金ないし、生活大変だからこうゆう風に解決できること、
考え付かなかったのかもね・・・
これから、結婚して、子どもが出来たら、
矯正・・・抜歯しなきゃいけないときは、心を鬼にして子どもに抜歯させて
きれいな歯並びを作ってあげたい。
私は今回の決心で、少し自信がつきそうやもん!!
<1912> ぺあ ■2007年09月14日 金曜日 20時48分42秒
私はまだ怒っている。まだまだ怒っている。それでも、私はまだ26だし、まだ人生年齢重ねて、学歴もなく、恋人もいなくて、仕事も無い人よりも勝っている〜と思う自分もいる。
 私は未だに普通路線に戻りたいの。だから、焦っている。心は何考えていようと、頭の正解を大切にし、世間一般コースに戻りたい。就職して、そこそこで結婚して、子育てして・・・精神的な病を持った人になりたくない、保護貰っている人になりたくない、そういうパワーゲーム降りられない。
 だから、焦っている。だから、心をまた無視している。
 だって、まだ26だと仕事あるし、人事の人に「今まで何やっていたの?」とか眉ひそめられないし・・・・周りから「あの人落っこちたよ」とか言われないし・・・・
 パワーゲーム。
 私の素直な思い書いたら、失礼だと思われる人いらっしゃるよね。私こそ差別しているんだろうな。分からないの。私はまだセーフ。精神病にかからなかったもん!そう自分は思っているところあるんだ。ばかだね。精神病になったほうが楽なこともあるのに。これも嫌な言い方だろうな。
 パワーゲーム降りないから、いつまでも普通路線で今だに評価ばかり気にするから・・・・私。
<1911> ai ■2007年09月14日 金曜日 17時24分53秒
罪悪感。これが私を1番苦しめているもの。自分がしてしまった愚かなことを思い出すと、胸が締め付けられる。嘘をついてしまったこと、人を利用してしまったこと、陰口を言ってしまったこと…素直に謝ったことなんてなかった。そんなことをする自分を認められなかったから。罪悪感は積もり積もって、ことある度に私を苦しめる。もう罪悪感を感じるようなことはしない。自分のために。
<1910> ai ■2007年09月14日 金曜日 17時22分08秒
「ありのままでいい」なんてどうしても思わなかった。幼稚園の頃、私はまだありのままだった。恥ずかしがりやで、人見知りがはげしく、無口でおとなしい子だった。そんな私の態度を母はよく怒った。イライラしてた。褒められることもなかったし、友達も少なかった。だから褒められる度に私は変わっていった。褒められるような行動をし、性格さえも変えていった。元の性格とは正反対の私が出来上がった。ある時はピエロのように陽気にし、ある時は優等生、ある時は不良少女。常に無理して自分を演じないといけなくなった。でも、本当は幼い頃の私と根本的な部分は変わってない。ひとりになり肩の力を抜けばあの頃と同じまま。これからはこの私で生きていこう。無理して好かれようとする必要はない。無理して周りに合わす必要もない。これが私。大切にしよう。
<1909> かえる ■2007年09月14日 金曜日 00時04分46秒
〈病人〉と〈健康体の人〉の境目ってどうやって決めるんだろう?果たして自分自身に〈完治〉は訪れるのか?          誰しも。ちょっとした事でもこころのバランスを崩す危険性を秘めてる。〈弱い人間〉がこころを病むわけじゃないと思うし、完全に〈強い人間〉なんていないよ。確かに〈強そうに見える人〉はいるけど、その内面まではわからない。以前の私は〈強がっていただけの見せかけの姿〉だと思う。誰に対してもこころが許せなかったし、相手を心底信頼できなかった。不信感ばかりがつのり自分の殻に閉じこもった。私を傷つけ苦しめているまわりの人間との関係をたって自分一人になれば、悩みは消え問題は解決すると思っていた。〈閉じこもって見て見ぬふり〉を決め込もうとしていた。かさぶたを引っ掻いてでも自らの傷口を直視しなきゃ駄目なんだよ。荒療治じゃなく。自分の傷を癒せるのは自分自身しかいないから、人任せで〈まわりに何とかしてもらおう〉とか痛いのに痛くないふりをして〈泣いている自分〉から目を背けるのはいけない。問題をすり替えて〈ありのままの自分〉から逃げてることだと思うから。   痛い思いはイヤだし、できることなら問題を先延ばしにして素知らぬふりで生活したい。でも。やっと私は自分の問題をくもりなく見れるようになれた気がする。〈傷つくことを恐がって閉じこもっちゃ駄目だよ〉〈人は一人じゃ生きてはいけない〉今はこころからそう思う。しんどいのは変わんないけど、紛れもなく自分の足で立ってる感触がする。
<1908> かえる ■2007年09月13日 木曜日 16時52分33秒
頑張りが空回りする。頑張っても頑張ってもその方向性は違うんじゃないか?と疑心暗鬼になる。いつの間にか孤立してまわりと自分のあいだに壁ができてる。気のせいと思いたいけど…気のせいじゃない。少しずつ隙間が空いてきて徐々に広がっていく。何でだろ?わかんないよ…わかんないけど…この違和感をどうにかしたい。まだ間に合うよね?このまま人間不信になったりしないよね?自分の中でうまく消化できない不安。自分は未熟で突っ走りすぎるとまわりが目に入らなくなる。                   今週無理してでも時間さいて外来へ行くべきだった…先生に会いたい。会いたいよ。気休めでも何でも私にとっては救いの手なんだ。診察室で話して〈大丈夫。大丈夫。〉って言ってもらうと私はそれだけで明日もちゃんと立って歩いていける力をもらえる。心の安定剤なんだよ。…会いたい。
<1907> ぺあ ■2007年09月13日 木曜日 13時49分50秒
 大切にされたいな。大切にされたい。今の私を。そのまんまの私をそれを受け止めて欲しい。父が自死したことも結婚相手には受入れて欲しい。私がいじめられていたことも。
 私そのものを大切にしてほしい。それでもお互い尊重しあって、もたれあいじゃなくて、軽く手をつないで生きて行けたら・・・そんな人に会いたい。
<1906> ぺあ(FB注意) ■2007年09月13日 木曜日 13時47分23秒
 心を殺す方法は、自分の嫌なことをいつも思い浮かべること。全部自分のせいにすること。人の心を殺す方法だって分かる。そいつの痛いとこをたくさんつくこと。そいつの好きなものを「ば〜かじゃん」「そんなの好きなのは精神病のはじまりだ」とか、こき下ろすこと。そいつにいい顔しながら不幸になるように徐々に追い詰めていくこと。
 これって私がされてきたことなのよ。無意識か意識的か知らないけど。Nさんに、姉に、母に父に、小学校3,4年のクラスの女子に。Yさんに。Hさんに。H君に。比較されて。耳に虫なんか入れられて笑われて。皆に抑えつけられてくすぐられて。頭いつもぶたれて。姉にはいつも私に好きなものをばかにされ、世間的に通用しないといわれ、とにかくげらげらあいつの笑いの種だった。いや、他の人にも。そういう役になるんだ私は。
<1905> ぺあ(FB注意) ■2007年09月13日 木曜日 13時39分11秒
 あんなに10歳から12歳の頃の記憶が、鮮明で、いじめのことを事細かに書いているだけで、「こいつ精神障害だ。」とか「世の中にいるべきではない頭おかしいやつ」だと「きちんと生きろよ」「どこまでもしつこい」とか「甘えている」とか、それを見た人に思われそうで、萎縮していく。
 毎日泣いていた。あの頃は、自分の思いそのものを認めたことはなかったし、他者からの暴力受けているだけで自己イメージが下がり、自分責めに走っていた。トイレで誰にも気がつかれないように、泣く技術だけは身につけたわ。声を出さないで泣くこと。母や父が私がトイレ出るの遅いと気が付かれないくらいの時間で済ます。顔は元に戻す。顔を洗って戻す。親や姉がいない日はハッピーだった。思う存分泣けるから。
 今でも、私は私を責めている。あの子の母親がお兄さんが死んだのは、私がいじめられていると叫べば、あの子のその後のほかの人いじめも食い止められて、(その子の寂しさ不満誰かが抱きしめられて、その子を立ち直らせるようにして)、他者からの恨みでその子のお兄さん死ななくて済んだのにって思っているよ。おかしいでしょ。なぜ私がここまでその私をいじめた女に思うのか分からない。
 自分責めはとめられない。あの子は私の右耳に蟻を入れたんだ。すごいよね。傷ついたを超えた。頭おかしくなりそうだった。何でそんな事されないといけなかったんでしょうか?それなのに、何もないふりして、忘れたふりして生きてきた。心はまだ11歳だったからね、怯えきって、誰かに泣きつきたかったけど・・・誰もいなかった。過呼吸や、強迫神経症、めまい、まっすぐ歩けなくなること・・・・に出てきたけど、それさえ言えなかった。あの子にいじめられていることを知られるから。心がばあばあ言ってしまうから。言えたら、良かったのかな?言えたら、少なくとも私はこんなに引きずることもなかった。言えたら、父は自死なんかしなかった。私は強くなって、父を助けてあげられた。言えたら、もっと家族仲良しだった。言えたら、こんなにうらまないですんだ。言えたら、誰か人生上手くいっている子と友達になれたり、もっと視野広げられるくらい、色んな人と交流できて、父の躁鬱も見抜けた、父を救ってあげられた。あの子のいじめもその後のいじめも食い止められた。そうしたら、その子のお兄さんもお母さんも死なないですんだかもしれない。
 私が何とかできたのに。何もできなかった。父の自死を食い止められなかった。気がついていたのに。いじめられて、なおかつこれかよ・・・。子ども時代、楽しいことなんかこの場所に来てからなかった。心の底から安心して誰かと仲良しでいれて、楽しいことできて成長できてことなんてなかった。
 父のこともちょうどいじめられている頃は、重なるの。彼が躁状態になって、母を見下し、意地の悪いからかいをとめずに、私にもたれかかっていた時期。そして、姉には彼女が中学生、高校生で、ものすごく当られていたこと。すべて私を瓦解するくらいのものたちだった。
 だから忘れられず、どうしたらいいのか分からず意識飛ばして、周りに合わせて生きてきた。
 姉には「ぶす!」「お前のいう事聞くと耳腐る」「自意識過剰!!」「弱い」「人の欠点ばっかりいう!いっつもそうじゃん!!」「馬鹿!」「ば〜か」(これは毎日)。それ以外にもひどいこといわれ、いつも彼女のストレスの持って行き場にされた。彼女がうまくいかないと、私に当る。私を徹底的にばかにする。
 姉が許せないのは当然だよ。姉がその後何を私のためにやってくれようと、旅行先でブランドバック買ってくれようが・・・恩義に感じることないよ。
 母にも「何で、あんたはお姉ちゃんを悪く言うのか」とかいわれるし、「あの子は頑張りやだ」とかいうけど、
 学校でのいじめ、共依存相手の子の家庭環境までその子のすべてを心配し、家庭での(見ない振りしかうちはしなかったけど)不和、姉の当られ役。
 10〜13歳くらいの私の背骨を打ち砕いたと思う。
 それから意識飛ばして生きてきた。周りにあわせ・・・ただ「うまくいっているある程度普通の子」を演じて生きてきた。22歳あたりまでね。
 24歳で父に自死された。
 そうしてやっと私は意味の分からなかったことが分かった。私の共依存になった心理過程の原因も。父のことも。このうちで感じていた私の感覚。他者に対する感覚のこと。父は躁うつ病だった。そうだったんだ。そして自死した。
 父には触れられたくなかったことだった、多分死んでも。劣った存在だと父は思っていたんだ。そんな風に育てた覚えは無いと祖父に言われていたんだ。うちの祖母も叔父さんも躁うつ病。父の家庭はこういう家庭なの。問題なければOK.世間に認められて、お父様(祖父)の誇りになりなさい。世間様の言うとおり。世間の鼻をあかしてやれ(祖父は貰われっこで育てられたから、戸籍に瑕があると辛酸をなめてきたらしい)。こういう家族。頑張れ!あきらめるな!お前の努力が足らん!努力、忍耐だけが勝っていればいい。こういう教えがまかり通っている場所。学歴で兄弟を比較して楽しむ祖父。そんな祖父を嫌った伯父さん。学歴、大企業=幸せな人生。他者からどう見えるか?それだけ。
 私は父を見ていて、大人になったら・・・辛いことを我慢して生きるのだけが人生なんだなと思っていた。だから、いきたくない場所にも心を殺して行った。
<1904> ai ■2007年09月13日 木曜日 07時34分36秒
私は生き方が間違っていた。幼い頃から精神的に何も成長していない。親に愛されていないことに気付いていた。恥ずかしがりやでもじもじした私はよく怒られた。それに比べ、自由奔放で運動神経もいい弟は褒められいた。「私はかわいくないんだ。弟の方が好きなんだ。」って思ってた。そんな私が、テストでいい点を取った時、初めて褒められた。音楽会でピアノを弾いた時もお母さんの機嫌は良かった。「これだ!」と思った。それから私は「褒められること、目立つこと」を基準に生きるようになった。恥ずかしがりやの性格を無視し、積極的に人前に出るようになった。毎年学級委員をやり、音楽会ではピアノを弾く。特別な存在でいたかったから、みんながyesと言えばnoと言った。天邪鬼だった。本来の性格はなくなり、全くの別人になっていった。そんな自分に気付いたのは中学生になってから。自分を演じてることに気付き、何のために生きてるんだろうって思うようになった。精神的に不安定になり、何もかも終わってしまった。でも、私は愛されるために何度も元に戻ろうとした。高校は進学校に合格した。でも、それ以上は無理だった。元々勉強が嫌いで苦手な私がやっていけるはずがない。ずっと続けていた競技も、本当は好きではないことに気が付いた。評価されることが嬉しくてやっていただけ。私には何もなくなった。趣味も特技もない。自分の性格さえ分からない。好きなことややりたいことなんて分かるはずがない。自己紹介ができない。そんな私が進路を決められるはずがない。私が今やらないといけないのは自分を最初から育てること。本来の性格で、本当に自分がやりたいことをやり、本当に好きなものを好きと言うこと。きっと周りには理解されないだろう。大人になって何を言うんだって思うに違いない。でも、私には分かってる。このままだと親のようになる。やりたいことをやり、好きなことをを見つけながら生活するにはお金が必要。その為にフリーターになるなら私はいいと思う。私の人生、責任を取るのは私だから。
<1903> かえる ■2007年09月13日 木曜日 01時03分22秒
病院でできた友達が段々離れていく。すごく淋しいと思う。入退院を何度も繰り返していたり、施設に行ってしまったり、働けないで障害者年金で暮らしていたり。統合の友達もうつの友達も今の私と共有できる部分が少なくなってきて、話題が合わず会話が続かない。私は今だって人間関係や将来のこと、職場の不満、新しい事を始めての不安、心に引っ掛かってるし、友達に聞いてもらいたいと思ってる。相手の話も勿論聞いてあげたいと思う。…でもうまくいかない…〈みんなから遅れをとり、社会から取り残される〉という焦りやジレンマを抱えてる友人の話を聞いて、、、私はその場は〈そーだね〉って合わせてたけど、、、〈今のしんどい現実をどう踏ん張って生きて、適度に手を抜いてストレス発散するか?〉の方が今の私には身近な問題なんだ。病院の外来日には先生が必ずといっていいほど〈仕事続いててすごいね〉って誉めてくれるけど。だって私の今の身近な人達にしてみたら〈定職に就いてて当たり前〉なんだもん。いつか自分が我慢の限界までいって、唐突に〈仕事辞めます〉って店長に言ってそうで…先行き不安。私はあっちにふらり。こっちにふらり。不安定に揺れ続けるやじろべえと同じ。だから支えてくれる人が欲しいと思うのか?一時でもお互いに分かち合えたと感じたのは私の一方通行だったのか?時間が流れれば、自分の身近な人達も通り過ぎ、新しい顔触れに様変わりするんだろうか?その都度また新しい人間関係を築いていかなきゃなんないのかな?…果てしなく続く何万ピースものジグソーパズルをしてる様だ…一度崩しては、また新しく違うピースをはめていく。延々とその繰り返し。一体終わりはどこなんだろう?最後にはパズルは完成するのか?完成させるまでの持久力は私には無いかも…行き当たりばったりに生きて。行き当たりばったりに死んでいく。…そういえば…〈目標なんかなくったって生きていけるよ〉って誰かが言ってたっけ。〈目指すものがわからなきゃゴールに辿り着けないじゃん!?〉〈…そもそもゴールとは何処ぞや?〉と私は思う。〈仕事を続けること〉や〈資格取得〉を目標に頑張りゃいいじゃん!…最もなご意見をもう一人の私が言ってる。でも。今の私は友達が離れていくのが悲しくて、新たに仲良くなれる友人つくるのも大変で… 友達に依存してるとは考えたくないし、人付き合いが苦手なのはしょうがない。ただ。人が自分の前から去っていくのを想像すると悲しくなる。
<1902> ぺあ(FB注意) ■2007年09月11日 火曜日 22時11分18秒
 何度も、自分に言ってみた。
私は父の娘です!ママではありません。そんなこと父も分かっていたと思う。
 それでも、私に甘えたり、「お前がうらやましい。青春時代楽しいそうで」と言われた。
 泣きそうになった。
 父が好きだったから、余計悲しかったのかもしれない。
 私は、他者が弱い存在に思える。私(だけに)助けを求めているように、思える。私は頑張ってしまう。この人よりもまだまし、まだ大丈夫なほうって。

 そして、他者の決めつけに簡単に迎合してしまう。そうしないと、相手が倒れてしまうから、壊れてしまうから。

 本当の自分よりも、他者の私へ向けるレッテルの方が大切。だって、その人の期待に応えてあげないといけないから。その人の方が弱いから。その人の方が優しくて、繊細だから。

 私は、私が赤ん坊の頃からあったという、父の躁鬱、彼の強がっているけど、かなりバランス悪い人生の積み重ね方を見ていたんだろうな。
 父は、多分、自分を他者の期待に応えること、世間的に見て立派であることを自分に強いていた。
 大企業での出世競争。父はずっとずっと、人よりも上に立ちたかった。そういう人だった。優しいけど、自分のプライドを傷つけられるくらいなら、誰かを傷つけることできた。
 人は完璧じゃないものね。でも、父は自分の内面をいつも監視し、評価し、他者とはいつも比較。正義を私に言っているつもりみたいだったけど、でも、傷ついたことよくあった。
 私がベランダから「飛び降りてやる!」って言ったら、「早くやれよ。死にたいなら死ね!」って彼は言った。
 ねえ、娘が何できるっていうのだろう?そもそもあんたは、何もやらせてもくれない。「うちがおかしい」そう言いたくて、「何かおかしい」そう言いたくて、手紙書いたよね。自分の子供時代、自分の見えてきたものを素直に書いた。あなたが言う、「恵まれた私、苦労の知らない私」ではない、私の素直な思い、隠してきたいじめのこと。彼は、それを皆の見えるようなとこに置いた。私を就職うまくいかないからおかしいと言った。「あいつがおかしくなった」と。そう言われたら、他者を信じていない私は、そのレッテルを(その人を肯定するために)受入れて、そうじゃない私を持つことに罪悪感感じるのよ!
 もう無理だと思った。この家族はびくともしないと。もう、今まで通りうわべだけで、心底関われば、本音言えば、傷つくだけだと思ったよ。
 だから、父が明らかにおかしいと思っても、口をつぐんだ。何も言わないでおこうと決意した。
 父は、躁鬱だったけど、定年になってやっぱり彼の精神の波が揺れまくって・・・再就職で再び大手に入ったけど、それは躁状態だったんだね。
 朝3時には起きていた。自死する前風邪ひいていた。単身赴任して、めちゃめちゃ忙しくしていた。周りの人は「せっかく定年になったのになぜ?」と思ったらしい。
 父を古くから知っている父の後輩は、母に「また前のようにうつ病になったんですか?」と何か変だと知らせてくれた。でも母は「大丈夫ですよ」と流したらしい。
 私もおかしいと思っていた。でも、もう私自身つかれきっていた。言い訳みたいだけど。それでも、父を止めることできないよ。それくらい、そこには触れるな!!のかたくなさがあり、何か触れようもんなら、殺すくらいの怒りを感じていた。
 罪悪感もあったけど、自分は極悪非道な最低人殺しくらいに思った。だって、父の明らかにおかしい前兆見ていても、「もう知らない!」とそっぽ向いて、笑っていたんだもの。それくらい、父には本音に近づけば、心をずたずたにされることされてきたんだけどね。
 父はもういない。もういない。私は色々なことがよく分かった。いじめたやろうの卑劣さもやっと分かった。父と母の幼稚さも。ばかさも。姉の幼稚さも。でも、しょうがないよね。時代の価値観があって、その中で生きてきたんだもん。
 私は、もう誰かのママ代わりをすることはないだろう。誰かを弱いんだって、脆いと、おっかなびっくりで付き合い、相手の意のままにされ続けることは、もうない。もう父のママ代わりも、末っ子のカウンセラー役、おどけ役ももうやめた。
<1901> みゅー ■2007年09月11日 火曜日 15時43分33秒
先週、病院に行ったとき、今の、お母さんの母親の状況と、それを見てるお母さんを見てて、「あたしって、おばあちゃん、お母さん&あたしと「しっかりしてなきゃいけないモード」が連鎖というか遺伝してるんじゃないか?」
そう思った事を、おばあちゃんがおじいちゃんと結婚するまでの経緯とか、4歳の時にバスで「あたしも気持ち悪い」って言ったのに、おばあちゃんに任せて、兄ちゃんと、お母さんだけバスを降りていった後ろ姿。バスのにおい、お母さん達が降りたときドアが開いたときに寒いけど、外の風が「ひゅっ」って入ってきた感覚。周りは皆コートを着てたのか、バスの中は、もさもさしてた。お母さん達がバスを降りた後の事は無感覚になったきり覚えてない。

お母さんが、おばあちゃんに「お母さん、あたし先にこの子降ろすわ」って言った時の事で、ちょっと思ったんだ。「あのね、お母さんが、おばあちゃんに、そう言った時、今になって思うと、あたしのお母さんは、自分の母親に「見て!私ちゃんとしてるでしょ?いい母親やってるでしょ?」って見せたかったとか認められたかったんじゃないかなって思うんだ。」って先生に言った。

先生は、あたしが話したおばあちゃんの生い立ちや、あの時代にしてはパイオニア精神があった、おばあちゃんの事、今のお母さんが「しっかりしなきゃ!」って、どことなくナチュラルハイで、なんとも形容しがたい感じの事、聞いてて「君の言う、君のおばあさんと、お母さんと君との3世代の連鎖は、まさにあると思うよ。でも、その鎖は君が断ち切らなきゃいけないな」「あたしも、できればペンチかなんかで、バッチン!って切っちゃいたいよ」「あなた自身が、それを切る事で、あなた自身が幸せになったら、自然とあなたの家族も自分達の道を見つけて、幸せになれると思うよ。」「う〜ん」「でも、今日は、それが分かっただけでも、充分大事な事は話せたと思うよ。」

家は「雷鳴ったらPC使用禁止令」だから、外がゴロゴロいってるから消さなきゃなんだけど。使った形跡、履歴の後始末も、しなきゃだし。
でも、おかあさんや、あたしが出かけてる間、ケータイの「Cメール」で、「ご機嫌とりしてるみたいで、やだなぁ。きゅうくつ。」って時と「あ、結構楽しいかも」って思う時がある。
「お母さんと「Cメール」してて楽しい」のか、それもあるかもしれないけど「「Cメール」自体が、ちょっと楽しい」のと両方かも。だって「これがプリペイド携帯じゃなかったら「Eメール」?とか、もし彼氏や友達がいたら、これで楽しめるかもしれないのになぁ・・・」って思ったもん。

「気合だけで仕事できないかなぁ?」「気合があっても、今の低体重じゃ、その前に体力が続かないでしょう。」って先生に言われたしね。納得・・・。
ちょっと、お腹へった。なんか、つまもうかなぁ。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.