Top過去ログ一覧
私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.93
メッセージ数:1860件

<1860> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月03日 月曜日 18時23分30秒
今日はだいぶ調子良いって思ったから、ACの事も話してみた。
でも結局「過去にこだわってもしょうがない」とか「いつまでも親を責めても意味ない」とか言われるだけだった。
そんな事わかってるけど、でも簡単に許せないんだもん。
こんなに辛いのは親のせいだし。

ただ「そうだね」「辛かったね」って言って聞いてほしかっただけだったのに。
感情を引き受けてほしいわけじゃない。ただ同情してほしかったのかもしれない。
ありえないアドバイスなんていらないのに。よけいに惨めで辛くなったよ。
結局そんなふうに突き放されるだけで、優しくしてはもらえないのかな?
いつだって私は甘える事なんて出来ないんだよね。
<1859> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月03日 月曜日 18時13分54秒
また感情をぶちまけてしまった。なんでコントロール出来ないんだろう?
彼氏なりにがんばってるのかもしれないのに。
どうしてもちょっとした事が気になって、どんどん我慢できなくて爆発してしまう。
そうゆう事の繰り返しで後悔して、自己嫌悪する。

自分でも自分の気持ちをどう扱って良いのかわからないよ。
なんだかむしょうにイライラするし。過去の事だって許せないし。
これじゃあ前に進んで行かないよ。
みんなはもう乗り越えて普通に生活してるのに。私だけこんな状態で。
取り残されてるって感じだよ。
<1858> みゅー ■2007年09月03日 月曜日 15時31分44秒
未だに無職でいる、あたしは、やっぱりダメ人間なのかな。「ダメ人間」だよね。「引きこもり」や「強迫性障害」は甘えで気合が足りなくて、自分自身が、がんばってない証拠なのかもしれない。
時々自分に「がんばらなきゃ!」って思う。「引きこもりはTVもPCもお風呂も外出も、しちゃダメ!」自分にそう言い聞かせたこともあるし今も時々そう思う。「遊んじゃダメ!お菓子も食べちゃダメ!母のおさがりのケータイのプリペイド料金は無駄に使っちゃダメ!」毎日そう思う。

最近は落ち込みがすごくて、すぐフトンにもぐる。薬で眠れてもやっぱり、あたしはダメ人間。引きこもりが長引くと外に出るにも緊張する。
周りからは、外に出てるあたしは、もしかしたら「普通」に見えるのかも。でも、はっきりいって、あたしはとろい。頭の中では、あせあせ「早くしなきゃ!」って焦ってても動きがついてかないから、とろくなっちゃう。昔から「周りに迷惑かけちゃいけないから何事も急いでやらなきゃ!」って思うあまり、頭の中だけ焦りまくって行動が、おろおろしてついていかないんだ。
あたしはやっぱりお母さんと同じ道をたどっているんだと思う。
あたしとおかあさんは、どっちもいなきゃやってけないんだと思う。
今日、お母さんが実家の母親の事で出かけていって、昨日はかなり心配してる様子見て、お母さんも母親のことになるとナチュラルハイになる様に「しっかりしてなきゃいけないモード」みたいなのが、遺伝してるのかもって思った。
でも、それを打破できないのはダメ人間のあたし自身の責任なんだ。
昔からクラスの子達から、何かにつけ「変わってる」って言われ続けてきた。
「なんか分からないけど変わってるんだよ。」あたしが「どこが変わってるの?」って聞く度に帰ってくる答えは皆どうしてか同じ。
だから、あたしはなるべく普通に見られるように、普通によそおってきたけど、普通に普通にって努力すればするほど「変わってる」って言われるようになってしまった。

もしあたしにとって普通に見られるように努力することで他人から「ぎくしゃくしてる」って、もし思われてるんだったら「この人ヘン!」って嫌われても自分自身がヘンなまま行動した方が、ダメ人間から卒業できるのかもしれない。そうすれば「初めてあいさつした時から、なんかこの人変わってるなって思ってたんだよね。」なんて言われなくてもすむかもしれない。
とりあえずダメ人間、引きこもり人間は、ちゃんと働くまで何もしちゃいけないのかもしれない。
<1857> ぺあ(FB注意) ■2007年09月03日 月曜日 11時05分24秒
いつか悲しみを抱きとめる日が来ますように祈っていた。ただただ訳の分からない世界をあいてサイズに合わせて生きてきた。いつも人にお前はこうだと決めつけられて、その中のレッテル以外の自分を裏切り者と自分でそいで相手の思う通りの私つくりながら、ほんとの私を殺し罪悪感持ち、二重構造をもってきながら生きた。いつもそうやって理不尽な扱いしか受けられなかった。うちの家族の中で、「幸せちょっとドジでだけど明るい末っ子」自分以外のわたしにいつもいじめられているわたしにいつも家族の思う私以外のわたしを持つことに「ずるい汚いうそつきうそつき」と責めていた、あの構造と同じなのだ。私はたぶん私を受け入れられず育ったのね。健康な成長を信じてもらえず、親の親自身の不審と幸せにこれでなるだろという押しつけと、吸って吸って生きてきた。父がこれほど頑張ってる、不満そう寂しそう、母もまた姉なんてすごいいつもぴりぴり不満たらたら。かわいそう私が幸せ感じては行けない。そんなかわいそう私が自分の素直な重い我慢どこまでもして、「よい」子になって守らないと行けない。そう思いただただ素直な感情を将来の成功妨げるもの、汚いものとして私はいつもいじめっこ、パワハラしたい人、弱い人のストレスを全部受容して生きてきた。罪悪感となすりたい思いと後悔と怒りとでも頑張らねば根性。いつもこればかり。後悔と将来の不安というよりどうせ傷つくんだろという怒りと悲しさと他人、私のことをいじめた人への罪悪感、自責感=あの人神から裁き受けたかも自殺したかもとかいう心配と怒りと共依存思考でいつもぐるぐるなんだ。他者との関係は相手の尻拭いをして当然の「ずるい私」とそれに纏わる私の自責感罪悪感怒り後悔恨み。これが私の人間関係なんだ。人が一人前で私もそうなんだと分からないの。人は欠陥だらけ。自分はすごい。と自分はこの世界に合っていない感と自分はだめだという感じが行ったり来たり。
<1856> ぺあ(FB注意) ■2007年09月03日 月曜日 10時44分41秒
私の実習でのがきらへの対応これだけ頑張ってるから、私を分かってという押しつけと父からのこれだけやってやってんのに!お前は贅沢だ。旅行は毎年二回、ほしいものはほとんどかってやる、行きたい高校、塾、留学行かせてやる、高校見学にもついていってやる、授業参観も母が行ってる、やってやってる何が不満だ何なんだ何が不満だ、お前は黙ってスポーツクラブ行って友人つくって順繰りに成長していけよというのが父のメッセージ。いじめなんていつまでもトラウマひどいなんて母がいつも家でばかにされの的で冷笑され見下されそれに傷ついたなんて言えない。父が自死したなんて、私には取るに大したことない。あんたの狂った旋律はあんただけじゃなく母も姉もあんたたちの狂った旋律みていた、行き先はこれしかなかったじゃない?そう思えるくらい、いつも笑いの中に相手への傷つけが蔓延している悲しいうちだった。三越の夜覚えてる、父は姉を連れてあの頃から先を行って、私はとかくまだ8つくらい?忘れたけど、母が心配で傷つかないか不安でいつも母を守るようにして寄り添って歩いていた、私の一方的な重いで、母は覚えていないけど。いつもあの家族のなかバランス取って、とりもって母守るつもりで家族の父の怒りを呼び起こさないように生きていた。両親の買い物にいつもつきあいながら家族でいつも行動しながら心はいつも悲しかった。美味しいものを食べに行ったとこで私は何億光年もこの家族からへだったとこで、必死に笑いを顔に浮かべて、必死に壊れそうな私を持ちこたえさせて生きた食べた私の中にもう平気な大人の私を救いに、ただ家族の前で問題ない子を演じきった私だった。恵まれている中で。人にうらやまれながら。私はただ持ちこたえて生きて寂しくて本当に寂しい。誰も人間がいない私だけの世界で必死で演技して渡って生きた。
<1855> ぺあ(FB注意) ■2007年09月03日 月曜日 10時26分44秒
こわかった、つらかった、さみしかった。父のこうすればお前等幸せだろうという押しつけを、取り込んで生きた。恵まれていたと思う、金銭的には。あの人特に母がうれしいのは、私が表面上笑っていきること、うまくいっているように取り繕っていきること。いじめもそう。私は強者の押しつけを取り込んで自分の思いは殺した、そういう思いを持つこと自体に自分がいじめられる原因があるとして。父は私の過去のいじめから素直な思い書いた手紙、を読んでなにを思ったかパソコンの隣に置いた、見せびらかすように。笑いしかないこの家族でうまくいっているように見せかけて、見栄ばかり家族間で張り合って、姉ともいつも何か学歴性格将来うまくいきそうな性格行動、彼氏がいるかどうか、親友がいるか仲間内でどうかそんなくだらない張り合いと比較しかないこのうちで、私は素直な自分を見せたことで身を削られた。父はその後2年後くらい自死する前になって、「我慢するからストレスたまるんだよ」だとかいきなり掘り返してきた。私は実習でも論文でも家族へ電車のれないでも全部消化不良でもやってきたよもう遅い!としかとした。家族旅行もしかとした。そして父は自死した。なにもないうちには。何にもない。父を母はしょうがない、運命あるね、寿命だねとしか言わない。優しすぎただの純粋すぎただの。私は怒っていた葬式の時。これは高校時代、苦しくて「死んでやる」とベランダから庭に飛び降りようとした時父に「やれよ!死ねよ!死にたいなら死ねよ!」って言われたなにもかも消化不良でなに言っても何にも返さない、表面的なことならいくらでも話せたけど。なに言ってもそれを倍にして跳ね返し、恥かかせ冷笑し、見下す父。あの頃の関係と行き場のない怒りは葬式で人生でのお別れの時でも何一つ変わることはなかった。消化不良の憤りを押さえ込んだまま訳も分からないのに、私は表面的に父とつきあっていた。楽しかったけど、大切なことは何一つ言えなかった。何やっても私にはがむしゃらに生きても何にもならなかった。大学進んでも、あんなにがんばっても、自分の適応過剰している私が自分の素直な感情をはずして生きているようだった。父が自死したことは悲しいだけじゃなく、やっと私が周りに認められた、いじめた子の今の状況知った、やっとこの訳の分からない現状といつまでもいまでもとまらない周囲への「私平気ですから順調です」的見せつけの意味がこの家族のやり方がよぉく分かった。
<1854> ぺあ(FB注意) ■2007年09月01日 土曜日 00時32分27秒
自分はずっと汚い汚い女だと思っていた。汚いと。私の周りの女の子は、とてもきれいだと思っていた。私とはまるで違って。姉もそう。自分はおかしいと心の奥底で思っていた。人とは明らかに違うと。おかしいこと分かられたくなくて、素直な思い言えば、どっかで成長止まっているとすぐばれる気がして。正しい気持ち、大多数の一般の正しい成長過程踏んできた人は、どう思うのか分からなくて、私は自分の感情を殺して、頭をフル回転させて、人とのコミュニケーションを半分は「明るい皆の気に入られる道化師、公共物」を演じながら、行っていた。どんな人の期待も読みとって期待に応えるのは大得意だった。人に合わせるのも。でもいつも人にばかにされ、過去の恐怖が消えず、自分の現実見ている見えているままに把握することを手放し、相手の見ている現実に自分を合わせ、人のもたれかかれ役として分かりやすい世話焼きに奔走して生きてきた。人に皆に誉められた。でも私にはいつまでたっても誰もいない。弱い人見れば、暴力性の感情が押さえられずに湧く。自分が怖かった。目だけ笑っていなくて、怖いとも言われた。何にも自信なかった。でも自信持つとそれを誰かに、自意識過剰と蔑まれた。バイト先の上司からの依頼も、自分の耳で聞いたことで合っているのか?自信なく。また自分の聞き方、依頼されて行動する仕方さえ、世の基準を考え、かつ明るい適当な子演じてきたから、そういうような子はどうするか考えていたから、行動がいちいちとても遅かった。でも素の自分を見られて、バカにされたり笑いものになったり、先々の成功しないだろうねと評価されたり、比較されたりして傷つくよりはましだった。演じて自分見せずに生きた方が数倍あのころはよかった。
<1853> ぺあ(FB注意) ■2007年09月01日 土曜日 00時12分20秒
私は父が亡くなる当日の書き込み読んだ。その時は、うちはおかしいでも私には、なぜおかしいか分からないとしか言いようがなかった。楽しみでもない行事控え、家族の前でまた嘘笑いつかないといけない、明るさ、なにも問題なさ演じねばならないと思い、ほんとに苦しかった。自分の本音なんて私は昔はそれさえ認めず、生きてきた、どこかで吐き出さねば死にそうだった。家族の行事前に、自助グループで吐き出せば、助かるかな、持ちこたえて家族ごっこ無事終えられるかな、そう思っていた。限界だった。私の友人にも素直に頑張って、無理して、自分の思い言ったよ。いい加減にして、もう聞きたくない!、暗い、そんなこと言う人初めてだよ、もう親に感謝していい年頃なのにね(怒)、あなたは聞けない人だからもっと人の話聞きなさい、という言葉ばかり。皆から白い目で見られた経験も、家族になに話しても「就活うまくいかなくてあいつがおかしくなった」と見られる。私には誰もいなかった。見せかけの私してきた、本音をやっと見せても誰も来ない、同じように私を「笑い者」の位置に置いて集団内の「お楽しみいじり」にさせて、私の意見なんて何でも、聞かない、揚げ足取られる。私は親密な関係作るの怖かったの。誰も私の言うことなんか聞かないから。唯一親しいつもりでいたクラスの子には「そんなに悩みばかり言われたら、同じ追体験するから辛い。あんたは一年から何にも変わっていない。あんたとはそんなに親しくなかった、今親しくしているから辛い」と言われた。そしてもう一人悩み聞き役にさせてしまった子にも「人の話しもっと聞きな」。もう一人の子にもお世話になった。でも二人で食事しながら、孤独だった。人を殺したい思いやありとあらゆる気持ち悪い思い、自分が暴力性な男のような気持ちで人に暴力したい思いを私は誰にも話せなかった。ただ自分が怖くて、どんなに頑張ってものれんに腕押しな状態を感じていた。孤独で自分の恨み怒り暴力性に怯えていた。父が死んだと伝えられて、初めて理解した、分かった。あの意味不明な父とあの雰囲気。私の心配とおそれ。やっとやっと分かった、こういう形でやっと私は分かった。やっと正しかったんだ、私はと思った。自信のなさとかも。自分の現実を見る目が無能で異常な目じゃなかった事も。
<1852> ぺあ(FB注意) ■2007年08月31日 金曜日 23時49分13秒
私、いじめられた時、自分の怒りはあまりにすごすぎて、正しすぎて、相手を滅ぼしてしまうと思っていた。母が常に、いじわるいやり方で、明らかな、いじめだと分からない形で、単なる悪い冗談、バカだからしょうがないという父のまなざしで、からかわれていたのを見ていた。物心ついた時からそうだった。姉と父は常に同盟組んでいた。姉と父でなめくじに塩をふって殺していた、私はやめてよと言っていた、大丈夫だからと二人でにやにやしてやっていた。こんな風に二人は同盟組んでいた。私は父が角刈りして常にサングラスかけて、まるで不良のようにガラ悪くなって、母に当たり散らしていた、11〜12歳の頃を忘れていない。いつも私は胸が痛くて惨めで悲しかった、いつもバカにされているようだった。母をいつも守るように当たり障りのない事を言い、父の怒りや悔しさの矛先を変えたり、丸めたりし、とんちんかんな事を言い、おもしろい事を言い、意外と冷静で子供の私に似合わない大人びた分析家のような、言葉を言うと、父も喜ぶ。「あんたは面白い」と拍手喝采なんだ、情けないような泣けたよ。私を「〇〇(私の下の名前)さん」とその頃特別なように呼んでいた。恋人みたいに。母よりえらいみたいに。父さんの味方はお前だよな?分かってくれる存在として期待するように。意味分からなかったけど、母と立場が逆転して、なんかよく分からないけど、寂しくて心ばかにされたようで、なんか性的ニュアンスも感じたし、とにかく悲しかった。とにかくなんか訳分からないうちに、母差し置いて祭り上げられたようで、悲しかった。境界線は入り乱れ、子供という立場、逆転したり、そういう立場で安心して成長できる私を一挙に違う場所に家庭内で置かれ、とんでもない事が起きようとしている気がしたんだ、あの時私は小学校5年生だった。Nさんには、常に「お前は恵まれすぎでずるい」とうらやましがられ、つねられ、耳に蟻入れられ、はたかれ、周りの子にも便乗されていた。私は、ため息が常にとまらず、風呂場で一過性過呼吸になった。私が癌だと思いこんでいた。耳も聞こえなくなる、脳がおかしくなると思いこんでいた。
<1851> ぺあ(FB注意) ■2007年08月30日 木曜日 20時13分53秒
私は、自分が見たまま感じたままを、話せば、そうであれば・・・誰かをめっためったに二度と立ち上げれないくらいに傷つけると思っていた。
 何かがおかしい・・・でも、分からない。自分はやっぱり、こんなに学校でいじめられたり、からかわれたり、いつも誰かの責任おおったりするはめになる、つまり自分はもともと自分がおかしいんだと心の底から思っていた。相手のいう事、感じている事すべて、で自分の思いなんて取るに足りない恥ずべき汚いもの、小さくて、どうでもいいものと思っていた。
 何で、うちにいると、好きな家族なのに、こんなに、からかって、大切にしなくて、当たり前に、母が言われて、明らかにひどいことなのに・・・父も姉も笑って、母は何もないようにして。でも母は時々きれて。意味分からないことだらけだった。とにかく、周りに合わせて笑っていればいい。私が声を挙げて、「問題感じている、直そう」なんてどんな状況でも言えなくなっていた。
 すごく金銭的には恵まれていたし、父の理想の父親像があったようで、確かに一見とても恵まれていて、そのことでよく「うらやましい」と言われていたし、明らかに「ずるい」と嫉妬もされた。
 でも、高校の頃から、頑張り続けた糸が切れた気がした。いっつも眠っていた。自傷と自責感がいつもいつもすごかった。何があっても私のせい。どんな事件あっても、私のせい。私が犯人。私が殺した。私のせい。父はいつも眠る私に「制服着替えろよ。なんかやれよ!!」と怒っていた。ほんと、学費出してもらっているのに、父のいう事はもっともだよな。でも、父や母が満足するのはスポーツクラブとか行くこと。父や母の望むこと、子供時代はうわべだけでやっていた気がする。うわべならいくらでもできる。恋愛も、年相応に真剣なふりして、うわべだけなら何でもできる。友達でもない子に友達ごっこしたり、何でもできるよ。そのほうが傷つかなくていいかもしれないね。しかも父や母がそれしてほしいならね。何なんだろうね?確かに普通の親の願いだったんだろうけど。でも、私は子供時代、兎に角、父が幸せでいてほしかった。母が姉や父からもっと大切にされてほしかった。皆がもっと優しい思いで接せられていたら。高校時代、自分がぐちゃぐちゃになれば、自分がだめになれば、親に復讐できるかもって考えていた。これは、本当に依存であり、甘えそのものだった。でもあの頃は、苦しい気持ちで、心底そう思っていた。自傷して。自責感も罪悪感もとまらんで。
<1850> ぺあ(FB注意) ■2007年08月30日 木曜日 11時14分50秒
怖い。これが私のいつもいつも思うことなんだろう。怖い。
だから、先に回って自分の今最大に怖いことを自分にして、この世から身を守ろうとする。私は何も知らない。何も分かっていない。私には、何もない。だから、無意識で生きることは怖いことだった、無防備に生きるなんて、とんでもなかった。絶対に私は人の笑い者にされるから。その人が喜んでいるならそれでもいいと思っていた。でも、私は、いやです。無意識に生きて、人に評価されるのもじろじろ見られることも、傷ついてしまう。怖いんだ。傷ついて生きるのも。最後は人が無様に死んでいくのも。人って完璧になれないんだ。いつも、格好つけても、笑われてしまう。なんか、大切な部分までぐちゃぐちゃにされるような思いだ。
 怖いから、汚くなりたくないから、先回りする。本当の自分を笑っていた。私はいじめられていた。このことがこんなに私の自信や世界観を壊すなんて、思いもよらなかった。
 それでも、ここにこられている方の親からのひどい言葉とか、もっとひどいいじめとか聴くと、私はまだ恵まれているんだと、自分の傷つきや、寂しさを肯定できないの。もっと辛い人もいる。お前は贅沢だと・・・。
 普通の人と付き合いたいな。普通の人と。普通の人と付き合って、もっと自分を肯定できるようになりたい。でも普通の人と付き合えば、傷つくことも、いらつかれることも沢山。いや、自助グループで昔、いらつかれたことあるな。友人いると、自慢したら。
 自分を大切にする。怖いと怯え続けて、生きるのはもうやめたい。誰かに私の不幸さ認めて欲しいと思うのも。恨みと罪悪感の交互の連鎖を他者に、過去の人に思い続けるのはもうやめたいの。もう、あの子達の責任を負わなくてもいいし、私も私の責任を人になすりつけなくてもいい。もう自分のだけの人生を自分なりにただ歩いて、その中で悩んで、笑って、他者と伴に生きたい、それだけなの。私は、ただそうしたいの、それでも、「裏切り者」だとか、「置いてくな」「お前だけ幸せになることゆるさない」「俺から逃れられると思うな」という声(過去に言われたこと←状況は無視して、その言葉だけ独り歩きしているの、とそういう風に支配されてきた友人関係でのことから浮かんだ言葉、自傷、自責感、罪悪感から浮かんだ言葉)がやっぱり自分の内側から沸きあがってくるの。
 小学校時代の、いじめへの怒りを押さえ込んだことと、家族の中で精神疾患の病気が当時は全く分からなかったけど、あったことでの雰囲気から、の影響が、恨み、復讐、他者を助けるべき=救世主願望→単なる支配欲の形変えたもの、他者からのもたれかかれ、「助けて」といつも言われること、辛そうな人にいつももたれかかられて、挙句に、勝手に成長されること、大してというか全く感謝されないこと、憎まれたりすること、馬鹿にされ役をそいつから回されること、お前なんかにできないとレッテル貼られること。色んなことを押し付けられて、でも、頑張って・・・そして、過去の復讐心やコントロールしたい思いが今を支配していて。その繰り返し。くやしいの。教育実習で、あのくそばか担任に子供の前でこの授業分かる人とか手挙げさせられたり、許せないよ。言いたいことは口でいいなさ〜いとか怒鳴られたり。俺このクラスどうしたらいいのか分からないよとか泣きつかれたり。でも、私もいじめられた過去の復讐をしに学校へ行ったの。そうじゃないと、問題クリアしないと先に進めない、もう一度同じ場面に合ってしまうと思っていたたから。姉にされてきたこと、あの子たちにされてきたことをその担任のせんこうにやった。私は。なぜ?なぜだろう。この訳の分からない、状況、子供の理性のきかない、人を見て判断するあの子達の本当の怯えている自分、弱い自分を子供は見抜いて、そのままそういう人に応じた対応をあいつらはする。それが怖かった。そんな理性のない。コントロールきかない。汚くされる、わけの分からない、あの世界の中で、私は何か杖が欲しかったの。担当の先生と仲悪くなること、できたら格好いいじゃん、権力に反抗している女、いじめられっこ、ばかにされて当たり前の役から、気の強い女という評価をもらえて、姉や母を見返せるかも、私の怖さ見せたら、子供もびびるかも。過去の学校における私の評価覆ってしまうかも。そう思ったの。
 もう、いいって言って。もうあの頃の縛られずに生きていいって言って欲しい。もう誰からも笑われることなく、自分は神経質な女だけど、それでも生きていていいって言ってほしい。あの頃の自分の思いに私は、でもわけの分からないこの世界の意味がよくわかった。そうか、父は、そううつだったんだ。だから、あんなに優しいのに豹変して、母はなかったふりだったんだ。
 誰もが、父をすごい人だったとほめるし、母もそうであったほしいんだって。自分の実家では。だから、自死なんていえない。でも、見栄なのかな。人なら在って当たり前だけど、「父が脳死とか植物状態にならなくてよかった」なんていう母を見ると、人の命って何なんだろうって思うの。そんなに人に良く思われたい?もうわからない。人はいつかその人そのものになるって誰かが言ったけど、真実の自分を見ないといけないって言ったけど、今の私には分からない。真実隠して、うそで生きてもいいじゃん。異次元世界にいるみたい。うそでもいい。それでも、楽しかったから。父の姿も、私のことも。私の求めていた世界も、今の私は、何なんだろうね・・・・ああまで頑張って、何やっているんだろうね?何なんだろうね。なんて生きるの下手だったんだろうね。普通に楽しむことがなぜできなかったんだろう?何なんだろう?って思うの。死んだように生きてもいいじゃない。死んでないもん。死ぬことを見たもん。ああやって人って死んで、ああやって送られて。うそついて生きてもいいじゃない。ずるく生きてもいいじゃない。やりたくないことやって生きても、その逆でもいいじゃん。だらだらいきてもいいじゃん。別に身を立てて、成功しなくても。真実の自分って何なんですか?いつか出会わないといけないのは、そういった人の意見だけであろう。本当はこの世界はのっぺりしているのかも。人間が意味づけしているだけで。私にはもうよくわからんな。
<1849> ぺあ ■2007年08月29日 水曜日 19時46分59秒
私人の甘えていた。その代わり、他者にも甘えさせていた。
最近、人に自慢したかったり、これ怖いっていう感情なんだと、自分の手に負えなかった、というか「他者を傷つけないため」に押さえつけ、殺してきた、感じないようにしてきた思いを、普通の人の言う感情として「怒り」「悲しみ」「不安」とレッテル付けできるようになってきた。
 私ずっとずっと否認してきたな、自分の思い。それから私には怖いことだらけなんだな、つくづく思うの。同級生のお母さんになった話しを聞くと、本当に自分はなぜこうまで過去にこだわる続けているんだろうって思うんだ。
 恨みの感情ばかり。それでも、私多分ね、自分にもできる選択し沢山持っていた気がするの。自分の問題点や弱さを見たくなかった。悔しかったから、いつもお母さんに「弱い弱い」ってからかわれていたし、姉と比較されるのも辛かった。
 いじめられっこという私に許された恨みの体現。でもこれこそ恨みのたな卸しで、共依存の女性が暴力する男性に対しての感情とまるで同じだった。
 恨まれたほうは忘れている。恨んでいるほうがずっとずっとダメージ大きい。不思議だけど、恨みの感情は、その子と一緒にいれるという感覚も味わえるんだ。支配欲が強かったのは私なのかな?私自分のだめさ加減を人にさらすの怖くて、そういう殻をかぶって、被害者面して生きてきたのかもしれない。勿論、自分を責めないよ。自分だって選べなかったことあの頃たくさんあったし、家族のことも重荷だったし、誰も私には自分の困ったことで相談できる人なんて一人もいなかったから。でも、私にも「史上最低な」女、「汚い」と思っていた、誰にも反抗しても笑われて相手なんか絶対にされないと思っていた私にも、そうじゃない、世界あったかもって今は思うんだ。死ぬことに怯えて、普通の子供じゃないと思いたくて、特別だと思いたくて、家族や困った人救えると思っていて、普通の子なんかよりずっとすごい子だと思っていて。でも、ずっと神様に見張られていると思ってきたけど、神様の目から逃れて、楽しんで、仲良しグループ作ろうと思えば作れた、楽しもうと思えば楽しめた。今は少しそう思うの。そうやって、考えているうちに皆昔のことなんか忘れて、成長していくんだろうな。私、止まって生きていた、でも私が止まっても、家族もなくなり、環境は変わって、私の年齢も扱われ方も、体の成長も変化していくんだね、私、自分は何かに抗いたかったんだろうなって思う。父を失うこと、母を失うこと、変化すること、いつかこの家族はなれて私も大人になること、変わることに怯えて生きていたんじゃないかな。そう思うの。私死ぬこと怖くて、当たり前のことなのにそういうことにも抗って生きて、自分は特別な人間だと思いたくて、そのくせいじめられたりして、人を恨んで、時間とめたまま生きていたのかな。皆死ぬよね。私も死ぬ。どうやって死ぬのか分からないけど。怖い感情が、子供の頃強すぎて、私被害者面して生きていたな。責めないけど、生きているのに、私もったいなかったな。自分も主張できたじゃない!って思うんだ。今は。それから、私の耳は聞こえる。あの子になにされても、だからもういいじゃないかって思うの。もう自分責めずに、自分の幸せ追い求めてもいいんじゃないかって同級生の今聞いて思った。ずっとそういう思いになりたかった。
<1848> かえる ■2007年08月29日 水曜日 15時47分41秒
自分らしい生き方がしたい。人や物に依存するんじゃなくて。自分で自分を支えられる力が欲しい。一人じゃ生きてけないけど。中心に揺るがない地軸が欲しい。いつか自分にもそんな日がくるって信じたい。願えば。諦めなければ。私は私らしくなれる。いつか…。
<1847> ぺあ(FB注意) ■2007年08月29日 水曜日 15時16分37秒
別にいじめた人に不幸になってほしいわけじゃない。本当に。
自分もひとつも意思表示しないで、心を閉ざして、きたこともまた、その子のストレス刷毛口役を促進させたとは思う。自分にも原因はあるよ。でも、あの時の私には味方と思える人ほとんどいなかった、出せるだけ信頼できる人いなかったんだ。
 いじめられた過去も。AC的特徴も。父の気分障害も。いつか大切にできたらな。いつか、それを抱きとめて生きられたらな。そして、その上でAC的特徴が少しずつ、変化していけたらな。生きるってそういうことね。誰かを救わんでもいいやね。
 いじめられた過去をいつか今いじめられている子や、いじめによって傷ついたかつての子のために活かせたらな。それも救世主願望からくるものなのでしょうか?そのために勉強したいけどな。それでも、そんなことじゃなく、誰かの支えになればそれでいいんだろうか。もう許そうか。あの子のこと。あの子は覚えていないよ。結婚したよ。あの子もお母さんとお兄さんをなくしたそうだよ。お母さんのこと聞いたよ。大変なことだよ。そういう家庭であの子もまた辛かったって分かったし。つねる思いを持つ人がいたのを知ったから、あの子がつねったのも同じね。でも私ももう主張していいのかな。多分ここなんだろうな。人と自分の境界線のなさって。教育実習でもすごく怒られたのは、あの人は主張したから、私の過去のいじめまで慮ってないから、知らないから当たり前だけど、それと同じで私も誰かの背負っているものをものすごく慮って、すんごく気を使って人に腫れ物触るくらいに接して、自分の言ったことで何か傷つけていないか、自分の気持ちまでチェックしまくる。
 主張していいね。でもこの社会では、背負っている人沢山いるんだよね。境界線がひけないな。ひけないけど、まずは自分を大切にすることできっと自分の世界は始まると思う。
<1846> ぺあ ■2007年08月29日 水曜日 13時56分52秒
何でかな?何でこの世には幸せな人とそうじゃない人がいるのかな。
私はいつも救おうと奔走しては、幸せな人うらやんでいるんだろうな。
ほんとは恵まれていたと思うよ。残念だな。私のやり方は、自分をだめにしていたのかな。
 なぜなのかな?どうしても人って変わらない運命や、命の長さってあるんかな。言える雰囲気で、言ったり、いえなかったり、そのことで、運命ってかわったり。お父さん、あなたが幸せだったらいいや。子供の頃あんなに好きだったのに、なんでかわっていくんだろう?私はあの時もし子供だったら、泣いてお父さんにしがみついた、なのに、最後まで意地張ってできないで、そして永遠に変わらない。変わっていく。変わってもいいけど。それでも、お父さんは変わらない。お父さんのこと好きであり、憎んでいた。頼っていた。私は自立することが一番だな。私恵まれていたんだよね、それでもなぜか「幸せ」なふりして、「家族ごっこ」続けて生きて、本当の思いをぶつけあいできなかったきがするのよ。そんな家族ざらにいるけど、ぶつけあいたかったのかも、いや、わけの分からない状況だらけだったけど、ただ分かりたかった気がする。私もういい加減自立しないとな。そういう年だし、私も家庭持つし、私も自分の人生生きて、自分の人生の責任を自分でとって、いつか死ぬんだもんな。そのままの私でいいよって言われて、甘えたいけど。でも、いじめられたことも、父の自死も変わらぬ事実。そして、私は自分の寿命まで生きるんだよね。あなたと同じこと、良い事は私も子供のやってあげたいよ。もうお父さん一人にしないで、私はでも自分の人生生きてもいい?ずるい?汚い?
<1845> ぺあ(FB注意) ■2007年08月29日 水曜日 13時47分15秒
あの子にいじめられたのは、消えない。耳の痛みも消えることはない。
あの子のいじめの風景は消えない。でも私もただ見ていただけだった。
父がいなくなったことも消えない。お父さんが、自死したことは消えない。でも父さんは生きたんだなって思うよ。もう少し生きたかったと思う。分からないでも。それでも、私は最後笑って居見ていたことも消えない。いじめられた自殺した男の子の遺書とおんなじ風景の中にいるようだった、何億光年も離れたところに父が居て、父はそれでも周りに合わせて笑っている、それでも、その父の周りに人はいない。そんな風景は、私のあの頃の風景とも重なった。それでも、もういえなかった。十分言ったよね?それでも、私がおかしいって言う眼で見られる。そういう目で見られたら、私はそういう目に応えてしまうの。あなたたちが正しい、それ以外の自分を切り落とす、そうやって他者との整合性を自分を殺してはかって、生きてきたから。私の苦しみ分かれよ、もっとやっちゃえ!って私思っていたよ、父の姿見て。正直な告白なんだ。
 ごめんな。それでも、救えないな。何やっても頑丈にできたたてで、私のほうをおかしいって言うからな。
 父はいやだった、それだけだ。お父さん何か言いたかったの察したよ。それでも、私は「言いたいこときちんと言いなさい」って何千回も色んな人に言われてきたから、父のあの遠まわしな言い方を思いっきり無視していた。あの頃。
 もうやったよね、十分、この家へんだよって私なりに伝えたよね、もうあれで終わり、そう決めたら、私は普段弱いから、自分の決めたことは死んでも守るつもりだった。普段状況に揺らされ、他者に揺らされているから、私は自分の「こうだ」って思ったものは、死んでも守り通す。それがこの世での私の生き方だったの。弱いから、そういうところで頑固にならないと、弱いまんまで汚いでしょ?私の汚いきれいの発想もすごく分からないよな・・・。でもそういうふうに思うんだ。どれも変わらない事実なの。父は子供時代はもうすごく好きで好きだった父は、こんな別れ方しかできなかった。なんでやろ?好きだったし、理解もしたかった、でも自分を犠牲にはできなかった。ごめんな。お父さん。一人にしてごめんな。でも、私だって。私は笑っていた、笑って父の何億光年も離れている姿を見ていた。このことも私は忘れないだろう。絶対に変わらない事実だから。
<1844> ぺあ ■2007年08月29日 水曜日 13時35分09秒
お前変わってね〜なって私はいくつ言われただろう。父にも。母にも。大学の同級生にも。過去の担任にも。
 変わらないで居ないといけない。変わったら、裏切り者、今までうそついてたな、今まで不満だったんだろ?って誰かに脅されそうな気がするの。
 変わらないといけないようにしむけたのは私なのかな。私なんだね。今でも変わらず痛むんだ。過去のいじめの風景。その頃の絶望は、私を変えさせないのかも。それ以外の楽しいこと全部ないようにしていきてきたきがする。
 変わってもいい。変わっても私。変わってもきっと好きで居てくれる人はいる。変わってもいいよ。自傷も時々するけども。でも、そうして生きてきた。私も変わっていいかな。おかしいこと今までいえなかったけど、でも、ばれていいかな。私の本性ばれていいかな。私変わっていいかな。もう好きじゃない人に近づかなくてもいいかな。好きな人にいっていいかな。私誰かを裏切っていないよね。父や母を裏切っていないよね。父は喜んでくれるよね。寂しかったこと、ばれていい?不満だったことばれていい?自分が汚い女だってことわかってもらってもいい?私幸せつかんで、自分のことを一番にして、普通の人間になっていい?それで、死ぬ普通の人間になるわけだけど、それでもいいんだね?私生きてもいい?おかしくてもいい?やっぱりあの子は変だったって思われてもいい?幸せつかんでいい?こんな幸せって笑われてもいい?自分の醜い姿見られてもいい?自分のずるさがあってもいい?あの子達に気に入られるような姿になって、あの子たちのようないじめられっこほしくてうずうずしている人たちの世界観にそむいてもいい?生きていいのかな?私生きていいのかな?本当の私はもっと女らしい格好したいな。楽しみたいな。怖くてたまらない。誰かに「傷つけられました」って言われそうで怖い。怖いの。根拠ないことばかりだから。でも、ずるいって皆にもう言われなくてもいいですか?それでずるくても、好きな人がいたら好きって言って付き合ってもいいですか?そのことで、誰かの心傷つけたり、他の男の人にがっかりさせたりしないですか?見たまま、自分のだけの現実で生きていいですか?他の人への配慮、全世界の人への配慮しなくていきていいですか?
<1843> ぺあ(FB注意) ■2007年08月29日 水曜日 13時25分15秒
私は、小さな頃から怖がりだった。とにかく色んなことを先取りしては、不安を解消していこうとした。ただいきているだけでも怖かった気がする。何を不足しているか、この先どうなるか、状況をただ分かりたかった。無意識に行動してしまうことで、笑われるのも、評価されるのも、ほめられるのでさえ、怖かった。自分がまずは自分を把握して、見せたい部分だけ、見せて、何言われるのも平気にしたかったの。
 怖がりだった。
 今日ね、同級生の子たちの現状を聞いた。そっか〜。そうだよね。皆お母さんとかになっているんだね。なんか、なんか、比較する必要ないのに、するね。それから、過去のことばかり言っている自分が情けなく、なんて自意識過剰なんだ、誰もお前のこときにしてね〜よって姉はよく言ったけど、そう思ったよ。
 みんな立派になっているんだ〜。って。ここに書いた、私にセクハラ(?)ぽいことした男も、もうすっかり変わったって。友達誰もいなかったけど。今じゃ営業マンだってさ。そっか〜って。私自分で自分に変わらない様に仕向けてきたのかも。なぜだろう?誰も変わっていいんだよね。いつまでも、わたしの言った言葉にとらわれて、人に言われたことにとらわれて、何を怖がっているんだろう?「裏切り者!」って言った女の顔が忘れられない。そうだね、あの子だって、私に一緒のクラブに誘って、私は当時誰に対しても「だめ、いや、他のとこ入る」って断ることの出来ない子供だったから、「うん」っていって、そいで、他の子が私と入ること言っていたから、そう私に言っただけなんだよね。なんか、昔の自分の自意識過剰さ、いつも断れず、逆らえず、いじめられて(もたれかかられて、からかわれてそれがエスカレートして)そんな自分を私は多分この世で一番嫌いだった気がする。「汚い」本当にそう自分のこと思っていたんだ。そこから、色んな記憶が自分の思い色に染まって、皆みんな私を見下し、汚く評価下に思っていた、汚く思っていただろうなって思って。なぜだろう、今でもあの頃のまんまのあの子達同級生が私の周りにいて、私はリベンジしたいんだろうな。あの頃のそのまんまの私があまりに粗末に笑われて扱われていたから、それが、いつまでもいつまでも悔しいんだな。みんな覚えていないのに。だから、自分も自分の言ったこと、やったことにすべて責任感じて、苦しんでいる。私のせい、私のせいで、どうなったか?って。ずっとずっと時が立っても変われない。変わっていい。変わっていっても、それでも抱きとめてくれる確かな人が私は欲しいんだな。それでも、私は変わっていく友人や同級生を見るのが嫉妬心で一杯になるんだな。もう、少し前にいったこと忘れていいよ。大学時代に好きになった子たちを友人にして、飲めばいいよ。もうそんなに過去の小学校中学校の頃のまんまの記憶で、私の今の私を責めなくていいよ。そんなにやっぱり子供の頃の学校と言う場所が私はきにくわなかったんだな。そんなにやっぱり悲しかったんだな。忘れられないんだな。そして、今でも自信なくてなくてどうしようもないの。自信つけたら、あの頃の私に逆戻りして、あの頃のままの私が「どうして助けに来てくれないの?」とその人にむかって、憤るんだ。
<1842> アル ■2007年08月29日 水曜日 04時21分09秒
私は、小さな小さな他の人なら数時間後には忘れてしまいそうな出来事を胸に、支えとして生きていく。

他の人にとって当たり前のうれしい幸せな出来事が私にはとてつもなく大きな不安へと変わってしまう。これから先も人並みの幸せには届かない。

年をとってボケてもちゃんと覚えていられるだろうか…なんて考えていると何だか涙が出てしまう。
<1841> かえる ■2007年08月27日 月曜日 13時29分31秒
私が以前一緒に入院していた子が亡くなったと友達から電話で聞いた。その時は〈生きることが堪らなく彼女の苦痛だったとしたら、死を選択したことで重荷を降ろせてこころが安らかになれたなら、それもまた彼女の幸せだったんだ〉なんて思ってしまった。   生きてれば誰しも悩んだり時に死にたくなったりする。けど弱い人間は全てを放棄して〈生〉からも逃げてしまいたくて〈死〉を選ぶのか?逃げじゃん?みんな苦しい中でも堪えて頑張って生きてんだよ!…正論だと思うよ。〈生〉は尊い。生きものは何者であっても掛け替えの無い唯一無二の存在だと思うよ。でも。彼女にとって生きる苦しみから救われたのなら、自ら死を選んだとしても…今はやっと安住の地を手に入れて天国でこころ穏やかに過ごせてるんじゃないか?…だなんて考えてしまう。              彼女はまだ若かったし、これから先、まだまだ色んな幸せがあったかもしれない。生きてこそ感じられる幸福感を死んでしまった彼女はもう決して味わうことができない。でも、Fチャン、そこにはもう苦痛も無いよね?もう泣いてないよね?病棟で同室だったから、夜寝れない時はくだんない事話したよね。Fチャンはニコニコ笑ってたけど、いつも何処かはかなげで繊細な子だったね。         もう決して会えないんだね。昨日の夜、一人になったらFチャンの優しい顔が浮かんで涙が溢れてきたよ。止まんなくて止まんなくて。           でもFチャン、そこでは今は心配事ないよね?安らかな気持ちでいられるよね?私は勝手に妄想してFチャンの笑い声を思い出すんだ。だって苦しみながら亡くなったのに、その先が真っ暗闇だなんて思いたくない。いつだって笑ってて欲しい。私は悲しいから、Fチャンがキラキラの光の世界にいるって思いたいんだ。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.