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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.92
メッセージ数:1840件

<1840> ぺあ ■2007年08月27日 月曜日 00時03分36秒
大学時代、さかのぼれば、いじめを受けた10歳くらいから、私は否定的な感情、マイナス感情殺してきた。誰にも分かちあえない思いだったし、家族には格好悪い思いだった。正当な感情を感じられなかった。そして消してきたマイナス感情は、私を確実に蝕んだ。暴力性、抑鬱、自己評価の低さ。自傷か他傷か、まで追いつめられた。誰も周りに人いなくなった。私は誰よりも自分大切になさい。今も誰かを救わないと、世界を変えないと、私が救わないと…だなんて思うことばかりだ。実際やって見事にずっこけるけど。父のことが寂しい。なんでうちはこうなんだろ?笑いの中いつも寂しかった。父が自死してもなお父らしいけど、時々嘘かな?とか実習さえなければ父を救えただとか、いじめを受けた時も叫びたかった、父を最後みた時も叫びたかった、でも私は肝心な時にできないんだ。私も同じ年になって同じ事しちゃおうかな?なんてね。父が好きだったし、独りにしたくないし、同じ気持ち分かったら良い娘じゃない?父の苦しみ分かったらいいかなあ。良い娘になりたいの。父を見捨てたのかもしれないし。少しでも何かが違えば助かっていたのにどうして?嘘みたいなのに現実。嘘だよね?お父さんはまだいるよね。いたらいたで苦しかったを超えていて避けていたけど、お父さんがいる人うらやましい。あいつらが憎い。
<1839> ぺあ ■2007年08月26日 日曜日 23時46分50秒
私、生きていることが怖くてたまらなかったんだ。いつも私の知らないとこで、落とし穴があると思っていた。暗闇の中落とし穴落っこちないようしてきた。社会的なことから反すること、負け犬になること、大多数の人と違うことをしてしまうかもしれないこと、どれも落とし穴で、絶対に落ちまい、落ちるなら、自ら落ちてしまって、神なんかから私の人生の支配権奪おうと思った。それから、私人にどんな自分でも受け入れてほしかった。社会的なコースからはずれても、一般からはずれても、私を愛してと願ってきた。自分は汚いよって見せたら、憎まれた、ほかに好きな人できた、もとから恋人いた。私は私で。超えられない。運命もこの社会も。傷ついて、頑張ってきたことすべてぶちこわして、もう何にも優しく声掛ける人を振り払って、私バカだな。
<1838> かえる ■2007年08月25日 土曜日 17時51分25秒
ここへ来て他の人の想いを読んでいて無性に泣きたくなった。最近は無かったのに…今すごく泣きたい。一人で縮こまって隠れて泣くんじゃなくて、ちゃんと自分を受け入れてくれる安心できる腕の中に包まれて赤ちゃんみたいに本能のままに声をあげて泣きたい。           私はまだ悲しいんだ。まだ辛いんだ。寂しいんだ。想いが共鳴して、感情が流れだす。           …家に帰ったら思いっきり泣く。それまで抑えられるかな?今泣きたいんだ。泣きたいんだよ。
<1837> パティ ■2007年08月25日 土曜日 17時30分09秒
「これぐらいの事、親に教わらなかったのか」
昔、上司に言われてすごく傷ついた事がある。実際、親からは
一般常識以前に恐怖と不安しか植えつけられなかった。
何が悪いのかも知らずに、悪意なんて全くなくても人を傷つけたりしてた。
それが嫌で、人が集まる掲示板を読み漁り、何が常識で何が非常識なのか
頭に叩き込むようにしている。どんなに嘆いたところで、結局は
「それとこれとは別次元」なんだと思った。

<1836> ねむのき ■2007年08月25日 土曜日 00時28分42秒
自分の感情を大切にする。怒りも、うらみも、悲しみも、全部正当な感情。
私には、自分の感情を持つ権利がある。否定的な感情を持つ事に対して、罪悪感を感じなくていい。たとえ、その感情を持つことで、家族を失望させようとも。他の人を悲しませないために、自分の悲しみを無視するのはもうやめる。
自分の心の中に、つらい気持ちがあることをきちんと認める。
<1835> ぺあ ■2007年08月23日 木曜日 16時39分04秒
私は根本的に寂しいみたい。小さい頃、自慰とかすごいしていたもん。子供時代、お医者さんに行く子供の診察写真見て、性的に慰められていた気がする。自分の楽しみだった。今でも私って性的にどうなんだろって思う時あるもの。社会的には、男の人とつきあいたいけど、いつもお母さんみたいになって自分が母性愛、包容力満たせるのが性的満足につながるみたい。でも無意識の中では自分がおそれているような性的欲求あるのかもって思うこともある。私ってバイセクシャルに近いのかなとも思う。でも人間的に好きな女の人に、女っぽく振る舞って、その人に惨めな思いとかさせたくない、順位下にしたくなくて、私がより下位にいくように、男っぽく振る舞うこと多いんだ。女らしいと嫌だろうしってすんごい遠慮する。彼氏つくるのもまた遠慮すごいする。私根本的に生きていること寂しいんだ、とても寂しい寂しくて寂しくてどうしようもないくらい。寂しい。たぶん誰かとわかちあいしない寂しさ。誰からも逃げてしまうけど、ほんとは死ぬこと怖くてでも寂しくてしょうがない。
<1834> ぺあ(フラバ注意) ■2007年08月23日 木曜日 16時27分33秒
母に、「郵便局の郵便担当がすごい態度悪くて、つい萎縮するから、違うとこ行く」と言ったら、「あんたほんと弱虫なんだから。そんな事してたら、また同じこと後で繰り返すことになる」と言われた。でも私は彼女は反響言語を話しているんだとした。うちの母は、父が最後に「工事あそこが絶対だめだ」とかぶつぶつつぶやいた時に、「娘がお嫁に行く年なんだから、いい加減にしてください」と怒鳴った人なんよ。で「私の体じゃないし、知らないよ」「変なら何であんた言わないの?」何度言っても、私がおかしいという風にしかとらえてくれないくせに。私は自分が安心できるかに機軸をおくことにした。たどり着かないといけない場所があるとしたら、行き方は何千通りもあって、自分が良いようにしたらええやん、って思う。自分が落ち着かないなら、医者にいくとかね。いじめられて、私は母に、逃げるなとか、立ち向かわないと一生同じ問題が来た時同じく逃げるだとか言われるけど、転校先で思いがけず、人気者になったという子がいた。逃げられるなら逃げるべし。辛いことなんてくるときは向こうから、くる。無理して、人生辛がる必要はない、せっかく生きてるんだもん。それに、「逃げるな」「今避けたら、将来また繰り返す」という人は視野が狭すぎだと思う。今の問題を自分らしく逃げたり、必要なときは先延ばしして、力つけたら取り組んだりすればよい。
<1833> かえる ■2007年08月22日 水曜日 13時56分42秒
周囲の人に〈私ってどう見える?〉なんてストレートに聞けるわけがない。けど自分でも私はかなり個性的で不思議チャンなキャラクターだと思う。みんな様々な感性をを持って自分なりの言葉や態度で相手とコミュニュケーションをとる。自分で自分を〈変わってる〉とか〈とっつきにくい〉とか異端視してしまうから、余計に人間関係がうまくいかないのかもしれない。〈並みな人間関係〉を築きたいのに出来てない?対人恐怖ではないし、相手と仲良くしたいって思うよ。なのに会話ははずまないし、その場の微妙な空気が私には苦痛だ。相性があるから、皆と親しくなるのは難しいし、共通話題がなきゃ話しようがないよなぁ。でも、少しは雑談するんだから…〈まぁ〜いいやぁ〜〉って流してしまえれば悩むこと無いのに…〈まわりに受け入れてもらいたい〉気持ちを過大に抱きすぎる。そして〈拒絶されてるんじゃないか?〉という疑心暗鬼にとらわれている。                            淡泊にけろっと冗談めかしに雑談する私は偽りの自分なのだろうか?無理して仮面を被って〈周囲が描く私の姿〉を演じているピエロなのだろうか?私は自分でもわからないんだよ。
<1832> みゅー ■2007年08月22日 水曜日 13時30分56秒
「母」と「娘」って何だろうか・・・。特に家とかの場合は。お母さんは、今日、明日と実家の母親の世話で、泊まりで家をあけてる。今は誰もいないけど、本当は一緒に行こうか迷ってた。お母さんがいないと、兄ちゃんに飼ってた、おともだちどうぶつみたいに、やつ当たりとかの矛先が全部あたしに向けられちゃうし。だから「気つかうの疲れるけど、とりあえず逃げられるかな・・・」って思って行こうか迷ってた。

結局、一緒に行かなかったから、こうやって書いてるわけだけど、やっぱり、お母さんに「おいてきぼり」にされると不安になる。すごいざわざわする。自分がひとりで、家を出るのは、そう感じないんだけど。でも最近はヒッキーが続いて、出るのちょっと、緊張するけど。
でも、ふっと思ったのが、「あなたがおいてきぼりにされる不安を感じるように、あなたのお母さんも同じように、あなたに、おいてきぼりにされる不安を感じてるのかもしれないね。」って先生が言ってたことだ。
「お母さんも、あたしが出かけるとき、今のあたしと同じ感覚でいるんだろうか・・・。」そう思った。

でも、この関係が続いてたらいけないんだ。ちゃんと罪悪感も不安も感じずに「家族」からも「母親」からも、「ちゃんとした卒業の仕方」しないと、強迫からも摂食障害からも卒業できないんだもん。
でも、どうしたらいいか分からないんだもん。でも、自分でちゃんと考えて、納得のいく判断して、そういうこと、ちゃんとできる様になりたい。
<1831> ('-'*)ネコムライス ■2007年08月22日 水曜日 12時19分36秒
ただ漠然と生きていても何も変わらないんだろう。何かしないと。
でも今の私はいろんな本を読んで映画とか観て、感性を磨いたり、基本的な考え方を変えていく努力しか出来ないね。あとは運動したり。
出来る事はやってるつもりだけど、本当に変わるんだろうか。

ACの問題が解決しないと人間関係も同じような感じになって上手くいかないって書いてあったし、あせって友達作っても失敗して辛くなるから。
だから何事もあせらないでやっていきたいとは思ってる。

でも気持ちは少し吹っ切れた気がする。
このサイトに来ていろんな事を見つめ直しているうちにだいぶ整理出来てきたっていうか。
ある意味諦めなきゃいけない部分と自分でもどうにか変えていける部分があって、それを見極めて意識してやっていくっていう感じだよね。
前よりは自分の感情に客観的になれるようにはなったかも。
でもそれって私の中ではすごい進歩だ。
このサイトに来て良かった。
いつか向き合わなきゃいけない事、今向きあえて良かったって思う。
<1830> ぺあ(FB注意) ■2007年08月22日 水曜日 10時09分40秒
私いつも人はかわいそうだから、私より脆いから、私はどうでもよく、相手をまず守らないと傷つけては行けないと、頑張ってきた。私は世間知らずでいつも同じ年からも、教えを請わないとと思ってきた。人って人に依存して生きてる、だから会話するときも。私は同級生に「あんたにはこうしつけないと」みたいな事言われていたし、きもい男にも「いいこと教えてあげる、何にもしらなそうだから」とセックス強要されそうになった。元カレにも、「君といると先生みたいになっちゃう、なんでかな」とか言われていた。人と無意識の雰囲気とか察して、相手への態度、ほんのうてきに取ってしまうんだよね。人とつきあうと、いつもその人に見られ、評価され見張られている気がしていつも苦しい。幸せでもそれを私は自分に許さないと思う。今もいじめられたあの耳の痛みが、暴力人殺したくなるまでの思いを起こさせる。ほんとは人恋しいし寂しい誰かにいてほしい。でも痛みも自分を殺したくなる思いもあるのかも。痛くて人は怖くて自分もまだ少しかなり怖い。
<1829> Akira ■2007年08月21日 火曜日 21時48分10秒
 なんだかすごいいらいらする。自分に対していらいらする。
 今日病院に行ってきたんだけど、状態よくなくて不安なことたくさんあるのにうまく話せない。Drを変えたばかりだから自分から話さないと向こうはわからないんだけど、病院につくとぼんやりとしてきて、何を話したいのかよくわからなくなる。簡単な話で終わっちゃった。
 自分をうまく説明できないもどかしさ、どんな人とのやりとりでも感じる。どんどん自分の話をできる人がうらやましい。考えるはしから言葉にできる人はいいなと思う。
 今日はそんな感じで、家に帰るまえ悲しくなった。これからどうなるんだろうと不安なのにその核心的な怖さをうまく伝えられない。反射的に表面上をつくろう癖はなかなか変わらない。
 帰ってみると主人がチャットしていた。笑いながら。余計にいらだってしまう。私のことを心配して聞いてほしいのに、自分の世界で楽しそうにしてるのを見るといらいらする。
 主人が元気なのが嬉しい気持ちも本当だけれど、私をおいて一人で楽しくしているのが恨めしい気持ちも本当。
 主人に八つ当たりしてはいけないと思いつつ、自分のいらいらをうまく処理できないで抑圧してしまう、私の癖。
 抑圧するともっと大変になって抑えきれなくなったとき爆発しちゃうからいけないと知っているけれど、感情をうまく伝えることがどうしてもできないから、ほんと、難しいよ。
 そんな自分にうんざりする。自分を嫌いになっては何も解決しないとわかっているけれど、でもできない自分にいらだつ。
 悪循環だな。。
<1828> ぺあ(FB注意) ■2007年08月21日 火曜日 21時07分51秒
私ね、父が自死する一週間前に実家に帰ったんだ。不思議だね。あのころ私、実習でも子供みんなから白い目で、精神病だくらいの変な者を見る目で見られた経験と、大学しめくくりの発表でどうしても心の現実の掴めなさ、もやもや、自分へのふがいなさ、だめな自分をどうしてもクリアしたくて、泣いたの、そこでもみんなから、えっとしらけた引いた視線、そして家族に言った、私を自立させたくないんでしょう?訳わからない。父はいい子なんだ。私はいじめの経験かくしてつらかった、言ったんだ、すべて無理してそれでもこの現実感のなさ、つかめなさが、私を弱くし、いつも人に利用され、いじめられてしまうから。私は何かを分かりたかった、納得して生きてこれた時は一度もなかったから。でも、家族には「おかしくなった、就職うまくいかなくて、心理なんて学んでるから過去にこだわっておかしくなった」と言われた。なにを言っても変わらない、うちはおかしい、でも確かに恵まれている、いったい何なんだ?とても辛かった。もう限界だった、私もいじめられてもそんなことおくびにも出さなかった。もう知らないよっそう思って、この家族お得意の、なんか変なのに笑って私は、じゃあと帰った。この家の悲劇見てやろうと思った、父がおかしいのはすごく分かるけど、声が出なくて、また私は出さなかった。教育実習のような目にあうのはごめんだ。問題あると騒いでも、騒ぐ人をおかしいとみんな見るから。分かっていたよ。やっぱりだったよ。姉も母も発見してそして全部終わって私は帰ったんだよ。私自分の終わりもそうなんかな、自分は頑張っても届かなくて、届きそうな所で今度は今までの頑張ってきた事で受けた傷にへそ曲げて、今までの努力なら届くのに、目背けて知らないと死んでしまうのかも。周りにはもう少しで助かったのにとか言われながら。姉も母も私の方がやばいと思っていたらしい。分かる訳ないんだけどね。私には、もう最後かもって分かったよ。でもこの社会で生きていく限り、予感は遠慮してしまう。父を止めなかった。でもその前まではいつもいつも現実をつかめず、人に言われやすく、真実を求めようとすれば傷つき、ほんとにほんとに寂しくて怖かった。父がしんで、楽になった。やっと、なぜ私がこうだったのか理解でき、間違ってなかったとわかり、休む時間ももてた。そして本当に嘘のように楽になったの。私には父がそっち側にあの時いた事見えていたんよ。
<1827> アーネスト ■2007年08月20日 月曜日 23時13分50秒
また「前に進まなきゃ」って思ったときに以前は、そこまで囚われなかったことが今はすごく重荷になっていることがある。今、まさにその状態、初期の否認が解けていく痛快さみたいなものがなくて。今は一週間MTGを休むとしっかりと否認の状態にもどっている。だからMTGで吐き出した時点ではプラスに転じても一週間でマイナス(落ち込み)に戻る。そしてまた吐き出す。結局、プラマイゼロで進歩がない。
<1826> かえる ■2007年08月20日 月曜日 19時29分59秒
こころに引っ掛かかってる事柄がすべて解消されてまっさらな自分になりたい。きっと。そんなにこだわんなくてもいいどーでもいい事をあーだ、こーだと考えてるんだ。自分でも馬鹿げてると思うさ。いつまで同じ所をぐるぐる廻る出口の無い迷路みたいなのを続けるのかな?要は私が気にしないで、さらっと流してしまえればいいだけなんだろうなぁ。ドライにためらいも無く切り捨てられる部分もあるのに。どうしても執着しすぎて頭にこびり付いて離れない想いがある。忘れたいのに。忘れられない。それはもう子供の頃のトラウマとは違うけど、ある一個のものに執着してしまう悪い癖や人間関係をうまく築けない自分自身へのジレンマやまわりの評価を必要以上に気にしすぎるところや。幼い頃から今に至るまでに私はそんな性質が身に染み付いてしまったんだ。何が私をそうゆう風にしてしまったのか?原因追求で家族環境を嘆くよりも。自分の脳みそがそんな思考回路なら他の誰かまともな考え方や健全なこころを持った人と交換したい。普通に考えて無理なのに、苦しいと逃避したくて実現不可能なあんぽんたんな願望を抱く。
<1825> もえぎ ■2007年08月19日 日曜日 22時42分40秒
何も感じないようにしていたら、嬉しいも、悲しいも辛いも寂しいもなくって感情が死んでしまったように感じる。
でも不思議に怒りは自覚できるんだ。嬉しいも楽しいも悲しいもないのに怒りだけはね。どうせなら、うれしいを感じたいのにな。
<1824> ぺあ ■2007年08月19日 日曜日 21時58分27秒
頑張ったよ私今日もまた頑張ったよぅ。大変なこと沢山あるけれども、てんそくされてきた不自由な心でも、ふつうに生活してる、それがどれほど大変なことか私には分かる。痛むけど、自傷はこの世から私を守る武器であり盾だった、つらかったね、そんな環境いきのびたサバイバーなんだもん。そして人に優しくできる、あなたはえらい、生きているだけでえらいんよ。たっぷり生きようよ、泣いてつらがってでも心解放された時は気持ちいい。たっぷり生きようよ。
<1823> ぺあ(FB注意) ■2007年08月19日 日曜日 17時26分12秒
自分がこれほどおかしいのは自分のもって生まれたもんのせいだと思ってきた。でも少し前に家族なくしてやっと家族に精神的病かくしてきたこと知った。現実と私がぴたっとあった。私に、いい加減1年から変わらずきていい加減変わらないと友達やめるよっていったくそばかがいた。いい年して家族に感謝していい頃なのに、だとかみんなみんな言う。私はもっともだと思った。でもすっきりしない。何かが変。こんな寂しさ分からない人には分からない!そして父が自死した。やっと分かったとそいつらにいって遣りたかった。人は言ったことなんて忘れて責任もとってくれないのに、ああしろこうしろ決定けん笑いながらとりやがってなぜ勝手なことばかりいうの?あんたに何がわかるの?しんで初めて私だって知ったのに、誰も私の変という思い尊重してくれなかった。自死して、やっとわかったかと思ったよ。子供の頃から父がそううつでそういう危機あったこと、感じるもんあったんだよ。そういう小さい頃からの心配な思い、自分生きられなかったこと、自分ばかりせめてきたこと、小さい範囲でしか許されていない心で生きていじめられ続けてきた私の思い、みんな分かるわけもないのに、隙かってなこといってなにも責任もとってくれず許せないみんな許せない許せないよ許せない許せない大学時代のあのいじめ団体も許せない許せない許せない
<1822> ぺあ(FB注意) ■2007年08月19日 日曜日 17時12分28秒
Aさんから入れられた。10才のGW終わった次の日。あまりに鮮明な記憶。私はあの日から23になるまで時間とまったもん。あの子笑ってた、「〇〇〇〇の耳聞こえなくなるかも。鼓膜破れる」そういって心からうれしそうににや〜って矯正した歯見せながら笑っていた。鼻を手術したあいつの思っている通り汚い汚い汚い顔で。私はただただ驚いた。今でもあれからずっとずっと痛いんだ。耳がね。かさかさ痒かったりすると私の中のいじめっこ喜ぶんだ。性欲感じるの。レイプされて性欲感じて悲しいのと同じ。うれしくないのにくやしいのに、身体が自分守るために性欲とか気持ちよく感じて、自分を汚く思うのと同じ。あんな悲しいことはなかった。ねじれるの。つめとつめでつねられて皮べりべりになった時は心がほんとに痛くて。あの痛みならきちんと痛かったと言える。でも耳に蟻入れられたのは、レイプと同じだった。私の身体は悲しみとか超えて、喜んでいるくらいそれで守った。あのときのショックで、私は時がとまったみたいで、どうしようもなく自分しか目が向かなくなった。耳が聞こえなくなると思っていたし、どうにか出そうとしていたから。そのうち夏がきて過呼吸になって、うつのようになって、強迫神経症のようになって、誰にも言えなかったけど。とても孤独で。卒業してから自傷はじめて周囲とばした。そして23まで、きた。人殺したくなるくらいの怒りと悲しみと自傷ためた。近所の行方不明者のちらし見て、ずっと私はお前が殺したんだろうと自分に言い続けていた。親と笑いながら家族ごっこした隙に、人殺し、お前のやったこと知っているぞと私は自分をおどす。自分はびびる。そして自分はにやにやする。そうして誰も私の心に入れずに生きてきた。かつてのいじめっ子が今度は自身が自分をいじめた。耳がまだ痛いの。
<1821> ぺあ(FB注意) ■2007年08月19日 日曜日 16時57分17秒
つらかったつらくない場面でも頑張ってしまうからつらかったつらかった親戚の男の人にも女の人にも自傷する。きもいんだけど、セックスしている想像をするの。そうやって、きもいものを自分の感情に沸き上がらせて私自分守ってるんだ。親戚だよ。でも実は父へもそうだった気がした。ほんとはいい年頃になれば、父も親戚づきあいもいやなの苦手なの。だけど頑張ってしまう。私は男に好かれるのも全部私の責任変なフェロモン出したからという責任かんじていて。親戚なんてありえないじゃん?だから私自傷こめて、セックス場面想像してはきもくなってるの。私ほんとは人怖いんだ。たぶんとても人が怖いの。ちちは繰の時すごく怖かった、なのに皆何もなかったふり。すごく怖かった。父を守ってあげないといけないから素直に父に反発もできなかった。魂にてんそくかけられて、それでも人を傷つけずに生きているんだ。私頑張ってるよ、親戚ありえない人とのセックス場面思い浮かべて、不快感感じて、自分の素直な感情殺して生きている。私には許されないから。人とは膜をはって生きている。人は私にダメージ与えるから。私は汚い女だから。幸せ絶対許してもらえないから。怖かった、親戚の人にもやっぱり少し怖くて自分に不快感与えて自分を守ったよ。私は頑張った。それから右耳に蟻を入れられた痛みが、人を刺したり殺したくなるエネルギー源なんだ。あの魂が心が捻れたぐちゃぐちゃなのに耳がかさかさ痒いのにうめきたくなる自分への嫌悪感。破壊したい思い。今日も包丁見ながら、刺したらどうしよう?と耳の痛みが私を殺人者にしたくてしょうがなくなるの。頑張ったよ。今でも変わらず痛いの、悲しいの、性欲感じるの、刺激なの、痛いの笑ってしまうの自分を汚く感じるの。右耳にあの子から蟻入れられても何もなかったふり。でも私の中には時間が止まった悲しかった。恥ずかしくない、ずっと自分の方をお前は汚いと責め続けてきたから。

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This script written by Shintaro Wakayama.