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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.90
メッセージ数:1800件

<1800> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 22時14分33秒
寂しいな。誰かに受け入れてほしかったな。でも、焦ると変な男に捕まるなあ。人の期待に応えること、相手が思う現実だけが正しくて、それに合わせてきた私の態度は、セックスしたくてたまらない寂しい男、認められたい男には、いいカモみたいだ。気持ち悪い男の部屋行って、服とか脱がされてんの、私。ばかだよね。これがただしい、これは大人になる時にやるべきこと、相手がすべて正しいそれしか思わなかった。今になって気持ち悪い男の顔でてくる。キスされた、舌も入れられた、服脱がされた、アダルトビデオ見せられた、フェラチオさせられた。私は好きだと思っていたけど、内実は男慣れできない自分をからかう母を見返してやりたい、私はおばさん扱いしかサークルでされない、世間でいわゆる恋愛して認められたかった。体の関係持ちたくないって言ったらロミオとジュリエットみたいでいいだとかそのきもいゴミみたいな男言っていた。すげえきもい。その変態は留学生だった。私はたぶん気が弱くて、順位としては下だと見下されてきた学校での家庭での惨めさを外人の彼氏に敬意を示されることで覆せると思ったんだろう。とにかくきもい。あのウジ虫。早く死ねよ。きもい。そいつは私以外の女とつきあって、自分すごいと思っていたみたい。私なんか焦っていた。今はほんと内面の声に従って良かったと思う。焦らないで周りの声も気にしないで、素直にいけば誰かと何か分かちあえる関係築けると思う。もう母や姉の声は気にしない。もう認められたいだとか周囲に見せるために恋愛するなんてやめようね。
<1799> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 09時29分00秒
自分が何を感じているか。それは人を傷つける、その感じた相手の脆い器をばりんと割ってしまう。私は強い、私しか分かってあげられない、私は意識的に分かっている、だから私はその人からなにされても私の感情に蓋をして、受け入れた。そして多くのこどもに人に、何やってもいい存在として扱われ続けた。ただただ寂しかった。それを友人に伝えたら「もっと冗談わかりなさい」「もっと人の話し聞きなさい」「親なくなった同級生のお葬式行った、家族は大切だよ」同一人物から言われた。そいつには父がなくなった時電話して「私父に謝りたいごめんなさい」って連呼しまくった。私はただ泣いてストレス後でこないように予防線はっただけ。ほんとは一つもそんなこと思っていない、ごめんなさいだなんて。その豚友人とは二度と会いたくない、私にはその豚のアドバイス聞くだけの、ふつうに育ってきた人のアドバイス聞けるだけの土台がなかった。でも大抵の人は私がおかしい、いいとししてと私を責めた、そう言う人しかいなかった。今の私は自己弁護しようとすると自傷してしまうの。書きながらも。つらいな
<1798> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 09時18分22秒
私は中学から周囲をとばしはじめたんだけど、それほど人が人の弱いもの見つけ、つけ込むように何やってもいいとはけ口にする姿に私は敏感に反応してはそうゆう人しかいなかったから、同級生に怯えきった。高校の頃、辛くて辛くて今までため込んできた怒りが私を抑鬱的にしたし、私を人から防衛的にしたし、状況に身をゆだねることが恐ろしくてできなくなっていた。私は母に言った、「いじめられていた」って死ぬほどの勇気出した。「今更言われたって何もできないじゃないか」って言われた。私が「私のままでいいって私いつも言われたかったんだよね」「いつか大学で運命の出会いでそう言ってくれる人が恋人ね」私が「辛い、カウンセリングの電話しようとした。」「すればいいじゃないかっ!」学校休もうとしたり人の視線が辛くてもうやめたいと言ったら「そうやって逃げるのかっ!」って言った。私守ってあげたのにって思った。母としては「はあ?」という感じだったみたい。母に不満ぶつけたら、父に「俺には何やってもいいけど母さんに何か傷つけたら許さないぞ!」って怒鳴られた。父にもう飛び降りてやるって二階から飛び降りようとしたら「やれよ、死ねよ」って言われた。「人が怖いの」って訴えたら「人が怖い…?」って怯えたように私をみて言った。ただただほんとに寂しかった。今でも私は親に良い家庭で育ててもらった、何でも何でも買ってもらったと思っている。でも問題けして、見ないで、ただずれた旋律をそのまま走り続けて、何言っても「思春期だ」「就活うまくいかないから、お前おかしくなった」だの表面的にしか見られなくて、そして最後はちちの気分障害による自死が大波のようにきた。誰も誰もいない人いるのにいない笑っている。私たくさん良いことしてもらったけどでもこれは私からみた現実なの。
<1797> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 09時00分55秒
私はあの頃必死で母を守ろうとした。とにかく母がかわいそうだと感じていた。母を守ってあげられるのは私だと思っていた。私はちちが怒りでばかにする発言をしてさらにそれをエスカレートさせようとする時、怒りのスイッチが入った時、何かが気に入らない時、私は瞬時に察知しては、母にぶつからないように、お父さん笑わせた。お父さんにこうだよねって場違いなこと言ったり、大人の評論家のように発言したりした。ちちはわらった。さすがだとか私の名前だけにはさん付けしたりした。寂しかった。なんか父にもお前だけはなんか特別ってすごい変な性的意味合いがある感じもしてすごい嫌だったし、母の座を取った気がしてなんか場違いの場所にたたされた気分だった。子供なのに飲み屋のママみたいにさせられて、サラリーマンのグチに母のように、甘えさせて、うんうんいいのよ、よしよしって私がちちにしている気分がして、変になんか覆い被さられている気分とただただとても寂しかった。あの頃、私実況中継みたいに変に粋がって日記つけていたな。
<1796> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 08時51分00秒
母はちちが繰気分の時にお薬の副作用もあったんだと思う、すごい攻撃的態度とられていた。見下して、傷つけるような発言して目が怒りに燃えていて、あざけり笑っていた。私が12歳頃だった。それまでも私は母がばかにされている対象にちちに扱われ姉に同調されそう扱われていたけど。私あの頃学校ではある女につねられたり、体に虫入れられたり、お前のお母さんはいいお母さんでずるい、いいねぇって攻撃されてた。私は人の感情の掃き溜めゴミ箱でいいと思って、ばかみたいにあの子のストレス受け止めていた、必要とされたかったし、私ならあの子理解してあげられると思った。寂しかった。家に帰っても私には泣ける場所もない、父の怒りもこの家族も意味が分からなかった。ただ何も理解できない、ただ家族のイベントこなして、誰からも異常な人と思われないよう先生の仕事増やさないように、生きるだけで精一杯だった。笑っていても家族の中に背筋が凍るような寂しさや孤独の風が吹き抜けるようだった。ただ私は意味も分からず、世界とはいつまでたっても仲良くなれず、こころはぎくぎくし、子供の弱い者を嗅ぎ分ける本能とエスカレート平気でさせていくあの子たちのからかい、ばかにし、笑い続ける場所に私は行くしかなかった。
<1795> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 08時34分57秒
私は家族が生まれて物心ついた時には、母が父と姉のばかにされている対象になっていた。今もよく覚えている。高速道路のICで、母が私たちに食べ物買ってきて、その歩き方がるんるんってしていて、お前おかしい、やめろ、変ってちちが笑いながらでも見下したように言った。姉もばかにしたように笑って同調した。私は母の天真爛漫さすごくかわいいと思ったし、父と姉の見下した言い方は嫌で「そんなことないよ。かわいいじゃん」って反論した。
<1794> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 08時29分22秒
いつまでたっても、人の肩代わり。言えない人の代弁者。仲違いの通訳。人のことばかり考えてきたから、自分の人間関係築けない。友人や親友恋人だっていない。なのに、あんた男友達くらいいるんでしょ?だとか、いつまでも独り身でだとか、ホルモンバランス少し不安定で妊娠しにくいかもって病院で言われたら、相手もいないくせにってバカにされる。いつまでもこの子ちちに甘えて、仕事もしないだとか近所の人、母の実家で言いふらされる。私ずっとこの家庭は変って思ってきた、問題ないことが一番大切とされてきて、問題は見ない触れない感じないだった。時がすぎるまでだまってないように振る舞うだった。私の抱えた問題なんて話せる訳がなかった。私は家族の暗黙の方針と同じように、いじめられても、何も起きてないように振る舞った。
<1793> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 08時21分03秒
私ね今なら子供の頃、なぜ誰にもマイナス感情話せなかったのか分かる。母は暗い暗いとか言って、スキーだの、明るいことばかり求めていた。私の悩みは、暗い。あんたみたいな子じゃなくて、H君やKさんみたいな明るくて異性とも仲良くできて異性にほおって置かれないような明るい子供の方が好きだとか、比較されてきた。いつもあんたは気が弱いって言われ続けてきた。私は今母ががんとか病気になってしまうんじゃないかっていう恐怖感におそわれているの。私は母ががんとか病気になって事実受け止められなくて、うまく生きられなく、いい終わり迎えられないんじゃないかって思うの。私の直感は鋭いとこあるから怖いの。なんかしてあげないと、母も間違った方向に進んで、進んだらもう戻せない気がして怖いの。父とあんな終わり方になってしまって、代打撃だった。だから家族をもうそんな風な、辛い感じでなくしたくないの。怖いの。祖母の気分障害も何かしでかしたらどうしようって。前までは祖母にも殺してしまいたいくらいのそれくらいの怒り、暴力ふるってやりたい感情あったのにね。心配しているときは、自分の中の怒り忘れられるみたいだ。
<1792> ぺあ(FB注意) ■2007年08月07日 火曜日 08時10分05秒
母が切れた。祖母を家に引きこもって何にもしない、近所の人に相手にされたり、あんたたちが可愛がられるのは、全部私が頑張って関係作ってきた結果じゃないか、って言われた。ちちがダウンした時、私が全部全部あんたたちの学校のことも面倒見たんだだって。そしておきまりのパターン。そううつだとかうつだとかもういい加減にしてよ!私は普通の普通の家庭で育ったんだから。それをほんとに死んでしまうなんて、もうたくさんっっ!って切れまくってゼイゼイ泣きまくっていた。なのに私が「頑張ってきたと思うよ」って言ったら、「頑張ってないよ。我慢していただけ」だって。
<1791> ぺあ ■2007年08月06日 月曜日 14時35分57秒
気持ちや病気は何らかの原因があるからでてくる。体はとっても素直なんだよね。私昔トラウマを負った、それを自覚されている方と会いたかった。会って、慰められたかった。こんな失礼な話しないけども、戦争で被害に遭われた方にも会いたかったんだ。今でも印象的なのは、元日本の軍隊の従軍慰安婦にされたおばあさんが集まって暮らす韓国のお家の代表の方が出された、本があって。そこに、「今の人は幸せよ、昔の韓国では女性は道で会う男性の顔を見てはいけなかったんだから。だから今の女の人は、自分のやりたいことやりなさいよ」って取材に来た女性記者におばあさんは言った言葉があったこと。私はすごくお節介だが、社会が戦争賛成に傾くムード流れになるのが怖い。それは、いじめが私に公認され、何やってもいい存在だとレッテル貼られて、そんなに親しくない人からも、そう扱われていたあの狂気な集団の中にいた恐怖が、社会にも広がることだと思うから。自分を大切にできる、押しつけではなく尊重されながら、してもらえる関係を人と築くべきだ。私はACと認めている方って、今の勝ち負け生き方論争とかしてる低脳な価値観とか、集団で誰かを祭り上げたり、けなしたりバカにしたりする流れにはない、大きな可能性を秘めた存在なんじゃないかとお節介ながら思っている。今日は原爆投下の日。私には何もできないけど、私は人の決めたレッテルじゃなく、暗いとか、くそまじめとか笑うのでもなく、もし体験者に体験談聞く機会あれば、耳を傾けたい。だって核のある世界に生きてしまっているから。私も今の人も遭う可能性だってあるから。アメリカに仕返ししようとせず、戦後の世間の視線に晒されてきた被爆された方は、やはり精神的にとても強いと思うから。
<1790> ぺあ ■2007年08月06日 月曜日 14時11分35秒
沖縄の言葉で「てぃ」という言葉があるそうだ。沖縄の人の元来の生き方は、人に負けない、でも勝たない生き方だそうだ。いいなあと思った。今日は原爆投下から62年目だ。自分の体験を語るお年寄りはつくづくえらいなあと私は思う。きっと未だに語れない人も沢山いて、語らず亡くなった方はもっといるんだろうな。戦後、被爆者は顔の後遺症でいじめられたり、避けられたり、蔑まされたりしたそうだ。人はいつまでも辛い記憶見せられるのは嫌なんだろう。でもそういう方を見ないように、自分と関係ないように蓋をして、日本は経済成長飛躍的にして、子供は沢山モノを与えられてきた。それで「幸せだ」と思えと辛い大企業勤めのちちの姿見て、「これだけやってやっているのに」と強迫じみた顔されて、心は辛くとも見せかけのように笑っていなくなった父。何で人の真剣さをそぐようにするの?何で人はレッテル貼られた人を集団でいじめるのか?自分の頭で考えて行動することはやはり怖いのだろうか?ちちはいない。それでも何もなかったかのように、祖母も母も。私は父代わりに働いて稼げと母に言われた。父は気分障害あったのに、母に私をこんな目に遭わせてとか言われて、親の介護も全部やった父。私この家で何の問題ないように振る舞って、父と同じようにお金稼ぐ生活していくのいやだよ。
<1789> ぺあ(FB注意) ■2007年08月06日 月曜日 09時02分29秒
私はまだ自分がACだと想うことに、どれだけいい思いさせてもらってきたか、たくさん経済的援助も美味しい物もたくさんもらってきたかと反射的に、普段通りに明るく家族の中で振る舞いながら、自分は変なんだろうなと想っている。私は母の物音うるさくすることを聞くと、心ががくがくする、心の中が恐怖に近い感情嫌悪感怖いと想う。母は子供の頃から、文句は言いたいことははっきり直接言えない人だった、ちちに普段は的のようにばかにされ姉もそれに同調してばかにしている、変な空気があった。でも母は、一端怒りスイッチが入ると、いきなりお皿を叩き割るくらいば―んば―んと片づけの時にやる。なんでも物音が大きくなる。私怖くて指ががくがくしてる。新聞の置き方もばさっ、ドアもばんっ、すべてばんばんっと。それで、分かって貰おうとしているのか、当てつけなのか、怒りの表現なのか分からない。それを見て父はやばいって顔して気まずそうに笑っていた。どうにかしてよと私に目で訴える。私は今でもこんな状況でも自分のACさを否定しようとするし、親にすまないと想うし、自分はうそつきな気がするし。でも母の物音は大きくなると私はすごく怖い。
<1788> ぺあ(FB注意) ■2007年08月05日 日曜日 21時35分32秒
弱まっている人の声を聞かないこと。人のまじめさを笑うこと。真剣に人と向き合わないこと。私は一番大切だった人をなくした。人がなくなれば諸々のことがあって案外あっさりしたもんだった。でも私の救世主願望からだけど…どうか弱まっている人の声に向き合ってほしい。私には傷つきまくってもうちちにおかしいよとか言ったり姉や母に言う感情が違う方向に向かった。ばかじゃんもう知らない、しんでもいいって笑っていた。私は見捨てたね。たぶん。どうか私にもここに来る方にも、まず自分を大切に自分を大好きになること。いのちはいろんな食べ物や環境や有形無形の人の関わりであることを知ってほしい。こんな事言ってまさしく私は救世主願望とお節介の賜物だけど。私はたぶん夜になるとハイになるから、こういう風にいい社会つくりたいと意気込むのだが。エンパワメントの思想がもっともっと広まって、人が無理しないで元気に生活して、人と支えあえる社会になってほしい。
<1787> ぺあ ■2007年08月05日 日曜日 12時03分32秒
ただ健康な自尊心がほしい。人が私に覆い被さらないでほしい。人と私の問題すり替えず、幸せ感じて生きて。小さい時すっごく生きていること楽しかった、世界も人もすべてきらきらしてた。その一番の要因は自分のこと好き、人が笑ってくれるのうれしくて手を振ったりした、人が好きなそんな事する自分がとても好きだった。だから生きていることも家族も友達もみんな好きだった。子供はきらきら輝いているのはきっと子供は自分が好きだからだと想う。自分を大切にする自分が好き、大学時代の素敵な女の子たちはその健康な自尊心を壊されず、少しずつ問題乗り越えて大人になって社会性身につけてきた、そんな感じだった。自分をまず優先当たり前のことできる人たちだった。その上で人を助けるから無理もないし相手を無力化もしないし、相手の問題を奪わない。幸せでいて当たり前その上で彼氏との喧嘩に悩んでいたりしてうらやましかった。でも自分で自分の世界まわしている強さがあった。
<1786> とら改めけんと ■2007年08月05日 日曜日 07時11分41秒
想いのままに(むかいついた後で)独白なんで不快な方はパスしてください

 仕事しながら考えた(3回めの書き込みすいません)。俺って・・・・
ずいぶん考えるようになったなあって。でも俺も一言意えっかて。予想は予想。現実は現実。自分の感情と相手の感情は違う。男と女の違い。生い立ち、立場。これからいろんなことがあると思う。けんかは実は一回したことがある。

 またあるだろうし、あったほうがいい。互いに出方を見てる。あいつは良く考え抜いた上で、聞いてくる。以前そうだった。そういう人だから良いんだ。

 軽い女性じゃない。考えの無い女性じゃない。人生経験もある。慎重でかつ行動する。そういうところは良く似ている。星座もあう。会うたびに互いに勉強だ。

 恋愛はコミニケーションだと言う。でも、どっか駆け引きがあるよ。少しずつ自分を出し、どっか隠す。俺自身も過去の女性関係はまだいってなし、彼女自身も詳しくは話してくれない。まあ、そのうちね。

 時間を経るたびに互いに変化しているよ。俺自身、ずいぶん変わったと友人や知人に言われる。父も逞しくなったという。そんな変化を彼女は敏感に分かると思う。付き合い始めの俺は何か情けなかったけど、今はやる気満々で、自分でも良いのかなと思うし、たまに思いやりに欠けて落ち込む。

 一番分かりやすいのは親友との関係で、気を抜くと失敗するし、彼女に対してはやってはいけないなと思う。慎重で大胆であれ。そう感じる。

 うまくいく時、うまく行かない時あるよ。泣きたい時もあるよ。でも、それでいいんだ。だって対人関係だもん。とにかく努力しよう。自分を変えていこう。

 今、思い上がっているし、謙虚さが無い。いかん。謙虚さを失えば失敗が待っている。恋愛も仕事も良く似ている。どちらもいい加減なら、そんな結果しかない。良く過程が大事と言うけど結果を出すための結果であって、まだいろいろありそうだ。この点、仕事の方が楽だ。

 想いのままに書きました。
<1785> とら改めけんと ■2007年08月05日 日曜日 03時15分36秒
むかついた時に2

 まだ書き足りない。思いの整理のためにもう少し聞いてください。過去のトラウマでのフィルターで彼女を見ると辛い。悪く見えてしまうんだ。前の前の彼女と今の彼女は良く似ている。不器用なところと世間知らずなところと前彼との問題を抱えているところとか・・・・

 そんなことは冷たいけど彼女自身の問題なんだ。昔の俺なら乗り出して聞いてあげたかもしれない。今の俺は達観し、何も言わない。余計なことで、自分で解決しなと思う。助けることがいつも必要じゃない。相手がやってできない時に初めて、話をやっと聞く。相手も人生経験があるし、いい歳だ。自分の人生経験で、対処して欲しいのだ。

 見ている俺は正直辛い。冷たいかなと感じる。自分を責めたくなる。複雑な思い。書いていてすっとする。泣きたい気持ちがあったのだと。

 これからも彼女とはいろいろあると思う。お互いの事情でなかなか会えない。あってもあっちが話をしない。だからおかしくなる。でも強引に喫茶店にひっぱて行くわけにも行かない。それじゃ支配だし、共依存だよ。

 会って相手が落ち着いている時に気持ちを伝えてみようと思う。大事に思っているよ。でもあれは無いんじゃないのって・・・・

 どんなことも意味があるし、自分を治すチャンスかな。
<1784> とら改めけんと ■2007年08月05日 日曜日 03時02分57秒
むかついた時に

 自分は短気じゃないが、やはり無視されるとむかつく。そんな時、自分が腹減ってないか、イラついてないか、疲れてないか感じてみる。そんな時は自分が原因だ。相手も事情や感情がある。ロボットじゃないんだし、相手が女性なら尚のことだ。

 とにかく見方を変える。自分の捉え方が悪いと。良い風に受け止めなおす。本当に辛いなら泣く。ノートに気持ちを書く。それでもだめならここに書いてみなに意見を求める。とにかく悪く考えるのはよくあること。そんな時は動く。行動し、消極的な考えそのものを消してしまう。そうすると根本は自分自身の抱えている対人関係のトラウマだったと分かる。女性なら母親との関係。男性なら父親との関係でできたトラウマだ。

 書いていて泣きたくなった。辛い過去が多いな。未だにいろいろと思い出す。フラッシュバックまではいかない。でも、書いていて、今起きている出来事が過去のこと関係があると感じる。泣きたいと思う。

 昨日、コンサートに行った。そこで思い切り泣きました。辛かったこといっぱいあったなと。いろんな想いがあったな。辛かったな。苦しかったな。悲しかったな。いらいらしていたな。嬉しかったな。複雑な想いがあったな。込みにケーション不足だったなと。

 心の持ち方は相変わらず下手だな。でもうまくなっていくと思う。だってあきらめてないもん。下手なら下手で良いし、試験じゃないし、何回練習しても良いんだから。

 相変わらず生きるのは不器用で、良く誤解されるよ。すぐものが言えない。なんかためらう。特に妹と似ている女性は苦手だ。大体、不器用な女性だ。自己中な女性は苦手だ。なんか勘違いしているだよ。

 そんな時は見守る。良い捕らえ方をする。何回も自分に言い聞かす。相手も人間。不機嫌な時もある。女性であれば女性特有の生理がある。仕方ないじゃないか。

 でも、こちらも感情のある人間で、自分の感情に焦点を当てる。イラついた。むかついた。苦しかった。悲しかった。うまく想いいえなかった。なんか複雑な気持ちになったとか・・・・・

 後は好きなことする。コーヒーを飲む。タバコを吸う(人による)音楽を聴く。散歩する。仕事に行く(人による)大声で歌う。泣き叫ぶ。人の気持ちを聞いてもらう。辛すぎる場合はカウンセリングだ。

 俺も辛い。彼女が冷たくなった。理由は分からない。今度聞いてみる。ともかく悪く取らない。良い風に取り、こちらが悪いなら謝る。来週会いに行こう。俺が悪いのかどうか確かめる。とにかくタイミングを計り行動だ。
<1783> ぺあ(FB注意) ■2007年08月05日 日曜日 01時33分23秒
なぜちちを私は笑って心を突き落とすような埋めるようなことしかできなかったんだろ。運命はある。ちちのいのちはちちのもんだ。でも私は子供ん時から父がそううつで、当時は知らなかったけど、人が変わるように暴言はいたり、いつもため息と募る悔しさとか見ていた。父が亡くなってショックでしょ、でもしっかりしないとだめだよ、周りの声がある。ずっとACと認められなかった日々、周囲の生き苦しい人から、責められるようで自助グループ行っても私はまだましだと自分責めた。友人には私の感じた感情否定されたり、拒否されたりした。家族と距離置こう何度言い聞かせても、心がだめだって渦巻くの。ゴーって心の中で変に何かが渦巻いた。私はどうして?と想った。どこにもいけなかった、どんなに頑張っても、周囲は私から引いて、私は笑っていても心は離れてた、人を殺したいくらいな暴力性が渦巻いていた。どんな話しを聞いてくれる人の前にいても私のほんとの渦巻いた重い何かを話せない、助けが必要なのは分かったのにどうにも動けなかった。そしてある家族旅行けんイベント前に私は家族に対して営業用の幸せ家族を演出しないといけなかった。逃げられない状況の中で私はトイレで見えないところで素直な感情を手首にぶつければいいと念じてその日を不安げに待った。自助グループで一回素直な気持ちはこうと想った。でもその一週間前にちちは自分でしんだの。そして私は連絡うけて、ああ行かなくて済んだ、と想ったの。ちちがなくなって私はちちが精神的に病気ももっていたと知った。そしてそれを父が一番嫌がっていたことも。私も精神的な病持てばちちの気持ち分かる。そううつ気分障害になって大企業に勤めて男として社会の親からの重圧うけて妻子供養ってはじめて分かるね。お父さん私はやっぱり助けなかったのかなあ?早く自分が素直になって不登校になればよかったのかなあ?うその笑いで何億光年も離れて見えた父を私は笑っていた、私の過去と同じお前も苦しみ分かれ、私はもう実習でも前の時にも流さないで騒いだら白い目されて頭おかしい人扱い受けたもん、もう二度とあんな目で見られたくなかった。ちちの姿を見てももう知らないとしか思えなかった。あんなに家族旅行行ってもたくさん助けて貰ってもこんな形でしか終われないんですね。私はこんな気持ちしか持てないんですね。今でもばかにされたようであなたがなくなったこと確認するたびばかにされたようだ。
<1782> かえる ■2007年08月04日 土曜日 20時39分51秒
私の居るちっちゃな世界。生活範囲だって狭いし、人間関係だってまわりのすべての人と親しくなれるほど世渡り上手で器用には生きられない。〈もっと視野を広げて色んな価値観を受け入れて、みんなと仲良くせねば〉と、無理して物分かりの良い〈できた人〉になろうとしたが。結局だめだった。自分のがんじがらめの凝り固まった考えはどこからやってきたのか?それは次第に大きくなり膿となり私を蝕み苦しめる結果となった。でも今。〈自分の感じたままを。有りのままに感じていい。表現していい。相手に主張していい。受け入れていい。〉何が〈善〉か?〈悪〉か?は道徳的に決まってるけど。誰でも失敗したり道を踏み外して〈負〉になる可能性があるんだから。問題は間違いを犯した後にどう自分が対処し失敗から学んだ事をこれから先にどう活かしていくか?なんだと思う。悲しいけど。自分とまったく同じ見方、感じ方、価値観を持った人などいやしない。だから時に自分が相手に対して嫌悪感やマイナスな感情を抱いても当たり前なんだ。みんながみんなちょっとずつ歪んだ部分を持っている。それでも世の中に聖人君子がいないように全部が〈悪〉な人もいないと思う。同等に良い時もあれば悪い時もある。だから自分の勝手な決め付けや理想主義は通用しない。生きていて応用力や柔軟性が必要になってくる。白黒はっきり分けられなくても。それでよしとしよう。相手の個性を認めてあげれるなら。自分の中の異質な部分も〈個性〉としてちょっとは認めて受け入れてあげよう。誰にだって他の人には完璧にはわかってもらえない事情や心情があるからこそ、自分と誰かが共通な接点ができた時に素晴らしいんじゃないかな?全部一括りにできないからこそ一つ一つに持ち味があって素敵で面白いし一緒になると相乗効果が発揮できるんだ。見方を変えて。キラキラしたものを捜し出すのは自分次第なんだ。〈なんとなく今の心情〉
<1781> kahori ■2007年08月04日 土曜日 07時12分26秒
やさしさを、誰かと分かち合いたい気がして、胸が一杯になる瞬間がある。私のやさしさはどこへゆくのだろう。どこかでやはり大きな無限のやさしさを求めているのだろう。それはもう無理なのだ。そうあきらめて、目の前の現実の中から、小さなやさしさをパッチワークしてこころにおさめる。

どんな人にも最大限やさしくして最後は自分が傷つく。そんなことの繰り返しだった。人生の苦しみは誰にでもある、と思うと、目の前のどんな嫌な人にも、苦しみを見てしまい、自分のこころを疎かにし、相手に没頭してしまう。境界がないのだ。境界を保てない。人類愛より隣人愛の方が難しい。

自分のこころにあるものをどんな時も最大限に愛すること、と思っているけれど、どんな人の顔にも、苦しみのかけらが透けて見えて、私は人にやさしくすることを止められない。それはお節介で、結局は自分にやさしくしたい気持ちからなのだとわかっていても、私はやさしさをやめられない。

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This script written by Shintaro Wakayama.