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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.89
メッセージ数:1780件

<1780> みゅー ■2007年08月03日 金曜日 02時31分00秒
分かってはいるんだよね。「自分の人生、自分で決める」「君の人生なのに、どうして兄貴の指図した通りに生きなきゃならないの?」
いろいろないろいろなことが最近ありすぎて、兄ちゃんが不満持ってるのは分かってるんだ。でも「兄ちゃんにとって一番大事な人」というか、「いなくなったら一番困る」って存在。あたしにとっても「もし何かあって、いなくなったら困るかもな」な存在。「母親」。う〜。う〜ん。

親とか「父」とか「母」ってなんだろうね。うちの場合は「母」は、兄ちゃんがストレスたまった時に、いじめられるあたしの中間に立ってはくれるから。でもなぁ、なんか今日は結構暑かったし病院つくまで、結構汗かいたし。疲れてるのかな。
「父親」ってな〜んもしなくてよかったの?何にもしなくて、ただ外で働いて家とかで何かしら問題が起きると、すぐさま女親のせいにされてないか?
あたしも「母親」のせいばっかにしてたような、でも「母親」しか「血のつながった親」ってのはいなかったし。

「自分の人生、自分で生きよう」とか「働いたら死ぬ気で働け!死ぬまで働け!」とか勢いづいてるけど。でも「死ぬまで働く!は、やめましょう」って先生に言われちゃったさ。「どうして、そこまで自虐的というか破滅的になれるのかな?」って先生も言ってたけど。

でもさ、今日、「家のこと」とか「あっちとこっちの親戚の事」とか話してて、あたしとか兄ちゃんとか、お母さんとか、生まれてからの問題が、そのまんま変わらないまま、気がつかないまま、どんどん雪だるまをごろごろころがしてくみたいに、妙すぎる雪だるまが、うちらの年齢と共に妙な形に大きくなっちゃったんだよね。
このまま妙な雪だるまを、ずっと転がしてくのか?やだなぁ、それ。
勢いづいてるのは、今だけかな?明日になったら、また「どろろ〜〜ん」って、うつにどっぷり・・・なっちゃうのかも・・・なのかな。
<1779> ぺあ(FB注意) ■2007年08月02日 木曜日 09時56分25秒
私今日朝起きて、自分いじめしたら刺激あってうまく目さめると想った。いつも子供の頃学校でやろうとし、それで周囲を心に入れず自分を守ろうとしたのに、それまでのうねりたまっていた私の怒りが行くさき見つけたかのように、自分に向かった、ついには一人の時もやめられなくなった自分いじめだ。常に刃を自分に突きつけて自分をあざ笑いながら生きているようなもんだった、14歳から23歳くらいまでは。周囲が安全になってもとまらなくなっていた。いつもお前を監視してやるぞと自分に刃突きつけて見張っていた。今度の自分いじめのねたは、ちちがなくなったときのお葬式のときの焼かれるときの骨になったときのはしでひろうときのことを想いうかべた。ちちの自死のまえのときの心情思い浮かべ自傷しようとおもった。自分いじめのねた捜し当てた14の頃の中学校でのパソコン教室の画面の前の私を思いだした。こういう風にやっている時、私は、自分は心底汚い、誰からも気持ち悪いって言われる存在だと想っている。いつまでもいじめた女の顔が忘れられない、ちちの気持ち想像しては息苦しい。周囲を何億光年も飛ばして生きるのはよそう。でも子供の頃の私のひどい扱われかたどんな人にもされた痛みや悲しみは消えないよ。大丈夫。
<1778> ぺあ(FB注意) ■2007年08月01日 水曜日 18時42分47秒
どうしても忘れられない記憶がある。時がとまった10歳の5月。そっから人に怯え人を寄せ付けたくなくて、素直な想い隠し続けて生きてきた。一番大切な時期を精神的なひきこもりを自傷でやって周囲を私の心に入れず自傷して10年くらいたった。そうでしか生きられなかった、必死で大学時代周囲と私の間にあるもやを取ろうとした。自分の素直な思いなんか無視した。恥ずかしい、気まずい、辛い、怖い、うらやましい、悲しい、苦しい、不安、憂鬱、疲れる、眠い、弱気たぶん世に言うマイナスの感情はすべて無視した。自分の体感実感感じることは誰かを傷つけることだった、今までの人の私へのいじめを認めることだった、私は自分を置き去りにして世間に見せるために生きてきた、そうやって生きて責めて親や同級生いろんな人に言いたくもないのに過去のこと言って辛かった本当はすごく怖かった。怖くてもいいんだよたぶんそれが素直な想い。私は今大嫌いな私に頼ってくるやつがいる。そいつを想うと気分が萎える。
<1777> ぺあ(FB注意) ■2007年08月01日 水曜日 18時31分50秒
大学2、3年の頃、やっと自分は世に言う「いじめ」に遭ってきたんだって分かった。私が悪いわけではなくて、いじめた方に問題があったんだって実感として理解できた。世界が少しだけ理解できる秩序あるものになった。それでも、どうしていじめられたのか?という辛い悲しい問いには分からなかった。弱かったから?私は染みついた信念のように、自分は汚いからだと想っていた。私は汚い、拭い難い想いをいじめを受けてきょういぞんになってきて、そういう人間関係しか作れない、幸せ気持ちよい自分のこと好きそう思えると、今苦しんでいる人が私を恨んで嫉妬して私を責めてお前ばっかりずるいずるいと全員に言われている気がした、だから私はそんな自分はずるすぎるとそういう状況を自分で避けた、そう言うときこそ自分を自傷してきた。私は生まれつき汚い。生まれた誕生日の運命からして汚い。そう想ってきた。それで何かから許された気がしていた。私寂しかった、ずっと。いじめ受けていると慢性的になにやっても良い存在だと気まぐれにいたぶられていた。それは私の想像を超えたところで悪い影響与えてきたと想う。私怖い今でも子供のような不安定で怖くてそれでも世界を変えていけるだなんて変な信じ込みがあって。
<1776> ぺあ(FB注意) ■2007年08月01日 水曜日 18時18分38秒
母を思うと姉を思うと…真剣に死について思うことや自分がほんとはやりたいと思うことへの気持ちが萎える。笑われるのもえって顔されるのも笑いの一部になるのもバカにされるようになるのもいやなんだ。素直な私の思いは、嫌いな人にもう二度と顔会わせたくない。今までずっとその人を傷つけない為に私は自分の気持ち抑圧した否認した、感じないようにした。そしてその人を喜ばせるようなこと言ってきた。そうやって思いにふたした。ほんとは私怖かった。でも怖がっていれば、学校にいる子供は畳みかけるようなことするよね?親はこの子は世間でやっていけないって心配しては親戚に笑いのねたになるよね?姉にはただ傷を笑い話にされるよね?私を笑わず真剣に向かってきてくれる人がほしかった。今でも忘れられないよ。あの子の顔。笑い顔。いじめていく追いつめられてしまう私。耳にありはいってしまった事。怖くて怖くて日常が真っ白になったこと。それなのに追っかけてくる、周りには絶対見えない。姉は笑う、母は心配させてと怒る。これだけやってやってるのに。私はあの頃必死に普通の子供は傷つかない普通はこんなこと笑って流すことなんだってずっとずっと私に課して、こんな怒りを持つ汚い私が悪いんだ汚いからいじめられるんだ来る日も来る日もずっとずっと大学入ってからもそう思い続けた。
<1775> みゅー ■2007年08月01日 水曜日 15時49分24秒
期待しちゃいけない。望んじゃいけない。希望はかなわない。
「期待するだけ馬鹿をみる」それが、あたしのモットーのはずなのに。やっぱり期待した、あたしは大バカだ。ほんとに、あたしはバカだ。こんな自分に腹が立ってしょうがない。
あたしなんか、どうにでもなれ!もう、しらん!
<1774> ぺあ(FB注意) ■2007年08月01日 水曜日 11時18分54秒
私怖かったんだそれほど怖い場所にいたんだ。私は怖かった。みんな分からない顔して世界みているけど。あのNさんの水面下の怒りもいやすべて怖い世界にいた。それでも普通をやらされて実習なんかほんとは生きたくなかった。でも姉が言うから。姉の発言は偉大なの私にとって。だって家族のみならずすべての人にばかだ世間で通用しない気が弱い、子供の頃から笑われながら言われていた私をこどもが放っておきますか?こどもの勢力が私をいじめていい存在にしたら先生放っておきますか?私の被害妄想も多少はある。それでも私はほんとはとてもとても怖くて怖くて。でも素直な思いなんて弱い人間だと家族から笑われて世間でやっていけない、普通じゃないって評価されてその後ずっとそういう子だって言われ続けるから、出せない。ほんとは怖い怖いの怖かった。ねたにされまくった演劇集団で辞めた時私その人たちに集団で一人暮らしの部屋まできて殺されると思った。それくらい私は怖い。気持ちを受け取って平気だよって言ってくれる人も誰もいない。ただ笑われて皆の前でねたにされるか、せけんで通用しないと叱咤されるだけなんだ。だから素直な思いが分からなくて、姉の世間でうまくやる助言と人のぎゃあぎゃあ要求する助言だけを頼みにいきてきた。結果はいつもおまえはやる気あるのか。不足者。そしてねたにされからかわれ、なにやってもいいぞ的存在になる。
<1773> なずな(FB要注) ■2007年08月01日 水曜日 00時23分00秒
ずっとがんばっていた。でもどれだけがんばっても、たとえどんなにいい評価をもらえても、わたしのこころはいつもからっぽだった。

 頑張ってがんばってがんばりつくして・・、辛くて死のうとしたこともあった。
 でも今回は死なない。たぶん、いや絶対。
 もうがんばってなきゃ存在してちゃいけないって誰かの考えに踊らされない。
 頑張らないんなら死ね!っていう考えにも支配されない。

 もういいよ。頑張ってない私でも、ただいるだけでもすごいことじゃない?
 普通の尺度で見たらおかしくても、わたしはわたしだからさ。
 
<1772> ぺあ ■2007年07月31日 火曜日 21時15分59秒
感じるままを感じていい、そう言われると恐ろしい。だって、それなら多くの人数数えられない人から、私ほんとにひどい扱い受けてきたから。それでも、姉だ母だ、友人だ、彼は良い人だ、私がおかしい改めるべき人だ、感情だと思ってきたから。私はいつも元気になれば、救世主のような気持ちになる。うまく現実わたれない。地元に帰ってきているから元同級生や実習先のこどもに会いたくない。みんな笑っていると思う。母はよく私をバカにする。姉にも母にも私のほんとにやりたいこと見せたくない。えって顔されて親戚の笑いのねたにされたらと思う、くだらない事しかやらねえんだろっていう姉が怖い、それなのに姉と母を弁護してしまう。正論だけでは家族の中を生きられないよ。
<1771> とら改めけんと ■2007年07月31日 火曜日 20時47分13秒
今日の気持ち

 いろんな気持ちになった。自分は自分の感情を認めるのが嫌だから、南下の刺激を求めて、本を読む。そこで見る言葉が心を刺激し、俺はこう感じているんだと確認する。

 勘定って難しい。いくら安心できる人に言っても、否定されることもある。あっちにだって感情があるし、自分がある。だから反論されて当たり前なのだ。一番確実なのは、日記に感情を書き、読み返し、自己分析する。そういうことを毎日やっているし、アファメーションを読んで自分を説得している。

 歪んだ親や周りからの洗脳はインナーペアレントとして出てくるし、しつこいのでその度に叱り飛ばし、なだめ、自分の葛藤に終止符を打つ。

 回復して、このような作業が終わるわけじゃない。これは一生続くと思う。
<1770> ぺあ(FB注意) ■2007年07月31日 火曜日 12時27分52秒
家族がいなくなったことで、私は「不幸な人」に嬉しいでしょ?私もあなたたいの仲間になれてあんた「下」できて嬉しいでしょ?って思っている。いつも私を心配させた友人にも「嬉しいでしょ?下できて嬉しいんでしょ?いつも私上っぽかったけど、下になれて仲間できて嬉しいでしょ?」って思った。そして私を心配してきた友人には「見ろ、これで分かったか、私が精神的に不安的なおかしい子じゃなくて、こういう不幸があったんだよ」ってやっと私の叫んでいたことが分かったか、認めたか。と思っている。そして私の生きにくさを聞いて、いらない助言してきた人には「お前のせいだ、二度と会いたくない、金輪際一生会いたくない」って思っている。助言した人は私に「人の話し聞きなさい」って言った。「聞けない人だから聞きなさい」って言った。「もっと冗談分かれよ」って言った。もうあんたの泣き声、不幸話聞きたくないってそのぶた言った。言ったのよ。私の内面はいつも聞いてくれる人を求め、その2人から助言され、内面の力も確信も自信も弱っていった。
<1769> ぺあ(FB注意) ■2007年07月31日 火曜日 11時46分11秒
私は学校が怖かった。恐怖。同級生の感情に飲み込まれるから。今でもそうだけど、私ではなく、彼女たちが主人公の生活なのだ。いつもいつも。私はいつもなぜか心配していた。私よりも彼女たちの方がずっと「幼い」ずっと「もろい」ずっと「分かっていない」と思っていた。何を分かっていないかといえば、人生はほんの少しのことで「失敗」するのだとか、今のうち将来の「優秀な人材」になるためのコースを歩まなければならないとか、今から感情面でも人間的にも「競争」や「自分磨き」は始まっているんだということだと思う。それから人間いつか死ぬ、いつかふっと気を抜いた隙に病気になるとか、そういうことも思っていた。
 私はいらいらしてひどい言葉でののしる姉にいつも「すまない」と思っていた。私は生きることも人のことも子供の頃はとても好きだった。多分根幹にあったのは、自分のことが好きだったんだと思う。そして人も好きだった。きっとこういう感覚って赤ちゃん、子供なら誰しも持つのではないだろうか。私は意識的に持っていたんだと思う。とても記憶力のよい、意識的に生きている子供だったとつくづく今でも変わらないけど、そう思う。姉の不満そうな顔に私はいつもなぜか?と思い、答えは「私がずるいから」というものとして納得したのだ。父や母にこの人たちなんか信用おけないと感じたのは3歳、4歳の頃。父と母が姉を怒ってひきずりまわして、笑っているの見たこともあった。姉に対してへの感情は本当に複雑。ただ言えるのは彼女は私の「自尊心」を砕く手助けものすごくしたと思う。ほとんどしたかな。小学校時代、私をばかにする女の子に登校日に「ばか」って言われた。その時、姉にいつもいつも言われない日はないくらい言われていたから、「私このくらいで傷つかないや、こういう姉がいて、言葉のナイフに傷つかないように慣らされてよかった」などと心から思っていたのだった。姉が中学、高校へ入るとひどかった。私のなすこと大笑いしていたし、いつも正論、いくつも上だから分かることを押し付けられた。彼女は親切でやっているらしい。そして自分の言ったひどい言葉も傷つくような言葉も忘れているのだ。いや、傷ついたことを伝えたら、「そんくらいで傷ついたら世間でやっていけね〜よ」だそうだ。「ならしな」だってさ。セクハラおやじと全く同じ発想だな。パワハラ姉なんだな。彼女の助言はいつも世間的にどうか、いつも合理的で最短で一番金のかからない方法で最大利益得るためにどうするか、資格を取ること、有効に時間を使うこと、そういうことばかりだ。そして私にいつもいつも「お前は自意識過剰だね〜お前なんて誰も見てねえよ」「いっつもどうせくだらないことしかしねえんだろ」「世間知らずのばか」(これは特に言われてきたな)私のやっていることに対して「へえ、あんたにもできるんだ」真剣にやろうとすることに「うける〜」という反応。信じられないのは父のお葬式の時の写真を見て、「あんたの顔うける。顔四角し。すげえうける」とかいって笑っていた。そして今頃になって「ちちは女運悪かった、妻だけではなくて、子供も悪かった〜よね〜」とか言ってんの。ばかじゃないの!!お前は父や母を利用していただろうよ。自意識過剰とか人のこと散々言っているくせにお前ばかじゃないの。ドレスを100回以上着て、自分だけの写真とってコレクションつくって親戚中に見せてるのはあなたでしょう?うけるのは、あの人今度のことで私が気丈にふるまって、資格とか取りに行っていたら「見直したよ、すごいよ」とか言い始めてんの。本当に本当に私は理解できない。まあ、もうほとんど関わらないけども、あんたが私を「できないできない、世間に通用しない、うける」とかレッテル貼ってくれたおかげであんたのレッテル通りの自分になろう、人は崩れるほど弱いからその人の世界観すべて私が肯定しないといけないと思い込んでいたよ。それ以外の自己を持つと、「裏切りのものだ」という過去の同級生の言葉とともに、その人に対してものすごく私は罪悪感を持ってしまう。
<1768> 秋 ■2007年07月31日 火曜日 11時27分42秒
違うサイトで掲示板にカキコしたら、
おまえみたいに幸せのなのに不幸ぶってるやつは最悪!
みたいなことを言われた。
旦那がいて今主婦だったらそう言われるし、思われるんだよな。
世間的に。
ACであることの生き辛さ、誰かにすがったり物に依存したりして
いることもただの甘えとひとくくりにされてしまうだな・・・
と改めて思い知らされ、少し泣いちゃいました。
世間に出て働いてもトラブルは起こすし、被害妄想も激しい。
それをスルーして強かったなら、
こんなこと言われなくて住むのになぁ。。
<1767> アーネスト ■2007年07月31日 火曜日 05時18分35秒
(FB注意)だますこと、責任感、罪悪感。

このプログラムに繋がって少しは時間が経ってきたけど、感情を正しく認識するのは難しいな、とつくづく思う。怒りや悲しみに関してはだいぶ自覚的になれてきた。それでも罪悪感、責任感、恐れといった感情は、僕にとって常に社会的な意味を含んでいて、感情をジャッジすることはなくなってきたとしても、それが理にかなったものか、そうでないのかまで判定するのが難しい。不合理な罪悪感、責任感を抱く時、ものすごい痛みと苦しみに打ちひしがれる。

僕はずっと自分をだましてきたと思う。自分をだますということがどういうことなのか少しわかってきたと思う。虚飾や傲慢、高慢、知ったかぶりといったことよりも、それは自傷行為に似ていると思った。ハイハイしている赤ん坊の足首に鉄球をくくりつけているようなものだ。「できないこと」を「できる」と公言したとき(それは単なる見栄や承認を求めてのものではないと今は思っている)それは手首を切ったり、タバコの火で自分の皮膚を焼いているのと同じような気がした。責任感や罪悪感は、僕にとって非常にやっかいな感情だ。そもそも僕はできないことをできると思ったり言ったりすること(それがかつての責任感でもあったような気がする)で罪悪感を感じてきたような気がする。底付きを何度しても、今でも自分に非合理的な責任を押し付けて、それが果たせないと罪悪感を感じる。そして、もっと不合理な責任感をもっていく。その連鎖だった。そして、コントロールに失敗すると対象者に対して罪悪感を抱くが、「責任感」を持っているというだけで正当化してしまう。どんどん自分に対しても他人に対してもウソが重なっていくから、罪悪感がたまっていくのは当然だ。空想の世界で背負った責任を果たせないと、罪悪感を感じる。そして現実の世界では他人を傷つけただけの結果に終わるが、そこでまた「今度は上手くやる」といって他人をコントロールしてみる、と自分にウソをついて責任を負っていく。失敗する。その繰り返し。自分にウソをつくのは罪だと知った。
<1766> ぺあ(FB注意) ■2007年07月30日 月曜日 20時14分07秒
人って運命があるんだろうとつくづく思っている。どんなにしてもできないこと沢山あった。ちちに対してとても好きだったけど、それでもいつも本音で何か言い合うことできずにいらだっていた。友人も先生も「あなたが自分で変わりなさい」「家族に問題あるなら何とかしなさい」ってよく言われた。教育実習でクラス全員のまえで怒鳴られたし、学校全体に白い目で見られた私はほとほとつかれきっていた。今まで何のために大学でいじめや過去の痛みを解消しようと頑張ってきたのに、どうしても私は飛び出せない。どうしても私と周囲との間にはもやがかかっていて、どうしても本当の私は出せない。だから頑張った。だから頑張り続けた。でも誰も私の肩書きだけみては、「贅沢だ何が不満だ、あなたはおかしい、いじめられて当然、OOOさんなんでいつも悩んでいるんですか?」全部が全部そういわれたわけではない。それでも私にはそう聞こえた。家族に言った。おかしいよって言いたかった。どうしてもこのもやもやを取り去りたかった。そのためにはこの家のお皿、父が大切にしていたお皿すべて叩き割ってもいいと思った。できるだけ冷静に母に過去の話しした。私の母親は明らかに人の話しの聞けない、おかしな人なのだ。それでもいいと思う。でも、もう無理だなって思った。何かがおかしくとも、私の過去がどんなに一人だったことも、周囲からは「恵まれている」って言われることへのずれも、いつまでももやもやと外に出せない本当の自己(成長できず怯えている子供の頃のまま時のとまったような私、自傷で周囲から身を守ってきた私)を抱え、表身は普通の大学生のふりして生きていた。父親は自分で自死したんだ。おかしいと思って、それでも私は境界線をつくろうと思った。それでも私の心のどこかがざわつくのだ。「それではだめだ。」と。でも自助グループに行っても虐待受けた人や不満だらけの人の声聞いて、私は生きにくいとは断言もできず、ACだと断言できずに、友人がいることを強調して見栄を張ったら、気に入らない人がいたみたいで私の座布団嫌な感じで踏まれた。ここでも比較なのかなって思った。あの頃、私確かに話し聞いてくれる人いた。その人逃したくなくて自分はその人の言うとおりにしたし、その人に好かれるように自分の感情を自分で統制していた。友人いた。それでも私はにこにこ笑っている彼女たちから何光年も離れているような気さえした。大学時代の友人は私の不安定さに私を見放した。もしくは、「いい加減にしてよ、こっちはカウンセラーじゃないから、苦しいんだよ」っていわれたり、電話無視されたり、「もっと人の話し聞きなさい」って要求されたりした。父が亡くなって楽になった。こういうことだったのかってやっと分かった。そしたらもやもやも人との隔たり感も少し減った。何よりも人に初めて私の悲しみを辛さを「親族の喪失」という意味だけど「認められた」気がした。ちちは私になんか言っていた気がする。母も姉も私は今の仲良いふりしているけども本当は大嫌いだ。姉なんて特にオオバカだと思う。本性はよくわかった。とんでもない時でも「私の顔がうける、四角い」とか言って大笑いしていた。母も、私が泣けば「何で何で?何で?何で泣いたの?」とかいって自分の母親に「この子泣いてさ〜ばかじゃないの?」みたいな言い方をした。本当にどこまで頭のおかしいというか人の痛みの分からない人たちなんだろう。こんな人たちと多分一緒に暮らすつもりはもうない。それでも暮らしているけど。それでも私の助けはしてくれる時もある。人って良いところばかりではないから、こういう人の心をぐさって刺す言葉を許していきていかないといけないんだろう。それでも私は今ならよく分かる。外見じゃあ人の悲しみは分からない。どんなに大変そうな子でもそう周囲から見えても、それはその人の運命の旋律の上でしか分かりえないことなんて沢山ある。このばか社会では、両親揃っている、だとか、お金恵まれているだとか(勿論すごく大切なことだけど)そういうレッテルの上で人の幸福とか感情とか推し量るけど、だからこそ、「恵まれた」家庭の子が反乱起こせばその子を「おかしい」と誰もがたたくけど、もっと辛い子供がいるだとか、そいつ分かりもしないくせにそういう時だけ「比較の不幸話」もってくるけど、でも、その子の感情よりそってあげる人がどれだけこの社会の中の大人でいるのだろうか?私は少なくとも両親揃っていて、どんなに恵まれているように見えてもその子の思いをその子なりの受け止め方を聞くことできると思う。
<1765> かえる ■2007年07月30日 月曜日 16時11分12秒
〈物事は成るようになる。納まるところに納まるようになっている。〉たとえ。どんなにあがいても。そー暗示みたいに繰り返していると、この先どんなに悲惨な運命が立ちはだかろうと。〈どーにかなるさぁ〜〉という気になってくる。思い込みだろーと。なんだろーと。自分は昔は苦しかったし弱かったかもしれないけど。きっと私の根っこには楽天家気質があるのだろう。だから。今はそー思う。
<1764> ぺあ(FB注意) ■2007年07月30日 月曜日 00時35分03秒
いつか、私のこの痛みが消える日があるのだろうか。怖い思いや不安な思い、自分を汚せば喜ぶなんて思う人間関係からちゃんと人を信頼できる日くるのかなあ。自分をずるく思わず、元気で気持ちよく生活送ること、幸せなことあったら素直に喜んで生きられる日くるのかなあ?この社会でいじめで笑う人が少しでも他者の痛みを分かって、いじめる人が悪いっていうような認識を持つ大人増える日くるのかなあ?自分をずるいと思わないで、自分が健康で楽しく、きちんと彼氏を持って、何かを分かち合いながら生きれる日くるといいなあ。
<1763> ぺあ(FB注意) ■2007年07月30日 月曜日 00時31分26秒
家族の前ではどうしても泣けない。泣かない。私は一人になると泣ける。公園に行くと、緑を見ると安らぐ。子供を見ると弱い人を見るとどうしようもなく暴力ふるいたくなる思いと怖いという思いがある。羨望もあるんだろうね。そうなんだね。昔は殺してやりたいと思ったこともあった。包丁見ると、あの子の入れた右の耳のあの痛みが返って来る。そして殺せ殺せって思う。大学時代からかな。うつから他者への暴力願望転化。もっとひどかったね。暴力を超えて、人を殺してやりたい思い。正直に書くとね。でもそれは自分を傷つけていることでもあるんだ。私が気持ちよく元気になると世界も平和になった気分で、スーパースターになったような気分で、いた。そしてこんな思いを持つ人なんて少ないから私は悪い、不幸な人に悪いって思った。姉にも下欲しがる人にも虐待受けた人にも悪いって思ったよ。そんな思いよりも子供に対して暴力ふるいたくなる思いの方が私合っているかな、それぐらい不幸そうな顔していればあの子喜ぶかな、姉喜ぶかな、下欲しい人喜ぶかなって思った。今もそう思っている。
<1762> ぺあ(FB注意) ■2007年07月30日 月曜日 00時08分39秒
私はだれかれ関係なく人の悲しみを背負おうとするししてきた。どんな場合でも、ストレス抱えている人を察知するのは得意だ。大学時代のサークルもそう、ひどいサークルでした。いつも周りから「ねた」にされる男子がいて、私はその人がいる限り、その人が傘になってくれるからほっとしていた。安全な立場にいるし、何となくいじめゲームの中潜り抜けているようなサークルの中でちょっとしたスリルを感じていました。風向きが変わったのが1年の終わり頃。私は外見がとっつきにくくまじめに見られるから、最初はとっつきにくいように扱われる。中身を出したら、「やっぱりばかにされる方だ」と私は感じた。私は自傷で中学高校時代を現実から逃げるように意識を飛ばしてきたので、大学時代もそれはやめられなかった。でも勇気を沢山沢山出しては、理想を求めて傷ついた。私が求めたのは周囲に太鼓判の評判のよい子、話しを聞いてくれそうな子に自分の悲しみとか辛かったこととかを聞いてもらい、ある意味吐き出して、浄化して成長ステップ歩むことだった。いじめられたことを親に言えず、こういう風になったんだ、全部私のせいだと思い込んでいた私は意識を飛ばすようにして現実から目をつぶって、やらなければならないことに飛び込んだ。恋愛もしかり教育実習もしかり、過去の洗い出しもしかり、研究もしかり、人間関係もしかり。親に「気の強い子」だと認めてもらえるようになるために。すごい傷ついた。一言で言えば。ものすごく傷ついたな。デートレイプされそうになった。無理やり性的関係結ばないといけないと思い込まされたこともあった。恋愛関係さえ持っていればまだいける「上」になれる、「認められる」そういう雰囲気をすごく感じていた。友人関係も、私はある2人の子に聞いてもらいまくっては、その子に「あんたは1年の頃から変わってない」「変わりなよ」私が一番大学時代仲良かったと思っていた女の子に「大学時代特に仲良くなかった」って言われたり、実習で子供の前で意識飛ぶくらい、こんなことは小学校時代のいじめ以来だったかな、怒鳴られた。その人子供に授業理解できたかどうか手をあげさせた、職員室まで追ってきて、今まで我慢してきたんだと怒鳴られまくった。意識とんだな。それでも私も姉のようにかつてのいじめっ子のように私の好きなものを徹底的にばかにする態度を彼にとった。だから私も悪いと思った。だから子供全員の前で私の過去の話しをした。そしてら学校全員からすごい白い目と頭おかしい女のレッテル視線で見られたな。恐ろしかった。本当にレッテル貼られ、中身を捨て去られる精神的な疾患を持った方、持たされた方の思いはよく分かるし、そういう疾患を隠す方の気持ちも少しなら分かる。本当に大多数、たとえ子供でものレッテルや視線だけで独りの人の心を殺すことできると思った。本当にあの瞬間があっただけでも心の底から実習なんか行かなければよかったと思った。今でも忘れられない。本当に傷ついた。学校は本当に本当に本当に嫌いだし、もう二度とあんな場所に足を踏み入れることはないだろう。
 大学時代私は姉や母のいうようなアドバイス、友人の私の心の内面を弱めるような強い発言どの助言もその通りにやったらすべてだめだったな。私すごくすごく傷ついた。そして父はなくなった。変だと思っていた、自分のAC的な傾向といじめられっこ傾向と共依存傾向も家族が原因だとも思っていた。変な空気をどんなに指摘しても、誰も誰も私を「変」だと言った。姉も母も父でさえも。人は私のことを「自分で変えなさい!」。「いつまでも親に甘えて」。お前は変だ。お前はずるい。お前は。皆が言った。私はもうその日もう振り返らなかった。こういうことだったの。人って本当に残酷だと思う。私は弱かったそして弱い私に皆ストレスを笑いながらはけ口として持っていった。いじめ=皆笑っている。皆笑う。傷ついている子を皆でいたぶって笑う。社会全体が笑えば、その子は自分を疑うしかなくなる。親も皆皆笑っている。いじめではない。こんくらいで。馬鹿ジャン。いじめられるお前が悪い。誰もがそういう。宗教も理念もない、馬鹿なその場しのぎの傍観者の増えたこの日本では、いじめられたら一環の終わりなんだ。皆笑っている。皆。いじめられた子も笑っている、おろおろしながら、皆を見ながら。
<1761> ぺあ(FB注意) ■2007年07月29日 日曜日 13時41分20秒
痛い未だに右耳が痛む。ずっとずっと大人も子供もストレスためている人を察知しては背負い、場にそぐわない思いを持つ人を察知しその人を「助け」ながら私は自分の「罪」が軽くなると思ってきた。なぜか家族の中にある変な雰囲気、父のぴりぴりした神経、姉のうらみがましい視線と「下」を求める顔、母が家族みんなにばかにされること。でも何にもなかったかのように振る舞う日常。突然母が機嫌悪くなる。その勢いに任せて今までの不満をはいているバカさ。彼女は弱い人だからひすてり―にかまけてしか不満を言えない人。私は元彼にやってしまった同じ事。彼女がいるだけど好き二股公認でつき合えと要求突きつけて優しくする彼氏に私はやっぱり「普通」の感覚が分からず彼の要求に応えたほうがいいのか、彼が「普通」なのか分からず期待にやはり答えた。そして急に別れるとか言ってまたコントロール感を持って満足する。時たまヒステリー起こして彼がおびえるのに乗じて彼をしかとする。あっちが私に理不尽ならこっちも飲んでやっているだけ理不尽に扱えると思った。彼は彼の要求は今までの子供たちからの要求大人からの要求親から教師から教育実習先の先生から子供からがっけんの先生から誰彼の要求と全く同じ。私を突き抜けて変って私は感じても相手は笑う要求する私は混乱してそれでもがんばる。あんな変態と別れて良かったよもうこれからは姉や母に認めてもらうために男と仲良しにならなくていいよいいよ。

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This script written by Shintaro Wakayama.