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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.86
メッセージ数:1720件

<1720> ぺあ ■2007年07月09日 月曜日 22時17分16秒
我慢してきた。大変そうな人によくすがられた。そのたびに彼、彼女を私は「守り」、そしてその立場を固定化しようとしてきた。
 人ってひどいですね。私が弱そうにしていると、いじめる。「お前が弱いからだ」と理由をつけては、私を自分の良いようにする、笑い者にする。それなのに、私が「強く」なると、かわいらしい女の子と比較され、やっぱり笑い者にする。弱ければいじめ、強くても難癖だ。私、どこまで頑張ればいいのですか?
もう自分のためにまずは生きさせてください。ずっと隠してきたけど、守ってきた自分を私は少しだけ生きよう。「こんな運命私にはぴったりでしょう、私は不幸そうで」と思いながら今日は涙が止まりませんでした。子供の頃から「暗い、暗い」って言われてきたし、「おとなしい」と言われてきました。明るい子と比較されては、あんな子が欲しかったとも言われました。でも、この家族の中にいて、どう明るくなれっていうんですか。私は頑張ってきました。それでも認められたことはありませんでした。そのままの自分で良いと思えたことは子供時代は皆無でした。感情もすべて自分の内面の目でチェックし、評価対象でした。いじめられても、私のせい。心の底から信じて疑わなかった。「悲劇のヒロイン的な気持ち」ならまだ良い、私は本当にそう思っていたのです。何か、世界と自分って歯車合わない、「恵まれている」私が、どう見ても可哀想な子に対して「ずるい」という言葉を真に受けた。私はどんな人にもいらつかれる、特に女性の先生にはそうだった。私はどんな人の内面にもある暴力スイッチをオンにさせてしまうんだなあと思っていました。もう批判はいいです。すがりつきも止めてください。救っても止めてください。不幸な話しも聞きたくありません。ただ、頭をよしよしして欲しい。私と他者をきちんと線引きしたい。何よりも、誰かに「うんうん、それで良いよ、頑張り屋さん」って言って欲しい。
<1719> アーネスト ■2007年07月09日 月曜日 01時06分21秒
もうこの変な、そして意味のない罪悪感を消したい。
何もしていないのに、とめどなく溢れてくる罪悪感。いつもオドオドビクビクしながら暮らしている。それでもいいけど、いやだ。もういわれの無い罪意識を感じたくない。これはもうずっと昔からの癖だ。怒られるのも、殴られるのも自分のせい。自分のせいだと?ふざけないでほしい。怒っても怒られっぱなしでモラルを獲得できず、殴られても殴られる理由も教えてもらえないところにどうやって責任を取るんだ。そう昔に全て責任はない。過去を体系的に整理しようとしたって無理なんだ。一貫性がないものを規則的に配列するのは無理だ。大事なのは今だ。今感じてる感情を大事にしよう。
<1718> アーネスト ■2007年07月09日 月曜日 01時00分39秒
親兄弟と絶縁することにずっと恐れと罪悪感を感じていた。
怖すぎて、そんなことを自分の未来の行動の選択肢に入れたくなかった。絶縁などとは言いたくない。縁?と言ってもこといらが望んだものではない。人間関係なんてもともと選択可能なものだろう?誰と付き合うかなんて自分で決めればいい。親孝行しなくてはいけない。親孝行しない自分はダメな自分だ、とまた自分を責めている。 そんなことを誰が決めたのだろう? もっともっと楽になりたい。もっと自由になりたい。楽になってきているけど、まだ足りない。もう限界である。
<1717> ぺあ ■2007年07月09日 月曜日 00時04分58秒
強くなりたいというのが小学校〜高校、大学までの目標だった。姉のように気が強くなりたいと思い続けた。強くなりたかった。でも強くなった暁には、かわいい女の子と比較されて、また「何をしてもへこたれなさそうだから」と集団のネタにされ、からかわれたこともあった。とにかく比較をされた。
 強くなりたかった。自分はどんな場所にいっても私がして欲しいように扱ってくれる人なんてどこにもいない。誰も認めてくれない。誰も私を人間として丁寧に扱ってくれない。誰も私を尊重してくれない。敬意を示してくれない。とても寂しかった。尊重してほしかった、特に小学校時代は。本当に「仲良し家族」の中で飢えていた。もののあふれる中で飢えていた。寂しい。人を肯定するために「聞き役」「裏切らない役」として誰かの中にとどまり続けた。今も寂しい。今はもっと真実分かったから、自分を人の意見に流されずに、貫けず、失ったかもしれないから、寂しい。うちの家族も同じだったんだって分かった。あの人は認められたくて、認められたくてしょうがなかったんだ。娘にすごい姿を見せたくて見せたくてしょうがなかったんだ。でも現実とギャップがあって、彼は自分を許せなかったんだって思うよ。色んな人を跳ね除けた人よ。今こうやってあとがきのようにしかもうかけない。もう終わって、彼は見せたくないことを自分の居る時に見せなくて、彼はその点は嬉しいのかな。でもつくづく彼は昔から寂しそうだったけど、今でも変わらんよ。寂しそうだよ。私もほんとに辛かったけど、あなたのこと、つらかっただろう。
<1716> アーネスト ■2007年07月08日 日曜日 02時02分38秒
(一部、残酷と思われる描写があります。読まれる方はフラッシュバックにご注意ください)

喜びや(いい意味での)自尊感情を感じる回数が多ければ、態度は前向きになっていくと個人的には思っている。逆に恨み・怒り・嫉妬・自己憐憫・恐れを感じる回数が多ければ ―感じること自体には問題はないが― 感じれば感じた分、自分のアティチュードは後ろ向き、自己破壊的になっていくと思う。感情を100%コントロールできるとは思っていない。だとしたら感情を、態度や思考・行動と100%完全に切り離すことも不可能だろうと、個人的には思う。だとしたら否定的な感情の否認を解き、処理できるのもはし、(あるいはしてもらい)、できるだけマイナス感情に対する処理の仕方をうまくしていけるようになりたい。

恨みは恐れの麻痺感情だと思う。僕の子ども時代には、おそらく恐れるものがたくさんありすぎて、何を恐れているのか自分でもわからなくなってしまったんだと思う。生命の安全を脅かされるかもしれないという恐怖、捨てられる恐怖・・・そういったものを小さな子どもがまともに感じ取っていたら、とてもじゃないが社会生活など送れるはずがない。成人した僕が、生命の危機に瀕したと仮定する。大地震や犯罪に巻き込まれるとする。想像したくはないが、おそらくすさまじい恐怖を体験するだろう。仮に誘拐されて、一定期間どこかに拘束される。恐らくとんでもない恐怖だろう。そのときたぶん「いつ殺されるのだろう?」と考えるだろう。そのときの痛み・発するであろう悲鳴・・・そういったことを感じながら、時を過ごすだろう。あるいは、脱出することを考えるかもしれない。

運よく事件が解決して、僕の命は救われる。そして再び僕は「非日常」から「日常」に戻っていく。はじめのうちは、恐怖に囚われるかもしれない。でも日常を繰り返すうちに、つまり朝起きて顔を洗ったり、ご飯を食べたり、排泄をしたり、食後にお茶を飲んだり、趣味に没頭したり、働いたり・・・そういうったことを繰り返していくことで、結果的に自分が「助かった」ことを理解していく。助かったことを理解できれば、恐れの感情は、過去の恐怖体験に伴った感情であることがわかるだろうし、現在を侵食するほどの威力はもたなくなってくるだろう。と、ここまでを仮定して書いてみた。

実際の自分の子どもの頃を考えてみるとことはそう簡単ではない気がする。
暴力を受けたり、激しい叱責を受けたりという恐怖体験を僕はしてきた。もしかしたら「殺されるかもしれない」という恐れさえ抱いた可能性させある。あくまで可能性だが。さっき仮定したことを考えてみると、僕は誘拐され、監禁される。しかし警察が介入して誘拐犯を逮捕し、僕が釈放されれば、犯人は刑務所へ、そして僕は自宅に戻り、二者間には断絶が生じる。犯人は、僕にとって再び僕を脅かす存在ではなくなる。 しかし家庭内で、生命の危機に瀕した場合どうだろうか? 僕が家族の誰から暴力を受けようとも、僕と暴力を振るったものが切り離されるわけではない。警察が介入してくるわけでもない。

つまり何か危機に瀕したとしても、加害者と被害者が物理的に離されるわけではなくそこには被害者の「加害者が二度と自分の安全を脅かすことはない」という安心感は生まれない。 僕が経験してきたことはそういうことだったと推測している。 僕は今こうして生きている。それでも人への不信感を拭い去ることはできない。

本当に家の中が安全だったなら僕は恐れを否認する必要はなかった。「恐かった」と自分の気持ちを誰かに聞いてもらうことができただろうし「恐かった。でももう大丈夫」という安心も抱けたと思う。大事なのはその「もう大丈夫」の部分なのだと思う。大丈夫=恐れは去っていた、というプロセスを僕はあまり経験していないから、慢性的な、漠然とした恐れに囚われている。

恐れが去っていかなかったことの弊害は、それが恨みにつながったことだと思う。安全を一度は脅かされたけど、もう大丈夫という感覚が希薄だから、つまり恐れがまだ残っているから、その原因となった人やモノを恨むことにしたのだと思っている。多くのことが過去に起きたことだが、未だに脅かされたという感覚が拭えず、そのことで相手を恨んでいるのだと思う。

正直に書こう。僕は家族のものから刃物で脅されたり、胸倉を捕まれて脅された。バチが当たると言われ、小さいながら神の存在にも怯えた。自分は地獄行きだとずっと怯えてきたし、今でも怯えている。でもそれらは理にかなってはいない。僕は暴力を受けたが、今は逃げることができる。場合によっては防衛することもできる。警察に連絡できるし、いろんな手段を講じることができる。残念ながら神に対する恐れは未だに強く、不信感は拭えない。しかし少なくとも母の言いつけを破ってもバチは当たらなかったし、これからも多分、当たらないだろう。どうせ信じるなら、どうせバチが当たるなら、どうせ地獄に落とされるなら、自分の理解する神にそうされたい。でも同時に自分の理解する神はそんなことはしないとも信じたい。

過去の恐怖体験を認めたい。それに巻き込まれた自分を許したい。なぜなら危機に瀕したけど危機は去っていったのだから。
<1715> ぺあ(FB注意、憎しみの表現あり) ■2007年07月07日 土曜日 23時09分02秒
いじめられた。その時に負った身体と心の傷がうずく、痛む。それは小さな子供を見た時。よぼよぼで頼りなさそうな老人を見た時。障害者で何もできなそうな人が背中を向けた時。過去の痛みがものすごく蘇る。暴力ふるってやりたい、ころしてやりたいと思う。勿論そんな事絶対にしないけど。でもそのくらいの思いと、そんな自分に怯える思いが錯綜する。大学時代よりは軽くなったけど。そのくらいの怒りと憎しみと恨みを、今度はかつての自分のような「弱い人」に自分にされたのと同じことをしてやりたくなる。いじめられた。声高に叫びました。そんなこと私もされたよと同じ子にされていたその子の友人は言いました。被害者意識って人は言うかな。でもひどい。怒りや憎しみや恨みをどうしたら手放せるの?私は全く同じことを弱い人にやってやりたいという憎しみで苦しんだ。いつかそんな過去のことは感情の中で忘れて、今を楽しく、好きな人と日々をわかちあって生きていける日はくるのかな?それでもどんな憎しみ抱えても、必死で周囲に気を配り、誰も誰も傷つけず、(その代わり自分を傷つけ続けた)(多少姉と同じように他者を馬鹿にしたことはあったけど)、誰かを救おうと奔走(もうしなくて良いことだけども)してきた自分、頑張ったんじゃないってほんの少し思えるよ。ほんとに他者を傷つけなくて良かった、自分のためでもあるんだね。いつかいつかほんとにあのいじめた子のことを手放して、今を好きな人と生きられますように。
<1714> アーネスト ■2007年07月07日 土曜日 16時14分05秒
どんなことにせよ、「なぜあのとき気付けなかったんだろう?」「認められなかったんだろう?」「始められなかったんだろう?」という後悔とは少し違う、自分の鈍感さや否認の強さに対する苛立ちを感じることがある。そのたび、過去に押し戻されてしまう。でも少しずつ紐を切っていきたい。
<1713> アーネスト ■2007年07月07日 土曜日 00時59分56秒
※フラッシュバックに御注意ください。


漠然と感じてる自己否定感、生まれてこなければよかったという感じ、自分がいてはいけないという感じ、死んでしまえと言う感じ、自分を八つ裂きにしたい感じ、自己憐憫、偽りの罪悪感、どれも自分を守るための口実だった。

自分より体の大きな大人から、身を守るためには、サバイブするためには、「(相手ではなく)自分がおかしい」という感覚を ―親である相手を否定できないのだから― 持つという非常に非合理的な防衛法を使ったわけだ。
<1712> アーネスト ■2007年07月07日 土曜日 00時52分28秒
僕の感じる“偽の罪悪感”は、多分、母の教育(調教ともいう)の影響だと思う。「行為」に善悪の基準があるのではなく、彼女に背く行為・彼女の気に入らない行為に対して、つまり彼女の脳が善悪の基準だったと言ってもいい。“俺が法だ”というヤツだ。彼女の口癖は「バチが当たる」だった。

僕が感じる罪悪感は偽だ。うまく言い表せなくてもどかしいけど、偽だということがなんとなくわかる。ほんとうの罪悪感は、もっと役に立つものだと思う。人のものを盗んではみたものの、自分のしたことに気付きそれを返しにいく。そしてもう二度としないと誓う。本当の罪悪感は“罪の抑止力”になるのだと思う(残念ながら今の僕にはそれがない)。

僕の罪悪感は、偽の責任感だと思う。他人の怒りを買う。例えば母の怒りを買う。本当はただ二人の意見が違うだけなのに、なぜか僕が「間違っている」ことにされる。彼女の怒りを買うのは自分のせいだ、自分が悪いからだ、と考える。意見の相違は単なる相違なのに・・・人と違うだけ罪悪感を負わされてはたまったものではない。

本当は責任を感じる必要のないことに、責任や罪の意識を感じる。多分、自分を守るために身に付けてしまった“癖”だと思う。批判されるのが恐いから、初めから自分で自分のことを批判してしまう。お前は罪深いヤツだ、お前は間違っていると。

僕の罪悪感は自家製のものだ。
年中、お前はアホだ、馬鹿だ、間違っている、と自分で自分に言い続ければ、罪悪感や場違いな感じ、自己否定感が育ってもなんら不思議ではない。
<1711> ぺあ ■2007年07月06日 金曜日 22時24分24秒
被害者は簡単に加害者になりうる。しかし、被害者で加害をしない人はある種の革命を加害者に与えるのではないか?という言葉を読みました。私もびくびくおどおどした自信のない、下向きっぱなしでひきつった笑いを周りに合わせてするような子供でしたから、すぐにストレス溜まった子の目に留まったみたいですね。私は確かに被害を受けた。そして加害したくなりました。どうにか持ちこたえたけど、でも溜め込んだ怒りできっと色んな人を傷つけ、自分をそれ以上に傷つけ続けたことでしょう。何もかもそぎ落としたような、欲のなさそうなおじいさん、おばあさんはいいなって思います。どうかこの世の中に楽しいこと一杯だ!と思っている純真な子供に、暴力が容赦なく降り注ぐそんな社会にならないといいと私は心から思っています。
 社会正義に目覚めている、救世主願望がめちゃめちゃ強い私で、周りになに熱くなっているんだって思われることは多々あるんだろうけども。自分を大切にする。それから他者も大切にするを自然とできたらいいな。そして「良いもの」は「良い」って思えられたらいいな。
<1710> ぺあ ■2007年07月06日 金曜日 10時34分12秒
運命ってあると思う。人の心が創り、周囲の環境、周囲の人が創るんだと思う。苦しい思いは取れた気がする、というかやっと分かったという思い、でも「いつか晴れる日は来るさ」っていうよくある歌文句とは違う。やっと分かった時には好きだった人を失った。いなくなった。これで満足?神様がいたら言いたい。ずっと私を「恵まれている」「ずるい」って言ったきたあのばかにも言いたい。もういないんだよ。私が怒りのエネルギーを持ちながら「ふり」人生を続けたら、多分私はリストカットをもうするしかなかったと思うし、もしかして人も刺したりしたかもって思うの。家族を殺したり。皿をぶちまけて、精神病院に送られて、それでも「レッテル」に合わせて生きる為に、本当にそうなって、恨みを倍増して生きたかも。でも違った。現実はうちの家族が一人なくなっただけ。そして周囲に同情された。初めて、正当なことで認められたと思った。ずっと苦しくても、周囲は表面しか見なくて、私を「恵まれている」「いい年して」「冗談分かれよ」って脅かしてきた。他者と境界線つくろうとやろうとした。でも心に何かが渦巻くの。親と境界線つくろうと決意した。でも何か私はやっぱり「愛されてきた」から、お返しはしないとと思ってきた。誰に言っても分からないでしょう。でもやっと認められた気がしたのは、家族がなくなってから。そしてやっと真実が分かったのも。私はずるいですか。楽になった。でも悲しい。いつか晴れる日ってこんな日なんですか?楽です。それに周囲も皆同情してくれる、私の悲しみを正当に理解してくれる、どうみても悲しいことだから。でもこれが事実。ほんとに肩の力抜けるほど大したことない事実。でもその人のプライドのかかった事実。現実って笑えるね。自分の気持ちに基づいて居られる人は幸せね。うちの人は認められなかったんだね。でも一体病気って何なんでしょうね。精神病ってそんなにいけないことですか?
<1709> ぺあ ■2007年07月06日 金曜日 10時22分19秒
私は大学時代もそうだったし、周りの現実とかみあわなかった。納得できることを知らなかった。いつもものすごい怒りのエネルギーを反面で隠し持ち、表面上は「うまくいっている」物語を歩いているように周囲に「見せて」生きてきた。でもその怒りのエネルギーがあったからこそ生きてこれたと思う。多分それがずっと他者からの暴力に「何でもないふり」をして蓄積してきた「本当の」私だった。今、他者の言動に怒るとする。怒ると、自分は人に大切にされるべき人なんだと思えるようになる。他者が私を大切に扱ってくれる、自分も大切にしたくなる、そんな感じを受けるんだ。
家のようにすごい「幸せ」そうに見え、何でももらえる私、理解もされている私は「恵まれている」と、どんな人からも思わされてきました。私もそう思っていました。家族の人も。でも、何かが変。私は寂しい。どうしても「救世主」になってしまう。人を救わなきゃ、この人を置いてきぼりにして一人にはできない、という感覚と幸せを心から感じる私は「ずるい」のだ、こんなに「不幸な」人、「助けてあげるべき人」が世の中に沢山いるのにと思ってきた。
 人にいじめられる、人に依存される、挙句の果てには人にどうとでも扱ってよいようにされる、こうやって私は「感情」を持たず、周囲の「レッテル」に合わせて、生きてきた。私の周囲は「可哀想な人」であり、私が「レッテル」以外の自分を持つことはどんな人も追い抜いてスーパースターになってしまうという自惚れと、その人への裏切り行為だという思いを持ってきた。またレッテル貼った人の怒りを買って、殺される位の恐怖を持ってきた。それぐらい人の「思う」私像と違う一面を持つとものすごい罪悪感と裏切り行為とその人への怒りに恐れていた。私は子供時代、親を肯定してあげたくて「家族経営者」をやっていたと思う。そして同級生の子供にはいいように扱われて、いじめられても自分の思いを殺して生きてきた。爆発しそうな思いを抱えながらも人を「救おう」とし、人を「めっためったに私と同じように生きる力を奪うこと」を「幸福そうな人」にやろうとしてきた。ずっと周囲の目のために生きてきた。ずっと親のために生きてきた。ずっと先生に「変な子、心配な子」に映って、仕事量を増やさないようにするために生きてきた。ずっと「下」の子、「かわいそうな」子、救ってあげないといけない子を助けるために生きてきた。
<1708> アーネスト ■2007年07月06日 金曜日 02時57分24秒
最近、嬉しいことの一つは怒りの感情と仲良くなれてきたことだ。いつも怒りを感じると、コメカミのあたりがピクピクしたり肩に異常な力が入ったりして疲れた。でもそれは本当に怒りを受け入れてはいなかったのかもしれない。今は人を傷つけないかぎりにおいて適当な怒りの発散(一人でブツブツ文句を言うことが、今の僕にとっての怒りの唯一の発散なのだ)をしているが、これをやってみるとなかなか楽しい。楽しいどころか怒りの感情に感謝したくなる。変な言い方だが、怒りを感じているときこそ、よりより自分という人間の存在をありありと感じ取ることができる気がする。昔は怒りを押し殺すことがスマートで大人なことだと思っていたが、もう大人だとかそんなことはどうでもよくなってきた。
<1707> ぺあ ■2007年07月05日 木曜日 22時04分30秒
のめり込むから、周りの状況を察知して、バランスを取ろうとしていたのかな(いい子ぶるなよってちょっと自分を卑下したくなったけど)でも、自分なりにバランスとって頑張ってたのかなって今はほんの少しだけ思う。
いいことあれば、嫉妬されるし、不幸な人を追い越しまくって、その人の自信を失わせてしまう、またいいことばかりの人は悪いことおきるに違いないとの思い込みがあり、ほめられても恥ずかしくて、素直に喜ぶまいとした。
いいことはいいって思えるようになるといいな。ほめられても持ちこたえて、いいことなんだ、自分の武器なんだ、もっと磨けるって思うようになれるといいな。
<1706> ぺあ ■2007年07月05日 木曜日 22時00分53秒
それから私は実はとてものめりこむ人なんだと思った。だからこそ、その中の人間関係や暗黙のルール、人のちょっとした気持ちのゆれを敏感に察知して、この人は下っぽい、皆に了解の下いじめられそうと読んだり、男子に敬遠されそう、笑われ役って世間の見方、多数決で合っている感じを把握して、前はその通りにやろうとしたと思う。加勢していじめたと思う。その後は、そういう下の人は「かわいそうだから」両方の気持ちを分かってあげられる私がまあ気を使って、気を回してやる、でも私の想定外のところ=彼氏つくったり、親友や友人つくったり、明るくなったり、何かに没頭するのは違反だぞっていう支配があったと思う。裏切るなよ。下でいろよって。そして、私嫌われたかな?多分。周囲の人にも。
<1705> ぺあ ■2007年07月05日 木曜日 21時55分06秒
大人になるって自分が主人公で人生を歩くことなんですね。それでも人を助けたいと自立した人が思うのは素敵です。うつの人を下だと思っていました。でもその人のほうが私よりも人間関係つくるの好きだったりします。今日女の子グループの中で談笑していたから。私は一人でした。男子と話していました。でも何か楽でした。うつの人を見下して、心配して親っぽい視点に立ったり、弱さをいじめられたらいいのにって思ったり、私の気持ちは極端です。それでもいつもなら心配で気を使って一人にならないように傷つかないように気を回しては、その人が私より上(結婚しているとか、彼氏がいるとか、恋愛経験あるとか、信頼できる友人がいるとか、バンドやっているとか、何か光るものを持っていることなど)だとすごい今までの私の気回しは何だったんだよ!お前なんて下のくせに!皆からいじめられろって思ったり、怒りや嫉妬や恨みをそれによる自責感にさいなまれたりするから。今回はすごく褒めてあげられた←上っぽい言い方かもしれないけど。良かったじゃんって。人と人の間で仲裁や仲取り持ったり、自分でこの人はこうだからこの人とはあわなそう、私の万能さでこういう風にしたあげようとか現実の人間関係をすごく自分の見方でうまくいくように誰も傷の出来ない感じで作用させていた。そして私のいる中で思いもかけない人たちが親友になったりすると、ほんとにおいてかれた気分になった。それが今日は色んな人がいるし、「明るく、プラス思考でがはは系で、周囲に気が配れない人、敏感ではなく、自分の思いしか見れない人、しかし理解のある彼氏のいる、女っぽい人」を上だと思っていた。でも実は優しすぎる人もいる。暗そうな人もいるけど、実はかなり面白くて、友人が居る人で、そこでも友人を作ったりしていた。もう学校時代の上はないんだなあ。大人ってそれぞれで主人公なのかなってほんの少し思った。
<1704> トラミ ■2007年07月05日 木曜日 00時39分37秒
(FB注意の所があるかもしれません)
なんか、さいきんぼんやりと、自分の人生をひとつのつながったものとして振り返られるようになってきた。
そしたら、私のまわりには、ほんと昔から、害になる大人が多かった、ってのが分かってきた。
親でしょ、教師に、祖父母、叔父叔母・・。
それに、いじめに近いものは、小学生時代、常にあった。いつも一人でいる子だったし。
なんだか、あまりにも哀れな子供時代、青春時代で、自分が可哀想と思うのと一緒に、なんだか馬鹿らしく思えてきた。
なんで今まで、何の疑問も持たずに、こんな腐った環境に身を置いてきたんだろう?
どうして、こんなくだらない人たちのせいで自殺しようとしたりしたんだろう?
これからはもう、自分で自分を守ればいいじゃないか。自分で自分を幸せにすればいいじゃないか。
もう十分苦しんだのだから、幸せにならなくてどうするんだ、と思った。
<1703> ぺあ(FB注意) ■2007年07月03日 火曜日 23時24分52秒
追い詰められてでも家族のイベントを「祝福するために」笑う必要があったあの日。もう皆で旅行に行く途中、「笑い」仮面の「家族」のしたで私の本当の感情を吐き出すために、トイレに行ったとき、リストカットしようかなって思った。リスカして自分の暴力性は自分の手に吐こうって思った。「いい家族」「いい待遇」の私ですから、私は家族に不満なんて言えない。それに自分の感情よりも親の「やってくれたことへの・・・大変だったでしょう的感謝」を優先。でも「変」何か、変。私はずっと一人で19の頃から人生振り返ったりしていた。でも主に自分の心の変遷なんだけど。他者が入ってこないの。怖くて意地で入れなかったせいもあるが。自傷がとめられなくて。うちのOOがいなくなった。そして初めて、私が「変」と思ったことは分かった。そして、私の「仕事」祝福する「子供役」はやらずに済んだ。リスカもしなかった。人に初めて認められた。でも多分OOも同じだった。私のOOは心の病気で、ずっとそうだったんだ。
<1702> ぺあ(FB注意) ■2007年07月03日 火曜日 23時16分24秒
閉じ込められる感情。どこにも出口のない感情。怒っているのに楽しいふり。なぜか感情はこんなに騒ぐ、なのに何も問題ない「ふり」。家族は好きなのに、それでも「何かがおかしい」と思う自分とずっと自分の問題を親にばれないように「大丈夫!」とふりしてきたこと。標準な子供のふり、ふるまいを親が「理解できるように」してきました。親が分かるように気持ちもすべて自分で支配して、大部分の人が高校生時代に反抗期がくる、じゃあそろそろ私も分かりやすく「反抗しよう」としてしました。
ACだと思って、ではなぜ?と思ったとき、何か「ずれている」けどでも確かに「恵まれてきた」何でも叶えてくれた両親がいました。友人には家族の文句を言う。でも家に帰れば「心の力は抜ける」「自己効力感」「自分は何かできるぞ」という思いは抜けますが、だらだらさせてくれ、何でもやってくれるし、私もにこにこしている「生暖かい」家族とだらだら過ごします、でも本音の交流はありません、そしてひどいことは兄弟には言われますが、それでも話が盛り上がります。信頼できる人には「家族が嫌いだ」といいました。そして本当にすっきりした。でも多くの人にいい年こいて、金銭援助惜しみないのは愛情あるから、からかいは愛情もいわれました。愛情があったのは分かるよ。今なら。でもあの頃は自分の人格が二重人格になりそうで、また、誰からも理解されない部分(長年どうしても納得できない部分)の感情のマグマが積もり積もって、他者に怒りを思いっきり向けたくなりました。孤独でした。顔は笑っていてもどんなに悩みはいても、どうしようもない部分が心を覆えば自傷か他傷しかない追い詰められていた。
<1701> ぺあ(FB注意) ■2007年07月03日 火曜日 23時03分26秒
つづき
すごい今日会った女の子に嫉妬している。私。
感情が他者と共有できない。いつも嗤われてきた。感情を持っている人間として扱われなかった時もある。
他者に認められて初めて「いいんだ、持って」と思ったこと何千回もある。こんな小さなことでいちいち人様にわーわーわめきちらすな。まさしくこういう感じ。自分の「え?」と思うこと、気になること、不安なことは「くだらない、小さなこと、神経質しかそういう事気にしない」そういう思いでいた。私の神経質気質を「なおすべき」だと両親はした。私は気にかかっても何もそれに対して行動を起こすことも出来ずに、ただ相手のされるがままでした。どう考えてもいじめられている。「友達じゃん」「OOOO(私のあだ名)がかわいいからからかいたくなるんだよ」「弱いから」「ちょっとおちょくっただけ」「そんなにまじめにとるなよ」「触っているだけだよ」。私は「合っている」子供が正しいと思った。誰にも言わなかった。親に感情移入して「家族運営者」をしている私には、「学校に行きたくない」なんて思う心の余地もなかった。世界がねじれていた。私の感情は紙に書くだけ。書く時だけ「正直」に気持ちを言えた。たった一人だった。誰もいるはずがなかった。TVでいじめ特集やっていた。家族で見た。次の日、「傘ないな」という私に「もしかしていじめられているの〜」とにやにや笑う母。いじめられるのは世間から落っこちること、すべての人から認められないということ、汚いと烙印されたことでした。そして母の「子育て」の失敗を認めることだった。排気ガスを思いっきり吸ったような感じ。これが最近の私の最も衝撃だったことに関しての感情です。これは悲しみと怒り。でもこの感情さえ否認する。お前が望んでいたんだろって自分に言う。罪悪感。OOが好きだったからOOを下に落としたくない気分です。OOが好きだった。だから皆に嘗め回されているようなこの感じを思いっきり破りたい。祖母が憎い。OOを貶めているから。くそ叔父伯父が憎い。おめえらが先にいなくなれよ。母も兄弟も憎い。祖母が憎い。叔父伯父らが一番憎い。OOが好きだった。OOを皆嘗め回している。いいようにしている。ふざけんなよ。大好きだった。だから助けたかった。でも見失った。好きであり、憎んでいた。ずっと私に求めるくせに、自分だって意見私にいえないじゃない。でも好きだった。本当に好きだった。ずっと幸せになってほしいと思ってた。でももういないの。もういなくなった。私頑張った。でも今の嘗め回すようなこんなのいやだ。おじらが先にしねよ。おめえらがいなくなれよ。この比較してばかりのばか兄弟が。

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